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チュニジアの世界遺産のすべて8か所をTDR社の15日間ツアーに参加して巡ってきました。チュニジアに旅するのは、今回は2度目。予定していたツアーに人数が集まらなくてキャンセルとなったため、急遽同じ期間に出発するこのツアーに参加することにしました。<br />日程は下記。ただし、帰国日にフライトが遅延したために、ドーハ宿泊と観光が予定外のおまけとなり、16日間ツアーとなりました。<br /><br />11月16日 羽田発<br />11月17日 ドーハ乗継チュニス着 イシュケウル国立公園観光 タバルカ泊<br />11月18日 タバルカ観光→ブラレジア遺跡→ドゥッガ遺跡 ケロアン泊<br />11月19日 ケロアン観光→スフェチュラ遺跡→トズール泊<br />11月20日 ネフタ観光→オング・エル・ジュメル観光→トズール泊<br />11月21日 ジェリド湖→ドゥーズ→マトマタ泊<br />11月22日 マトマタ観光→クサール・ギレン泊<br />11月23日 クサール・ハダダ→シェニニ→クサール・ウレド・スルタン→タタウィン→ジェルバ島泊<br />11月24日 ジェルバ島観光 ジェルバ島泊<br />11月25日 エル・ジェム→スース観光 スース泊<br />11月26日 ハマメッド観光→ケルクアン遺跡→チュニス泊<br />11月27日 チュニス近郊とバルドー博物館 チュニス泊<br />■11月28日 カルタゴ遺跡→シディ・ブ・サイド チュニス泊<br />■11月29日 午後チュニス発→ドーハ フライト遅延でドーハ泊<br />■11月30日 ドーハ観光  ドーハ発<br />12月1日  成田着<br />この旅行記は、カルタゴ遺跡、シディ・ブ・サイドを掲載します。<br />表紙の写真は、シディ・ブ・サイドのモスクにて。

チュニジア周遊とジェルバ島(9)----カルタゴとシディ・ブ・サイド

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2019/11/16 - 2019/12/01

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チュニジアの世界遺産のすべて8か所をTDR社の15日間ツアーに参加して巡ってきました。チュニジアに旅するのは、今回は2度目。予定していたツアーに人数が集まらなくてキャンセルとなったため、急遽同じ期間に出発するこのツアーに参加することにしました。
日程は下記。ただし、帰国日にフライトが遅延したために、ドーハ宿泊と観光が予定外のおまけとなり、16日間ツアーとなりました。

11月16日 羽田発
11月17日 ドーハ乗継チュニス着 イシュケウル国立公園観光 タバルカ泊
11月18日 タバルカ観光→ブラレジア遺跡→ドゥッガ遺跡 ケロアン泊
11月19日 ケロアン観光→スフェチュラ遺跡→トズール泊
11月20日 ネフタ観光→オング・エル・ジュメル観光→トズール泊
11月21日 ジェリド湖→ドゥーズ→マトマタ泊
11月22日 マトマタ観光→クサール・ギレン泊
11月23日 クサール・ハダダ→シェニニ→クサール・ウレド・スルタン→タタウィン→ジェルバ島泊
11月24日 ジェルバ島観光 ジェルバ島泊
11月25日 エル・ジェム→スース観光 スース泊
11月26日 ハマメッド観光→ケルクアン遺跡→チュニス泊
11月27日 チュニス近郊とバルドー博物館 チュニス泊
■11月28日 カルタゴ遺跡→シディ・ブ・サイド チュニス泊
■11月29日 午後チュニス発→ドーハ フライト遅延でドーハ泊
■11月30日 ドーハ観光  ドーハ発
12月1日  成田着
この旅行記は、カルタゴ遺跡、シディ・ブ・サイドを掲載します。
表紙の写真は、シディ・ブ・サイドのモスクにて。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
5.0
グルメ
4.5
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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  • チュニジア周遊とジェルバ島(8)----ケルクアンとバルドー博物館とチュニス近郊からのつづきです。<br /><br />11月28日 チュニスの朝、部屋のベランダから見る朝日です。<br />この日は、カルタゴ遺跡やシディ・ブ・サイド、チュニス市内等に行きます。

    チュニジア周遊とジェルバ島(8)----ケルクアンとバルドー博物館とチュニス近郊からのつづきです。

    11月28日 チュニスの朝、部屋のベランダから見る朝日です。
    この日は、カルタゴ遺跡やシディ・ブ・サイド、チュニス市内等に行きます。

  • 9時 ホテルを出発して、はじめにビュルサの丘のカルタゴ遺跡に来ました。<br />林の奥は、19世紀に建てられたサン・ルイ教会。

    9時 ホテルを出発して、はじめにビュルサの丘のカルタゴ遺跡に来ました。
    林の奥は、19世紀に建てられたサン・ルイ教会。

  • ビュルサの丘からの眺望。<br />ここは、ローマ帝国により破壊される前のフェニキア時代、カルタゴの中心地であったところです。奥に地中海が、海沿いに街並みが広がっています。

    ビュルサの丘からの眺望。
    ここは、ローマ帝国により破壊される前のフェニキア時代、カルタゴの中心地であったところです。奥に地中海が、海沿いに街並みが広がっています。

  • 古代カルタゴの起源は紀元前9~8世紀ころ、地中海貿易で街は繁栄して領土を拡大しましたが、勢力を伸ばしてきたローマ帝国との間で、3度に渡るポエニ戦争をはじめとした争いが起こり、最終的には第3次ポエニ戦争(紀元前149年 - 紀元前146年)に敗れ、滅亡してしまいます。

    古代カルタゴの起源は紀元前9~8世紀ころ、地中海貿易で街は繁栄して領土を拡大しましたが、勢力を伸ばしてきたローマ帝国との間で、3度に渡るポエニ戦争をはじめとした争いが起こり、最終的には第3次ポエニ戦争(紀元前149年 - 紀元前146年)に敗れ、滅亡してしまいます。

  • 丘からすぐ下に古代カルタゴ時代の住居跡が見られます。

    丘からすぐ下に古代カルタゴ時代の住居跡が見られます。

  • 古代カルタゴ時代の住居跡。

    古代カルタゴ時代の住居跡。

  • 古代カルタゴ時代の住居跡。

    古代カルタゴ時代の住居跡。

  • 古代カルタゴ時代の住居跡。

    古代カルタゴ時代の住居跡。

  • ビュルサの丘に建てられているカルタゴ博物館。訪れた2019年11月はクローズしてました。

    ビュルサの丘に建てられているカルタゴ博物館。訪れた2019年11月はクローズしてました。

  • カルタゴ博物館の横、丘の山頂付近に残る古代カルタゴ時代の建物跡。ローマ帝国によって街は徹底的に破壊されたと言われていますが、丘の周りを掘り起こせば、当時の遺構などが見つかるようです。

    カルタゴ博物館の横、丘の山頂付近に残る古代カルタゴ時代の建物跡。ローマ帝国によって街は徹底的に破壊されたと言われていますが、丘の周りを掘り起こせば、当時の遺構などが見つかるようです。

  • 古代カルタゴの想像図(カルタゴ博物館にて2003年撮影)。ビュルサの丘を中心とした放射状の道路が形成され、海岸沿いまで街が広がっています。<br />当時の街の人口は、20万人以上だったと考えられています。第三次ポエニ戦争 (紀元前149~ 146年)後に、ローマが虐殺したカルタゴ市民は、15万人に上り、捕虜とした者も5万人にも上ったとされることから推測できます。<br />手前、海岸沿いにリング状のカルタゴ軍港があります。

    古代カルタゴの想像図(カルタゴ博物館にて2003年撮影)。ビュルサの丘を中心とした放射状の道路が形成され、海岸沿いまで街が広がっています。
    当時の街の人口は、20万人以上だったと考えられています。第三次ポエニ戦争 (紀元前149~ 146年)後に、ローマが虐殺したカルタゴ市民は、15万人に上り、捕虜とした者も5万人にも上ったとされることから推測できます。
    手前、海岸沿いにリング状のカルタゴ軍港があります。

  • バスで少し移動し、高級住宅地の通りを歩いてローマ人が築いたカルタゴの街に行きます。

    バスで少し移動し、高級住宅地の通りを歩いてローマ人が築いたカルタゴの街に行きます。

  • カルタゴを滅亡させたローマ帝国は、その後この地を併合してローマの属州とし、元カルタゴだった街の上に新たな都市を作りました。<br />ここは、新たにローマ人が作ったローマ時代の遺跡です。

    カルタゴを滅亡させたローマ帝国は、その後この地を併合してローマの属州とし、元カルタゴだった街の上に新たな都市を作りました。
    ここは、新たにローマ人が作ったローマ時代の遺跡です。

  • ローマ人の住居跡です。<br />

    ローマ人の住居跡です。

  • ローマ人の住居跡です。

    ローマ人の住居跡です。

  • 緩やかな斜面を貫く石畳のメインストリート。

    緩やかな斜面を貫く石畳のメインストリート。

  • 復元されているローマ時代の住居。<br />中庭に頭部のない彫像が建っています。

    復元されているローマ時代の住居。
    中庭に頭部のない彫像が建っています。

  • モザイクの床も残っています。

    モザイクの床も残っています。

  • 海が見える斜面に残る4世紀頃建てられた住居跡。

    海が見える斜面に残る4世紀頃建てられた住居跡。

  • バスで少し移動して、トフェと呼ばれる古代カルタゴ時代の共同墓地に来ました。<br />紀元前400年から紀元前200年の間に建造されたと推定されています。

    バスで少し移動して、トフェと呼ばれる古代カルタゴ時代の共同墓地に来ました。
    紀元前400年から紀元前200年の間に建造されたと推定されています。

  • トフェの墓石群。<br />これらの墓石は、生贄として神に捧げるために焼かれた幼児の墓と考えられていましたが、真偽のほどは謎の様です。

    トフェの墓石群。
    これらの墓石は、生贄として神に捧げるために焼かれた幼児の墓と考えられていましたが、真偽のほどは謎の様です。

  • 墓石に丸い頭と三角形の胴体と横に出た手からなるタニト神の印が見えます。<br />これと同じものは、先日訪れたケルクアン遺跡の住宅の床にも描かれていました。

    墓石に丸い頭と三角形の胴体と横に出た手からなるタニト神の印が見えます。
    これと同じものは、先日訪れたケルクアン遺跡の住宅の床にも描かれていました。

  • 洞窟の中にも沢山の墓石が並んでいます。

    洞窟の中にも沢山の墓石が並んでいます。

  • バスで街中を少し移動して、古代カルタゴ時代の軍港跡に来ました。<br />静かな自然の入江に見えますが、中央の島を囲むように造られた人工の港です。<br />紀元前4~2世紀頃にこれだけの港を造ったというのは驚きです。

    バスで街中を少し移動して、古代カルタゴ時代の軍港跡に来ました。
    静かな自然の入江に見えますが、中央の島を囲むように造られた人工の港です。
    紀元前4~2世紀頃にこれだけの港を造ったというのは驚きです。

  • こちらは軍港につながる外側の商業港だったところ。

    こちらは軍港につながる外側の商業港だったところ。

  • 街中を少し移動して、海沿いにあるアントニヌスの共同浴場へ来ました。

    街中を少し移動して、海沿いにあるアントニヌスの共同浴場へ来ました。

  • 海を背にして2世紀ローマ時代に造られた公共浴場です。

    海を背にして2世紀ローマ時代に造られた公共浴場です。

  • アントニヌス浴場。

    アントニヌス浴場。

  • かっては風呂を楽しむローマ人たちで賑わっていたであろう崩れた部屋が並んでいます。 <br />

    かっては風呂を楽しむローマ人たちで賑わっていたであろう崩れた部屋が並んでいます。

  • 温水風呂や水風呂やサウナや休憩室やトイレなど、全部で100部屋以上ありました。

    温水風呂や水風呂やサウナや休憩室やトイレなど、全部で100部屋以上ありました。

  • ドーム状の屋根が見えています。

    ドーム状の屋根が見えています。

  • 建物の屋根に建つ2本の円柱・・・当時の豪華さを今に伝えています。

    建物の屋根に建つ2本の円柱・・・当時の豪華さを今に伝えています。

  • レンガを積み重ねたアーチのある仕切り壁。

    レンガを積み重ねたアーチのある仕切り壁。

  • この溝はかって温水が流れていたのでしょう。

    この溝はかって温水が流れていたのでしょう。

  • 碑文が描かれた大理石の梁です。

    碑文が描かれた大理石の梁です。

  • 広大なアントニヌスの共同浴場の奥に、大統領の官邸が見えています。

    広大なアントニヌスの共同浴場の奥に、大統領の官邸が見えています。

  • 14時過ぎ  海の見えるレストランでランチをとった後、シディ・ブ・サイドに来ました。<br />

    14時過ぎ  海の見えるレストランでランチをとった後、シディ・ブ・サイドに来ました。

  • ここは景観保存地区に指定されていて、どの家も白い壁と青いドア、青い窓でほぼ統一されています。

    ここは景観保存地区に指定されていて、どの家も白い壁と青いドア、青い窓でほぼ統一されています。

  • チュニジアンブルーが目に焼き付く脇道。

    チュニジアンブルーが目に焼き付く脇道。

  • この街の富豪、ダール・エル・アンビナさんのお宅(私設の博物館)を拝見します。<br />宮殿のような大きなお宅です。こちらは、2階に上がる階段のある中庭。

    この街の富豪、ダール・エル・アンビナさんのお宅(私設の博物館)を拝見します。
    宮殿のような大きなお宅です。こちらは、2階に上がる階段のある中庭。

  • 嫁入り支度でもしているのか、ご婦人型の居間みたい。

    嫁入り支度でもしているのか、ご婦人型の居間みたい。

  • ご主人様の書斎。本箱に何やら難しい本が並んでいますが、勉強家だったのでしょう。

    ご主人様の書斎。本箱に何やら難しい本が並んでいますが、勉強家だったのでしょう。

  • お宅の屋上からの眺望。

    お宅の屋上からの眺望。

  • 部屋の窓からメインストリートを眺めています。<br />観光客はパラパラ・・・です。

    部屋の窓からメインストリートを眺めています。
    観光客はパラパラ・・・です。

  • メインストリートの突き当たり、創業は250年以上前という古いカフェ・デ・ナットがあります。

    メインストリートの突き当たり、創業は250年以上前という古いカフェ・デ・ナットがあります。

  • カフェ・デ・ナットのテラスからの眺望。<br />いつもはお客様で賑わっているカフェですが、この日は数人しかいませんでした。

    カフェ・デ・ナットのテラスからの眺望。
    いつもはお客様で賑わっているカフェですが、この日は数人しかいませんでした。

  • メインストリートを更に奥に進んで、地中海を一望できるビューポイントまで来ました。

    メインストリートを更に奥に進んで、地中海を一望できるビューポイントまで来ました。

  • フリータイムは、路地裏を散策します。

    フリータイムは、路地裏を散策します。

  • 白壁と青い空、チュニジアンブルーが目に焼き付く脇道で~す。

    白壁と青い空、チュニジアンブルーが目に焼き付く脇道で~す。

  • モスクのある広場に出てきました。

    モスクのある広場に出てきました。

  • ブルーの窓枠と白壁、それに青い空・・・アンダルシアの街並みかぁ~いえいえここはチュニジアです。

    ブルーの窓枠と白壁、それに青い空・・・アンダルシアの街並みかぁ~いえいえここはチュニジアです。

  • メインストリート沿いに戻ってきました。<br />お土産やさんを覗きます。

    メインストリート沿いに戻ってきました。
    お土産やさんを覗きます。

  • お土産屋さんが並ぶメインストリート。

    お土産屋さんが並ぶメインストリート。

  • 17時  バスで少し移動して、首都チュニスのメディナに来ました。

    17時  バスで少し移動して、首都チュニスのメディナに来ました。

  • ライトアップされたミナレットの見える細いストリートを歩きます。

    ライトアップされたミナレットの見える細いストリートを歩きます。

  • 布や服などが多く並んでいる通りを歩き~

    布や服などが多く並んでいる通りを歩き~

  • 旧市街メディナの中、グランドモスクに来ました。<br />このモスクの建造にあたっては、カルタゴ遺跡から持ち出された多くの石材が使われ、その後も何世紀にも渡り、改修が加えられ今の形となっています。

    旧市街メディナの中、グランドモスクに来ました。
    このモスクの建造にあたっては、カルタゴ遺跡から持ち出された多くの石材が使われ、その後も何世紀にも渡り、改修が加えられ今の形となっています。

  • 新市街のフランス通り沿いに立派なカトリックの大聖堂が建っています。

    新市街のフランス通り沿いに立派なカトリックの大聖堂が建っています。

  • 19時過ぎ  ランプを持つ道案内のおじさん。<br />暗い道をランプの灯を頼りに案内されたレストランで、ツアー最後の晩餐を楽しみます。

    19時過ぎ  ランプを持つ道案内のおじさん。
    暗い道をランプの灯を頼りに案内されたレストランで、ツアー最後の晩餐を楽しみます。

  • 11月29日 昼過ぎホテルを出発してチュニス空港へ。16時出発予定のドーハ行カタール航空便は、出発が約3時間遅れて離陸します。ドーハ到着が予定より3時間遅れたために、予定していた成田便に乗り継げません。深夜3時過ぎ、カタール航空が用意したドーハのホテル泊となります。<br />11月30日 遅くに起床。ホテルで遅めのランチをとった後、折角なので希望者3人と車をチャータしてドーハ観光を楽しみます。 <br />写真は、ドーハの旧市街にて。<br />12月1日 予定より1日遅れて、17時過ぎ成田着。<br /><br />砂漠でのテント泊や古代の様々な歴史に触れることが出来、更におまけのドーハ観光付きのチュニジア旅行でした。<br />最後までご覧いただき有難うございました。

    11月29日 昼過ぎホテルを出発してチュニス空港へ。16時出発予定のドーハ行カタール航空便は、出発が約3時間遅れて離陸します。ドーハ到着が予定より3時間遅れたために、予定していた成田便に乗り継げません。深夜3時過ぎ、カタール航空が用意したドーハのホテル泊となります。
    11月30日 遅くに起床。ホテルで遅めのランチをとった後、折角なので希望者3人と車をチャータしてドーハ観光を楽しみます。 
    写真は、ドーハの旧市街にて。
    12月1日 予定より1日遅れて、17時過ぎ成田着。

    砂漠でのテント泊や古代の様々な歴史に触れることが出来、更におまけのドーハ観光付きのチュニジア旅行でした。
    最後までご覧いただき有難うございました。

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