2020/02/20 - 2020/02/20
532位(同エリア1141件中)
ゆっくさん
ペリーがやってきた幕末の動乱期に、日本で最初に開港した下田の歴史を感じるために、ゆかりの寺を巡り、ご朱印を拝受してきました。下田や関連の方々には大変恐縮ですが、下田滞在が3時間だったため、勝手に以下の四寺を中心に巡っています。
・宝福寺・・・下田奉行所が置かれた場所
・了仙寺・・・日米和親条約(付録)が調印された場所
・長楽寺・・・日露和親条約が調印された場所
・玉泉寺・・・米領事館が置かれた場所
宝福寺、了仙寺、長楽寺は駅から徒歩でいける距離ですが、玉泉寺だけ2km程離れた場所にあります。歩けない距離ではないですが、時間も限られていることから、今回はレンタサイクルを借りて、移動しました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- JR特急 JRローカル 私鉄
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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スタートは、伊豆急下田駅。
下田駅の出口改札は、なんともおしゃれな改札でした。黒船をモチーフにした改札と伊豆下田関所と書かれた出口。幕末の匂いがプンプンです。自動改札ではないため、電車が到着すると駅員さんが改札に立ちます。Suicaをタッチする機械はありました。伊豆急下田駅 駅
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駅を出ると、広場に黒船が。
サスケハナ号といい、ペリー艦隊が日本に入港した際の黒船だそうです。本物は全長100m、乗組員は300名とのこと。今でも100mの船は巨大だと思いますが、当時の人達は、もっと驚いたでしょうね。ちなみにサスケハナ号は下田には入港していません・・・。
黒船は1853年に浦賀に最初に入港、そして翌1854年に再度入港し、日米和親条約を神奈川(横浜)で締結します。その際に下田と箱館(函館)の開港が約束されます。ここに日本の200年に及ぶ鎖国政策が終わりを告げました。
その後、開国の街「下田」にて日米和親条約の詳細が詰められ、調印されます。 -
まずは下田のマップを入手すべく、観光案内所へ。
改札出てすぐの場所に、おそらく伊豆急行の観光案内所が、そして、駅を出てロータリーの信号を渡った先に下田市観光協会の観光案内所があります。私は下田市さんにてマップや説明を聞きました。下田市さんがスタンプラリーを実施中で、私が行きたかった4つのお寺が、ちょうどそれにも入っていたためです。
また、レンタサイクルですが、駅前に何軒かあります。 -
観光案内所前にある地図です。
効率よく回るために、宝福寺→了仙寺→長楽寺→玉泉寺という行程に決定。途中、行路にある関連施設も巡れたら良いなと思います。 -
まずは、観光案内所前の大通りマイマイ通りを南下し、最初の訪問地である宝福寺へ。自転車だと1分程で到着です。徒歩でも数分位の場所。
宝福寺は、1559年に創建された浄土真宗のお寺です。幕末に関して、主に大きく3つの舞台となりました。幕末3つの出来事の舞台地 by ゆっくさん宝福寺 寺・神社・教会
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1つ目が日米和親条約の際の日本全権の本陣として下田奉行所が置かれたこと。
もともと京と江戸とを結ぶ海路の重要拠点として発展した下田ですが、1616年に奉行所が置かれたものの、より江戸に近い浦賀に奉行が移り1721年に廃止されました。その後、1854年に日米和親条約で下田が開港することになり、再度奉行所が、ここ宝福寺に開所。そして1859年に日米修好通商条約が締結され、江戸に外国人の駐留が許可されるまで置かれていたそうです。
本殿の入り口には、下田奉行所(跡)という看板が立っています。 -
2つ目が「唐人お吉(とうじんおきち)」のお墓があることです。本堂の隣には「唐人お吉記念館」も建っています。
1857年米国最初の総領事としてハリスが下田にやってきますが、お吉は、幕府の要請でハリスの妾になります。ハリスが下田を去った後、異人の妾だと罵られ、世間に受け入れられず、入水自殺をはかったそうです。宝福寺の住職が、それを哀れに思い、お墓を立てて弔ったとか。
実際には、ハリスは当時53歳でしかも清教徒の厳粛な信者であり、一生独身であったことから、持病の看護のために3日間だけ奉公しただけとの記録もあるとのことで、真偽は不明だとか。
いずれにしても、ここ宝福寺にはお吉のお墓があります。舞台や歌舞伎にもなっているとのことで、それらの関連物も含めて、遺品等が展示されているとのことです。唐人お吉記念館 美術館・博物館
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3つ目が坂本龍馬飛翔の地。
1863年土佐藩主山内容堂が江戸から帰る途中に、下田に途上し、この宝福寺に泊まっていました。たまたま勝海舟も下田に来ていることを聞いた容堂が宴席を申し出、そして勝海舟が龍馬の脱藩の罪の許しを請い、認められたとのこと。つまり、藩からの飛翔した地ということになります。ちなみに、龍馬も下田にいましたが、別の場所で待機していたとのことです。
本堂前に龍馬の石像と木像があり、龍馬推しが一番強く感じました。 -
ご朱印は、本堂の隣にある唐人お吉記念館で拝受できます。「本尊 阿弥陀如来」「唐人お吉菩提寺」とありました。
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続いて、了仙寺へ。
その前にちょっと寄り道。マイマイ通りを南下すること自転車で2分程。徒歩でも10分弱。了仙寺の一つ手前にあるハンギングバスケット通りと呼ばれる道を右折すると中央公民館の前に「吉田松陰拘禁之跡」という碑が建っています。
ここには元々長命寺というお寺が建立されていたそうですが、1854年に黒船に密航しようとした吉田松陰が、ペリーに拒絶され、自首した際に、2週間程捕らわれていた場所だそうです。松陰24歳。
松陰は、その後、地元萩で幽閉され、松下村塾を開き幕末の志士を育てていきますね。ちなみに、下田市と萩市は姉妹都市だそうです。黒船に乗れず、捕まえられていた寺跡。 by ゆっくさん吉田松陰拘禁の跡 (長命寺跡) 名所・史跡
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更に寄り道。
Uターンして、ハンギングバスケット通りをまっすぐ、マイマイ通りの次の交差点を右折したら、マックスバリューの前に「欠乏所跡」という石碑がひっそりと建っています。
下田の開港は、貿易港というよりは、薪炭・食糧・水といった、物資(欠乏品)を供給する補給基地港でした。で、ここで、その欠乏品が売買されていたとのこと。ということは、当時はこの付近まで、海だったのかな。ここにマックスバリューがあるのも、何かの繋がりがあるんでしょうね。米艦隊の補給基地跡 by ゆっくさん欠乏所跡 名所・史跡
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欠乏所跡の道をまっすぐ南下すると、了仙寺に到着します。
了仙寺は、1635年に開山された日蓮宗のお寺です。ここでの幕末の舞台は、日米和親条約(付録)が調印されたこと。
1854年、神奈川(横浜)で日米和親条約が締結されます。この際、下田と箱館(函館)の開港、物資の確保、アメリカ人の安全の保障などが決まりましたが、詳細はまだ詰められていなかったそうです。そこで、継続した話し合いが、ここ下田の了仙寺で行われいたとのこと。国指定史跡となっています。日米和親条約(付録)が調印されたお寺 by ゆっくさん了仙寺 寺・神社・教会
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本堂正面には「ペリー提督黒船陸戦隊調練の図」の複製が掲げられています。調印の際の、ここ了仙寺でのアメリカ海軍の歓兵式や軍楽隊によるパレードの様子が描かれています。ここにペリーが居たかと思うと、身震いが。
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ご朱印は、本堂で拝受できました。「日米下田條約締結地」「南無妙法蓮華経」とあります。
ちなみに、本堂の真向かいには、「黒船ミュージアム」があります。黒船やペリーに関する資料が収集されており、教科書で見かける資料も多数あるとのこと。
また、了仙寺は別名ジャスミン寺とも呼ばれているらしく、5月にはアメリカジャスミンが境内を彩り、同時期に先のパレードを再現した「黒船祭」も行われるそうです。 -
黒船ミュージアムの脇の山門を通り、ペリーロードへ。
ほどなく、長楽寺への看板が出てきます。 -
長楽寺は、1555年に開山された真言宗のお寺です。伊豆88遍路の第42番所、伊豆横道33観音の第23番霊場です。伊豆七福神の弁財天様がいます。ここでの幕末の舞台は、日露和親条約が調印されたこと。
1854年、日米和親条約が締結されことを受け、ロシアが同様に、ここ長楽寺で交渉し、日露和親条約が締結されます。この条約では、箱館・下田・長崎を開港し、北方四島を日本の領土、樺太を両国の領土とすることなどが取り決められたそうです。
ちなみに、ロシアとの前に長崎でイギリスと和親条約が結ばれ、そして翌年には長崎でオランダと和親条約が結ばれたようです。まさに開国の時代だったんですね。
日露和親条約が調印されたお寺 by ゆっくさん長楽寺 寺・神社・教会
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ご朱印は、本堂のお隣のお家?で拝受できました。3種類用意されており、今回はこちらを拝受。「聖観世音」とあります。聖観世音は、先に述べた松陰拘禁の地にあった長命寺の本尊でして、あちらが廃寺になった後、こちらにて聖観世音菩薩様を安置しているとのことです。
なお、手前には宝物館があり、日露和親条約に関する資料や松陰の遺品、そして唐人お吉の遺品も展示されているとのことです。 -
そして、再びペリーロードへ。
ペリーロードは、平滑川沿って続く石畳の道で、両側にはなまこ壁からなる歴史感漂う建物が並んでいる通りです。ペリーが港から、交渉・調印場所の了仙寺まで、部下を引き連れて歩いた場所だとか。日米和親条約(付録)の交渉・調印のために通った道 by ゆっくさんペリーロード 名所・史跡
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500m程続きます。
夜には、電気ではなく、本当のガス灯が灯るとのことです。本来、カフェやアンティークショップ等が立ち並ぶ通りとのことですが、時間帯が悪かったのか、閑散としていました。 -
そしてちょっと寄り道。ペリーロードから100m程先の港には、ペリー艦隊来航記念碑が建っています。説明版には、ペリー上陸の碑とありますが、日本初上陸は浦賀で、浦賀にも上陸の碑があるためか、胸像には来航記念碑となっていました。
錨はアメリカ海軍から送られたものらしく、そして左側には2004年の日米交流150周年の際に、ペリーの出身地から送られた灯りが焚かれており、当時のジョージブッシュ大統領のメッセージが掲げられています。日本最初の開港地 by ゆっくさんペリー上陸記念碑 名所・史跡
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ここから一気に下田湾をぐるっと回って玉泉寺へ向かいます。距離にして2㎞。歩くと30分程。自転車で10分程でしょうか。
ペリー上陸記念碑は、写真中央ちょい右上、そして玉泉寺は、見切れてしまっていますが、画面左の弁天島付近です。玉泉寺だけ、今までの史跡とは違って、下田市街地から離れた場所にあります。これは、日米どちらが望んだんでしょうね。 -
海岸沿いには、龍馬の銅像がありました。
龍馬が勝海舟に、ここ下田にて「蝦夷地開拓」の夢を語ったそうです。にしても、なぜか、街中に龍馬像が多く、龍馬推しが強いと感じる下田でした。下田湾を龍馬と一緒に眺められます。 by ゆっくさんまどが浜海遊公園 公園・植物園
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玉泉寺は、途中大きな道を逸れますが、看板も出ており、迷うことはないと思います。1580年代に改宗された曹洞宗のお寺です。伊豆88遍路の第40番所。ここでの幕末の舞台は、日本初の米国総領事館が置かれたこと。国指定史跡となっています。
玉泉寺 寺・神社・教会
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1854年に日米和親条約により下田が開港。そして2年後の1856年、ここ玉泉寺にハリスが総領事として着任し、総領事館が開設されました。その日、境内には星条旗が掲げられたとのこと。お寺に星条旗・・・。凄い時代です。
ハリスは交渉を進め、更に2年後の1858年日米修好通商条約の締結に至ります。この条約では、函館、神奈川、新潟、兵庫、長崎を貿易港として開港し、また米国使節の江戸駐留も可能となりました。
これにより、1859年にハリスも江戸に引っ越します。つまり、ここ玉泉寺では、ハリスが引っ越しする3年弱の間、米国領事館としての機能を有していたこととなります。 -
玉泉寺の奥には、ハリス記念館があります。ハリスをはじめペリーや通訳官ヒュースケンの愛用の遺品や関連資料、当時の村長の日記、古文書等が多数展示しているとのことです。また、ここは、先に出てきた「唐人お吉」の舞台となった場所でもあり、お吉や一緒に奉公に上がったお福に関する展示もあるとのこと。
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ご朱印は、ハリス記念館で拝受できます。2種類用意されており、今回はこちらを拝受。「初代米国領事館」「本尊釈迦如来」とあります。
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ということで、帰路のため、駅に向かいます。途中、遊覧船のサスケハナ号に遭遇。下田湾を20分かけて周遊しているそうです。ペリー艦隊は、これの4倍で、しかも7隻同時に入ってきたそうですから、威圧的だったでしょうね。
それとなくですが、幕末の動乱期の下田開港からハリスの引っ越しまでの5年間を浅学ながら、ご朱印の拝受と共に巡れたかと思います。限られた時間でしたので、次回はゆっくりと遊覧船や各資料館や街並みにも足を運べたらと思います。下田名物、金目鯛も食べなきゃですね。
お疲れさまでした。ありがとうございました。伊豆クルーズ 乗り物
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