2018/11/06 - 2018/11/06
197位(同エリア441件中)
rieさん
今年90になる父。去年暮れまでハイキングを楽しんだり、毎日20分、往復40分かけてホームにいる母に会いに行ったりしていましたが、今年体調を崩し、さらにコロナ禍によりすべて叶わない毎日。
回復を祈りつつ、父母が新婚旅行で行った長崎・雲仙を訪ねて旅をした、一昨年の旅行記をまとめます。
60年前の写真を手に同じ場所を探して歩くミステリーツアーの趣も楽しく、プライベートヒストリーに浸った感慨深い旅でした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
前日泊まったハウステンボスを後に、朝からレンタカーで2時間かけて雲仙へやってきました。
今日観光する長崎と雲仙は、父母の新婚旅行先。
もうすぐ卒寿となる父との旅行に、私はその60年前の写真を何枚か携えてきています。同じ場所を探して写真に収めようと、ミステリーツアー気分満々。 -
まずは古色蒼然たるこの写真。これが父と母の滞在先「雲仙宮崎旅館」です。
60年前にしては豪華な新婚旅行だったようで、別府から阿蘇、長崎と1週間くらいかけて回ったらしいです。中でもこの宮崎旅館は最大の思い出だったらしく、父は再訪したいと何度も言っていました。
残念ながら当時のこの建物はすっかり建て替えられて跡形もないですが……。 -
庭は当時の面影を残しているはずで、昔を辿るよすがが何かないものかと、写真を手に庭を回ってみます。
-
これが当時の写真。父は顔を隠されるのを嫌がっていますが、母は控えめな人でしたので一応隠します。
そうそう、この写真の、ここが一番知りたい場所。庭にこんな灯篭があったので近くまで行ってみたのですが、違うようでした。
10分ほど庭を散策してから、ちょっとあきらめ気味に庭から正面玄関へ回る道に出てきてみますと……。 -
ああ、ここだ~!!!
この写真では父の後ろになって隠れていますが、上の写真にある、ごつごつした岩の並びがあってわかりました。そういえば左に伸びた松の枝ぶりも、下の平たい石のナナメの溝も同じだ! 幹は遙かに太くなっていますが……。
道路が舗装されて起伏がなくなっており、さっき通った時はわかりませんでした。
しばし写真を眺めて懐古気分に浸り、60年前と同じ場所で写真に収まる父。
母が一緒に来れたらどんなに良かったか。今では足も動かなくなっていますし、認知の面でもだいぶ心許なくて連れてきてあげることはできませんでした。
父にとっては最愛の妻、私と二人の弟にとっても最高のすばらしい母でした。今も施設のスタッフさんたちのおかげで、変わらず柔和に、心安らかに暮らしていて感謝です。 -
フロントの人に事情を話してロビーで休ませてもらいます。
建物は全く変わっているので感慨はないわけですが、 -
一緒に歩いた庭を眺め、昔を思い出して感慨にひたる父。
本当に格式の高い旅館で、昼食は予約でないと摂ることができないようでしたが、フロントの方のご厚意でしばし休息させていただきました。
ゆっくりさせてあげたかったですが、近くのレストランで食事をとって雲仙を後にすることにしました。 -
さて、運転下手な私にとってはここからが最終難関。長崎市内へ突入です。
またも涙ぐましく、グーグルアースの抜き書き予習ノートを作りました↑
予習してても、長崎市内の運転難しかったわ~( ;∀;)!
まずは市電の線路をあちこちで越えなきゃならない。その上、道路中央にある市電駅へ、人々がふらりと渡ってきて油断ならない。私には、ナビだけじゃどうにもなりませんでした。 -
さて、定番の観光地、大浦天主堂とグラバー園に行く前にまずやってきたのはココ、崇福寺。
左手前にタイムズかなんかの駐車場があるのですが埋まっていました。仕方なく真ん前の広場にとりあえず乗り入れてどうするか思案。 -
上の門が入口の三門。その中にあるこの第一峰門が国宝ということです。全然存在を知りませんでしたが、すごくエキゾチックな素敵なところです。黄檗宗の寺院で、いわゆる唐寺といわれるものですね。
-
ここに来たのも、この写真の母が立つ場所を訪ねて。
-
位置としてはこのへんかな……と写真を撮ってきました。60年前と同じだ~~! こんな色だったとは。
車をちゃんと停められなかったので、父と交代で、駆け足での観光でした。 -
60年前の写真を見て、「この変わった門、これどこ?」と以前訊いてみたことがあるのですが父も覚えていなく、「どこだろうなあ? 長崎のどこかだと思うんだけど…」としばらく謎は解けず。
-
解けたのは、まったくネット時代のおかげです。
60年前の写真にあった、この「高登彼岸」で検索してみると、すぐにたくさんの情報が出てきました! それにより、長崎市内にある、この「崇福寺」であることが判明。 -
これだこれだ!
ネットのおかげで謎がとけ、巡り会えました。
白黒写真ではわからなかった向こうの四文字も、「萬里安瀾」と判明。どっちも意味がわかるようなわからないような……「安瀾」は航海の無事を祈る語かな? -
父が右側を見上げているのは、ここから心臓破りの階段だったからです。85才まで山登りをしていた父ですが、今はさすがにギブアップ。
-
私だけが階段を駆け上がって見てきました。父に見せるため写真が多いですが、実は車や父が気になって5分ほどの見物でした。
-
しかし、なんともエキゾチックで美しい寺院だと思いました。中国や台湾には行ったことがないですが、あっちの意匠や雰囲気があちこちに感じられますね。後付けの知識では、黄檗宗というのは中国から僧を迎えることが多くて、中国の影響をそのまま残しているそう。
-
-
すごくたくさんの数の扁額があります。
-
「威徳荘厳」これはわかる!
-
「毘盧蔵海」これはわからん!
-
さて、そしてここが、建物の間に発見して私が歓声を上げた場所。
-
この写真の、60年前の父が立っているこの場所です!
-
本当は母の写真もあって、それにはこの丸窓も写っていました。母の触れた手すりにセンチな気分でちょっと触れてみたりしました。
すごく有名な場所ではないだけに、プライベートヒストリーな感傷を満喫できたこのお寺。エキゾチックな雰囲気も良かったし、来れて良かったです! -
さて、予習通りに長崎の市街地を運転して、グラバー園までやってきました。
ここも難しそうだったので予習。書いてあるとおり、「ここが安い」という駐車場に停めまして、しばらく坂道を歩いて、まずは大浦天主堂に行きました。 -
天主堂の、母が写っていると同じ場所で私も写真を撮りましたが、いやあ~、写真の母は24歳だったんですよね。私は2倍以上の年か! 時の流れって残酷だなあ~(-"-)。
お洒落だった母にしては妙な普段着に見えますが、他の人はみんな和装だものねえ。当時の洋装ってこんなものだったんだな。手に持ったスカーフで、別の写真では真知子巻きをしていました。 -
それからグラバー園にやってきました。
いくつかあったエスカレータのおかげで、父も楽に登ることができました。大浦天主堂までは坂道で少しキツかったですが……。
そういえば坂道の間、聞こえてくるのは中国語ばかりで、父が不安顔になるほどでした。どうなってるんだ……日本人はいないのか…?と思っていましたが、 -
ははあなるほど……。
-
これですね! さっき長崎市内を通る時に、「大きなビルだなあ……」と思った後、海岸通りに出て初めて大客船だったと分かった……その船です。
中国から巨大マンションが建物ごと引っ越してきたようなものですね。
他の人のおしゃべりで、世界第6位?だか9位だか(忘れた)の大きさの船だとわかりました。 -
-
グラバー亭。あいかわらず、写真を撮る私を残してさっさと行ってしまう父(^^)。
-
-
-
短い時間でしたが長崎見物にも満足し(出島は行けなかったな~)、帰途につきました。下手運転、最後の頑張りで、長崎空港へ。
長崎市内を抜けたときは本当にホッとしましたよ。この、市電の絡んだわけわからない5車線の道とか、ブルブルでした~~!
ともあれ60年前の旅をなぞっての雲仙・長崎の旅はここで終わり。一斉離陸が見れたバルーンフェスティバルや唐津くんち、九十九島遊覧など、盛り沢山の旅でした。
この旅が父には最後の遠出の旅となってしまいそうですが、まだまだ元気で今年満90の年を迎えられそうです。近場にはなるでしょうがまた親子で旅に出られればと切望しています。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 卒寿の父と九州ドライブ4日間
2
35