2007/09/22 - 2007/09/26
59位(同エリア5310件中)
SamShinobuさん
- SamShinobuさんTOP
- 旅行記132冊
- クチコミ1件
- Q&A回答1件
- 213,227アクセス
- フォロワー118人
この年の6月に初めて北京を訪れてから、縁あって7月、9月と立て続けに訪問することになった。その9月に行った3度目の旅の想い出をアップしたいと思う。ただし前回と訪問先はあまり変わらないので、画像を中心にしてオリンピックを前に活気づく当時の北京の様子を残したい。
-
2007年9月22日
北京首都国際空港。
10時35分成田空港第一ターミナルを出発した全日空NH905便は、13時15分に北京首都国際空港に到着。到着ロビーは出迎えの人でいっぱい。空港で両替を済ませると、1元、約15.5円だった。 -
空港のタクシー乗り場には係員がいて、「あのタクシーに乗って」と乗客を次々とさばいていく。
-
高速道路でホテルに向かう。
-
ホテルが見えてきた。
-
当時の常宿、北京国際飯店。建国門大街9号に位置しており、北京首都国際空港からタクシーで約40分。
-
街へ出ると、こんな感じ。中国に来たと実感する瞬間。
-
鼓楼。昔はここから太鼓で時を告げていた。
-
鼓楼の太鼓。
-
鼓楼からの眺め。
-
中央下に見える姚記炒肝店は、オバマ時代のバイデン副大統領が来店した下町の名店。
-
鼓楼から鐘楼を臨む。
-
遥か彼方に、北海公園が見える。
-
鼓楼の横にあった「The Drum & Bell」という店のルーフトップバーで、一休み。
-
外国人観光客が多いからか、英語メニューもありコーヒーも飲めた。
-
烟袋斜街。観光客向けの土産物屋が並んでいる。
-
古い建物をそのまま使っているのがいい。
-
前回まだ製作中だった鯉の絵は完成していた。ここは串焼き屋のようだ。
-
狭い烟袋斜街は西洋人団体客でひしめき合っている。
-
銀錠橋。
明・清の時代、基本通貨は銀だった。馬の蹄の形をした馬蹄銀という銀塊が高額取引に使われたが、それを銀錠と呼んだそうだ。この橋はその銀錠を逆さにした形に似ているので、そう名付けられたという。似ていると言われればそうかもしれないが、橋なんてみんなこんな感じじゃない?そう思って調べてみたら、すでに改築されているので、名付けられた当時の面影はないらしい。 -
銀錠橋の上から后海を臨む。
-
正面の年季がかった建物、いい感じのBARだ。そろそろ飲みたくなってきたぞ。
-
前海、后海、西海からなる什刹海の周りは、ずっと柳の木が枝を水面に垂らしている。風にそよぐ柳の葉を眺めながら、長閑に舟を浮かべたら、気分は最高だろうな。
-
100元(約1600円)払って、人力車に乗ってみた。
-
迷路のような胡同(フートン)を人力車で巡る。
-
芾林酒閣。后海のほとり、木々に囲まれた一軒家のレストラン。創作中国料理の店で、一人380元(約6000円)のコース料理を食べたが、料理の画像は残ってなかった。
-
AROMA。このBARでジャックダニエル(杰克丹尼)のロック(加冰)を飲む。
-
ほろ酔い気分で、什刹海のほとりを散歩した。
-
オープンエアで飲めるBARが並んでいる。
-
再び烟袋斜街に来た。
-
土産物などぷらぷら見ながら帰った。
-
2007年9月23日
ホテルの部屋からの眺め。 -
ホテルのロビー。
-
ホテルの前の建国門内大街。
-
地下鉄「建国門」駅。
-
切符売り場。地下鉄はまだ3路線しかない。ちなみに2020年現在、北京の地下鉄路線数はなんと23路線あり、営業総距離は約700キロとなった。
-
地下鉄2号線「建国門」駅のホーム。ここを通って1号線のホームに。
-
地下鉄1号線「天安門東」駅で降りる。
-
「天安門東」駅を出て、天安門広場へ。
-
国旗掲揚と降納は日の出、日の入りの時間に合わせて、毎日行われている。
-
広場では凧を上げている人もいる。
-
毛首席紀念堂。1976年6月6日に82歳で亡くなった毛沢東を安置している。水晶でできた棺に入っているらしい。
-
人民英雄紀念碑。以前は紀念碑に直接触れたらしいが、今はこのように警備兵がいて近寄ることもできない。
-
正陽門。1419年に建立された内城の正門。
-
かつての京奉鉄路正陽門駅。
この時は老車站商城というショッピングセンターだったが、2008年より中国鉄道博物館正陽門館として営業している。1906年に完成した駅舎。ラストエンペラー愛新覚羅溥儀が紫禁城を追われ天津に向かった際には、この駅から京奉鉄路に乗車した。それにしても素敵な駅舎で、思わず見とれてしまう。 -
北京市規画展覧館。
2004年に開館した北京市の都市計画博物館。 -
まずはここでお茶を飲んでから見学しよう。
-
北京オリンピックまでのカウントダウンクロック。この時点で後320日と8時間40分01秒だった。
-
2008年北京オリンピック開催時の北京市中心部の模型。
-
紫禁城、天安門広場、什刹海。
-
天壇公園。
-
右中央には、中国中央電視台(中国国営放送CCTV)の完成した姿が見える。
-
北京オリンピックのメインスタジアムである北京国家体育場。通称、鳥の巣。ここで開会式が行われた。2007年のこの時点ではまだ完成していなかった。
-
タクシーで南鑼鼓巷に向かう。
-
「過客」でランチ。南鑼鼓巷が若者達に人気が出たキッカケの名店。
-
オープンエア席もいいが、暑かったので店内で生ビールを飲んだ。
-
南鑼鼓巷にある中央戯劇学院。
1950年設立の国立演劇大学。コン・リー、チャン・ツィイー、タン・ウェイらを輩出。 -
南鑼鼓巷を散策。
このころの南鑼鼓巷のトイレはまだ扉のないニーハオトイレだった。
ただ、やはり北京オリンピックを前に、悪名高かった公衆トイレの整備に力を入れていたのは確かだ。新築・改築する観光地のトイレを星の数で4段階にランク付けして、相次いで近代的な公衆トイレを作っていた。数は少ないが、最高級の4つ星トイレの場合、個室が広く壁に絵が掛けられていたり、椅子のついた休憩室があったりと、かなりの贅沢なつくりになっていたものだ。このランク付けの基準が、検査時にハエが2匹以上確認できたら、星4つはもらえないとか、冗談みたいで結構笑えた。ちなみに故宮博物院のトイレは4星だった。 -
暑い中、人力車夫も大変だな。
-
胡同(フートン)のふとんと言いたいだけで撮った写真。
-
紫禁城(故宮)の神武門。まだ工事中だった。この時は神武門から入場したが、現在は正面の午門からしか入れない。それに紫禁城はやはり午門から入場した方が高揚感が高まるので、裏から入れなくしたのは正解。
-
神武門の反対側を見ると、景山公園が美しい。
-
神武門から入ると、内廷の壁がそそり立っている。
-
珍妃の井戸。
ちょうどこの頃、浅田次郎の「蒼穹の昴」や「珍妃の井戸」を読んだばかりだったので、ここに珍妃が落とされたのかと思うと、胸が痛んだ。真ん中に鉄棒を通しているのは、誤って人が入らないようにしているのか。それにしても、珍妃、よくこんな狭い井戸に入ったな。身体、細すぎでしょう。 -
珍妃像。
-
太和殿の横にある日時計。皇帝は時も司っているという権威の象徴。
-
中はほぼ迷路なので、しっかり地図で確認していないと自分の位置を見失ってしまう。
-
皇極殿。
-
九龍壁。
-
龍陛。この上を輿に担がれた皇帝だけが通れた。
-
紫禁城を守る走獣。先頭は鳳凰に乗った仙人。
-
防火用の水瓶。
義和団事件の際に八カ国連合軍によって、金箔が銃剣で削り取られた。そういうことをするのは、きっとロシア軍人だろうな。因みに八カ国連合軍が義和団を制圧した時、頤和園を始め北京市内で連合軍による略奪が起こったが、日本軍人だけは一切そうした略奪行為に参加しなかった。 -
保和殿。
-
龍頭という排水システム。
どんなに集中豪雨にあっても、紫禁城は一度も冠水どころか大きな水たまりさえできたことがないそうだ。 -
ここから勢いよく雨水が吹き出る様子を見てみたい。
-
太和殿は相変わらず改修工事中だった。
-
午門に向かう。
-
毛沢東の肖像が映える天安門。
-
北京古観象台。
世界で最も古い天文台のひとつで、ここにある観測装置は明代の1447年から製造されたものだ。一度ゆっくり見学したいと思っているが、いまだに行けていないのが残念だ。 -
凱菜大酒店(グロリアホテル)で夕食。
-
船餐廳。
-
北京に来たら、やはり北京ダックでしょう。
-
これは何かな。薬膳スープ的な?
-
老舎茶館。
-
満席!
-
京劇。
-
文化大革命では、現代劇の女優だった江青に目の敵にされて激しく弾圧された京劇だが、その後見事に国劇として蘇った。
-
美女たちの民族舞踊。
-
変面。
-
陶磁器の壺を頭に乗せて跳ね回る。これも雑技の一種。
-
少林寺の演技。
-
タクシーでホテルに戻ってきた。
-
2007年9月24日
頤和園の中にある京劇の舞台、徳和園大戯楼。京劇好きの西太后の為に、1894年に完成した。運がいいと、ここで京劇や中国古典芸能を観ることができるが、この時は何もやっていなかった。 -
徳和園の1階内部。天井が見事。
-
西太后の住居、楽寿堂。寝室や居間がある。楽寿堂の扁額の文字は、光緒帝の筆によるもの。
-
1903年に楽寿堂で撮られた西太后の写真。
-
長廊。
-
昆明湖に沿って700mも続く長廊は、日差しを遮り、湖からの風を通して気持ちいい。
-
梁には14000枚の絵画が描かれている。
-
天井も美しい。
-
あの船に乗ろう。
-
船内は満員。
-
十七孔橋。
頤和園は清朝6代皇帝である乾隆帝が造営したが、その際にどうしてもお気に入りの杭州の西湖を再現したくて、とんでもない規模の人工湖を造ってしまった。 -
確かに西湖に似ている。
-
仏香閣。
乾隆帝が建立したが、後に第二次アヘン戦争で焼失し、西太后が再建したのが今の姿。 -
清晏舫(せいあんほう)。
西太后はこの沈まぬ船が気に入って、しばしばここで宴会を催したそうだ。 -
銅牛。
僕はてっきり最近造られたものかと思っていたら、なんと乾隆二十年(1755年)にできたものだった。水害を鎮める目的で乾隆帝が鋳造させたというから、古くから治水というのは為政者にとって重要課題だったのだろう。 -
聴鸝館飯荘。
-
頤和園の中にある宮廷料理のレストランだが、周恩来やエリザベス女王、田中角栄などそうそうたる客人を迎えた名店。
-
王府井の工事もほぼ終わり、歩きやすくなっていた。
-
王府井は歩行者天国になっている。
-
いろいろな国から観光客がやって来る国際色豊かな通りだ。
-
王府井小吃街。
-
糖葫芦(タンフールー)。
サンザシの実を串に刺して飴を絡める。もともと北京、天津発祥のお菓子だ。 -
土産物屋がずらっと並ぶ。
-
北京オリンピックオフィシャルショップ。
-
東城区東四条に新しくできたレストラン街、南新倉街の「向日葵地中海西餐廳SUN FLOWER」という店で食事した。
-
2007年9月25日
車をチャーターして、万里の長城へ。途中、ガソリンスタンドに寄って給油する。彼らはよくガソリンスタンドに寄るが、普通なら客を乗せる前に給油しとかないの、と思ってしまう。そのあたりはお国柄ということで、ご愛敬か。中国のガソリンスタンドも見ることができたので、それもまたよしとしよう。 -
居庸関長城。
-
ここは北京市内から約60km、八達嶺長城に向かう途中にある。八達嶺長城よりも20kmほど手前に位置している。
-
居庸関とは関所のことで、北方民族を北に追いやる難攻不落の城壁だった。
-
八達嶺長城は最もポピュラーな観光地だけあって、日によっては向かう山道が大渋滞になったり、長城自体が激混みで人の背中を見ながらのろのろと登らなければならないこともある。そういう意味で、ここは超穴場だ。
-
誰も歩いていない。
-
実際、万里の長城ツアーで八達嶺長城の駐車場が入れないと分かると、急遽ここに変更されることもある。
-
とは言っても、スケール感ではやはり八達嶺長城には負ける。なのでここは、人のいない長城をのんびり登りたい人や、すでに八達嶺長城は行ったことがある人向きかもしれない。
-
あの辺りはかなり急坂だ。
-
左側の城壁の方が高いのは、北方民族の侵略に対してここから武器で守るためである。
-
コミューン・バイ・ザ・グレート・ウォールの「山景餐庁」で昼食。デザートに月餅がサービスされた。ちょうどこの日は、中秋節だったのだ。
因みに夕食を食べたレストランでも月餅が出て、ホテルに帰ると部屋のテーブルの上に、ホテルから月餅が置かれていた。さすがにそれは食べれなかった。
月餅といえば、この年の中秋節に面白いニュースが流れた。月餅で有名な稲香村が、自社の月餅に電子管理番号をつけたというのだ。あまりにも稲香村のニセモノが横行するので、ホームページでこの番号を入力すると本物かどうか確認できるというもの。いかにも中国らしい話だと笑った。 -
ラクダが歩いていた。観光用だろう。
-
北京オリンピックのメインスタジアム、鳥の巣が完成に向けて急ピッチで造られていた。
-
収容人数8万人の、中国最大の陸上競技場だ。
-
2022年の冬季北京オリンピックでは、再び開会式会場になることが決定している。
-
鳥の巣の隣に建設中の北京国家水泳センター。北京オリンピックの水泳競技会場だ。
-
中秋の名月が美しい。夕飯は新東路にあるスペイン料理の「MARE」という店に行こうと思っていた。そこならすぐ近くの三里屯でも飲める。ところが中秋節でタクシーが全く捕まらず、計画を変更せざるを得なくなった。
-
そこで、歩いて王府井まで来た。
-
東方新天地の中にある翡翠酒家(クリスタルジェイドガーデン)に入ることにした。
-
ここは香港人オーナーの、世界に展開する広東料理チェーンだ。
-
広東料理と言ったら、アワビは外せない。
-
帆立もマストでしょう。
-
食後は王府井を歩く。
-
東華門美食坊夜市。
王府井の中ほどの西側にある。ここは価格が表示されているので、安心だ。羊串は5元(80円)。 -
屋台が連なっている。
-
どうもここは衛生面に一抹の不安を覚えてしまう。
-
ヒトデは割って中の味噌を食べるらしいが、遠慮しておこう。
-
2007年9月26日
帰国日は、チェックアウトして、荷物を持ったまま中国電影博物館に来た。 -
中はとても広い。
-
DLPデジタルシネマの展示。
-
アニメの撮影台。
-
ミッチェルや中国製の35mmカメラ。
-
ここから直接、北京首都国際空港に向かった。
14時45分に北京国際空港を飛び立った全日空NH906便は、19時10分に成田国際空港に到着。
この年、中国政府は毎月11日を「整列の日」(中国語で自覚排隊日)と定めた。北京オリンピックを前に、電車やバスなど並ばない人が多過ぎるのが、国際都市として恥ずかしいとようやく気付いたのだろう。中国では公共交通機関やファストフード店舗などで、列に並ぶ習慣があまりなく、早い者勝ちが普通だった。11が人が並んでいるように見えるからという理由で、整列の日と決まったそうだ。市内の繁華街で行われたキャンペーンでは、五輪関係者らが「首都北京の一員として自覚し、礼儀正しく整列しよう」と訴え、ボランティアなど数十万人が参加した。ただ、監視員がいないと割り込みがすぐ起きるため、「整列の定着には半年はかかる」と市当局者は嘆いていたそうだ。さて、それから13年経った今、果たして現在の北京はどうだろう。正直、整列マナーに関して劇的に改善したとは言い難いが、次に2022年の冬季北京オリンピックがやってくる。そこに向けて、今度はどんなマナーキャンペーンを打ってくるのか、ちょっと楽しみでもある。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
北京(中国) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
149