2018/09/14 - 2018/09/27
193位(同エリア216件中)
HOUKOUさん
- HOUKOUさんTOP
- 旅行記93冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 44,115アクセス
- フォロワー5人
「龍門石窟」周りの観光を終え,次は関林,白馬寺とも考えたが,洛陽駅へ直行する81番バスというのがあったので,これに乗り洛陽駅でバスを乗り換え,「古墳博物館」へ行くことにした。
-
さて「龍門石窟」周りの観光を終え,次は関林,白馬寺とも考えたが,洛陽駅へ直行する81番バスというのがあったので,これに乗り洛陽駅でバスを乗り換え,「古墳博物館」へ行くことにした。
-
実はこの「古墳博物館」という施設,旅の準備で最も情報が錯そうしているものの一つであった。
私が見た「地球の歩き方」には掲載がなかったが,先輩たちのブログでは「開館していた」という情報も得ていた。
いろいろな情報を総合すると,おそらくであるが,この施設は大規模な改装のため,長期間閉館した後,リニューアルオープンしたのではないか。
ともかく,それらしきバス停へ行きそうなバスを見つけて乗り込む。
吉と出るか凶と出るか・・このハラハラ感も旅のおもしろさである。 -
途中思わぬトラブルが。
道が郊外にさしかかったころ停留所で,バスが動かなくなってしまったのだ。
心配そうに乗客が運転手を見つめる。
運転手は何回も何回もトライするが,バスは動かない。
その内後続のバスが追いつき,全員が乗り換える。 -
こうしてバスを「3回」乗り換え,「洛陽(河南)古代芸術館」へたどり着き,そして開館を確認することができた。
-
展示は3つのセクションに分けられる。
「墓室壁画展示館」,地下に設けられた「墓室展示」,それに景陵である。 -
壁画展示館から見ていく。
私は墓室に描かれた壁画を見るのが大好きだ。
その絵は,当時人々が思描いていた天国あるいは天上の生活が描かれていたり,そこに葬られた人への絶ちがたい熱い愛情を感じたりすることができるからだ。
これは唐時代の貴族の墓室壁画。
涼しげな眼をした美女たちが墓主へ飲み物や食べ物を捧げている図であろう。 -
明代のもの。
歌姫たちが死者の霊を慰めている。 -
こちらも明代の歌姫たち。
-
明時代の比較的新しいもの。
多くの人にとって,もっともうっとりする思い出は,小さいころ家族で囲んだ食卓ではないだろうか? -
これまで何回も目にしたソグド人とラクダの図。
もしかしたら旅先で亡くなったソグド人が墓の主なのか。 -
こちらは悲嘆にくれる侍女たちであろうか。
-
-
一旦外に出て景陵へ。
皇帝の墓としては少しこじんまりしたものに見える。
皇帝といっても,時代は南北朝であり,墓の主は中国北半分を支配した北朝(北魏)の宣武帝。
都を大同から洛陽に移し,大胆な漢化政策を推進した孝文帝の跡継ぎである。
北方遊牧民・鮮卑族である北魏では,巨大墓を造営する習慣がなかったのであろうが,これも漢化政策の結果なのであろう。 -
盗掘にあったとはいえ,構造も簡素で,装飾にしてもほとんど何も残っていない。
見学者はほとんどいなかったので,厳粛な雰囲気のなか落ち着いて見学できた。 -
-
-
-
先ほどの「墓室壁画展示館」があまりにも印象深かったので、もう一度入館する。
これは時代がさかのぼり西漢時代のもの。
リアルな人物像ではなく、神獣や伝説をテーマにしたものが多く非常に神秘的だ。 -
同じ墓の鳳凰の壁画。
-
最後は地下に広がる「墓室展示」区である。
地下への降り口が分からず,ちょっと焦ったが,売店の横に階段を見つけたときは,ツタンカーメン墓への階段を見つけたカーター気分であった。 -
ここは,各地で発掘された様々な時代の墓を移設して,アパートの部屋のように整然と並べて展示しているという,世にも稀な,言ってみれば「墓の博物館」とも言うべきものである。
唯物史観の中国でしかできないものの一つであろう。
この墓は洛陽郊外「偃師」で発掘されたもの。
時代は東漢。 -
「展示されている墓」はいくつもあったが、ほとんど全部「被盗」されていて、内部はがらんとしたものが多かった。
-
そんな中で精彩を放っていたのがこの壁画である。
-
-
見学を終え,バス通りまでの長い道を歩く。
-
さてここは洛陽の北郊外である。
洛陽の北といえば何と言っても邙山(ぼうざん)である。
漢詩というものは,世の無常を詠ったものが多いが,そういったものの中で最も有名なものの一つが沈佺期の「邙山」ではなかろうか。
北邙山上墳塋列らなり
万古千秋 洛城に対す
城中 日夕 歌鐘起こり
山上 ただ聞く 松柏の声
実際そこは,古墓がたくさん残っているという。
古墓を実際に見学できないとしても,その寂寥感に浸りたい。
ここから更に北へバスに乗れば邙山のふもとあたりまで行きつくことができるかもしれない。
しかし時間もないことだし,疲れたし。
博物館の周りにあった松林が風に揺れるのをしばらく眺めて満足し,洛陽城中に戻ることにした。 -
バスを乗り継いで,洛陽市の中心部といえる王城広場にある「天?駕六博物館」についたときは既に日が暮れかかっていた。
「駕六」というのは6頭立ての馬車の意味で,王(周王)しか乗ることが許されなかったものである。
この地で発掘された車馬坑で,まさにその6頭立ての馬車が見つかったのである。 -
閉館時間が迫っていたのだが,車馬坑にしても付属展示物にしても小さなもので,観覧にそんなに時間はかからない。
-
これがおそらく6頭立て馬車。
ところでこれを見ていて疑問に思ったのだが,本物の6頭立て馬車というものは,これと同じように横1列に並んで走っていたのだろうか。
始皇帝の銅車馬のような4頭立てのものは,確かに4頭ならんでいたようであるが。
6頭並列というのは力学的にも,それが要する幅員的にも無理があるような気がしてならない。 -
何事も序列を与え身分の固定化を図ることは,孔子を祖とする儒教登場以前に周王室(洛陽を栄築した周公旦)によって既に確立されていた。
孔子が実現したかったことは,春秋の世になり衰退した周の礼楽などを再興することにあった。
これは論語に書かれているとおりである。
例えば宴席に並べられる鼎の数や料理の種類までこうした「礼」が定められている。(「列鼎制度」と言うらしい) -
-
さて,ここで今日の見学は終わりにしようとも思ったが,欲が出た。
もう一か所,今いる場所から大通り(中州)を真っ直ぐ東へ行けば「老集」と呼ばれる旧市街に突き当たるはずだ。
地名を見比べ,近くまで行きそうな東行きのバスに乗りこむ。
「老集」のシンボルであろう「麗景門」。
ここら一帯は隋代から続く繁華街らしいが,この「麗景門」も商店の建物も道路も,せいぜい古くて清代のものであろう。 -
中国各地で「老街」「観光商店街」みたいなものが見られるが,こうしたものは,実はもうかなり見飽きている。
特にあまりにも綺麗に整備されつくしたような「老街」は退屈だ。
オリジナルな建物が残っていたり,前近代的な雰囲気が味わえたり,地元特産の珍しいお土産屋が並んでいたり・・そうした「老街」が好きだ。
この「老集」は,少し雑然としていて,今は地方都市にすぎない洛陽の鄙びた味わいもあり興趣を感じるものがあった。
洛陽名物「不翻湯」の看板も目にすることができる。 -
-
近くの「四川熟食」というテイクアウト屋から買ってきたつまみで晩酌した後,食事にでる。
-
-
ホテル横の広い歩道は地下鉄工事の余波ででこぼこ,しかも照明がないので慎重に歩く。
-
-
定食屋で好物の「梅采扣肉套餐」を食べる。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
HOUKOUさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
39