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 復刻版第三弾。2000年8月~10月、二か月に渡る中南米縦断の旅。2020年時点、自分の人生の中で二番目に長い旅。当時は都内某私立大学政治学科の大学生で、一応は卒業論文(ゼミ論)の現地調査。もっとも私の学部は、別に書かなくても規定単位あれば卒業できます(当時は)。今はどうかは知りません。ちなみに国際行政学のゼミで、卒論のタイトルは「ラテンアメリカの開発政策」でした。今考えるとこの頃から旅が手段ではなく目的になってきた気がします。<br /><br /> マレーシア航空の2カ月OPENチケットの成田~ロサンジェルスだけであとは完全に行き当たりばったり。最終的にはアメリカ、メキシコ、ベリーズ覗く中米五か国とペルーの訪問でした。最初はパナマからコロンビアに入り、エクアドル、ペルー、ボリビア、パラグアイ、ブラジル、ベネズエラと回り、カリブに飛びキューバ行って戻ろうという構想だったのですが、さすがに日数足りませんでした。<br /><br /> デジカメやSNS、スマホなんてなかった時代ですが、何気に旅行記を自作のHPにアップしていました。1999年に独学でhtml勉強して、個人的に開設したジオシティーズのホームページですが、2019年3月をもってサービス終了で閉鎖になりました。ひっそりと移転はしたのですが、一部をフォートラの写真付旅行記として復刻版として再作成します。誤字脱字等は修正し、表現も一部改めますが、なるべく当時のままの文章でと思っています。写真は、APSフィルムで撮った当時の写真をデジカメで撮影しています。<br /><br /><br />帰って来た旅立ちの地(「ただいま」、思わずそう呟く)~USA編~ <br />(26/08/2000-29/09/2000)<br /><br />テキーラのアミーゴ達に捧げる唄~Mexico編~ <br />(29/08/2000-09/09/2000)<br /><br />マヤ民族の国とスペイン語語学学校~Guatemala編~ <br />(09/09/2000-19/09/2000)<br /><br />中米街道只今疾走中~El Salvador, Honduras, Nicaragua編~ <br />(19/09/2000-23/09/2000)<br /><br />軍隊なき花と緑と民主主義の楽園~Costa Rica編~ <br />(23/09/2000-28/09/2000)<br /><br />世界の十字路、運河の国、そして新たな旅立ちへ~Panama編~ <br />(28/09/2000-30/09/2000)<br /><br />フヒモリ大統領と悠久のアマゾンの大地~Peru, Lima, Iquitos編~ <br />(30/09/2000-06/10/2000)<br /><br />謎の地上絵と湖上に浮かぶ葦の島々~Peru, Nazca, Alequipa, Puno編~ <br />(07/10/2000-10/10/2000)<br /><br />古代インカ帝国の栄華と謎の空中都市~Peru, Cuzco, Machu Pichu編~ <br />(11/10/2000-16/10/2000)<br /><br />遥かなる母なる大地日本を目指して~Cuzco, NARITA編~ <br />(17/10/2000-20/10/2000)<br /><br />【スケジュール】<br />2000年<br />08/26 成田空港~ロサンジェルス・ハリウッド(USA)泊<br />08/27 ロサンジェルス~サンディエゴ泊<br />08/28 サンディエゴ泊<br />08/29 サンディエゴ→ティファナ(メキシコ)~<br />08/30 ~ラパス泊<br />08/31 ラパス~<br />09/01 ~マサトラン~グアダラハラ泊<br />09/02 グアダラハラ~<br />09/03 ~メキシコシティ泊<br />09/04 メキシコシティ泊<br />09/05 メキシコシティ~テオティワカン~メキシコシティ泊<br />09/06 メキシコシティ~タスコ~メキシコシティ泊<br />09/07 メキシコシティ~<br />09/08 ~オアハカ・モンテアルバン~<br />09/09 ~タパチュラ~グアテマラシティ(グアテマラ)泊<br />09/10 グアテマラシティ~アンティグア泊<br />09/11 アンティグア泊<br />09/12 アンティグア泊<br />09/13 アンティグア泊<br />09/14 アンティグア泊<br />09/15 アンティグア泊<br />09/16 アンティグア泊<br />09/17 アンティグア~パナハッチェル泊<br />09/18 パナハッチェル~グアテマラシティ泊<br />09/19 グアテマラシティ~サンサルバドル(エルサルバドル)泊<br />09/20 サンサルバドル~テグシガルパ(ホンデュラス)泊<br />09/21 テグシガルパ~マナグア(ニカラグア)泊<br />09/22 マナグア泊<br />09/23 マナグア~サンホセ(コスタリカ)泊<br />09/24 サンホセ泊<br />09/25 サンホセ~モンテベルデ泊<br />09/26 モンテベルデ泊<br />09/27 モンテベルデ~サンホセ泊<br />09/28 サンホセ~パナマシティ(パナマ)泊<br />09/29 パナマシティ泊<br />09/30 パナマシティ~リマ(ペルー)泊<br />10/01 リマ泊<br />10/02 リマ泊<br />10/03 リマ泊<br />10/04 リマ~イキトス泊<br />10/05 イキトス泊<br />10/06 イキトス~リマ~<br />10/07 ~ナスカ~<br />10/08 ~アレキパ~<br />10/09 ~プーノ泊<br />10/10 プーノ泊<br />10/11 プーノ~クスコ泊<br />10/12 クスコ泊<br />10/13 クスコ泊<br />10/14 クスコ~マチュピチュ泊<br />10/15 マチュピチュ~クスコ泊<br />10/16 クスコ泊<br />10/17 クスコ~リマ~パナマシティ~サンホセ泊<br />10/18 サンホセ~ヒューストン~ロサンジェルス泊<br />10/19 ロサンジェルス~<br />10/20 ~成田空港<br /><br /><br />

【復刻版】ラテンアメリカ縦断日記 1 帰って来た旅立ちの地(「ただいま」、思わずそう呟く)~USA編~

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2000/08/26 - 2000/08/29

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Miyatan

Miyatanさん

 復刻版第三弾。2000年8月~10月、二か月に渡る中南米縦断の旅。2020年時点、自分の人生の中で二番目に長い旅。当時は都内某私立大学政治学科の大学生で、一応は卒業論文(ゼミ論)の現地調査。もっとも私の学部は、別に書かなくても規定単位あれば卒業できます(当時は)。今はどうかは知りません。ちなみに国際行政学のゼミで、卒論のタイトルは「ラテンアメリカの開発政策」でした。今考えるとこの頃から旅が手段ではなく目的になってきた気がします。

 マレーシア航空の2カ月OPENチケットの成田~ロサンジェルスだけであとは完全に行き当たりばったり。最終的にはアメリカ、メキシコ、ベリーズ覗く中米五か国とペルーの訪問でした。最初はパナマからコロンビアに入り、エクアドル、ペルー、ボリビア、パラグアイ、ブラジル、ベネズエラと回り、カリブに飛びキューバ行って戻ろうという構想だったのですが、さすがに日数足りませんでした。

 デジカメやSNS、スマホなんてなかった時代ですが、何気に旅行記を自作のHPにアップしていました。1999年に独学でhtml勉強して、個人的に開設したジオシティーズのホームページですが、2019年3月をもってサービス終了で閉鎖になりました。ひっそりと移転はしたのですが、一部をフォートラの写真付旅行記として復刻版として再作成します。誤字脱字等は修正し、表現も一部改めますが、なるべく当時のままの文章でと思っています。写真は、APSフィルムで撮った当時の写真をデジカメで撮影しています。


帰って来た旅立ちの地(「ただいま」、思わずそう呟く)~USA編~
(26/08/2000-29/09/2000)

テキーラのアミーゴ達に捧げる唄~Mexico編~
(29/08/2000-09/09/2000)

マヤ民族の国とスペイン語語学学校~Guatemala編~
(09/09/2000-19/09/2000)

中米街道只今疾走中~El Salvador, Honduras, Nicaragua編~
(19/09/2000-23/09/2000)

軍隊なき花と緑と民主主義の楽園~Costa Rica編~
(23/09/2000-28/09/2000)

世界の十字路、運河の国、そして新たな旅立ちへ~Panama編~
(28/09/2000-30/09/2000)

フヒモリ大統領と悠久のアマゾンの大地~Peru, Lima, Iquitos編~
(30/09/2000-06/10/2000)

謎の地上絵と湖上に浮かぶ葦の島々~Peru, Nazca, Alequipa, Puno編~
(07/10/2000-10/10/2000)

古代インカ帝国の栄華と謎の空中都市~Peru, Cuzco, Machu Pichu編~
(11/10/2000-16/10/2000)

遥かなる母なる大地日本を目指して~Cuzco, NARITA編~
(17/10/2000-20/10/2000)

【スケジュール】
2000年
08/26 成田空港~ロサンジェルス・ハリウッド(USA)泊
08/27 ロサンジェルス~サンディエゴ泊
08/28 サンディエゴ泊
08/29 サンディエゴ→ティファナ(メキシコ)~
08/30 ~ラパス泊
08/31 ラパス~
09/01 ~マサトラン~グアダラハラ泊
09/02 グアダラハラ~
09/03 ~メキシコシティ泊
09/04 メキシコシティ泊
09/05 メキシコシティ~テオティワカン~メキシコシティ泊
09/06 メキシコシティ~タスコ~メキシコシティ泊
09/07 メキシコシティ~
09/08 ~オアハカ・モンテアルバン~
09/09 ~タパチュラ~グアテマラシティ(グアテマラ)泊
09/10 グアテマラシティ~アンティグア泊
09/11 アンティグア泊
09/12 アンティグア泊
09/13 アンティグア泊
09/14 アンティグア泊
09/15 アンティグア泊
09/16 アンティグア泊
09/17 アンティグア~パナハッチェル泊
09/18 パナハッチェル~グアテマラシティ泊
09/19 グアテマラシティ~サンサルバドル(エルサルバドル)泊
09/20 サンサルバドル~テグシガルパ(ホンデュラス)泊
09/21 テグシガルパ~マナグア(ニカラグア)泊
09/22 マナグア泊
09/23 マナグア~サンホセ(コスタリカ)泊
09/24 サンホセ泊
09/25 サンホセ~モンテベルデ泊
09/26 モンテベルデ泊
09/27 モンテベルデ~サンホセ泊
09/28 サンホセ~パナマシティ(パナマ)泊
09/29 パナマシティ泊
09/30 パナマシティ~リマ(ペルー)泊
10/01 リマ泊
10/02 リマ泊
10/03 リマ泊
10/04 リマ~イキトス泊
10/05 イキトス泊
10/06 イキトス~リマ~
10/07 ~ナスカ~
10/08 ~アレキパ~
10/09 ~プーノ泊
10/10 プーノ泊
10/11 プーノ~クスコ泊
10/12 クスコ泊
10/13 クスコ泊
10/14 クスコ~マチュピチュ泊
10/15 マチュピチュ~クスコ泊
10/16 クスコ泊
10/17 クスコ~リマ~パナマシティ~サンホセ泊
10/18 サンホセ~ヒューストン~ロサンジェルス泊
10/19 ロサンジェルス~
10/20 ~成田空港


  • 2000年8月26日(土)<br /> 殆ど徹夜状態で、国際社会学のレポート、卒業論文の計画書、HPの更新と一気に仕上げる。飛行機の中で寝ればいいや、行きの電車で寝ればいいやという感じで。横浜から中野に向かい、荷物を最終的にまとめる。熱帯あり、高原で最低気温零℃を下回ることもありと、気候がバラエティに富むので、防寒具を大量に持ったり、周る予定の国が多いのでガイドブックを大目に積み込んでいるうちに、バックの荷物の量がとてつもなく多くなる。<br /> <br /> 成田空港に到着。出国手続きを済ます。今回はロスアンジェルスまでマレーシア航空を利用。空港で変なアメリカ人二人組に会う。二人とも日本語がペラペラで、ロスについてからの予定とかを英語と日本語を交えて話す。とにかくその二人、待合室で待っているいろんな人たちに話し掛けまくる。しかもお相手はやたら女の子が多い。なんとも日本でボランティアをしながら日本語を習い、その辺の人に色々話し掛けつづけてて日本語を上達させたらしい。なるほど、こういう語学上達法もあるんだ。やがて飛行機に乗り込む。マレーシア航空のスチュワーデスの衣装がいろんな意味ですごかった。民族衣装もさることながら、化粧のおかげでみんな同じような顔に感じられた。しかも日本人も同じような顔をしていた。<br /> <br /> 飛行機でたっぷり睡眠を取った後、やがてロサンジェルス空港に着陸。入国審査官や警備員に日系人っぽい人が多かった。さすがアメリカといった感じである。人種の坩堝である。飛行機がOPENチケットだったので、帰りの日付を決めなければいけなかった。10月19日発の10月20日着に変更した。予約の変更も全て電話でのやり取りで、かなり大変だった。<br /> <br /> 今回の旅はのんびり行こう、そう決めて今日中にSan Diegoに行くのはやめた。Holly Woodに今夜の宿を決めた。やはりダウンタウンには治安が問題あるからだ。なんとかHolly Woodに行く方法を聞く。バスの439に乗って、途中から217に乗り換えればいいらしい。バスセンターまで行ってバスを待つけど、なかなか439は来ない。Santa Monica行きの3番のバスばかり来る。心持ちかロサンジェルスは東京よりも少し寒く感じた。なんとなく夏の終わりを告げているようであった。待っている時に一人の日本人男性と知り合いになった。彼は関西の方で、Eさんというらしい。ようやくバスに乗り込む。バスはぐるぐる回りながらもTransit Centerに着き、しばらく行くとチャイニーズシアター前に到着。去年も来たので一応このあたりの景色は記憶にある。Eさんとは宿泊するところが違うので、ここで別れた。僕が泊まることになったホステルの向かい側に新しく地下鉄の駅が出来ていた。去年来た時には出来ていなかったのに…なんとも不思議である。同じ部屋には中国人と日本人しかいなかった。国籍で部屋割りを行っているのであろうか?少し謎だった。中国人の彼は、この近くで仕事の研修を受けて、それが終わったので休暇を取ってのんびりしているようである。彼とはすぐに打ち解けて、いろいろと話をした。<br /> <br />疲れていたのですぐに寝た。エアコンが無いので、窓を開けたままである。なぜかパトカーのサイレンが鳴っていた気がする。このあたりも夜間の治安は悪いのであろうか…。<br /> <br /> <br />8月27日(日)<br /> どうやら昨日のサイレンは、車の接触事故が原因で起こった喧嘩が原因らしかった。なんとも大声で「Fuckin’ you!」とか叫んでいた人がいたらしい。やはりアメリカはちょっと恐いかもしれない。<br /> <br /> のんびりした後、アムトラックでSan Diegoに向かうことにした。昨日知り合った中国人に別れを告げて、荷物を整理する。出来立ての地下鉄の駅からアムトラックのユニオンステーションに向かう。なんとも地下鉄や今年になってから新規延長開業したらしい。生まれて初めてのアムトラック。二階建てでなかなかカッコウがいい。自由席だったので適当に空いている席を探して座る。しかししばらくたってからここは自分の席だと主張する人がいたので、その人に譲る。かろうじてあいている席を探し出す。やがて電車は動き出す。車掌が来る。チケットを見せるとそのチケットの一部を切り取り、座席の上側に挟み込んだ。なるほど、こういう仕組みになっていたんだ。確かに先ほど僕が座ろうとしていた席の上側には紙が挟んであった。車窓はどことなく平凡な風景が続く。ただどこまで行っても建物が途切れることはないようである。カリフォルニア州は人が散らばって生活しているようで、いわゆる無人地帯のようなものは無いのであろうか。やはり気候がよくてすごしやすいからだろうか。やがてアナハイムの駅に差し掛かる。駅の目の前にスタヂアムがあった。元オリックスの長谷川投手は、この球場を本拠地とするアナハイムエンジェルスの一員としてこの地で活躍しているのであろう。しばらくすると電車は美しい海岸線へ差し掛かった。白い砂浜に澄んだ海。ただどんよりとした曇り空だったので、どことなく物足りなかった。<br /> <br /> しばらくして進行方向右側に空港が見えたあとでSan DiegoのSanta Fe駅に到着。先ほど知り合った関西のデパート勤務のGさんと、慶応経済の3年のS君と三人で宿を探すことにした。駅前からトロリーに乗るものの、最初は逆方向に行ってしまった。結局ユースホステルに泊まることにした。Gさんは音楽を聞きに行くとかでどこかに行ってしまい、二人で出かけることに。S君はラスベガスに向かいたいそうなので、下見も兼ねてグレイハウンドのバスディーポの下見も兼ねて向かうことに。なつかしのグレイハウンドディーポ。そういえば去年は随分とお世話になったものだと感慨にふける。やはりLas Vegas行きのバスの時刻は張り出されていなかったので、電話で聞き出すのを手伝うことに。自動応答音声であったが、早すぎていっていることがよくわからなかった。最後になってようやく人が出てきて、何とか聞き出すことが出来た。その後は二人で食事に。なんとも彼は初の海外旅行だったそうである。ユースに戻り、疲れきっていたのでそのまま眠りについた…。<br /> <br /> <br />8月28日(月)<br />結局S君は朝一番のバスでLas Vegasに行くことにしたので、すぐに出発した。Gさんも間もなく出発したので少し寂しくなった。同じ部屋の韓国人の青年とすぐに仲良くなった。なんとも彼は旅を続けるお金が足りなくなったので職を探さなくてはいけないらしい。日本でいうワーキングホリデーみたいなものであろうか。もう一人この部屋に随分と長い間滞在しているであろうアメリカ人の年配の人が他の欧米人の人たちに観光案内をしている。長老とでも呼ぶべきであろうか。今日一日San Diegoの観光に当てることにしたので、長老に色々と聞いてみる。長老はラホヤを勧めてくれたのでそこに行ってみることにもした。後Sea Worldにも行ってみることにした。一日乗車券を手にしてOld Townにトロリーで向かい、そこからSea Worldに向かう。ところがボーッとしていてSea Worldを通り過ぎてしまった。途中で降りて引き返す。無事Sea Worldに到着したものの、入場料があまりに高すぎたのでやめた。一日40$は高すぎるOld Townに戻ってからまたバスに乗りラホヤに向かう。途中下車を一回して海岸線を歩いてみたり商店街を覗いてみたりもした。格安航空券を売る店もあった。砂浜の海岸は美しく、海辺のホテルでは海を見ながら読書をしている人たちもたくさんいた。欧米流のバケーションとでも呼ぶべきものだろう。どことなくうらやましかった。ただやはり空がどんより曇っていたのが少し残念で物足りなかった。

    2000年8月26日(土)
     殆ど徹夜状態で、国際社会学のレポート、卒業論文の計画書、HPの更新と一気に仕上げる。飛行機の中で寝ればいいや、行きの電車で寝ればいいやという感じで。横浜から中野に向かい、荷物を最終的にまとめる。熱帯あり、高原で最低気温零℃を下回ることもありと、気候がバラエティに富むので、防寒具を大量に持ったり、周る予定の国が多いのでガイドブックを大目に積み込んでいるうちに、バックの荷物の量がとてつもなく多くなる。

     成田空港に到着。出国手続きを済ます。今回はロスアンジェルスまでマレーシア航空を利用。空港で変なアメリカ人二人組に会う。二人とも日本語がペラペラで、ロスについてからの予定とかを英語と日本語を交えて話す。とにかくその二人、待合室で待っているいろんな人たちに話し掛けまくる。しかもお相手はやたら女の子が多い。なんとも日本でボランティアをしながら日本語を習い、その辺の人に色々話し掛けつづけてて日本語を上達させたらしい。なるほど、こういう語学上達法もあるんだ。やがて飛行機に乗り込む。マレーシア航空のスチュワーデスの衣装がいろんな意味ですごかった。民族衣装もさることながら、化粧のおかげでみんな同じような顔に感じられた。しかも日本人も同じような顔をしていた。

     飛行機でたっぷり睡眠を取った後、やがてロサンジェルス空港に着陸。入国審査官や警備員に日系人っぽい人が多かった。さすがアメリカといった感じである。人種の坩堝である。飛行機がOPENチケットだったので、帰りの日付を決めなければいけなかった。10月19日発の10月20日着に変更した。予約の変更も全て電話でのやり取りで、かなり大変だった。

     今回の旅はのんびり行こう、そう決めて今日中にSan Diegoに行くのはやめた。Holly Woodに今夜の宿を決めた。やはりダウンタウンには治安が問題あるからだ。なんとかHolly Woodに行く方法を聞く。バスの439に乗って、途中から217に乗り換えればいいらしい。バスセンターまで行ってバスを待つけど、なかなか439は来ない。Santa Monica行きの3番のバスばかり来る。心持ちかロサンジェルスは東京よりも少し寒く感じた。なんとなく夏の終わりを告げているようであった。待っている時に一人の日本人男性と知り合いになった。彼は関西の方で、Eさんというらしい。ようやくバスに乗り込む。バスはぐるぐる回りながらもTransit Centerに着き、しばらく行くとチャイニーズシアター前に到着。去年も来たので一応このあたりの景色は記憶にある。Eさんとは宿泊するところが違うので、ここで別れた。僕が泊まることになったホステルの向かい側に新しく地下鉄の駅が出来ていた。去年来た時には出来ていなかったのに…なんとも不思議である。同じ部屋には中国人と日本人しかいなかった。国籍で部屋割りを行っているのであろうか?少し謎だった。中国人の彼は、この近くで仕事の研修を受けて、それが終わったので休暇を取ってのんびりしているようである。彼とはすぐに打ち解けて、いろいろと話をした。

    疲れていたのですぐに寝た。エアコンが無いので、窓を開けたままである。なぜかパトカーのサイレンが鳴っていた気がする。このあたりも夜間の治安は悪いのであろうか…。


    8月27日(日)
     どうやら昨日のサイレンは、車の接触事故が原因で起こった喧嘩が原因らしかった。なんとも大声で「Fuckin’ you!」とか叫んでいた人がいたらしい。やはりアメリカはちょっと恐いかもしれない。

     のんびりした後、アムトラックでSan Diegoに向かうことにした。昨日知り合った中国人に別れを告げて、荷物を整理する。出来立ての地下鉄の駅からアムトラックのユニオンステーションに向かう。なんとも地下鉄や今年になってから新規延長開業したらしい。生まれて初めてのアムトラック。二階建てでなかなかカッコウがいい。自由席だったので適当に空いている席を探して座る。しかししばらくたってからここは自分の席だと主張する人がいたので、その人に譲る。かろうじてあいている席を探し出す。やがて電車は動き出す。車掌が来る。チケットを見せるとそのチケットの一部を切り取り、座席の上側に挟み込んだ。なるほど、こういう仕組みになっていたんだ。確かに先ほど僕が座ろうとしていた席の上側には紙が挟んであった。車窓はどことなく平凡な風景が続く。ただどこまで行っても建物が途切れることはないようである。カリフォルニア州は人が散らばって生活しているようで、いわゆる無人地帯のようなものは無いのであろうか。やはり気候がよくてすごしやすいからだろうか。やがてアナハイムの駅に差し掛かる。駅の目の前にスタヂアムがあった。元オリックスの長谷川投手は、この球場を本拠地とするアナハイムエンジェルスの一員としてこの地で活躍しているのであろう。しばらくすると電車は美しい海岸線へ差し掛かった。白い砂浜に澄んだ海。ただどんよりとした曇り空だったので、どことなく物足りなかった。

     しばらくして進行方向右側に空港が見えたあとでSan DiegoのSanta Fe駅に到着。先ほど知り合った関西のデパート勤務のGさんと、慶応経済の3年のS君と三人で宿を探すことにした。駅前からトロリーに乗るものの、最初は逆方向に行ってしまった。結局ユースホステルに泊まることにした。Gさんは音楽を聞きに行くとかでどこかに行ってしまい、二人で出かけることに。S君はラスベガスに向かいたいそうなので、下見も兼ねてグレイハウンドのバスディーポの下見も兼ねて向かうことに。なつかしのグレイハウンドディーポ。そういえば去年は随分とお世話になったものだと感慨にふける。やはりLas Vegas行きのバスの時刻は張り出されていなかったので、電話で聞き出すのを手伝うことに。自動応答音声であったが、早すぎていっていることがよくわからなかった。最後になってようやく人が出てきて、何とか聞き出すことが出来た。その後は二人で食事に。なんとも彼は初の海外旅行だったそうである。ユースに戻り、疲れきっていたのでそのまま眠りについた…。


    8月28日(月)
    結局S君は朝一番のバスでLas Vegasに行くことにしたので、すぐに出発した。Gさんも間もなく出発したので少し寂しくなった。同じ部屋の韓国人の青年とすぐに仲良くなった。なんとも彼は旅を続けるお金が足りなくなったので職を探さなくてはいけないらしい。日本でいうワーキングホリデーみたいなものであろうか。もう一人この部屋に随分と長い間滞在しているであろうアメリカ人の年配の人が他の欧米人の人たちに観光案内をしている。長老とでも呼ぶべきであろうか。今日一日San Diegoの観光に当てることにしたので、長老に色々と聞いてみる。長老はラホヤを勧めてくれたのでそこに行ってみることにもした。後Sea Worldにも行ってみることにした。一日乗車券を手にしてOld Townにトロリーで向かい、そこからSea Worldに向かう。ところがボーッとしていてSea Worldを通り過ぎてしまった。途中で降りて引き返す。無事Sea Worldに到着したものの、入場料があまりに高すぎたのでやめた。一日40$は高すぎるOld Townに戻ってからまたバスに乗りラホヤに向かう。途中下車を一回して海岸線を歩いてみたり商店街を覗いてみたりもした。格安航空券を売る店もあった。砂浜の海岸は美しく、海辺のホテルでは海を見ながら読書をしている人たちもたくさんいた。欧米流のバケーションとでも呼ぶべきものだろう。どことなくうらやましかった。ただやはり空がどんより曇っていたのが少し残念で物足りなかった。

  •  その後再びバスに乗りラホヤを目指す。何とかラホヤケーブに到着。岩を削ったようなトンネルがあり、奇岩が多く砂浜の海岸とは違ったよさがある。海岸自体が公園になっており、泳いで遊んでいる子供たちもいれば、芝生のベンチでまったりしているカップルも入る。平和な雰囲気である。辺り一帯に絵画を売る店が多い。いくつかの店に入ってみる。この辺の海を描いたようなものが多く、どれもこれも美しかった。なんか綺麗な絵を見ると綺麗な絵を描きたくなる衝動にいつもながらかられる。貝殻で作ったアクセサリーを売る店など、洒落た店が多かった。Old Townに戻るといつものくせでトロリーの終点まで行ってみたら何があるのだろうかという好奇心にかられ、北の終点Mission San Diegoを目指す。途中から鬱蒼とした森林地帯を疾走する。都心部では路面電車同様だったのに、なかなか効率のよい交通機関かもしれない。帰る途中12th Avenue付近は非常にガラが悪かった。シャッターが閉まっている店が多く、その前にどことなく怪しい人々がたむろしていた。それを除けばSan Diegoは綺麗で、気候もよくすごしやすい町に思えた。

     その後再びバスに乗りラホヤを目指す。何とかラホヤケーブに到着。岩を削ったようなトンネルがあり、奇岩が多く砂浜の海岸とは違ったよさがある。海岸自体が公園になっており、泳いで遊んでいる子供たちもいれば、芝生のベンチでまったりしているカップルも入る。平和な雰囲気である。辺り一帯に絵画を売る店が多い。いくつかの店に入ってみる。この辺の海を描いたようなものが多く、どれもこれも美しかった。なんか綺麗な絵を見ると綺麗な絵を描きたくなる衝動にいつもながらかられる。貝殻で作ったアクセサリーを売る店など、洒落た店が多かった。Old Townに戻るといつものくせでトロリーの終点まで行ってみたら何があるのだろうかという好奇心にかられ、北の終点Mission San Diegoを目指す。途中から鬱蒼とした森林地帯を疾走する。都心部では路面電車同様だったのに、なかなか効率のよい交通機関かもしれない。帰る途中12th Avenue付近は非常にガラが悪かった。シャッターが閉まっている店が多く、その前にどことなく怪しい人々がたむろしていた。それを除けばSan Diegoは綺麗で、気候もよくすごしやすい町に思えた。

  • (記念の一枚)

    (記念の一枚)

  • 8月29日(火)<br /> いよいよMexicoへの旅立ちの日を迎えた。洗濯などを済ませ準備に取り掛かる。長老は明日で二週間の滞在を終え旅立つらしい。韓国の青年は相変わらず職を探したいらしく、長老とずっと相談に乗ってもらっていた。二人に別れを告げて、トロリー乗り場に行く。終点San y Sidroに到着。いかにも国境地帯といったような妙な雰囲気である。国境線にはずっとフェンスが敷かれている。時々このフェンスを無断で越えて不法入国しようとするメキシコ人と国境警備隊との間でトラブルが発生しているらしい。道路にも検問所らしきものがあり、全ての車が一旦停止する。歩行者はその道路をまたがる陸橋を超えて、ループのようなところを通って国境をまたぐようになっている。気楽にメキシコへ遊びに行ったり買い物をしに行ったりしているメキシコ人も多ければ、アメリカから戻るメキシコ人も多い。国境から100マイル以内、72時間以内なら気楽にアメリカからメキシコに行くことが出来るそうで、それ以上の場合は入国手続きが必要になってくる。「メキシコへようこそ」と書かれた回転扉を越えると、もう既にそこはメキシコだった。そして新しい旅へと、回転扉を越えて行く…。

    8月29日(火)
     いよいよMexicoへの旅立ちの日を迎えた。洗濯などを済ませ準備に取り掛かる。長老は明日で二週間の滞在を終え旅立つらしい。韓国の青年は相変わらず職を探したいらしく、長老とずっと相談に乗ってもらっていた。二人に別れを告げて、トロリー乗り場に行く。終点San y Sidroに到着。いかにも国境地帯といったような妙な雰囲気である。国境線にはずっとフェンスが敷かれている。時々このフェンスを無断で越えて不法入国しようとするメキシコ人と国境警備隊との間でトラブルが発生しているらしい。道路にも検問所らしきものがあり、全ての車が一旦停止する。歩行者はその道路をまたがる陸橋を超えて、ループのようなところを通って国境をまたぐようになっている。気楽にメキシコへ遊びに行ったり買い物をしに行ったりしているメキシコ人も多ければ、アメリカから戻るメキシコ人も多い。国境から100マイル以内、72時間以内なら気楽にアメリカからメキシコに行くことが出来るそうで、それ以上の場合は入国手続きが必要になってくる。「メキシコへようこそ」と書かれた回転扉を越えると、もう既にそこはメキシコだった。そして新しい旅へと、回転扉を越えて行く…。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • fuzzさん 2020/04/19 18:03:43
    人生の宝物
    Miyatanさん、こんにちは。

    Miyatanさんの復刻版旅行記を拝見しています。
    その当時、大学生だったのですね。
    青春の1ページって言うか、青春の1冊ですね。

    参考文献を利用しての卒論とは違って、自分の足で自分の目で耳で知り得た内容の卒論はとてもリアリティある充実した内容になった事と思います。

    Miyatanさんの大学生時代のお写真、りりしくてカッコいいです♪
    ほんと、若い頃って宝物ですね。
    どんなにお金を出しても、若い頃には戻れません。
    あ、これって私に言い聞かせている事ですけど。

    貴重な経験、こういう事こそ旅行記にして楽しみたいですね。

    fuzz(*^▽^*)

    Miyatan

    Miyatanさん からの返信 2020/04/19 21:30:22
    Re: 人生の宝物
    fuzzさん、こんばんは。

    単に行ってみたくて、卒論の実地研究を名目に、というのはあるかもしれません。(笑) もっとも机上の空論よりも、現地で見て、というのはありました。卒論自体は内容は今読み返すと大したことない気もしますが(^^;、いい経験だったと思います。そして、昔は大学院進学も考えていたのですが、研究者肌でないということも感じました。

    凛々しいですか? お褒め頂きありがとうございます(*^^*) 素直に嬉しいです。もちろん写りがいい写真を選んで、というのはありますが、画像が今と比べて鮮明でないので、多少はごまかせるかもしれません。(^^)

    ちなみに当時は、fuzzさんがお正月に行かれた東京・中野に住んでいました。なので、中野は自分の中では青春の町です。住んでいたのは中野ブロードウェイとは駅挟んで反対側でしたが、それでも歩いて15分位だったので、昔はよく行きました。中野サンモールやブロードウェイは当時とあまり景色変わっていないのですが、それでも今ではかなり景色が変わってしまいちょっとびっくりです。

    Miyatan

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