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スロベニア・クロアチア2508kmドライブ ⑨ポレチ Poreč<br /><br />2017年の秋、1週間の休みを取り、クロアチアまでドライブしたときのものです。少し古いので記憶を辿りながらの旅行記作成です。<br /><br />この旅行記は8日目のポレチです。プーラから、イストリア半島を北上して、途中のポレチに立ち寄ったときのものです。その手前にロヴィニという似たような町も立ち寄りたかったのですが、時間の都合でカット。今日中には、次の目的地、ポストイナ Postojnaに入っておきたいので。<br />表紙の写真は、エウフラシウス聖堂Eufrazijeva bazilikaのモザイク。モザイクがここまで完璧に綺麗に残っていると感動ものです。<br /><br /><日程><br />10/28 ①ブレッド湖 Blejsko jezero (Lake Bled)<br />10/29 ②プリトヴィツェ湖群国立公園 Plitvička jezera<br />10/30 ③スプリト Split<br />10/31 ④ドゥブロヴニク Dubrovnik<br />11/  1   ⑤ドゥブロヴニク Dubrovnik<br />11/  2   ⑥シベニク Šibenik<br />11/  2   ⑦トロギルTrogir<br />11/  3   ⑧プーラ Pula<br />11/  4   ⑨ポレチ Poreč<br />11/  5   ⑩ポストイナ Postojna

スロベニア・クロアチア2508kmドライブ ⑨ポレチ Poreč

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2017/10/28 - 2017/11/05

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スロベニア・クロアチア2508kmドライブ ⑨ポレチ Poreč

2017年の秋、1週間の休みを取り、クロアチアまでドライブしたときのものです。少し古いので記憶を辿りながらの旅行記作成です。

この旅行記は8日目のポレチです。プーラから、イストリア半島を北上して、途中のポレチに立ち寄ったときのものです。その手前にロヴィニという似たような町も立ち寄りたかったのですが、時間の都合でカット。今日中には、次の目的地、ポストイナ Postojnaに入っておきたいので。
表紙の写真は、エウフラシウス聖堂Eufrazijeva bazilikaのモザイク。モザイクがここまで完璧に綺麗に残っていると感動ものです。

<日程>
10/28 ①ブレッド湖 Blejsko jezero (Lake Bled)
10/29 ②プリトヴィツェ湖群国立公園 Plitvička jezera
10/30 ③スプリト Split
10/31 ④ドゥブロヴニク Dubrovnik
11/ 1 ⑤ドゥブロヴニク Dubrovnik
11/ 2 ⑥シベニク Šibenik
11/ 2 ⑦トロギルTrogir
11/ 3 ⑧プーラ Pula
11/ 4 ⑨ポレチ Poreč
11/ 5 ⑩ポストイナ Postojna

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
同行者
一人旅
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • Joakim Rakovac<br />Narodni Heroj(Pepole&#39;s Hero)<br />1914-1945<br /><br />ファシズムに対抗して立ち上がったリーダーです。<br />最後は、ドイツ兵の待ち伏せにあい、殺されたとのこと。<br /><br />ところで、こういう像があれば、その像の主を後で調べるようにしている。銅像が立つということは、その地域の人々にとって大切な人であることを表している。

    Joakim Rakovac
    Narodni Heroj(Pepole's Hero)
    1914-1945

    ファシズムに対抗して立ち上がったリーダーです。
    最後は、ドイツ兵の待ち伏せにあい、殺されたとのこと。

    ところで、こういう像があれば、その像の主を後で調べるようにしている。銅像が立つということは、その地域の人々にとって大切な人であることを表している。

  • ポレチ(Poreč)の広場。ポレチの旧市街方面の入り口にあり、ここから向こうが旧市街です。旧市街は小さな半島のように海に突き出しています。この町も、プーラ(Pula)と似たような歴史をたどっています。(写真にはありませんが、左手に教会があります。)<br /><br />Porečはポレチュ、ポレッチなど日本語では呼ばれますが、ここではポレチに統一します。特に意味はありませんが、表記ゆれがあったら、グーグルマップに合わすというポリシーです(といってもグーグルが常に正しいとは思いませんが)。最後のcの上に記号がついているので、少し、チュっぽくなるのが正解かなとも思います。チェコ語にも似てます。

    ポレチ(Poreč)の広場。ポレチの旧市街方面の入り口にあり、ここから向こうが旧市街です。旧市街は小さな半島のように海に突き出しています。この町も、プーラ(Pula)と似たような歴史をたどっています。(写真にはありませんが、左手に教会があります。)

    Porečはポレチュ、ポレッチなど日本語では呼ばれますが、ここではポレチに統一します。特に意味はありませんが、表記ゆれがあったら、グーグルマップに合わすというポリシーです(といってもグーグルが常に正しいとは思いませんが)。最後のcの上に記号がついているので、少し、チュっぽくなるのが正解かなとも思います。チェコ語にも似てます。

  • Lady of Angels Church<br />Crkva Gospe od Anđela<br /><br />その教会。パステルカラーの色使いが目立つ。中には入れず。<br />初期ロマネスク様式で建てられた教会の跡にバロック式で1770年に建てられた。バロック式の主祭壇と絵画が特徴。最も価値あるものは、18世紀の聖ピーターによる無原罪のお宿り(Jacopo Marieschi)と真鍮の蛇をもつモーゼ(ヴェネツィア画家、Gaspare Vecchio)。(公式HPより訳)

    Lady of Angels Church
    Crkva Gospe od Anđela

    その教会。パステルカラーの色使いが目立つ。中には入れず。
    初期ロマネスク様式で建てられた教会の跡にバロック式で1770年に建てられた。バロック式の主祭壇と絵画が特徴。最も価値あるものは、18世紀の聖ピーターによる無原罪のお宿り(Jacopo Marieschi)と真鍮の蛇をもつモーゼ(ヴェネツィア画家、Gaspare Vecchio)。(公式HPより訳)

  • ポレッチ (Poreč)<br /><br />古代からの石畳が風情がある。<br /><br />支配者層が、年代とともに変わっているので、クロアチア語のポレッチ(Poreč)となったのはつい最近(Pulaも同様)。Parenzo、ラテン語では、ParensまたはParentiumパレンティウム、イタリア語ではパレンツォ、ドイツ語ではパレンツParenz。<br /><br />以下、Wikiより。<br />ポレッチはおよそ2,000年の歴史をもち、小さなスヴェチ・ニコラ島(聖ニコラオス島)によって海から港が守られている。近辺は先史時代から知られていた。紀元前2世紀、ローマ人のカストルム(軍事拠点に建てられた建物)が、市中心部の位置するほぼ400メートル×200メートル区画の広さしかないちっぽけな半島に建てられた。アウグストゥス帝時代の紀元1世紀、パレンティウムは公式に都市となり、ローマ植民地コロニア・イウリア・パレンティウム(Colonia Iulia Parentium)の一部となった。3世紀、この場所は既に、初期キリスト教複合施設を持つキリスト教徒コミュニティーを抱えていた。パレンティウム司教であり殉教者の聖パレンティウムのマウルス(ポレッチの守護聖人)の聖遺物を持つバシリカが、5世紀にこの地に建てられた。476年に西ローマ帝国が滅び、この地は、侵略した蛮族による東ゴート王国が支配し、539年以降は、ローマの領土を奪還した東ローマ帝国の一部となった。東ローマ帝国の支配は6世紀終わりに終焉を迎えた(※)。788年以後は、フランク王国の支配を受けた。12世紀に短期の独立時代を迎え、のちアクイレイア総主教に支配された。1267年、パレンツォはヴェネツィア共和国の一部に選ばれた最初のイストリア都市となって、その支配はさらに5世紀以上続いた。<br />-----<br />東ローマ帝国皇帝(ビザンツ帝国)レオン三世による聖像禁止令が726年。ここは、東ローマ帝国の勢力外(厳密には、ゴート族から、領土を取り返した以降は、東ローマ帝国の下のラヴェンナ総督府の支配下。ただし、イタリアにあったラヴェンナ総督府は、ゲルマン民族のランゴバルド人の侵略により、イタリア半島における東ローマの勢力は虫食い状態となっていた。そして、東西教皇間の対立も加わり、聖堂のモザイクが破壊から免れることになったと思われる。この後、ローマ(カトリック)教皇はゲルマン民族のフランク人の力を利用して、ランゴバルド人を追い出した。フランク王国ピピン三世は、領土を東ローマ帝国に戻さず、ローマ教皇に与えて(ピピンの寄進)、教皇領が成立。フランク王国は、キリスト教の盟主となる。そして、ローマ・カトリックとギリシャ正教と分かれていく。

    ポレッチ (Poreč)

    古代からの石畳が風情がある。

    支配者層が、年代とともに変わっているので、クロアチア語のポレッチ(Poreč)となったのはつい最近(Pulaも同様)。Parenzo、ラテン語では、ParensまたはParentiumパレンティウム、イタリア語ではパレンツォ、ドイツ語ではパレンツParenz。

    以下、Wikiより。
    ポレッチはおよそ2,000年の歴史をもち、小さなスヴェチ・ニコラ島(聖ニコラオス島)によって海から港が守られている。近辺は先史時代から知られていた。紀元前2世紀、ローマ人のカストルム(軍事拠点に建てられた建物)が、市中心部の位置するほぼ400メートル×200メートル区画の広さしかないちっぽけな半島に建てられた。アウグストゥス帝時代の紀元1世紀、パレンティウムは公式に都市となり、ローマ植民地コロニア・イウリア・パレンティウム(Colonia Iulia Parentium)の一部となった。3世紀、この場所は既に、初期キリスト教複合施設を持つキリスト教徒コミュニティーを抱えていた。パレンティウム司教であり殉教者の聖パレンティウムのマウルス(ポレッチの守護聖人)の聖遺物を持つバシリカが、5世紀にこの地に建てられた。476年に西ローマ帝国が滅び、この地は、侵略した蛮族による東ゴート王国が支配し、539年以降は、ローマの領土を奪還した東ローマ帝国の一部となった。東ローマ帝国の支配は6世紀終わりに終焉を迎えた(※)。788年以後は、フランク王国の支配を受けた。12世紀に短期の独立時代を迎え、のちアクイレイア総主教に支配された。1267年、パレンツォはヴェネツィア共和国の一部に選ばれた最初のイストリア都市となって、その支配はさらに5世紀以上続いた。
    -----
    東ローマ帝国皇帝(ビザンツ帝国)レオン三世による聖像禁止令が726年。ここは、東ローマ帝国の勢力外(厳密には、ゴート族から、領土を取り返した以降は、東ローマ帝国の下のラヴェンナ総督府の支配下。ただし、イタリアにあったラヴェンナ総督府は、ゲルマン民族のランゴバルド人の侵略により、イタリア半島における東ローマの勢力は虫食い状態となっていた。そして、東西教皇間の対立も加わり、聖堂のモザイクが破壊から免れることになったと思われる。この後、ローマ(カトリック)教皇はゲルマン民族のフランク人の力を利用して、ランゴバルド人を追い出した。フランク王国ピピン三世は、領土を東ローマ帝国に戻さず、ローマ教皇に与えて(ピピンの寄進)、教皇領が成立。フランク王国は、キリスト教の盟主となる。そして、ローマ・カトリックとギリシャ正教と分かれていく。

  • Gotička Kuća Lion<br />Lion Gothic House<br />ライオンゴシックハウス<br /><br />1473年。

    Gotička Kuća Lion
    Lion Gothic House
    ライオンゴシックハウス

    1473年。

    ゴシックハウス 建造物

  • Gotička Kuća Lion<br />Lion Gothic House<br />ライオンゴシックハウス<br /><br />デクマヌス通りDecumanusにはいくつかゴシック様式の建物や宮殿が残っている。

    Gotička Kuća Lion
    Lion Gothic House
    ライオンゴシックハウス

    デクマヌス通りDecumanusにはいくつかゴシック様式の建物や宮殿が残っている。

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />ここが聖堂への入り口。

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    ここが聖堂への入り口。

    エウフラシウス聖堂 寺院・教会

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />この入り口のモザイクは1900年のもの。以下の説明をみると、この道は中庭(アトリウム)を経て、港へと続く町の北側の入り口までつながっていたが、その後、壁で塞がれた。<br /><br />ENTRANCE- the historicistic portal with the mosaic from 1900 leads to the atrium along the passage built on the site of the Roman street leading to the northern city gates in the Peškera Bay, which are now walled up. The Roman cardo is the backbone of the cathedral complex, while one of its parts has been converted into a narthex of churches built during later periods.

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    この入り口のモザイクは1900年のもの。以下の説明をみると、この道は中庭(アトリウム)を経て、港へと続く町の北側の入り口までつながっていたが、その後、壁で塞がれた。

    ENTRANCE- the historicistic portal with the mosaic from 1900 leads to the atrium along the passage built on the site of the Roman street leading to the northern city gates in the Peškera Bay, which are now walled up. The Roman cardo is the backbone of the cathedral complex, while one of its parts has been converted into a narthex of churches built during later periods.

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />この順路(時計回り)で見学します。最初に、洗礼堂、鐘楼、博物館、最後に、メインの聖堂を見ることになります。<br />4世紀頃に礼拝堂の原型がつくられ、6世紀にエウフラシウス司教が全面改修を行いました。大聖堂、洗礼堂、鐘楼、礼拝堂、中庭など初期キリスト教の複合建築のかたちがそのまま保存されていることは極めて稀であり、この価値が評価されて世界遺産登録となっています。<br /><br />参考までに、リンクを貼っておきます。<br />(ただし、順路は同じですが、現地で割り振られている順路の番号は異なります。)<br />https://www.myporec.com/en/discover-porec/euphrasius-basilica/521

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    この順路(時計回り)で見学します。最初に、洗礼堂、鐘楼、博物館、最後に、メインの聖堂を見ることになります。
    4世紀頃に礼拝堂の原型がつくられ、6世紀にエウフラシウス司教が全面改修を行いました。大聖堂、洗礼堂、鐘楼、礼拝堂、中庭など初期キリスト教の複合建築のかたちがそのまま保存されていることは極めて稀であり、この価値が評価されて世界遺産登録となっています。

    参考までに、リンクを貼っておきます。
    (ただし、順路は同じですが、現地で割り振られている順路の番号は異なります。)
    https://www.myporec.com/en/discover-porec/euphrasius-basilica/521

    ポレチュ歴史地区のエウフラシウス聖堂建築群 史跡・遺跡

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />The Atrium<br />アトリウム(中庭)<br /><br />6世紀にエウフラシウス司教が作ったもの。19世紀、オーストリア=ハンガリー帝国支配時にフランツ・ヨーゼフの命により、改修が行われたという石碑がすみに置かれている。パレンティウム(ローマ時代のポレチの名前)の司教の紋章と墓石が壁に飾られている。<br /><br />Bishop Euphrasius built the atrium in the 6th century. In the corner there is an inscription carved in stone witnessing the complete renovation of the dilapidated atrium carried out in the 19th century under orders of Austro-Hungarian Emperor Franz Joseph. The coats of arms and gravestones of Parentium bishops adorn the walls.

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    The Atrium
    アトリウム(中庭)

    6世紀にエウフラシウス司教が作ったもの。19世紀、オーストリア=ハンガリー帝国支配時にフランツ・ヨーゼフの命により、改修が行われたという石碑がすみに置かれている。パレンティウム(ローマ時代のポレチの名前)の司教の紋章と墓石が壁に飾られている。

    Bishop Euphrasius built the atrium in the 6th century. In the corner there is an inscription carved in stone witnessing the complete renovation of the dilapidated atrium carried out in the 19th century under orders of Austro-Hungarian Emperor Franz Joseph. The coats of arms and gravestones of Parentium bishops adorn the walls.

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />The Atrium<br />アトリウム(中庭)

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    The Atrium
    アトリウム(中庭)

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />The Atrium<br />アトリウム(中庭)

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    The Atrium
    アトリウム(中庭)

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />The Atrium<br />アトリウム(中庭)

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    The Atrium
    アトリウム(中庭)

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />The Atrium<br />アトリウム(中庭)

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    The Atrium
    アトリウム(中庭)

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />The Atrium<br />アトリウム(中庭)

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    The Atrium
    アトリウム(中庭)

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />The Atrium<br />アトリウム(中庭)

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    The Atrium
    アトリウム(中庭)

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />The Atrium<br />アトリウム(中庭)

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    The Atrium
    アトリウム(中庭)

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />The Atrium<br />アトリウム(中庭)

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    The Atrium
    アトリウム(中庭)

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />The Atrium<br />アトリウム(中庭)

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    The Atrium
    アトリウム(中庭)

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />The Atrium<br />アトリウム(中庭)

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    The Atrium
    アトリウム(中庭)

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />The Atrium<br />アトリウム(中庭)

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    The Atrium
    アトリウム(中庭)

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />The Atrium<br />アトリウム(中庭)

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    The Atrium
    アトリウム(中庭)

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />The Atrium<br />アトリウム(中庭)

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    The Atrium
    アトリウム(中庭)

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />The Atrium<br />アトリウム(中庭)

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    The Atrium
    アトリウム(中庭)

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />The Atrium<br />アトリウム(中庭)

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    The Atrium
    アトリウム(中庭)

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />The Atrium<br />アトリウム(中庭)

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    The Atrium
    アトリウム(中庭)

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />The octagonal baptistry<br />洗礼堂<br /><br />6世紀の六角形の洗礼池をもつ八角形の洗礼堂。写真は中庭から洗礼堂への入り口。<br /><br />The octagonal baptistry with a 6th century hexagonal baptismal font.

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    The octagonal baptistry
    洗礼堂

    6世紀の六角形の洗礼池をもつ八角形の洗礼堂。写真は中庭から洗礼堂への入り口。

    The octagonal baptistry with a 6th century hexagonal baptismal font.

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />The octagonal baptistry<br />洗礼堂

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    The octagonal baptistry
    洗礼堂

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />The octagonal baptistry<br />洗礼堂<br /><br />天井。

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    The octagonal baptistry
    洗礼堂

    天井。

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />The octagonal baptistry<br />洗礼堂

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    The octagonal baptistry
    洗礼堂

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />The octagonal baptistry<br />洗礼堂

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    The octagonal baptistry
    洗礼堂

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />The octagonal baptistry<br />洗礼堂<br /><br />奥に見えているの鐘楼へのぼる階段。

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    The octagonal baptistry
    洗礼堂

    奥に見えているの鐘楼へのぼる階段。

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />The bell tower<br />(鐘楼)<br /><br />1520年建造。鐘楼からの眺め。こちらが町の入り口方向(東)。遠くに見えている鐘楼は、入り口にあったLady of Angels Church(Crkva Gospe od Anđela)のもの。<br /><br />The bell tower was built in 1520. It is open for visitors and provides a beautiful panoramic view of Poreč and its surrounding area.

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    The bell tower
    (鐘楼)

    1520年建造。鐘楼からの眺め。こちらが町の入り口方向(東)。遠くに見えている鐘楼は、入り口にあったLady of Angels Church(Crkva Gospe od Anđela)のもの。

    The bell tower was built in 1520. It is open for visitors and provides a beautiful panoramic view of Poreč and its surrounding area.

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />The bell tower<br />(鐘楼)<br /><br />南側の眺め。

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    The bell tower
    (鐘楼)

    南側の眺め。

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />The bell tower<br />(鐘楼)<br /><br />西側の眺め。

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    The bell tower
    (鐘楼)

    西側の眺め。

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />The bell tower<br />(鐘楼)

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    The bell tower
    (鐘楼)

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />もとのアトリウムまでもどりました。

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    もとのアトリウムまでもどりました。

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />まず、2階へ上がります。博物館になっています。

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    まず、2階へ上がります。博物館になっています。

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />The central hall<br />(中央ホール)<br /><br />6世紀から使われている聖公会の中央ホールは、儀式、玉座、応接室として建設され、司教エウフラシウスが教区とパレンティウムの都市の両方を管理するために使用しました。 スペースは、元の建築の特徴と家具の細部を驚くほどよく保存しています。これは、世界で唯一保存されている初期キリスト教の儀式場です。<br /><br />それはほぼ完璧な立方体であり、北側に半円形の後陣が繋がっています。 メインエリアは、壁の最上部に設置された窓を通して照らされています。 それらの1つには、その場で保存された石のスクリーン(?)(stone transenna)が含まれています。(ちょっと意味不明。写真で上部に明かりを取る窓が右側にはあるが、左側の対称の位置には石でそれらしいようにしている個所があり、このことかな?)<br /><br />The central hall of the Episcopal Palace from the 6th c. ? built as the ceremonial, throne and reception room and used by Bishop Euphrasius for governing both the diocese and the city of Parentium. The space has preserved its original architectural characteristics and the details of its furnishing surprisingly well.<br />It is an almost perfect cube, complemented by a spacious semi-circular apse to the north. The main area is lit through windows installed to the very top of its walls. One of them contains a stone transenna, preserved in situ. This is the only preserved Early Christian ceremonial hall in the world.

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    The central hall
    (中央ホール)

    6世紀から使われている聖公会の中央ホールは、儀式、玉座、応接室として建設され、司教エウフラシウスが教区とパレンティウムの都市の両方を管理するために使用しました。 スペースは、元の建築の特徴と家具の細部を驚くほどよく保存しています。これは、世界で唯一保存されている初期キリスト教の儀式場です。

    それはほぼ完璧な立方体であり、北側に半円形の後陣が繋がっています。 メインエリアは、壁の最上部に設置された窓を通して照らされています。 それらの1つには、その場で保存された石のスクリーン(?)(stone transenna)が含まれています。(ちょっと意味不明。写真で上部に明かりを取る窓が右側にはあるが、左側の対称の位置には石でそれらしいようにしている個所があり、このことかな?)

    The central hall of the Episcopal Palace from the 6th c. ? built as the ceremonial, throne and reception room and used by Bishop Euphrasius for governing both the diocese and the city of Parentium. The space has preserved its original architectural characteristics and the details of its furnishing surprisingly well.
    It is an almost perfect cube, complemented by a spacious semi-circular apse to the north. The main area is lit through windows installed to the very top of its walls. One of them contains a stone transenna, preserved in situ. This is the only preserved Early Christian ceremonial hall in the world.

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />後でいく昔の初期礼拝堂の跡(モザイク)が窓の下に見える。モザイクは実は20世紀初頭に作られたコピー。海岸線に近いところにあったせいか、今、見られる6世紀の建物は、昔の礼拝堂の高さからすこし、高さを上げて建てられた。

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    後でいく昔の初期礼拝堂の跡(モザイク)が窓の下に見える。モザイクは実は20世紀初頭に作られたコピー。海岸線に近いところにあったせいか、今、見られる6世紀の建物は、昔の礼拝堂の高さからすこし、高さを上げて建てられた。

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />その上からみた地図。

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    その上からみた地図。

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />その説明の英語部を拡大。

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    その説明の英語部を拡大。

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />Poliptih(※クロアチア語), Antonio Vivarini, Venezia, 1449<br /><br />プレートにはクロアチア語とイタリア語での説明しかない。<br />ここでは、そのまま、書いているが、それに相当する英語が不明。<br />Triptych(3面の宗教絵画)の複数版と思われる。

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    Poliptih(※クロアチア語), Antonio Vivarini, Venezia, 1449

    プレートにはクロアチア語とイタリア語での説明しかない。
    ここでは、そのまま、書いているが、それに相当する英語が不明。
    Triptych(3面の宗教絵画)の複数版と思われる。

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />Meštar Anton s Padove<br />&lt;&lt;Humski triptih&gt;&gt;<br />Hum, 1529<br /><br />※Humはイストリア半島にある村の名前。

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    Meštar Anton s Padove
    <<Humski triptih>>
    Hum, 1529

    ※Humはイストリア半島にある村の名前。

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />13世紀

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    13世紀

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />15世紀

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    15世紀

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />重ね描きしている?

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    重ね描きしている?

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilikaエウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />1488年。司教の紋章と名前が彫られている。

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilikaエウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    1488年。司教の紋章と名前が彫られている。

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />Lapidary(モザイクの展示)<br />4~5世紀の初期礼拝堂のモザイクが展示されている。

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    Lapidary(モザイクの展示)
    4~5世紀の初期礼拝堂のモザイクが展示されている。

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />床モザイク

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    床モザイク

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />床モザイク

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    床モザイク

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />床モザイク

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    床モザイク

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />床モザイク、5世紀

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    床モザイク、5世紀

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />床モザイク

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    床モザイク

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />床モザイク

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    床モザイク

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />魚の床モザイク。4世紀。ギリシャ語で「魚」という意味を持つイクトゥス(ΙΧΘΥΣ)は、ΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ (ギリシャ語で「イエス、キリスト、神の、子、救世主」)の頭文字を並べたものであり、初期のキリスト教徒が隠れシンボルとして用いた。簡易的に、弧をなす2本の線を交差させて魚を横から見た形に描いたシンボルでも表される。

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    魚の床モザイク。4世紀。ギリシャ語で「魚」という意味を持つイクトゥス(ΙΧΘΥΣ)は、ΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ (ギリシャ語で「イエス、キリスト、神の、子、救世主」)の頭文字を並べたものであり、初期のキリスト教徒が隠れシンボルとして用いた。簡易的に、弧をなす2本の線を交差させて魚を横から見た形に描いたシンボルでも表される。

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />こちらにも魚が描かれている。

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    こちらにも魚が描かれている。

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />8-9世紀。

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    8-9世紀。

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />床モザイク、4世紀

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    床モザイク、4世紀

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />床モザイク、5世紀。

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    床モザイク、5世紀。

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />床モザイク、4世紀。<br /><br />(Lu)picinus et Pascasia p(edes) CCCC f(ecerunt).<br />Clamosus mag(ister) puer(orum) et Successa p(edes) C.<br />Felicissimus cum suis p(edes) C.

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    床モザイク、4世紀。

    (Lu)picinus et Pascasia p(edes) CCCC f(ecerunt).
    Clamosus mag(ister) puer(orum) et Successa p(edes) C.
    Felicissimus cum suis p(edes) C.

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />床モザイク、4世紀<br />

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    床モザイク、4世紀

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />それにしても、4-5世紀のものが断片的でも現代に残っている点で感動。<br />日本では、ちょうど、記録がない闇の古墳時代。

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    それにしても、4-5世紀のものが断片的でも現代に残っている点で感動。
    日本では、ちょうど、記録がない闇の古墳時代。

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />ローマ時代の通り(Cardo)を越えると、4~5世紀の礼拝堂の遺跡が見られる。左側は、ローマ時代には大きな門があり、北側の港に繋がっていた。中世にはこの門はふさがれ、内側は墓地になった。広範囲でみられるモザイクはオリジナルではなく、20世紀前半に置き換えられたコピー。現物の展示は今、見てきたところ。<br /><br />Having crossed the area of the former street ? cardo ? one sees the archaeological remnants of the 4th and 5th century basilicas. To the left are the remnants of a large city gate built in the Roman period, which led to the northern port of ancient Parentium. The gate was walled in during the Middle Ages when the area on inner side was filled in and turned into a cemetery. Large areas of the floor mosaic that are visible are not original, but copies made in the first half of the 20th century to replace the original mosaic floors of the oldest church. The original fragments are those exhibited on the ground floor of the Episcopal Palace.

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    ローマ時代の通り(Cardo)を越えると、4~5世紀の礼拝堂の遺跡が見られる。左側は、ローマ時代には大きな門があり、北側の港に繋がっていた。中世にはこの門はふさがれ、内側は墓地になった。広範囲でみられるモザイクはオリジナルではなく、20世紀前半に置き換えられたコピー。現物の展示は今、見てきたところ。

    Having crossed the area of the former street ? cardo ? one sees the archaeological remnants of the 4th and 5th century basilicas. To the left are the remnants of a large city gate built in the Roman period, which led to the northern port of ancient Parentium. The gate was walled in during the Middle Ages when the area on inner side was filled in and turned into a cemetery. Large areas of the floor mosaic that are visible are not original, but copies made in the first half of the 20th century to replace the original mosaic floors of the oldest church. The original fragments are those exhibited on the ground floor of the Episcopal Palace.

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />コピーで置き換えなければいけなかった理由は、アドリア海の海面水位が、毎年1mmのスピードで上昇しつづけており、満潮時の海面が、モザイクの高さに到達した為である。<br /><br />The reason why they had to be replaced is that they are located at the level, which was meanwhile, 1600 years after their creation, reached by the sea. The sea level on the northern Adriatic coast rises unstoppably at a rate of approximately 1 mm per year. Therefore, when the tide is at its highest, these mosaics are more than 20 cm below the sea level.

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    コピーで置き換えなければいけなかった理由は、アドリア海の海面水位が、毎年1mmのスピードで上昇しつづけており、満潮時の海面が、モザイクの高さに到達した為である。

    The reason why they had to be replaced is that they are located at the level, which was meanwhile, 1600 years after their creation, reached by the sea. The sea level on the northern Adriatic coast rises unstoppably at a rate of approximately 1 mm per year. Therefore, when the tide is at its highest, these mosaics are more than 20 cm below the sea level.

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />遺跡は、現在の聖堂の以前に2つの教会が建てらたことをものがっており、科学者によって、4世紀のものは、「First Basilica」(初期礼拝堂)、5世紀のものは、「Pre-Euphrasiana」(初代エウフラシウス聖堂)と呼ばれている。初期礼拝堂(First Basilica)は、ローマ建造物の上に建てらた3つの身廊を持つ建物であった。その後、それは、2つの3身廊をもつ初代エウフラシウス聖堂(Pre-Euphrasiana)のひとつとなった。(2つあるうちの)大きい方の「初代エウフラシウス聖堂(Pre-Euphrasiana)は、今のエウフラシウス聖堂の下にあり、今でも床下に、そのモザイクの一部をみることができる。<br /><br />The archaeological remnants speak of two churches which had been erected before the Euphrasian Basilica ? the 4th century one called by the scientists the First Basilica and the 5th century Pre-Euphrasiana. The First Basilica was a three-nave structure partly erected on the remnants of secular Roman structures. It was turned into dual Pre-Euphrasiana consisting of two three-nave churches. The larger Pre-Euphrasian basilica is located underneath the current Euphrasian Basilica, and the fragments of its floor mosaic can be seen inside the currently existing cathedral.

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    遺跡は、現在の聖堂の以前に2つの教会が建てらたことをものがっており、科学者によって、4世紀のものは、「First Basilica」(初期礼拝堂)、5世紀のものは、「Pre-Euphrasiana」(初代エウフラシウス聖堂)と呼ばれている。初期礼拝堂(First Basilica)は、ローマ建造物の上に建てらた3つの身廊を持つ建物であった。その後、それは、2つの3身廊をもつ初代エウフラシウス聖堂(Pre-Euphrasiana)のひとつとなった。(2つあるうちの)大きい方の「初代エウフラシウス聖堂(Pre-Euphrasiana)は、今のエウフラシウス聖堂の下にあり、今でも床下に、そのモザイクの一部をみることができる。

    The archaeological remnants speak of two churches which had been erected before the Euphrasian Basilica ? the 4th century one called by the scientists the First Basilica and the 5th century Pre-Euphrasiana. The First Basilica was a three-nave structure partly erected on the remnants of secular Roman structures. It was turned into dual Pre-Euphrasiana consisting of two three-nave churches. The larger Pre-Euphrasian basilica is located underneath the current Euphrasian Basilica, and the fragments of its floor mosaic can be seen inside the currently existing cathedral.

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />ちょっとわかりづらいけど、魚のモザイクがあるのが見えます?

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    ちょっとわかりづらいけど、魚のモザイクがあるのが見えます?

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />再び、建物の中にはいると、そこは、初期エウフラシウス聖堂の後陣にあたる場所。21世紀初頭まで聖具保管室として使用されてきた。床は多色モザイクが残されている。

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    再び、建物の中にはいると、そこは、初期エウフラシウス聖堂の後陣にあたる場所。21世紀初頭まで聖具保管室として使用されてきた。床は多色モザイクが残されている。

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />ようやくメインの聖堂につきました。この建物のほとんどすべての部分はオリジナルで、6世紀のものというから驚き。そして、ここを訪れる最大の目的は、主祭壇に施された、このモザイクで、こちらも6世紀からのもの。世界でも優れたビザンティン芸術の一つだとされている。

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    ようやくメインの聖堂につきました。この建物のほとんどすべての部分はオリジナルで、6世紀のものというから驚き。そして、ここを訪れる最大の目的は、主祭壇に施された、このモザイクで、こちらも6世紀からのもの。世界でも優れたビザンティン芸術の一つだとされている。

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />正面から。

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    正面から。

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />後陣上部のヴォールト(ドーム型丸屋根)は、聖母子のモザイクで装飾されている。(中央に)聖母子は天上の王座に座り、父なる神の象徴たる手の下にいる。これは、初期キリスト教の西方教会において唯一現存している聖母子の描写である。

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    後陣上部のヴォールト(ドーム型丸屋根)は、聖母子のモザイクで装飾されている。(中央に)聖母子は天上の王座に座り、父なる神の象徴たる手の下にいる。これは、初期キリスト教の西方教会において唯一現存している聖母子の描写である。

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />最上部に、Ego sum Lux vera(私は真の光である)という文の書かれた本を手にしているキリストが中央に、6人の使徒がそれぞれ彼の左右に描かれています。後陣上部のヴォールト(ドーム型丸屋根)には、中央に、聖母が王座に座り、キリストを膝に乗せて描いている複雑なシーンが含まれています。両脇には羽をもつ天使。頭に光輪を持っているものが天使もしくは聖人。左に、パレンティウムの教会の代表として、聖徒が3人が配置されています(名前が描かれている)。天使に近い位置にいる、そのうちの1人だけが頭の周りに光輪を持っています。この王冠と光輪のある人物は、このパレンティウム(現在のポレチ)の守護聖人である聖マウルスであり、神聖なキリストとマリアの前に、仲介者としての役割をしています。堂々とした顔、短いひげを生やした、紫のローブを着た人は、聖堂の模型を手にして聖母に向かって伸ばしているエフラシウス司教です。エウフラシウスの左横には、司教の次にランクされた助祭長クラウディウスが立っており、彼の立場を考えると、おそらく教会の建築技術と装飾を担当していました。クラウディウスとエウフラシウスの間に小さな子供が描かれ、大司教クラウディウスの息子であるエウフラシウスと描写されています。(公式HPより意訳)

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    最上部に、Ego sum Lux vera(私は真の光である)という文の書かれた本を手にしているキリストが中央に、6人の使徒がそれぞれ彼の左右に描かれています。後陣上部のヴォールト(ドーム型丸屋根)には、中央に、聖母が王座に座り、キリストを膝に乗せて描いている複雑なシーンが含まれています。両脇には羽をもつ天使。頭に光輪を持っているものが天使もしくは聖人。左に、パレンティウムの教会の代表として、聖徒が3人が配置されています(名前が描かれている)。天使に近い位置にいる、そのうちの1人だけが頭の周りに光輪を持っています。この王冠と光輪のある人物は、このパレンティウム(現在のポレチ)の守護聖人である聖マウルスであり、神聖なキリストとマリアの前に、仲介者としての役割をしています。堂々とした顔、短いひげを生やした、紫のローブを着た人は、聖堂の模型を手にして聖母に向かって伸ばしているエフラシウス司教です。エウフラシウスの左横には、司教の次にランクされた助祭長クラウディウスが立っており、彼の立場を考えると、おそらく教会の建築技術と装飾を担当していました。クラウディウスとエウフラシウスの間に小さな子供が描かれ、大司教クラウディウスの息子であるエウフラシウスと描写されています。(公式HPより意訳)

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />教会の模型を持っているのがエウフラシウス司教。右の王冠と頭に光輪をもつものが、この地の守護聖人、聖マウルス(SCS MAVRVS=MAURUS)。昔のラテン語は、現代のUの発音をVで書いていた。ちなみにWは、Vを重ねたものであり、また、その後、母音のVをU、子音をVと書くようになった。

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    教会の模型を持っているのがエウフラシウス司教。右の王冠と頭に光輪をもつものが、この地の守護聖人、聖マウルス(SCS MAVRVS=MAURUS)。昔のラテン語は、現代のUの発音をVで書いていた。ちなみにWは、Vを重ねたものであり、また、その後、母音のVをU、子音をVと書くようになった。

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />主祭壇のアーチの向こうに見えるのは、受胎告知のシーン。右側のマリアが見えないけど。天使(ガブリエル)が告知を暗示するように右手を上げ、左手は告知者(メッセンジャー)としてのシンボルである杖を持っている。

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    主祭壇のアーチの向こうに見えるのは、受胎告知のシーン。右側のマリアが見えないけど。天使(ガブリエル)が告知を暗示するように右手を上げ、左手は告知者(メッセンジャー)としてのシンボルである杖を持っている。

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />ちなみにこの主祭壇はサイズ的にはこの空間にぴったりだけど、実は中世後期のもの。表面に描かれているは、これも、受胎告知かな。(左が天使ガブリエル、右がマリア。)

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    ちなみにこの主祭壇はサイズ的にはこの空間にぴったりだけど、実は中世後期のもの。表面に描かれているは、これも、受胎告知かな。(左が天使ガブリエル、右がマリア。)

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />今の聖堂の床下約1メートル下には、5世紀の初期のエウフラシウス聖堂の床モザイクが残っているのが見える。この床は現在の教会の全領域の下に広がっています。 <br />古い床のモザイクが今日まで良好な状態で保存されているという事実は、実際にはそれらすべてが百年弱しか使用されておらず、その上に現在のエウフラシウス聖堂が建てられたために埋められていたためです。

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    今の聖堂の床下約1メートル下には、5世紀の初期のエウフラシウス聖堂の床モザイクが残っているのが見える。この床は現在の教会の全領域の下に広がっています。
    古い床のモザイクが今日まで良好な状態で保存されているという事実は、実際にはそれらすべてが百年弱しか使用されておらず、その上に現在のエウフラシウス聖堂が建てられたために埋められていたためです。

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />この部分の文字は読むことができる。

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    この部分の文字は読むことができる。

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />列柱が美しい。<br />この空間に自分しかいないと逆に緊張する。

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    列柱が美しい。
    この空間に自分しかいないと逆に緊張する。

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />(写真左手の)北のアーケード(アーチ部)では、元の漆喰の装飾が保存されています。それぞれのアーチは異なるモチーフで装飾されており、レリーフにはオリジナルの色の痕跡が見られます。(写真右手の)南側のアーチを含む、この壁は15世紀に再建されたため、漆喰は保存されていません。

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    (写真左手の)北のアーケード(アーチ部)では、元の漆喰の装飾が保存されています。それぞれのアーチは異なるモチーフで装飾されており、レリーフにはオリジナルの色の痕跡が見られます。(写真右手の)南側のアーチを含む、この壁は15世紀に再建されたため、漆喰は保存されていません。

  • エウフラシウス聖堂<br />Eufrazijeva bazilika<br /><br />こちらが聖堂の拡張を示した図面。上から、ローマ時代(北の港に繋がる道があった)、中段左が、初期礼拝堂(4世紀)、中段右が、初期エウフラシウス聖堂(5世紀)、左下が、エウフラシウス聖堂(6世紀)、右下がその後、初期礼拝堂がなくなった現在の状態に似たのもの(8-9世紀)。

    エウフラシウス聖堂
    Eufrazijeva bazilika

    こちらが聖堂の拡張を示した図面。上から、ローマ時代(北の港に繋がる道があった)、中段左が、初期礼拝堂(4世紀)、中段右が、初期エウフラシウス聖堂(5世紀)、左下が、エウフラシウス聖堂(6世紀)、右下がその後、初期礼拝堂がなくなった現在の状態に似たのもの(8-9世紀)。

  • 聖堂をでて、海の方へ歩きます。

    聖堂をでて、海の方へ歩きます。

  • アドリア海。水が綺麗。

    アドリア海。水が綺麗。

  • Neptune Temple<br />Neptunov Hram<br />ネプチューン神殿<br /><br />あまり、多くのものは残っていません。1世紀のもの。

    Neptune Temple
    Neptunov Hram
    ネプチューン神殿

    あまり、多くのものは残っていません。1世紀のもの。

  • Neptune Temple<br />Neptunov Hram<br />ネプチューン神殿

    Neptune Temple
    Neptunov Hram
    ネプチューン神殿

  • Neptune Temple<br />Neptunov Hram<br />ネプチューン神殿<br />

    Neptune Temple
    Neptunov Hram
    ネプチューン神殿

    ザ グレート テンプル アンド オブ ネプチューン (古代ローマ宮殿跡) 史跡・遺跡

  • Neptune Temple<br />Neptunov Hram<br />ネプチューン神殿

    Neptune Temple
    Neptunov Hram
    ネプチューン神殿

  • Neptune Temple<br />Neptunov Hram<br />ネプチューン神殿

    Neptune Temple
    Neptunov Hram
    ネプチューン神殿

  • 戻ります。

    戻ります。

  • この石造りの家は、、、アンテナが立っているので今も使われている?<br />ロマネスクハウス(The Romanesque House)の対面にある。<br />(おっと、ロマネスクハウスの写真を撮っていない。)

    この石造りの家は、、、アンテナが立っているので今も使われている?
    ロマネスクハウス(The Romanesque House)の対面にある。
    (おっと、ロマネスクハウスの写真を撮っていない。)

    ロマネスク ハウス 建造物

  • Torre Rotonda(カフェの名前)<br /><br />円形の見張り塔。今はカフェのようです。1474年。

    Torre Rotonda(カフェの名前)

    円形の見張り塔。今はカフェのようです。1474年。

    ラウンド タワー 史跡・遺跡

  • さて、季節外れだったせいか、観光客がいなく、ひっそりとした町でした。

    さて、季節外れだったせいか、観光客がいなく、ひっそりとした町でした。

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