2017/10/28 - 2017/11/05
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この旅行記のスケジュール
2017/10/29
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スロベニア・クロアチア2508kmドライブ③
2017年の秋、1週間の休みを取り、クロアチアまでドライブしたときのものです。少し古いので記憶を辿りながらの旅行記作成です。旅行は計画を立てているときが一番楽しいとも言われますが、なんの、振り返るのも楽しい。コロナで週一での買い物以外、公衆の場には外出しませんが(当方、ドイツ在住)、これもいい機会ととらえ、旅行記作成に勤しみます。
この旅行記は3日目、午前中をでプリトヴィツェ湖群国立公園の散策し、その後、世界遺産の町、スプリトへ移動。街歩き、アドリア海のクルーズを楽しみました。
結構、取捨選択して削除しましたが大量の写真で申し訳ない。
ここでクロアチアの世界遺産を以下にリストアップ。この旅行では、9つある世界遺産のうち、6つを周ります。
<文化遺産>
①ドゥブロヴニク旧市街 - (1979年、1994年拡大)
②ディオクレティアヌス宮殿があるスプリトの歴史的建造物群 - (1979年)
③ポレッチ歴史地区にあるエウフラシウス聖堂の司教建造物群 - (1997年)
④古都トロギル - (1997年)
⑤シベニクの聖ヤコブ大聖堂 - (2000年)
⑥スタリー・グラード平原 - (2008年)
⑦中世墓碑ステチュツィの残る墓所群(ほか3か国と共有)- (2016年)
⑧16世紀から17世紀のヴェネツィアの防衛施設群:スタート・ダ・テッラと西スタート・ダ・マール - (2017年)
<自然遺産>
⑨プリトヴィツェ湖群国立公園 - (1979年、2000年拡大)
<日程>
10/28 ①ブレッド湖 Blejsko jezero (Lake Bled)
10/29 ②プリトヴィツェ湖群国立公園 Plitvička jezera
10/30 ③スプリト Split
10/31 ④ドゥブロヴニク Dubrovnik
11/ 1 ⑤ドゥブロヴニク Dubrovnik
11/ 2 ⑥シベニク Šibenik
11/ 2 ⑦トロギルTrogir
11/ 3 ⑧プーラ Pula
11/ 4 ⑨ポレチ Poreč
11/ 5 ⑩ポストイナ Postojna
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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さて、プリトヴィツェ湖群国立公園 Plitvička jezeraを後にして、次の目的地、スプリトSplitまで走ります。景色はドライブにちょうどいい。走っている車もほとんどいない。
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左にザグレブZagrebと右にザダルZadar。すごい大雑把な標識。2つの町は凡そ280km離れているが、たとえるなら、熊本あたりで左にいくと博多、右にいくと鹿児島とだけ方角だけ示している標識。
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プリトヴィツェ湖群国立公園から高度が下がった為か、紅葉はまだっぽい。
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この辺は色付いている。この後、クロアチアを南北に縦断している高速道路に乗る。
Gornja Ploča料金所(Naplatna postaja Gornja Ploča) -
山越えをしたあと、右手にアドリア海が見えてきた。もう少しでザダルZadarを通過。
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写真は山側からアドリア海に向かって下っていく感じ。この後、高速道路は、ザダルの手前で大きく左折し南下します。その後、スプリトSplitの最寄りの料金所、Dugopolje料金所(Naplatna postaja Dugopolje)で高速道路をおり、さらに、幹線道路でスプリトの街中まで走ります。新しい路面で、交通量も多くなく、走っていて気持ちのいい高速道路でした。速度制限は130km/hですが、今の車の状態では110km/hが精いっぱいです。
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スプリトでの宿泊場所、アパートメントです。キッチンや洗濯機もついています(使いませんが)
スプリトの街中まで、少し距離がありますが、安いですよ。車を停めるのにやや苦労した(基本は路駐)。
Apartments Veky 3
Vidilica ul. 17, 21000, Split, クロアチア -
これがアパートの入り口の写真。
さて、いつも通り、午後から散策開始。
いつものパターン→真昼に移動し、暗くなる前にチェックインして散策。翌日午前中も散策。チェックアウトだけして車はホテルに置いておく。 -
Gregory of Nin
Grgur Ninski
グングール・ニンスキの像
高台にあるアパートメントから約10分、坂道を降りて行って、スプリトの城壁の北側の入り口(金の門)にある鐘楼とこの像。もともと、この像は1929年9月にディオクレティアヌス宮殿のペリスタイル広場に建てられた後、1941年、この像はイタリアの占領軍によって都市の外に移動されました。グルグール ニンスキの像 モニュメント・記念碑
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Gregory of Nin
Grgur Ninski
グングール・ニンスキの像
皆が触るので左足の親指がピカピカ。
触ると幸福になるとの言い伝えです。 -
Gregory of Nin
Grgur Ninski
グングール・ニンスキの像
ポーズが格好いいな。ニンはサダル北方の町の名前で、初代クロアチア王国の王宮があったところ。
(ニンの)グルグール司教は10世紀に実在した人物で、歴史編纂によると、それまでローマ教会(カトリック)の管轄のもと、ミサなどの宗教儀式は、ラテン語のみで行われてり、ほとんど人民に理解されていなかったが、彼は、926年の宗教会議のあと、クロアチア語(スラヴ語)を導入し、クロアチア王国にキリスト教を根付かせた重要な人物。 -
Gregory of Nin
Grgur Ninski
グングール・ニンスキの像
(続き)チェコの大モラヴィア王国のロスティラフが、東フランク王国(カトリック)に対抗して、ビザンツ帝国に正教会の主教の派遣を依頼したが、代わりにスラヴ語の古代文字、グラゴル文字を考案したキュリロスとその兄メソディオスが派遣された。彼らの布教活動はロスティラフが勢力争いに敗れたため、失敗に終わり、彼らは帰途につくが、メソディオスがシルミウム(今のセルビアにある中世の都市)の大司教になったことからクロアチアにスラヴ語典礼が普及する要因となった。
現在スラヴ圏で広く用いられているキリル文字(その名称はキュリロスにちなむ)は、キュリロスの弟子らがグラゴル文字を改良して作ったものだとされ、グラゴル文字とはほぼ一対一で対応している。グラゴル文字は、正教会の勢力圏では間もなくキリル文字に取って代わられたが、カトリック圏に属するクロアチアに伝わり、クロアチア語の表記に近代まで一部で用いられた。クロアチアのグラゴル文字は角張った独特の形状を持ち、主に沿岸部で使われた。
参考)大モラヴィア王国
チェコ周遊⑤ オロモウツ(Olomouc)
https://4travel.jp/travelogue/11539275 -
Golden Gate
Zlatna vrata - ulaz u Dioklecijanovu Palaču
金の門
ここから先が、ディオクレティアヌス宮殿。宮殿は高さ20mの壁で囲まれており、南北が約215m、東西に約180mの長方形をしている。北の門は、「金の門(Zlanta vrata)」と呼ばれており、同じように、東が「銀の門(Srebrna vrata)」、港に面した南は、「青銅の門(Mjedena vrata)」、西は「鉄の門(Zeljezna vrata)」と呼ばれている。(昔、南側の壁はそのまま海に面しており、「青銅の門」は他の門に比べ、海に行くときの勝手口みたいな規模の小さいもの。)金の門 城・宮殿
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Golden Gate
Zlatna vrata - ulaz u Dioklecijanovu Palaču
金の門
ディオクレティアヌス宮殿とスプリトの歴史。
Diocletian's Palace
Dioklecijanovu Palaču
瀕死の病にかかったローマ皇帝ディオクレティアヌス(在位:284年-305年)は、故郷の近くに隠居用の宮殿を建てるよう命じ、故郷ディオクレア(サロナ近郊)にほど近い、海辺の町スパラトゥムを建設の地に選び、293年に始まった。そして、305年に自発的に政治から引退して、宮殿での隠居生活を6年送り、死去した。宮殿は軍事要塞のようでもある。
476年に西ローマ帝国が滅亡すると、スパラトゥムは東ローマ皇帝の支配下に置かれた。スパラトゥムは、次第に遙かに大きなサロナの衛星都市のようになっていった。しかし、639年頃にサロナがアヴァール人とスラヴ人の侵攻で略奪されると、住処を失った市民の大多数が近郊のアドリア海諸島へ逃れた。その後、東ローマ支配が地域で復活するにつれ、ローマ市民は大セヴェルスと呼ばれる貴族の主導のもと、本土へ戻った。彼らはサロナではなく、この海岸沿いの強固な要塞状のスパラトゥムにあるディオクレティアヌス宮殿に住むことを選択した。この時まで宮殿は長く打ち捨てられていたが、建造物内部はサロナからの避難民によって、新しい属州の首都として以前より大きな都市に改造された。 -
Golden Gate
Zlatna vrata - ulaz u Dioklecijanovu Palaču
金の門(内門)
(つづき)南スラヴ人(多くがクロアチア人)が7世紀にスパラトゥム一帯へ移住してきた。後背地とアドリア海諸島は数でクロアチア人が優勢になり、彼らはかつてのローマ都市にも影響を及ぼし始めた。初期の中世クロアチア国家(のちにクロアチア王国へと発展する)は、シベニクのような近隣の沿岸都市にまず建国され、そして後背地の大多数のクロアチア人国家に取り巻かれた。数世紀に渡りスパラトゥムはますますクロアチアの特徴を増し、市内のローマ人人口は、次第に周辺のクロアチア人と混ざり合うようになった。
アドリア海北部の海洋貿易で財を成していったヴェネツィア共和国がこのダルマチア地方に影響を及ぼし始めたのは、10世紀からであった。彼らは成長する経済力をもとに沿岸諸島や沿岸都市を次々と獲得していった。数十年の間にスプリトも、同時にクロアチア国家とハンガリー国家が衰えたために、ヴェネツィアの影響下に入ることになる。
東ローマ帝国が衰退したことから、クロアチア王国が事実上のスプリトの宗主国となり、国家の封建的特性のため顕著な自治権を授けられた。1102年、クロアチア王国はハンガリー王カールマーン1世によって、ハンガリー王国との同君連合を強いられたが、しスプリトは高度な自治を保ち続け、市独自の通貨と同様に特権を授けられた。
15世紀初頭、神聖ローマ皇帝ジギスムントとナポリ王家であるアンジュー家との間のハンガリー内戦が20年続く間、勢いを失ったラディズラーオ1世(ナポリ王、ハンガリー王)はダルマチアにおける自身の権利を、ほんの100,000ダカットでヴェネツィア共和国へ売り渡し、中央集権化したヴェネツィア共和国がスプリトを掌握、その後、1797年のカンポ・フォルミオ条約でヴェネツィアが没落するまで支配を受けた。377年続いた。当時の人口はスラヴ語に属するクロアチア語話者が多かったが、公用語はイタリア語であり、スプリトの自治権は減らされた。最高権力者は常にヴェネツィア生まれの人間が務めた。
※この間、クロアチア全体(内陸)でみると、オスマン帝国にほとんどの領土を奪われ、オーストリアのハプスブルグ帝国と手を組むことでかろうじて支配されながらも維持していた。(オスマン帝国の進出;1453年にコンスタンティノープルを占領、ビザンツ帝国が滅亡。1526年ハンガリーを征服(モハーチの戦い)。1529年のウィーン包囲。)
その後、スプリトは、短期間のナポレオン支配の後(1806年-1813年)、ウィーン会議によってスプリトはオーストリア帝国に割り当てられた。そして、近世になっても、クロアチアが20世紀後半にユーゴスラビアから独立をするまで混乱と支配の歴史は続く。 -
金の門をくぐり、そのまま狭い路地をまっすぐ進むと、宮殿の中心部のペリスティル広場(Peristil)にたどり着きます。この辺りは、宮殿の北側であり、昔は兵舎があったところ。
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ディオクレティオヌス宮殿(Diocletian's Palace)の中心、ペリスティル広場(Peristil)。このあたりが、皇帝の私邸だったところ。
ペリスティルとは列柱のこと。コリント式の列柱が広場の東西に12本ずつ建ち並び、古代ローマ時代にタイムスリップしたかのような建造物に囲まれた広場です。
左手に昔はディオクレティオヌスの霊廟だった、聖ドムニウス大聖堂(Katedrala Sv. Dujma)とその鐘楼。正面が、地下宮殿に続く。右手には、昔は、ユピテル神殿(ジュピターの神殿)、今は洗礼室がある。
広場に中央に古代ローマの恰好をした騎士がいる。観光地のどこにでもいる近寄ってはいけない輩。(写真を一緒にとるとお金を請求されるやつ。)ペリスティル 広場・公園
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聖ドムニウス大聖堂
Katedrala Sv. Dujma
今日、ディオクレティオヌス宮殿はスプリト市の内核として存在しており、今も商店や市場・広場、住宅があり市民が暮らしている。 -
聖ドムニウス大聖堂
Katedrala Sv. Dujma
鐘楼。ここからの眺めは良さそう。もちろん、登ります。 -
ペリスティル広場(Peristil)の南側。
上が前庭(Vestibul、ヴェスティブル)、下が地下宮殿(Podrumi、ポドゥルミ)への入り口。 -
聖ドムニウス大聖堂の鐘楼
Katedrala Sv. Dujma -
聖ドムニウス大聖堂の鐘楼
Katedrala Sv. Dujma
南側の景色。ここから時計まわりに景色を紹介。 -
聖ドムニウス大聖堂の鐘楼
Katedrala Sv. Dujma
城壁の南側には、リヴァ(Riva)と呼ばれる海岸線の遊歩道があります。やしの木がみえるところです。明るくひらけた通りにたくさんのカフェテラスが並んでいます。 -
聖ドムニウス大聖堂の鐘楼
Katedrala Sv. Dujma
西側。右手に見える小高い丘、マルヤンの丘と呼ばれる森林公園(Marjan Forest Park、Park Šuma Marjan)があります。 -
聖ドムニウス大聖堂の鐘楼
Katedrala Sv. Dujma
同じ西側。オレンジ色の屋根が集まっています。 -
聖ドムニウス大聖堂の鐘楼
Katedrala Sv. Dujma
北西方向。 -
聖ドムニウス大聖堂の鐘楼
Katedrala Sv. Dujma
北側。教会の鐘楼が見える辺りが北の「金の門」があるところです。 -
聖ドムニウス大聖堂の鐘楼
Katedrala Sv. Dujma
北東側。下に見えるのが、東の「銀の門」。宮殿の壁のすぐ外では市場が開かれています。 -
聖ドムニウス大聖堂の鐘楼
Katedrala Sv. Dujma
鐘楼を降ります。一応、手すりと柵はあるものの、開放感があるので、高所恐怖症の人は苦手かも。 -
聖ドムニウス大聖堂
Katedrala Sv. Dujma
さて、大聖堂の中に入ります。ディオクレティアヌス帝はキリスト教を弾圧した皇帝でも知られていますが、皮肉にも、その彼の霊廟は、中世に住み着いたクロアチア人により、スプリトの町の守護聖人、聖ドムニウス(ドゥイェ)を祭るキリスト教のロマネスク様式の大聖堂に作り替えられてしまった。
写真は大聖堂の入り口の扉。イエス・キリストの生涯が彫刻されている。聖ドムニウス大聖堂 寺院・教会
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聖ドムニウス大聖堂
Katedrala Sv. Dujma
建設当初はディオグレティアヌス皇帝が自分自身の霊廟として建てたもので、実際に皇帝の没後はこの大聖堂に埋葬されたが、彼の死後、生前キリスト教徒を弾圧していたディオグレティアヌス皇帝の迫害によって殉教した司教ドムニウスの棺と祭壇が置かれることなった。 -
聖ドムニウス大聖堂
Katedrala Sv. Dujma
写真は天井のドーム。昔はモザイクで装飾されていたそうです。 -
聖ドムニウス大聖堂
Katedrala Sv. Dujma -
聖ドムニウス大聖堂
Katedrala Sv. Dujma
レリーフ。柱のレリーフも含めて、古代のもの。 -
聖ドムニウス大聖堂
Katedrala Sv. Dujma
金で見事にまで装飾された主祭壇。バロック式(つまり中世のもの)。向こう側にスペース(聖歌隊席?)があります。 -
聖ドムニウス大聖堂
Katedrala Sv. Dujma
主祭壇。 -
聖ドムニウス大聖堂
Katedrala Sv. Dujma -
聖ドムニウス大聖堂
Katedrala Sv. Dujma -
聖ドムニウス大聖堂
Katedrala Sv. Dujma -
聖ドムニウス大聖堂
Katedrala Sv. Dujma -
聖ドムニウス大聖堂
Katedrala Sv. Dujma -
聖ドムニウス大聖堂
Katedrala Sv. Dujma -
聖ドムニウス大聖堂
Katedrala Sv. Dujma -
聖ドムニウス大聖堂
Katedrala Sv. Dujma -
聖ドムニウス大聖堂
Katedrala Sv. Dujma
説教台 -
聖ドムニウス大聖堂
Katedrala Sv. Dujma -
聖ドムニウス大聖堂
Katedrala Sv. Dujma
大聖堂をでたところにある列柱に刻まれたレリーフ。うーん、何かかわいい。 -
聖ドムニウス大聖堂
Katedrala Sv. Dujma -
聖ドムニウス大聖堂
Katedrala Sv. Dujma -
聖ドムニウス大聖堂
Katedrala Sv. Dujma
大聖堂の裏手。 -
聖ドムニウス大聖堂
Katedrala Sv. Dujma
鐘楼の横にスフィンクスが飾られているのでお見逃しなく。エジプトから持ち帰ったものらしい。 -
前庭(Vestibul、ヴェスティブル)
地下宮殿へいく階段の上にはこの前庭(Vestibul)につながる入り口がある。
ここはいわば、宮殿の時代では、玄関だったところ。前庭 城・宮殿
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前庭(Vestibul、ヴェスティブル)
上がぽっかりと開いている。ここも昔はドームがあり、モザイクで装飾されていたんだろうな。壁にくぼみがあり、おそらく、彫像が置かれていた。 -
前庭(Vestibul、ヴェスティブル)
どうやら、音響効果がいいものだから、CD販売を兼ねてコンサートをやっているみたい。 -
ペリスティル広場(Peristil)
さて、西側のユピテル神殿(ジュピター神殿)、洗礼室へ向かいます。
写真では左手。 -
Jupiter's Temple
Jupiterov Hram / Krstionica Sv. Ivana
ユピテル神殿(ジュピター神殿)、中世以降は(聖ヨハネの)洗礼室。
写真は入り口。ディオクレティアヌス帝が自分自身の父として称えていたといわれるローマ神話の最高神であるジュピターを祀る神殿であったものを後から住み着いた住民によって洗礼室に替えられた。神殿の名残は入り口や天井の見事な彫刻に見られる。ところで、スラヴ語の男性名イヴァンはヨハネに相当する名前。英語ではジョン。フランス語ではジャン。ドイツ語では、ヨハネス、もしくは短くしてヨハン、ハンス。スペインではファン。チェコやポーランドではヤン。。。
どれも、すごく、ごくありふれた名前ですが、いずれもヨハネに由来しています。聖イヴァン洗礼堂 寺院・教会
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Jupiter's Temple
Jupiterov Hram / Krstionica Sv. Ivana
ユピテル神殿(ジュピター神殿)、中世以降は(聖ヨハネの)洗礼室。
入り口。上部。
ユーピテル(ラテン語)はローマ神話での主神。のちに、ギリシャ神話のゼウスと同一視される。実際、ともに古いインド・ヨーロッパ語系神話の天空神に起源を有する。『リグ・ヴェーダ』のディヤウスや北欧神話のテュールとも起源を同じくするとされている。日本語では長母音を省略してユピテルとも呼ばれ、英語読みのジュピターでも呼ばれている。ディオクレティアヌス皇帝は国への帰属心が薄れつつあることを危惧し、皇帝権力の強化と愛国心の定着を図るため、自らをユーピテルの子であると宣言、皇帝礼拝と合わせ民衆にローマの神々を礼拝することも義務づけた。(Wikiより) -
Jupiter's Temple
Jupiterov Hram / Krstionica Sv. Ivana
ユピテル神殿(ジュピター神殿)、中世以降は(聖ヨハネの)洗礼室。 -
Jupiter's Temple
Jupiterov Hram / Krstionica Sv. Ivana
ユピテル神殿(ジュピター神殿)、中世以降は(聖ヨハネの)洗礼室。
彫刻が素晴らしい。4世紀のもの。 -
Jupiter's Temple
Jupiterov Hram / Krstionica Sv. Ivana
ユピテル神殿(ジュピター神殿)、中世以降は(聖ヨハネの)洗礼室。 -
Jupiter's Temple
Jupiterov Hram / Krstionica Sv. Ivana
ユピテル神殿(ジュピター神殿)、中世以降は(聖ヨハネの)洗礼室。
ところで余談ですが、このユピテル神殿の左横に、「世界で最も狭いストリートのひとつ」と言われる通りが存在します。その名も、“通らせてくれ(Pusti me da prodjem)通り”(Street Let Me Pass)。※写真はありません。グーグルマップの写真はどれも間違い(位置はあっているのに)。Tripadviserの方が多く、ここの写真が掲載されている。 -
Jupiter's Temple
Jupiterov Hram / Krstionica Sv. Ivana
ユピテル神殿(ジュピター神殿)、中世以降は(聖ヨハネの)洗礼室。
中に入ります。奥にあるのが聖ヨハネ像。 -
Jupiter's Temple
Jupiterov Hram / Krstionica Sv. Ivana
ユピテル神殿(ジュピター神殿)、中世以降は(聖ヨハネの)洗礼室。
中に置かれているのはキリスト教関係で中世のもの。中央に置かれているのは、洗礼盤。 -
Jupiter's Temple
Jupiterov Hram / Krstionica Sv. Ivana
ユピテル神殿(ジュピター神殿)、中世以降は(聖ヨハネの)洗礼室。
中世クロアチア王国(925-1102年)の国王が刻まれている。クレシミル4世(在位:1058?1074年)、もしくは、その後継者、ズヴォニミル(在位:1075-1089年)とされている。 -
Jupiter's Temple
Jupiterov Hram / Krstionica Sv. Ivana
ユピテル神殿(ジュピター神殿)、中世以降は(聖ヨハネの)洗礼室。
クロアチアの有名な彫刻家イヴァン・メシュトロヴィッチ作。
(作ったのも、イヴァンか。) -
Jupiter's Temple
Jupiterov Hram / Krstionica Sv. Ivana
ユピテル神殿(ジュピター神殿)、中世以降は(聖ヨハネの)洗礼室。 -
Jupiter's Temple
Jupiterov Hram / Krstionica Sv. Ivana
ユピテル神殿(ジュピター神殿)、中世以降は(聖ヨハネの)洗礼室。 -
Jupiter's Temple
Jupiterov Hram / Krstionica Sv. Ivana
ユピテル神殿(ジュピター神殿)、中世以降は(聖ヨハネの)洗礼室。 -
Jupiter's Temple
Jupiterov Hram / Krstionica Sv. Ivana
ユピテル神殿(ジュピター神殿)、中世以降は(聖ヨハネの)洗礼室。 -
Jupiter's Temple
Jupiterov Hram / Krstionica Sv. Ivana
ユピテル神殿(ジュピター神殿)、中世以降は(聖ヨハネの)洗礼室。
司祭の棺が2つ置かれている。 -
Jupiter's Temple
Jupiterov Hram / Krstionica Sv. Ivana
ユピテル神殿(ジュピター神殿)、中世以降は(聖ヨハネの)洗礼室。 -
さて、ユピテル神殿を後に再び、ペリスティル広場(Peristil)へ。
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聖ドムニウス大聖堂
Katedrala Sv. Dujma
ペリスティル広場(Peristil)に戻ってきました。 -
上が前庭(Vestibul、ヴェスティブル)、下が地下宮殿(Podrumi、ポドゥルミ)への入り口。
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Diocletian's Palace - cellars
Dioklecijanova Palača - podrumi
地下宮殿 -
Diocletian's Palace - cellars
Dioklecijanova Palača - podrumi
地下宮殿
ディオクレティアヌス宮殿には「地下宮殿」と呼ばれる広大なスペースがあり、かつてはワインやオリーブオイル作りが行われたり、倉庫として利用されたりしていました。現在では土産物店が並ぶショッピングエリアとなっています。また、地中に埋もれていたために保存状態がとても良く、地下の一部は見学スペースになっており、ローマ時代のものが展示されています。
興味はあまりないので、向こう側に抜けます。 -
「リヴァ」と呼ばれる海岸通りの遊歩道。いままでの宮殿内の狭い路地や地下宮殿からでると開放感に溢れます。とりあえず、ぶらぶらしていると、サンセットクルーズの勧誘が。もうすぐ出航とのことで、乗り込みます。
ワンドリンク付きで、90分20ユーロ。(ユーロで払えることも良かった。) -
アドリア海のサンセットクルーズ
えーと、皆さん、カップルのようで。。。
独り身はやや気まずい。写真撮影に専念。
航路は写真のGPSの位置情報のあるマップで見て下さい。 -
アドリア海のサンセットクルーズ
人生初のアドリア海へ。 -
アドリア海のサンセットクルーズ
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アドリア海のサンセットクルーズ
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アドリア海のサンセットクルーズ
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アドリア海のサンセットクルーズ
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アドリア海のサンセットクルーズ
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アドリア海のサンセットクルーズ
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アドリア海のサンセットクルーズ
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アドリア海のサンセットクルーズ
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アドリア海のサンセットクルーズ
雲がやや多いが、サンセットが綺麗。 -
アドリア海のサンセットクルーズ
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アドリア海のサンセットクルーズ
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アドリア海のサンセットクルーズ
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アドリア海のサンセットクルーズ
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アドリア海のサンセットクルーズ
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アドリア海のサンセットクルーズ
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アドリア海のサンセットクルーズ
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アドリア海のサンセットクルーズ
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アドリア海のサンセットクルーズ
Vila Dalmacija
広大な森林地帯に1914年に建てられたヴィラ。パルティザン(人民解放軍)のチトーが住んでいたらしい。 -
アドリア海のサンセットクルーズ
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アドリア海のサンセットクルーズ
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アドリア海のサンセットクルーズ
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アドリア海のサンセットクルーズ
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アドリア海のサンセットクルーズ
海上からのスプリト。夕陽に照らさて綺麗。一旦、スプリトを通り過ぎます。 -
アドリア海のサンセットクルーズ
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アドリア海のサンセットクルーズ
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アドリア海のサンセットクルーズ
スプリトに戻ってきました。
あたりはすっかり暗くなり、街の光が海面に反射しています。
ロマンチックだなあ。 -
アドリア海のサンセットクルーズ
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アドリア海のサンセットクルーズ
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アドリア海のサンセットクルーズ
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さて、戻ってきました。
晩飯を食べるところを探します。 -
The bell tower under the clock
Zvonik Ispod ure
この辺りは広場になっている。時計塔が緑色にライトアップされている。
今は、観光シーズンから外れているので、それほど人は多くない。さて、何を食べるか・・・ -
The bell tower under the clock
Zvonik Ispod ure -
Corto Maltese Freestyle food
Obrov ul. 7, 21000, Split, クロアチア
結局、見た目の印象でここに。ここがマルタ料理とは理解していなかった。といってもフリースタイルなので、どちらかというと地中海料理かな。うさぎもなかったし。
"Beer doesn't make you fat. It makes you lean... against bars, tables, chairs, walls..." -
Corto Maltese Freestyle food
店内の様子。壁は漫画の切り抜きで飾られている。 -
Corto Maltese Freestyle food
フードメニューのサラダ部門。どれも名前を凝らしているのだが、前菜に一番上のタコサラダを戴くことに。まさか、女性の店員がオーダーを取りに来るとは。こちらは注文するのがやや恥ずかしいが、女性店員は慣れているのか、普通に復唱。。。 -
Corto Maltese Freestyle food
ビールは、地元スプリトのクラフトビールLAB SplitのBARBAのペールエール(5.2% ALC)を戴く。 -
Corto Maltese Freestyle food
メニュー。 -
Corto Maltese Freestyle food
Octopussy007...タコサラダです。何故、片側に寄せてある? -
Corto Maltese Freestyle food
メインはシーフードパスタを。思っていたのと違い、スープスパゲティっぽい。 -
Corto Maltese Freestyle food
ここはカクテルもあり、Mojitoを注文。ガラス瓶をグラスに代用。 -
Corto Maltese Freestyle food
Optimist(楽観主義者)の説明が書いてある。 -
夕食後、暫くまちをぶらぶら。
宮殿の西側にあるマルモントヴァ通り(Marmontova ulica)と呼ばれるショッピングストリート。道路がつるつる。 -
町をぶらぶら。昔の砦の跡。
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聖ドムニウス大聖堂(Katedrala Sv. Dujma)の鐘楼がライトアップされている。
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夜のペリスティル広場(Peristil)と聖ドムニウス大聖堂(Katedrala Sv. Dujma)の鐘楼。
昼間と打って変わって、人の気配がありません。 -
夜のペリスティル広場(Peristil)と聖ドムニウス大聖堂(Katedrala Sv. Dujma)の鐘楼。
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Silver Gate
Srebrena Vrata
銀の門
さてアパートメントに戻ります。銀の門 建造物
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翌朝、チェックアウトし、荷物を車に詰め込み、出発前に名残惜しくスプリトの町へ繰り出す。
スプリトの東に位置するクロアチア海洋博物館の高台からの眺め。 -
聖ドムニウス大聖堂(Katedrala Sv. Dujma)の鐘楼のアップ。
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銀の門付近の朝市。いろんなものを売っているので、ついつい見てしまいます。
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重石を使った量り売りをしてる。。。
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珍しいという訳でもないけど、とりあえず、久しぶりに見たので。
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リヴァ(Riva)
海岸線の遊歩道を散歩しようとやってきました。 -
リヴァ(Riva)
海岸線の遊歩道を散歩。
ヤシの木が南国気分を高めます。青空に映える。 -
昔の宮殿の様子のイラストを発見。これはイメージが付きやすい。
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リヴァ(Riva)
海岸線の遊歩道を散歩。 -
リヴァ(Riva)
海岸線の遊歩道を散歩。 -
Trg Republike - Prokurative
共和国広場Prokurative広場 広場・公園
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The church and monastery of St. Frane, Split
Crkva i samostan sv. Frane, Split
西の端まで来てしまいましたので、街の中を通って戻ります。 -
紹介遅れたが、ここが、西の門、「鉄の門」Željezna vrata
時計塔の右下の門がそれ。 -
聖ドムニウス大聖堂(Katedrala Sv. Dujma)の鐘楼。
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かわいい礼拝堂。
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最後にグレゴリー司祭に会ってから、いよいよ、もうひとつのクロアチアの名観光地ドゥブロヴニク Dubrovnikに向けて出発。
グルグール ニンスキの像 モニュメント・記念碑
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この旅行記へのコメント (1)
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- kiju-jiさん 2020/05/06 09:00:38
- something like thatさん。こんにちは。kiju-jiと云います。
- すばらしい旅行記。解説がすばらしく勉強になりました。私が初めて書いたブログが恥ずかしいです。ブレッドの旅行記にコメントを書きましたが早速のご返事ありがとうございました。ユリアンアルプスとカラヴァンケの呼び方の違いを詳しく知ることができました。有難うございました。私が入ることが出来なかった大聖堂の中や鐘楼を詳しく知ることができました。私が泊まったホテルは新市街?で夜のスプリトの街歩きも出来ませんでした。残りの旅行記を楽しみに読ませていただきます。私の旅行の前にあなたの旅行記を読まなかったことが本当に残念でした。重ねてどうも有難う。では失礼します。
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