2003/12/27 - 2003/12/30
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chiaki-kさん
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イタリアの次はフランス、ついでにイギリスだろうという単純な理由で○本旅行名古屋営業所主催の「コリアンエアーで気軽にゆくパリ・ロンドン8日間」という年末年始にしてはお得なツアーを申し込む。そして、夜帰国の翌日勤務というハードな日程のため大枚をはたいてビジネスシートを選択した。
表紙の写真はパリ・ノートルダム大聖堂。2019年4月の火災で焼け落ちてしまった尖塔と屋根がハッキリと見える。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 2.5
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 2.0
- 交通
- 2.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 船 徒歩
- 航空会社
- 大韓航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 日本旅行
-
12/27
当時、まだセントレア空港は出来ていなかったので、旧名古屋国際空港(小牧空港)を目指してAM3:30に我が家をBF5にて出発。空港近くの有料駐車場に車を預け空港へ。
また、当時名古屋空港国際ターミナルにはセキュリティ・チェック機が2台しか無かったため、写真のような長蛇の列。結局、出国手続きを終えるまでに50分もかかってしまい、飛行機は軒並み遅れが出たが、どおりで地元のテレビ局が取材にきていたわけだ。 -
今回のエアはコリアンエア。名古屋からインチョンまではKE752便に搭乗、キャリアはB777。KE752便は予定時刻を30分ほど遅れてテイクオフ。なお、滑走路の向こう側にあるのは航空自衛隊小牧基地。
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初めて座ったビジネスシート。う~ん、楽ちん、らくちん。
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DXな昼食にルンルン。
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2時間でインチョン国際空港到着。大きくて綺麗な空港でトランジットもスムーズだった。成田と違い4000m滑走路が2本、24時間オープン。ハブ空港はこうでなくっちゃ。手前のグレーのB747は韓国のアシアナ航空。そしてその向こうのスカイブルーのB747-400がパリへ向かうKE901便。免税店やレストランも充実しており、負けた~って感じ。
*当時の感想です -
写真はインチョン空港ビジネス・ラウンジ。アルコールを含む一通りの飲み物、軽食、菓子、新聞雑誌などがそろっている。親子連れで利用している客もいたがリッチだね~。
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可動ブリッジもFIRST・BUSINESS専用ブリッジ。気持ちいい~。
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ついに乗ってしまったジャンボの2階席v(^^)。747のビジネスシートはこんな感じ。
*今となっては古いね~。 -
席に着くとまず美人のアテンダントさんがコートを受け取り、ウェルカムシャンパンのサービス。シートは横2-2で個別モニター付き、そしてリクライニングは140°位あり、ほぼ横になって眠れる。
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決定的な違いが食事の内容。基本的にフランス料理だが、そこはコリアンエア、ちゃんとビビンパなどの韓国料理もしっかりと出た。ワインも当然高級品。
コリアンエアのHPによると航空会社間のワインコンテストで優勝したワインとのこと。赤・白いずれもおいしかったが、今まで飲んだことがない白ワインのフルーティーな味にはびっくりした。 -
こちらは到着1時間前の2度目の食事。一度ビジネスに乗ると、エコノミーには戻りたくなる人の気持ちがよくわかる。
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FST 17:30 KE901便は夕暮れのパリ・シャルルドゴール空港にランディング。シャルルドゴール空港は成田空港の4倍という大きなハブ空港である。入国審査は簡単だったが、何故か中国人と見られる団体さん10人位が別室へつれて行かれた。写真は荷物受け取りターンテーブル。税関は無し。このあと迎えのバスに乗りオートルートA1にてパリ市内のホテルに向かう。
30分ほどオートルートを走り3日間世話になる フォレストヒル・ラ・ヴィレット ホテルに到着。天気は雨。時間がまだ19:30なので外出も考えたが天気と周囲の治安状況がわからないので大人しく部屋で風呂に入り、部屋の冷蔵庫にあったハイネケンで到着祝いをした後、いまいちなじみの無いフランス語のTVを見てさっさと就寝する。
なお、ホテルの造りは一応近代的?なホテルということであるが、日本人の感覚で言えば中の下といったところ。部屋はボロいし、エアコンはうるさい、おまけにエレベータはギシギシ音を立てる。まあ、お湯の出がよかったのは合格点。 -
8:30 パリ市内観光スタート。岸恵子さんのような日本人ガイドNさんを乗せたマイクロバスはパリ市内へと出発。最初に向かったのはノートルダム大聖堂。セーヌ川の中州のシテ島にある有名な寺院。
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ノートルダム大聖堂内部。
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お馴染みのステンドグラス、所謂バラ窓。
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ガイドさんの案内で寺院の裏手へ。きれいな公園があったのでここで記念写真。このあと雨が強くなる。
*2019年の大火災以降、この公園も封鎖されているようだ。 -
次ぎにバスが駐まったのはエッフェル塔が良く見えるシャン・ド・マルス公園。
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動き出したバスの車窓から見たアン・ヴァリッド。ここにナポレオンの墓があるので有名。ちなみにここは廃兵院といい、戦場で傷をおった兵士を回復させる施設で、現在も一部が病院となっている。
なお、1789年のフランス大革命の際、パリの民衆はまずここを襲って武器を手に入れ、その次にバスティーユ監獄を襲っている。 -
おなじみルーブル美術館。中央のピラミッドが入り口で、それぞれの建物には地下から入る仕掛けとなっている。なお、今回のツアーではルーブル美術館は予定されていなかったがヴェルサイユから早く戻れたので夕方1時間だけ入ることができた。ラッキー。
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ローマの凱旋門を真似て、ナポレオンが1808年に建設したカルーゼル凱旋門。門からシャンゼリゼ通りやエトワール広場の凱旋門が一直線に見える(はず)。
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美術館前に停車中のオープントップバス。こんな雨の日だというのに2階席の一番前に観光客が。
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今日のお昼はフランス名物エスカルゴ料理。日本のカタツムリより大きく、コリコリしておいしかった。まあ、タニシといったところか。バスはこのあと、パリを離れA13号線でヴェルサイユへ。
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パリから約30分位でヴェルサイユ到着。ルイ14世の騎馬像がお出迎え。雨はなんとか上がった。
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宮殿に入って最初に見たのは王室礼拝堂。ルイ16世とマリーアントワネットはここで結婚式をあげている。
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ルイ14世
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ルイ15世
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ルイ16世
1774年、ルイ16世がフランス国王に即位する。しかし増税に次ぐ増税に苦しめられていた市民や農民たちは1789年7月にまず、アンヴァリッドを襲って武器を手に入れたあと、バスティーユ監獄を占拠、パリを支配下に置くことに成功する。8月には市民の自由、平等を原理とした「人権宣言」を公布。さらに民衆は国王たちが住んでいたチェイルリー宮殿にもなだれ込み、国王一家を幽閉する。議会は国王の権利をすべて剥奪し、9月に4世紀から続いた王政は廃止され共和制が樹立する。これが世に言う「フランス大革命」。
1793年、国外逃亡に失敗したルイ16世とマリーアントワネットは国家反逆罪に問われ、ルイ16世は1月に、マリーアントワネットは10月にそれぞれコンコルド広場にしつらえられた断頭台におくられる。2人の遺体はしばらく贖罪教会の墓地に置かれていたが、のちに、パリの北東にあるサンドニ聖堂へ再埋葬された。 -
ヴェルサイユ宮殿は太陽王といわれたルイ14世が当時の一流建築家に造らせたフランス宮廷文化最高峰の宮殿。一番有名なのが写真の鏡の間で、ここで盛大な式典が何度も行われた。17ヶ所の窓から差し込む光が反射して回廊をまぶしく照らす。
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ナポレオンおかかえ画家のダヴィッド作「皇帝ナポレオン1世の聖別式と皇妃ジョセフィーヌの戴冠」(中央拡大)。ちなみにルーブル美術館にも同じ絵がある。こちらはコピーかと思ったら本物だそうだ。つまりダヴィッドは2枚同じ絵を描いたんだね。それにしても大きな絵だ。
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ヴェルサイユを後にセーヌ川を渡って再びパリ市内へ戻る。
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写真はセーヌ川に沿って走る一般道路。前方に見えてきたトンネルはアルマ交差点の地下トンネル。ここは元イギリス皇太子妃ダイアナさんが交通事故死した場所。
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1997年8月31日、奧から17本目の柱にダイアナさんたちを乗せたベンツが巻き付いたのだ。なお、バスは事故をおこしたベンツとは逆方向を走っている。交差点の上にはアメリカへ贈られた「自由の女神」の持つたいまつの炎の部分彫刻がおかれているアルマ広場がある。あれ以来、自由にはなれなかった彼女への哀悼の広場となっている。
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コンコルド広場。あのフランス大革命の時には、ここでルイ16世やマリーアントワネットをはじめ、1343人がギロチンの露と消えた場所。広場の中央にあるのはエジプトより贈られたオベリスク。
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マドレーヌ寺院。ギリシャ大好きのナポレオンがつくらせたパルテノン神殿に”くりそつ”な寺院。完成したのはナポレオン失脚後の1842年。なお、ピアノの詩人、ショパンの葬儀はここで行われた。
この日はパリの道路がスムーズであった為16:00に戻ってこれた。そこでTDさんの提案で希望の方はルーブル美術館へどうぞとのアナウンス。ラッキー。喜びいさんで16:30にE5(残り時間が少ないから。普通はE7.5)払ってルーブルに飛び込む。閉館まであと1時間30分。ツアーは忙しいのだ。 -
とにかくルーブル美術館はだだっ広くて、やたらめったら作品が多い。目的のものを探すのに一苦労する。ミロのヴィーナスはなんとか見つけたが、モナリザがわからない。結局ドノン翼の一番端の部屋にあったのを見つけたのが17:10頃。残念ながらモナリザは撮影禁止(当時)。さあ、残るはもう1枚のダヴィッド作「皇帝ナポレオン1世の聖別式と皇妃ジョセフィーヌの戴冠」の画。迷路のような美術館内をさまよってやっと目的地への階段にたどりついたら係員にストップされてしまった。
18時というのは職員が帰り始める時間のことで17:30になると帰路方面の反対コースはすべてストップされてしまうのだ。まあ、ヴェルサイユで1枚見たからいいのだが、1日で両方の画を見るという記録は達成されなかった。 -
ルーブルを後に、今夜の夕食会場となったシャンゼリゼ通りへ向かう。歩いても30分位の場所なのだがコンコルド広場が大渋滞のためバスはそれ以上かかってしまった。フランスの冬は天候が悪く、寒い日が続くので観光にはあまり良い時期ではないが、このイルミネーションように良いこともある。
なお、写真の舗道上にいる2人の黒い服装の方はおまわりさん。駐車違反の取り締まりちう。おまわりさんがいたせいか手ぶれが残念。 -
このかわいいバスが今回乗ったマイクロバス。
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夕食会場のレオン・ドゥ・ブリュッセル、シャンゼリゼ通り店。
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ここの名物はムール貝。写真のバケツに入って出てきた。さらにポテトチップスもどっさり。
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さて、お腹が一杯になったところで本日最後のイベントであるセーヌ川遊覧。バトームーシュ乗船場からシテ島、サンルイ島まで行きUターン。それから一気に自由の女神像のあるグルネル橋まで下ってまたUターン。所要時間約40分の船旅。船内は暖房が効いているのでツアーの皆さんはほとんど爆睡。私も寝てしまうところだったが2階のオープンデッキに出て目を覚ます。そこで撮ったのが上のエッフェル塔。同じ乗船場で船を降りてバスでホテルへ。いや~、なんとも初日から充実した旅行ですわ。
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12/29
今日は7:15にモン・サン・ミッシェルへ行く日、片道約5時間。がんばって行こう世界遺産へ。
モン・サン・ミッシェルはパリから約250km離れた大西洋側にあるノルマンディとブルターニュ地方に挟まれたサンマロ湾に浮かぶ小島。8世紀初頭、司教オベールが神からのお告げを聞いて島の高台の上に僧院を建てたのがはじまり。その後増築に増築を重ねまるで要塞のようになる。実際フランスとイギリスが闘った100年戦争では城として機能している。島の周囲は城壁で囲まれ、中には宿屋や土産物屋が集中する。フランス大革命後僧院は廃止され、なんと牢獄が設置されたこともあった。しかし時は流れ、ユネスコの世界遺産に指定された現在ではフランスを代表する1大観光地として年間何百万人もの観光客を引きつけている。なお、道中は一時雪がなぐりつける大荒れの天気となり心配したがどうにか雨は小降りになった。 -
パリを立って5時間後、ついに姿をあらわすモン・サン・ミッシェル。ちなみにこの堤防のような道路ができたのは最近のこと。それまでは潮が引いたときでしか島へは渡れなかった。
*サンマロ湾に流れこむ川の流れを変えてしまう悪影響が出た為、現在この堤防道路は取り除かれ、桟橋が設置されており、観光客はシャトルバス(EV)で往復するようになっている。 -
これからモン・サン・ミッシェルの城壁内部へ入る。左下に入り口あり。塀の中にはレストラン、パブ、宿屋、土産物屋が所狭しと並ぶ街があった。
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12:00到着なので、まずは腹ごしらえ。名物のオムレツをいただく。写真の大皿に乗ったオムレツを4人でシェアして食べる。まるで空気を食べているような食感で、お味は無いので塩をかけてね。
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昼食後階段を上っていよいよ僧院の内部へと向かう。見上げるとこんな要塞が。
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途中で入場料(E7)を払ってから内部へ入る。階段を上り詰めた場所にあった西のテラスから見た陸地。干潟に囲まれているのがよくわかる。これでもローシーズンなので車は少ない方だとのこと。
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大聖堂の内部。修道院なので内部のつくりはシンプルそのもの。
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瞑想の回廊と名付けられた場所。修道僧達が居住室から食堂へ向かう途中にある。水もないはずのこんな場所に中庭とは。
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修道僧たちの食堂。壁に向かって一切私語無しで食事をするのだそうだ。
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こんなもの発見。人力で荷物を巻き上げる機械だそうだ。
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モンサンミッシェルは岩山の上に築かれた建物であることを示す場所もあった。
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下へ降りてショッピングタイム。ある方のHPで見たここでしか買えない「プラーおばさんのサブレ」を10箱購入する。家へ帰ってから賞味してみたが確かにまうい。1枚食べると止まらない感じ。
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帰路に撮影したモン・サン・ミッシェル遠景、こうやって見るとちょっと不気味な感じ。
この後、バスは来た道を250km引き返す。バスの中では皆さん爆睡であったが、途中サービスエリアのような所へ駐まったので食料品や生活用品などをゲット。フランスのミシュラン(道路地図)とカマンベールチーズをゲットする。夕食はホテルのレストランで食べるが、フランスはどこで何を食べてもおいしい。さすがはグルメの国だけのことはある。明日はいよいよフリータイム。体力を残すため早めに就寝する。 -
12/30
今日は14:30までフリータイム。朝食の後、荷物はホテルに預けてチェックアウト、払ったのは最初の晩飲んだビール代のみ。セーフティーBOXから取り出したパスポートと円、ポンドを服の下にしまいこんで8:00にホテルを出発した。
まず、向かったのは地下鉄ポルト・ラ・ヴィレット駅。「アン・カルネ・シルブプレー」(回数券をひとつください)と言い、E10を支払って回数券10枚をゲット。パリは地下鉄の移動が一番早く確実。
今日一番の目的地はミュゼ・ド・オルセーであるが10時開館なのでパリの街を歩いてみようということでオペラ駅で下車する。ちなみにルーブル美術館は本日火曜日でお休み。地下鉄7号線オペラ駅を降りると目の前にオペラ・ガルニエが。天井にはシャガールの絵が描いてあるそうだが今回はパス。
*2012年もパス(^^;; -
オペラからヴァンドーム広場を抜けてチュイルリー公園に入る。振り返ってオペラ方面を見るとヴァンドーム広場の真ん中にナポレオンの記念塔が見える。
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コンコルド橋から見たパリの夜明け。今日は良い天気になりそうだ。なお、セーヌ川の両岸に停泊しているボートはれっきとした家!である。
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9:10オルセー美術館到着。10時開館なのでこうやって50分ほど並ぶ。この時、前には100人位、10時には後ろに1000人位並んだはず。
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オルセー美術館は1900年の万国博覧会の時に、もともと駅舎として建てられた建物であったが、1986年に美術館に改修された。1848年から1914年までのフランス絵画を中心とする作品を展示しており、マネ・モネ・ドガ・ルノアール、ミレー、ロートレック、セザンヌやゴッホなどの作品を見ることが出来る。なお、入場料は大人E7(当時)。月曜日休館。
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セザンヌ 「りんご」 解説は不要ですね。
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ゴッホ 「オーヴェールの教会」
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モネ 「日傘の女」シリーズ
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ルノアール 「田舎のダンス」
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ルノアール 「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」
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マネ 「草上の昼食」
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モネ 「サン・ラザール駅」
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ミレー 「落ち穂拾い」
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ミレー 「晩鐘」
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美術館北側にある時計窓から眺めたパリの風景。目の下がセーヌ川、川のむこうがチュイルリー公園、右側がルーブル美術館、そして遠くの丘がモンマルトルだ。さあ、モンマルトルまでゆくぞ!!!
モンマルトルまでは地下鉄12号線が便利。ロワイヤル橋を渡ってチュイルリー駅で1号線に乗り、コンコルド駅で12号線に乗り換え、アベス駅で下車する。パリの地下鉄は何回乗り換えても料金は変わらない。 -
モンマルトルの丘へ登るケーブルカー。チケットは地下鉄と共通。
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青空をバックに白い壁が映えるサクレクール寺院。残り時間が少なかったため中には入らず、パリの街を眺めながら、階段で昨日買っておいたサンドイッチをパクつく。それにしてもすごい人出だ。
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すぐ近くのテルトル広場では絵描きさん達が大勢絵を描いていた。似顔絵描きさんもたくさんいたが腕の方は?
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写真はジャン・レノ主演のトヨタ・アルファードのCMで一躍有名になったパリ唯一のぶどう畑。
ホテル集合時間は14:30。我々は急いで地下鉄駅を探すが見事に迷子。ままよ下の方へ降りていけばなんとかなるだろう!といいかげんに道を降りていったらメトロマーク発見。さっき降りたアベス駅の一つ北側にあるラマルク・コランクール駅だった。
メトロ12号線をコンコルド方面へ戻りピガール駅で2号線に乗り換え、スタリングラッド(あれ、スターリングラードはもう無くなったんでは?)駅で7号線に乗り換え、無事ポルト・ラ・ヴィレット駅に到着した。他の皆さんも無事到着し、添乗員さんはさぞかしほっとしたことだろう。一行はホテルを後にバスに乗り、ガレ・ドゥ・ノルド(北駅)をめざす。 -
これが北駅。ベルギーやオランダ方面へ行く国際列車も出ているが、ユーロスターのフランス側始発駅でもある。
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ユーロスターは1994年に開通したドーバー海峡を横断するユーロトンネル(掘ったのは日本の土木会社)を通り、パリとロンドンを3時間で結ぶ国際超特急列車だ。フランスは国の威信をかけ、新しい列車や線路を造り、大きな投資を行う。ところがイギリスは在来線の改良でお茶をにごし、さらにはフランスの英雄ナポレオンが破れた戦場の名を持つワーテルロー駅をターミナルにしたのでフランス側はカンカンになったそうだ。ともあれ、ユーロスターは16:40に何の音も無くスルスルとパリ・北駅を離れた。一路ロンドンを目指して。
長くなりましたので、これで「2003年 パリ旅行記」は終了です。本日も古い旅行記を最後まで、ご覧いただき、ありがとうございます。
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