2017/09/07 - 2017/09/12
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あるさん
コロナで2020年は海外旅行も行けなそうですので、2017年に行って記事にしていなかった、中国旅行を振り返りたいと思います!西安敦煌の旅の記録です。
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2017年の夏休みは、男二人旅で中国旅行に行きました。飛行機は大韓航空で、仁川国際空港経由で西安往復49400円でした。9月7日の酷暑の中、旅のスタートです!
2:00羽田発
4:30仁川国際空港着
9:15仁川国際空港発
11:30西安咸陽国際空港着
大韓航空を選んだのは、韓国に立ち寄ってみたいという理由だけですね笑 結果、2018年の韓国旅につながりました。 写真は西安咸陽国際空港です。新しくてきれいな空港という印象でした。 -
空港から西安城内にはバスで移動しました。この時15時頃なので、片道1時間ちょっとというところですね。
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歩いていると猫の足跡発見です!ポーランド旅でもそうでしたが、やはりやわいアスファルトには万国共通で猫が通るようです笑
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16時ホテル着です。今回の宿は「鐘楼飯店」という、城内ど真ん中に位置する、多分西安旅行ど定番のホテルです。写真は部屋からの景色ですが、街のシンボルの鐘楼がしっかり見え、最高のロケーションです。
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16時30分、ホテルで一息ついた後、大雁塔に行くことにしました。写真はその道中に撮影した城壁と城壁沿いをぐるりと囲む水堀です。
大雁塔の入場は17時40分でしたので、まあ歩いて大雁塔を目指しつつ、タクシーがきたら乗ろうという甘い考えで我々は出発したのです…。が、歩けど歩けど空車のタクシーは通りません。後で知りましたが、西安はタクシー需要が多く流しを捕まえるのが難しいそうです。
そんなことを知らない我々は、次第に焦り始め、走ることを決めました。初めての中国に着いてまだ数時間。汗だくで全速力で知らない西安の町を駆け抜けました。そして17時40分ジャスト…大雁塔の入場券売り場に滑り込みで到着することができました笑 -
こちらが大雁塔です。日本では西遊記でお馴染みの玄奘が、インドから持ち帰った経典などを保存するために、652年に建立されました。建立当初は5層だったものが、明代に現在の姿に修復をされたそうで、世界遺産に登録されています。
この大雁塔は慈恩寺という寺の中にあり、慈恩寺自体は648年、唐の高宗により建立されました。
ちなみに近くにこちらも世界遺産の小雁塔というものがあり、「南海寄帰内法伝」を著した義浄が経典などを納めたそうです。 -
大雁塔の内部です。こんな感じで階段で上まで登っていくことができます。
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頂上からの景色です。素晴らしい眺めです。
が、全速力で走り、ぎりぎり入場に間に合ったという事実に完全に燃え尽きていたようで、この辺の記憶はほとんどありません笑 -
夕陽にも映えますね。「西域をゆく」という本で、井上靖は中国はレンガの塔、韓国は石の塔、日本は木造の塔が似合うと言っています。
中国の大雁塔、韓国仏国寺の石塔、法隆寺の五重塔を実際に見ると、東アジアのそれぞれの塔の魅力を感じます。 -
塔は高さが64メートルもあり、慈恩寺のどこにいてもすぐに分かります。慈恩寺は大雁塔以外にも多くの建物があり、本当はゆっくり1~2時間はかけてまわるべきお寺だと感じました。
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慈恩寺の前には玄奘三蔵の像が建っており、写真スポットになっていました。
ちなみに三蔵というのは、経、律、論という3つの仏教聖典を指し、それに精通したお坊さん=三蔵法師=玄奘 ということだそうです。玄奘は持ち帰った経典の翻訳を、長安のこの地で、死ぬまでに75部1300巻余り行いました。 -
夕焼け空と玄奘。
走って本当によかったです笑 -
西安城内に戻ってきました。夕ご飯を探しに、夜の西安散策に出発です。
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夜の街は観光客で溢れていました。少なくとも中心地は、危険な雰囲気はありません。
奥に見えるのは鼓楼で、明の時代に建てられました。名前そのままですが、中には太鼓があり、かつては音で時刻を知らせる役割ももっていたそうです。 -
鐘楼付近の界隈は、観光客向けに本当に多くのお店があります。写真の怪しいぎらぎらした雰囲気も、異世界にきた感じでいいですね!
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夕ご飯は、「徳発長」というお店に決めました。色々な観光サイトで紹介されている、餃子が有名なお店です。
我々は、色々な種類の餃子が食べれるコースを選びました。結果は…正直微妙だったかな、と思います。確かに色々な餃子が食べれますが、(くるみ入りとか、青菜の餃子とか)やはり美味しかったのはスタンダードなお肉の餃子でした。普通の餃子は食べ飽きた、という人にはいいかもしれません。 -
お腹も満腹で、ほろ酔いで、贅沢な食後のお散歩です。
この日は幸運にも満月でした。月と鐘楼がベストマッチでした。 -
鐘楼も鼓楼も、ライトアップされていました。こちらの鐘楼も、明代に建てられたそうです。
城壁も大雁塔も鼓楼も鐘楼も、明代に創建または手が加えられたものが現在に残っているんですね。洪武帝は明国を建国した後、自分の子供達を各国の王に封じることで、地方への支配を強めていく政策をとりました。次男の朱樉は秦王(西安)、三男の朱棡は晋王(太原)、四男の朱棣(後の3代皇帝永楽帝)は燕王(北平)に封じています。
ここからは推測ですが、やはり次男を封じるくらいですので、西安は各都市の中でも特に重要視されていたのでしょう。漢族の古都を復興するというのは、異民族元を駆逐した明にとって民族的意味もあったかもしれません。そこで文化的かつ防御に優れた都市にすべく注力された産物が、現代に残っているのではないかと思います。また、逆に征服王朝の清代には、漢族のかつての文化的事績を復興する動きは、少なくとも西安では鈍かった、ということも言えるかもしれません。 -
充実した一日でしたー!24時頃、疲れ果てて就寝です。
明日は兵馬俑と華山にいきます!
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旅行記グループ 2017中国の旅〜西安、敦煌〜
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