2020/01/17 - 2020/01/17
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はくさんちどりさん
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1月の午後4時近く、傾きかけた陽光を気にしながら、せっかくなので多賀城廃寺跡まで車を走らせました。数台分のスペースがある駐車場を利用することができます。
多賀城と同時期に創建されたと言われていますが、創建者が誰なのかについては資料がなく、また伽藍配置に関しても、遺跡調査・研究から同じ時代の太宰府観世音寺と同じであろうとされています。
昨年春、斑鳩の聖徳太子関連の寺院を見てきた感想からは、南の門から見て左に金堂、右に三重塔が向かい合い、それらの奥に講堂という配置は、岡本の法起寺に酷似しているような気がしました。
ただ、創建当時の東北地方は蝦夷と対峙する辺境の地であり、その後聖武天皇の発願で仙台に陸奥国分寺が創建されたこともあって、一度荒廃してからは、再興する者もいなかったのでしょう。
松などの林に囲まれ、今は逍遥と風が吹き抜けるだけなので、久しぶりに、徒然ない(秋田弁で、とじぇね=とても物悲しく侘しい)気がしました。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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多賀城廃寺跡の駐車場近くにある、多賀城の歴史見て歩きマップ。
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特別史跡多賀城廃寺跡。
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多賀城跡附寺としての位置づけでの説明。
発掘のことも記載されています。 -
多賀城廃寺跡のモノクロ空中斜め写真。
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東側から西向きに見ています。
奥の左手が講堂跡、右手が僧房跡になります。 -
講堂跡を北側(僧房跡)から。
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講堂の北側の大房跡。
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西倉跡。
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経蔵跡。
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講堂の南西にある金堂跡。
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イチオシ
金堂跡から見た塔跡。
かつてどんな塔が建立されていたのでしょうか?!
今は松風騒ぐだけです! -
講堂の南東にあって金堂と向き合う塔跡。
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芯礎とそれを取り囲む礎石。
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中門跡。
南側にさらに参道が続いていたらしいですが、史跡としてはこの辺までのようです。 -
中門跡の西側にある説明盤。
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多賀城廃寺の復元伽藍配置平面図。
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多賀城廃寺の復元立面図。
中門、左に金堂、右に三重塔、中央奥に講堂。
取り囲むように築地塀。 -
西南端にも説明があります。
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こちら側か回る人もいるのでしょう。
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中門跡内側から見た金堂跡。
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同じ場所から、塔跡。
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講堂跡に太い赤松が生えています。
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西の経蔵跡と対面した東の鐘楼跡。
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そして東倉跡。
多賀城と同時期の創建とすれば、神亀年間の聖武天皇の御代になりますが、奈良東大寺と比べれば、その違いにただただ驚くばかりです。
そして、当時から今に至るまで、中央政権から見た東北地方の位置づけは、まったく変わっていないと思うばかりでした。
多賀城シリーズ おわり。
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