2019/05/30 - 2019/06/06
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urufeeさん
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アメリカへ行くのに、日本のストップオーバーを組み込んでも意外とエア代が高くならないことが分かりました。そこで、折角日本でストップオーバーするなら、以前から行ってみたかった軍艦島と、福江島へも行ってみることにしました。また、以前の長崎旅行では出島博物館が面白過ぎて時間足りなくなってしまった為、行きそびれたグラバー園などを組み入れて下記日程で行ってきました。この旅行記では軍艦島と長崎市街観光をまとめました。
5月30日 羽田16:10 → 長崎18:05で長崎へ移動。
5月31日 軍艦島ツァーに参加して、下船後グラバー邸と大浦天主堂を見学。
6月 1日 日本二十六聖人記念館、長崎県防空本部跡など長崎市街見学。
6月 2日 フェリーにて、長崎12:25 → 福江港16:20で福江島へ移動。
6月 3日 レンタサイクル借りて堂崎天主堂、福江城址など見学。
6月 4日 福江09:20→長崎港12:25。その後、JR,路線バス乗り継いで、雲仙の温泉ホテルへ。
6月 5日 雲仙地獄めぐりをした程度で、温泉でノンビリ。
6月 6日 路線バス、JR乗り継いで長崎13:50→羽田15:30で帰宅しました。
写真は、軍艦島の遠景です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 船 ANAグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
軍艦島へ行くのには幾つかの方法が有るみたいですが、私は軍艦島デジタルミュージアム見学と、優先乗船がセットになったプランに申し込みました。
軍艦島デジタルミュージアムで乗船手続きをした後、軍艦島の概要説明を聞きます。
館内は基本的に撮影禁止なのですが、当時の住宅内を再現したこの場所だけ撮影okになってました。 -
イヨイヨ軍艦島へ向かって出港します。生憎の雨です。
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軍艦島が見えてきました。
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いきなり着岸するのではなく、島をほぼ一周してくれます。
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ほぼ反対側にまわった所です。
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そして軍艦島へ着岸しました。
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長いこと放棄された町ですから荒廃しているのはしょうがないですが、何か寂しさを感じます。
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ヘリコプターでもチャーターしないと見れないので、掲示されていた上空から見た軍艦島を。これが西側からの写真。
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そしてこちらが東側からの写真です。
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最初に広場みたいなところで注意点などを含めた説明を聞きます。
軍艦島内は安全確保の為、傘の使用が禁止されてました。大勢の人が着ている薄い紫色のレインコートは、船内で200円で販売された物。結構雨が降っていたので、私も一枚購入しました。 -
そして散策開始。勿論、こういう中には入ることできません。
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散策の為の遊歩道が整備されているので、ガイドの方を先頭に島内散策。
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ガイドの方は実際にこの島内で働かれていて、当時の島内の様子などを説明してくれます。
この建物がガイドの方が実際に住まわれていた建物です。 -
一通り説明を聞いて船に戻ります。
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最後に、船着場から見上げた軍艦島をもう一度。
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軍艦島から戻って、グラバー園に行きました。
肝心のグラバー邸は改修工事中で見ることできませんでした。
ただ他の幾つかの建物は見学できました。これは1896年に建築された三菱第2ドッグハウス。
船が修理などでドッグに入っている間、船員たちの宿泊施設として利用されたものです。 -
この建物は内部にも入れて、ベランダから見た長崎港。
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長崎はオペラ「蝶々夫人」の舞台でもあるので、蝶々夫人の銅像も建ってます。
モデルは、30年にわたり世界各地で蝶々夫人を演じたソプラノ三浦環です。1915年にボストンで蝶々夫人を演じて評判になります。そして、メトロポリタンオペラに初めて迎えられた日本人歌手でもあります。 -
他にも幾つかの建物には入ることができて、グラバー特設展が開催されてました。
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当時のオルゴールなども展示された部屋。
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当時の厨房なども残されてました。
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長崎と言えば、鎖国時代に西洋に唯一開いていた窓口ですから、こんな記念碑も建っています。
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グラバー邸は改修工事中でこんな状態。残念。
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グラバー園の近くに有る、大浦天主堂へ。
1597年に殉教した日本二十六聖人に捧げられた教会です。殉教地・西坂の方向に向かって建てられています。 -
またここは韓国カルメモツで殉教した4人の遺骨を、1882年から1894年まで大切に保管してくれたことに感謝して記念碑が建てられています。
韓国の方々にとっても大切な場所らしく、当日は多くの韓国人の方が、韓国語でお祈りしてました。 -
6月1日はサント・ドミンゴ教会跡から見学。
ここは1609年に鹿児島から逃れて来たドミニコ会のモラレス神父が、長崎代官が寄進した土地に建てた教会跡です。現在は桜町小学校構内ですが、校門とは別の入り口から資料館に入ることができます。 -
これが内部の遺構跡です。出土した瓦なども展示されています。
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教会跡地の近くに有る長崎歴史文化博物館で、町奉行による取り調べの寸劇を見ました。演じているのはボランティアの役者さん達。
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博物館の奥にある、長崎県防空本部跡も見学してきました。
太平洋戦争中、県の防空施策の中心的役割を担っていた場所。空襲警報が発令されると、県知事などが集まり応急対応などの指揮・連絡場所として使われた場所です。 -
内部の様子です。
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このような状態になっていて、立ち入れない場所も有ります。
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こういう広い空間も有りますが、当時を偲べるような状態再現展示みたいなものは有りません。
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西坂に在る、日本二十六聖人の殉教地に建つ聖フィリッポ教会に来ました。
日本二十六聖人殉教記念碑には十字架に二十六聖人が彫られています。
この奥に、日本二十六聖人記念館が有ります。 -
記念館の内部です。
二十六聖人だけではなく、隠れキリシタン、潜伏キリシタンに関する資料なども陳列されています。 -
歴史博物館から二十六聖人記念館へ行く途中で見掛けた長崎観音福済寺へ戻りました。
”フーコーの振り子があるお寺”って気になりますよね。 -
チョット坂を上った所にある変わった楼門。
文殊般若の門と言うらしいです。原爆で焼失した為、1979年にデザイン一新で再建されたのだそうです。 -
下側の左右に分かれている湾曲部は原子雲を表し、中央の輪が犠牲者7万余人が一団となって往生安楽する事を意味しているそうです。
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そしてこれが観音像が建つ本殿。観音像の頭部から、フーコーの振り子がぶら下がっています。
振り子の長さとしては日本最長、世界でも3番目の長さを誇ると説明書きに有りましたが、何故観音様にフーコーの振り子なのかは明記されてませんでした。 -
そしてこれが本殿地下で見られる、フーコーの振り子。
生憎動いてませんでしたが、シカゴの博物館と異なり、原理の説明が日本語で書かれています。これと一週間チョット前に実際に動いていたシカゴのフーコーの振り子を思い出して、少し理解が進んだような。
明日は、福江島へ渡ります。福江島以降は別旅行記にしましたので、宜しかったらお読み下さい。
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この旅行記へのコメント (2)
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- ももであさん 2020/04/17 16:14:32
- フーコーさんの振り子
- urufeeさん♪
折角なのに長崎へお越しいただきありがとうございますm(_ _)m
地球が自転していることを再現し、永遠に回り続ける地球とともに、
人類も「永遠に平和であること」への願いをこめて設置されたもの。
だそうですよ。
原産地長崎のももであ
- urufeeさん からの返信 2020/04/17 22:10:38
- RE: フーコーさんの振り子
- ももであさん
教えて頂きありがとうございました。
”人類も「永遠に平和であること」への願いをこめて設置された”とは知りませんでした。
本当に世界中が平和になれば、もっともっと沢山の国に行けるのにと思います。
でも現在は地域紛争よりも、新型コロナに打ち勝つ方が先ですね。日本国内の旅行もできないですもんね。
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