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 切り通しがあり、切り分けられた2つの頂には範茂史跡公園と足柄台中がある。この繋がっていた山が関本宿の境界だったのだろう。<br /> 切り通しの峠から善福寺に下りる手前にコンクリートブロック塀に「範茂史跡公園」の看板が掛かっている。登山道を挟んで会社のプレハブの事務所があり、人が表に出ていたので、「何時の時代の遺跡なのですか?」と尋ねると、「直ぐですから、行けば分かるでしょう。」ということだ。急な登山道を登って行くと法面には関東タンポポが群生し、花を咲かせている。見た目には城址か!とも思えた。しかし、隣の足柄台中の場所まで繋がっていたとしたら、相当な大城になろう。<br /> 山頂は広々とした広場になっている。その広場には高校生の男女が来ていてボール蹴って遊んでいる。休校中で暇な時に、彼に電話し、ジャージを着て自転車の前のカゴにサッカーボールを載せて誰もいない範茂史跡公園に出て来てサッカーボールを蹴りあって戯れているのだ。その後、二人は別々に帰って行く。彼は私の登って来た急坂をトボトボと降りて行く。<br /> 範茂史跡公園には藤原範茂の墓が建っている。それが範茂史跡公園という所以のようだ。<br /> この切り通しを通る道路の端には関東タンポポが咲いているがこれは範茂史跡公園への登山道に生えている関東タンポポの綿毛が飛んで下りてきて殖えたものであろう。<br />(表紙写真は藤原範茂の宝篋印塔)

範茂史跡公園

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2020/03/16 - 2020/03/16

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 切り通しがあり、切り分けられた2つの頂には範茂史跡公園と足柄台中がある。この繋がっていた山が関本宿の境界だったのだろう。
 切り通しの峠から善福寺に下りる手前にコンクリートブロック塀に「範茂史跡公園」の看板が掛かっている。登山道を挟んで会社のプレハブの事務所があり、人が表に出ていたので、「何時の時代の遺跡なのですか?」と尋ねると、「直ぐですから、行けば分かるでしょう。」ということだ。急な登山道を登って行くと法面には関東タンポポが群生し、花を咲かせている。見た目には城址か!とも思えた。しかし、隣の足柄台中の場所まで繋がっていたとしたら、相当な大城になろう。
 山頂は広々とした広場になっている。その広場には高校生の男女が来ていてボール蹴って遊んでいる。休校中で暇な時に、彼に電話し、ジャージを着て自転車の前のカゴにサッカーボールを載せて誰もいない範茂史跡公園に出て来てサッカーボールを蹴りあって戯れているのだ。その後、二人は別々に帰って行く。彼は私の登って来た急坂をトボトボと降りて行く。
 範茂史跡公園には藤原範茂の墓が建っている。それが範茂史跡公園という所以のようだ。
 この切り通しを通る道路の端には関東タンポポが咲いているがこれは範茂史跡公園への登山道に生えている関東タンポポの綿毛が飛んで下りてきて殖えたものであろう。
(表紙写真は藤原範茂の宝篋印塔)

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  • 「範茂史跡公園」。

    「範茂史跡公園」。

  • 登山道。

    登山道。

  • 登山道。

    登山道。

  • 土塁に見える。

    土塁に見える。

  • 登山道。

    登山道。

  • 柑橘類の畑。

    柑橘類の畑。

  • 足柄台中。

    足柄台中。

  • 階段を上ると広場だ。

    階段を上ると広場だ。

  • 階段脇の菜の花。

    階段脇の菜の花。

  • 広場。

    広場。

  • 広場奥に遊具。

    広場奥に遊具。

  • 広場に遊具。

    広場に遊具。

  • 広場の遊歩道。

    広場の遊歩道。

  • 藤棚。下に彼女が乗ってきた自転車がある。

    藤棚。下に彼女が乗ってきた自転車がある。

  • 「藤原範茂卿の墓」。

    「藤原範茂卿の墓」。

  • 藤原範茂の宝篋印塔と石碑。

    藤原範茂の宝篋印塔と石碑。

  • 墓石。

    墓石。

  • 藤原範茂の宝篋印塔。<br /><br />鎌倉前期の公卿藤原範茂は後鳥羽上皇に仕えていた。承久3年(1221年)の「承久の乱」では上皇側で出陣するが、北条義時軍に敗れて捕らえらる。そして、京から幕府のある鎌倉へ護送される途中、足柄関を越えてから、麓を流れる狩川の支流(貝沢川)において、斬首を避けるために入水したとされる。これは、当時の仏教理解では、首が離れてしまっては往生ができないと考えられていたからである。<br />また、「承久の乱」において、敗れた後鳥羽上皇も配流となるが、親鸞上人が帰京した理由の一つとして、上皇の配流が挙げられることもある。なぜならば、越後へ上人を配流(「承元の法難」)したのは、他でもない後鳥羽上皇であるからである。ともに配流された法然上人はすでに往生したが、上人は生まれ故郷の京に戻ることができた。<br />範茂史跡公園の麓にある善福寺は上人所縁の浄土真宗本願寺派(西本願寺派)のお寺である。

    藤原範茂の宝篋印塔。

    鎌倉前期の公卿藤原範茂は後鳥羽上皇に仕えていた。承久3年(1221年)の「承久の乱」では上皇側で出陣するが、北条義時軍に敗れて捕らえらる。そして、京から幕府のある鎌倉へ護送される途中、足柄関を越えてから、麓を流れる狩川の支流(貝沢川)において、斬首を避けるために入水したとされる。これは、当時の仏教理解では、首が離れてしまっては往生ができないと考えられていたからである。
    また、「承久の乱」において、敗れた後鳥羽上皇も配流となるが、親鸞上人が帰京した理由の一つとして、上皇の配流が挙げられることもある。なぜならば、越後へ上人を配流(「承元の法難」)したのは、他でもない後鳥羽上皇であるからである。ともに配流された法然上人はすでに往生したが、上人は生まれ故郷の京に戻ることができた。
    範茂史跡公園の麓にある善福寺は上人所縁の浄土真宗本願寺派(西本願寺派)のお寺である。

  • 石碑。

    石碑。

  • 石碑。

    石碑。

  • 林の中に点々と石が。

    林の中に点々と石が。

  • 広場。

    広場。

  • トイレ。

    トイレ。

  • コンクリートブロックを敷き詰めた広場。

    コンクリートブロックを敷き詰めた広場。

  • 「公園内での注意事項」。

    「公園内での注意事項」。

  • 駐車場。

    駐車場。

  • 道路。

    道路。

  • 「範茂史跡公園」。

    「範茂史跡公園」。

  • 広場。

    広場。

  • 東屋。

    東屋。

  • 生垣。

    生垣。

  • 丸い庭園。

    丸い庭園。

  • 丘からの眺め。

    丘からの眺め。

  • 登山道の関東タンポポ。

    登山道の関東タンポポ。

  • 切り通し。

    切り通し。

  • 切り通しの関東タンポポ。

    切り通しの関東タンポポ。

  • 「切り通し」。

    「切り通し」。

  • 切り通しの関東タンポポ。

    切り通しの関東タンポポ。

  • 峠の桜。

    峠の桜。

  • 切り通しの関東タンポポ。

    切り通しの関東タンポポ。

  • 矢倉岳。

    矢倉岳。

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