2019/11/17 - 2019/11/20
192位(同エリア480件中)
爺一人旅さん
ミャンマー旅行も、世界遺産の「Pyay古代都市」を残すだけとなった。モンユワからマンダレーに出て、旅行代理店でPyay行バス(14,000チャット)を予約したが、訊いた話では、昼間走るPyay路線はほとんどないらしい。
朝ツクツクを頼んで、南バスターミナルの事務所に着いた。09:00発のバスでPyayに向かう。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩 バイク
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今日のバスは、ベンツで2+1座席。客が数人集まってきたら、乗って良いことになった。
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定刻発で、最初はヤンゴンに向けて高速道路を走ったが、やがて道を外れてカントリーロードに入った。細く曲がりくねった道路とそれに合わせたバスの動き、時間と同じ緩慢になってきた。
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バスを見て走ってきた男の子、何でも珍しい年頃だ。バスは、6時ころPyayのターミナルに到着したが、辺りは薄暗くなってきて、バイタクを頼んでホテルまで移動した。バイタクの兄ちゃんに、明日の観光も頼む。
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ホテルの朝食は、時間になったのに何も出ていない。開いているかと訊いたら、そうだと言ったので、ジュースを飲見ながらバルコニーにいたら、いつの間にかチャーハンとバナナが出ていた。これが朝か?とそれでも食べ始めたら、暫くして、おっさんが目玉やきを持ってきたので、ありがとうと言って頂いた。その内に、若者がまた目玉焼きを持ってきた。おっさんのは形が悪いので、作り直したと言っていた。またありがとうと食べているうちに、おっさんがチキンカレーを一皿持ってきた。いよいよ夕食になってしまった。チャーハン2/3 カレー1/4ほど食べて残した。きつくなった腹のまま、朝来たバイタクと価格交渉をして、イザ「古代都市」に向かった。入口には、全体の発掘範囲が掲示されている。巨大な砲弾型の塔は3か所にあって、遠くからも確認できた。
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スタートは、製鉄所の跡。鉄文明はアフリカで起って、ヨーロッパからアジアに伝わったので、ここの鉄文明は日本よりも早かったのだろう。BC2世紀-AD5世紀と言えば、日本の鉄器時代に入るのか? 後で調べてみよう。
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原っぱの小道には舗装などなく、雨期にえぐられたタイヤ後が、干からびて固まった粘土の上に残っている。倒れそうに揺れるバイクにしがみ付いて行くと、現代風のレンガ造りの家があった。修復したのだろうが、傾斜した屋根を持つ建築は珍しいので、思わず声が出てしまった。
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犬走りの様な外周を素足で周ると、入り口から覗ける柵の中には、仏像が置いてあるだけでした。
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更に行くと、観光牛車に乗ってきた欧州の観光客が集まっていた広場に出ました。
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ランドマークになっている「ボーボージー・パゴダ」では、修復された様子が写真で掲示されていた。間近で見るとデカ過ぎて、写真に納まらない。大きいものは富と力のシンボルか、この都の強大さが目に浮かぶようです。
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側面の円筒はレンガで、当時の漆喰が少し残っていた。中に何か入っていたのか、写真には何も出ていなかった。
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また道を走ると、「Bei Bet Pagoda」と表示があった。頭の飛び出た建築で、元々尖った塔になっていた頭が崩れて、丸い煙突風になったのかとも思える可笑しな形が印象的です。
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ここも鉄格子で入れないが、お釈迦様と2人の従者。ちょっと奇妙なお姿です。
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「Lay Myet Hna Pagoda」と出ていましたが、ここも屋根に塔の名残りが見えます。さっきの倍ほどの大きさです。
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さっきと同じレリーフで彫られていますが、こちらはなじみの図柄です。何がと言いますと、お釈迦様が右手を垂らして左手をお腹の辺に置く、今まではこのポーズでしか見たことが無かったのです。
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更に更に進むと、頭だけ見えているパゴダに出会いました。真面目に発掘すれば、下には大きな本体が有るはずなので、何とも残念なことです。
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発掘された最大級の寺になるが、残念修復中だった。
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発掘敷地内にある博物館は、今日休館日でしたが、欧州の客が来たので30分ほど開けるそうです。ラッキーでした。 入口には、1960ー61年に建てられた博物館の写真が飾ってありました。ここ「スリ・クシュートラ」からは、19世紀の末から発掘が始められていて、最初発掘品は、近くのお寺に保管されたそうです。
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大きく分けて、宗教に関するものと、日常生活が伺える展示物になります。面白画像だけ入れます。BC2世紀~AD5世紀の製品です。
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富の象徴は金細工ですが、金貨や指輪に彫られた模様がとても面白い。
右の指輪は、表面に古代文字が刻まれています。Pyayは特別な文字を使っていたらしく、解読できない物がまだたくさん残っています。左は、太陽や月をモチーフにした模様の様です。 -
ペンダントになった、家庭用のお釈迦様です。庶民が、お寺で買い求めたか、何か寄進した時に頂いたのだと思われます。
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出土品の左から、
「皿」は、銀細工。
「鍋」は、鉄の取っ手が付いている。
「ボウル」は丸いので、台に接する場所に金属がロウ付けされている様な?
5世紀以前の物ですから、すごい技術だと感心しました。 -
釘ですから、木造建築が有ったことになります。様々なサイズが出土しているので、大掛かりな建物だったと想像できますが、中国や日本の古代建築との技術差など、どうだったのか興味のある所です。
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太陽や月を表現したと言われていますが、色々見ていくとヨーロッパから影響された様な模様が沢山ありました。いくら都市と言っても、貨幣を鋳造する技術や使われる範囲を考えれば、何処かから持ち込んだのかと思ったりします。
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高貴な人の椅子の両脇を、お供の人が支えています、までは普通です。下を見ると、何か動物が背負っている様にも見えます。椅子ごと持ち上げたり、2輪車にして押したり、はたまた像に乗ったりなどよく見るのですが、このレリーフは初めてです。もう一つの見方は、椅子の下からペットが顔を出すレリーフ。 んなこと無いか?
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パゴダの下で瞑想中? 両サイドには、日傘をかざしている人の姿。このように大きいパゴダが、既に作られて使われていた。
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仏教らしくないレリーフなので見ていたら、インドのヴィシュヌ神のモゴモゴと書いてありました。すみません、英語を正確に理解できませんでした。腰布を巻いて、前に手ぬぐいをぶら下げたようなイメージは、やはりヒンズー教かなと思えます。インドが近く、当時は混在していたのか、何処に行っても仏像の今この国では、とても興味が有ります。
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ライオンのモチーフは、「ハリン」遺跡からも出土していますから、こちらでも一般的な存在だったのでしょうか。インドで起こった宗教なら、インド原産のベンガルトラなんか出て来ると、イメージしやすいのですが、何故かライオンなのです。
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「Bei Bet Pagoda」に有った物と同じです。 普通の座釈迦に見えますが、腕の位置が反対なのです?? 他の仏像では、左腕を前に置き、右腕を膝から垂らして瞑想する構図です。はて、私がおかしいのでしょうか。
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帰り道に都合が良いのか、博物館の後に世界遺産の碑の有る、王宮要塞跡に連れてこられた。今はPyayで、当時はPyuと呼んでいたと聞いたが、そもそも古代文字表記なので真意は分からない。この地の王朝は、紀元前2世紀から存在していたが、9世紀ころの王朝に破壊されて、この場所からはレンガの壁跡が見えるだけだ。
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王宮要塞跡付近から、Phayamar仏舎利塔が見えます。西の端に有ったのか、この兄ちゃんは立ち寄りませんでした。
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遺跡から離れて、眼鏡大仏に向かう道路沿いに在ったパヤーマー・パゴダです。とりあえず、3つの仏舎利は見ました。今度は、町の西にある眼鏡大仏に行きます。
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バイクの荷台に30分、ようやく眼鏡大仏に着きました。ここは、お寺と僧院が一緒の様な場所です。兄ちゃんの後について入ると、有りました「眼鏡大仏」が。眼鏡が無ければ沢山の中の只の大仏ですが、お参りに来た人の目が治った事から、ユニークな名所になりました。
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これが初代の眼鏡です。日本だと、不謹慎とか汚すとか言われそうですが、何のその「ご利益」の仏像です。
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丁度、2人の僧がマイクに向かって、お経を唱えていました。その声は、スピーカーで外に流れています。訓練を積んだ僧侶の声は、綺麗なハーモニーを作っていて、聞いていて飽きませんでした。
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翌日も、同じバイタクで、今度は町巡だ。さあ行こうと言ったら、何処に行くと聞いてくる。あれ? 兄ちゃんが見どころ満載と売り込んだのではないかいと思ったが、町の中心に行くよう要請。ついたのが、ここ「Shwe San Daw Pagoda」だった。マンダレーヒルなどと同じで、素足になってエレベーターに乗る。
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大きなパゴダで、Pyayの町が一望できる。向こうがエレベーターで、橋を渡ってこちらに来たが、途中お花売りのお姉さんと写真を撮った。風が心地よい。
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上は広くて、さまざま仏像が置いてある前では、立ってお祈りする人、座ってお祈りする人、お花を供える人が絶えない。家族もいれば夫婦や若いカップルもいて、信仰心が強い以上に、娯楽の少ない地域での縁日の賑わいにも見える。
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ガラスケースの中に保管された、金箔を貼った仏像。
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手のような形を持った、奇木。偶然の産物を擬人化するので、お布施が絶えない。
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隣にも仏像? こことは、関係のないものだそうです。こちらを向いていると、誰でも一度は頭を下げてしまいそうです。
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屋内に鎮座した仏像。 「仏像、ぶつぞう、またブツゾウ」である。
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パゴダから、「エーヤワディ川」方向を眺めると、結構町らしくなっている。降りたら、川沿いまで行ってみよう。
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下りは階段を使った。両側には、土産や日常品は沢山並べられている。
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パゴダを出てすぐ、廃校みたいなPyayの駅に着いた。ミャンマーでは、大戦時の列車遺産を騙しだまし使っている間に、バス路線が発達してしまったことから、今では外国人マニアの観光資源程度になってしまった。
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一日で何本出発するのだろうか、ベンチに寝ている人や線路を横切って近道する人、見ている間に次々と繰り広げられる風景が楽しい。
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駅の直ぐ前に、アウンサン将軍の像があった。恐らく、何処の町にもと言うくらい建っていて、国民の英雄なのです。地図の上では中心街で、ラウンドアバウトの周りと、その先が繁華街になっている。何処かでお茶を飲んでぶらつく気もしたが、バイタクを使っているとやりにくい。川沿いを周ってみる。
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パゴダから見えたエーヤワディ川のたもとは、低木が繁っていて入れないのだが、一部に公園が出来ていた。カップルのデートスポットなのか、何組かバイクで来ていた。この橋を渡って、山を越え北上すること500㎞で、ミャウーに行けるはずだ。バスの工程は地獄と言われるが、乗り越えた後の遺跡は素晴らしいので、飛行機でもよいからいつかチャレンジしたいものだ。
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橋まで上って歩くと、運搬船があちこちに停泊している。何ともゆっくりしている。
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さっきまでいたパゴダは、結構高い位置に在ったのだと気が付いた。さて、このは後はどうしよう。兄ちゃんに、何処か無いのか? と訊くが、どうもやる気がない。「見るところが沢山ある」と言ったじゃないかと突っ込みを入れるが、顔が暗い。話を聞けば、短大で一緒だった奥さんは、銀行員で給料も良く、自分は教員になれずにバイタクの運ちゃん。やってられないので、何時かシンガポールでタクシーをやるのが希望だとか。しかし、明るい未来の為にも、客が楽しめる場所くらい、独自に開発できる姿勢が無いとなぁ~!
明日は、バスでヤンゴンに戻り、直接空港から帰国する。行く先々で、シニアと見られる様になったのか、現地で会話の弾むことが多くなった。また何時か、戻ってきたい国になってしまった。
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