2019/11/29 - 2019/11/29
1300位(同エリア6947件中)
naoさん
京都の市街地を流れる鴨川に架けられた五条大橋西詰の、南北を五条通りと七条通りに、東西を鴨川と河原町通りに囲まれたエリアは、江戸時代には五条橋下(五条新地)、六条新地、七条新地という複数の遊郭が隣接する遊郭街でした。
このエリアの開発が始まったのは江戸時代中期の宝暦8年(1758年)頃だと言われ、宝暦11年(1761年)には、五条橋下(五条新地)が上七軒より茶屋株(茶屋営業許可証)を借受けて茶屋営業を始め、南京極町、平居町、都市町を中心に、南側に隣接する七条新地と共に発展し、寛政2年(1790年)には公許の花街になりました。
京都の遊郭と言えば、主に武家や富裕層を相手にした高級花街の「島原」の名前が先ずあがりますが、これに対して五条橋下(五条新地)をはじめとする一帯は一般庶民の為の花街であり、お茶屋、置屋、歌舞練場なども一応揃ってはいたものの、実態は娼妓がメインの遊郭だったと言われています。
明治時代に入ると、七条通りの近くにあった七条新地が正面通りの北側へ移動したこともあって、大正時代初期にはこれらの遊郭が合併して「七条新地」と呼ばれていましたが、昭和33年(1958年)に売春防止法が制定されると、名前を「五条楽園」と改め芸妓を主体とした本来の花街として再出発したものの、その陰では、娼妓専門のお茶屋が相変わらず非合法の売春営業を行っていました。
平成22年に、そんな非合法の売春営業が京都府警によって摘発されると、お茶屋や置屋は一斉に休業に追い込まれてしまい、入口に掲げられていた『五條楽園』の看板も撤去されてしまいました。
現在の「五条楽園」は、営業再開の見通しが立っていないことから、すでに廃業して建物を取り壊したお茶屋も一部にはありますが、かつてのお茶屋や置屋の建物が十数軒あまり現存していて、往時をしのばせる独特の風情がただよう町並みが広がっています。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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京阪本線清水五条駅に着きました。
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京阪本線は鴨川に沿って走っているので・・・
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清水五条駅の地上に上がってくると、目の前に五条大橋が架かっています。
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こちらは五条通り東側の光景で、この先の五条坂を上がると清水寺に通じています。
では、五条大橋を渡りましょう。 -
五条大橋から見た鴨川下流の景観です。
鴨川の右手(西側)一帯に「五条楽園」が広がっています。 -
この川は「五条楽園」の中央部を南北に流れる高瀬川です。
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では、「五条楽園」の北端から南に向かって歩きます。
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エノキの巨木がそびえる足元に石標が立っているのが見えます。
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この辺りは、平安時代前期の貴族、源融(みなもとのとおる)の邸宅「河原院(六条河原院)」があった所だそうです。
現在の地図でいえば、北は五条通、南は正面通、西は柳馬場通、東は鴨川に囲まれたエリアに相当するそうです。 -
源融は嵯峨天皇の皇子で、紫式部『源氏物語』の主人公「光源氏」の実在のモデルの一人と言われています。
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高瀬川右岸側から見た河原院跡。
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今度は、元の高瀬川左岸に戻って・・・
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高瀬川越しに見た右岸の町並みです。
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こちらは、高瀬川左岸沿いの通りから外れて足を踏み入れた地蔵小路の光景です。
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地蔵小路の突き当りの、八ツ柳小路にも風情ある町並みが続いています。
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こちらは、京都市内でチェーン展開されているお宿です。
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日本情緒が楽しめるお宿として、外人さんにも人気が高いようです。
では、高瀬川沿いの町並みに戻ります。 -
高瀬川越しに見た右岸の町並みです。
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高瀬川左岸の町並みを見返した光景です。
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こちらは「五条楽園」で最も風格のある、かつてのお茶屋「本家三友」です。
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「本家三友」については後程ご紹介するとして、ここからは高瀬川に架かる六軒橋を渡って、高瀬川右岸一帯の町並みを歩きます。
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六軒橋を渡ったところにあるのは、かつてのお茶屋「羽衣」の建物を再生した懐石料理店です。
かつてのお茶屋さんだけあって、この風情はさすがですね。 -
ここからは、先ほど高瀬川左岸から見えていた町並みを歩きます。
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こちらは京町家を使ったお宿です。
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紫色の暖簾が掛けられた建物も・・・
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京町家を使ったお宿になります。
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では、この辺りで六軒橋まで引き返して、そこから先の高瀬川右岸一帯の町並みを歩きます。
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さて、六軒橋を渡ったところにある懐石料理店まで戻って来ました。
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懐石料理店の玄関先には、満開の小菊の懸崖作りが置かれています。
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高瀬川西側の歌舞練場小路にやって来ました。
こちらは、かつてのお茶屋「本池中」です。 -
こちらも、かつてのお茶屋「梅鉢」です。
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こちらは「五条楽園」のランドマークとも言える、かつての「五条楽園歌舞練場」です。
大正6年(1917年)に建てられた木造3階建ての建物は、平成30年に不動産再生活用事業を数多く手がけている大手リノベーション会社によって買い取られ、現在、再生プロジェクトが進められているそうです。 -
「五条楽園歌舞練場」の先に、小さな窓から内部が見えるお店があります。
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こちらは、『手づくり茶筒の店』としてテレビでも紹介されたことのある「開化堂」さんです。
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「開化堂」さんは、明治8年(1875年)の創業以来、一貫して手づくりによる製品づくりを守り続けておられます。
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130余りもある細かい工程を経て、一品一品手作りされたこちらの茶筒は、茶筒の口に蓋を合わせると、ひとりでに蓋の重みで「ス~ッ」としまる精巧なもので、多くの人々に愛用されているそうです。
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さて、「本家三友」さんが見えるところまで戻って来ました。
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「本家三友」は屋号を「三友樓」といい、風格と規模を備えた歴史あるお茶屋さんでした。
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唐破風屋根の装飾が施された豪華絢爛な建物は、平成22年に「五条楽園」が遊郭としての機能を完全に失ってからは空き家になったまま放置されているようです。
これだけの貴重な建物ですから、「五条楽園歌舞練場」と同様に、何らかの手立てがないものかと考えてしまいます。 -
川向こうのタイル張りの建物も、かつてのお茶屋「芙蓉」です。
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こちらは町家を使ったレストランです。
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こちらは、先の八ツ柳小路でも見かけた、日本情緒が楽しめる宿として人気の高いチェーン展開されているお宿です。
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こちらは、明治時代から続く銭湯です。
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多くの銭湯が廃業していく今の時代にあって、こちらの銭湯もご多分に漏れず数年前に廃業の危機に陥ったんだそうですが、それを救ったのが現在のオーナーさんでした。
当時まだ20代だったオーナーさんは大変な銭湯マニアで、以前こちらでアルバイトしていた経験もあったことから、この歴史ある銭湯を引き継いで、見事に復活させたんだそうです。 -
高瀬川下流の景観です。
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桜の紅葉と銭湯。
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イチョウの黄葉と銭湯。
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こちらは、高瀬川右岸にある船廻し場跡です。
当時この辺りの川幅は9m余りあり、岸が砂浜のようになっていたので、京の町に米や日常雑貨などを運んでいた高瀬舟が方向転換するための場所として利用していたんだそうです。 -
またまた「本家三友」に戻って来ました。
ここからは、高瀬川を離れた遊郭街を歩きます。 -
「五条楽園」の町並みです。
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2階に手の込んだ手すりを設けた町家です。
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三ノ宮通りに少し入ったところにある町家です。
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玄関に「本家三友」と同じような唐破風屋根が架けられているので、こちらもお茶屋だったんでしょうね・・・。
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こちらは京町家を使ったお宿です。
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三ノ宮通りの町並みを見返した光景です。
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工夫を凝らした格子が散りばめられた町家です。
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丸窓がアクセントの町家です。
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ほぼ45度に曲がっている三ノ宮通りの町並みです。
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こちらの町家は、路地に面した壁に絵が描かれています。
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こちらの町家の玄関灯には、「お茶屋」と書かれています。
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三ノ宮通りの町並みを見返した光景です。
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こちらも、かつてのお茶屋「八千代」です。
現在も同じ屋号でお店を営んでおられるようです。 -
こちらは京町家を使ったお宿です。
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こちらは元々遊郭でしたが、昭和33年(1958年)に売春防止法が制定されると、「旅館平岩」という名前で旅館業に転身されました。
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さらに、平成28年には「宿や平岩」としてリニューアルオープンし、日本人のみならず、外国人観光客の人気も集めています。
リニューアルされてはいますが、通路、窓、階段手すりなど、随所にかつての遊郭の情緒が活かされいます。 -
こちらも京町家を使ったお宿です。
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杉板を竹の胴縁でおさえた外壁の、特徴的な外観を持つこの建物は「眼科・外科医療器具 歴史博物館」です。
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こちらは、古い町医者の診療室を復元して展示室にした資料館で、眼科と外科それぞれの個人医院に保存されていた江戸時代からの医療器具に加え、大学病院や個人医から寄贈された器具や資料類、約3000点が展示されています。
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こちらの近代建築は、世界に名だたるテレビゲームメーカーである任天堂の旧本社ビルです。
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任天堂は、明治22年(1889年)に花札製造会社として創業しました。
花札が遊郭の遊び道具として欠かせなかったこともあって、この地で創業したんでしょうね。 -
現在、内部は公開されていませんが、世界に冠たる任天堂の原点として、永く保存していただきたいものです。
ちなみに、任天堂の旧本社ビルや「眼科・外科医療器具 歴史博物館」が面している東西方向の通りが正面通りで、大正時代初期に合併した「七条新地」、すなわち「五条楽園」の南端になります。 -
ここから先は、当初の七条新地があったエリアになります。
玄関戸のガラスに「扇店」と書かれた町家です。 -
大屋根の一部が越屋根になっている町家です。
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浅黄色の外壁に虫籠窓のある町家です。
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2階の窓に木製手すりを付けた町家です。
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こちらは京町家を使ったお宿です。
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こちらも京町家を使ったお宿ですが、一棟貸しで営業しているようです。
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こちらは京表具店です。
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白漆喰塗籠めの虫籠窓や、妻面の犬矢来が見どころです。
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瓜型の虫籠窓のある町家です。
さて、この先が七条通りになるので、ここで東側の二ノ宮通りへ移動して、北に向かって歩きます。 -
二ノ宮通りへ移動してきました。
こちらの出格子のある町家は、路地の奥まったところに隠れていたので、気付かずに通り過ぎるところでした。 -
土蔵造りの町家です。
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『♪ 小さい秋見つけた~ ♪』
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こちらは京町家を使ったお宿です。
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くぐり戸の付いた町家です。
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杉板を竹の竪胴縁で抑えた、1階外壁がポイントの町家です。
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こちらも土蔵造りの町家です。
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浅黄色の土壁で塗籠めた虫籠窓のある町家です。
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「格子尽くし」という言い方がピッタリくる町家です。
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町並みの背中はこんな感じです。
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先ほど見た任天堂の旧本社ビルです。
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2階の窓が全て締め切られていますが、この風情ある姿から察するに、こちらもお茶屋さんだったんでしょうね・・・。
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こちらは、高瀬川に架かる正面橋です。
ちなみに、鴨川にも正面橋という名の橋が架かっていますが、いずれも正面通りのルート上に位置しています。 -
高瀬川の正面橋から正面通りを西側に歩いて、河原町通りの一本東側の通りへやって来ました。
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ここから南に歩いて・・・
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七条通りへ向かいます。
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白漆喰塗籠めの虫籠窓のある町家です。
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マンションの植え込みに植えられたモミジの紅葉がライトアップされています。
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玄関灯に灯がともる時間になったようです。
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ちょこっとだけ名栗加工の外格子をつけた町家です。
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ガラスの入った格子窓が入れられた町家です。
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小さな鍾馗様がいるのが見えますか?
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竹の影絵を演出するライトアップ。
さて、そろそろ七条通りです。 -
京阪本線七条駅を目指して歩いていると、高瀬川左岸沿いに風情ある町並みを見つけたので、ちょっと寄り道したくなりました。
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高瀬川左岸の町並みです。
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玄関で紫色の暖簾が揺れているのは京町家を使ったお宿です。
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同じような紫色の暖簾が掛かっているのは・・・
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きっとお宿ですよね。
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こちらは個人住宅として使われている町家です。
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高瀬川上流の光景です。
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高瀬川左岸に渡って来ました。
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クーラーの室外機まで格子で覆った町家です。
なお、この町家の右手に「伊田路地」と書かれた看板が掛かっているんですが、その奥には本当に路地が延びていました。 -
先ほど想像していたとおり、やっぱりこれは京町家を使ったお宿でした。
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左手の町家は、もう一軒の京町家を使ったお宿です。
では、先を急ぎます。 -
先を急ぎますと言っておきながら、七条通りでこの光景に出会った途端、またまた足を止めてしまいました。
もう、いい加減に京阪本線七条駅へ向かわなければ・・・。
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