2020/01/17 - 2020/01/17
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はくさんちどりさん
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多賀城跡を廻っているうちにお昼が過ぎたので、和食レストランまるまつ・城南店で株主優待券を使用して昼食を摂り、その後東北歴史博物館へ向かいました。
以前は東北歴史資料館でしたが、今は立派な建物になり、総合展示も充実して見応えがあります。3階にある無料のこども歴史館は、シニアには懐かしく、今時のキッズには物珍しい、昔の正月遊びなどもでき、近いうち孫たちを連れてまた来館したいと思いました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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建物の南側に、広い駐車場があります。
平日で空いており、博物館入口に近い方へ駐車しました。 -
入口から見た博物館の建物。
東北歴史博物館 美術館・博物館
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イチオシ
アプローチの右(=東)側に調整池があり、滝のようになっています。
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北東奥に今野家住宅(宮城県指定有形文化財)がありますが、藁葺き屋根の葺き替え中でしょうか?
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入館してすぐ、1階の案内図があります。
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トイレ入口脇のれきはく講座の案内。
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博物館の入場券売場・総合案内。
常設展示観覧料は、@460円で、高校生以下無料です。
2018年5月27日・NHKテレビ放送の「今夜も生でさだまさし」が、今野家住宅で前日撮影されたようで、色紙がありました。 -
館内の写真撮影については、このとおり。
テーマ展示と映像関係のみ、撮影不可となっています。 -
1階展示室入口の案内図。
特別展示はありませんでした。 -
通路右が常設展示室、左が特別展示室、奥に映像展示室とテーマ展示室。
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常設展示室入口。
旧石器時代に始まり、順路を辿ると、昭和の駄菓子屋に行き着きます。 -
旧跡時代~古代の流れ。
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旧跡時代の展示には北京原人の頭蓋骨があり、省略します。
これは縄文時代の竪穴住居。 -
内部の生活の様子(想像)。
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外での生活の様子。
犬は一定の時間間隔で尾を振り吠えるため、常設展示室内に響き渡ります。 -
2万年前の富沢(想像)。
富沢は仙台市南部の地名。 -
縄文時代、犬はシカやイノシシなどの狩に欠かせない貴重な家畜として大切にされたそうです。
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貝塚の断面が展示されていて、マグロまで食べていたようです。
縄文人は、意外にグルメだったのではないでしょうか?! -
主に東北地方から出土する遮光器土偶。
目の部分が、エスキモーが使用する遮光用雪メガネに似ていることから、この名が付いたとのこと。 -
米作りが始まった弥生時代。
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弥生時代前期の遠賀川式土器の東北地方における分布地。
分布図手前に展示されている土器は、秋田県地蔵田B遺跡出土。 -
古墳時代へ移行。
仙台市には遠見塚古墳がバイパス脇にあります。 -
宮城県の古墳分布図。
遠見塚古墳は、前方後円墳だったんですね! -
古墳時代の埴輪。
兵士っぽいです。 -
北海道系の土器の分布図。
本州の古墳時代に対応すると北海道の続縄文時代の土器の分布ということでしょうか?!
懐かしい能代市の寒川(Ⅱ遺跡)という地名に目がいってしまいました。 -
東北の大型古墳分布図。
富の集積が進んだ地域だったのでしょう。 -
福島県会津大塚山古墳の埋葬部について。
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埋葬部の南棺の復元模型(縮尺1:5)。
いろいろな物が一緒に納められていますね。 -
古代に入ると、エミシ対策で、城柵が築かれていきます。
西の出羽城(秋田)と東の多賀城が、8世紀前半に支配拠点として整備されます。 -
律令制における地方区分。
東北地方は東山道に区分されます。 -
平城京の政庁模型。
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太宰府の政庁模型。
大陸との関係もあり、重要だったのでしょう! -
多賀城の政庁模型。
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当時の陸奥国と出羽国。
大野東人が開こうとした連絡路も示されています。
現在でいうと、仙台北部道路・国道4号・国道457号・国道347号・国道13号経由といったところでしょうか、奥羽山脈を横断するのに最も標高の低い峠道を選んでいるように見えます。 -
国司の正装。
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政庁役人の勤務状況。
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兵士の仕事と住まい。
出身地は福島方面。 -
多賀城廃寺跡の伽藍配置。
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多賀城廃寺の模型。
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太宰府観世音寺絵図。
多賀城廃寺も同様だったと考えられています。 -
多賀城第Ⅱ期の復元模型。
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多賀城周辺の同時代の遺跡から出土する人面墨書土器。
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人面墨書土器。
用途と考えられていることが記載されていますが・・・? -
武力で衝突すれば戦争、エミシと政府の戦争と書いてあります。
宝亀11年(780年)に宝亀の乱(伊治呰麻呂の乱)が起こり、789年にはアテルイが官軍を大敗させています。
宮城県北部に栗原市(市制施行前は栗原郡)がありますが、一説には伊治(これはり)の一部母音・子音が入れ替わり、(くりはら)に転化したと言われています。 -
古代から中世へと進みます。
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藤原北家の流れを汲む奥州藤原氏の系図。
東北の中世史を飾る、奥州藤原氏による平泉文化、特に中尊寺金色堂は有名です。
安倍氏は出羽国の豪族、清原氏は陸奥国の豪族で、前九年の役と後三年の役の後、内紛に生き残った清原清衡が実父藤原経清の姓を名乗るようになりました。 -
国宝・金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅図のレプリカ。
所蔵者は中尊寺の大長寿院。 -
金色堂内陣柱のレプリカ。
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奥州藤原氏を滅ぼした源頼朝は鎌倉幕府を開き、東北地方へは奥大道が整備されます。
当時の湊や津も図に示されています。 -
南北朝時代の東北地方の武士。
赤が南朝側、青が北朝側。 -
江戸初期・寛文4年の東北諸藩所領。
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江戸時代の参詣の道。
東北からは、関東の寺社や遠くは伊勢神宮や金比羅様など。
他地方からは出羽三山などへ。 -
江戸時代の街道と航路。
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ワラ製の守り神、地域によって様々な姿でユニークに作られています。
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渾天儀(こんてんぎ)。
編暦作業に必要な天体観測を行う道具です。 -
江戸の街並み模型。
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染め物の型紙と染めた反物。
仙台市には現在も南染師町があり、かつては上(北)染師町もありました。 -
江戸時代の農具。
千歯こきなど、幼少期まだ田舎にあったので、懐かしいですね! -
戊辰戦争時の奥羽越列藩同盟。
新政府軍の移動経路と主な戦場が入っています。 -
太平洋戦争後のブラウン管テレビがある昭和の居間。
団塊の世代にとっては、ノスタルジーをかき立てられるシーンです。 -
同じく駄菓子やタワシ・洗剤などの日用品を売っている雑貨店の佇まい。
田舎でパンはもっと後だったような気がしますが、都会ではどうだったのでしょうか?!
キャラメルも、『50銭の飴』と言って、1円で2個手に入るのがありました。 -
駄菓子やせんべいがケースに入っています。
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薪で御飯を炊く鍔釜。
隣にガス器具も並んでいます。
総合展示室はこれで終わりです。 -
総合展示室を出ると、すぐに映像展示室があり、1日7回、東北地方の祭や芸能を映像で紹介しています。
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テーマ展示室1では、国指定遺跡・入の沢遺跡。
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テーマ展示室2では、柄鏡の美。
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テーマ展示室3では、仙台の近世絵画・新春を迎えて。
写真撮影ができないので、もうどんな展示だったか忘れています。
次に、3階のこども歴史館へ向かいました。
孫を連れてくるために、必見です。 -
こども歴史館の入口。
右側にドーム状の映像シアターがあり、東北地方の歴史的出来事、災害と防災などを映像で見ながら学べます。 -
現代のこどもたちには、このお茶の間は多分わからないでしょうね!
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ワークテーブル。
火起こし体験などができます。 -
かつてのお正月遊びのコーナー。
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福笑い、羽根つき、たこ揚げ、独楽回し・・・どれも最近やっているのを見たことがありません。
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いろいろな遊び道具が入っています。
ぜひ孫たちを連れてきたいものです。 -
鼓など、昔の楽器も置いてありました。
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こちらのコーナーは、昔の衣装や色紙など、『着る・色いろ・包む』のテーマで。
現代っ子は、このこども歴史館での体験をどう感じるのか、興味のあるところです。 -
博物館の北入口を出ると、最寄り駅と言うよりも隣接したJR東北本線国府多賀城駅が見えます。
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屋根改修中の今野家住宅前まで足を運んで、戻ります。
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正面入口の脇にあるショップとレストラン。
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レストランでは古代米料理が食べられるとのこと。
日が傾き始めているので、この後急いで多賀城廃寺跡へ向かうことにしました。
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