2007/04/02 - 2007/04/03
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chiaki-kさん
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この「京都旅行記1:東山巡り」は2007年4月2日~4月3日の昼間と、2010年3月に開催された「京都・東山花灯路2010」という夜のイベントで撮影した写真をmixして作成してみました。
表紙の写真は2010年に撮影した清水寺仁王門と三重の塔です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄 自家用車
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2007.4/2
東山巡りのスタートは定番中の定番、清水寺から。
宝亀9年(778年)、大和国興福寺で修行していた賢心は、夢のお告げで北へ向かい、山城国愛宕郡八坂郷の東山、今の清水寺の地である音羽山に至った。金色の水流を見出した賢心がその源をたどっていくと、そこにはこの山に篭って滝行を行い、千手観音を念じ続けている白衣の修行者がいた。年齢200歳になるという修行者は賢心に「私はあなたが来るのを長年待っていた。自分はこれから東国へ旅立つので、後を頼む」と言い残して、去っていった。修行者は観音の化身であったと悟った賢心は、残していった霊木に千手観音像を刻み、庵に安置した。これが清水寺の始まりであるという。
写真は2007年撮影の仁王門と三重の塔。昼間はこんな感じ。 -
清水寺は、もとは法相宗に属したが、現在は独立して北法相宗大本山を名乗る。西国三十三箇所観音霊場の第16番札所である。広隆寺、鞍馬寺とともに、平安京遷都以前からの歴史をもつ、京都では数少ない寺院の1つである。また、石山寺(滋賀県大津市)、長谷寺(奈良県桜井市)などと並び、日本でも有数の観音霊場であり、鹿苑寺(金閣寺)、嵐山などと並ぶ京都市内でも有数の観光地で、季節を問わず多くの参詣者が訪れる。古都京都の文化財の一部としてユネスコ世界遺産に登録されている。
写真は2010年に撮影した仁王門。 -
写真は2007年撮影の懸崖作りの本堂と三重の塔。
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2010年に撮影した本堂。京都タワーも見える。そして西方浄土を照らすライトも。
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これが修行者が滝行を行ったと言われる「音羽の滝」。
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仁王門前の石段と桜
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2010年の仁王門と京都の街の夜景。
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三年坂、正しくは産寧坂。ここで、ころぶと3年寿命が縮まるとか。
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2010年の三年坂
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八坂の塔(法観寺・五重塔)
伝承によれば、法観寺は聖徳太子創建との説もあるが、平安京遷都以前から存在した古い寺院であることは確かとされており、朝鮮半島系の渡来氏族・八坂氏の氏寺として創建されたという見方が有力。 -
石畳の坂道もライトアップされ、なんとも幻想的。
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法観寺から”ねねの道”に入ると、なんと、きつねの嫁入り行列が通過した。
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高台寺手前の坂道を登ると維新の道がある。坂道を上り詰めると京都霊山護国神社。
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神社の境内にある坂本龍馬、中岡慎太郎のお墓。1863年11月15日夜、市中の近江屋で、京都見廻組の急襲(最有力説)を受けた坂本龍馬は、同じ土佐藩出身の盟友、中岡慎太郎とともに暗殺される。薩長同盟を成立させ、大政奉還を見届けた1ヶ月後のことであった。龍馬33歳、慎太郎29歳という若さであった。
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立派なブロンズ像が建立されている。
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毎日、東山から変わりゆく京の街を眺めている。
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維新の三傑の一人、木戸孝允と
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妻、松子の墓もここにある。
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京都霊山護国神社から眺めた京都の街。黄砂のため八坂の塔も霞んでいる。
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次に行ったのが「ねねの寺」で有名な高台寺。1606年、豊臣秀吉の正室・高台院(北政所・ねね)が秀吉の菩提を弔うため創建した寺。ちょっとしたイベント中で庭園はこんな感じだった。
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これが有名な高台寺のしだれ桜。よくポスター等に登場する。
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立派な庭園もある。
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高台寺の向かいにあるのが圓徳院。高台寺の塔頭のひとつ。名勝庭園と、豊臣秀吉の正室・高台院が晩年を過ごした寺として知られる。
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圓徳院には庭園が2つあり、こちらは方丈庭園。
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こちらは北庭。池に水は無く、枯山水となっている。
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八坂神社から円山公園へ続く道沿いは、出店も出て花見客で大賑わい。
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これが円山公園の祇園しだれ桜。
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公園の脇にあった料理屋で湯豆腐セットを食す。2100円也。味の方はよく覚えていませんが普通の湯豆腐だったような。
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昼食後は知恩院へ。これが我が国最大の三門(山門とは書かない)。もちろん国宝、そして世界遺産。知恩院は浄土宗の総本山。
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ちょっと桜を入れて見た。
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御影堂、これも大きな建物。
知恩院は、浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごし、没したゆかりの地に建てられた寺院で、現在のような大規模な伽藍が建立されたのは、江戸時代以降である。徳川将軍家から庶民まで広く信仰を集め、今も京都の人々からは親しみを込めて「ちよいんさん」「ちおいんさん」と呼ばれている。 -
青蓮院(しょうれんいん)は、京都市東山区粟田口三条坊町にある天台宗の寺院。青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)とも称する。開基(創立者)は伝教大師最澄。
青蓮院は、三千院(梶井門跡)、妙法院とともに、天台宗の三門跡寺院とされる。「門跡寺院」とは皇室や摂関家の子弟が入寺する寺院のことであり、青蓮院は多くの法親王(天皇の皇子や伏見宮家などの皇族の男子で出家後に親王宣下を受けた者)が門主(住職)を務め、宮門跡寺院として高い格式を誇ってきた。江戸時代に仮御所となったことがあるため「粟田御所」の称もある。
写真は門前の大クスノキだが、親鸞聖人の手植えと伝わる。 -
入り口の門はこちら。
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宸殿前の前庭にはLEDライトが配置され、さながら大海原のよう。
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赤い照明が大海原を朱色に変える。
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相阿弥の庭の向こう側にある竹林が明るい。
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こんな感じにライトアップされている。
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上を見上げるとこんな感じ。
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これが国宝の不動明王ニ童子像(青不動)。日本三不動のひとつだそうだ。
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仏教って海を渡ってきたんだなあ~。って妙に納得してしまう。
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4/3
今日は銀閣寺からスタート。
銀閣寺は、足利義政が1482年に山荘として建立し、義政の死後に寺院となった。正式名は慈照寺。国宝の観音殿は、侘び、寂びを感じさせる風流な書院造りの建物。庭園には、白砂を縞模様に敷いた銀沙灘(ぎんしゃたん)と円錐状に盛った向月台があり、独特の景観をつくりだしている。なお、銀閣寺は金閣寺と同様、相国寺の塔頭寺院である。
写真は観音堂と銀沙灘。 -
池に映る逆さ観音堂。
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石段を登ると銀閣寺と京都の町が一望に。
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銀閣寺橋から若王子橋まで約2kmにわたって続く琵琶湖疎水沿いの道。かって、哲学者の西田郁太郎が思案しながらこの道を歩いたので「哲学の道」と言われる。
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哲学の道1 ここは桜の名所でもある。
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哲学の道2
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哲学の道3
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哲学の道 番外
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着物の女性が石段を登っていくので後を付いてゆくと。
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法然ゆかりの禅寺、法然院が途中にあったので寄ってみる。
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茅葺きの山門を入ると、模様の描かれた砂盛りがあり、ここを通ると身を清められるという。
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庭園側から見た山門。
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大豊神社に立ち寄る
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887年、宇多天皇の病気平癒のために創建された神社で、少彦名命と菅原道真を祀る。大国社前には柏ネズミが鎮座している。
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左のネズミは長寿を表す水玉(酒)を持ち
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右のネズミは学問を表す巻物を持つ。
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永観堂総門。天気は良かったが、花冷えのする寒い1日だった。
永観堂を創設したのは永観律師(ようかんりっし 1033-1111)。当初は真言密教の寺院だったが、後に浄土宗の寺院となる。 -
永観堂は紅葉で有名なお寺。なんと早くも紅葉が。
永観堂を浄土教の寺院にしたのは、静遍僧都。法然上人の死後、法然上人をこの寺の11代住職に推し、自らを12代とする。そして、法然上人の高弟西山証空上人に譲った。その後、証空上人の弟子、浄音上人が住職になり浄土宗西山派の寺院となる。以来今日まで、約八百年永観堂は浄土宗西山禅林寺派の根本道場として、法灯を掲げている。 -
中央が本堂、左上が多宝塔となっている。
本尊の阿弥陀仏は「見返り阿弥陀」として知られている。ある日、永観が修行中に阿弥陀仏が現れ、先導するように行道をはじめ、永観が思わず立ち止まると「永観おそし」と振り返ったとの伝説が残されている。 -
こんな休憩所も設けられていた。
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南禅寺は今から710年あまり昔の正応4年(1291年)、亀山法皇が無関普門禅師(大明国師)を開山に迎えて開創された寺。石川五右衛門伝説で有名な三門は高さ22mという楼閣で、実際に登れる。
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これが三門の上に登る階段(有料)。
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これがその絶景だが、五右衛門が「絶景かな」と感嘆した頃より樹木が伸びて、見晴らしはいまひとつ。
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南禅寺の境内には、まるでローマの水道橋のような構築物がある。「水路閤」と言うそうだが、琵琶湖疎水の一部である。寺の境内によくこんなものを通したものだ。
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映画やTVドラマなどによく登場する。
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疎水なので当然水が流れている。
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インクラインは琵琶湖疎水を運河として活用するため必要であった船の輸送用に作られた施設。上の水路閤と併せて、平成8年に日本近代化遺産に指定されている。人や荷物を載せたまま船ごとキャリアに乗せ、ケーブルカーのように下の運河から上の運河に船を引き上げた。
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ここも桜の名所となっており、沢山の行楽客でにぎわっていた。
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今回の最後の観光地は平安神宮。大鳥居が目印。
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應天門。敷き詰められた白い砂利がきれい。
平安神宮は明治28年に平安遷都1100年を記念して、平安遷都を行った天皇であった第50代桓武天皇を祀る神社として創祀された。 -
大極殿前にある桜も有名。
鮮やかな朱塗りの柱に、白壁、碧の瓦屋根が平安時代を彷彿とさせる。 -
平安神宮神苑にある栖鳳池。
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神苑(有料)にあるしだれ桜は谷崎潤一郎の小説「細雪」にも登場する。
今日の予定はこれで終了し、近くのバス停から京都駅行きの市バスに乗車しようとするが超満員。立ちたく無かったので逆コースのバスに乗り、終点の銀閣寺で一旦降りて再度乗車する。始発なので座ることは出来たが、八坂神社交差点付近から河原町方面からのバスも加わり、東山通りはバス渋滞で一寸ずり。途中から乗ってきたお客も、あきれて次のバス停でで降りてしまった。多分、毎年こんな感じなのだろうが、この渋滞を解決するにはトラムでも通したらどうかと考えた。なぜなら京都は日本で最初に市電を走らせた街なんだから。
これで「京都旅行記1:東山巡り」は終了です。本日も古い旅行記を最後までご覧いただき、ありがとうございます。
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この旅行記へのコメント (3)
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- jijidarumaさん 2022/11/14 16:07:01
- 京都霊山護国神社:の所で、維新の三傑の一人、木戸孝允と妻、松子の墓
- chiaki-kさん、
今日は。いつもありがとうございます。
1990年代の半ば、大阪単身時代を過ごしましたが、来阪した家内と京都巡りもしました。
「”ちょっと前ですが”シリーズ第1弾は京都・東山界隈巡り」を懐かしく拝見しました。
さて、本編の京都霊山護国神社の所で、維新の三傑の一人、木戸孝允(きど たかよし)と妻、松子の墓を見ました。
実はもう直ぐ92歳になる恩師の御主人が長州藩士の家系で、長州三筆と謳われた野村素介(もとすけ)男爵に繋がります。先日も先生と御主人の家系について長い話をした後に、野村素介の古い資料などを送って頂きました。
木戸公の墓地近くだったと思いますが、「木戸公神道碑(勅撰碑)」というものが明治天皇の勅令で建てられたそうです。「神道碑」は貴人、つまり国家に功績のあった人物の墓所参道に建てられた顕彰碑で、明治天皇により明治10年に勅令が発せられ、所謂「勅撰碑」として、最初に明治維新で功績のあった木戸孝允の神道碑(勅撰碑)を京都・霊山護国神社の地に建てられたとの事です。
木戸公神道碑には本文の後に下記の選文者、筆者の2名の名が刻まれています。
明治三十九年九月 東宮侍講正四位勲三等文学博士臣三島毅奉 勅撰
錦鶏間祗候正三位勲一等男爵臣野村素介奉 勅書
野村素介は行書を得意とし各地に筆跡が残されていて、石碑も多くを手がけ、京都霊山護国神社の「木戸公神道碑(勅撰碑)」、山口・上宇野令香園(かみうのれいかえん)の毛利公神道碑といった「勅撰碑」のほか、全国で40基ほどを確認できるとのことです。
chiaki-kさんの本編当該写真2枚(木戸公と妻、松子の墓)をコピーさせて頂き、恩師に贈りたく思います。御許しを頂ければ、たいへん嬉しく思います。
それではまた。
jijidaruma
- chiaki-kさん からの返信 2022/11/19 15:31:18
- 了解しました
- ・
jijidarumaさん、こんにちは。14日から沖縄方面へ出かけて
いたので、お返事が遅くなって申し訳ありません。
まず、木戸公と妻、松子の墓の写真コピーの件ですが了解しま
した。どうぞ、ご自由にお使いください。
京都は娘の進学の関係で2004年から2009年にかけて何度も行き
ましたが、とくに2007年に現役をリタイアしたこともあり娘の
アパートに居候をしながら京都、奈良、大阪各地を観光三昧
した懐かしい地です。
そして2009年からは、いよいよ海外にも出かけるようになり
jijidarumaさんの足下にも及びませんが、38カ国に渡航する
ことができました。
今はパスポートも期限切れとなり体力も金力も低下の一途なの
で、今後はどうするか考え中ですが、とりあえず4トラの国内
地図でも埋めようかということで沖縄へ行ってきました。
沖縄は沖縄戦の戦場跡を中心に廻ってきましたが、目下旅行記
構想中です。UPしましたら、また見てやってください。
では、また。
chiaki-k
- jijidarumaさん からの返信 2022/11/19 19:13:55
- RE: 了解しました=>ご快諾に深謝!
- chiaki-kさん、
今晩は。
沖縄にお出かけでしたか!
新しい旅行記のアップを楽しみにしております。
さて、先日の勝手な申し出にご快諾頂き、ありがとうございました。
11月中旬過ぎに恩師は92歳の誕生日を迎えました。
御祝カードと共に私の雑文などお送りしました。また長兄が陸士、陸大を
出て、千葉の佐倉連隊の連隊旗手を務めていたと聞いていましたから、
今は千葉県人である私なので、WEB検索で何かないかと調べてみました。
偶々、兄上と接点があった方が、その時の短いエピソードを私戦記(中国
派遣軍)に載せているのが見つかり、その文章の写しを添付して喜ばれました。
次の機会に【木戸公と妻、松子の墓の写真コピー】を送り、この事も
喜んで頂ける事と思います。
ありがとうございました。
それではまた。
(尚、ご返信はご不要です。)
jijidaruma
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