2020/06/09 - 2020/06/09
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beanbagさん
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前回同様の用事があって二子玉川駅周辺で2時間あまりの時間ができたので、今度は駅の北西方面を歩いてみました。
こちら側は玉川高島屋があるものの、それ以外はなかなか足を運ぶことのない地域。Google マップを頼りに、名所旧跡らしいスポットを回ってみます。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
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1週間ぶりに二子玉川駅にやってきました。時刻は9時45分。
二子玉川駅 駅
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玉川高島屋前から出発です。
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本館・西館の脇を抜けて、
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国道246号線の高架をくぐり、
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二子玉川商店街通りです。
Google マップに大山道とあるので大山街道の旧道でしょう。
「江戸時代、幕府は多摩川を江戸防衛の最前線と位置づけていたため、長い間架橋を制限していた。そのため、古来よりこの地を通っていた大山街道は、大正時代まで渡し舟「二子の渡し」が結んでいた。」(Wikipedia)とのこと。二子玉川商店街 名所・史跡
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治大夫橋にやってきました。
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治大夫堀
案内板に「慶長年間、徳川家康が主として下流の六郷地方の米の増収をはかるため、代官小泉治大夫吉次に命じて切り開いた灌漑用水で、世田谷地方の人々は「治大夫堀」(同・六郷用水、現・丸子川)と呼んでいました。」とあります。
前回の小佐野邸の横を流れる六郷用水の上流です。 -
日蓮宗寺院の両親閣東京別院
日蓮聖人の両親の廟所を護持する小湊妙蓮寺両親閣の東京別院だそうです。参拝者がいないのか、参道には蜘蛛の巣が張っていてこれ以上近づけません。 -
その隣の玉川大師玉真院。
玉川大師玉真密院 寺・神社・教会
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真言宗智山派の寺院です。
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地下仏殿が有名です。
地下仏殿は、地下5メートルの深さに、仏の胎内を模ったとされる長さ100メートルにも及ぶ総鉄筋コンクリート造りの奥の院で、石仏、大理石・御影石像など300数尊体が安置されています。
実際に巡ってみると、身の丈2.2mの御本尊弘法大師像や大日如来像、薬師如来像、涅槃の釈尊や天女のレリーフなど、無数の仏像・地蔵が並んでおり圧巻です。ラオス・カンボジアなど東南アジアの仏教寺院を訪れた錯覚にさえ襲われます。
堂内は写真撮影禁止、一切の明かり禁止ですので、パンフのコピーで想像してください。 -
境内の有縁無縁地蔵尊は撮影OKと思います。
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私以外に参拝者はいませんでした。
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道の向かい側は、身延山関東別院 玉川寺。
玉川寺 寺・神社・教会
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身延山久遠寺の関東別院ということですが、まあ普通のお寺。
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さらに段丘を上がって、路地の急な階段を登り、
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参道を進むと、
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瀬田玉川神社です。
瀬田玉川神社 寺・神社・教会
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永禄年中(1558~1570年)創建、1626年(寛永3年)に長崎四郎左衛門嘉国が寄進して現在地に移転したとのこと。
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歴史を感じさせる狛犬。
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大きい方は時節柄、大きなマスクをしています。
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その隣の立派な山門は、
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慈眼寺です。
本堂は1975年建立。この寺も長崎四郎左衛門が開基(1533年(天文2年))だそうです。同期入社に長崎君というおぼっちゃまがいたけど、彼の先祖かな?慈眼寺 寺・神社・教会
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周辺は住宅地。普通は来ない場所だけど、この辺りに昔の上司の家があったので、呑んだ帰りにハイヤーなどでお送りした(私が便乗なので送ってもらった?)ことが何度かありました。夜なので場所は覚えていないけど‥。
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意外にも農地があります。
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次に向かったのは、
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旧小坂家住宅です。
信越化学工業などの創業者にして、元衆議院議員小坂順造氏の別邸だそう。旧小坂家住宅 名所・史跡
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1937年(昭和12年)築、木造和風平屋建の建物です。
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12畳半の居間と広縁。
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浴室前の脱衣室
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内倉
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寝室
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広々として、レトロなステレオが置いてあります。
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寝室の照明まわり。
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寝室から繋がるベランダ(サンルーム)。
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寝室のマントルピース
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廊下から見た居間と茶の間。
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約7.5坪(15畳)の書斎。こちらにもマントルピースがあります。
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天井には節くれだった丸太の梁。壁はナタ削りという手法の荒々しい模様。
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床は寄木のフローリング。全体的に骨太でイギリスの田園住居の趣だそう。
この建物の中では書斎が一番の見所です。 -
茶室
当時の財界人の嗜みでしょうか?
取り立てて豪華と言うほどではないけれど、昭和初期の上流階級の暮らしぶりが分かって興味深い。 -
庭に出るとそこは広大な斜面。旧小坂邸は国分寺崖線の縁辺部にあります。
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竹林の中のこの囲いは何?
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庚申塚
この二基は近隣の幽篁堂庭園にあったものを移設したそう。
幽篁堂庭園は、骨董屋を営んでいた本山豐實氏が昭和初期に田圃地を借り上げ築造し、その店名にちなんで命名したそうです。なので、この庚申塚もそれなりの価値あるものではないでしょうか。
幽篁堂庭園は今はマンションになっています。 -
裏門から瀬田四丁目旧小坂緑地を出ます。
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治太夫堀を遡行します。
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民家園がありますが、時間がないのでパス。
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岡本静嘉堂緑地を目指したのですが、どうもルートを間違えたよう。
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段丘を越えて、谷戸川沿いの大蔵通りに出てきました。
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そこから岡本静嘉堂緑地に入ります。
岡本静嘉堂緑地 名所・史跡
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園内の小川には鯉が泳いでいます。
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「岡本静嘉堂緑地は、国分寺崖線の一画にあり、もとは岩崎家が所有する庭園であったものです。昭和20年頃までは庭園として維持管理がなされていましたが、その後、人の出入りもなく、ほぼ自然状態のままにあったため貴重な自然が残されています。
地域の貴重な財産として末永くこの緑地を残し、人々が身近に自然にふれあう場となる事をめざしています。」と案内板にあります。 -
緑深い園内の道路。
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谷戸川の支流と言って良いでしょうか。
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崖線に造られた急な階段。登ると、
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大きな石灯籠が何基もあります。
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山道を辿ると、
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岩崎家霊廟です。
ジョサイア・コンドル設計。岩崎小弥太(4代目)が1910年(明治43年)に岩崎家の納骨堂として建設しました。
岩崎家は直系四代で途絶えました。その最後の寛弥さん(故人)には帝国ホテルで偶然お会いし、バーでお酒をご馳走になりながら昔話を聞かせていただいたのが、懐かしい思い出です。岩崎家玉川霊廟 名所・史跡
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その奥の静嘉堂文庫美術館は閉館中。これ以上は立ち入れません。
静嘉堂文庫美術館 美術館・博物館
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霊廟前の狛犬
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なかなかに猛々しい。
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男爵岩崎君碑と読めます。岩崎弥太郎の弟・岩崎弥之助を讃える碑でしょうか?
弥之助は、「学問を好み、蔵書家・美術収集家としても知られた。重野安繹を師として漢学を学び、重野の研究を助けるために始めた古典籍収集は、宋・元の刊本をはじめとする貴重書の宝庫となっており、これを収蔵するために弥之助が自邸内に設けたのが重野を文庫長とする「静嘉堂文庫」である。
古典籍に加えて書画・茶道具・刀剣などの古美術を多数収集した。これらの収集は長男・小弥太に引き継がれ、昭和15年(1940年)に小弥太が創設した財団法人静嘉堂文庫(東京都世田谷区岡本)に寄付された 。国宝・重要文化財を含む数多くの古典籍と古美術品からなる文庫の所蔵品は、昭和52年(1977年)より一般公開されており、現在では静嘉堂文庫美術館として常設の美術館になっている。」(Wikipedia)そうです。 -
イチオシ
緑地内の湧水。
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正門から緑地を後にします。時間に追われ慌ただしい訪問になりました。
次回は、美術館開館中に訪れてみたいと思います。 -
丸子川(六郷用水)沿いに駅に戻ります。
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治太夫橋を過ぎれば、
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二子玉川商店街通りです。
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左に折れて花みず木通りは、東急砧線の廃線跡。
東急砧線は、多摩川の砂利を都心へ輸送する目的で、前身の玉川電気鉄道により1922年に軌道路線として開業。先に開業していた渋谷~玉川(現・二子玉川)の玉川線とともに「ジャリ電」と呼ばれていたと伝え聞いています。 -
玉川高島屋本館と西館の間を抜けて、
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南館プラザで一休み。
いつものお洒落でモダンな二子玉川です。玉川高島屋 百貨店・デパート
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時刻は正午、二子玉川駅に戻ってきました。
二子玉川駅 駅
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次の任務が待っています。
今日は12,363歩、8.7km歩きました。
国分寺崖線上に広がる武蔵野台地の歴史を垣間見た散策になりました。
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