
2020/06/20 - 2020/06/22
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emi_uさん
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ご覧いただきまして、ありがとうございます。
中山道、木曽路の宿場町と観光名所を車で巡りました。
1日目
奈良井宿
寝覚の床
妻籠宿
中野方ダム
2日目
大井ダム
恵那峡
馬籠宿
3日目
天竜ライン下り
天龍峡大橋~そらさんぽ天龍峡
ここでは1日目の後半、妻籠宿、中野方ダムからホテルまでをご覧ください。
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妻籠宿
室町時代末期にはすでに宿場として成立していたと言われる
昭和40年前後の国道256号線の改修を契機に集落保存の取り組みが始められた
昭和51年には重要伝統的建造物群保存地区に、角館、白川郷、祇園などとともに初めて選定された7ヶ所の1つとなった
また、周囲の環境も合わせて指定されており、選定範囲面積約1245.4haは2位ですら4倍以上の広さで圧倒する -
蘭(あららぎ)川を望む町営第二駐車場に車を駐めると、駐車場のおじさんが道を教えてくれた
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駐車場の前の道を、第一駐車場寄りで渡って、坂を上る
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途中の田んぼには、オタマジャクシがうじゃうじゃ
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細い道を抜けると、旧中山道
第二駐車場に駐めたのは、お腹が空いていたから
お蕎麦やさんに近そうだった -
約800mに渡って江戸時代の町並みが続く
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左に曲がってすぐ、「吉村屋」でお昼
数組待っていたが、20~30分で店内へ
店内はコロナ対策で間引きしたようで、4人がけのテーブルが4つ
この時は座敷席も使っていないようだった -
エビ天そば
口コミにあった通り、エビ天サクサク!
手打ちのそばもおいしい -
食べ終わったらまずは北へ
案内図で言うと左、吉村屋さんからもお店を出て左 -
距離は短いがけっこうな角度の坂を上る
途中に高札場がある -
口留番所跡(くちどめばんしょあと)
17世紀半ばまで関所が置かれていたが、今は本当に文字通り何もない -
鯉岩
かなりの巨岩 -
少し奥だが左端に人が写っている
遠近法を考えても、3~4人分の高さはあるだろう -
昔は鯉のような見た目で中山道三名石の1つだったが、明治24年の濃尾大地震で形が変わってしまったという
看板にも掲示されているが、往時の見た目はこちらで
http://www.town.nagiso.nagano.jp/kankou/midokoro/tsumago/midokoro_7.html -
お向かいには熊谷家住宅
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19世紀初頭に建てられた長屋の一部
左右半分ずつが一軒の家として使用されていた
本当はこの先徒歩15分ほど、妻籠城址まで行けば妻籠宿を一望し、馬籠峠まで見渡せるようなのだが、あまりの暑さに引き返す -
お昼のお蕎麦やさんを通り過ぎ、こちらは「脇本陣奥谷(おくや)」
国の重要文化財
明治10年に建て替えたもの
島崎藤村初恋のお相手ゆふさんの嫁ぎ先でもある
幕府の終焉で宿駅制度も消滅し、没落する旧家が多い中、ここは酒屋を兼業し残った
明治の建築を残しており、1つ選ぶならここの見学をすすめるものが多い -
さらに先に「妻籠宿本陣」
島崎藤村の母の生家であり、平成7年4月に復原され、南木曽町博物館となっている -
当時の宿泊所はこんな分類
本陣ー大名など身分が高い人たち
脇本陣ー家老、幕府役人など
旅籠ー一般庶民や武士(食事あり)
木賃宿ー同(食事なし) -
観光案内所
かわいらしい建物 -
映画に出て来そうだ
案内所の脇を通って坂を上る
これまたまぁまぁ急で、暑さがこたえる -
ぎんもくせい
花が咲いていないと素人目にはどの木も一緒に見えるが、長野県天然記念物 -
神官・矢崎氏の庭木として代々愛でられてきた巨木
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せっかく上ってきたので、少し山の上を散策
結果、大事な枡形を見落とすのだが、まぁ戻る時に見られるので、ご愛嬌
ここは旧妻籠小学校
平成9年に読書小学校に統合され閉校
ちなみに平成19年には読書小学校も近隣2校と統合し、南木曽小学校となっている -
和智埜神社
350年以上の歴史はあるようだが、創立は不明
そして例のごとく暑さにやられたので階段は上らず…
この先に何があるかは、こちらで(妻籠観光協会)
http://tumago.jp/blog/6/post-1372.html -
墓地の脇の階段を降り始めると、光徳寺
明応9(1500)年の開山と言われる -
階段を下り切ると、寒山拾得像
-
延命地蔵
文化10(1813)年、地蔵尊像の浮かび上がった岩を蘭川から引き上げてきた -
この辺りからが「寺下の町並み」
昭和40年代から、日本で最初に宿場保存事業が行われた地区 -
上嵯峨屋
町の有形民俗文化財
昭和44年の解体復元によって18世紀中期の木賃宿(きちんやど)であることがわかった
木賃宿は前述の通り、食事なし
宿泊者が米を持参し、薪代(=木賃)を払って自分で米を炊くかまたは炊いてもらう
米を蒸して乾燥させた糒(ほしいい)を持参して、宿で湯を沸かして戻して食べる、その薪代という場合もあるようだ -
中央に通り土間
旅人は奥の座敷で雑魚寝
庶民の旅が盛んになるに従って旅籠屋が増え、宿代も19世紀半ばには旅籠屋は木賃宿の5倍以上もするということで、木賃宿は安宿の代名詞になる -
宿館 辰巳屋
店先の飾りがさっき寝覚の床で見たヘビみたいだ
屋号にゆかりの、ってことか -
水の流れる音に導かれて行くと、尾又橋
コンクリート製の橋は車専用、人は奥の木の橋を利用する -
木の橋からは見事な音の正体!
これは落差工ってヤツだろうか
流れが急で水量も豊富だからこそだろう -
しばし流れを見つめる
さて、元の道に戻ろう
さっき山側に行ったために見逃した枡形の辺り -
下嵯峨屋
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当時は三軒長屋だったものの一戸を昭和43年に解体復元
庶民の住居の代表的な形式 -
旅籠 松代屋
創業約200年という歴史ある老舗旅館 -
中には勝新太郎の座頭市の撮影風景の写真が飾られている
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そしてここは枡形
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枡形とは、街道を二度直角に曲げ、外敵が進入しにくいようにしたもの
江戸時代の宿場には城塞のような役割もあり、宿場の出入口には必ず枡形が設けられた -
観光案内所のお向かい辺りの「わちのや」
妻籠宿唯一のおやき専門店
暑い中歩き回ったので、店先でおやきを頬張りながら一休み -
具材はやっぱり野沢菜!
お漬物が付いてきた
このたくあんが甘くなく、塩味が効いてとても好み!! -
最後に和菓子屋「満寿庵」で栗のソフトクリーム
暑さでどんどんとけちゃうのを急いで食べながら、妻籠宿を後にする
さて、お次は馬籠宿!
の予定だったが、宿場疲れ、暑い中歩き疲れということで、予定変更
一部明日の予定と入れ替え、馬籠宿は明日行くことに
ここからは宿に行く前に、中野方ダムに行くことにした -
途中からは山道になった
立看板には「黒瀬街道」
街道?? -
黒瀬街道とは、八百津黒瀬湊から恵那市福岡町、苗木城下を中野方を経由して結ぶ約40.57km
中山道や甲州街道といったメジャーどころではないものの、昔の幹線道路の1つだそうだ
興味のある方は、こちらに詳細
(八百津町情報サイト YAOTSU MALLより)
https://yaotsu-mall.com/kuroze.html/
まぁ、廃道とか獣道とまで言われてるけれど、一応中津川から蛭川峠を越えて中野方ダムまでの往復で車2台と歩行者1人は見た
しかし、運転には気を遣い、疲れるのは確かだろう -
そんな山道を10分、15分くらいだろうか
見えてきたのが幅広く立派な、中野方(なかのほう)ダム -
平成16(2004)年試験湛水開始、
翌年竣工の比較的新しいダム -
堤体は奥の方で「く」の字に曲がっている
左岸の地質が脆いため、地盤が強い場所に着岩させたもの -
堤頂長390m
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その割にダム湖「はぎの湖」は小さめで、周囲を走るジョギングコースは1.1km
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ジェットフローゲートと自由越流式の常用洪水吐から放流中
岐阜県管理の多目的ダムで、普段はダムカードもあるが、現在は新型コロナ対策でカードは配布していない -
下流は中野方川が木曽川に合流する
通常はダムカードの配布があるが、新型コロナの影響で今は配布していない
これにて本日の活動を終え、宿に向かう -
もと来た道を戻ること20分ほど、本日の宿泊は岩寿荘(いわすそう)
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なんだか懐かしい感じがするが、大型バスを4台も所有!
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お部屋に通されると水の音がする
窓の外に清流が流れる -
開放感のある貸切風呂がいい!
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洗い場もある
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夕飯はコロナ対応で、宿泊のお部屋とは別のお部屋一部屋に一組で広々
一番手前のお皿はコイの煮付け -
牛肉もこちらの宿の売り
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あゆの塩焼き
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ワタリガニなどの天ぷら
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締めのご飯
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栗の巾着しぼり
宿の奥には栗林もあるそうだ -
夕飯が終わると、ホタル観賞のミニツアーへ!
マイクロバスで10分もかからない川まで出かける
例年よりホタルの時期が遅いようだ -
ムシとしてはこんな感じ
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明けて朝ごはん
モリモリ食べたが… -
なにせごはんが美味しかった
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