2018/09/14 - 2018/09/27
102位(同エリア112件中)
HOUKOUさん
- HOUKOUさんTOP
- 旅行記93冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 34,657アクセス
- フォロワー5人
早起きして,朝食会場一番乗りで朝食をすます。
今日は鄭州から遠出して、開封を丸一日かけて観光することにしている。
PR
-
(2018/9/25日 旅行12日目)
早起きして,朝食会場一番乗りで朝食をすます。
今日は開封を丸一日かけて観光することにしている。 -
今回の訪問先はどれでもそうだが,長い間訪問を熱望していた地である。
この開封もそうである。
開封といえば私にとって,特に北宋の都,水滸伝の舞台(当時「東京」といった),それに「清明上河図」の世界ということで強い思い入れがある。 -
バスで移動することも考えたが,昨日少林寺からの帰りのバス大渋滞が頭によぎって,鉄道で行くことにした。
鄭州站8:30発K8004に乗りこむ。 -
開封は意外な程小さな,今の中国では珍しいほど近代化されていない都市であった。
中国では田舎町でも必ず見かける高層ビル群もほとんど見かけない。
もちろん古都景観保存の意図もあるのであろうが,何か時代に取り残された感がある街である。 -
-
かつてここが中国の中心地であり,華麗なる北宋文化の舞台であったことが信じられないくらいひっそりとしていた。
そうした過去の歴史舞台は,度重なる黄河の氾濫で地下深く埋まっていることは知っているが。
駅前広場も日本の田舎町のようである。
残念ながら今日は雨模様。 -
まずは開封駅東にある繁塔から見ていくことにする。
駅から何とか歩いて行ける距離である。
繁塔は,開封が中国の中心であった北宋時代に建てられたものである。
もともと9層の塔であったものが,破損や黄河氾濫により今は3層の塔の姿になっている。
塔は狭い囲いに囲まれており,入場料を払うまでもなく,その古色蒼然とした姿を鑑賞できる。 -
その隣は「梁園(禹王台公園)」であるが,有料なうえ大した見どころもなさそうで,次の史跡に向かうため駅まで歩いて戻る。
こじんまりとした街であり,地下鉄工事もなされていないのでバスの系統もわかりやすい。 -
次の目的地である「鉄塔」行きのバスは難なく見つけた。
-
入場口から鉄塔にたどり着くまでいくつか見どころがありそうだ。
-
「接引殿」という建物には「接引仏(阿弥陀仏のことだと思う)」が納められている。
-
国では希少なことであるが,北宋時代のオリジナルだそうだ。
しかし背後の壁画はたぶん極楽浄土を描いているのだろうが,極めて現代アート風で,いかにも「小さいことにこだわらない」中国らしい。 -
-
そして高々とそびえる鉄塔にたどり着いた。
高さは55.63m。
全体が瑠璃煉瓦で覆われ,鉄でできたように見えることから「鉄塔」と呼ばれるようになった。 -
これも北宋時代に建てられたものだという。
解説板によると「地震が40数回,雷が20数回,黄河の氾濫が6数回と度重なる災害に見舞われながらも,今も高く聳えたっている」と誇らしげに書いてあるが本当だろうか(笑)。 -
「河南省仏学院旧址」という,何か曰くありげな建物。
-
鉄塔の東を通る大通り(解放路)を南へ向かうバスに乗り,「たぶんここらへん」というバス停で降りる。
大体感が当たり,あまり苦労することなく目的の「劉少奇在開封陳列館」にたどり着いた。 -
が,痛恨の「改装中休館」であった。
中国現代史に興味がある人であれば,この地開封がかつての国家主席・劉少奇臨終の地であることを覚えているはずだ。
毛沢東が引き起こした文化大革命の最大目的は,毛沢東を政治の第一線から引かせ,国家主席として前面にでてきた劉少奇を引きずり落とすことだったことはよく知られている。
執拗な反劉少奇運動は,ついに国家主席を糾弾の場に引き摺り出すことに成功し,劉少奇は地位も名誉も剥奪された。
それでも毛沢東の怨念は静まらず,劉少奇は自宅軟禁のうえ病気の治療も許されず悲惨な晩年を強いられる。
その後,この地開封に身柄を移され,暖房もないコンクリートむき出しの倉庫部屋に幽閉され,やがて死を迎えることになる。
文革も終焉をつげ,後に劉少奇は名誉回復された。
そしてこうした立派な記念館までも作られたのである。 -
さて,ここまでの観光は南北に開封を貫く解放路沿いに位置する場所ばかりだったのでバスでも移動が楽だった。
しかし次の見学先である大相国寺までのバスの路線は読めず,この旅で初めてであるがタクシーで移動することにした。
電柱が立ち並び高層ビルも見当たらない開封の街並み。
まるで日本のようだ。(笑) -
水滸伝に登場する魯智深が酒を飲んで大暴れしたため五台山を追放されて,行きついたのがこの大相国寺である。
創建は555年,南北朝時代の北斉のときである。
したがって趙匡胤が「東京開封府」として,ここを宋の都とした(960年)より遥か以前から続く古刹である。 -
-
有名な千手千眼観音。
私が毛嫌いしている,モダニズムが混じったように感じられる仏像である。
(乾隆年間に作られたものだというが)
その下の看板は「大相国寺観音聖水」の広告。
ペットボトルで販売されているらしい。
「病を癒し障害を取り除き智慧をのばす」効果があるという。
僅かに残っていた「有難味」も消えてしまった。 -
500羅漢も,いつものように安っぽいものにしか見えなくて有難味は感じられない。
-
ミャンマー産の玉で作られた如来像だけは,神秘的な光沢を放っており印象深かった。
-
空海像。
洛陽の白馬寺でも空海像を見たような気がする。
遣唐使船に乗りこんだ空海は,福州付近に漂着した。
その後陸路で杭州へ,そして京杭運河で開封(当時「汴州(べんしゅう)」)に到着。
これはその滞在を記念するものであろう。
ところで中国各地で昔の日本人の足跡にちなむ碑や日中友好の記念碑を見かけることも多い。
しかし私が見た範囲では,それらのものに足を止めて見入っている中国人の姿を見たことがない。
例外なく素通りしてしまうのである。
彼らは日本人が思う以上に日本に興味がないようにも見受けられる。 -
-
世界最大の食べ物屋チェーンとも言われる「沙県小吃」で食事。
元々は「沙県」という福建省の山奥の田舎町からの出稼ぎが始めたものであるらしい。
「チェーン」といえるかどうか微妙だと思うが,定食が10元台前半と,この看板を掲げている店は,中国のどの都市へいっても安い。
そしてやや衛生的に少し不安な雰囲気が漂っているのも共通している。
(しかし私は「沙県小吃」で食事して腹具合が悪くなった経験はない) -
「御街」と呼ばれる宮殿正門から南に伸びる道路。
「東京夢華録」という,北宋当時実際に開封に住んでいた孟元老という人による,当時の都の繁栄ぶりを記録した貴重な書籍が残されている。
「御街は宣徳楼から真っ直ぐ南へ,幅およそ200歩で,その両側は御廊となっている・・」と記されている。
幅200歩は約300mぐらいだそうだが,さすがにこれは誤りか宮城前広場の幅ではないのかとも言われる。 -
次は龍亭公園に向かう。
この御街の北の突き当りが宮城があった場所で今は「龍亭公園」となっている。 -
二つの湖に挟まれた遊歩道を歩く。
-
朝門をくぐると,回廊に沿っていくつか展示室があった。
-
-
この模型は北宋時代の開封(東京)らしい。
さっき通ってきた満々と水をたたえた湖など見当たらない。
汴河は内城の中,大相国寺のすぐ南を流れている。
開封は黄河の度重なる氾濫に悩まされた。
また何回も川筋を変え,一時は開封の南を流れていたこともあったという。
北宋時代の開封の地表は,今の地面より数メートル下に埋まっているのだ。
開封の市街地の再開発が遅れて見えるのも,どこを掘っても黄土に埋まった遺跡が出てくるというのがその理由の一つであろう。 -
龍亭がそびえている場所は,北宋の皇宮内であるが,今見る建物は清代以降のものである。
-
-
-
-
駅で買った地図を眺めていると「開封博物館」というのを見かけた。
龍亭も通る1路のバスで行けるようだ。 -
-
残念ながら閉館していた。
-
バスの車窓から少し気になる建物を見つけたので,引き返しのバスで途中下車した。
「延慶館」という道観であった。
「中国3大道観」の一つというが本当だろうか。
気になったのは特徴的な八角形の塔である。
もちろん八卦をシンボライズしたものであろう。
入館料がいるみたいなので外から眺めるだけにする。 -
開封最後の観光は「清明上河園」である。
入場料も高いし,どうせ安手のテーマパーク臭粉々としたものだろうが,開封訪問の動機が,何より「清明上河図」や「東京夢華録」に描かれた北宋時代の名残を求めることだったので,やはり外すことはできなかった。 -
雨もいまだ降りやまず,しかも夕闇が迫っている。
やや慌ただしく,寂寥感さえ感じる見学になってしまった。
「清明上河図」は,開封の往時の繁栄ぶりを描いたものであるが,多くの古い東洋絵画の例に漏れず,彩度・明度的にやや暗い印象を与える。
また,描かれた風景の時代については諸説あるが,一説によるとこれは第8代皇帝徽宗の時代の情景で,頻発する内乱(水滸伝のモデルともなった実在の「宋江」もこの時代の者)や迫りくる金の侵攻などで,作品から忍び寄る社会不安を感じとる向きもあるようだ。
作者は金の侵略によって南宋に逃れ,開封を懐かしんでこの絵を描いたという説もある。
「清明上河図」で最も目立つ構造物である虹橋。
「虹橋」とは固有名詞ではなく,このように橋脚がなくそのアーチ構造が虹のように見える橋を広くその名で呼んだようだ。
「上河図」では,この橋の欄干の上で大勢の人が行きかう船を見物している。 -
-
虹橋を渡った橋のたもとにある高い櫓を持つ建物。
初めて「上河図」を見たとき,これは芝居小屋ではないかと思った。
しかしこれは「酒屋」らしい。
「脚店」とは「支店」という意味。 -
-
広い園内には様々なアトラクションが繰り広げられている。
船を使った大掛かりなアトラクションは,既に終わりかけていた。 -
「上河図」のどこかに描かれていたのか,闘鶏の見世物もあった。
-
-
-
例によって,どこか嘘っぽい舞踊。
-
意外と楽しめたのが影絵ショー。
オドロオドロしいストーリーが,影絵の不気味な雰囲気をうまくマッチしている。 -
-
このようなテーマパークに付き物の騎馬戦などの乗馬ショー。
この施設のテーマから舞台設定は,当然宋と金の戦いである。 -
中国のテーマパークは嘘くささ・やる気のなさなど白けさせる部分もあるが,この種の乗馬ショーは真剣さや気迫なしでは成り立たない(でないと大怪我する)だけあって,見応えがある。
-
日も暮れかけ,まさに「清明上河図」の明度並みの黄昏時に出口から退出した。
-
帰りも鉄道を利用する。
開封駅は駅舎も小さく,待合室は椅子もなく立ったままで汽車を待つ利用者でごった返していた。 -
-
新しく買った白酒「洋河大曲」で晩酌。
-
開封のお土産屋で買った「清明上河図」を部屋に広げる。
これは土産物屋で一目ぼれしたものだ。
店員の言い値を聞き違いして,「○○元でどうか?」と値切りを切り出したところ,それは向こうの言い値より高かったことが分かり,苦笑いしながら正価で購入。
それぐらいお買い得感もあった。 -
いかにも「白髪3千丈」的で,冗談みたいに長い。
ベッドの枕元から広げたが,ベッドからはみ出して余りある。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
HOUKOUさんの関連旅行記
中国 の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
61