2019/12/18 - 2019/12/18
194位(同エリア473件中)
ぬいぬいさん
古い建物が大好きな私のお気に入りの場所の一つが、小金井にある江戸東京たてもの園。
東京の街は江戸の昔から、大火や水害・震災・戦災などによって、数多くの歴史的建造物が失われてきました。
「江戸東京たてもの園」は、現地保存が不可能な文化的価値の高い歴史的建造物を移築し、復元・保存・展示し貴重な文化遺産として次代に継承することを目指して造られた屋外型の建物博物館なんです。
西に行くと明治村がありますが、明治村の関東版といったところでしょうか。
入館料は明治村と違って400円とリーズナブル。
私は古い建て、もの大好きなんでここに来ると1日楽しめます。
今回は久しぶりに購入したぐるっとパスを使って見てきましたが、残念なことにここで一番お気に入りの前川國男邸が耐震補強工事のため見ることができませんでした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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ビジターセンターの裏側の林の中に神社の社殿のような建物があります。
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これは徳川三代将軍家光の側室のお振りの方の霊廟。
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今から370年ほど前に建てられた小ぶりな建物ですが、極彩色に塗られたの彫刻や金物で装飾されていて、徳川家の権力の偉大さを感じさせる建物でした。
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こちらは達磨宰相と呼ばれ庶民に親しまれた高橋是清の邸宅。
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赤坂の現在のカナダ大使館の隣にあった高橋是清邸の庭園の一部と明治35年に建築された母屋部分が移築復元されています。
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今では手に入らないゆがみのある手作りの手延べガラス
このゆがみが何とも言えないですよね。 -
首相も歴任した高橋是清は風貌が達磨さんに似ていることから、だるま宰相と呼ばれ親しまれていました。
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是清さんは明治34年(1901年)に竣工してから、昭和11年(1936)の2・26事件で自邸の2階で殺害されるまで、この家に住んでいました。
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敷地は赤坂の1等地に2000坪もあったそうです。
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大蔵大臣だった昭和11年に2月26日、赤坂にあったこの建物の2階で、陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らによる「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて起こしたクーデター未遂事件、俗に言う「2.26事件」により暗殺されました。
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ここが二・二六事件の歴史の舞台になった部屋。
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南側の庭から見た外観
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ガラスの向こうに見える格子は耐震補強が目的で設置されたもの。
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一見武家屋敷の門といった感じですが、この門は東京港区の白金にあった、旧宇和島藩伊達家が大正時代に東京に建てた屋敷の表門です。
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片番所が付いていて大名屋敷の門を再現したような形になっています。
どうりで武家屋敷の門に見えるはずですよね。 -
門柱の上に架けられた冠木には、宇和島藩伊達家の木彫りの家紋ついていました。
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アオサギがいますね。
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東ゾーンの入口にあるレトロなレンガの派出所は、秋葉原の万世橋のたもとにあった、明治時代の終わりに建てられた須田町派出所を移築したもの。
これを移築の際にはいったんばらして運んだものでなく、その姿のままトレーラーにのせて運んできたそうです。
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交番の前にあるこちらは上野消防署に大正時代の終りに建てられ、昭和45年まで使われていた高さ23mある火の見櫓の役目をしていた望楼の上部の部分を移築したもの。
昔はよくこんな形の望楼がありましたが、最近は見ることがなくなりましたね。 -
こちらは渋谷駅前を起終点とし、新橋・浜町中ノ橋・神田須田町まで走っていた車輌です。
交通量の増加に伴い都内の都電は荒川線以外東京オリンピックを前後して順次廃線になりましたね。 -
東ゾーンは建物単体での展示でなく東京の下町の古い街並みを再現しています。
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東ゾーンの入り口には向かい合って看板建築の建物が並びます。
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こちらの村上精華堂は昭和3年に台東区の池之端の不忍通り沿いに建てられた、小間物屋のお店。
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小間物屋?
現在の化粧品屋ですかね。
レトロな電話のある帳場 -
奥に見える茶の間には定番のちゃぶ台が
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店の正面は人造石洗い出しで、イオニア式の柱を持ち、当時としてはとてもモダンな造りとなっています。
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下町ゾーンの裏手に1棟だけ茅葺屋根の農家があります。
入口の門があって、まさに農家そのもの -
ここだけは母屋を移築したものでなく、農家の屋敷そのものをそのまま移築再現したようになっています。
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この建物は多摩川の川に近い大田区鵜木にあった天明家という農家
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江戸時代後期に建てられたこちらの農家は鵜ノ木村で名主役を勤めた旧家です。
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正面に千鳥破風をもつ母屋・長屋門・枯山水の庭もあって格式の高い裕福な豪農だったことがうかがえます。
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縁側では子供を対象に風車のつくり方を教えていました。
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こちらは正面部分を銅板で覆われた植村邸。
中央区の新富町に昭和の初めに建てられた建物です。 -
緑青で緑色になった外観おしゃれです。
植村さんちは時計や貴金属を販売する商いをしていたのですが、店頭販売ではなかったせいかお店という雰囲気はではないですね。 -
隣の建物は昭和の初めに港区の白金台に建てられた木造3階建て乾物屋の大和屋本店。
戦前のお店の様子を再現しています。
当時の鰹節は節のままで売られ、家庭でかんなで削って使ってましたよね。 -
こちらの丸二商店は、昭和の初めに神田神保町に建てられた荒物屋のお店
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荒物というとあまりなじみがありませんが家庭用の雑貨を扱うお店です。
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籠やたわしや箒、はたきといった類で今で、最近はすっかりプラスチック製が主流で竹かごなどは民芸品扱いですよね。
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裏側は下町の路地裏の光景ですね。
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こちらの真ん中の3階建ては、神田須田町に昭和の初めに建てられた武居三省堂
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書道用品のお店で筆や墨や硯、半紙などを扱っていたお店。
前面がタイル貼りの看板建築です。 -
こちらは傘づくりが盛んだった江戸川区小岩に建てられた和傘問屋の建物。
昭和の初めの和傘問屋の店先の様子を再現しています。 -
こちらの小寺醤油店は昭和8年に港区の白金に建てられた味噌や醤油お酒を売っていた商店。
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大正時代からそこで営業していたそうですが、今でも白金や慶応の三田キャンパス周辺には同じような姿をしたお店が何軒か残っていますよね。
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年代物のレジ
レトロですね。 -
壁には味噌の看板やサントリーのロゴマークが
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さすがに都内ではこういうレイアウトのお店は見ることがなくなりましたが、地方に行くとまだこんな感じのお店ありますよね。
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東ゾーンにある建物の中で一番新しく移築された建物がこの万徳旅館。
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もともと青梅市の青梅街道沿いにあった江戸時代から続く旅籠で、御嶽山の御嶽講の参拝者が利用していたようです。
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都内に残る唯一の旅籠建築として貴重な建物です。
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私は五街道を歩いているので旧街道沿いの宿場町にこんな旅籠が残っているのを見かけることがありますが、都内にもあったのですね。
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曇りガラスに旅館名を抜いたガラス
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唐破風の大きな屋根の乗った建物は銭湯。
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これは足立区千住に昭和4年に建てられた、子宝湯という銭湯を移築したもの。
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壁には定番の富士山の絵が
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煙突こそありませんが、昭和のにおいがプンプンする銭湯は、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」に出てくる油屋のモデルになった建物なんです。
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私が学生の頃はまだ都内にもこんな銭湯があちこちにあって、貧乏学生で四畳半風呂なしのアパートに住んでいた私は、よくお世話になりましたが、最近はめっきり減ってしまい寂しい限りですね。
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「鍵屋」藍色の暖簾のかかるこちらの建物は、もともとは台東区下谷の言問通りに幕末から営業していた居酒屋さん。
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店内は昭和45年頃の状態を再現しています。
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「千と千尋の神隠し」の物語の冒頭で、両親が大皿料理を食べて豚になってしまうシーンのお店がここを参考にしてつくられたそうです。
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最後の建物は明治の初めに文京区の向丘に建てられた仕立て屋さんのお店
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出桁造りの町家ですが、内部は大正期の仕立屋の仕事場を再現しています。
今日は2時間ほどの滞在だったので、さっと流し見でしたが、ここに来ると1日楽します。
ぐるっとパスを購入したのを機に、都内の歴史的建造物を久しぶりに見続けていたら、久しぶりに犬山の明治村に行きたくなってしまい、年末行ってしまいました。
詳細は改めて別な旅行記で紹介しますね。
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