2007/05/10 - 2007/05/11
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chiaki-kさん
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今回はBL5で、紀三井寺・道成寺・串本・那智の滝・熊野那智大社・那智山青岸渡寺・熊野古道・橋杭岩・トルコ記念館・潮岬などを巡る、なんとも忙しい紀伊半島3/4周ドライブ。そして、串本のホテルに宿泊するおまけつきです。
表紙の写真は紀伊半島最南端の町、串本にある橋杭岩。1400万年前、堅い岩と柔らかい岩が偶然に出会ったため出来上がった不思議な風景。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
5/10
8:00に大阪のとある町をBL5で出発。近畿自動車道→阪和自動車道をひた走って、和歌山ICで高速を降り国道42号線(以後R○○と称す)で和歌山市内を抜け紀三井寺に到着。
紀三井寺は、和歌山市にある寺院。寺号は金剛宝寺であるが、紀三井寺の名前で知られている。西国三十三所第2番札所、そして救世観音宗総本山。本尊は十一面観世音菩薩。 -
本堂は江戸時代、宝暦9年(1759年)の建立。観音堂とも称す。和歌山県より有形文化財に指定されている。
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西国三十三所札所として多くの巡礼者が訪れている。
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鐘楼は重要文化財に指定されており、 安土桃山時代の建築。寺伝では天正16年(1588年)の再建という。
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境内の見晴らし処からは紀州灘が展望できた。
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紀三井寺を後にR42を南下。御坊市にある和歌山県最古の寺、道成寺に立ち寄る。
道成寺は大宝元年(701年)に創建される。建物は何度か建て直されてされているので、本堂(1378年)及び仁王門(1700年)が重要文化財であるくらいだが、法仏殿には千手観音をはじめ国宝3点、重要文化財11点が納められている。 -
本堂。重要文化財指定。
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三重の塔。1764年の再建。
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安珍塚。
昔、一夜の宿を求めた旅の僧・安珍に清姫が恋の炎を燃やし、裏切られたと知るや大蛇となって安珍を追い、最後には道成寺の鐘の中に逃げた安珍を焼き殺すという「安珍清姫の物語」は「道成寺もの」として能楽、人形浄瑠璃、歌舞伎でもよく知られている。 -
鐘楼跡。問題の鐘であるが安珍清姫事件の数百年後再建されたが、清姫の怨念により落ちてしまい、今は京都の妙満寺にあるそうだ。
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安珍は福島出身ということで、こんな方が記念植樹に訪れている。
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御坊市からR42を延々と南下、やっと田辺市を過ぎ、白浜町あたりから紀州灘が見えてきた。写真は海岸線を走るR42から見た白浜半島。
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海岸の岩に砕ける波。まるで東映映画のオープニングだ。
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車から外へ出ると強烈な風。荒れた海の向こうに見える観覧車はパンダで有名な白浜アドベンチャーワールド。白い建物はエクシブ白浜のようだ。
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海岸線沿いのR42を快適に走ること約1時間、17:15 串本ロイヤルホテル(旧名:現在はホテル&リゾーツ和歌山串本)に到着。今朝、ダメもとで電話をかけたが、平日、しかも1人なので、あっさり予約が取れた。
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串本ロイヤルホテル(旧名)は、串本の海を見下ろす高台にあり、遠くからでもよく目立つ。(翌日撮影)
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部屋はツインルームに一人なので余裕の広さ。そして・・・
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窓からは串本の町、そして向かいは大島ビュー。
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さらに串本のシンボル、橋杭岩ビュー。明日の日の出が楽しみだ。
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UPです。
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大島は、串本節にあるように以前は巡航船が通っていた島だったが、1999年に「くしもと大橋」が完成し、陸続きとなった。
ロイヤルホテルはダイワハウスが全国28カ所に建設したリゾートホテル。一部を除いて環境の良い、静かな場所に建っており、部屋は広く清潔で、レストラン、浴場、土産店なども充実しており、宿泊価格もリーズナブルなので、お気に入りのホテル。
夕食は和会席を頼んだが、メインは伊勢エビ、飲み物は紀州梅の入った地元焼酎だった。料理も酒もおいしかった記憶が残る。 -
5/11
翌朝5:00 部屋の窓が明るくなってきたので、自然に目が覚めた。 -
部屋の窓の外を見ると、丁度、朝日が熊野灘の向こうから昇ってきた。
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UPで一枚。
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熊野灘に太陽の道が出来ている。なお、串本は「日本の朝日百選」にも選ばれているそうだ。
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くしもと大橋の下を、漁を終えた漁船が帰ってきた。
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ホテルの庭を散歩。
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庭から見上げた串本ロイヤルホテル(旧名)。
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橋杭岩が良く見える。なんで、こんなものが出来たかは、また後で。
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7:00にバイキング朝食を摂った後、8:00にチェックアウト。玄関前に駐まっていたのは、こんな観光バス。気がつかなかったが、アジア系の団体さんも夕べは泊まっていたようだ。さて、今日も走るぞ!
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橋杭岩の駐車場にBL5を駐め、記念撮影。
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那智勝浦に9:30到着。R42を左折し10分ほどで那智の滝に到着。有料駐車場の後方に、もう滝が見えている。
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世界遺産、那智御滝。
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説明看板あり。
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最初は、こんな石段を降りて行く。
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やがて滝が見えてきた。
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熊野那智大社の別宮である飛瀧神社越し見た那智の滝全景。高さは133mで日本一の名瀑と言われる。
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さらに滝に近づく。この後は近すぎて全景が収まらないので、上部から部分撮影。
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那智の滝 1
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那智の滝 2
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那智の滝 3
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那智の滝 4
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大UP。かすかに滝壺が見えた。滝壺の深さは10m位あるらしい。
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世界遺産の文字が至るところにある。
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那智の滝から石段を登ること30分。
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熊野那智大社に到着。
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熊野那智大社は、那智山青岸渡寺とともに熊野信仰 の中心地として栄華を極め、今なお多くの参詣者が訪れている。
473段の石段を登り、標高約500mに位置する社殿は6棟からなり、夫須美神(ふすみのかみ)を御主神としてそれぞれに神様をまつっている。夫須美神は伊弉冉尊(いざなみのみこと)ともいい万物の生成・育成を司るとされ、農林・水産・漁業の守護神、また縁結びの神様として崇められている。 -
一汗かいたので、沢から吹き上げる風が心地よかった。
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境内には樹齢800年と言われる天然記念物の楠(くす)の大木がある。
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その昔、平重盛が植えたという伝説もあるが、根幹部は空洞化していて、洞内巡りが出来るようだ。
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熊野那智大社のすぐ隣にあるのは那智山青岸渡寺。西国第1番の札所となっている。
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西国33ヶ所観音巡り1番札所として 定められ、全国より、多くの信者や参詣者が訪れる。現在の本堂は天正18年(1590)に豊臣秀吉が再建したもので、桃山時代の特徴を色濃く残し、国の重要文化財に指定されている。
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こちらも世界遺産。
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寺の近くにある展望台からは・・・
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三重の塔と那智の滝がよく見える。
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手前にある由緒ありそうな建物は尊勝院という名の宿坊で一泊2食付きで8000円の看板があった。
*現在の状況は解りません。 -
これが世界遺産・熊野古道のスタート地点。
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那智の滝、熊野那智大社、那智山青岸渡寺そして熊野古道、全部世界遺産となっている。
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自己責任です。
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那智勝浦を離れR42を串本へUターン。立ち寄ったのは再びの橋杭岩。
橋杭岩は串本町の観光名所で吉野熊野国立公園に属し、串本町の大島に対向する海岸から、南西におよそ850メートルもの長きにわたって大小約40の岩が連続してそそり立つ岩の総称。 -
橋杭岩 1
直線上に岩が立ち並ぶその姿が橋の杭のように見えることから橋杭岩と呼ばれている。また干潮時には岩の列中ほどに附属する弁天島まで歩いて渡ることが出来る。 -
橋杭岩 2
ブラタモリ的に解説すると、橋杭岩は、泥岩層の間に火成活動により、石英斑岩が貫入したもので、貫入後に差別侵食により、柔らかい泥岩部が速く侵食され、硬い石英斑岩が杭状に残されたものだそうだ。 -
橋杭岩 3
伝承によると、弘法大師が紀州行脚の際、向かいの大島に渡るために天邪鬼に手伝わせ橋をかけはじめたが、天邪鬼がくたびれて鶏の鳴き声をまねたので大師も夜が明けたと思って中止し、その橋杭だけが残ったといわれている。 -
引き潮だったので海の方へ行くとこんな大岩がごろごろ。
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足下も岩でできているが泥岩なので、ボロボロとはがれる。
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1400万年前、堅い岩と柔らかい岩が出会ったため出来上がった不思議な風景である。
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♪ ここは串本、向かいは大島 仲をとりもつ巡航船 アラヨイショ
と、串本節に歌われた大島へは1999年に「くしもと大橋」が架けられている。 -
橋のたもとに記念碑ありました。
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串本と大島の間の湾にはこのような生け簀がたくさんある。”くろまぐろ”の養殖をやっているそうだ。
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串本ロイヤルホテル(旧名)が一望。
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大島にある「トルコ記念館」何故こんな場所にあるかというと...
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1890年、オスマン皇帝の特使を乗せて日本に派遣された軍艦エルトゥールル号が、帰国途中、台風に巻き込まれ樫野埼灯台近くで座礁・転覆し、犠牲者587名という海難事故を引き起こした。この惨事に対し、地元大島村(現串本町)の人々はトルコ人の遭難者に温かい対応を行ったことが、日本とトルコの友好の始まりとして有名なエピソードになっている。
トルコ記念館はこの出来事を記念し、1974年に遭難現場の側の串本町の大島に建設された。2階展望台からはエルトゥールル号が座礁した地点を見ることができる。 -
記念館の屋上にあった遭難場所を示す写真。
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遭難現場には、現在も300人以上の犠牲者が海の底に眠っている。
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記念館の近くにある遭難の碑。今でも5年に1度慰霊祭がおこなわれる。
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樫野崎灯台に登る(無料)。1866年、江戸幕府がイギリス、フランス、オランダ、アメリカの四カ国と締結した江戸条約に基づき1869年に建てた灯台。
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大島から再び「くしもと大橋」を渡って本州最南端の潮岬灯台(入場料150円)へ。
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潮岬灯台は樫野崎灯台に続き1870年建てられた。ちなみにこの江戸条約により全国8カ所に建てられた灯台のうち2つがここにある。
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当時、欧米ではは照明用の油を鯨から採っており、捕鯨船団の安全な運行に必要だった。
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これが本州最南端、潮岬。地球って丸いのね。
*レンズの性質もあります。 -
潮岬に別れを告げ、太平洋を左に見ながらR42を白浜方面へ走る。すさみ町の手前にあった「恋人岬」の看板に引かれて思わず停車する。
ところで女偏の右の文字が欠けているのだが正解は?
① 好 ② 妙 ③ 婦 のどれでしょうか?
正解は・・・③でした。 -
海無し県に住んでいる者としては、海にはなんとなく憧れがある。考えてみれば人類の先祖は海から陸へあがってきた。きっとDNAの中に海を懐かしむ回路が仕組まれているのかも知れない。
このあと白浜町、田辺市を過ぎてみなべ町(*)から紀勢自動車道に乗る。延々片側1車線の道路が海南市手前まで続き、結局大阪まで戻ったのは19:00を過ぎてしまった。
(*)現在はすさみ町まで伸びているようです。
これで「2007年 紀伊半島3/4周旅行記」は終了です。本日も古い旅行記を最後までご覧いただきありがとうございます。 -
OMAKE
HONOLULUはハワイ島ではありません、オアフ島にあります。
ちなみに、3ヶ月後にはマウイ島へ旅立ちます。
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