2007/11/08 - 2007/11/12
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SamShinobuさん
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河北省鶏鳴古城は北京から150キロ、車で3時間のところにある。
別名、鶏鳴驛といい、1219年にチンギスハーンが作った宿場だそうだ。約2キロに及ぶ城壁で囲まれており、住民は1,000人程度の小さな村だ。
1998年公開の松竹映画「てなもんや商社」(本木克英監督のデビュー作品)のロケ地でもあるが、そのことを知っている人はまずいないだろう。ほんの数シーンの撮影だったので、スタッフは車で現場に連れて行かれただけで、そこがどこかも分からない者が大半だったと思う。小さな作品だったがディテールまでしっかりアイデアの練られた、実に面白い作品だった。主役の小林聡美や渡辺謙の好演も見応えがあった。中国のこんな辺鄙な片田舎での撮影は、不便極まりなかったに違いない。
そして2007年、僕は仕事絡みで、この村を視察することになった。
100元で村の案内人を雇う。普段は野良仕事をしているに違いない真っ黒に日焼けしたおじさんだ。
さて、この鶏鳴古城にはひとつだけ歴史的な大事件があった。1900年の義和団事件で、八カ国連合軍に攻め入れられた西太后と光緒帝は、紫禁城を追われて西安に逃げた。その道中、西太后ご一行様がこの宿場に一泊したのだ。
あのおじさんが、どや顔で
「オラの村さ、あの西太后さまがお泊りになったべ」
と話していたのが印象的だった。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- タクシー 徒歩 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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2007年11月8日
北京に到着した日は、景山公園から市街を眺めた。 -
紫禁城(故宮)の裏門である神武門は改修中だった。
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北海公園と、その左端に白塔が見える。
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夕景が美しい。
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南新倉街にある「酷客」という上海料理店。
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北京第一日目の夜に、よりによってどうして上海料理を食べに行ったのか。今となっては忘れてしまったが、写真を見る限り、しっかり上海料理の定番を注文している。
上海料理は総じて甘いのが特徴。 -
ナツメ餅は、ナツメに白玉を挟んで甘いシロップでからめてある。デザートかと思いきや、前菜というから驚き。
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豚足の甘辛煮は、トロトロでコラーゲンたっぷりだが、これも甘い。
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川エビの醤油炒め。これも甘辛い。
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蟹の卵入りスープ。
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上海蟹は、11月はまさに旬なので、間違いなし。そうか、上海料理にしたのは、きっと上海蟹が食べたかったんだ。
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11月9日
いよいよ鶏鳴古城へ、車をチャーターして早朝に出発した。 -
街は城壁に囲まれている。
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城壁の高さは10メートルくらい。
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鶏鳴山が見える。
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城壁に登る。
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秋晴れの清々しい空気が肺に心地好い。
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村の売店。
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肉、酒、煙草、カップヌードル、洗剤、歯ブラシ等の雑貨まで、色々と取り揃えている。
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慈禧とは西太后のこと。西太后の一夜の仮宮殿という意味。
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光緒帝と西太后。
義和団の乱により紫禁城を追われた西太后は、ここに宿泊した。ちなみに、義和団の乱はチャールトン・ヘストン主演映画「北京の55日」でも描かれており、若き日の伊丹十三が日本軍人柴五郎を演じていた。 -
紫禁城を脱出する際に、西太后は光緒帝が愛した珍妃を、紫禁城の井戸に突き落とし殺害している(諸説あり)。珍妃を亡き者にした西太后と、珍妃を失った失意の光緒帝。この旅の間、二人の関係性はいかなるものだったのだろう。
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夜は星が綺麗だろうなと、ふと思う。光緒帝は満天の星を見上げただろうか。旧態依然とした清朝を変えようとしたが、夢敗れた若き皇帝。彼はここで、紫禁城に残してきた珍妃の亡殻を思い、密かに涙を流していたのかも知れない。
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昼食は案内人のおじさんの家で御馳走になった。
気のいい奥さんが、突然の訪問にもかかわらず、畑で取れたばかりの新鮮な野菜を中心に、次々と料理を出してくれた。 -
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どの料理も素朴な味でとても美味しい。
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ビールまで振るまってくれたので、お金を払おうとしたが最後まで受け取ってくれなかった。
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おじさんと奥さんと家族の写真。
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おじさんが、なぜか部屋を見せてくれて、「泊まっていきなせえ」と言う。冗談なのか、本気なのか真意が掴めず、笑ってごまかすしかなかった。
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11月10日
北海公園散策。 -
北海公園は、もともとは皇室庭園として1000年以上の歴史を持っている。
北海は人工の湖。 -
白塔
清朝の順治帝が創建したチベット仏教寺院・永安寺の山頂には、白塔が目立っている。これは1651年にダライ・ラマ5世の北京訪問を記念して、順治帝が建立したもの。 -
九龍壁
中国3大九龍壁のひとつ。後の二つは紫禁城と山西省大同にある。この九龍壁と紫禁城のは、乾隆帝が建造した。 -
中国独楽で遊ぶ大人たち。雑技団や大道芸でよく見るやつだ。彼らはただ遊んでいるのではなく健康の為にやっている。
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水書道
中国の公園でよく見かける光景だが、彼らは習字の練習をしているというよりも、これも健康目的でやっている人が多い。一種の全身運動になるらしい。中には達筆自慢したくて、やってる人もいる。「上手いですねえ」と褒めたら、嬉しそうな顔で、「あなたのお名前書きましょうか」とか、「お好きな文字書きましょうか」と言われたことが何度もある。 -
太極拳
朝の公園では、健康体操としての簡化太極拳(二十四式太極拳)をしているグループをよく見かける。あのゆったりした動きこそ、身体能力を高め老化を防いでくれるらしい。興味があれば、是非飛び入り参加するといい。隅っこのほうで見よう見まねでやってみよう。誰にも咎められないし、時には優しく教えてくれる人もいる。
ただし、こういう外国人は恐そうなので、見ているだけにしよう。 -
11月11日
天壇公園。1420年永楽帝が建立した。 -
祈年殿。
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ダンスや遊びも健康のため。
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中国人は基本、健康オタクです。
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参道。
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皇穹宇。
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圜丘壇。
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皇帝が冬至になると天に一年の報告をした祭壇。北京有数のパワースポットでもあるここは、いつも人でごった返しており、特に真ん中の丸い石板は場所の奪い合い状態なので、なかなか天と交信する気分は味わえない。それでも歴代皇帝が天と会話している姿に思いをはせると、神聖な気分になる。
とは言っても、本当に天と交信できたのだろうか。真面目で気弱な光緒帝など、初めてのおつとめの時に「えー!なんで?天とお話しできないじゃん。それって僕だけー?ヤバっ!」なんて内心焦ってたら、面白い。 -
ペニンシュラホテル北京のレストラン「凰庭」。
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ここの広東料理は雰囲気も含めベリーグッドなので、よくアテンドで使わせてもらった。
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この日のランチは、飲茶の点心を注文。
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東来順。
北京で火鍋といったら、ここ。1903年王府井で創業した歴史のある店。ここはその天安門広場店。 -
スタッフと会食。
羊肉がめちゃくちゃ旨い。 -
北京湖広会館。
京劇鑑賞。 -
1830年にできたこの劇場は、実に趣があって居心地がいい。それだけではなく、なんと1912年に孫文がここで国民党を結成したという歴史的にも大変重要な場所だ。
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2009年には坂東玉三郎がここで昆劇「牡丹亭」の公演を行っている。ちなみに僕はこの公演を上海の蘭心大劇院で観たが、全編中国語で演じる玉三郎の執念のようなものを感じて、畏怖の念すら抱いた。
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この日の京劇は、写真を見る限り孫悟空的なやつだと思うが、残念ながら全く覚えていない。
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北京国際飯店。
この当時の定宿だった。最上階に展望レストランを有するこのホテルを初めて見たときは、赤坂のニューオータニかと思った。展望レストランはニューオータニ同様、回転式になっていて、2時間弱で一回転する。
僕はこの回転式レストランというのが苦手で、目が回るというか気分が悪くなってしまう。動いているのが分からないくらいゆっくり回るのだが、ふと窓外を見ると景色が変わっている。どうもそれが落ち着かない。 -
ホテルの部屋からの眺め。
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空港。
1900年義和団の乱により、西太后は光緒帝を連れて北京から西安に逃れた(西安蒙塵)。
西太后は200人ばかりで西安に向かったが、到着するまで2ヶ月以上かかった。西安までの1400kmの道のりは、西太后にとってさぞや不便な道程だったに違いない。
その長旅の途中に立ち寄ったのが、河北省鶏鳴古城である。城壁に立って城内を見下ろすと、西太后が見た当時の村と変わらない景色が広がっていた。
1900年、虎口を逃れた西太后が一夜を過ごした村に、2007年秋、確かに僕は居た。
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