2015/03/07 - 2015/03/11
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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■春の車旅~相生・奈良・柳生・伊賀上野・志摩・伊勢・姫路・岡山~
【 手記 】
春の車旅5日目、最終日です。姫路駅前Hを出発して想い出ふかい姫路城を散策後、岡山後楽園へやって来ました。20年ぶりくらいの訪問だと思います。梅林が見ごろ~散った椿もきれい。前撮りカップルも華やかでした~♪
※2020.02.26編集
▽岡山後楽園の概要 ~時代と共に移り変わる後楽園~ HPより
岡山後楽園は、今から約300年前に岡山藩2代藩主池田綱政[いけだつなまさ]が藩主のやすらぎの場として作らせた庭園です。
綱政の時代には、藩主の居間延養亭[えんようてい]や園内に点在する建物の座敷から眺望を楽しむという要素の強い庭でした。
綱政の子継政[つぐまさ]は能舞台周辺の建物を大きく改築し、園内中央に唯心山を築き、そのふもとに水路を巡らせ、沢の池と廉池軒の池を結ぶひょうたん池を掘らせました。
こうした改変で庭を巡り歩いても楽しい回遊性が備わってきました。
継政の孫治政[はるまさ]は倹約のため、田畑の耕作に当たっていた人々をやめさせ、一時的に芝生の庭園となりますが、その後すぐに園内東の大半は田畑へと戻ります。
現在の井田[せいでん]はその名残です。こうした時代ごとの藩主の好みや社会事情によって後楽園の景観は変化し、その積み重ねが歴史となっています。
▽江戸時代のおもかげを伝える日本三名園
江戸時代の後楽園には、許しがあれば領民も入ることができました。
能を好んだ綱政は自ら舞う姿を見せたり、継政以後の藩主たちは、参勤交代で岡山を留守にする間は日を決めて庭を見せています。また、藩主のお客をもてなす場としても使われました。
明治4年(1871)、池田家では「御後園」を「後楽園」と改め、17年には名園保存を目的に岡山県に譲渡しました。
当初は公園ではなく県庁付属地として公開されたため、日没閉門などの決まりを作って保存が図られました。
昭和9年(1934)の水害、20年の戦災に遭いましたが、江戸時代の絵図などに基づいて復旧がはかられ、江戸時代の姿を大きく変えることなく今日に受け継がれています。
大正11年に名勝に指定され、昭和27年には文化財保護法による特別名勝に指定されました。
江戸時代のおもかげを伝える庭園として多くの方に愛され、金沢の兼六園、水戸の偕楽園とあわせて「日本三公園」と称され、今では日本三名園として親しまれています。
園内の梅林では、紅梅白梅合わせて100本の梅が楽しめます。
■春のロングドライブ旅 5日目(最終日)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆姫路駅前H出発
★姫路城/兵庫県姫路市本町
▼山陽自動車道
▼岡山後楽園(観梅)/岡山県岡山市北区後楽園
▼岡山城散策/岡山県岡山市北区丸の内
▼山陽自動車道
▼道の駅「笠岡ベイファーム」菜の花畑/岡山県笠岡市カブト南町
▼山陽自動車道
◆広島市自宅着 チカレタ~^^;
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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■春の車旅~相生・奈良・柳生・伊賀上野・志摩・伊勢・姫路・岡山~
春の車旅5日目、最終日です。姫路駅前Hを出発して想い出ふかい姫路城を散策後、岡山後楽園へ向かいました。写真は姫路城。 -
▽岡山市内/岡山県岡山市北区
岡山後楽園訪問は20年ぶりくらいだと思います。懐かしいな。 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
正門 到着~。梅林が見ごろで散った椿もきれい、前撮りカップルも華やかでしたよお~♪ -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
・岡山後楽園の概要 ~時代と共に移り変わる後楽園~ HPより
岡山後楽園は、今から約300年前に岡山藩2代藩主池田綱政[いけだつなまさ]が藩主のやすらぎの場として作らせた庭園です。 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
綱政の時代には、藩主の居間延養亭[えんようてい]や園内に点在する建物の座敷から眺望を楽しむという要素の強い庭でした。 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
綱政の子継政[つぐまさ]は能舞台周辺の建物を大きく改築し、園内中央に唯心山を築き、そのふもとに水路を巡らせ、沢の池と廉池軒の池を結ぶひょうたん池を掘らせました。 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
こうした改変で庭を巡り歩いても楽しい回遊性が備わってきました。 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
継政の孫治政[はるまさ]は倹約のため、田畑の耕作に当たっていた人々をやめさせ、一時的に芝生の庭園となりますが、その後すぐに園内東の大半は田畑へと戻ります。 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
現在の井田[せいでん]はその名残です。こうした時代ごとの藩主の好みや社会事情によって後楽園の景観は変化し、その積み重ねが歴史となっています。 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
サザンカは花びらが個々に散るが、ツバキは丸ごと落ちる。 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
散った椿がきれいですねー。そうでしょ、ハトポッポさん? -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
岡山城と廉池軒(れんちけん) 漆黒の城「岡山城」、散策記は次の旅行記でアップします。夜ライトアップされた景色はきれいなんだろうなあ。 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
五十三次腰掛茶屋 東海道五十三次駅の絵を描いた扁額が掲げられていることから、「五十三次腰掛茶屋」と言われています。 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
五十三次腰掛茶屋 草葺きで、クヌギの皮付き丸太を柱にしています。竹と雑木を混ぜた格子の窓を設けて、「沢の池」を眺めるのに格好の場所になっています -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
五十三次腰掛茶屋 格子を通して眺めることで、池を広く見せる技巧。この亭は江戸時代にはなく、明治16年の絵図に初めて現れています。 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
慈眼堂(じげんどう) 池田綱政が元禄十年(1697年)に池田家と領民の繁栄を願って建立し、観音像を祀りました。 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
沢の池(さわのいけ) 園内中央にある池で、左から島茶屋(しまぢゃや)のある中の島(なかのしま)、釣殿(つりどの)のある御野島(みのしま)、白砂青松が美しい砂利島(じゃりじま)があります。 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
売店お休み処と茶畑(右) -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
和装前撮りの花嫁さんだアー! -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
ツグミが芝地を小走りに移動してました。 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
梅林(ばいりん) 梅林は幕末近くなってできました。 今では紅白あわせて約百本の木が他の花に先がけて春を告げ、詩歌の題材として好まれています。 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
またまた~和装前撮りの花嫁さんだ。 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
梅林(ばいりん) -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
梅林(ばいりん) 満開見ごろ、きれいです! -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
なんと!このカップルは美男美女ですネー。 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
え~のお~^^;わたくしにもこんなときがありました。おしあわせに~♪ -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
梅林(ばいりん) 能を好んだ綱政は自ら舞う姿を見せたり、継政以後の藩主たちは、参勤交代で岡山を留守にする間は日を決めて庭を見せています。また、藩主のお客をもてなす場としても使われました。 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
梅林(ばいりん) 明治4年(1871)、池田家では「御後園」を「後楽園」と改め、17年には名園保存を目的に岡山県に譲渡しました。 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
梅林(ばいりん) 当初は公園ではなく県庁付属地として公開されたため、日没閉門などの決まりを作って保存が図られました。 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
梅林(ばいりん) 昭和9年(1934)の水害、20年の戦災に遭いましたが、江戸時代の絵図などに基づいて復旧がはかられ、江戸時代の姿を大きく変えることなく今日に受け継がれています。 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
梅林(ばいりん) 江戸時代のおもかげを伝える庭園として多くの方に愛され、金沢の兼六園、水戸の偕楽園とあわせて「日本三公園」と称され、今では日本三名園として親しまれています。 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
梅林(ばいりん) 白梅と紅梅 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
茶祖堂(ちゃそどう) もとは利休堂(りきゅうどう)といい、幕末の岡山藩家老の下屋敷(しもやしき)から移築された茶室で、千利休を祀っていました。 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
梅林(ばいりん) 前撮りカップルも華やかでした~♪ -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
梅林(ばいりん) きれいな花嫁さんだ。 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
梅林(ばいりん) 梅林で花嫁さんを入れた構図、仕方なくこうなりました。なぜなら・・・ -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
梅林(ばいりん) 前撮り中の写真屋さんが下におられたので・・・ -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
廉池軒(れんちけん) 戦災をまぬがれた数少ない建物の一つで、池に架かる石橋や対岸の小島なども、往時の姿を今に伝えています。 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
廉池軒(れんちけん) 園内に点在する亭舎の中で、築庭を指示した藩主池田綱政がもっとも好んで利用していたといわれています。 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
地蔵堂 園内の六鎮守の一つ。二色が岡の中に、静かにまつられています。 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
これはツグミではなくて・・・ ヒヨドリですね。 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
沢の池(さわのいけ) 園内中央にある池で、左から島茶屋(しまぢゃや)のある中の島(なかのしま)、釣殿(つりどの)のある御野島(みのしま)、白砂青松が美しい砂利島(じゃりじま)があります。 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
売店お休み処 修学旅行かな? -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
先ほどの前撮りしていたカップルだ。 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
バックに黒漆塗りの岡山城 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
園内を一周してきました。ふたたび落ちツバキ、うまいこと光が入ってきている。 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
思えばこんな光景を求めて旅をしているのかもしれない。 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
癒されますのおー。 -
▽岡山後楽園/岡山県岡山市北区後楽園
ポトリ・・・と一輪。以上で春の車旅「岡山後楽園」を終了します。
-
▽黒漆塗りの岡山城/岡山県岡山市北区丸の内
次の旅日記は、春の車旅第20編「黒漆塗りの岡山城散策記」です。
THE END. それでは、また~。
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