2020/06/21 - 2020/06/27
65位(同エリア74件中)
ちゃおさん
卯之町は歴史から取り残された町。時間は前に進み、タイムマシーンに乗らない限り、後には戻らない。映画バックトウザフューチャーに出てくるようなマシーンでもあれば、人は自由に時空を行き来できるが、現実の世界ではそれは無理だ。過去には郷愁もあり、思い出もある。頭の中で描いて思い出す以外に、過去に戻ることは出来ないのだが、こうした過去の一時期がそのまま変化もせずに目の前に現れると、何か疑似感覚的に過去に立ち戻ったかのような感覚になる。
ここ卯之町の通りの中ほどにある松屋旅館がそれだった。入口から中庭を見ると、綺麗に手入れされていて、この旅館、とうに廃業し、現在は個人の所有になっているのかと思って、中庭に入り込むのは躊躇われたが、実はこのブログを記載している最中の昨日、知人の悠久のボヘミアンさんからコメントがあり、彼は以前にも紹介したが宇和島の出身で、その中に、この旅館は現在も営業は続いているのだが、現在は修復工事中で一時休止となっている、とのこと。成程、今思えば、外観の杉板の破れとか、塗装落ち、窓ガラスの割れた状態とかはなく、廃屋になっているとは思えず、それで誰か個人が住んでいるのかと思ったのだが、実はまだ旅館営業中だったとのこと。自分の住む小金井には東京江戸建物園があって、そこには高橋是清の建物が移築されているが,明治の時代の建物のガラス窓はギヤマン風の波打った厚手ガラスで、この松屋旅館にも同じようなガラス窓が嵌められていた。
塀の両側に過去の逗留者の名前が書き出されているが、この高橋是清は勿論のこと、後藤新平、犬養毅、浜口雄幸、若槻礼次郎等々、明治大正昭和初期の元勲の名前があって、更に右側には前島密、新渡戸稲造等々の名前もあった。彼等が何の目的でこの町に来て、この旅館に逗留したのか、詳しい経緯は分からないが、当時この地方は松山と宇和島を結ぶ宇和地方の中心であり、鉄道が出来る以前の宿場町でもあった。又、今日は車で明石寺からぐるっと遠回りして、ここ卯之町にやって来たが、町の後ろの小山を越えれば直ぐに明石寺であり、この寺の門前町だったとの説明も先の美人ガイドからあった。ただ、松山ー宇和島を結ぶ鉄道駅がずっと先の平地の方にできて、又国道56号線もその駅の方面に開通し、町の中心がそちらに移るに従って、ここ卯之町はそのままの形で取り残され、歴史の中に封印されたのだった。
昨日のボヘミアンさんのコメントの中に彼の叔父さんが愛媛新聞社の支局長でこの町に住んでいたとのこと。又、先のガイド嬢もシーボルトの娘さん、日本で最初の頃の女医さんだが、そのイネさんも住んでいたとのこと。以前長崎鳴滝のシーボルトの旧居を訪問したことを話したら、観光客の誰もいない静かな路上で、二人の話は盛り上がった。郷土愛の強い女性に違いない。
どうぞゆっくり観光して行って下さい、と言い残して、美人のガイドさんはどこかへ消えてしまったが、松屋旅館の両側の板塀の名前を見ながら、この先哲達の事跡を思い起こし、釣られるように一歩中庭に足を踏み入れると、直ぐの場所に大きな石に刻まれた素十の俳句があった。「この宿の 庭木の茂り なつかしき」。
高野素十。自分には平凡に思える句だが、山口誓子や水原秋櫻子と共に、ホトトギスの重鎮だ。後で山本健吉の現代俳句を読むと、彼の作風は、別に細密な描写というわけではないが、それでも詠歌的ではなく、描写的であることには間違いない、との解説。彼は主観的な感情を託さない、と評価されていたが、この句は充分に主観的、感情的だ。素十はここにやってきて、過去この宿に泊まった先人、先哲を思い、その思いを庭木に託したに違いない。今になって思う事だが、支局長であった悠久さんの叔父さんもこの句碑を見て、或いはこの宿を定宿とし、同じような懐かしさを感じたかも知れない。歴史はこの宿に留められている。
- 旅行の満足度
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