2020/05/01 - 2020/05/01
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motogenさん
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車を停めた場所近くに戻って来た。
手前に大きな鳥居が立っている。
コンクリートの鳥居だ。
石柱には『神道修成派大元祠』の文字。
こんな大きな神社が、昔からここにあったんだろうか?
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
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新興宗教のたぐいかな?
そっと足を入れてみると、
奥に大きな本殿と社務所が建っていた。 -
建物は変に威圧的で冷たく、この森にはぞぐわない現代工法の建物だ。
しかし、人の気配が感じられない。
-
鳥居や石柱を調べると、建立されたのは昭和50年台。
この社、かなり以前からここに存在していたことになる。 -
付近には石碑が並んでいる区画があった。
墓地のようだ。
戒名の代わりに△△霊神と刻まれている。
神式では、亡くなると神になるんだね・・と勉強。
神となった人の身元は、全国各地に散らばっていた。 -
何はともあれ、霊園を備えた宗教団体の社が、敷地の森に存在しているということを知る。
見晴らしも良く、人けのない静寂な山の上。
そういえば、高野山も比叡山も山の上だ。 -
獅子ヶ鼻公園にも立ち寄ってみる。
ここはかなりの人に知られていて、自分も若い頃から何度か訪れたことがあり、思い出のある場だ。
メインは断崖にそびえる獅子岩だが、いつの間にか野鳥の森やアスレチック広場も作られ、市営の公園として整備か進められている。 -
公園の北のはずれには稲荷神社が建っている。
市の施設ではないだろう。
神社と公園の境界は曖昧だ。 -
稲荷神社の参道を進むと、真っ赤な旗が風にひらめいていた。
旗には寄贈した人の名がある。
地元の人が多く、知っている人の名前も出てきた。
ということは、地元の人たちが祭っているお稲荷さんということだ。 -
鳥居の一部は風雨で傷んでいるが、備えたばかりのお供物があり、掃除もされている。
手を合わせてお参りする。 -
稲荷神社の西側から、崖下の幹線道路に降りていく参道がある。
神社の近くは整備されているが、 -
少し進むと、転げ落ちそうな山道となってしまう。
途中に展望台があって、獅子岩を見ることができる。 -
獅子岩は獅子の横顔に見えると言うが、
昔は頭の上に角に似た岩が突っ立っていて、『牛ヶ鼻』と呼ばれていたそうだ。
地震で角が落下して『獅子ヶ鼻』となったと言う。 -
崖下に降りていく道は、高低差のある大小の岩が転がる道で、
数年前、大雨で落石事故が発生し、現在は通行禁止となっている。
(画像は大雨以前のもの) -
岩山のふもと近くにはキツネの像が並んでいて、稲荷神社の存在をアピールしている。
(画像は大雨以前のもの) -
最近この谷間で、大正初期に造られたとされる石仏群が発見された。
既に公園内で発見されていた石仏6体と合わせると、計88体もの石仏が発見されたことになる。
四国八十八箇所の霊場巡りと関連するものと考えられているが、
発掘場所は深い森の中にあり、文化財保護のため秘密となっている。
(画像は発見者によるもの) -
稲荷神社から獅子岩に移動する。
アスレチック施設や、地形を利用した滑り台の横を通り、 -
谷間に架かる吊り橋を渡ると、
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獅子岩の上に到着する。
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到着したのは獅子の頭の上で、展望台となっている。
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さっそく展望台の先端に立って、
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敷地の里や、磐田原台地の様子を眺めてみる。
柵はあるが、立つだけで脚がぞくぞくしてくる場所だ。 -
敷地川が作った田園の西側には、磐田原台地が南に向かって伸び、その西側には天竜川の作った平地が広がる。
そのかなたには、うっすらと三方ヶ原台地が横たわっている。 -
昔にはなかった新東名高速の橋桁も見え、
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敷地川を挟んだ山は、豊岡国際カントリークラブのゴルフ場となっている。
古からの森が伐採され、自然破壊が行われてしまった。 -
獅子岩は、下から見れば崖から飛び出した岩で、
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正面から見ると蛇の頭のようで、
岩壁に張り付いている危険な巨岩だ。 -
獅子岩の北には、稲荷神社の下の展望台がある。
獅子ヶ鼻公園をはじめ、トレッキングコースのあるこの地域は、1800万年前に海底隆起した堆積岩でできていて、そそり立つ断崖と谷の地形が主となっている。
人が踏み込むことが少ない山中には、絶滅の恐れがある野生動物や植物が生息し、保護活動が続けられている。 -
大切な報告がある。
私たちは偶然にも、トレッキングの最中に、貴重なハヤブサの巣を発見したのだった。
幸運と言うほかない。
しかし保護活動をしている方から、この場所は秘密にして欲しいと頼まれて、場所は秘密とする。
画像は、小型デジカメで撮影したものを引き伸ばしたもので、鮮明ではないが、 -
保護活動をしている方から、数年前に撮った写真を頂いた。
ヒナが写っているが、その年育ったヒナは1羽だけだったという。
その後、ハヤブサの姿が見られなくなって心配していそうだが、私たちの発見に喜んでくれ、観察に出掛けたそうだ。 -
親鳥が木に止まっている姿もとらえられている。
今年のヒナは4匹いたという。
無事に育ってもらいたいものだ。 -
獅子岩から帰る途中の山の中に『岩室廃寺遺跡(塔跡)』の柱があった。
岩室寺とは何か、と調べると、
岩室地区を中心とする広大な範囲に、塔やお堂を配置した密教系の寺院だという。
平安から室町にかけて造られた大寺院で、開創は弘法大師と言うが、弘法大師は下見に訪れただけという説もある。
しかし平安時代に、京の都から遥か離れたこの田舎の地に、立派な寺院があったことは確かだ。
戦国時代に、織田信長軍によって焼かれたという記録も残っている。 -
教科書で学ぶ歴史は、権力者や権力者の都の事柄が中心で、都から遠く離れた地方は、未開の民やケモノの生息する、みすぼらしい地域と誤解されがちだ。
しかし地方にも、高度で立派な文化が育ち、豊かな生活があったのだ。
塔の跡とされる礎石を探す。
これら壊れかけた礎石や、不完全な文献から、当時の様子を解明していく郷土の学芸員や、歴史愛好者の素晴らしいこと。 -
塔の礎石から数百メートル離れた場所には、観音堂が建っている。
焼失してしまった岩室寺の中で、唯一残った伽藍だと言うが、見たところそれほど古いものとは思えない。 -
岩室廃寺については諸説あって、国分尼寺だという説もある。
しかし、この観音堂の建立年代を見つけることはできなかった。 -
観音堂から数百メートル離れた山の中(駐車場近く)にも標柱が立っている。
『岩室廃寺遺跡(金堂跡)』
坊さんたちが修行をした伽藍の跡だ。
当時の岩室寺は、広大な場所に多くの伽藍を持つ寺であったようで、
敷地川の西側の斜面にも、塔の跡があるという。 -
標柱の近くを探すと礎石が見つかった。
発掘作業が進めば、まだまだ多くの遺跡が見つかることだろう。
田舎、田舎、つまらない田舎・・と思っていたこの磐田の地も、まんざらではない。
大小の古墳や埋蔵物、国分寺とそれにまつわる史跡、由緒ある寺院、万葉の歌碑や言い伝え等々、数多くの文化遺跡が残されていて、文化の花咲く地域だったのだ。 -
それらの遺跡から、先人たちの残した足跡や遺言を探りたいものだ。
歴史の事象を知ることが大切ではなく、
時代とは何か、生きることとは何か、幸せな人生とは何か・・
それを探求することが、歴史の勉強ではなかろうか。
獅子ヶ鼻を後にして帰宅する。
家に帰るとどっと疲れが噴出してきて、歩くこともままならなくなってしまった。
その痛みが引いたのは、3日も後のことだった。
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