2018/09/14 - 2018/09/22
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HOUKOUさん
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高密市近郊の大欄平安村にある莫言の生家を訪れ付近を散策する。
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(旅行二日目)
さあ,いよいよ今日は旅のハイライトである莫言の生家を訪問する日である。
ホテルは朝食付き。
ホテルから高密の街を眺める。
雲は少し多いが雨が降りそうな気配はない。 -
ところで莫言の生家へ行く方法についてネットで調べたが,日本語で書かれたブログなど参考となる記事は一切探しだせなかった。
中国人が書いたものも多くはなかったが,参考になるものが幾つかあった。
それによると,生家がある大欄平安村までバスが出ている。
バスは「新汽車站」から出ているが,人民路にある「維客」というデパート前からも乗れるということ,バス運賃は8元ということが分かった。
なお,このブログ管理人によると,これも是非見学したい「莫言文学館」には入れなかったともあり,少し不安になる。
維客デパートはこのホテルから歩いて行ける距離だが,ここは奮発してタクシーで行くことにした。
大欄平安村まで距離にして20kmぐらい。
徒歩で4時間ぐらいという。(グーグルマップ)
若いころであれば,夜明けに出発して徒歩に挑戦していたかもしれない。
莫言の愛読者であれば,大欄平安村と高密中心部までの往来のシーンが何回も出てくるのを思い出すであろう。
例えば『牛』である。
去勢されてすっかり衰弱した牛(双脊)を獣医に治療してもらうため町の病院まで連れて行くシーン。
少年(羅漢:おそらく幼いころの莫言)と牛番(老杜)の男は弱り切ったこの牛を苦労しながら引っ張っていく。
町の病院へ着いたのは夜更け,固く閉ざされた門をいくら叩いても誰もでてこない。
男「もうやめよう・・・町の連中は村にすんでいるものと違う。8時間働いて時間が来たら一日は終わりなんだ」
少年「それは不公平だ。」「俺たちは昼も夜も汗水たらして働いて町の奴らを食わしてやっているんだ。」
「それがこのお返しかよ。人民のために働くってこれかよ!?」
男「お前や俺が人民だって!?」「こいつはあきれた。俺もお前もとるに足らない人間なんだ。とるに足らない人間がどうして人民なんだ。」
牛と少年と男は野宿するしかない。
朝起きてみると牛は死んでいた。
道中の少年と男の会話は非常に面白く,歴史的にも非常に興味深い内容を含んでいる。
少年は聞く「なぜおじさんは八路軍(共産軍)に入らなかったの?」「なぜ八路軍が天下を取ったの?」
ここでは書かないが,それに対する男の答えは,当時中国人の過半が思っていたことだろう。
もっと強烈なのが『天堂狂想歌』に出てくる「高羊」と「四とっつあん」の道中だ。
この物語は高値で売れるニンニクの芽を皆が作るようになって,最後は価格が暴落し農民が暴動を起こすというのが大体のあらすじである。
第14章は,その苦労して育て上げたニンニクの芽を「高羊」はロバ車で,「四とっつあん」は牛車で県城(高密駅付近?)へ運んでいく場面である。
「ニンニクの芽を積んだロバ車を追って,星明りをたよりに高羊は県城へと出発した。積み荷が重く,おんぼろ木枠はギシギシと軋み,でこぼこ道にかかると車輪が悲鳴を上げる始末で,車体がばらけるのではないかと気が気でなかった。」
県城に着いたのは夜が明けてからである。
この道中の会話,高羊の独白は,この長編小説の核心部分と私には思われる。
それは農民の究極の諦念,生きるためには必然的に辿り着かなければならない悲しい諦念である。
これは青少年期故郷で農民として働くしかなかった,おそらく鬱屈していた莫言の脳裏に去来した想念ではなかったか。
もちろんそんな境遇から必死になって脱したいと思っていたとは思うが。
「・・分を心得よ,おのれでおのれを下に扱え,とな。そう思えば,誰を恨むこともない。みんなが街で楽しようとしたら,田舎の土地は誰が耕しますのじゃ?」
「・・わしらのようなシロモノは下等な材料で材料でこしらえたもの,人間になれただけで幸せというもの,そうでしょうが,四とっつぁん?」
「なんならこの牛と較べてみなされ。こいつは山ほどニンニクの芽を積んだ車を引っ張る上に,あんたまで引っ張らにゃならん。おまけにちょっとでもとろいと,あんたの鞭を喰らう。ぜーんぶ同じ道理じゃ。」
「何年か前,王泰らにむりやりおのれの小便を飲まされたことがあった・・わしは我慢して飲んでやりました。たかが小便じゃないか,とね!なに,人間ちゅうやつは心を操って,格好つけておるだけのことですじゃ・・」
こうして莫言小説の登場人物たち(莫現自身も),大欄村から徒歩やロバ,牛で何回も県城への道をたどったのだ。
その道を実際歩いてみたい。
でも体力的に無理である。
それよりその分体力を温存して,生家周辺を思う存分歩き回ろう。
なにしろ,私はこの旅の途中で還暦を迎えるのだ。
そこで,徒歩でもバスでもなくタクシーで行くことにしたのである。
運賃は約五〇元。何と20km走って800円ほど。
これで生活が成り立つのかと思えるほどの安さである。
タクシーが停車したのは「莫言旧居」とある門の前。 -
「莫言旧居」はここからすぐの場所にあった。
この小さな古ぼけた民家こそ作品の中に数限りなく登場する舞台でもある。
中国の観光地というのは,特に休日は大抵は人でごった返しているものなのだが,日曜日だというのに観光客はまばらだった。
中国人のなかでも映画「紅い高粱」は見たという人は多いであろうが,彼の小説を読みふけった人・・その結果「高密東北郷」の風景にあこがれた人は割合的には少ないのではなかろうか。
2012年にノーベル賞を受賞した時はおそらく,この地に観光客が殺到したのは想像できるが,その後は「莫言文学」の精髄を理解した人・・つまり芸術のどんなジャンルでもそうであるが,少数者が細々と訪れているのだろう。 -
侘びた門をくぐる。
莫言小説には木がよく登場する。
『転生夢幻』では杏の木に転生豚が寝そべっている場面が印象に残る。
その他ザクロ,イチジク,ニセアカシア等。
この旅の準備にと,それら植物の勉強もしたのだが,残念ながら付け焼き刃で,全然同定ができない。 -
小さな庭には石臼など,小説に頻繁に登場するアイテムが並んでいる。
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家の造りは至ってシンプルであり,当然昔の農家だけに粗末で狭い。
居室は4部屋のみ,それぞれがほぼ同じ大きさで,一様に部屋は狭い。 -
お馴染みのオンドル部屋である。そして当然「アンペラ(茣蓙)」が敷いてある。
オンドル部屋の情景は小説の中で何百回となく出てくる。
ここは西二間の間。
莫言の父母の居室だったとのこと。
小さなちゃぶ台が置いてある。
莫言の回想録によれば,子供の頃は常に飢えにさいなまれていたという。
確かに莫言の幼少期の体験を下敷きにしていると思われる物語での食べ物は貧素である。
主な食物は蒸したマントウであり,おかずはネギやニンニクの芽。
これを味噌につけて食べる・・といった場面がよく登場する。
しかしたいていの場合これでさえ御馳走で,野菜くずや腐れかかった芋なども食べていたともある。
更には『豊乳肥臀』では,一帯を飢餓が襲い子供を県城に売りに行く場面さえ出てくる。
売り物の子供には目印として,稲わらなどが挿してある・・。 -
居室の4部屋は全て南向きであり,家財道具などは北の壁に配置されている。
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少年時代の莫言。
解説を見るまでもなく,特徴的な顔立ちから後列左から2番目がその人だと分かる。
先ほどの『豊乳肥臀』には夥しい数の少年少女が登場するが,この集合写真の子らにもそのモデルがいたに違いない。 -
家の両側は東が倉庫,西側スペースには農具が置かれている。
当時は動力としてはロバなどに頼っていたのが伺える器具である。 -
これが調理場であるかまどであり,オンドルの熱源でもある。
住居入り口の両脇に同じようにこうしたかまどがあり,東西に熱を供給しているのである。
『豊乳肥臀』の偉大な母「上官魯氏」が,このかまどで煮炊きしている場面が目に浮かんでくるようだ。 -
入場料無料(30元という表示だけはあった)なので,また来ることにして近くを散歩。
すぐ近くに「莫言小学校」なるものがあった。
再現ものらしい。 -
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広場にもいくつか展示品が置いてある。
この車は「ネコ車」ということを『天堂狂想歌』で知った。
『豊乳肥臀』では,国民党の反撃からの難を避け,ネコ車を押していく偉大な母「上官魯氏」の超人的な姿が描かれている。
「首から麻のたすきを掛けた母親は,ネコ車を押していたが,梶棒の幅が広すぎて,両腕をいっぱいに伸ばさざるを得なかった。車体の両側には,長方形の大きな籠が縛り付けてある。左の籠には魯勝利と我が家の綿布団や衣類が,右側のそれには大唖と二唖が入れてあった。私と沙棗花は両側に分かれて,それぞれ籠に手を添えて歩いて行った。目の見えない八姐の玉女は母親の上着の裾を引っ張って,後ろからよたよたとついてきた。・・・」
しかも「上官魯氏」は纏足なのだ。 -
こちらはロバ車か?
例の「ニンニクの芽を積んだロバ車を追って,星明りをたよりに高羊は県城へと出発した。積み荷が重く,おんぼろ木枠はギシギシと軋み,でこぼこ道にかかると車輪が悲鳴を上げる始末で,車体がばらけるのではないかと気が気でなかった。」(「天堂狂想歌」)ではないか? -
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莫言の出世作ともされる「透明な人参」のオブジェと思われるもの。
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莫言「高密東北郷」を語る。
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莫言の両親
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「莫言少年の座席」で
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今度は教師役
「革命は宴会に招待されるようなものではない!」 -
今度は「胶河」の土手を歩いてみる。
莫言生家のすぐ近くの流れている河である。
莫言作品には河の風景もまたたくさん出てくる。
初期作品の『透明な人参』は,河の堰の建設を巡っての作品であり,『転生夢幻』では転生豚が若い雌豚と幻想的な一夜を過ごす場面などが印象に残っている。
戦闘シーンにも河を舞台にしたものが多い。
現在この河は完全に枯れていた。 -
現在この河は完全に枯れていた。
植物が茂っているので,この季節特有の風景なのであろう。 -
土手沿いには見られない植物や花が目を楽しませる。
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石橋を渡り,川向うへ。
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目指すのは「紅高粱撮影基地」である。
大体の場所は掴んでいたし,案内のサインもあった。 -
バス通りを超え,結構歩いて行かないといけない。
歩いているのは私だけだ。
中国人はみんなマイカーで向かっている。
ところがどの車もしばらくして引き返してくる。
「閉まっているのだな」ということは予感できた。
開いていればここで数時間を過ごす予定であったが。
しかし全く無駄な歩行でもなかった。 -
道沿いには映画「紅い高粱」のパネルがあったり。
私は実はこの映画は最後まで見ていない。
Youtubeなどで断片的に見ただけだ。
しかし続編も含め,小説で読んでいるので,どの場面かはすぐわかる。
これは父親から金持ちの酒屋にむりやり嫁にやらされた「九児」が数日後実家に里帰りし,ロバに乗って嫁ぎ先に戻るところである。
この道中,駕籠かきの余占鰲に無理やり犯されてしまう。
その場面は映画(ネットで)でも見たことがあったが,小説に描かれた「九児」の複雑な心理は(ほとんどの映画がそうだが)描き切れていなかった。 -
ところで,この小説の高粱とはどういう物か?
高粱酒は何回も飲んだことはあるが,高粱飯など食べたことがない。
中国の田舎の風景ももう何回も見たが,大体はトウモロコシ畑であり,高粱らしきもの(人が隠れるほど丈が高く育つという)を見たことがない。
ご飯のように炊いて食べてもあまりおいしくないという。
ところでこの閉鎖された「紅高粱撮影基地」の近くの畑に,おそらく観光用なのであろうがそれらしきものを見かけた。
完熟すると「紅い高粱」になるのであろうが,まだ青々しい。
畑に入って少し穂を摘んでみる。 -
殻をむくと白い身が。
口に含むと少し渋い味がした。 -
元来た道を戻り,再び石橋を渡る。
地元の人とあいさつを交わす。
年齢から,もしかして莫言の幼馴染で莫言小説の登場人物のモデルになっているかもしれない。
中国語ができないのが歯がゆい。 -
そして後でゆっくり見学したいと思っていた一際目立つキリスト教会を見学する。
この教会こそ『豊乳肥臀』の主人公「上官金童」の父スウェーデン人牧師マーロウが伝導活動をしていた教会に違いない。
もしかしたらこの教会は,小説から作られたものかと思ったが,解説には1939年に作られたようであり,そうであれば莫言が生まれたときは既に存在していたことになる。
それにしても,どうしてこんな田舎に立派な教会があるのだろうか?
ドイツの占領時代の影響ではあろうが。
残念ながら内部には入れなかった。 -
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今度は村の南側の通りを歩いてみる。
何と馬が買われていて黙々と干し草を食べていた。 -
落花生が道路に干されている。
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再び莫言生家に戻ってくると,門が閉じられ何人かの人が門の前で佇んでいる。
中からは甲高い女性の声が!?
いつも持ち歩いている三脚付き自撮棒を伸ばして中をセルフタイマー撮影してみたら,毎日どこかの放送局で流されている「抗日ドラマ」の撮影中のようだ。
甲高い女性の声は「乱暴狼藉」をはたらく日本兵へ浴びせかけられているものだと推測できる。 -
莫言も当然文革の波に翻弄された。
文革の悲惨さは『蛙鳴(あめい)』や『豊乳肥臀』、『転生夢幻』などにも描かれている。 -
生家付近には近くの住民がまばらにではあるが,お土産物や果物を売っている。
この二人の男は,さっきまでドラマ撮影していた役者(風来坊?)と記念撮影する中国人である。 -
包丁はこの地方の特産品であるらしい。
そういえば『豊乳肥臀』の偉大な母「上官魯氏」の嫁ぎ先の「上官家」の家業は鍛冶屋であった。 -
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更にしばらく付近を散策した後,お土産を買いバスで高密市内に帰ることにした。
田舎ではありがちであるが,バス停を示す標識がない。
バス待ちらしい地元の若者のそばでバスを待つ。
やがて「高密-東北郷」という表示のバスがやってきた。
バスは高密市街地に入り,事前情報どおり「維客デパート」北で停まった。 -
本当は大欄村で一日過ごす予定であったが,「紅高粱撮影基地」が閉鎖されていたため昼過ぎに街に戻ってきてしまった。
とりあえず「莫言文学館」に行ってみることにした。
ここはホテルからも駅からも近い場所にある。
ところで既にふれたように,この文学館に「入れなかった」という中国人ブログや口コミを幾つか目にした。
案の定,フェンスはがっちり閉まっていて,見学者の姿もない。
研究者や特別な紹介状がないと入れないところなのか?
明日また来ることにして,付近で昼食を取ることにした。 -
「全羊」など涎が出そうな羊料理屋の看板が目立つ。
ただちょっと昼食時間を過ぎていたので,閉店中(?)あるいは入りにくそうな店が多かった。
結局いつもの蘭州ラーメンを食べる。 -
まだ日が高いので,もう一か所の見学場所である莫言旧居に行くことにした。
ここは,日本語はもちろん中国語サイトでも非常に情報が乏しかったところだ。
高密市内の南関という街に作家となった莫言が1988年から1995年まで住んでいたところで,この時期『「天堂狂想歌』,『酒国』,『豊乳肥臀』などの名作を書いている。
場所の手掛かりは唯一,百度地図のPDFのみだ。
高密駅から見ると南西方向で距離はかなりありそうだ。
当然タクシーでと考えたが,どのタクシーも客を乗せている。
相乗りでもと思ってタクシーを止めるが,5連続で乗車拒否された。
大通りを南へ歩きながら時々後ろを振り返るが,やっぱり空車タクシーはやってこない。
そんなことを繰り返していたら,立新街という大通りに突き当たった。
これを西に行けば「莫言旧居(南関)」に行きつくはずだ。
かなりな距離を歩く羽目になったが,やっとその家にたどり着いた。
それは狭い路地の角に立っていた。
豪邸ではないが,周りの家と較べれば大きそうだ。 -
門は例によってしまっている。
しばらく家の周りを見学していたら,一台の車が止まり子連れの中国人が出てきて門を確かめたが,あきらめて早々に立ち去って行った。
やはり中には入れないようだ。 -
外からは2階の角部屋ぐらいしか伺えないが,この部屋で『天堂狂想歌』などの傑作が生み出されたのではないかと勝手に想像する。
近くのバス停から駅方面へのバスに乗る。 -
スーパーで買い物。
HSBC香港のカードを使い工商銀行ATMで5000元引き出してきた。 -
白酒の小瓶,梨,などを買ってきた。
白酒は「綿柔尖庄」20元と「硬派」5元の小瓶。
「硬派」は原料が高粱で中々の味である。 -
つまみに買った牛肉の煮込み。
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これは「莫言小学」にも展示してあった,高密伝統工芸品(と思う)。
生家近くの露店で買ったもの。
言い値はわずか5元。値切る気にもならなかった。
胴体が前後2つに分かれゴムでつなげられている。
押すとカワイイ鳴き声がする。
莫言文学にはユーモアが欠かせない,それに童心,茶目っ気,生意気さ,いたずら心。
なんとこの民芸品は,その作風に親和性があることか!
すっかり気に入ってしまった。
これを「プープー」鳴らしながら一人晩酌する。
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