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 復刻版第二弾。2000年2月~3月 中高時代の友人とインド二人旅、元々帰国日も違ったこともあり途中から一人旅。<br /><br /> デジカメやSNS、スマホなんてなかった時代ですが、何気に旅行記を自作のHPにアップしていました。1999年に独学でhtml勉強して、個人的に開設したジオシティーズのホームページですが、2019年3月をもってサービス終了で閉鎖になりました。ひっそりと移転はしたのですが、一部をフォートラの写真付旅行記として復刻版として再作成します。誤字脱字等は修正し、表現も一部改めますが、なるべく当時のままの文章でと思っています。写真は、APSフィルムで撮った当時の写真をデジカメで撮影しています。<br /><br /> 文章長いですけど、写真少ないです。一冊にまとめました。<br /><br /> 今考えるとのんびりとした突っ込みどころ満載な珍道中です。最近はかなり計画的かつ慎重に旅しているのですが、当時は行き当たりばったりだったなーと思いだします。<br /><br />2000年<br />02/16 成田空港~バンコク~カルカッタ(コルカタ)~ムンバイ泊<br />02/17 ムンバイ泊<br />02/18 ムンバイ~<br />02/19 ~アウランガーバード~エローラ~アウランガーバード泊<br />02/20 アウランガーバード~アジャンタ~アウランガーバード泊<br />02/21 アウランガーバード~<br />02/22 ~デリー泊<br />02/23 デリー泊<br />02/24 デリー泊<br />02/25 デリ~アーグラー~<br />02/26 ~バラナシ泊<br />02/27 バラナシ泊<br />02/28 バラナシ~ブッダガヤ泊<br />02/29 ブッダガヤ泊<br />03/01 ブッダガヤ~<br />03/02 カルカッタ(コルカタ)泊<br />03/03 カルカッタ(コルカタ)~<br />03/04 ~成田空港<br />

【復刻版】亜熱帯インド紀行

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2000/02/16 - 2000/03/04

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28

Miyatan

Miyatanさん

 復刻版第二弾。2000年2月~3月 中高時代の友人とインド二人旅、元々帰国日も違ったこともあり途中から一人旅。

 デジカメやSNS、スマホなんてなかった時代ですが、何気に旅行記を自作のHPにアップしていました。1999年に独学でhtml勉強して、個人的に開設したジオシティーズのホームページですが、2019年3月をもってサービス終了で閉鎖になりました。ひっそりと移転はしたのですが、一部をフォートラの写真付旅行記として復刻版として再作成します。誤字脱字等は修正し、表現も一部改めますが、なるべく当時のままの文章でと思っています。写真は、APSフィルムで撮った当時の写真をデジカメで撮影しています。

 文章長いですけど、写真少ないです。一冊にまとめました。

 今考えるとのんびりとした突っ込みどころ満載な珍道中です。最近はかなり計画的かつ慎重に旅しているのですが、当時は行き当たりばったりだったなーと思いだします。

2000年
02/16 成田空港~バンコク~カルカッタ(コルカタ)~ムンバイ泊
02/17 ムンバイ泊
02/18 ムンバイ~
02/19 ~アウランガーバード~エローラ~アウランガーバード泊
02/20 アウランガーバード~アジャンタ~アウランガーバード泊
02/21 アウランガーバード~
02/22 ~デリー泊
02/23 デリー泊
02/24 デリー泊
02/25 デリ~アーグラー~
02/26 ~バラナシ泊
02/27 バラナシ泊
02/28 バラナシ~ブッダガヤ泊
02/29 ブッダガヤ泊
03/01 ブッダガヤ~
03/02 カルカッタ(コルカタ)泊
03/03 カルカッタ(コルカタ)~
03/04 ~成田空港

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  • 2000年<br />2月16日(水)<br /> 結局二時間くらいしか寝れなかった。部屋の片づけやら、準備やら、HP更新やらをやっていたからだ。生まれて初めての海外二人旅。今回の相手は、中学三年から高校三年までずっと同じクラスだった(うちの場合は中高一貫)、今は一橋大の法学部に通うさとしである。多分自分自身の勝手気ままな性格を考えると、今回が最初で最後の海外二人旅になると思う。なぜこうなったかというと、偶然同じ時期にアジア方面に行こうということになり、意気投合したからである。本当はもう一名も同伴する予定だったが、予定があわずに出来なくなった。でも仮にその三人が揃ったら、恐ろしいことになりそう…。<br /> <br /> 平日朝ということを考えて、中野駅から東西線に乗り込み、西船橋から東葉高速鉄道へと電車は直通していった。地下に潜ったり、高架になったりとなぜか忙しい。18キロで610円かかる異常に高い鉄道である。営団地下鉄に吸収されちまえ!<br /> <br /> 東葉勝田台から京成線に乗り換え、空港第二ビルで降りる。丁度さとしも同じ電車に乗っていたらしく、無事会えた。HISカウンターで航空券を引き換え、飛行機に乗る。僕は無事に、窓側禁煙席という定番のポジションを無事取れた。AI305便、バンコクカルカッタ経由のムンバイ行きだ。さすがはエアインディア、スチュワーデスもアテンダントもインド人。しかもスチュワーデスの衣装は民族衣装。サリーとかいうやつかな。いよいよ出発。ユナイテッドと違って、離陸時にかなり揺れる。さすがはインド?それでも無事離陸。さらば日本。隣にはさとし。そのまた隣にいる人とも仲良くなった。私と同じ大学(ただしキャンバスは埼玉県で別)を今年卒業予定で、この4月から、某外資系消費財メーカーで働くらしい。一週間少し前には中国を旅してきて、インドから戻ったら今度はパリに旅するらしい。就職してからではなかなか旅に出れないからであろうが、それにしてもすごい行動力である。お互いの旅の話をしているうちに、あっという間に時間は過ぎ去った。バンコクに到着。日本人が大量に降りた。かなり大きい空港である。タイあたりなら、女の子同士で旅する人もたくさんいるであろう。タイ人クルーが乗り込み、清掃をはじめる。どことなく日本人に似ていて、親しみを感じた。代わりにタイ人やインド人がどっさり乗ってきた。まもなく出発。丁度日も暮れてきた。<br /> <br /> 発展途上の都市らしく、車のランプが渦のようになっていて、空からもくっきりとわかった。日本語の放送がなくなる。程よくインドの番組らしきものがスクリーンに写りだす。もう踊る、踊る、踊る。「●―ニング娘。」の「ウーハーウーハー」なんて目じゃない。しばらくたつとカルカッタの付近に到着。意外と明かりが少ない。先程の彼は、カルカッタで降りて、ブッダガヤ、バナラシ、アーグラーを経由して、デリーから日本に戻るらしく、僕らとは逆のルートだ。それゆえ、どこかでまたばったりと会える可能性もある。結構話も弾んだし、別れるのもつらくなってきた。彼と、お互いの旅の無事と成功を祈り、カルカッタ空港で別れた。<br /> <br /> その後飛行機は無事にムンバイに到着。予定よりも二時間近く遅れての到着。さすがインドの航空会社。飛行機を降りると、ターミナルビルまで連絡バスに乗る。結構ぼろい。かなり込み合っている。というよりも、どうやらインド人には混雑した乗り物の中ではつめるという精神が無いらしく、奥の方にいくとすいていた。どことなく混沌とした雰囲気があった。<br /> <br /> 空港で両替を済ませると、市街地までのプリペイドタクシーへと乗り込もうとする。もう人人々の波。紙のホテルの名前を書いた客引きがうじゃうじゃ。家族を迎えてきているのか、またまた人がうじゃうじゃ。フライトが遅れた挙句に、空港で諸手続きをしていたので、時は既に午前一時。日本や欧米では、考えられない風景である。せいぜいアジア一の繁華街歌舞伎町の風俗の勧誘くらいであろう。目的のタクシーに乗り込む。しばらくするとタクシーの運転手が降りて外に出る。非常に不安。すると10歳くらいの少女が窓から手を入れて何か言っている。イングリッシュチョコレートがどうとか何とかって。どうやら「バクシーシ」といっているみたいだ。(バクシーシとは喜捨を意味して、つまり恵んでくれということである。)どうすればいいのかわからないでいると、横でが「NO」といって振り切った。自分にはNOといえる勇気が無かった。普段塾講師で同じくらいの年の女の子を教えている身には、世界の国には同世代の子供で食べ物も満足に得られない人がいるということはショックだった。しかしこのタクシーのぼろいのなんのって。今にもエンストしそうだし、シートベルトなし、ウィンカーなし、ワイパーなし。すごい小型。しかも運転手がすごい。道路は広いのだが車線なんてあったものじゃないし、信号も点滅しているし、クラクションは鳴らしっぱなし。交通ルールなんてあってないもの。特にオートリクシャーが壮絶。途中にはすごいスラム街があり、夜中なのに大勢の人たちがたむろっていた。掘っ立て小屋のようなところで寝ている人もいれば、路上で寝ている人もいた。ショックな光景だった。物価の安いインドに遊びに来ている自分自身が恥ずかしくなってきた。YMCAの場所がわからないらしく、タクシーはぐるぐる回った。やっと到着したものの、なぜか泊まれなかった。とりあえず降りようとすると、バクシーシを要求してきた。ぐるぐる回ったからもらって当然という顔をしていたが、僕らは一番空港から遠いコラバ地区までの料金を払っていて、ここはその手前のフォート地区で、料金は空港でちゃんと払ったから、バクシーシは払わないって言ったら、案外簡単に引いた。もしもまだ相手が粘ったら、東京やニューヨークやロンドンのタクシー運転者は道をきちんと覚えているはずだとか言おうと考えていたけど、結局言わずに済んだ。<br /> <br /> 既にカルチャーショック状態。先が思いやられる…。<br /> <br /> <br /> <br />2月17日(木)<br /> 結局YWCA Internationalに宿泊した。結構予想していたよりは設備が良かった。朝食はビュッフェ形式だがなぜかヨーロピアンスタイルだった。気に入ったのでもう一泊しようかなって思ったが、満員だったので、他の宿を探すことになった。昨日は疲れたので、午前中はゆっくりと休んで、昼前から行動することにした。まずは宿を探す。なんかさとしが誘われるままに決まってしまった。シングルルームに二人で泊まることに。YWCAと比べると設備は劣っているし、勧誘してきた人もコミッションを要求してきて不快だった。50ルピーを要求してきたが、10ルピーに強引に値切った。本当はあげる必要なんて無いのに…。<br /> <br /> その後インド門を見に行く。何を言っているのか良くわからないけど、しつこく話し掛けられる。とにかくふりきる。インド門の前で、7~8歳の女の子に話し掛けられる。かなり片言の英語だったが、必死に話し掛けてきた。どうやら妹が病気らしく、粉ミルクが必要らしい。なんかそういうことを必死に言ってくる。Help me you とかもう文法がめちゃくちゃだけど、とにかく堂々としているし必死だ。こういうのに対応していてもきりないけど、僕一人がちょこっとお金をあげたところでこのインド社会の根本が変わるわけじゃないけど、なんかあんな小さな子供が必死になっているのを見捨てられなくて、少しだけだけどお金をあげた。あれで少しは楽になれたのかな。でもこれで味を占めて、日本人にたかる習慣がついてしまっても困るのだが…。<br /> <br /> 日本人からすればほんのはした金だが、やはりどうしても小さな子供はほおっておけない。同じ人間だし、人類みな兄弟。でもなんかつらかった。他にも色々な勧誘がしつこく、マイフレンドとか言って300m位追いかけてきたり、まあ生活に必死なインド人の姿をあからさまに見た。もっともそのおかげでかなり疲れたけど。<br /> <br />  しばらくは露店の建ち並ぶエリアを歩く。なんともアジアらしい。それに交通量も多く、クラクションは鳴り捲り、歩行者は信号関係なしに歩き回るは、車はその横を猛スピードで駆け抜けていくはで、もうすべてがめちゃくちゃだった。屋台で食事をとってみたかったが、ちょっと、というよりもかなり衛生面で問題がありそうでやめた。バケツに水を入れて、その中に皿を入れているだけで、全然洗った気配が無いし、しかも取り替えている気配が無い。でも活気があり、暑かった。<br /> <br /> マクドナルドに入る。昼食を取る。日本の半分くらいの値段。でも実際インドの物価は日本の十分の一といわれるだけあって、ここでは中級レストランの部類に入るのであろう。確かに周りを見ると割と裕福そうな人が多かった。マハラジャバーガーミールというのを頼んだ。でも何が違うのだか良くわからなかった。駅に行って、アウランガーバード行きの明日の夜行のチケットを取ろうとするが、既に外国人向けオフィスはしまっていた。しばらく歩いてムンバイ大学へ行って、少し休んだ。どことなく雰囲気がいい。その後食事を取った。初めての本格的インド料理。マサラマトンとジュースと、ビリヤニという味付けライス。米が長かった。多分アジアはそうであろう。結構食べた。でも60ルピー。日本円で150円。日本でインド料理を同じだけ食べたらおそらく10倍はするであろう。その後はチャイを飲んで一服。<br /> <br /> 特に何をしたという一日ではなかったが、インドに慣れるための重要な一日だった。かなりのカルチャーショックを受けた。金持ちというわけではないが、それなりに不自由なく育ってきた自分にとっては、生きることに必死なインド人の姿を見て、何か価値観が揺らいでいるようであった。今までは先進国にしか行った事がなかったが、今回初めて発展途上国という世界を間近に見て、感じて、触れて、自分の中にある価値観が崩れていった。<br />自分は一体何のために生きているのだろうか。常にこの問いを考えつつ、そして偉そうなことを語った自分が馬鹿らしくもなった。<br /> <br /> それにしてもインドは暑い。気温も人も。<br /> <br /> ※「●―ニング娘。」の「ウーハーウーハー」⇒「モーニング娘。」の「恋のダンスサイト」という曲の事です。

    2000年
    2月16日(水)
     結局二時間くらいしか寝れなかった。部屋の片づけやら、準備やら、HP更新やらをやっていたからだ。生まれて初めての海外二人旅。今回の相手は、中学三年から高校三年までずっと同じクラスだった(うちの場合は中高一貫)、今は一橋大の法学部に通うさとしである。多分自分自身の勝手気ままな性格を考えると、今回が最初で最後の海外二人旅になると思う。なぜこうなったかというと、偶然同じ時期にアジア方面に行こうということになり、意気投合したからである。本当はもう一名も同伴する予定だったが、予定があわずに出来なくなった。でも仮にその三人が揃ったら、恐ろしいことになりそう…。

     平日朝ということを考えて、中野駅から東西線に乗り込み、西船橋から東葉高速鉄道へと電車は直通していった。地下に潜ったり、高架になったりとなぜか忙しい。18キロで610円かかる異常に高い鉄道である。営団地下鉄に吸収されちまえ!

     東葉勝田台から京成線に乗り換え、空港第二ビルで降りる。丁度さとしも同じ電車に乗っていたらしく、無事会えた。HISカウンターで航空券を引き換え、飛行機に乗る。僕は無事に、窓側禁煙席という定番のポジションを無事取れた。AI305便、バンコクカルカッタ経由のムンバイ行きだ。さすがはエアインディア、スチュワーデスもアテンダントもインド人。しかもスチュワーデスの衣装は民族衣装。サリーとかいうやつかな。いよいよ出発。ユナイテッドと違って、離陸時にかなり揺れる。さすがはインド?それでも無事離陸。さらば日本。隣にはさとし。そのまた隣にいる人とも仲良くなった。私と同じ大学(ただしキャンバスは埼玉県で別)を今年卒業予定で、この4月から、某外資系消費財メーカーで働くらしい。一週間少し前には中国を旅してきて、インドから戻ったら今度はパリに旅するらしい。就職してからではなかなか旅に出れないからであろうが、それにしてもすごい行動力である。お互いの旅の話をしているうちに、あっという間に時間は過ぎ去った。バンコクに到着。日本人が大量に降りた。かなり大きい空港である。タイあたりなら、女の子同士で旅する人もたくさんいるであろう。タイ人クルーが乗り込み、清掃をはじめる。どことなく日本人に似ていて、親しみを感じた。代わりにタイ人やインド人がどっさり乗ってきた。まもなく出発。丁度日も暮れてきた。

     発展途上の都市らしく、車のランプが渦のようになっていて、空からもくっきりとわかった。日本語の放送がなくなる。程よくインドの番組らしきものがスクリーンに写りだす。もう踊る、踊る、踊る。「●―ニング娘。」の「ウーハーウーハー」なんて目じゃない。しばらくたつとカルカッタの付近に到着。意外と明かりが少ない。先程の彼は、カルカッタで降りて、ブッダガヤ、バナラシ、アーグラーを経由して、デリーから日本に戻るらしく、僕らとは逆のルートだ。それゆえ、どこかでまたばったりと会える可能性もある。結構話も弾んだし、別れるのもつらくなってきた。彼と、お互いの旅の無事と成功を祈り、カルカッタ空港で別れた。

     その後飛行機は無事にムンバイに到着。予定よりも二時間近く遅れての到着。さすがインドの航空会社。飛行機を降りると、ターミナルビルまで連絡バスに乗る。結構ぼろい。かなり込み合っている。というよりも、どうやらインド人には混雑した乗り物の中ではつめるという精神が無いらしく、奥の方にいくとすいていた。どことなく混沌とした雰囲気があった。

     空港で両替を済ませると、市街地までのプリペイドタクシーへと乗り込もうとする。もう人人々の波。紙のホテルの名前を書いた客引きがうじゃうじゃ。家族を迎えてきているのか、またまた人がうじゃうじゃ。フライトが遅れた挙句に、空港で諸手続きをしていたので、時は既に午前一時。日本や欧米では、考えられない風景である。せいぜいアジア一の繁華街歌舞伎町の風俗の勧誘くらいであろう。目的のタクシーに乗り込む。しばらくするとタクシーの運転手が降りて外に出る。非常に不安。すると10歳くらいの少女が窓から手を入れて何か言っている。イングリッシュチョコレートがどうとか何とかって。どうやら「バクシーシ」といっているみたいだ。(バクシーシとは喜捨を意味して、つまり恵んでくれということである。)どうすればいいのかわからないでいると、横でが「NO」といって振り切った。自分にはNOといえる勇気が無かった。普段塾講師で同じくらいの年の女の子を教えている身には、世界の国には同世代の子供で食べ物も満足に得られない人がいるということはショックだった。しかしこのタクシーのぼろいのなんのって。今にもエンストしそうだし、シートベルトなし、ウィンカーなし、ワイパーなし。すごい小型。しかも運転手がすごい。道路は広いのだが車線なんてあったものじゃないし、信号も点滅しているし、クラクションは鳴らしっぱなし。交通ルールなんてあってないもの。特にオートリクシャーが壮絶。途中にはすごいスラム街があり、夜中なのに大勢の人たちがたむろっていた。掘っ立て小屋のようなところで寝ている人もいれば、路上で寝ている人もいた。ショックな光景だった。物価の安いインドに遊びに来ている自分自身が恥ずかしくなってきた。YMCAの場所がわからないらしく、タクシーはぐるぐる回った。やっと到着したものの、なぜか泊まれなかった。とりあえず降りようとすると、バクシーシを要求してきた。ぐるぐる回ったからもらって当然という顔をしていたが、僕らは一番空港から遠いコラバ地区までの料金を払っていて、ここはその手前のフォート地区で、料金は空港でちゃんと払ったから、バクシーシは払わないって言ったら、案外簡単に引いた。もしもまだ相手が粘ったら、東京やニューヨークやロンドンのタクシー運転者は道をきちんと覚えているはずだとか言おうと考えていたけど、結局言わずに済んだ。

     既にカルチャーショック状態。先が思いやられる…。



    2月17日(木)
     結局YWCA Internationalに宿泊した。結構予想していたよりは設備が良かった。朝食はビュッフェ形式だがなぜかヨーロピアンスタイルだった。気に入ったのでもう一泊しようかなって思ったが、満員だったので、他の宿を探すことになった。昨日は疲れたので、午前中はゆっくりと休んで、昼前から行動することにした。まずは宿を探す。なんかさとしが誘われるままに決まってしまった。シングルルームに二人で泊まることに。YWCAと比べると設備は劣っているし、勧誘してきた人もコミッションを要求してきて不快だった。50ルピーを要求してきたが、10ルピーに強引に値切った。本当はあげる必要なんて無いのに…。

     その後インド門を見に行く。何を言っているのか良くわからないけど、しつこく話し掛けられる。とにかくふりきる。インド門の前で、7~8歳の女の子に話し掛けられる。かなり片言の英語だったが、必死に話し掛けてきた。どうやら妹が病気らしく、粉ミルクが必要らしい。なんかそういうことを必死に言ってくる。Help me you とかもう文法がめちゃくちゃだけど、とにかく堂々としているし必死だ。こういうのに対応していてもきりないけど、僕一人がちょこっとお金をあげたところでこのインド社会の根本が変わるわけじゃないけど、なんかあんな小さな子供が必死になっているのを見捨てられなくて、少しだけだけどお金をあげた。あれで少しは楽になれたのかな。でもこれで味を占めて、日本人にたかる習慣がついてしまっても困るのだが…。

     日本人からすればほんのはした金だが、やはりどうしても小さな子供はほおっておけない。同じ人間だし、人類みな兄弟。でもなんかつらかった。他にも色々な勧誘がしつこく、マイフレンドとか言って300m位追いかけてきたり、まあ生活に必死なインド人の姿をあからさまに見た。もっともそのおかげでかなり疲れたけど。

      しばらくは露店の建ち並ぶエリアを歩く。なんともアジアらしい。それに交通量も多く、クラクションは鳴り捲り、歩行者は信号関係なしに歩き回るは、車はその横を猛スピードで駆け抜けていくはで、もうすべてがめちゃくちゃだった。屋台で食事をとってみたかったが、ちょっと、というよりもかなり衛生面で問題がありそうでやめた。バケツに水を入れて、その中に皿を入れているだけで、全然洗った気配が無いし、しかも取り替えている気配が無い。でも活気があり、暑かった。

     マクドナルドに入る。昼食を取る。日本の半分くらいの値段。でも実際インドの物価は日本の十分の一といわれるだけあって、ここでは中級レストランの部類に入るのであろう。確かに周りを見ると割と裕福そうな人が多かった。マハラジャバーガーミールというのを頼んだ。でも何が違うのだか良くわからなかった。駅に行って、アウランガーバード行きの明日の夜行のチケットを取ろうとするが、既に外国人向けオフィスはしまっていた。しばらく歩いてムンバイ大学へ行って、少し休んだ。どことなく雰囲気がいい。その後食事を取った。初めての本格的インド料理。マサラマトンとジュースと、ビリヤニという味付けライス。米が長かった。多分アジアはそうであろう。結構食べた。でも60ルピー。日本円で150円。日本でインド料理を同じだけ食べたらおそらく10倍はするであろう。その後はチャイを飲んで一服。

     特に何をしたという一日ではなかったが、インドに慣れるための重要な一日だった。かなりのカルチャーショックを受けた。金持ちというわけではないが、それなりに不自由なく育ってきた自分にとっては、生きることに必死なインド人の姿を見て、何か価値観が揺らいでいるようであった。今までは先進国にしか行った事がなかったが、今回初めて発展途上国という世界を間近に見て、感じて、触れて、自分の中にある価値観が崩れていった。
    自分は一体何のために生きているのだろうか。常にこの問いを考えつつ、そして偉そうなことを語った自分が馬鹿らしくもなった。

     それにしてもインドは暑い。気温も人も。

    ※「●―ニング娘。」の「ウーハーウーハー」⇒「モーニング娘。」の「恋のダンスサイト」という曲の事です。

  • 2月18日(金)<br /> アウランガーバード行きの列車のチケットを取ろうと朝早めに出発。とりあえず朝食を取ろうと入った店で、日本人の二十代後半~三十台くらいの男女二人組みに話し掛けられ、一緒に食事を摂ることに。なんともカトマンズから入って、バラナシに11泊もして、あちこち旅して丁度今朝ムンバイについたところらしい。そして宿泊所を探していたらしい。僕たちが泊まっていたところを見せたけど、嫌がって他へ行ってしまった。そりゃまあ、あんなところじゃあね。<br /> <br /> タクシーでヴィクトリアターミナス駅の予約センターに行くことに。はじめは70Rsをけしかけられて、さとしが50Rsといったら運転手が勝ち誇った顔をして乗せてくれた。さとしが、おまえは南アフリカ人かと聞かれていた。なぜか南アフリカ出身に見えたらしい。絶対にボッタクリに思えたが、聡志が簡単に騙されている気がした。<br /> <br /> 列車の夜行のチケットは結局取れずに夜行バスのチケットを取ることに。何とか無事に取れた。(と思う。)一緒にいたトニーって奴がなんか観光案内しようと申し出た。僕はあまり行きたくなかったが、連れがなんかほいほいとついていくことになった。軽薄かも…。 いろいろと案内してくれたし、色々と親切にはしてくれた。下町みたいなところに連れて行ってくれたし、それなりに楽しめた。そういえばリアカーを引いている人と、一般人同士が激突して、殴り合いの喧嘩になりかけていた。なんかインド人てすぐに喧嘩する人たちなのかな?<br /> <br /> 仏塔に行った。5$寄進するといってきたが、だったら仏塔の内部に入らなくてもいいといった。それにもかかわらず彼は勝手に仏塔に入って、寄進してきた。それで戻ってきた。これが後々トラブルの原因になることに…。<br /> <br /> やはり二人で行動しようとさとしは考えて、その旨を伝えた。そうすると、5$払うように言ってきた。さとしが切れだして、言い争いになった。まず最初に案内する際に、コミッションは要らないって言ってきたらしい。僕としては、彼が色々と気をつかってくれたこと自体には感謝しているが、インドの物価を考えると、この寄進自体が異常に高く思えたし、彼がぼったくろうとしているようにも感じられた。その旨を僕が伝えると、2$で構わないっていってきたけど、聡志はかなり怒っていて引き下がらない。トニーは、炎天下の下一時間以上もこんな馬鹿らしいことをするなんてと言い出した。(ちなみに30℃近くあった) 僕としては手っ取り早く解決したかったので、100ルピー払って丸く収めた。それでもさとしの怒りは収まらない。何とかさとしをなだめようとした。<br /> <br /> マクドナルドで今後の予定を相談する。なぜか撮影をやっていた。<br /> <br /> その後インターネットカフェでメールをやる。行く前にアドレスをばらまいておいたので、ホットメールの方に出してくれる人がいて、嬉しかったが、文字化けしていて読めなかった。残念。さとしにホットメールのやり方を教える。彼もアドレスを確保できた。<br /> <br /> 夜行バスに乗ろうとターミナルでバスを待つ。待っている間にインド人従業員同士が喧嘩をし始めた。ヒンドゥー語でずっと話していたので、喧嘩の原因はまったくわからない。一人がいすを持って相手に叩きつけようとすると、周りの三人が何とか押さえつける。やはりインド人は短気なのか。隣にいたドイツ人の女の子二人組みは、なんとも6ヶ月もインドを旅するらしい。<br /><br /> ムンバイの街は発展途上で、高速道路らしき道路の建設工事があちこちで行われていた。渋滞がひどかった。やっと寝れるかなって思ったら、今度は頭上のスピーカーからインド映画が大ボリュームで流れ出す。これじゃあ眠れない。たまらなくなって、さとしが運転手や車掌に相談するも、まったく英語が通じない。もうやめてくれって感じだった。

    2月18日(金)
     アウランガーバード行きの列車のチケットを取ろうと朝早めに出発。とりあえず朝食を取ろうと入った店で、日本人の二十代後半~三十台くらいの男女二人組みに話し掛けられ、一緒に食事を摂ることに。なんともカトマンズから入って、バラナシに11泊もして、あちこち旅して丁度今朝ムンバイについたところらしい。そして宿泊所を探していたらしい。僕たちが泊まっていたところを見せたけど、嫌がって他へ行ってしまった。そりゃまあ、あんなところじゃあね。

     タクシーでヴィクトリアターミナス駅の予約センターに行くことに。はじめは70Rsをけしかけられて、さとしが50Rsといったら運転手が勝ち誇った顔をして乗せてくれた。さとしが、おまえは南アフリカ人かと聞かれていた。なぜか南アフリカ出身に見えたらしい。絶対にボッタクリに思えたが、聡志が簡単に騙されている気がした。

     列車の夜行のチケットは結局取れずに夜行バスのチケットを取ることに。何とか無事に取れた。(と思う。)一緒にいたトニーって奴がなんか観光案内しようと申し出た。僕はあまり行きたくなかったが、連れがなんかほいほいとついていくことになった。軽薄かも…。 いろいろと案内してくれたし、色々と親切にはしてくれた。下町みたいなところに連れて行ってくれたし、それなりに楽しめた。そういえばリアカーを引いている人と、一般人同士が激突して、殴り合いの喧嘩になりかけていた。なんかインド人てすぐに喧嘩する人たちなのかな?

     仏塔に行った。5$寄進するといってきたが、だったら仏塔の内部に入らなくてもいいといった。それにもかかわらず彼は勝手に仏塔に入って、寄進してきた。それで戻ってきた。これが後々トラブルの原因になることに…。

     やはり二人で行動しようとさとしは考えて、その旨を伝えた。そうすると、5$払うように言ってきた。さとしが切れだして、言い争いになった。まず最初に案内する際に、コミッションは要らないって言ってきたらしい。僕としては、彼が色々と気をつかってくれたこと自体には感謝しているが、インドの物価を考えると、この寄進自体が異常に高く思えたし、彼がぼったくろうとしているようにも感じられた。その旨を僕が伝えると、2$で構わないっていってきたけど、聡志はかなり怒っていて引き下がらない。トニーは、炎天下の下一時間以上もこんな馬鹿らしいことをするなんてと言い出した。(ちなみに30℃近くあった) 僕としては手っ取り早く解決したかったので、100ルピー払って丸く収めた。それでもさとしの怒りは収まらない。何とかさとしをなだめようとした。

     マクドナルドで今後の予定を相談する。なぜか撮影をやっていた。

     その後インターネットカフェでメールをやる。行く前にアドレスをばらまいておいたので、ホットメールの方に出してくれる人がいて、嬉しかったが、文字化けしていて読めなかった。残念。さとしにホットメールのやり方を教える。彼もアドレスを確保できた。

     夜行バスに乗ろうとターミナルでバスを待つ。待っている間にインド人従業員同士が喧嘩をし始めた。ヒンドゥー語でずっと話していたので、喧嘩の原因はまったくわからない。一人がいすを持って相手に叩きつけようとすると、周りの三人が何とか押さえつける。やはりインド人は短気なのか。隣にいたドイツ人の女の子二人組みは、なんとも6ヶ月もインドを旅するらしい。

     ムンバイの街は発展途上で、高速道路らしき道路の建設工事があちこちで行われていた。渋滞がひどかった。やっと寝れるかなって思ったら、今度は頭上のスピーカーからインド映画が大ボリュームで流れ出す。これじゃあ眠れない。たまらなくなって、さとしが運転手や車掌に相談するも、まったく英語が通じない。もうやめてくれって感じだった。

  • (インド門前にて 記念の一枚)

    (インド門前にて 記念の一枚)

  • 2月19日(土)<br /> 朝にアウランガーバードに到着。とりあえずユースホステルに泊まることに。結構日本人が多かった。なんともそのうちの一人である髭面の彼は、デリーで150$を騙し取られたとか。しかも同じ人に二組くらい騙され、そのうち一組は三人で一組あたり400$、計1200$も騙し取られたらしい。PAYALという宿のオヤジが犯人らしい。<br /> <br /> ユースで一緒だった男二人組みと一緒にエローラに行くことになり、バスターミナルに向かった。だけどムンバイでの列車の件があるので、先にデリーまでのバスのチケットを取るために二人組みに先にエローラに行ってもらうことにした。でもどうしてもデリーに行く方法を聞いてもわからないので、仕方なく駅までとりあえず行くことに。駅まで10Rsって言ってくれたリクシャーがいたので、乗ることに。だがこのリクシャーが僕らの一日の運命を変えてくれることになろうとは、まったく考えていなかった。<br /> <br /> 駅にリクシャーが着いてからそこでどうするつもりなのか聞かれたので、僕らがエローラとアジャンタに行ってみたいこと、それが終わったらデリー方面に行きたいことを話してみた。するとアウランガーバードからではムンバイやハイデラバードに抜ける列車しかなく、ムンバイからデリーに抜けるよりは、アジャンターから北に抜けた方が早いといわれたので、駅で予約をするのを辞めてそうすることにした。さらに一人あたり150Rsでエローラまでのガイドを彼が買って出たので、それほど高くも感じなかったのでお願いすることにした。でもまあ実際にバスでエローラまで行くと12Rsなんだけど。<br /> <br /> オートリクシャーはなかなかスリルがあって気持ちがいい。風を切って猛スピードで走り、追い越し追い抜かれ、対向車とすれすれでも猛スピードで駆け抜ける。クラクションは鳴らしまくる。なかなか日本では考えられない風景である。すばらしきかな原風景。途中でダウラターバードに寄る。山を削って作られた砦である。絵葉書を売りつけようとする売り子がなかなかうざったい。90Rsでどうかといわれる。無視していたら、だったら80、70、60、50、40、でどうだと、だんだん着実に値が下がってくる。90パイサ(パイサはRsの100分の一の単位)なら買うというと、怒っていってしまった。別に対して欲しかったわけでもなかったけど、インド人の性格が良くあらわれていて面白かった。砦を上まで登ると、眼下にどことなく荒涼としたような風景が広がり気持ちがいい。砦もなかなか立派である。<br /> <br /> その後エローラに到着。仏教とヒンドゥー教とジャイナ教の石窟群が広がる。でもそれぞれ似ている部分があり、お互いに影響を与えあっている様子がうかがえる。時々首の欠けた石像があったのは残念である。なんともイスラム教徒が破壊したとか。<br /> <br /> 特に十六窟といわれるカイラーサナータ寺院はすばらしかった。岩山の裾から寺院全体を丸ごと掘り出したもので、奥行き81M、幅47M、高さ33Mの全く継ぎ目の無いひとつの巨大な彫刻である。到底言葉では言い表せないすばらしい建造物である。見る者を心の底から感動させる。時々見られた尻尾の長いインド猿も可愛かった。<br /> <br /> ここまで案内してくれた彼の名は、マッシーさんという。手帳には日本人をはじめ世界各地から来た人たちの感想が書いてあった。なんとも世界中に友達がいるから忙しいとか。インド人は狡賢そうな人が多そうなイメージを抱き始めていたが、彼のような人もいるんだなって思った。別れがつらかった…。

    2月19日(土)
     朝にアウランガーバードに到着。とりあえずユースホステルに泊まることに。結構日本人が多かった。なんともそのうちの一人である髭面の彼は、デリーで150$を騙し取られたとか。しかも同じ人に二組くらい騙され、そのうち一組は三人で一組あたり400$、計1200$も騙し取られたらしい。PAYALという宿のオヤジが犯人らしい。

     ユースで一緒だった男二人組みと一緒にエローラに行くことになり、バスターミナルに向かった。だけどムンバイでの列車の件があるので、先にデリーまでのバスのチケットを取るために二人組みに先にエローラに行ってもらうことにした。でもどうしてもデリーに行く方法を聞いてもわからないので、仕方なく駅までとりあえず行くことに。駅まで10Rsって言ってくれたリクシャーがいたので、乗ることに。だがこのリクシャーが僕らの一日の運命を変えてくれることになろうとは、まったく考えていなかった。

     駅にリクシャーが着いてからそこでどうするつもりなのか聞かれたので、僕らがエローラとアジャンタに行ってみたいこと、それが終わったらデリー方面に行きたいことを話してみた。するとアウランガーバードからではムンバイやハイデラバードに抜ける列車しかなく、ムンバイからデリーに抜けるよりは、アジャンターから北に抜けた方が早いといわれたので、駅で予約をするのを辞めてそうすることにした。さらに一人あたり150Rsでエローラまでのガイドを彼が買って出たので、それほど高くも感じなかったのでお願いすることにした。でもまあ実際にバスでエローラまで行くと12Rsなんだけど。

     オートリクシャーはなかなかスリルがあって気持ちがいい。風を切って猛スピードで走り、追い越し追い抜かれ、対向車とすれすれでも猛スピードで駆け抜ける。クラクションは鳴らしまくる。なかなか日本では考えられない風景である。すばらしきかな原風景。途中でダウラターバードに寄る。山を削って作られた砦である。絵葉書を売りつけようとする売り子がなかなかうざったい。90Rsでどうかといわれる。無視していたら、だったら80、70、60、50、40、でどうだと、だんだん着実に値が下がってくる。90パイサ(パイサはRsの100分の一の単位)なら買うというと、怒っていってしまった。別に対して欲しかったわけでもなかったけど、インド人の性格が良くあらわれていて面白かった。砦を上まで登ると、眼下にどことなく荒涼としたような風景が広がり気持ちがいい。砦もなかなか立派である。

     その後エローラに到着。仏教とヒンドゥー教とジャイナ教の石窟群が広がる。でもそれぞれ似ている部分があり、お互いに影響を与えあっている様子がうかがえる。時々首の欠けた石像があったのは残念である。なんともイスラム教徒が破壊したとか。

     特に十六窟といわれるカイラーサナータ寺院はすばらしかった。岩山の裾から寺院全体を丸ごと掘り出したもので、奥行き81M、幅47M、高さ33Mの全く継ぎ目の無いひとつの巨大な彫刻である。到底言葉では言い表せないすばらしい建造物である。見る者を心の底から感動させる。時々見られた尻尾の長いインド猿も可愛かった。

     ここまで案内してくれた彼の名は、マッシーさんという。手帳には日本人をはじめ世界各地から来た人たちの感想が書いてあった。なんとも世界中に友達がいるから忙しいとか。インド人は狡賢そうな人が多そうなイメージを抱き始めていたが、彼のような人もいるんだなって思った。別れがつらかった…。

  • (エローラ)

    (エローラ)

  • (記念の一枚)

    (記念の一枚)

  • 2月20日(日)<br />今日は、アジャンターに行ってみることにする。少し遅めに出発。バスターミナルで何とか色々と聞きまわって、どのバスに乗るかはわかったが、一時間近く待つ羽目に。バスの中でインド映画のビデオをやっていた。なんともグラサンしたややきざめな男の人が、10人くらいの女の人をナンパして十股くらいかけている映画だった。言葉は全然わからなかったけど、見ていてアクションやダンスが多くて、わかりやすかった。どうも映画に出てくるのは、白目の美女、美男が多い気がした。<br /> <br /> 途中のバス停からアジャンターまではジープに乗る。狭いジープに詰め込んで、猛スピードで駆け抜ける。アジャンター石窟に到着。川沿いに石窟寺院があるが、川は殆ど干上がっている。でも一番のここの見所は壁画である。なかなかこれだけの壁画が残っているのも珍しい。ユネスコの世界遺産にも登録されているほどである。他にも石を削ってなかなか立派な彫刻もあり、見所も多い。ただ暗くて、フラッシュ禁止の場所が多く、なかなか写真撮影できないのがやや残念である。<br /> <br /> だいぶインドにもなれてきた。食事は辛いけど、飲み物は甘くておいしい。色々な人が話し掛けてきて商売してくるが、なかなか交渉も楽しくなってきた。人々はフレンドリーだし、なかなか日本には無いものを見せてくれる。 <br /> <br />

    2月20日(日)
    今日は、アジャンターに行ってみることにする。少し遅めに出発。バスターミナルで何とか色々と聞きまわって、どのバスに乗るかはわかったが、一時間近く待つ羽目に。バスの中でインド映画のビデオをやっていた。なんともグラサンしたややきざめな男の人が、10人くらいの女の人をナンパして十股くらいかけている映画だった。言葉は全然わからなかったけど、見ていてアクションやダンスが多くて、わかりやすかった。どうも映画に出てくるのは、白目の美女、美男が多い気がした。

     途中のバス停からアジャンターまではジープに乗る。狭いジープに詰め込んで、猛スピードで駆け抜ける。アジャンター石窟に到着。川沿いに石窟寺院があるが、川は殆ど干上がっている。でも一番のここの見所は壁画である。なかなかこれだけの壁画が残っているのも珍しい。ユネスコの世界遺産にも登録されているほどである。他にも石を削ってなかなか立派な彫刻もあり、見所も多い。ただ暗くて、フラッシュ禁止の場所が多く、なかなか写真撮影できないのがやや残念である。

     だいぶインドにもなれてきた。食事は辛いけど、飲み物は甘くておいしい。色々な人が話し掛けてきて商売してくるが、なかなか交渉も楽しくなってきた。人々はフレンドリーだし、なかなか日本には無いものを見せてくれる。 

  • 2月21日(月)<br /> 昨日この宿に着いた人と、デリーでぼられた法政大の髭面の人とあわせて4人で朝食を取り、情報交換し合う。なんとも昨日ここに着いた彼は神戸の大学生で、しかも通算三回目の休学中である。休学するたびに東南アジアやインドなどを旅しているらしく、このあとはパキスタンへ行くらしい。なんともすばらしき生命力である。<br /> <br /> お互いの旅の無事を祈り、それぞれ別々の途へつく。僕たちはバスターミナルへと向かう。周りの人に色々と聞いて、目的地であるブッサヴァル行きのバスを探し出した。とにかくそこらじゅうにいる人たちに「ブッサヴァル、ブッサヴァル」とか聞いてみて、やっと発見した。そして乗り込む。途中までは昨日と同じルートで、綿や麦の畑を通り抜け、小さな村々を通り抜ける。一応小さな村でも、電気は通っているようである。バスが止まるたびに窓から村人がいろいろなものを売ってくる。小さな子供が「ケララ、ケララ」と叫んでいたが、僕らを見るなり「バナナ、バナナ」と叫びだした。どうやらケララはバナナのことらしい。こんな小さな子供たちまでもが、なんとも商売熱心に思えた。焼き玉蜀黍やら、ポップコーンやら、なんだかんだ色々売ってきて楽しかった。<br /> <br /> 途中からバスが大混雑しだした。それでもバスは窓全開で100km/h位で飛ばすので凄い風が吹き付ける。アメリカと違って、どこに行ってもとりあえず人は住んでいる感じである。乾いた大地をどこまでもすっ飛ばし、気持ちがいい。<br /> <br /> やっと夕暮れにブッサヴァルの町に到着。それにしてもバスは、リクシャーや自転車や家畜のすぐ横を通ったりと、なかなかスリリングでもあった。<br /> <br /> とりあえずは食事を摂ることに。それほど大きな町には見えないが、ホテルの下のレストランで注文してみる。これがなかなかおいしかった。チキンクリアスープというのが、スパイシーでおいしかった。これまで食べたインド料理はからかったが、ここのは辛くなかった。<br /> <br /> ブッサヴァルのオフィスで何回も色々な人に聞いて、何とかデリー行きのチケットを購入できた。それにしてもインド人は、マナーがなっていない。ずっと列を作って順番を待っていても、平気で横入りしてくる。少し腹立たしかったので、わざと肘を使って横入りしようとするインド人に対して妨害をして、割り込まれないようにした。なんともムンバイ方面に行く列車のことをUP TRAINと呼ぶみたいである。待合室で待っていると、話し掛けられる。日本から来たと言うと「日本の歌を知っている」と言って、チューリップの歌を歌いだす。次に「バラが咲いた」を歌いだすが、音程がめちゃくちゃだったので、僕が大声ですばらしい歌声で指導してあげた。なかなか受けている。<br /> <br /> 列車は一時間遅れで到着。二等はあまり乗りたくなかったので、二等寝台で空いている所があったので、強引に占拠。そのまま眠りにつく…。

    2月21日(月)
     昨日この宿に着いた人と、デリーでぼられた法政大の髭面の人とあわせて4人で朝食を取り、情報交換し合う。なんとも昨日ここに着いた彼は神戸の大学生で、しかも通算三回目の休学中である。休学するたびに東南アジアやインドなどを旅しているらしく、このあとはパキスタンへ行くらしい。なんともすばらしき生命力である。

     お互いの旅の無事を祈り、それぞれ別々の途へつく。僕たちはバスターミナルへと向かう。周りの人に色々と聞いて、目的地であるブッサヴァル行きのバスを探し出した。とにかくそこらじゅうにいる人たちに「ブッサヴァル、ブッサヴァル」とか聞いてみて、やっと発見した。そして乗り込む。途中までは昨日と同じルートで、綿や麦の畑を通り抜け、小さな村々を通り抜ける。一応小さな村でも、電気は通っているようである。バスが止まるたびに窓から村人がいろいろなものを売ってくる。小さな子供が「ケララ、ケララ」と叫んでいたが、僕らを見るなり「バナナ、バナナ」と叫びだした。どうやらケララはバナナのことらしい。こんな小さな子供たちまでもが、なんとも商売熱心に思えた。焼き玉蜀黍やら、ポップコーンやら、なんだかんだ色々売ってきて楽しかった。

     途中からバスが大混雑しだした。それでもバスは窓全開で100km/h位で飛ばすので凄い風が吹き付ける。アメリカと違って、どこに行ってもとりあえず人は住んでいる感じである。乾いた大地をどこまでもすっ飛ばし、気持ちがいい。

     やっと夕暮れにブッサヴァルの町に到着。それにしてもバスは、リクシャーや自転車や家畜のすぐ横を通ったりと、なかなかスリリングでもあった。

     とりあえずは食事を摂ることに。それほど大きな町には見えないが、ホテルの下のレストランで注文してみる。これがなかなかおいしかった。チキンクリアスープというのが、スパイシーでおいしかった。これまで食べたインド料理はからかったが、ここのは辛くなかった。

     ブッサヴァルのオフィスで何回も色々な人に聞いて、何とかデリー行きのチケットを購入できた。それにしてもインド人は、マナーがなっていない。ずっと列を作って順番を待っていても、平気で横入りしてくる。少し腹立たしかったので、わざと肘を使って横入りしようとするインド人に対して妨害をして、割り込まれないようにした。なんともムンバイ方面に行く列車のことをUP TRAINと呼ぶみたいである。待合室で待っていると、話し掛けられる。日本から来たと言うと「日本の歌を知っている」と言って、チューリップの歌を歌いだす。次に「バラが咲いた」を歌いだすが、音程がめちゃくちゃだったので、僕が大声ですばらしい歌声で指導してあげた。なかなか受けている。

     列車は一時間遅れで到着。二等はあまり乗りたくなかったので、二等寝台で空いている所があったので、強引に占拠。そのまま眠りにつく…。

  • 2月22日(火)<br /> 駅に着く度に目が覚める。Expressに乗ったので、停車する駅が少ない。インドの列車は停車する際に凄い音がするので、すぐに目が覚めてしまう。殆ど荷物置き場に椅子をつけただけのような三段式寝台の一番上は高さこそ無いが、なかなか居心地がいい。少し寝ては少し起き、また少し寝ては少しおきるという、日本式な怠惰な生活を送っているようだった。それにしてもインドの国鉄は予想よりも設備がいい。僕らの乗った区間は全区間複線電化で、線路の横幅も広く、かなりのスピードで飛ばす。線路と同じくらいの高さのホームしかない駅をどんどん飛ばす。時折線路の上を自転車をこいでいる人もいて、なかなかインドらしい。もちろん自動ドアなどあるはずも無く、ドア全開で風を切って平野を駆け抜けていく。なかなか気持ちがいいもんだ。駅に着くと人がどっと入れ替わる。しかも発車ベルが鳴らないので、買い物をしている間にも平気で列車が発車してしまうこともしばしばある。迂闊に買い物にすらいけない。ある駅でレモンミリンダを買って飲もうとすると列車が発車しだしたので、慌ててドアへと飛び乗る。ぎりぎりセーフ。なんか同じようなやり方で列車に飛び乗るインド人も大勢いた。

    2月22日(火)
     駅に着く度に目が覚める。Expressに乗ったので、停車する駅が少ない。インドの列車は停車する際に凄い音がするので、すぐに目が覚めてしまう。殆ど荷物置き場に椅子をつけただけのような三段式寝台の一番上は高さこそ無いが、なかなか居心地がいい。少し寝ては少し起き、また少し寝ては少しおきるという、日本式な怠惰な生活を送っているようだった。それにしてもインドの国鉄は予想よりも設備がいい。僕らの乗った区間は全区間複線電化で、線路の横幅も広く、かなりのスピードで飛ばす。線路と同じくらいの高さのホームしかない駅をどんどん飛ばす。時折線路の上を自転車をこいでいる人もいて、なかなかインドらしい。もちろん自動ドアなどあるはずも無く、ドア全開で風を切って平野を駆け抜けていく。なかなか気持ちがいいもんだ。駅に着くと人がどっと入れ替わる。しかも発車ベルが鳴らないので、買い物をしている間にも平気で列車が発車してしまうこともしばしばある。迂闊に買い物にすらいけない。ある駅でレモンミリンダを買って飲もうとすると列車が発車しだしたので、慌ててドアへと飛び乗る。ぎりぎりセーフ。なんか同じようなやり方で列車に飛び乗るインド人も大勢いた。

  •  かれこれしているうちにアーグラーに到着。試しに降りてみる。ブッサヴァルの駅であった「バラが咲いた」のインド人に再会。なんか嬉しくなった。喜んでいるうちに列車が発車してしまい、ここでもまた飛び乗る羽目に。なんか無常な気持ちになった。<br /> <br /> 列車はニューデリー駅まで行かず、ハズラートニザムウッディーン駅までしか行かなかったので、しかもニューデリー駅行きの列車は一時間近くもまたなければいけなかったので、ここで降りてオートリクシャーを探す。本来相場は20Rsくらいのはずであるが、90とか80とか吹っかけてくる。南アとか粘るもののどうしても値を下げないので、50Rsで妥協。しかし途中の交差点でそのリクシャーは故障してしまう。そこで他のリクシャー仲間に声をかけてくれて、なんとかニューデリー駅に到着。駅前のパパールガンジーというメインバザールはここデリーの安宿街でもある。Royal Guest Houseというところに泊まることにした。部屋はなかなか綺麗で、お湯はただで頼めば持って来てくれる。<br /> <br /> 近くの店で駱駝の皮を使って作ったサンダルを購入。かなり値が張ったが、結構気に入ったので構わなかった。それをはいて町じゅうを歩き回ったが、所詮は道路がゴミ溜め状態のインド。帰る頃には新品だったのが、かなり汚くなっていた。

     かれこれしているうちにアーグラーに到着。試しに降りてみる。ブッサヴァルの駅であった「バラが咲いた」のインド人に再会。なんか嬉しくなった。喜んでいるうちに列車が発車してしまい、ここでもまた飛び乗る羽目に。なんか無常な気持ちになった。

     列車はニューデリー駅まで行かず、ハズラートニザムウッディーン駅までしか行かなかったので、しかもニューデリー駅行きの列車は一時間近くもまたなければいけなかったので、ここで降りてオートリクシャーを探す。本来相場は20Rsくらいのはずであるが、90とか80とか吹っかけてくる。南アとか粘るもののどうしても値を下げないので、50Rsで妥協。しかし途中の交差点でそのリクシャーは故障してしまう。そこで他のリクシャー仲間に声をかけてくれて、なんとかニューデリー駅に到着。駅前のパパールガンジーというメインバザールはここデリーの安宿街でもある。Royal Guest Houseというところに泊まることにした。部屋はなかなか綺麗で、お湯はただで頼めば持って来てくれる。

     近くの店で駱駝の皮を使って作ったサンダルを購入。かなり値が張ったが、結構気に入ったので構わなかった。それをはいて町じゅうを歩き回ったが、所詮は道路がゴミ溜め状態のインド。帰る頃には新品だったのが、かなり汚くなっていた。

  • 2月23日(水)<br /> さとしと話しあって、彼はアムリトサルの方に行くことになり、お互い単独行動することになった。お互いもめたことも多かったけど、それでも何とかいいコンビでやっていけた。元々帰国日が異なってはいたが、何とか頑張ってみようかなって思った。<br /> <br /> それでとりあえず電車のチケットを取りにデリー駅外国人窓口に行こうとする。役人みたいな人が、今日は窓口が閉まっているから観光局へ来い、オートリクシャーで2Rsだと言ってきた。でもなんか特に閉まっているような理由も思い浮かばなければ、2Rsが妙に安く感じられたので、とりあえず逃げた。なんとも外国人窓口は営業していた。後でガイドブックを読んだところ、この手の詐欺の被害は多いらしい。最も最初から怪しかったけど。<br /> <br /> アーグラーまで行くのはまあ簡単だろうと考え、アーグラーからバナラシまでの夜行列車のチケットを25日発の分を取る。さとしは高い席であったが、デリーからアムリトサルまでのチケットを取れた。列車のチケット一枚取るのに俺は30~40分で済んだけど、さとしは二時間近くかかった。<br /> <br />そういえばいつもインド人に、インドを二週間旅すると言うとなんて短いんだと言われる。確かにインドはのんびりと旅するようなところではないかもしれない。たかが隣町まで行くのにここまで大変だとは思っていなかったし。もう少しゆっくり回ってみたいけど、やはり時間もあまりないので少し残念。<br /> <br />メインバザールを歩いていると、タンブラーを叩いている男に出会う。丁度弟に買ってくるように頼まれていたので、いくらか聞いてみる。900Rsだといわれる。350Rsにまけさせた。気に入って叩きながら、踊りながら、メインバザールを闊歩する。宿に戻るとオーナーが笑顔で迎えてくれた。いくらかと聞かれて350Rsで買ったと言うと、それは高すぎる、100Rsくらいのものだよといわれる。騙されたのかなあぁ。<br /> <br />また歩いていると、蛇使いの笛を売っている人とである。これもまた弟に頼まれていたので、いくらかと聞いてみる。300Rsだといわれる。150Rs <br />にまけさせた。宿に戻るとまたオーナーが笑顔で迎えてくれた。150Rsで買ったと言うと、20Rsくらいだといわれる。でもこの笛は割と気に入っているから、割と価値があるように思えた。この国の商取引はまだ良くわからない。定価という概念が殆どないし、結局商売と言うのは、売り手が適正価格で物を売って利益を得て、買い手は出したお金の分だけ効用が得られれば成立するものなのかなあ。でもなんか、やはりぼられているような…。<br /> <br />夜には念願の映画を鑑賞する。上映時間を待っている間に向かいの店でフレッシュジュースを飲んだが、そこのオーナーがあまりにもダチョウ倶楽部の上島に似ていたので、日本のダチョウ倶楽部というコメディアンに非常に似ていると言ってやったら、結構笑っていた。隣の席に座った五人くらいのインド人と仲良くなる。結構フレンドリーである。相変わらずアクションが多くて、ストーリー性が殆ど無かった。結局観光らしい観光は殆ど出来ていない一日だった。<br />

    2月23日(水)
     さとしと話しあって、彼はアムリトサルの方に行くことになり、お互い単独行動することになった。お互いもめたことも多かったけど、それでも何とかいいコンビでやっていけた。元々帰国日が異なってはいたが、何とか頑張ってみようかなって思った。

     それでとりあえず電車のチケットを取りにデリー駅外国人窓口に行こうとする。役人みたいな人が、今日は窓口が閉まっているから観光局へ来い、オートリクシャーで2Rsだと言ってきた。でもなんか特に閉まっているような理由も思い浮かばなければ、2Rsが妙に安く感じられたので、とりあえず逃げた。なんとも外国人窓口は営業していた。後でガイドブックを読んだところ、この手の詐欺の被害は多いらしい。最も最初から怪しかったけど。

     アーグラーまで行くのはまあ簡単だろうと考え、アーグラーからバナラシまでの夜行列車のチケットを25日発の分を取る。さとしは高い席であったが、デリーからアムリトサルまでのチケットを取れた。列車のチケット一枚取るのに俺は30~40分で済んだけど、さとしは二時間近くかかった。

    そういえばいつもインド人に、インドを二週間旅すると言うとなんて短いんだと言われる。確かにインドはのんびりと旅するようなところではないかもしれない。たかが隣町まで行くのにここまで大変だとは思っていなかったし。もう少しゆっくり回ってみたいけど、やはり時間もあまりないので少し残念。

    メインバザールを歩いていると、タンブラーを叩いている男に出会う。丁度弟に買ってくるように頼まれていたので、いくらか聞いてみる。900Rsだといわれる。350Rsにまけさせた。気に入って叩きながら、踊りながら、メインバザールを闊歩する。宿に戻るとオーナーが笑顔で迎えてくれた。いくらかと聞かれて350Rsで買ったと言うと、それは高すぎる、100Rsくらいのものだよといわれる。騙されたのかなあぁ。

    また歩いていると、蛇使いの笛を売っている人とである。これもまた弟に頼まれていたので、いくらかと聞いてみる。300Rsだといわれる。150Rs 
    にまけさせた。宿に戻るとまたオーナーが笑顔で迎えてくれた。150Rsで買ったと言うと、20Rsくらいだといわれる。でもこの笛は割と気に入っているから、割と価値があるように思えた。この国の商取引はまだ良くわからない。定価という概念が殆どないし、結局商売と言うのは、売り手が適正価格で物を売って利益を得て、買い手は出したお金の分だけ効用が得られれば成立するものなのかなあ。でもなんか、やはりぼられているような…。
     
    夜には念願の映画を鑑賞する。上映時間を待っている間に向かいの店でフレッシュジュースを飲んだが、そこのオーナーがあまりにもダチョウ倶楽部の上島に似ていたので、日本のダチョウ倶楽部というコメディアンに非常に似ていると言ってやったら、結構笑っていた。隣の席に座った五人くらいのインド人と仲良くなる。結構フレンドリーである。相変わらずアクションが多くて、ストーリー性が殆ど無かった。結局観光らしい観光は殆ど出来ていない一日だった。

  • 2月24日(木)<br /> 昨日いろいろと買い物をしたので、今日は日本に送ってからオールドデリーの観光をしてからアーグラーに行こうと思っていた。<br /> <br />郵便局の近くで、美術を学んでいるとか言う学生(もっとも少し怪しかったが…)に声をかけられ、一緒に郵便局に行くことに。でも包装していなかったので、送れないと言われた。<br /> <br /> その青年は、中央郵便局まで行ってあげる、君たちはゲストだといって、今ノートプレイスの方へと一緒に歩いていった。本当は怪しかったのであまりついて行きたくは無かったが、郵便局だけ案内してもらって、消えうせようかなと少し考えていた。途中でエンポリアムに寄った。というよりも、あまり寄りたくなかったが、寄る羽目になった。とりあえずそれでも、政府直営のエンポリアムならぼられることは無いだろうと思い、中に入る。なかなかインドらしい素敵な商品が並ぶ。でも高い。インドの物価水準から考えると、普通の人にはなかなか手に届かないようなものばかりである。でも服も売っていたので買ってみる。シタールも頼まれていたので、買う。やたら絨毯を勧められるが、絨毯は特に必要が無いので買わなかった。欲しくも無いと言っているのに、やたらなぜいらないんだと聞いてくる。そういうしつこいところが、インド人の醜い点のように感じ、嫌いである。別に買う必要の無い物は買う必要は無いのだから。ついでにいえば、”Do you have a girlfriend in Japan?”ということをインド人は好んで聞く。ここでNOと答えると、すぐにWHY?と聞いてくる。これもかなり嫌いな点である。別に彼女がいようが居まいが、関係ないだろ、しかも理由なんて知ったもんか、そういう気持ちになる。インドに居る間この質問をかなり浴びさせられて、かなり傷ついた。<br /> <br /> その後は小包を作って、日本に頼まれていたお土産を送ることに。エンポリアムで知り合ったラジェスと言う少年が案内してくれることに。細い路地を抜けて、小包を作ってくれる店へと行く。途中で、「こんにちは、マリファナ」などと日本語で話し掛けてくるインド人も居る。丁度オランダ人も自分の国に本を送るところだった。彼らに言わせればインドの本は安いらしい。何とか日本に送ってもらえる手配が出来た。<br /> <br /> その後、彼らに政府観光局につれてってもらう。ところがこれがかなりの曲者で、今考えれば関わるべきではなかったとかなり後悔している。アーグラーからバラナシまでのチケットは取れているので、それ以外の区間のチケットを聞いてみる。200$とか言われたので、ふざけるなと思って、店を出る。でもラジェス達に、もう一度相談した方がいいと言われたので、渋々嫌々ながら行く。今度は相談料取るよ、チケット取れなくても。こういわれたときにすぐに断ればよかった。今考えても後悔している。出来るだけ早く、出来れば今日中に行きたいと必死だった。結局当日のチケットは取れずじまい。そのくせ金出せと、200Rsも。今までで一番いい思い出を作ってくれたマッシュさんにも200Rs払ったことを考えれば、今までで一番嫌な思い出を作ってしまった、この小ざかしいやろうにも同じだけの額を払うことを考えると腹立たしかったし、自分自身に嫌気がさした。しかもネチネチといやみを言い出し、「地球の歩き方」は日本人用で駄目で、「Lonly Planet」という世界的に知られたガイドブックを出してくる。なぜか厚木市立図書館のシールがある。「私は日本で教育を受けてきた人間で、7月に日本にまた行くとき日本を返す」とか行っている。公共の図書館の返却期限はとっくに切れている。普通にほんの公共図書館の返却期限は二週間程度である。こういう人間が日本で教育を受けたと言っても、一体何を学んだのであろうか。まさか「日本人の騙し方」ではあるまいか。思い出しただけでも腹立たしい。生理的に受け付けない。あまりにも嫌いだったので、とりあえず金だけは払ってやった。これ以上関わりたくなかったし。インド人は金さえ手に入れば、あとはどうでもいいのだろうか。かなりこいつ一人のために、インド人不信になった気がしないわけでもない。<br /> <br /> ラジェス達と別れて、アーグラーへ行こうと、さとしと最後の晩餐を済ませてから別れを告げた。時にはぶつかることもあったけど、それでもいいコンビだったのかな。様々な苦難を脱してきただけあって、少し寂しかった。思えば中学時代からの凸凹コンビだったな。英語大して話せない、ぼられまくりの彼と、果たして無事に日本で再会できるのか、非常に不安だった。もしかしたらこれが今生の別れになるかもしれない。少しだけ涙がこぼれた気がした。気のせいだろう。<br /> <br /> お互いの旅の無事を祈りつつも、アーグラーへと向かう方法を考える。ハズラットニッサムーディン駅の近くからバスが出ているらしい。あるいはニューデリー駅からアーグラー駅へと向かう列車に無理矢理乗り込むか。<br /> <br /> などと考えているうちに、一人の男が声をかけてきた。ニッサムーディン駅まで行くと言ったら、35Rsだといわれる。まあいいかなって思ってついていく。ところが彼は、実を言うとオートリクシャーの運転手ではなかった。というよりも僕が今日中にアーグラーまで行くつもりだと言うと、丁度自分の家もその近くだからと一緒に乗る。途中モスクがあり、お祈りしている。どうやらイスラム教徒らしい。なぜか駅の手前で降りる。なぜか40Rs払っている。なんだか僕の金でただ乗りしているみたいである。しかもかなり暗い路地を歩く。かなり彼に不信感を抱き、何かあったらすぐにばっくれる準備をする。なぜか予約センターの前を通り過ぎる。不審に思いとりあえず駆け込んで、バスのチケットが取れるかどうか聞いてみる。今日はもう取れないらしい。仕方がなく、ニューデリーの駅に戻って、強引に乗り込むか、あるいはまたメインバザールに戻って今日の宿を探そうかと考える。すると彼が着いて来いと言って、駅に電話してくれる。なんとものアーグラー行きは満席で、二等車は連結されていないらしい。彼は車を手配してやるからついて来いと言う。行った先は彼の家だった。彼の家族が迎えてくれる。親父は頑固そうだったが、奥さんと子供は無邪気にフレンドリーに微笑みかけてくれる。お茶を出してくれる。もしもこの中に睡眠薬が入っていたらとかなり警戒する。すると彼は僕の気持ちを察したのか、自分がまず先にお茶を飲む。まさか「金田一少年の事件簿」張りのトリックで毒を盛るわけも無いと思い飲んでみる。結構おいしい。すると彼は写真を見せてくれた。北の方にある自然豊かなところへのツアーを紹介してくれる。ついでに日本人からの葉書を見せてくれた。わざわざ手紙を受け取るくらいの人なら、別に悪い奴でもないだろうと少し安心する。でも自分には自分なりに計画があるからと言うと、彼は色々と相談に乗ってくれた。とりあえず明日の列車にチケットが取れるようにとオフィスに何回か電話してくれる。でも結局取れなかった…。<br /> <br /> しばらくすると別の男が来る。アーグラーまで今夜行きたいのであれば80$、明日朝でも80$だが、6時間近くかかってもいいのであれば35$で大型バスを手配できると言われた。結局どうしても明日中にはアーグラーに行かなければいけないので、35$払う羽目に。かなり高い買い物だった。デリーに着いた際にアーグラーまでのチケットを手配しておけばよかったと思った。駆け足のスケジュールを組むと帰って、手間と出費がかかるなと思った。明日の朝7時にこの近くを出ればアーグラーにいけるみたいだ。<br /> <br /> 結局今晩はこの家に泊まることになった。なんとも不思議な運命である。家族はずっとテレビを見ていたが、10時になると一緒に食事を摂ることになった。なんとも遅い夕食である。カレーと水とライスが出された。はっきり行って、インド米は日本人の口にあわないと思った。でもカレーはなかなか良かった。さすがはイスラム教徒、ジャガイモと牛肉のカレーだった。日本人に気を使ってスプーンとフォークを出してくれた。彼らは食事の前にボウルに汲んである水に手を入れて洗う。そしてご飯もカレーもすべて手づかみで食べる。話には聞いていたが、見ている分には豪快である。なんとも器用に右手を使う。食べ終わるとまた今度は手を洗い、今度はまた食べ終わったさらに水をかけて、その皿に入った水を捨てる。なかなかのやり方である。ここで疑問に思ったのは、奥さんが居ないことである。後で自分たちの食事が終わった後、隣の部屋の隅のほうで一人で食べていた。インドでは女性の地位が低いのだろうか。男性と同じ場で食を摂るという習慣は無いのだろうか。少し疑問に思えた。<br /> <br /> 食後今度は手製のいろんな銅像を見せてくれる。ヒンドゥー教や仏教のものである。高かったが珍しかったので、ヒンドゥー教の像の銅像を買った。その後寝ることに。はっきりいって雑魚寝状態。しかも隣の人の寝相が悪く、つらかった。明日の朝は6時に起きなきゃと目覚ましをセットしてくれた。不思議だけど貴重な体験をした夜だった。まさかインド人の家庭に訪問して、泊まるなんて夢にまでも思っていなかった………。<br /> <br />

    2月24日(木)
     昨日いろいろと買い物をしたので、今日は日本に送ってからオールドデリーの観光をしてからアーグラーに行こうと思っていた。

    郵便局の近くで、美術を学んでいるとか言う学生(もっとも少し怪しかったが…)に声をかけられ、一緒に郵便局に行くことに。でも包装していなかったので、送れないと言われた。

     その青年は、中央郵便局まで行ってあげる、君たちはゲストだといって、今ノートプレイスの方へと一緒に歩いていった。本当は怪しかったのであまりついて行きたくは無かったが、郵便局だけ案内してもらって、消えうせようかなと少し考えていた。途中でエンポリアムに寄った。というよりも、あまり寄りたくなかったが、寄る羽目になった。とりあえずそれでも、政府直営のエンポリアムならぼられることは無いだろうと思い、中に入る。なかなかインドらしい素敵な商品が並ぶ。でも高い。インドの物価水準から考えると、普通の人にはなかなか手に届かないようなものばかりである。でも服も売っていたので買ってみる。シタールも頼まれていたので、買う。やたら絨毯を勧められるが、絨毯は特に必要が無いので買わなかった。欲しくも無いと言っているのに、やたらなぜいらないんだと聞いてくる。そういうしつこいところが、インド人の醜い点のように感じ、嫌いである。別に買う必要の無い物は買う必要は無いのだから。ついでにいえば、”Do you have a girlfriend in Japan?”ということをインド人は好んで聞く。ここでNOと答えると、すぐにWHY?と聞いてくる。これもかなり嫌いな点である。別に彼女がいようが居まいが、関係ないだろ、しかも理由なんて知ったもんか、そういう気持ちになる。インドに居る間この質問をかなり浴びさせられて、かなり傷ついた。

     その後は小包を作って、日本に頼まれていたお土産を送ることに。エンポリアムで知り合ったラジェスと言う少年が案内してくれることに。細い路地を抜けて、小包を作ってくれる店へと行く。途中で、「こんにちは、マリファナ」などと日本語で話し掛けてくるインド人も居る。丁度オランダ人も自分の国に本を送るところだった。彼らに言わせればインドの本は安いらしい。何とか日本に送ってもらえる手配が出来た。

     その後、彼らに政府観光局につれてってもらう。ところがこれがかなりの曲者で、今考えれば関わるべきではなかったとかなり後悔している。アーグラーからバラナシまでのチケットは取れているので、それ以外の区間のチケットを聞いてみる。200$とか言われたので、ふざけるなと思って、店を出る。でもラジェス達に、もう一度相談した方がいいと言われたので、渋々嫌々ながら行く。今度は相談料取るよ、チケット取れなくても。こういわれたときにすぐに断ればよかった。今考えても後悔している。出来るだけ早く、出来れば今日中に行きたいと必死だった。結局当日のチケットは取れずじまい。そのくせ金出せと、200Rsも。今までで一番いい思い出を作ってくれたマッシュさんにも200Rs払ったことを考えれば、今までで一番嫌な思い出を作ってしまった、この小ざかしいやろうにも同じだけの額を払うことを考えると腹立たしかったし、自分自身に嫌気がさした。しかもネチネチといやみを言い出し、「地球の歩き方」は日本人用で駄目で、「Lonly Planet」という世界的に知られたガイドブックを出してくる。なぜか厚木市立図書館のシールがある。「私は日本で教育を受けてきた人間で、7月に日本にまた行くとき日本を返す」とか行っている。公共の図書館の返却期限はとっくに切れている。普通にほんの公共図書館の返却期限は二週間程度である。こういう人間が日本で教育を受けたと言っても、一体何を学んだのであろうか。まさか「日本人の騙し方」ではあるまいか。思い出しただけでも腹立たしい。生理的に受け付けない。あまりにも嫌いだったので、とりあえず金だけは払ってやった。これ以上関わりたくなかったし。インド人は金さえ手に入れば、あとはどうでもいいのだろうか。かなりこいつ一人のために、インド人不信になった気がしないわけでもない。

     ラジェス達と別れて、アーグラーへ行こうと、さとしと最後の晩餐を済ませてから別れを告げた。時にはぶつかることもあったけど、それでもいいコンビだったのかな。様々な苦難を脱してきただけあって、少し寂しかった。思えば中学時代からの凸凹コンビだったな。英語大して話せない、ぼられまくりの彼と、果たして無事に日本で再会できるのか、非常に不安だった。もしかしたらこれが今生の別れになるかもしれない。少しだけ涙がこぼれた気がした。気のせいだろう。

     お互いの旅の無事を祈りつつも、アーグラーへと向かう方法を考える。ハズラットニッサムーディン駅の近くからバスが出ているらしい。あるいはニューデリー駅からアーグラー駅へと向かう列車に無理矢理乗り込むか。
     
     などと考えているうちに、一人の男が声をかけてきた。ニッサムーディン駅まで行くと言ったら、35Rsだといわれる。まあいいかなって思ってついていく。ところが彼は、実を言うとオートリクシャーの運転手ではなかった。というよりも僕が今日中にアーグラーまで行くつもりだと言うと、丁度自分の家もその近くだからと一緒に乗る。途中モスクがあり、お祈りしている。どうやらイスラム教徒らしい。なぜか駅の手前で降りる。なぜか40Rs払っている。なんだか僕の金でただ乗りしているみたいである。しかもかなり暗い路地を歩く。かなり彼に不信感を抱き、何かあったらすぐにばっくれる準備をする。なぜか予約センターの前を通り過ぎる。不審に思いとりあえず駆け込んで、バスのチケットが取れるかどうか聞いてみる。今日はもう取れないらしい。仕方がなく、ニューデリーの駅に戻って、強引に乗り込むか、あるいはまたメインバザールに戻って今日の宿を探そうかと考える。すると彼が着いて来いと言って、駅に電話してくれる。なんとものアーグラー行きは満席で、二等車は連結されていないらしい。彼は車を手配してやるからついて来いと言う。行った先は彼の家だった。彼の家族が迎えてくれる。親父は頑固そうだったが、奥さんと子供は無邪気にフレンドリーに微笑みかけてくれる。お茶を出してくれる。もしもこの中に睡眠薬が入っていたらとかなり警戒する。すると彼は僕の気持ちを察したのか、自分がまず先にお茶を飲む。まさか「金田一少年の事件簿」張りのトリックで毒を盛るわけも無いと思い飲んでみる。結構おいしい。すると彼は写真を見せてくれた。北の方にある自然豊かなところへのツアーを紹介してくれる。ついでに日本人からの葉書を見せてくれた。わざわざ手紙を受け取るくらいの人なら、別に悪い奴でもないだろうと少し安心する。でも自分には自分なりに計画があるからと言うと、彼は色々と相談に乗ってくれた。とりあえず明日の列車にチケットが取れるようにとオフィスに何回か電話してくれる。でも結局取れなかった…。
     
     しばらくすると別の男が来る。アーグラーまで今夜行きたいのであれば80$、明日朝でも80$だが、6時間近くかかってもいいのであれば35$で大型バスを手配できると言われた。結局どうしても明日中にはアーグラーに行かなければいけないので、35$払う羽目に。かなり高い買い物だった。デリーに着いた際にアーグラーまでのチケットを手配しておけばよかったと思った。駆け足のスケジュールを組むと帰って、手間と出費がかかるなと思った。明日の朝7時にこの近くを出ればアーグラーにいけるみたいだ。

     結局今晩はこの家に泊まることになった。なんとも不思議な運命である。家族はずっとテレビを見ていたが、10時になると一緒に食事を摂ることになった。なんとも遅い夕食である。カレーと水とライスが出された。はっきり行って、インド米は日本人の口にあわないと思った。でもカレーはなかなか良かった。さすがはイスラム教徒、ジャガイモと牛肉のカレーだった。日本人に気を使ってスプーンとフォークを出してくれた。彼らは食事の前にボウルに汲んである水に手を入れて洗う。そしてご飯もカレーもすべて手づかみで食べる。話には聞いていたが、見ている分には豪快である。なんとも器用に右手を使う。食べ終わるとまた今度は手を洗い、今度はまた食べ終わったさらに水をかけて、その皿に入った水を捨てる。なかなかのやり方である。ここで疑問に思ったのは、奥さんが居ないことである。後で自分たちの食事が終わった後、隣の部屋の隅のほうで一人で食べていた。インドでは女性の地位が低いのだろうか。男性と同じ場で食を摂るという習慣は無いのだろうか。少し疑問に思えた。

     食後今度は手製のいろんな銅像を見せてくれる。ヒンドゥー教や仏教のものである。高かったが珍しかったので、ヒンドゥー教の像の銅像を買った。その後寝ることに。はっきりいって雑魚寝状態。しかも隣の人の寝相が悪く、つらかった。明日の朝は6時に起きなきゃと目覚ましをセットしてくれた。不思議だけど貴重な体験をした夜だった。まさかインド人の家庭に訪問して、泊まるなんて夢にまでも思っていなかった………。

  • 2月25日(金)<br /> 目が覚めたら6時半。昨日セットしてくれたはずの目覚し時計は、棚から落っこちて、電池が抜けていてならなかったらしい。さすがインドだと感心する暇も無く出発しなければいけない。彼もやっと起きて、バス乗り場まで案内してくれるそうだ。あせっているのに彼は心配しなくていいと言うばかり。乗り場に着くと7時ちょっとすぎ。彼は今まで色々と世話をしたのでチップをくれと言う。確かに何から何まで世話になったのだから、文句も言えないのであげた。でもなんか興ざめである。せっかく親切にしてくれても結局はインド人は金目当てなのかとがっかりする。でもいい思い出を作ると言う自分の思いは、この国においてはただのエゴなのであろうか。インドはインドの秩序で動いていて、アメリカも日本もそれぞれの国の秩序で動いている。インドと言う国の感覚を分かり合うことが国際感覚なのかなと自分を納得させる。インドはそういう国であると理解して、彼らの価値観はそれなりに尊重すべきだと思った。だってお互いの価値観を主張して相手を理解しようとしないから戦争がおこるのだから。最近の紛争はもっとも民族や宗教がらみが殆どだし。<br /> <br /> 結局一時間近く待ってようやくバスが来た。彼の名は「ムトゥ」と言うらしい。今初めて聞いた。彼と別れて乗り込む。強引に当てを頼んで取ったチケットらしく、乗っても席が確保されていない。運転席の後ろを指して、ここに座れと言う。アーグラーまでたっぷりと睡眠をとる予定だったのが、一気に狂う。バスは途中から高速道路らしき道路に入る。なんともムトゥが言うには、デリーとアーグラーを結ぶラインは重要らしく、高速道路を作って高い通行税を取って、出来るだけ身分の高い人にしか使わせないそうである。なんともインドらしい。でもその割には自転車や牛車が走っている。インドにしては珍しく片側に車線で中央分離帯がある。なのになぜか右側車線から対向車が走ってきて、衝突しそうになった。さすがはインド式運転、クラクションは鳴りっ放し。幅寄せ割り込み、車線無視、なんでもありである。それでもバスは快適に走る。途中休憩があった。なんか女の人に「ハローエクスキューズミー」と話し掛けられてきて、英語の紙を渡される。自然災害で家を失っているから少し寄付してくれと書いてある。どうしてもこういうのに弱いので、とりあえず50Rs渡して名前を書く。すると100Rsよこせと言ってくる。ふざけんなと言う感じでひたすら無視。50Rsも渡してしまった自分自身が悔しい。また騙された。そもそも寄付に価格を指定してくるなんておかしい。それに加えて、ハローとエクスキューズミーしか言えない人が、なんでcalamityなんて難しい単語を知っているのか。<br /> <br /> なんだかんだいいつつも無事にアーグラーに到着。アーグラーフォートを目の当たりにする。赤い城壁が高く聳えていて、なかなか感動的である。降りるとガイドしてくれる人がいて、ついていってみた。どうやらこのバスはアーグラーフォートとタージマハルを見てから日帰りでデリーに戻る観光バスだったようである。とりあえずガイドの話を聞いてみるが、ヒンドゥー語なので、全然わからない。あんまり話を聞いていても仕方がないので、写真とりに夢中になる。そしてはぐれないようにひたすらついていく。かなり巨大なこの城だが、この中にマーケットやら宮殿やら、役所やら裁判所やらがあったらしく、ムガル帝国の栄華の象徴である。頂上まで上る。

    2月25日(金)
     目が覚めたら6時半。昨日セットしてくれたはずの目覚し時計は、棚から落っこちて、電池が抜けていてならなかったらしい。さすがインドだと感心する暇も無く出発しなければいけない。彼もやっと起きて、バス乗り場まで案内してくれるそうだ。あせっているのに彼は心配しなくていいと言うばかり。乗り場に着くと7時ちょっとすぎ。彼は今まで色々と世話をしたのでチップをくれと言う。確かに何から何まで世話になったのだから、文句も言えないのであげた。でもなんか興ざめである。せっかく親切にしてくれても結局はインド人は金目当てなのかとがっかりする。でもいい思い出を作ると言う自分の思いは、この国においてはただのエゴなのであろうか。インドはインドの秩序で動いていて、アメリカも日本もそれぞれの国の秩序で動いている。インドと言う国の感覚を分かり合うことが国際感覚なのかなと自分を納得させる。インドはそういう国であると理解して、彼らの価値観はそれなりに尊重すべきだと思った。だってお互いの価値観を主張して相手を理解しようとしないから戦争がおこるのだから。最近の紛争はもっとも民族や宗教がらみが殆どだし。

     結局一時間近く待ってようやくバスが来た。彼の名は「ムトゥ」と言うらしい。今初めて聞いた。彼と別れて乗り込む。強引に当てを頼んで取ったチケットらしく、乗っても席が確保されていない。運転席の後ろを指して、ここに座れと言う。アーグラーまでたっぷりと睡眠をとる予定だったのが、一気に狂う。バスは途中から高速道路らしき道路に入る。なんともムトゥが言うには、デリーとアーグラーを結ぶラインは重要らしく、高速道路を作って高い通行税を取って、出来るだけ身分の高い人にしか使わせないそうである。なんともインドらしい。でもその割には自転車や牛車が走っている。インドにしては珍しく片側に車線で中央分離帯がある。なのになぜか右側車線から対向車が走ってきて、衝突しそうになった。さすがはインド式運転、クラクションは鳴りっ放し。幅寄せ割り込み、車線無視、なんでもありである。それでもバスは快適に走る。途中休憩があった。なんか女の人に「ハローエクスキューズミー」と話し掛けられてきて、英語の紙を渡される。自然災害で家を失っているから少し寄付してくれと書いてある。どうしてもこういうのに弱いので、とりあえず50Rs渡して名前を書く。すると100Rsよこせと言ってくる。ふざけんなと言う感じでひたすら無視。50Rsも渡してしまった自分自身が悔しい。また騙された。そもそも寄付に価格を指定してくるなんておかしい。それに加えて、ハローとエクスキューズミーしか言えない人が、なんでcalamityなんて難しい単語を知っているのか。

     なんだかんだいいつつも無事にアーグラーに到着。アーグラーフォートを目の当たりにする。赤い城壁が高く聳えていて、なかなか感動的である。降りるとガイドしてくれる人がいて、ついていってみた。どうやらこのバスはアーグラーフォートとタージマハルを見てから日帰りでデリーに戻る観光バスだったようである。とりあえずガイドの話を聞いてみるが、ヒンドゥー語なので、全然わからない。あんまり話を聞いていても仕方がないので、写真とりに夢中になる。そしてはぐれないようにひたすらついていく。かなり巨大なこの城だが、この中にマーケットやら宮殿やら、役所やら裁判所やらがあったらしく、ムガル帝国の栄華の象徴である。頂上まで上る。

  • 川をはさんで対岸にある、タージマハルが美しい。タージマハルまで殆ど建物がなく、本当に美しかった。<br /> 

    川をはさんで対岸にある、タージマハルが美しい。タージマハルまで殆ど建物がなく、本当に美しかった。
     

  •  バスはようやくタージマハルに到着。バス停から入り口までそんなに遠くは無いようだが、初めてサイクルリクシャーに乗ってみる。結構気持ちがいい。自分のために目の前にいる人が必死でペダルをこいでくれるその姿が、なんだか偉くなった殿様気分。なんとも金曜日にはタージマハルの入場料がただになるらしく、それで混雑しているようである。アーグラーフォートも同様である。そういえばムトゥが、金曜日になるとタージへ行く人が大勢いてなかなかチケットが取れないって言っていたのを思い出した。世界遺産であるタージマハルは、イスラム系とペルシャ系の混じった壮大な建物であり、巨大な墓である。ムガル帝国五代皇帝シャージャハンの若くして死んだ妻の墓である。わかりやすく言えば少々露骨だが、昔の偉い王様のその妃が、16歳で結婚し、38歳でなくなるまでに14人の子供を産み、それほど愛していたがための愛の結晶なのである。一人の男が14人の女性に子供を産ませるのは問題があると思うけど、14人も子供を産ませるほど本当に一人の女性を愛していたのだと考えると、果たして自分が真似できるのか少々不安になる。その愛の深さにはただただ舌を巻くばかりである。近くから見ても綺麗だが、やはりアーグラーフォートの頂上から見るのが一番綺麗だと思う。<br /> <br /> バラナシ行きの列車のチケットはなぜかラジャーキ・マンディ駅からであった。割と小さな駅で、特急列車が何度も通過していった。なんともこの辺りの人は英語が通じにくく、またこっちの発音が悪いのかもしれないが、トイレひとつに行くだけでもわざわざ紙にスペルを書く始末。しかもこのトイレがまた凄くて、ペットボトルに水を貯めて力づくで流すタイプ。しかも前に使った奴が流していないので、眩暈がするくらいの臭さだった。<br /> <br /> 駅で知り合った大阪出身で、神戸の大学に通う大学生と仲良くなって、一時間くらいお互いの旅について語り合った。なんともパキスタンから入って、カルカッタから戻るらしい。聞くところによると、カナダ人はアメリカ人と思われるのが嫌で、わざわざバックにカナダの国旗を掲げて旅する人が多いらしい。僕はまだ見たことはないけど。アメリカは結構インド人に嫌われているようである。そういえばムトゥの一家もアメリカは人をたくさん殺しているし、日本にも原爆を落としたし、何よりインドとパキスタンとの問題に介入してくるから大嫌いだと言っていたのを思い出した。確か世界の警察ぶってあちこちに自分たちの価値観を押し付けるのはどうかなとは思う。やがて列車がきて、席が離れていたので、バラナシでの再会を祈って別れた。乗ろうとして近くにいた人にバラナシ行きかと聞いたら違うと言われた。慌ててさっきの彼を探したが、見つからずにあせった。とりあえず駅のオフィスに事情を話し、後から来たバラナシ行きに乗り込んだ。果たして彼は一体どこまで連れて行かれたのであろうか。彼の運命を考えると落ち着かない。寝台では近くのおじさんが親切にしてくれた挙句に、名刺までくれた。いい人だ。それでも、どこ行きかもわからない列車に乗ってしまった、大阪の彼のことを考えると、どうしても落ち着かない…。

     バスはようやくタージマハルに到着。バス停から入り口までそんなに遠くは無いようだが、初めてサイクルリクシャーに乗ってみる。結構気持ちがいい。自分のために目の前にいる人が必死でペダルをこいでくれるその姿が、なんだか偉くなった殿様気分。なんとも金曜日にはタージマハルの入場料がただになるらしく、それで混雑しているようである。アーグラーフォートも同様である。そういえばムトゥが、金曜日になるとタージへ行く人が大勢いてなかなかチケットが取れないって言っていたのを思い出した。世界遺産であるタージマハルは、イスラム系とペルシャ系の混じった壮大な建物であり、巨大な墓である。ムガル帝国五代皇帝シャージャハンの若くして死んだ妻の墓である。わかりやすく言えば少々露骨だが、昔の偉い王様のその妃が、16歳で結婚し、38歳でなくなるまでに14人の子供を産み、それほど愛していたがための愛の結晶なのである。一人の男が14人の女性に子供を産ませるのは問題があると思うけど、14人も子供を産ませるほど本当に一人の女性を愛していたのだと考えると、果たして自分が真似できるのか少々不安になる。その愛の深さにはただただ舌を巻くばかりである。近くから見ても綺麗だが、やはりアーグラーフォートの頂上から見るのが一番綺麗だと思う。

     バラナシ行きの列車のチケットはなぜかラジャーキ・マンディ駅からであった。割と小さな駅で、特急列車が何度も通過していった。なんともこの辺りの人は英語が通じにくく、またこっちの発音が悪いのかもしれないが、トイレひとつに行くだけでもわざわざ紙にスペルを書く始末。しかもこのトイレがまた凄くて、ペットボトルに水を貯めて力づくで流すタイプ。しかも前に使った奴が流していないので、眩暈がするくらいの臭さだった。

     駅で知り合った大阪出身で、神戸の大学に通う大学生と仲良くなって、一時間くらいお互いの旅について語り合った。なんともパキスタンから入って、カルカッタから戻るらしい。聞くところによると、カナダ人はアメリカ人と思われるのが嫌で、わざわざバックにカナダの国旗を掲げて旅する人が多いらしい。僕はまだ見たことはないけど。アメリカは結構インド人に嫌われているようである。そういえばムトゥの一家もアメリカは人をたくさん殺しているし、日本にも原爆を落としたし、何よりインドとパキスタンとの問題に介入してくるから大嫌いだと言っていたのを思い出した。確か世界の警察ぶってあちこちに自分たちの価値観を押し付けるのはどうかなとは思う。やがて列車がきて、席が離れていたので、バラナシでの再会を祈って別れた。乗ろうとして近くにいた人にバラナシ行きかと聞いたら違うと言われた。慌ててさっきの彼を探したが、見つからずにあせった。とりあえず駅のオフィスに事情を話し、後から来たバラナシ行きに乗り込んだ。果たして彼は一体どこまで連れて行かれたのであろうか。彼の運命を考えると落ち着かない。寝台では近くのおじさんが親切にしてくれた挙句に、名刺までくれた。いい人だ。それでも、どこ行きかもわからない列車に乗ってしまった、大阪の彼のことを考えると、どうしても落ち着かない…。

  • (記念の一枚)

    (記念の一枚)

  • 2月26日(土)<br /> あのおじさんは色々と気を使ってくれ、本当にいい人だった。でも目が覚めると居なかった。と言うよりも、気がついたら客が全然居なくなっていて、かなり心配になった。でもヨーロッパ系の人や日本人は残っていたので、バラナシに行くものだと勝手に決め込んで安心して列車に乗りつづけた。それにしてもインドの子供は、なぜか走っている列車を見ると物を投げてくる。このくそガキめッ!<br /> <br /> 10時過ぎに列車は終着駅に着いて、殆どの客が降りた。多分バラナシに着いたのだろうと思い降りる。リクシャーの奴らがガンガーの方に行きたいかとか聞いてくるので、多分無事到着したのだと思う。<br /> <br /> スタンドみたいなところで朝食を摂る。すると幼い兄弟が赤ん坊一人を抱えて、計三人の物乞いがかなりみずぼらしい格好をして、必死に手を差し伸べてくる。言葉こそ通じないけれども、彼らなりに必死である。食事を摂っている間中ずっとくっついて手を差し伸べてきた。すると店の主が水をかけて追っ払おうと、何回も水をぶっかける。人を人と見ないこの態度、かなりインドの階級社会の現実を垣間見た気がした。そういえばインド人は見てると、物乞いに対して人を人とも思わないような態度をとったり、空気や虫けらのように扱ったりしている。やはりこれがカースト制度の現実なのであろうか。一人あたり1Rsずつをあげた。たいした額ではないけど。するとその子供たちは満面の笑みを浮かべて去っていった。本当に幸せそうだった。こういう人たちが一番お金の価値をわかってくれるのであろう。バナナ一本を買うのが精一杯だろうが、少なくとも詐欺にあって悪い奴らにぼられるよりははるかに有効なお金の利用法だと思った。<br /> <br /> デリー→アーグラー間の移動の苦労を思い出して、先手を打ってカルカッタまでのチケットを取ることにした。途中ブッダガヤに行きたかったが、バラナシからガヤに行く列車は一日に一本しかない。それでも取ろうとする。一時間くらい並んだ。自分の番になると急にコンピューターが飛んで、電源が切れた。電源が着いては切れるというトラブルでさらに20分くらい待つ羽目に。でも何とかこれでカルカッタまでの足は確保できた。さらに飛行機のリコンファームを済ませばもう完璧でしょう。<br /> <br /> ガートの近くに行こうとリクシャーを探す。オートリクシャーとサイクルリクシャーが20Rsで行ってくれると言ったので、先に声をかけてきたオートリクシャーに乗ることに。ところが奴らはかなりの曲者だった。どーせまた宿に連れてって高いコミッションを要求してくるのが見え見えだったので、友達が待っているからと言って、地図上の地点をさしてここまでいってくれといったのに聞いてくれない。お前の友達は一体誰なんだ、こいつかと近くのリクシャー仲間をさして、とにかく強引にコミッションを取ろうとする。動く気配も無いのでたまりかねて降りようとすると、席に座ったんだから20Rs払えと言い出す始末。かなり喧嘩気味になって振り切るとさっきのサイクルリクシャーが、オートリクシャーは気違いばかりだからこっちに乗れ乗れと言ってきたので乗った。途中でプジャゲストハウスの勧誘の人が大人と子供の二人組みで伴走して、勧めてきた。リクシャーから降りると5Rsバクシーシを要求してきたが、さっき20Rsといったはずだといって振り切る。途中でプジャゲストハウスに泊まっている日本人に会い、割といいところだといわれたので行って見る。かなりわかりにくい細い路地を通り抜け、到着。結構気に入ったので泊まることに。一晩150Rs。かなり奮発したつもりだが、日本円に直すと375円。でもこの場所のわかりにくさが後で災いとなるのであった。

    2月26日(土)
     あのおじさんは色々と気を使ってくれ、本当にいい人だった。でも目が覚めると居なかった。と言うよりも、気がついたら客が全然居なくなっていて、かなり心配になった。でもヨーロッパ系の人や日本人は残っていたので、バラナシに行くものだと勝手に決め込んで安心して列車に乗りつづけた。それにしてもインドの子供は、なぜか走っている列車を見ると物を投げてくる。このくそガキめッ!

     10時過ぎに列車は終着駅に着いて、殆どの客が降りた。多分バラナシに着いたのだろうと思い降りる。リクシャーの奴らがガンガーの方に行きたいかとか聞いてくるので、多分無事到着したのだと思う。

     スタンドみたいなところで朝食を摂る。すると幼い兄弟が赤ん坊一人を抱えて、計三人の物乞いがかなりみずぼらしい格好をして、必死に手を差し伸べてくる。言葉こそ通じないけれども、彼らなりに必死である。食事を摂っている間中ずっとくっついて手を差し伸べてきた。すると店の主が水をかけて追っ払おうと、何回も水をぶっかける。人を人と見ないこの態度、かなりインドの階級社会の現実を垣間見た気がした。そういえばインド人は見てると、物乞いに対して人を人とも思わないような態度をとったり、空気や虫けらのように扱ったりしている。やはりこれがカースト制度の現実なのであろうか。一人あたり1Rsずつをあげた。たいした額ではないけど。するとその子供たちは満面の笑みを浮かべて去っていった。本当に幸せそうだった。こういう人たちが一番お金の価値をわかってくれるのであろう。バナナ一本を買うのが精一杯だろうが、少なくとも詐欺にあって悪い奴らにぼられるよりははるかに有効なお金の利用法だと思った。

     デリー→アーグラー間の移動の苦労を思い出して、先手を打ってカルカッタまでのチケットを取ることにした。途中ブッダガヤに行きたかったが、バラナシからガヤに行く列車は一日に一本しかない。それでも取ろうとする。一時間くらい並んだ。自分の番になると急にコンピューターが飛んで、電源が切れた。電源が着いては切れるというトラブルでさらに20分くらい待つ羽目に。でも何とかこれでカルカッタまでの足は確保できた。さらに飛行機のリコンファームを済ませばもう完璧でしょう。

     ガートの近くに行こうとリクシャーを探す。オートリクシャーとサイクルリクシャーが20Rsで行ってくれると言ったので、先に声をかけてきたオートリクシャーに乗ることに。ところが奴らはかなりの曲者だった。どーせまた宿に連れてって高いコミッションを要求してくるのが見え見えだったので、友達が待っているからと言って、地図上の地点をさしてここまでいってくれといったのに聞いてくれない。お前の友達は一体誰なんだ、こいつかと近くのリクシャー仲間をさして、とにかく強引にコミッションを取ろうとする。動く気配も無いのでたまりかねて降りようとすると、席に座ったんだから20Rs払えと言い出す始末。かなり喧嘩気味になって振り切るとさっきのサイクルリクシャーが、オートリクシャーは気違いばかりだからこっちに乗れ乗れと言ってきたので乗った。途中でプジャゲストハウスの勧誘の人が大人と子供の二人組みで伴走して、勧めてきた。リクシャーから降りると5Rsバクシーシを要求してきたが、さっき20Rsといったはずだといって振り切る。途中でプジャゲストハウスに泊まっている日本人に会い、割といいところだといわれたので行って見る。かなりわかりにくい細い路地を通り抜け、到着。結構気に入ったので泊まることに。一晩150Rs。かなり奮発したつもりだが、日本円に直すと375円。でもこの場所のわかりにくさが後で災いとなるのであった。

  •  しばらく休んだ後、ぶらぶらしてみる。とりあえず飛行機のリコンファームを先にしようと思った。とりあえず代理店でもらった紙に書いてあった番号にかけてみる。なんか違う番号らしくて、正しい番号を教えてくれた。その番号にかけるものの誰も出ない。もう一度かけてみると、今度はちゃんと番号を教えてくれた。リコンファームしようとして、今バラナシに居てカルカッタの滞在先はわからないと言うと切られた。<br /> <br /> 仕方なくバザールの方を歩く。しつこく話し掛けてくる男がいて無視しつづけた。が、両替したいなんて言ったから案内される。20$=650Rsでかなり悪いレートだったが、土曜日で他に両替できるところも無いので、仕方なく応じる。今度はもっと計画的に両替をしないと…。電話したいと言うとさらについて来いと言う。別に電話なんてそこらじゅうで出来るのに。何とかリコンファーム完了。さらにシルクの店とか服の店に案内すると言うが、別に行きたくなかったのでさよならする。するとガイド料払えと言い出した。これだからインド人は嫌だ。ひたすら人ごみにまぎれてまいた。<br /> <br /> しばらくするとマニカルニカー・ガートの近くに到着。しつこく話し掛けてくるおじさんがいて、ひたすら無視したが、私を信じろとか何度も言ってきて、あまりにくっついてきたので、とりあえず腰をかけて話だけ聞いてみることに。なんとも彼の仕事は、遺体に火をつけることらしく、また欧米や日本の旅行者が家族の気持ちを考えずにたくさん写真をとることに腹を立てているらしい。なんともガイドはするが、ガイド料を一切取らないし、写真を取らないと約束するなら見せてあげようと言われたので、試しについて行ってみる。なんともここでは遺体を水で清めてから焼いて、その灰を母なる川ガンガーに流すそうだ。男の人は白い布、女の人は赤い布で包まれて、配偶者や子供が遺体に火をつけるそうだ。10歳以下の子供は、まだ穢れ無きものなので、焼かないでそのままガンガーに流すらしい。何らかの障害をもった遺体もそのまま流すらしい。なんともガンガーの魚が体内に宿る汚らわしいものを食べてしまうそうである。そして家族も無いような80~90歳くらいの老人がここで死ぬことを目的にホスピスで死を待つらしい。なんとも日本では考えられないような習慣である。遺体を焼く薪は1kgで150Rsするらしく、少々高い。でもなんとなくこのガイドの魂胆が読めてきた。所詮インド人は何事につけても金金、こいつもそうなのかと思った。<br /> <br /> 予想通り寄付をせまる。とりあえず10Rsだけ渡すとこんなんじゃ何も買えないと怒りだした。1000Rsとかほざき始めたので逃げた。別に寄付をするのが嫌なわけではなくて、寄付を強制されるのが嫌だったからだ。<br /> <br /> するとどこまでも追いかけてくる。どこからともなく現れた仲間らしき人物も出てきた。腕を捕まえて、<br />「お前も馬鹿だなあぁ。大事件になる前にとっとと寄付しろや、金よこせや。」<br />と恐喝される。ヤク中のおかまといった感じの奴で、見ているだけで吐き気がするような奴だった。死に物狂いで腕を振り払って、全速力で逃げた。かなりしつこく追いかけてきたが、何とか振り切ったようだった。しかし宿までの道がわからない。既に日が暮れかけてきて、明かりも殆ど無く、道も入り組んでいて、宿までの道もわからなかった。いつ奴等が出てくるのかわからなくて、必死に走り回り、とりあえず近くの子供に案内させた。何とか無事到着。チップをせまってきたが、こっちは自分の命がかかっていて、命の恩人でもあったのでチップははずんだ。危うくガンガーの灰になる危機を脱した。かくしてインドで一番憧れていたこの地に、一番嫌な思い出を残すことになってしまった。<br /> <br />

     しばらく休んだ後、ぶらぶらしてみる。とりあえず飛行機のリコンファームを先にしようと思った。とりあえず代理店でもらった紙に書いてあった番号にかけてみる。なんか違う番号らしくて、正しい番号を教えてくれた。その番号にかけるものの誰も出ない。もう一度かけてみると、今度はちゃんと番号を教えてくれた。リコンファームしようとして、今バラナシに居てカルカッタの滞在先はわからないと言うと切られた。

     仕方なくバザールの方を歩く。しつこく話し掛けてくる男がいて無視しつづけた。が、両替したいなんて言ったから案内される。20$=650Rsでかなり悪いレートだったが、土曜日で他に両替できるところも無いので、仕方なく応じる。今度はもっと計画的に両替をしないと…。電話したいと言うとさらについて来いと言う。別に電話なんてそこらじゅうで出来るのに。何とかリコンファーム完了。さらにシルクの店とか服の店に案内すると言うが、別に行きたくなかったのでさよならする。するとガイド料払えと言い出した。これだからインド人は嫌だ。ひたすら人ごみにまぎれてまいた。

     しばらくするとマニカルニカー・ガートの近くに到着。しつこく話し掛けてくるおじさんがいて、ひたすら無視したが、私を信じろとか何度も言ってきて、あまりにくっついてきたので、とりあえず腰をかけて話だけ聞いてみることに。なんとも彼の仕事は、遺体に火をつけることらしく、また欧米や日本の旅行者が家族の気持ちを考えずにたくさん写真をとることに腹を立てているらしい。なんともガイドはするが、ガイド料を一切取らないし、写真を取らないと約束するなら見せてあげようと言われたので、試しについて行ってみる。なんともここでは遺体を水で清めてから焼いて、その灰を母なる川ガンガーに流すそうだ。男の人は白い布、女の人は赤い布で包まれて、配偶者や子供が遺体に火をつけるそうだ。10歳以下の子供は、まだ穢れ無きものなので、焼かないでそのままガンガーに流すらしい。何らかの障害をもった遺体もそのまま流すらしい。なんともガンガーの魚が体内に宿る汚らわしいものを食べてしまうそうである。そして家族も無いような80~90歳くらいの老人がここで死ぬことを目的にホスピスで死を待つらしい。なんとも日本では考えられないような習慣である。遺体を焼く薪は1kgで150Rsするらしく、少々高い。でもなんとなくこのガイドの魂胆が読めてきた。所詮インド人は何事につけても金金、こいつもそうなのかと思った。

     予想通り寄付をせまる。とりあえず10Rsだけ渡すとこんなんじゃ何も買えないと怒りだした。1000Rsとかほざき始めたので逃げた。別に寄付をするのが嫌なわけではなくて、寄付を強制されるのが嫌だったからだ。

     するとどこまでも追いかけてくる。どこからともなく現れた仲間らしき人物も出てきた。腕を捕まえて、
    「お前も馬鹿だなあぁ。大事件になる前にとっとと寄付しろや、金よこせや。」
    と恐喝される。ヤク中のおかまといった感じの奴で、見ているだけで吐き気がするような奴だった。死に物狂いで腕を振り払って、全速力で逃げた。かなりしつこく追いかけてきたが、何とか振り切ったようだった。しかし宿までの道がわからない。既に日が暮れかけてきて、明かりも殆ど無く、道も入り組んでいて、宿までの道もわからなかった。いつ奴等が出てくるのかわからなくて、必死に走り回り、とりあえず近くの子供に案内させた。何とか無事到着。チップをせまってきたが、こっちは自分の命がかかっていて、命の恩人でもあったのでチップははずんだ。危うくガンガーの灰になる危機を脱した。かくしてインドで一番憧れていたこの地に、一番嫌な思い出を残すことになってしまった。

  • 2月27日(日)<br /> なぜか夜遅くまで音楽祭をやっている。どういうことか。ひたすら大ボリュームでどんちゃん騒ぎ。4時近くまで眠れない。おかげで日の出を見るために目覚ましをセットしたのが、気付いたら9時。まあいいや、明日もあるし。<br /> <br /> 今日は一日のんびりしよう、そう決めた。沐浴もしてみよう。でもあの火葬場に近づくのだけはやめておこう。そう考えながらのんびりと朝食を取り出発。というよりも、ヨガのレッスンを申し込んだので、夕方6時には戻らないといけない。<br /> <br />のんびりしたペースで上流に向かう。上流の方が人の心も水も綺麗かなという幻想を抱いて。 ダシャーシュワメード・ガートで少し休んでから上流へと行く。沐浴している人が大勢いる。なかなか見ごたえのある風景である。大人も子供もパンツ一丁で、頭から水の中に飛び込んでは出てきたりと、なかなか豪快である。インド人の黒い裸体が水面下に消えては浮かび上がりと、さすがにインドに来た甲斐があったというような光景である。人々はみなこの母なる聖なる河に抱かれていくのであろう。<br /> <br /> アッシー・ガートまでくると、もはや観光地という雰囲気ではなく、どことなくインドの良さを感じさせるものがある。人々は温和で、子供たちは明るく元気である。観光客を相手にぼろ儲けを企んでいるような輩は殆どいない。沐浴している人も結構いる。インド人の執拗な勧誘に疲れたらここに来るのもいいかもしれない。疲れ切った体と心を癒してくれるかのようだ。<br />

    2月27日(日)
     なぜか夜遅くまで音楽祭をやっている。どういうことか。ひたすら大ボリュームでどんちゃん騒ぎ。4時近くまで眠れない。おかげで日の出を見るために目覚ましをセットしたのが、気付いたら9時。まあいいや、明日もあるし。

     今日は一日のんびりしよう、そう決めた。沐浴もしてみよう。でもあの火葬場に近づくのだけはやめておこう。そう考えながらのんびりと朝食を取り出発。というよりも、ヨガのレッスンを申し込んだので、夕方6時には戻らないといけない。

    のんびりしたペースで上流に向かう。上流の方が人の心も水も綺麗かなという幻想を抱いて。 ダシャーシュワメード・ガートで少し休んでから上流へと行く。沐浴している人が大勢いる。なかなか見ごたえのある風景である。大人も子供もパンツ一丁で、頭から水の中に飛び込んでは出てきたりと、なかなか豪快である。インド人の黒い裸体が水面下に消えては浮かび上がりと、さすがにインドに来た甲斐があったというような光景である。人々はみなこの母なる聖なる河に抱かれていくのであろう。

     アッシー・ガートまでくると、もはや観光地という雰囲気ではなく、どことなくインドの良さを感じさせるものがある。人々は温和で、子供たちは明るく元気である。観光客を相手にぼろ儲けを企んでいるような輩は殆どいない。沐浴している人も結構いる。インド人の執拗な勧誘に疲れたらここに来るのもいいかもしれない。疲れ切った体と心を癒してくれるかのようだ。

  •   ボートに乗る。一人あたり10Rs。他の欧米人と一緒に乗り込む。ボートから見えるガンガーもなかなかいいものだ。なんか布に包まれた得体の知れないものがぷかぷかと浮かぶ。同乗している欧米人に聞いてもなんだかよくわからない。おそらくこれが10歳以下の子供の遺体なのかなと想像する。そういえば少し上流には火葬場がある。<br /> <br /> 川のほとりに座り込む。どこからともなくガンガーに捧げる花を売りに来る7~8歳くらいの男の子がやってきた。葉っぱで船を作り花と蝋燭を乗せ、ガンガーに流すのである。ところがなかなかうまくいかない。すぐに消えてしまう。どこからともなく花売りの女の子もやってくる。もう十分なのに、無理矢理僕の手に花を持たせてガンガーに捧げようとする。腕を掴んで、河に花を置かせ、手を離させて、はい5Rs。なかなかせこいが、どことなく憎めないところがある女の子である。河に足だけつけてみる。洗濯やさんや、何人かの人が集まってきて、ザブンと潜って、沐浴してみろとか、母なる河に抱かれたなら君は幸せだとか言われる。日が暮れかかったし、一人だったので、さすがに沐浴する気は起こらなかった。少しだけ冷え込んでもきた。<br /> <br /> 宿に戻り、ヨガのレッスンを受ける。3回受ければヨガの基本はマスターできるらしい。が、時間の関係上二回しかレッスンを受けることが出来ずに残念だった。ひたすら柔軟体操みたいなことや、体にとっていいポーズ(?)をやる。なんか筋肉痛にならないか少し心配である。それでも、結構面白かったし、気持ちもよかった。なんとなく健康になったような気もした。<br /> <br /> 丁度フロントのところにいたKさんという日本人の男性の方と話す。なんとも急ぎでアーグラーまで行って、そこから3月20日過ぎくらいにはイスタンブールまで駆け抜けて日本に戻るそうである。彼はひたすら駆け足派で、過去には二週間でタイ、ラオス、カンボジア、ベトナム、マレーシア、シンガポールと駆けた事もあるらしい。二人でずっと話していたが、途中からHさんと言う方も加わり三人で色々と長々と旅についての話をしていた。なんともKさんが火葬場で拉致されかけたところをHさんが助けたらしい。そのあとムンバイに行きたい、サリーを着た女の子三人組と、アジャンター、エローラに行きたいHさんとSさんと色々と旅に話をして盛り上がっていて、時間がたつのを忘れていたほどである。本当に楽しいひと時だった。夜もかなり更けて、部屋に戻り、一人でシャワーを浴びている自分が少々切なかった…。

     ボートに乗る。一人あたり10Rs。他の欧米人と一緒に乗り込む。ボートから見えるガンガーもなかなかいいものだ。なんか布に包まれた得体の知れないものがぷかぷかと浮かぶ。同乗している欧米人に聞いてもなんだかよくわからない。おそらくこれが10歳以下の子供の遺体なのかなと想像する。そういえば少し上流には火葬場がある。
     
     川のほとりに座り込む。どこからともなくガンガーに捧げる花を売りに来る7~8歳くらいの男の子がやってきた。葉っぱで船を作り花と蝋燭を乗せ、ガンガーに流すのである。ところがなかなかうまくいかない。すぐに消えてしまう。どこからともなく花売りの女の子もやってくる。もう十分なのに、無理矢理僕の手に花を持たせてガンガーに捧げようとする。腕を掴んで、河に花を置かせ、手を離させて、はい5Rs。なかなかせこいが、どことなく憎めないところがある女の子である。河に足だけつけてみる。洗濯やさんや、何人かの人が集まってきて、ザブンと潜って、沐浴してみろとか、母なる河に抱かれたなら君は幸せだとか言われる。日が暮れかかったし、一人だったので、さすがに沐浴する気は起こらなかった。少しだけ冷え込んでもきた。

     宿に戻り、ヨガのレッスンを受ける。3回受ければヨガの基本はマスターできるらしい。が、時間の関係上二回しかレッスンを受けることが出来ずに残念だった。ひたすら柔軟体操みたいなことや、体にとっていいポーズ(?)をやる。なんか筋肉痛にならないか少し心配である。それでも、結構面白かったし、気持ちもよかった。なんとなく健康になったような気もした。

     丁度フロントのところにいたKさんという日本人の男性の方と話す。なんとも急ぎでアーグラーまで行って、そこから3月20日過ぎくらいにはイスタンブールまで駆け抜けて日本に戻るそうである。彼はひたすら駆け足派で、過去には二週間でタイ、ラオス、カンボジア、ベトナム、マレーシア、シンガポールと駆けた事もあるらしい。二人でずっと話していたが、途中からHさんと言う方も加わり三人で色々と長々と旅についての話をしていた。なんともKさんが火葬場で拉致されかけたところをHさんが助けたらしい。そのあとムンバイに行きたい、サリーを着た女の子三人組と、アジャンター、エローラに行きたいHさんとSさんと色々と旅に話をして盛り上がっていて、時間がたつのを忘れていたほどである。本当に楽しいひと時だった。夜もかなり更けて、部屋に戻り、一人でシャワーを浴びている自分が少々切なかった…。

  • (ガンジス河)

    (ガンジス河)

  • 2月28日(月)<br />今日は頑張って早起きした。何とか日が明けていくガンガーを見ることが出来た。KさんとHさんはもう起きていた。なんか曇っていたけど、どことなく不思議な光景である。神秘的というか、幻想的というか、インド人はこの夜明けをどんな思いで見ているのであろうか。もう一度寝る。<br /> <br /> 8時からヨガの二回目のレッスン。今度は瞑想についてレッスンを受ける。なんとも目を閉じて余計なことを一切考えず、頭の中であるひとつの単語を連呼するのが瞑想である。朝15分、夕方15分やると、体にも心にもいいと勧められた。<br /> <br /> 少し遅い朝食を摂り、部屋の片付けの準備に入ろうとすると、急に停電する。インドは本当にしょっちゅう停電する。昨日の夜語り合った人たちともお別れである。少し寂しかったけど、旅は出会いと別れの繰り返し、そんなもんさ。つらいけど、もしもこの日この場所にいなかったら彼らとは一生巡り会えなかったかもしれない。巡り会えただけでも幸せではないか。そう考えて生きていこう。<br /> <br /> インド人疲れがかなりあったので、話し掛けてくる人来る人無視しつづけた。何でこんなにすぐに日本人だとわかるのだろうか。少し嫌になる。マレーシア人とか、シンガポール人とか言ってみようかな。ある人は無視しつづけていると、「クルクルパー」とか「馬鹿」とか言ってくる。一体どこでそんな日本語を覚えたのだろうか。少々疑問である。両替を済ませてショッピングをする。何回も話し掛けてくる奴がいて、コミッションもガイド料もバクシーシもなしという約束で案内してくれることになった。バラナシシルクの店に。バンダナやタペストリーを買う。なかなか気に入った。1330Rsだが、1300Rsに負けてくれると言う。もう少し負けろと言ったら1275Rsになって、さらに負けろと言ったら1265Rsと言って来た。せいぜい1250Rsにしろと言ったら、1255Rsで売ると言った。かなりせこくて強者である。結局その値で手を売った。CDショップでCDも少し買った。いろいろ案内してくれたが、バクシーシと言い出す。はじめにバクシーシなしという約束だっただろと言うと、もしもあなたが幸せならバクシーシを払えばいいし、そうでなければ払わなくても言いと言い出した。なしという約束だからなしだと言うと、少々嫌な顔をされて別れた。後味の悪い別れ方だと少しだけ後悔した。バクシーシとは幸せなら払う、そういうものなのかなと思った。<br /> <br /> 15Rsで駅まで行ってくれるサイクルリクシャーを探し出す。途中サイクルリクシャーやオートリクシャーで大渋滞が起きる。何とか無事に駅まで着いたが、余計なものは一切請求されなかった。なかなかいい奴だ。<br /> <br /> 駅に着いてから列車を待つ。ガヤ方面行きの日本人に何人か会った。眼鏡をかけた彼や、眼鏡にさらに髭面で帽子をしたの彼など。子供の物乞いがまとわりつき始めた。でもなんか遊んであげるとすごい可愛い。言葉は通じないけど、必死にバクシーシをせがむ。持ち合わせの小銭が無かったのでどうしようと思っていると、別のインド人の大人が棒を持って物乞いたちを追っ払う。またインド社会の現実を見たような出来事だった。<br /> <br /> 列車は1時間半遅れで到着。さっき知り合った眼鏡をかけた彼とガヤの駅で待ち合わせをすることにした。車両に入っても自分の席が無い。車掌に聞くと、ウェイティングリストになっていると言われた。インドの列車の仕組みは良くわからないけど、多分ウェイティングリストだと列車にこそ乗れるけど席は確保されてはいないみたいである。どうしようかなと思っているとお坊さんみたいな人が手招きで、ここに座っていいといってくれているようである。というわけで、遠慮なくその席に座ることに。非常にいい人だと思えた。彼は、どことなく外見が似ている日本人に親近感を抱いたのであろうか。何人か良くわからないけど、駅のホームで一緒だった外国人二人組の男女も席を確保できたようだ。何とか周りにいる人たちに聞いて、ガヤ駅に到着したことを確認して降りた。先ほどバラナシの駅で知り合った彼と一緒に宿を探すことにした。駅前のクラシックと言うところに泊まることにした。この頃かなり体調を崩していて、気分が悪かった。二人でいっしょの部屋に泊まることにした。食事を摂るもののめちゃくちゃまずい。全然煮えていない豆のカレー。さらに体調を崩しかけた。もう一人の彼は途中まではツアーで、そこからは自由行動で、ブッダガヤの後にはアーグラーに行く予定である。本当はもともと三人で行く予定が、友達二人がインドは危険だと聞いてドタキャンしてヨーロッパ方面に卒業旅行に行ったらしい。なんかやどのオーナーが、彼のアーグラーまでのチケットを取ってやるといっていたけど、横から見ていると甚だ心配である。1000Rsを渡していた…。

    2月28日(月)
    今日は頑張って早起きした。何とか日が明けていくガンガーを見ることが出来た。KさんとHさんはもう起きていた。なんか曇っていたけど、どことなく不思議な光景である。神秘的というか、幻想的というか、インド人はこの夜明けをどんな思いで見ているのであろうか。もう一度寝る。

     8時からヨガの二回目のレッスン。今度は瞑想についてレッスンを受ける。なんとも目を閉じて余計なことを一切考えず、頭の中であるひとつの単語を連呼するのが瞑想である。朝15分、夕方15分やると、体にも心にもいいと勧められた。

     少し遅い朝食を摂り、部屋の片付けの準備に入ろうとすると、急に停電する。インドは本当にしょっちゅう停電する。昨日の夜語り合った人たちともお別れである。少し寂しかったけど、旅は出会いと別れの繰り返し、そんなもんさ。つらいけど、もしもこの日この場所にいなかったら彼らとは一生巡り会えなかったかもしれない。巡り会えただけでも幸せではないか。そう考えて生きていこう。

     インド人疲れがかなりあったので、話し掛けてくる人来る人無視しつづけた。何でこんなにすぐに日本人だとわかるのだろうか。少し嫌になる。マレーシア人とか、シンガポール人とか言ってみようかな。ある人は無視しつづけていると、「クルクルパー」とか「馬鹿」とか言ってくる。一体どこでそんな日本語を覚えたのだろうか。少々疑問である。両替を済ませてショッピングをする。何回も話し掛けてくる奴がいて、コミッションもガイド料もバクシーシもなしという約束で案内してくれることになった。バラナシシルクの店に。バンダナやタペストリーを買う。なかなか気に入った。1330Rsだが、1300Rsに負けてくれると言う。もう少し負けろと言ったら1275Rsになって、さらに負けろと言ったら1265Rsと言って来た。せいぜい1250Rsにしろと言ったら、1255Rsで売ると言った。かなりせこくて強者である。結局その値で手を売った。CDショップでCDも少し買った。いろいろ案内してくれたが、バクシーシと言い出す。はじめにバクシーシなしという約束だっただろと言うと、もしもあなたが幸せならバクシーシを払えばいいし、そうでなければ払わなくても言いと言い出した。なしという約束だからなしだと言うと、少々嫌な顔をされて別れた。後味の悪い別れ方だと少しだけ後悔した。バクシーシとは幸せなら払う、そういうものなのかなと思った。

     15Rsで駅まで行ってくれるサイクルリクシャーを探し出す。途中サイクルリクシャーやオートリクシャーで大渋滞が起きる。何とか無事に駅まで着いたが、余計なものは一切請求されなかった。なかなかいい奴だ。

     駅に着いてから列車を待つ。ガヤ方面行きの日本人に何人か会った。眼鏡をかけた彼や、眼鏡にさらに髭面で帽子をしたの彼など。子供の物乞いがまとわりつき始めた。でもなんか遊んであげるとすごい可愛い。言葉は通じないけど、必死にバクシーシをせがむ。持ち合わせの小銭が無かったのでどうしようと思っていると、別のインド人の大人が棒を持って物乞いたちを追っ払う。またインド社会の現実を見たような出来事だった。

     列車は1時間半遅れで到着。さっき知り合った眼鏡をかけた彼とガヤの駅で待ち合わせをすることにした。車両に入っても自分の席が無い。車掌に聞くと、ウェイティングリストになっていると言われた。インドの列車の仕組みは良くわからないけど、多分ウェイティングリストだと列車にこそ乗れるけど席は確保されてはいないみたいである。どうしようかなと思っているとお坊さんみたいな人が手招きで、ここに座っていいといってくれているようである。というわけで、遠慮なくその席に座ることに。非常にいい人だと思えた。彼は、どことなく外見が似ている日本人に親近感を抱いたのであろうか。何人か良くわからないけど、駅のホームで一緒だった外国人二人組の男女も席を確保できたようだ。何とか周りにいる人たちに聞いて、ガヤ駅に到着したことを確認して降りた。先ほどバラナシの駅で知り合った彼と一緒に宿を探すことにした。駅前のクラシックと言うところに泊まることにした。この頃かなり体調を崩していて、気分が悪かった。二人でいっしょの部屋に泊まることにした。食事を摂るもののめちゃくちゃまずい。全然煮えていない豆のカレー。さらに体調を崩しかけた。もう一人の彼は途中まではツアーで、そこからは自由行動で、ブッダガヤの後にはアーグラーに行く予定である。本当はもともと三人で行く予定が、友達二人がインドは危険だと聞いてドタキャンしてヨーロッパ方面に卒業旅行に行ったらしい。なんかやどのオーナーが、彼のアーグラーまでのチケットを取ってやるといっていたけど、横から見ていると甚だ心配である。1000Rsを渡していた…。

  • 2月29日(火)<br /> 体調を崩して寝ていると、彼に急に来てくれと言われた。どうやら昨日の予想があたったようである。なんともオーナーが3月4日のチケットを取ってしまったらしく、しかも1200Rsである。そこで明日のチケットを取ってきてくれたが、さらにキャンセル料として25%取られてしまい、チケット自体は700Rsなのに、さらに20$も取られていた。お釣りで500Rs返してもらっていたが、後になってオーナーが俺の計算違いだとか言って、200Rsを持っていってしまった。なんか横で見ていて、チケットの予約は絶対に人任せにしてはいけないといういい例だった気がする。そんな彼は東京理科大の4年生で、卒業旅行かつ初めての海外旅行である。<br /> <br /> 昨日バラナシの駅であった、眼鏡に髭面で帽子をした27歳の彼も同じ宿だった。三人一緒にブッダガヤに行くことにして、しばらく休むことにした。すると髭面の彼がいきなり、<br />「●EXしてぇ~~、俺したいから●ンドームまで持ってきたのに~~~。」<br />とか言い出す。その後なぜか風俗とか下ネタの話題になる。歌舞伎町の風俗がどうとか、新小岩の風俗がどうとか、そういった話盛り上がるものの、自分は全然ついていけない。終いには風俗に行くことを勧められる始末。結局風俗に全然行かない僕には、何一つわからない話だったが、まさかインドに来てまでこういった話題で盛り上がるとはまったく思っていなかった。<br /> <br /> ガイドブックにはインド人男性と日本人女性との間のトラブルについて書かれていた。インドの男は執拗に日本人女性を口説くらしく、それに乗っちゃう人も実際にいるらしい。でもインド人女性と日本人男性との間のトラブルはあまり聞かない。というよりは自分的には、インド人女性には余り魅力を感じない。サリーは魅力的だし、映画に出演する女優は綺麗だけど。聞いた話によれば、東南アジアでは売春が結構あって、しかも日本人がそれを買いに行くらしく、日本人を見ると客引きがうるさいとか。<br /> <br /> それはおいておいて、昼頃にブッダガヤに向かうためにオートリクシャーに乗る。途中何人もインド人がただ乗りしては降りていく。少々腹立たしかったが、それもインドらしさと割り切る。ブッダガヤの中心部らしい、店がたくさんある地域に到着した。髭面のナンパ師の彼と別れ、二人で宿を探すことに。ラホルゲストハウスのオーナーと言う人に勧誘されて、そこに泊まることに。すぐ近くにあるという割には随分歩いた。出来たてらしく、オーナー自ら必死に呼び込んでいた。<br /> <br /> 昼食はMohammadというチベット料理のレストランで摂ることにした。「トゥクパ」と言うチベット風のヌードルと、「モモ」というチベット風シュウマイ。味がさっぱりとしていて、スパイスの強いインド料理に疲れた胃には丁度良かった。特にトゥクパは味が日本食に近く、薄味で、舌にあっていると思った。

    2月29日(火)
     体調を崩して寝ていると、彼に急に来てくれと言われた。どうやら昨日の予想があたったようである。なんともオーナーが3月4日のチケットを取ってしまったらしく、しかも1200Rsである。そこで明日のチケットを取ってきてくれたが、さらにキャンセル料として25%取られてしまい、チケット自体は700Rsなのに、さらに20$も取られていた。お釣りで500Rs返してもらっていたが、後になってオーナーが俺の計算違いだとか言って、200Rsを持っていってしまった。なんか横で見ていて、チケットの予約は絶対に人任せにしてはいけないといういい例だった気がする。そんな彼は東京理科大の4年生で、卒業旅行かつ初めての海外旅行である。

     昨日バラナシの駅であった、眼鏡に髭面で帽子をした27歳の彼も同じ宿だった。三人一緒にブッダガヤに行くことにして、しばらく休むことにした。すると髭面の彼がいきなり、
    「●EXしてぇ~~、俺したいから●ンドームまで持ってきたのに~~~。」
    とか言い出す。その後なぜか風俗とか下ネタの話題になる。歌舞伎町の風俗がどうとか、新小岩の風俗がどうとか、そういった話盛り上がるものの、自分は全然ついていけない。終いには風俗に行くことを勧められる始末。結局風俗に全然行かない僕には、何一つわからない話だったが、まさかインドに来てまでこういった話題で盛り上がるとはまったく思っていなかった。

     ガイドブックにはインド人男性と日本人女性との間のトラブルについて書かれていた。インドの男は執拗に日本人女性を口説くらしく、それに乗っちゃう人も実際にいるらしい。でもインド人女性と日本人男性との間のトラブルはあまり聞かない。というよりは自分的には、インド人女性には余り魅力を感じない。サリーは魅力的だし、映画に出演する女優は綺麗だけど。聞いた話によれば、東南アジアでは売春が結構あって、しかも日本人がそれを買いに行くらしく、日本人を見ると客引きがうるさいとか。

     それはおいておいて、昼頃にブッダガヤに向かうためにオートリクシャーに乗る。途中何人もインド人がただ乗りしては降りていく。少々腹立たしかったが、それもインドらしさと割り切る。ブッダガヤの中心部らしい、店がたくさんある地域に到着した。髭面のナンパ師の彼と別れ、二人で宿を探すことに。ラホルゲストハウスのオーナーと言う人に勧誘されて、そこに泊まることに。すぐ近くにあるという割には随分歩いた。出来たてらしく、オーナー自ら必死に呼び込んでいた。

     昼食はMohammadというチベット料理のレストランで摂ることにした。「トゥクパ」と言うチベット風のヌードルと、「モモ」というチベット風シュウマイ。味がさっぱりとしていて、スパイスの強いインド料理に疲れた胃には丁度良かった。特にトゥクパは味が日本食に近く、薄味で、舌にあっていると思った。

  •  しばらく両替やらなんやらをした後、近くでチベット産の石で出来た数珠のような首飾りを買う。20Rsのところを19Rsに値切ると、その1Rsをたまたま近くにいた子供にあげろと言っている。その男の子はなぜか日本語が出来て、僕達をガイドしてくれることになった。まずは博物館に連れて行ってくれた。「これね、ジャンボでね。」が口癖である。すごく可愛らしく、無邪気にマイフレンドと言って手をつないでくる。なんか色々な国の仏教寺院に連れて行ってくれた。ある寺では、昨日の外人二人組に再会。話し掛けてみるとイタリア人だった。てっきりブラジル人だと思っていた。(←なぜ???)なかなか陽気そうな人で手、「チャオ」と話し掛けると喜んでくれた。男の子の名は「ミトゥル」と言うみたいだ。ミトゥルは自分の家にも招待してくれた。本当に小さくて、ぼろい家だったけど、それでもテープレコーダーがあった。どちらかと言えば土蔵と言う感じの家だった。その後は彼の友達も加わって、一緒にいろいろなところを駆け巡った。日が暮れかかった頃、夕焼けが美しい平原で、地元の子供たちが草野球をしていた。のどかな平和な田舎の村。<br /><br />なんか今の日本が失ってしまった風景を見た気がする。本当に平和な村でいこごちがいい。夕食は僕らのおごりで「チョウメン」を食べることにした。チョウメンと言うのは、中華風の焼きそばのことである。お目当ての店に行こうとしたら、ミトゥルの友達の父親が近くにいるらしく、見つかると叱られるらしいので、遠回りした。必死に裏道を駆け抜けた。ミトゥルは11歳で、その友達は10歳である。かなりの歳の差である。なかなか充実した一日だった一方、疲れもたまっていて、体調もおかしくなりだした。なんとも理科大の彼は、日本寺で体験するために、4時くらいに起きるとか。

     しばらく両替やらなんやらをした後、近くでチベット産の石で出来た数珠のような首飾りを買う。20Rsのところを19Rsに値切ると、その1Rsをたまたま近くにいた子供にあげろと言っている。その男の子はなぜか日本語が出来て、僕達をガイドしてくれることになった。まずは博物館に連れて行ってくれた。「これね、ジャンボでね。」が口癖である。すごく可愛らしく、無邪気にマイフレンドと言って手をつないでくる。なんか色々な国の仏教寺院に連れて行ってくれた。ある寺では、昨日の外人二人組に再会。話し掛けてみるとイタリア人だった。てっきりブラジル人だと思っていた。(←なぜ???)なかなか陽気そうな人で手、「チャオ」と話し掛けると喜んでくれた。男の子の名は「ミトゥル」と言うみたいだ。ミトゥルは自分の家にも招待してくれた。本当に小さくて、ぼろい家だったけど、それでもテープレコーダーがあった。どちらかと言えば土蔵と言う感じの家だった。その後は彼の友達も加わって、一緒にいろいろなところを駆け巡った。日が暮れかかった頃、夕焼けが美しい平原で、地元の子供たちが草野球をしていた。のどかな平和な田舎の村。

    なんか今の日本が失ってしまった風景を見た気がする。本当に平和な村でいこごちがいい。夕食は僕らのおごりで「チョウメン」を食べることにした。チョウメンと言うのは、中華風の焼きそばのことである。お目当ての店に行こうとしたら、ミトゥルの友達の父親が近くにいるらしく、見つかると叱られるらしいので、遠回りした。必死に裏道を駆け抜けた。ミトゥルは11歳で、その友達は10歳である。かなりの歳の差である。なかなか充実した一日だった一方、疲れもたまっていて、体調もおかしくなりだした。なんとも理科大の彼は、日本寺で体験するために、4時くらいに起きるとか。

  • 3月1日(水)<br /> どうやら理科大の彼も体調を崩したらしく、座禅には参加せずに寝ていたみたいだ。遅い朝食を摂り、いよいよ出発する。昨日いけなかったマハーボディ寺院に行ってみる。なんともブッダが大いに悟りを得た場所で、仏教徒の聖地である。高さ52mの立派な仏塔が聳え立つ。その威容はブッダガヤの村のあちこちから見ることが出来る。靴を脱いで中に入ってみる。するとパチンコ屋にあるような、なんていうか仏像の絵があって、チカチカ光っている。まるで玩具のようである。それに向かってお坊さんが必死に念仏を唱えている。なんともありがたい(?)ものである。<br /> <br /> 理科大の彼は4時の列車に乗るために、早めにガヤの駅に戻らなきゃいけないので、ここで別れた。ただ彼の旅の無事を祈るばかりである。<br /> <br /> その後日本寺に行った。本当に瓦葺の屋根で、日本のお寺という感じだった。日本人もいなくて、何も無かった。境内に無料の診療所があった。赤ん坊を抱いて困っているインド人の母親がたくさんいた。病気でつらそうだった。赤ん坊の泣き声がこだまする。衛生状態もあまりよくない。つらい発展途上国の現状を見た気がする。それ以上に無料で奉仕する人々が本当に偉く見えた。

    3月1日(水)
     どうやら理科大の彼も体調を崩したらしく、座禅には参加せずに寝ていたみたいだ。遅い朝食を摂り、いよいよ出発する。昨日いけなかったマハーボディ寺院に行ってみる。なんともブッダが大いに悟りを得た場所で、仏教徒の聖地である。高さ52mの立派な仏塔が聳え立つ。その威容はブッダガヤの村のあちこちから見ることが出来る。靴を脱いで中に入ってみる。するとパチンコ屋にあるような、なんていうか仏像の絵があって、チカチカ光っている。まるで玩具のようである。それに向かってお坊さんが必死に念仏を唱えている。なんともありがたい(?)ものである。

     理科大の彼は4時の列車に乗るために、早めにガヤの駅に戻らなきゃいけないので、ここで別れた。ただ彼の旅の無事を祈るばかりである。

     その後日本寺に行った。本当に瓦葺の屋根で、日本のお寺という感じだった。日本人もいなくて、何も無かった。境内に無料の診療所があった。赤ん坊を抱いて困っているインド人の母親がたくさんいた。病気でつらそうだった。赤ん坊の泣き声がこだまする。衛生状態もあまりよくない。つらい発展途上国の現状を見た気がする。それ以上に無料で奉仕する人々が本当に偉く見えた。

  • マハーボディ寺院の前の広場でボーッと座っていると、例のごとく「私の店に来て、見るだけ」と言ってくる人がいたので、必死に無視しつづけた。すると一体どんな偶然だったのか、昨日ガイドしてくれたミトゥル君に再会した。たっぷりの笑顔を見せてくれながら、ミトゥル君は「スジャータ村に行こうよ。」と言ってくる。男はガイド料を一切取らないから、バイクで行くと言ってきた。バイク三人乗り。結構恐かったけど、スリル満点だった。干上がったネーランジャラー川をわたり、スジャータ村に到着。セーナー村とも言うらしい。ブッダガヤ以上にのんびりした村で、寺院がひとつあった。はるか彼方に見える岩山はブッダが悟りを得る前に苦行した山らしい。また近くの村に連れてってくれて、気の幹から取れるジュースを飲ませてくれた。カルピスみたいに白くて、少し癖のある匂いがした。実際に飲んでみるとまずくて、全然飲めなかった。<br /> 

    マハーボディ寺院の前の広場でボーッと座っていると、例のごとく「私の店に来て、見るだけ」と言ってくる人がいたので、必死に無視しつづけた。すると一体どんな偶然だったのか、昨日ガイドしてくれたミトゥル君に再会した。たっぷりの笑顔を見せてくれながら、ミトゥル君は「スジャータ村に行こうよ。」と言ってくる。男はガイド料を一切取らないから、バイクで行くと言ってきた。バイク三人乗り。結構恐かったけど、スリル満点だった。干上がったネーランジャラー川をわたり、スジャータ村に到着。セーナー村とも言うらしい。ブッダガヤ以上にのんびりした村で、寺院がひとつあった。はるか彼方に見える岩山はブッダが悟りを得る前に苦行した山らしい。また近くの村に連れてってくれて、気の幹から取れるジュースを飲ませてくれた。カルピスみたいに白くて、少し癖のある匂いがした。実際に飲んでみるとまずくて、全然飲めなかった。
     

  •  結局彼の店で感謝の気持ちをこめて、少しだけ買い物をした。彼はレインボーゲストハウスのオーナーらしい。それなりに親切なんだけど、きっとこのお土産代、ぼったくっているんだろうな。あまりそう考えない方がかえって気持ちがいいかもしれない。<br /> <br /> ミトゥル君には感謝の気持ちをこめて、タオルをプレゼントした。タオルは「トリ」と言うらしく、トリー、トリー、と喜んで駆け回ってくれた。マッシュさんと同様にこの旅にいい思い出を残してくれた彼に、いつの日かまた会えたらいいな。<br /> <br /> ガヤ駅に到着。そこで男の子二人組と、奥田民男似の人と、元英語の先生の人と知り合う。列車が来るまでに色々と話をした。もっとも夜の9時半発の筈の列車は、11時半に到着。既に二時間遅れ。乗る際に席が良くわからないでいると、場所を教えてくれる人がいた。でも乗る際にいきなり「20Rs、バクシーシ!」とか叫びだす。駅員じゃなかったのかよと思う。もちろん1Rsも払わずに無視。これだからインド人は旅人に嫌われるんだろうね。と言うよりも、奴はずっと駅に住み込んで、そんな事をしてお金を稼いで生活をしてるのだろうか。そういう人生を考えてみると、ぞっとしてくる…。<br /> <br />

     結局彼の店で感謝の気持ちをこめて、少しだけ買い物をした。彼はレインボーゲストハウスのオーナーらしい。それなりに親切なんだけど、きっとこのお土産代、ぼったくっているんだろうな。あまりそう考えない方がかえって気持ちがいいかもしれない。

     ミトゥル君には感謝の気持ちをこめて、タオルをプレゼントした。タオルは「トリ」と言うらしく、トリー、トリー、と喜んで駆け回ってくれた。マッシュさんと同様にこの旅にいい思い出を残してくれた彼に、いつの日かまた会えたらいいな。

     ガヤ駅に到着。そこで男の子二人組と、奥田民男似の人と、元英語の先生の人と知り合う。列車が来るまでに色々と話をした。もっとも夜の9時半発の筈の列車は、11時半に到着。既に二時間遅れ。乗る際に席が良くわからないでいると、場所を教えてくれる人がいた。でも乗る際にいきなり「20Rs、バクシーシ!」とか叫びだす。駅員じゃなかったのかよと思う。もちろん1Rsも払わずに無視。これだからインド人は旅人に嫌われるんだろうね。と言うよりも、奴はずっと駅に住み込んで、そんな事をしてお金を稼いで生活をしてるのだろうか。そういう人生を考えてみると、ぞっとしてくる…。

  • 3月2日(木)<br /> 寝ている間に列車は何回も駅のない所で停まっていた。朝が来る。下の席ではインド人同士がトランプに興じる。どうもインド人はトランプが好きなのか、よく列車の中でトランプをやっている。そのうちに喧嘩が始まった。いかさまをしたとかどうとかだろう。もっともすぐに収まったけど。<br /> <br /> なかなか終着駅ハウラーに着かない。間違った列車に乗ってしまったのか不安になる。でも時刻表と比較すると、確かに正しい列車だ。<br /> <br /> ハウラー駅には午後一時過ぎに到着。なんと6時間も遅れて到着。もちろん謝罪の放送なんて一言もない。日本だったら下手したら新聞に載るほどの大騒ぎとなるだろう。この国の人は寛容なのか、怠慢なのか。一応五人で待ち合わせをしようとする。だが、男の子二人組に会えただけで終わる。三人で宿を探すことにした。安宿街であるサダルストリートに向かおうと思ったが、運転手にそう言うと勧誘されて余計なコミッションを取られることが目に見えているから、行き先はインド博物館と告げる。サダルストリートの入り口辺りにある博物館である。我ながら頭がいいなと、少し感心する。サダルストリートにて、アーグラーではぐれた関西の大学生に再会した。インドは狭いものである。彼はまあ、どこだかわからないような所に連れて行かれて大変だったらしい。だが既に時遅く、「パラゴン」、「マリア」といった有名な安宿や、その他の中級ホテルは殆ど埋まっていて、結局高くて、汚くて、さらにお湯が出ないと言う所に仕方なしに妥協して泊まることに。もっともインド最後の夜を高級ホテルで豪遊するという案もあったが。<br /> <br /> ここから先は別行動することになった。適当に色々な用を済ませた後で、ニューマーケットを少し覗いてみることに。ところで入り口で例のごとく<br />「ハロー!マイフレンド!カムカム!」<br />とまあおなじみの文句で、執拗に話し掛けてくる奴がいる。ここニューマーケットは敷地内に何百軒のいろいろな店が所狭しと並べられていて、まあ日本でいえば市場のようなところである。こういう風にしつこく話し掛けてくる奴は、これまでの経験からいってろくな奴じゃないだろうし、トラブルの元になるかもしれないのでひたすら無視して逃げるが、しつこく追いかけてくる。落ち着いて品定めも出来ない。行ったり来たりして振り払おうとしてもまだ追いかけてくる。のべ一キロ位逃げ回ってもまだ追いかけてくる。よほど暇なのか、それとも…。ますます怪しい。何とか必死に走り回ってまいた。しばらく先にエアコンの効いたデパート風建物があり、入ってみる。女性服ばかりだが、ここには勧誘が殆どなく落ち着けた。地下に入ると洋服売り場があった。インドテイストを少し引きづりつつも、やはり洋服屋さんという感じである。古尾谷雅人似の店員が、どことなく丁寧に招いてくる。このシャツを着たらどうだと勧めてくる。80Rs。比較的手ごろな値段である。気に入ったので買うことにした。ここは店員がフレンドリーで、特別押し付けがましいこともなく、値札もしっかりとついているので、いい店だと思う。なんか着てみると、格好いいとか、似合うとか、色々と誉めてくれた。<br /> <br /> インド最後の夜はリッチに過ごそうと、高そうな高級レストランに入る。店員の格好やマナーも違って、すごく紳士的だった。中は全館冷房が効いていて、しかも店内の床は大理石、河までも流れている豪華さ。周りを見ても超上級階級と言った感じの人たちがごろごろいる。なんかTシャツにジーンズで入った自分が恥ずかしかった。 インドでは、A/Cといって、エアコンが付いている店や列車やホテルの部屋は、それだけで料金が跳ね上がる。日本は当たり前のように普及しているエアコンは、ここインドでは高級品なのだ。タンドゥリーチキン等を頼んだ。タンドゥリーチキンは、インド料理の中でも最高級品である。店員さんに「インドで素敵な思い出を作ってあげます。」と言われた。インドらしからぬ(?)上品さに感心した。もっとも一歩外に出るとホームレスのような人も数多い。貧富の差が大きい国インドを実感せざるにはいられなかった。<br /> <br /> <br /> <br />3月3日(金)<br /> インド最終日。噂のマザーハウスに行こうかなとも少しは考えたけど、やはり「カーリー寺院」に行くことにした。三人で行くことになった。あの男の子二人組みは、慶応大学の一年生同士だそうだ。近くの駅から地下鉄に乗車。切符を買う際にちょっとした問題が起こった。もちろん自動券売機なんて洒落たものがあるはずもなく、窓口で切符を購入するのだが、どうしても売ってくれない。2Rs札が破れかかっているからだろうか。何度もこれは2Rs札だと言って差し出して言い張っても、受け取ってくれない。ここインドでは破れかけたお札は殆ど信頼の無いものと見られるらしい。でもなぜか自動改札機はあった。ここカルカッタはつくづく都会だと思った。<br /> <br /> カーリー寺院の最寄駅に到着。ヒンドゥー教のカーリー女神を祀った聖地だそうで、またカルカッタの守り神でもあるらしい。ここで奥田民男似の彼と、英語の元先生に再会。他にも日本人が結構いる。インド狭し。ここでは午前中山羊の首が刎ねられて、生贄としてカーリー神に捧げられる。隅っこの方にはもう既に首を刎ねられたらしい黒山羊の死体らしきが転がっている。しばらくすると黒山羊が連れてこられた。自らの運命を悟っているのか、かなり怯えている様にも見える。やがて柵の中へと連れてこられる。異様な雰囲気の中、かなり怯えている。何かおまじないが始まり、山羊の体に聖水が降りかけられる。どことなく暗黒宗教と言う感じがしないわけではない。人々の視線が山羊に注がれる。木の間に、ギロチンみたいに首を入れられると、自らの運命を察した山羊は暴れだして、辺りを逃げ回り始めた。それもつかの間、すぐに取り押さえられる。いよいよ断頭台に首が捧げられる。斧一振り!山羊の首は刎ねられ、体は中に投げ出され、血はどくどくと流れ出す。首を刎ねられた山羊の体は、その後しばらくうごめいていた。何か不思議なかつ神秘的かつおぞましいものを見た気がした。しばらく僕は、言葉を失って、その場に凍てついていた…。<br /> <br /> 元先生の提案で、市電を使ってサダルストリートに戻ろうと言う話になった。市電に乗る。かなりの混雑である。でもさすがはインド、奥に進めばがらがらである。しかし道路が込んでいて、前にまったく進めずに断念することに。途中で降りる。市電はここインドカルカッタでも消え行く運命なのであろうか…。結局地下鉄で戻ることにした。途中で元先生と、奥田民男似の彼と別れ、三人で宿に戻りチェックアウトした。<br /> <br /> 近くにある「ユニークティー」と言うお店で、紅茶のティーパックのお土産を買う。これなら友達に配りやすいだろうと思って。カルカッタにしかもはや残っていない人力車に乗ってみようと、500m先の地下鉄の駅まで交渉する。30Rs。ふざけるな、高すぎると言っても25Rsにしかならずにやめる。人力車が消えゆく運命にあるのは避けられないだろうと言う印象を強く受けた。<br /> <br /> 空港に到着。どことなくこじんまりとした印象を受ける。実際飛行機の便数も少ないし、日本人の数の方が圧倒的に多い。あのナンパ師にも再会。旅を終え、帰路につく若者たちで、空港はごった返している。<br /> <br /> 夜になって飛行機が離陸する。数々の思い出を残してきたインド。嫌な思い出もたくさんある。でもそれ以上に、普段ではなかなか味わえない貴重な経験もした。本当の意味で異国に来たという気がした。インドで得た体験を、いかに今後の人生で生かしておくか、重要な課題である。カースト制度、貧富の差、子供の物乞い、手足が不具になった物乞い。詐欺、宗教の意味、働くということ、幸福論、経済における需要と供給の関係、駆け引き、考えるべき課題は枚挙に暇が無い。いい人も多いけど、悪い人も多い、そんな国だ。<br /> <br /> 飛行機はバンコクを経て日本に戻る。新宿まで三人一緒に帰り、家に着く。しばらく休みを取ろう。疲れを癒そう。そうしたら、今度は自分探しの、新しい、また険しい旅へと旅立つだろう………。<br /> <br />(完)<br />  <br /> <br />【豆知識】<br />1Rs(ルピー)=約2.5円

    3月2日(木)
     寝ている間に列車は何回も駅のない所で停まっていた。朝が来る。下の席ではインド人同士がトランプに興じる。どうもインド人はトランプが好きなのか、よく列車の中でトランプをやっている。そのうちに喧嘩が始まった。いかさまをしたとかどうとかだろう。もっともすぐに収まったけど。

     なかなか終着駅ハウラーに着かない。間違った列車に乗ってしまったのか不安になる。でも時刻表と比較すると、確かに正しい列車だ。

     ハウラー駅には午後一時過ぎに到着。なんと6時間も遅れて到着。もちろん謝罪の放送なんて一言もない。日本だったら下手したら新聞に載るほどの大騒ぎとなるだろう。この国の人は寛容なのか、怠慢なのか。一応五人で待ち合わせをしようとする。だが、男の子二人組に会えただけで終わる。三人で宿を探すことにした。安宿街であるサダルストリートに向かおうと思ったが、運転手にそう言うと勧誘されて余計なコミッションを取られることが目に見えているから、行き先はインド博物館と告げる。サダルストリートの入り口辺りにある博物館である。我ながら頭がいいなと、少し感心する。サダルストリートにて、アーグラーではぐれた関西の大学生に再会した。インドは狭いものである。彼はまあ、どこだかわからないような所に連れて行かれて大変だったらしい。だが既に時遅く、「パラゴン」、「マリア」といった有名な安宿や、その他の中級ホテルは殆ど埋まっていて、結局高くて、汚くて、さらにお湯が出ないと言う所に仕方なしに妥協して泊まることに。もっともインド最後の夜を高級ホテルで豪遊するという案もあったが。

     ここから先は別行動することになった。適当に色々な用を済ませた後で、ニューマーケットを少し覗いてみることに。ところで入り口で例のごとく
    「ハロー!マイフレンド!カムカム!」
    とまあおなじみの文句で、執拗に話し掛けてくる奴がいる。ここニューマーケットは敷地内に何百軒のいろいろな店が所狭しと並べられていて、まあ日本でいえば市場のようなところである。こういう風にしつこく話し掛けてくる奴は、これまでの経験からいってろくな奴じゃないだろうし、トラブルの元になるかもしれないのでひたすら無視して逃げるが、しつこく追いかけてくる。落ち着いて品定めも出来ない。行ったり来たりして振り払おうとしてもまだ追いかけてくる。のべ一キロ位逃げ回ってもまだ追いかけてくる。よほど暇なのか、それとも…。ますます怪しい。何とか必死に走り回ってまいた。しばらく先にエアコンの効いたデパート風建物があり、入ってみる。女性服ばかりだが、ここには勧誘が殆どなく落ち着けた。地下に入ると洋服売り場があった。インドテイストを少し引きづりつつも、やはり洋服屋さんという感じである。古尾谷雅人似の店員が、どことなく丁寧に招いてくる。このシャツを着たらどうだと勧めてくる。80Rs。比較的手ごろな値段である。気に入ったので買うことにした。ここは店員がフレンドリーで、特別押し付けがましいこともなく、値札もしっかりとついているので、いい店だと思う。なんか着てみると、格好いいとか、似合うとか、色々と誉めてくれた。

     インド最後の夜はリッチに過ごそうと、高そうな高級レストランに入る。店員の格好やマナーも違って、すごく紳士的だった。中は全館冷房が効いていて、しかも店内の床は大理石、河までも流れている豪華さ。周りを見ても超上級階級と言った感じの人たちがごろごろいる。なんかTシャツにジーンズで入った自分が恥ずかしかった。 インドでは、A/Cといって、エアコンが付いている店や列車やホテルの部屋は、それだけで料金が跳ね上がる。日本は当たり前のように普及しているエアコンは、ここインドでは高級品なのだ。タンドゥリーチキン等を頼んだ。タンドゥリーチキンは、インド料理の中でも最高級品である。店員さんに「インドで素敵な思い出を作ってあげます。」と言われた。インドらしからぬ(?)上品さに感心した。もっとも一歩外に出るとホームレスのような人も数多い。貧富の差が大きい国インドを実感せざるにはいられなかった。



    3月3日(金)
     インド最終日。噂のマザーハウスに行こうかなとも少しは考えたけど、やはり「カーリー寺院」に行くことにした。三人で行くことになった。あの男の子二人組みは、慶応大学の一年生同士だそうだ。近くの駅から地下鉄に乗車。切符を買う際にちょっとした問題が起こった。もちろん自動券売機なんて洒落たものがあるはずもなく、窓口で切符を購入するのだが、どうしても売ってくれない。2Rs札が破れかかっているからだろうか。何度もこれは2Rs札だと言って差し出して言い張っても、受け取ってくれない。ここインドでは破れかけたお札は殆ど信頼の無いものと見られるらしい。でもなぜか自動改札機はあった。ここカルカッタはつくづく都会だと思った。

     カーリー寺院の最寄駅に到着。ヒンドゥー教のカーリー女神を祀った聖地だそうで、またカルカッタの守り神でもあるらしい。ここで奥田民男似の彼と、英語の元先生に再会。他にも日本人が結構いる。インド狭し。ここでは午前中山羊の首が刎ねられて、生贄としてカーリー神に捧げられる。隅っこの方にはもう既に首を刎ねられたらしい黒山羊の死体らしきが転がっている。しばらくすると黒山羊が連れてこられた。自らの運命を悟っているのか、かなり怯えている様にも見える。やがて柵の中へと連れてこられる。異様な雰囲気の中、かなり怯えている。何かおまじないが始まり、山羊の体に聖水が降りかけられる。どことなく暗黒宗教と言う感じがしないわけではない。人々の視線が山羊に注がれる。木の間に、ギロチンみたいに首を入れられると、自らの運命を察した山羊は暴れだして、辺りを逃げ回り始めた。それもつかの間、すぐに取り押さえられる。いよいよ断頭台に首が捧げられる。斧一振り!山羊の首は刎ねられ、体は中に投げ出され、血はどくどくと流れ出す。首を刎ねられた山羊の体は、その後しばらくうごめいていた。何か不思議なかつ神秘的かつおぞましいものを見た気がした。しばらく僕は、言葉を失って、その場に凍てついていた…。

     元先生の提案で、市電を使ってサダルストリートに戻ろうと言う話になった。市電に乗る。かなりの混雑である。でもさすがはインド、奥に進めばがらがらである。しかし道路が込んでいて、前にまったく進めずに断念することに。途中で降りる。市電はここインドカルカッタでも消え行く運命なのであろうか…。結局地下鉄で戻ることにした。途中で元先生と、奥田民男似の彼と別れ、三人で宿に戻りチェックアウトした。

     近くにある「ユニークティー」と言うお店で、紅茶のティーパックのお土産を買う。これなら友達に配りやすいだろうと思って。カルカッタにしかもはや残っていない人力車に乗ってみようと、500m先の地下鉄の駅まで交渉する。30Rs。ふざけるな、高すぎると言っても25Rsにしかならずにやめる。人力車が消えゆく運命にあるのは避けられないだろうと言う印象を強く受けた。

     空港に到着。どことなくこじんまりとした印象を受ける。実際飛行機の便数も少ないし、日本人の数の方が圧倒的に多い。あのナンパ師にも再会。旅を終え、帰路につく若者たちで、空港はごった返している。

     夜になって飛行機が離陸する。数々の思い出を残してきたインド。嫌な思い出もたくさんある。でもそれ以上に、普段ではなかなか味わえない貴重な経験もした。本当の意味で異国に来たという気がした。インドで得た体験を、いかに今後の人生で生かしておくか、重要な課題である。カースト制度、貧富の差、子供の物乞い、手足が不具になった物乞い。詐欺、宗教の意味、働くということ、幸福論、経済における需要と供給の関係、駆け引き、考えるべき課題は枚挙に暇が無い。いい人も多いけど、悪い人も多い、そんな国だ。

     飛行機はバンコクを経て日本に戻る。新宿まで三人一緒に帰り、家に着く。しばらく休みを取ろう。疲れを癒そう。そうしたら、今度は自分探しの、新しい、また険しい旅へと旅立つだろう………。

    (完)


    【豆知識】
    1Rs(ルピー)=約2.5円

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この旅行記へのコメント (2)

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  • らびたんさん 2020/01/13 20:07:02
    濃い!
    Miyatanさん、こんばんは。

    2000年のインドか~~~
    すごい旅ですね。
    毎日気が休まらないですよね。

    ほんとにインド人のウザさを毎日嫌になるくらい体験されたのですね。
    私は2010年で、トータル4日くらいの旅だったし、ウザい思い出ってそういえばぜんぜんないなと。
    霧のため毎日交通マヒで結局タージマハルも見ずに帰国。
    何しにいったんだろうと思います。。

    初めてのカルチャーショックはエジプトでした。
    バクシーシバクシーシ言われ、男性の言うことは信用できないからと女性に話しかけるも、教育格差があるのか英語を理解する女性が見つからない・・・・

    もっとも男性も英語は簡単な意思疎通が可能なものの、
    書くとnoとknowの違いもわからなかったりで、
    それまたカルチャーショックでした。

    >「クルクルパー」とか「馬鹿」ってwww
    そういう単語は覚えるの早いんですよね。
    うざいから私は「オーストラリア人」だって言い張ってました。

    営団地下鉄とかスチュワーデスとか、懐かしい単語が多いですね。
    このままの表示が価値があるのでずっと残してほしいです。

    さとし君は今どんな生活をされているんですか?

    あと、マハラジャバーガーミールちょっと食べてみたいです。

    らびたん

    Miyatan

    Miyatanさん からの返信 2020/01/13 21:50:38
    RE: 濃い!
    らびたんさん、こんばんは!

    改めて見直すと、、、本当に気の休まらない旅でした。カルチャーショックも大きかったです。私は多少はぼられていますが、、、まだ許容範囲内かと思います。途中で会ったぼられている人が、金額の桁が違っていて気の毒になります。当時お会いしている方々は殆ど20代だと思いますので、今は40代かと。皆さん何をしているのでしょうか。

    敢えて、ぼったくりの人との記念写真を載せました。(笑) 自分自身の戒め、という意味も含んでです。

    インドは2010年ですか。どんな感じでしたか? 霧ってそんなにすごかったんですか?

    エジプトも、、、確かにうざいかも。気持ちはわかります。言った人の評判が悪いです。観光資源が豊富なので、むしろ過去の栄光にすがって生きている人たち、とも感じました。私はインドの経験があったから、適当にまいたり、吹っ掛けられてもある程度の所で妥協して逃げる、といった事も学びました。今考えても馬車のぼったくりは予想通りだったのが、華麗に(!?)かわしましたが。(笑) 

    こっちは殆ど現地ツアーで、多分探せばもう少し安いのもあったかもしれないですけど、時間も短かったし、変な詐欺師とバトルするのも疲れるので、安心をとりました。

    最近は、あらかじめ下調べして、日本で予約できるものはすべて予約して、短い時間でいかに効率よく回るかを重視するので、ぶっつけ本番みたいな旅は少ないです。なので、こういう経験は最近ほとんどしていないので、懐かしくも感じました。

    営団地下鉄、スチュワーデス、、、よく考えればそうですね。大学が営団地下鉄(当時)沿線にあって通学で使っていたので、いまだに営団地下鉄といった方がしっくりきます。(笑) 東京メトロになってから、あまり乗っていない気がします。スチュワーデスも死語になりつつありますよね、スッチーとか言わないし。(笑)

    さとし君は、これ以来海外旅行殆ど行っていないような。。。その後司法浪人→諦めて就職→結婚で子供もいます。私と違って堅実です。去年の10月に共通の別の友人(←旅行記冒頭に書いてある一緒にインド行こうという話が出たけど結局行かなかった)の結婚式で会いましたね。今でもたまーに会いますね。

    マハラジャバーガーミールは、残念ながら写真も撮っていなかったし、20年前の話だし、当時でも普通のハンバーガーとどこが違っているのかわからなかったと書いてあるし、名前以外思い出せません。^^

    Miyatan

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