2019/11/18 - 2019/11/19
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harihariさん
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1926年(大正15年)創業の宝塚ホテル。
阪神間を代表するクラシックホテル。
創業当時からのホテル旧館が建て替えられるとの話を聞き、閉館する前にあわてて宿泊してきました。
思えば、近いわりに子どもの頃以来訪れたことのない宝塚。
爽秋と呼ぶにふさわしい秋晴れの中、宝塚を知るには欠かせない「歌劇」そして「漫画」の文化に足を踏み入れてきました。
1泊2日宝塚を巡る旅です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
9時30分。
阪急宝塚線 中山観音駅に到着。
今回の旅はここから。 -
駅から徒歩1分で「大本山 中山寺」の門前。
県指定重要文化財の山門(仁王門)は、徳川家光により1646年(正保3年)に再建。 -
本堂(県指定重要文化財)
1603年(慶長8年)に豊臣秀頼により再建。 -
中山寺は、寺伝によると聖徳太子が建立したという日本最初の観音霊場。
西国三十三所観音霊場の第24番札所としても知られる名刹です。 -
この日は11月18日。
毎月18日にだけ御本尊を御開帳しています。
ご本尊の十一面観世音菩薩立像は、平安時代前期作(国指定重要文化財)。
外陣からでしたが、厨子の中の御本尊を拝むことができました。 -
延宝8年(1680年)の銘が入る手水鉢。
340年の間に、身を清めた参拝者はいかほどか。 -
天保9年(1838年)とは大塩平八郎の乱の翌年。
日本が幕末の動乱に向けて、ざわつき始めた頃。 -
ずらりと並ぶ三十三体の石造観音。
一つ一つお参りすれば、三十三観音霊場の満願成就。 -
境内の中にある「白鳥塚古墳」。
古墳時代後期-7世紀初頭頃のものと推定されています。 -
被葬者は分かっていないようですが、寺伝では第14代仲哀天皇の先皇后の大中姫とされているようです。
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中山寺を出て、阪急電車を2駅だけ乗って。
清荒神駅に到着。 -
駅を出て5秒。
宝塚コロッケの「北川精肉店」。 -
アツアツ、カリカリ、ホクホク。
昔懐かしい素朴なコロッケ。 -
そろそろお昼の時間。
参道にある昔ながらの「あずまや」という食堂に入ります。 -
「ばらずし」と「きつねうどん」。
甘いきつねに、柔らかいおうどん。
優しい味わいのばらずし。
参道の食堂は、こういうのが大正解。 -
参道をゆるやかに上って「蓬莱山清澄寺」に到着。
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境内には大銀杏。
黄色い葉が分厚く覆い茂っています。 -
色づいた赤い紅葉。
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「荒神さん」で親しまれている台所の神様。
そういうば実家でも、お札を台所の神棚に祀っていました。 -
まずは本堂にお参り。
子どもの頃以来だから、何十年ぶりのお参りです。 -
明治24年、信者の寄進により建立された一願地蔵尊。
頭上にまで水を掛けて一つの願いを念ずれば、ご利益があると言われています。 -
境内の史料館では、天皇陛下御即位記念「天子知名ー皇室と鉄斎ー」を開催中。
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富岡鉄斎は明治・大正の画人文人。
思わぬ場所で鉄斎の作品を堪能できました。 -
14時頃、宝塚駅に到着。
駅に着いた瞬間から、街は宝塚歌劇団一色。 -
駅の柱もタカラヅカ。
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通路のタイルにもタカラヅカ。
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階段にもタカラヅカ。
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駅から一歩出れば、真正面にタカラヅカの銅像。
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宝塚駅から大劇場まで続くアプローチ「花のみち」。
公演日にはファンが列を成して歩く様子は、この町では見慣れた風景。 -
阪急東宝グループの創始者、小林一三翁の胸像。
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大劇場の近くにある「珈琲屋 伊万里」。
古くからの喫茶店で、タカラジェンヌも通うお店だとか。 -
人気の「伊万里風コーヒーゼリー」と「アイスコーヒー」。
ビジュアル的な可愛さと、それに負けない美味しさ。 -
マンホールのデザインは市の花、そして宝塚歌劇団を象徴する「スミレ」。
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「宝塚文化創造館」
1935年(昭和10年)に建てられたモダニズム様式の建物。
昭和12年から宝塚音楽学校の本校舎として使用されていました。 -
壁面のスクラッチタイル。
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15時30分、少し早めでしたが「宝塚ホテル」に到着。
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「宝塚ホテル」
1926年(大正15年)の建築。
県指定景観形成重要建造物。 -
1910年(明治43年)に箕面有馬電気鉄道(現在の阪急宝塚本線)が開通し、終着点の宝塚への旅客誘致を目的として、宝塚新温泉(後の宝塚ファミリーランド)や宝塚少女歌劇団(現在の宝塚歌劇団)などのレジャー施設が次々に設立されていきました。
そして増加する観光客を収容するために建設されたのがこのホテル。 -
終戦後の昭和20年からの10年間は進駐軍に接収されていましたが、解除後にはホテルとしての営業を再開しています。
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ロビーに飾られていた写真から。
創業当時のメインエントランス。 -
93年の時を経て今も色褪せることのない階段。
往時に思いを馳せながら、踏みしめて上ります。 -
クラシカルな佇まいが残る旧館ツインの部屋。
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窓の開閉レバーも創業当時のものが残っています。
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宝塚ホテルから徒歩10分。
今では知る人も減りましたが、宝塚には天然温泉が湧いています。
かつては多くの芸者なども抱えていた一大温泉地だったのですが、今は数件のホテルと日帰り温泉施設がある小さな温泉街です。 -
今回の日帰り入浴は「ホテル若水」。
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宝塚といえばウィルキンソン炭酸発祥の地。
創業者のジョン・クリフォード・ウィルキンソンが1889(明治22)年頃に、炭酸泉を発見したとされています。 -
ホテルに飾られた写真から。
明治30年代の宝塚温泉街。 -
この時間、男性用の大浴場は独占状態。
露天風呂もあって、川向こうの宝塚市街を眺めながら、のんびりいいお湯を楽しめました。 -
18時、今日の夕食はこちらで。
宝塚南口駅から少し住宅街の中に入ったところにある、イタリアンレストラン「アモーレ・アベーラ」。 -
終戦の翌年、1946年(昭和21年)の創業。
東京南青山の「アントニオ」と並んで、日本で最も歴史のあるイタリアンレストラン。
「アントニオ」の創業者アントニオ・カンチェミさんと「アモーレ・アベーラ」の創業者オラッツィオ・アベーラさんは、義理の兄弟だそうです。 -
この界隈で「気取らないちょっとええ店」に行くとすると、真っ先に思い浮かぶようなお店。
場所柄、タカラジェンヌが訪れることもあるようです。 -
窓に嵌め込まれたステンドグラスは、葡萄のデザイン。
聖書の中では「神の象徴」、一般的には「豊穣」をあらわす葡萄。 -
本日のオススメから「前菜6種盛」。
これはワインは進むやつ。 -
赤と白のグラスワインを一つずつ。
最近は、魚だとかお肉だとか考えずに、飲みたいものを飲むことにしています。 -
「ミートボール入りミートソースのパスタ」
創業者が故郷の味を再現したミートソースは、ここでしか味わえない逸品。 -
「鶏のディアボラ」
こちらのお店では、マスタードソースでいただきます。
ワインもお替りで。 -
添え物のパンは熱々の「グレシーニ」。
素敵な食事、素敵な時間。
ここに来るためだけにでも、宝塚を訪れる価値のあるお店です。 -
夕食を終えて、少し散歩をしながらホテルに戻ってきました。
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部屋からは宝塚駅のホームが見えています。
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テレビをつけると、タカラヅカのステージが流れっぱなし。
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今回の旅の目的は、このホテルに泊まること。
宿泊客しかいなくなった夜のホテルをゆっくりと見て回ります。 -
設計は関西のモダニズムを代表する一人、古塚正治。
旧六甲山ホテルや西宮市庁舎を設計した人物です。 -
戦前は大阪・神戸からのアクセスの良さを活かして、上流階級の社交場に。
その後、温泉・歌劇・レジャーランドなどで家族連れなどの来客で賑わっていたのは1970年代初頭。 -
幾多の人に、日常から離れた一晩の夢を見せてくれた建物。
いまのこの姿を見られるのは、あと半年しかないのです。 -
開業時の新聞広告「瀟洒で清新な明るい気分の宝塚ホテル」。
宿泊は3円50銭から20円。 -
ギャラリーには過去の宝塚歌劇のチラシが展示されています。
左下が1975年に公演された「ベルサイユのばら」。 -
2日目早朝。
ホテルの部屋の窓から見る朝日。 -
朝食前に近くを散歩。
秋空の下に、アールデコ様式のモダンな外観。 -
武庫川にかかる宝塚大橋。
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鉄橋を渡る阪急電車。
旅先で見る、その町の普段の風景。 -
駅前まで戻って、「サンドウィッチ ルマン」。
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1964年(昭和34年)創業の老舗サンドウィッチ専門店。
ショーケースにはいろんな種類のサンドウィッチが並んでいて、どれを買おうか目移りしてしまいます。 -
「ルマン」の2軒隣、「たからづか牛乳」にも寄っていきます。
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プリンとかシュークリームとかヨーグルトとか、いろいろ欲しいものはあったのですが、朝食用だったので牛乳とコーヒー牛乳にしました。
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ホテルの部屋で、ルマンの箱とたからづか牛乳。
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フルーツサンドを真ん中に、5種類のサンドウィッチ。
野菜、ハム、たまご、ミンチカツ。
どれも美味しいものばかり。 -
チェックアウトまでの僅かな時間に、ホテル内を撮影。
窓の向こうの中庭では、結婚式が行われることもあるとのことで。 -
幼少期を宝塚で過ごした手塚治虫が、ここ宝塚ホテルで結婚式を挙げたのも有名な話。
子どもの頃から宝塚ホテルに馴染みのあった手塚さんは、漫画『スリル博士』のラストシーンでもこのホテルを登場させています。 -
10時チェックアウト。
いつもの旅なら、「また泊まりに来よう」と思うのですが、今回ばかりは次が無いので感傷的なチェックアウトになります。 -
「ベルサイユのばら」から、アンドレとオスカルの銅像。
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こういう銅像がところどころに設置されているのです。
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「宝塚歌劇場」の正面入り口。
ここから先は、ヅカファンのサンクチュアリ。 -
観劇をしない人も中に入れてくれるので、少し見学をしてみます。
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今の公演はこの2本。
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着いたときは本日初回の開演前だったので、入場待ちのお客さんで大混雑でしたが、公演が始まるとロビーには誰もいなくなりました。
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僕たちは公演を観るわけではないので、誰もいない会場内の写真撮影。
煌びやかな夢の世界。
「シアター・オブ・ドリームズ」とは、ここではオールド・トラッフォードではなく「宝塚大劇場」のことを言うのです。 -
大劇場に隣接して、宝塚ホテル新館が建設中。
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今回の旅のもう一つの目的地「手塚治虫記念館」。
手塚治虫は、5歳から24歳までの約20年を宝塚で過ごしています。 -
入り口には大きな火の鳥のモニュメント。
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「火の鳥」と「リボンの騎士」のサファイヤのレリーフ。
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手塚作品のキャラクターの手形足型。
ハリウッドのチャイニーズシアターのように。 -
こちらは「どろろ」から。
どろろと百鬼丸の手形足型。 -
「ブラックジャック」
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「鉄腕アトム」
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記念館入り口部分の天井には、さまざまなキャラクターが描かれています。
館内の展示は、宝塚で過ごした手塚治虫の幼少期、子どもの頃に描いた漫画、青年期、漫画家デビュー、上京してからの活躍・・・
手塚さんの人生と作品と世界観が凝縮された記念館。 -
このときの企画展は『手塚治虫のニャンコ展』。
手塚作品に出てくる猫たちの絵がずらりと飾られていました。 -
午前中を手塚治虫記念館でゆっくりと過ごして。
ランチは宝塚ホテル1階のレストラン「ソラレス」。 -
創業当時を髣髴とさせるオムライス。
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ふわとろ系ではなく、薄焼き卵でしっかりとゴハンをくるんで。
デミグラスソースではなく、トマトケチャップで。 -
蓬莱橋のたもと、創業明治30年の「黄金家」。
宝塚に湧き出る炭酸水にちなんで名付けられた、炭酸煎餅をお土産に購入。 -
明治創業の「永楽庵」では、小林一三や田辺聖子などもお気に入りだったという昔ながらの和菓子「宝もなか」を購入。
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よく見ると、店内には富岡鉄斎の宝船が飾られています。
この旅は鉄斎にも縁がありますね。 -
いよいよ旅も終わり。
昭和40年代には高度経済成長や大阪万博の後押しを受けて、温泉や歌劇、レジャーランドを楽しむために大勢の旅客が宝塚にやってきました。 -
その頃は文化の香り高い町として知られていましたが、今は新しいマンションや高級住宅街の開発などにより、どちらかというと住宅都市としてのイメージが強いように思います。
-
今回、惜しくも閉館になってしまう宝塚ホテル旧館は、かつての文化の香り漂う時代を今なお感じさせてくれる貴重な存在でした。
宝塚ホテル新館が完成するのは2020年度。
次の100年に向けて、タカラヅカ歌劇団とともに歴史を紡いでいってもらいたいと思います。
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