2020/01/17 - 2020/01/17
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はくさんちどりさん
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自宅からは車で30分もかからない多賀城、これまで近くをただスルーするだけだった多賀城、れっきとした日本百名城の1つです。スタンプラリーを始めてからでも、いつでも行けると思っている間に早十年。このままではいつまで経っても行けないと思って、とうとう行ってきました。
はるばる都から果てしなく遠い陸奥国までやって来て、蝦夷対策に城郭まで築いた大野東人の艱難辛苦を思うと、現在は完全に城跡で、建築物が一切なくとも、在りし日に思いを馳せることができ、不思議な気持ちがしました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
朝食後、空を見てから出かけることを決め、やって来た多賀城跡管理事務所の駐車場。
平日のせいか、空いていました。 -
多賀城跡管理事務所。
入口前に百名城のスタンプと多賀城跡附寺跡のパンフレットが置いてあります。
左は市川地区集会所。 -
管理事務所南側の空地にトイレがあり、その前に多賀城跡附寺跡の説明と多賀城市の遺跡・史跡マップ。
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最初に東門跡に向かいます。
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旧塩竈街道に突き当たり、右に向かうと東門跡がある大畑地区方面です。
左へ向かうと、六月坂地区(役所跡)があります。 -
大畑地区全景。
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平安時代には東門と西門を繋ぐ石敷道路が通っていたそうです。
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西門に向かう石敷道路。
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石敷道路東側。
手前は平安時代の外郭東門跡。 -
外郭東門跡の説明。
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平安時代の外郭東門跡付近全景。
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外郭東門跡。
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平安時代の東辺大垣跡。
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平安時代の東門北櫓跡の説明。
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推定復元図。
東門や櫓の位置関係がわかりやすいですね! -
要所にこのような案内標柱が立っています。
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こちらは奈良時代の外郭東門跡。
平安時代のものより東にあるので、奈良時代の縄張りがもっと広かったことになります。 -
奈良時代の外郭東門跡の説明。
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同上右側。
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平安時代の道路の延長部。
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大畑地区東側で、北から南を遠望。
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政庁第Ⅱ期の掘立柱式建物跡。
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結構広い建物だったようです。
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大畑地区の案内標柱。
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戻って旧塩竈街道の反対側(北側)にある外郭北東隅へ。
北東は鬼門に当たるので、特別な配慮があったのでしょうか?! -
外郭北東隅などの説明。
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現在は土台だけになっている東大垣の説明。
上部には、今はない江戸時代の姿が載っています。 -
左側に在ったと言うことですが、よくわかりません。
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ほぼ最北東端。
この先は下り傾斜になって加瀬沼に至ります。 -
旧塩竈街道沿いに戻る途中、道路の脇に高低几号標がありました。
明治の水準基準点で、左側の石に刻まれています。 -
高低几号標。
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六月坂地区の遠景。
桜の時期がいいようです。 -
管理事務所前まで戻り、今度はメインの政庁跡へ向かいます。
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管理事務所駐車場入口付近のマップ。
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いよいよ政庁跡に入ります。
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第Ⅱ期(8世紀後半)の政庁北殿跡から、後殿跡(手前)と正殿跡(奥)の全景。
現在の政庁跡は、藤原朝獦(あさかり→孝謙天皇・道鏡に対する乱で有名な藤原仲麻呂の四男)が大改修した第Ⅱ期の姿に基づいて整備されています。 -
政庁正殿の推定復元図。
その前に石敷広場。 -
正殿跡の基壇。
多賀城跡 名所・史跡
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石敷広場と奥の正殿跡の全景。
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政庁南門の推定復元図。
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南門跡全景。
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西翼廊跡。
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西南建物跡。
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東翼廊跡。
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東南建物跡。
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政庁復元模型。
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これで第Ⅱ期政庁の全体像がわかります。
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政庁の建物配置変遷図。
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第Ⅱ期の大改修。
朝獦は多賀城碑も建てていますが、この2年後に、父藤原仲麻呂の乱に連座して、一族ともども皆殺されています。 -
国府多賀城の説明図。
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せっかくなので、多賀城碑まで足を伸ばすことにしました。
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政庁前大路跡の説明。
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城前地区標柱。
政庁跡と多賀城碑の中間地区。 -
現在地だけ違うマップ。
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政庁前大路の復元工事中。
布積の切込接、部分的に打込接。 -
多賀城碑は工事現場の向かい側にあります。
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つぼのいしぶみと刻んであるようですが?
違うかもしれません。 -
イチオシ
この覆屋の中に多賀城碑があります。
屋根の上には西と書いてあります。多賀城碑 (壷碑) 名所・史跡
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多賀城碑。
上部の『西』はわかりますが、それ以外はよく判別できません。 -
このように刻まれているそうです。
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多賀城碑付近から見る政庁跡と大路復元工事現場。
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多賀城碑の南にある石碑。
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その背面。
右上に奥の細道云々と在ります。 -
近くにもう一つ石碑。
こちらは、御即位記念風致林と読めます。 -
背面から大正天皇御即位の記念と思われます。
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紀念碑付近からの多賀城碑覆屋。
こちらからは、屋根の上の『南』が見えます。 -
風致林の坂道を進むと、多賀城碑(つぼの石ぶみ)の説明板がありました。
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説明部分の拡大。
『つぼの石ぶみ』に関しては、青森県東北町の『日本中央』の碑とする説もあるようです。 -
立入禁止のロープが張られた先にある外郭南門跡。
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外郭南門跡の拡大写真。
説明板があります。 -
管理事務所の駐車場に戻る途中で、政庁跡を見ました。
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4年後に多賀城創建1300年を迎える記念復元事業の紹介。
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政庁への大路階段下から。
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帰りは東側を通ることにし、咲き誇るサザンカを見つけました。
かなり散っています。 -
政庁東殿跡があります。
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東殿跡。
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東脇殿跡。
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東楼跡。
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そして、多賀城趾石碑。
第Ⅱ期の藤原朝獦による大改修の後、多賀城は 伊治呰麻呂の乱で焼失した後の再建(第Ⅲ期)、日本三代実録に記された貞観陸奥国大地震(869年)による倒壊後の再建(第Ⅳ期)を経て、衰退期に向かったようです。
1142年の時を経て、再び巨大津波の襲来を見るとは思わなかったでしょう!
まったくの城跡ですが、いろいろ思うことの多かった百名城でした。
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この旅行記へのコメント (3)
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- Q太郎さん 2020/02/08 11:11:26
- はくさんちどりさん Q太郎です
- はくさんちどりさん ごぶさたしてました Q太郎です。
Q太郎翁もまたお近くの仙台在住ですが、
「多賀城」は、宮城県の名の由来となったなど歴史的背景から考えると、
もっと注目されてもいい場所かと思いますが、何故かお国の注力からは
いつも外されますねえ。・・・不思議です。
またのレポート愉しみにしています!
Q太郎
- はくさんちどりさん からの返信 2020/02/08 17:16:50
- Re: はくさんちどりさん Q太郎です
- Q太郎さん、こんにちは!
いいねとコメント、ありがとうございます。
確かに多賀城は、かつての首里城や太宰府と比べて、地味な感じは否めませんね!
でも、その代わり、静かにじっくりと見て回ることができるので、小生にとってはありがたいことです。
今月中に、『東北歴史博物館』と『多賀城廃寺跡』を作成する予定ですので、またよろしくお願いいたします。
はくさんちどり
- Q太郎さん からの返信 2020/02/08 17:34:03
- Re: はくさんちどりさん Q太郎です
- 愉しみにしています!
Q太郎
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