2019/12/02 - 2019/12/03
54位(同エリア3224件中)
Siniさん
この旅行記スケジュールを元に
ブダペスト2日目は予報通りの雪となりました。
午前中は出かけましたが午後の予定はキャンセル。半日ゆっくりとしていました。やばい!近くに美味しいカフェもあるのに、この分ではどこも行かずにこもってしまう!
3日目はエリジェーベト橋からヴァーツィ通りを観光し、友人夫婦と落ち合い聖イシュトヴァーン大聖堂(聖シュテファンバジリカ)を見学をしました。
ところでキャシーはなぜ会う時間が決められなかったか、というと、前週末、片道1300キロのドライブをしてドイツのどこかの町へ行ったらしいのですが、その帰り道に車の調子が悪くなった。なんとか帰宅できたけれど車の修理の人が日曜日に来る、というが、何時に来るかわからない、ということがあったからのようです。
もしすぐ修理できれば車でブダペストを案内したい、がどうも難しそう。後で息子が言うには「色々計画を立てていた事が全てダメになりそうでちょっと混乱していた」と。それでも、キャシーの住む町から約40キロ、バスと電車を乗り継いで2人は来てくれました。
まず、車の故障なら日本ではディーラーに持って行って代車を借りますが、そういう風にはなってないようですね。コネ、知り合い、ツテを頼ってなんとかしょうとする、そんな社会がチラリと見えました。
キャシーはルーマニア生まれで、両親はハンガリー人とルーマニア人。その為ハンガリー語、ルーマニア語はもちろん、英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語が話せます。夫の両親はルーマニアに住むハンガリー人。よってルーマニア語、ハンガリー語、英語が話せます。彼らは1960年代から20年に亘って独裁政治を行ってきたチャウシェスク下のルーマニアからハンガリーに亡命してきました。
夫の両親はハンガリー人だったにもかかわらず、父親は生涯一度もハンガリーの地を、つまり息子を訪れることはなかったそうです。キャシーは1989年にルーマニアの独裁政治が終わってかなり経ってから医者だった母親を引き取り一緒に暮らす事が出来ました。今では生まれ故郷のトランシルバニアにも帰郷できるようになったと喜んでいます。
キャシーは英語の先生、夫は引退しましたがエンジニアでした。そして2人は今でも息子が他の国へ移住したいと言えばそこへ一緒に移住するつもりなのです。もっと息子の人生の夢と希望が叶う地へ。
欧州でもハンガリー平原やバルカン半島あたりに住む人々は近年、国や政治体制が何度も変わってその中で割とこんな風に国境超えの移動をしていたんですね。EUが出来て益々その傾向は拍車がかかっています。そうするとイギリスのようにEUに加盟していることに不利益の方が多いと感じるようになって脱退、というような事が起こって来るのでしょうか。なかなか計り知れない複雑な背景があります。
写真は聖シュテファンバジリカの上から見たブダペストの街です。ちょっとシャンゼリゼあたりに似ていませんか?
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朝起きたら天気予報通りの雪です。中庭が真っ白に。
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雪が降っているので今日はメインストリートのエルジェーベト通りを通ってアンドラーシ通りへ向かいます。
エルジェーベトは、オーストリア=ハンガリー二重帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の后でシシィと呼ばれています。絶世の美女だったとか。今でも人気の高い后です。 -
エルジェーベト通り沿いにはステキな建物があります。
こちらは「ニューヨーク・パレス・ブダペスト」ホテル。1894年建造の建物をリノベーションしてホテルになってます。 -
マダーチ劇場。ハンガリー国内で製作された演目だけでなく、「キャッツ」などのミュージカルの上演もしているそうです。
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ドイツ系ドラッグストアのロスマンが入ってるビルみたいですね。
日本が明治維新の頃にこんなビルが建っていたと考えると、それはすごいですね。 -
人気の恐怖の館はお休みでした。目的は向かい側にあるこのビルです。
リスト・フェレンツ記念博物館。 -
一階の共同アパートの入り口のドアを開けると黒いカーテンがあります。多分寒さよけです。カーテンを分けて入り、2番目のドアを開けると広い廊下。右手にガードマン。その隣にクロークがありましたのでジャケットと荷物を預けました。
そして二階へ上がります。 -
階段にはこの建物の主人公の生い立ちがボードで説明されていました。
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この建物の主は、そう、作曲家でありピアニストのフランツ・リストです。
ところでハンガリー語では日本と同じく苗字+名前の順になるので、リスト・フランツと呼ばれています。またフランツはドイツ語。ハンガリー語ではフェレンツと呼ばれています。 -
右の部屋はリストの居室だった所です。
フランツ・リストまたはリスト・フェレンツまたはピアノの魔術師(1811~1886)
生まれは当時のオーストリア帝国領土下ハンガリー王国(現在オーストリアのラィディング)ですが、実は生涯ハンガリー語を話せず、ドイツ語とフランス語を話しました。亡くなったのもドイツ。
両親は当時多かった中欧ドイツ殖民(父は北ドイツ出身のオーストリア系ハンガリー人、母は南ドイツ出身オーストリア人)でした。音楽史上ではドイツロマン派と分類されることが多いですが、ブダペストにはリストの音楽院が2つもあり、自身もハンガリー人と言っていましたし、今もハンガリーでは大切にされています。 -
左手の方にはリストに送られたピアノが陳列されていました。
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当時はまだピアノの発展段階で、小さな楽器メーカーが色々試作品を作り、リストに送ってきたようです。
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リストもまた楽器メーカーに、ピアノを所望していたようです。
リストは小さい頃から手を開く練習をしていたそうで、普通1オクターブ8度かせいぜい9度くらいしか弾けませんが、12度を弾いたそうです。そんな手で超絶技巧の曲の作曲をしたからでしょうか、リストの曲に出てくる速いパッセージは滑らかに弾くのが本当に難しいです。 -
沢山の私物を見たあと、部屋を出ると右手に150人ほどのコンサートホールがありました。
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ここでリストを始め教え子たちもコンサートをしたのでしょうね。
それにリストはピアノを教える教師を集めて無料の講習もしていたそうです。それはここでやったのかもしれません。 -
こちらは一階にある、リストの研究をする図書館です。
この建物は現在も音楽院として使われていて、建物のどこかからチェンバロで練習する音が聞こえていました。 -
これは恐らくリストが最も気に入っていたピアノではないでしょうか?
この日は雪の為、交通が結構大変なことになっていたので、キャシー達との約束は明日に延期して、アパートホテルに帰り午後はゆっくり過ごしました。 -
3日目の朝、今日は雪も止み、青空が見えています。
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Wesselenyi通りを通ってラコーツィ通りに合流し、エルジェーベト橋を目指します。
隣の地下鉄駅までも5分ほどでした。 -
道路になぜグランドピアノが?ここのカフェのもの?野ざらしですけどー
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古い建物が素敵な中をキョロキョロしながら歩きました。
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工事中の建物も多いです。新しく建てているわけではなく、リニューアルしている感じです。
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鎖橋の隣にあるエルジェーベト橋。ブダとペストを結ぶ7本の橋の1つ。橋のたもとにエルジェーベト(シシィ)の像があります。
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エルジェーベト橋の先には、聖ゲッレールト・モニュメントです。丘の中腹には聖人ゲッレールトの像が十字架を掲げているのが見えます。
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しかし風がとんでもなく強くて冷たいです。
ペストに戻ってきました。こうしてみると王宮が目立っていますね。
ボートツアーにも乗りたかったのですが、とにかく今日は北風が強くて無理。 -
これから橋の下の道へ出て、ブダペスト一の繁華街、ヴァーツィ通りへ向かいます。
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ヴァーツィ通りへ行く途中のビルのアート。自由ですねー。
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ヴァーツィ通りにある1858年創業のブダペストを代表するカフェ、ジェルボーです。
ウィーンの影響を受けてブダペストでもカフェ文化が花開きました。 -
なんと幸運にもテーブルが空いていました!
シャンデリアがお見事!! -
ここで少しブレーク。
ロココ様式の天井とシャンデリアが優美。
サーブしてくれる人も美人さんでした。 -
大理石のテーブル。
こちらはいろいろなケーキを少しずついただける旅行者に人気の一皿です。 -
ジェルボーは伝統的なケーキでエルジェーベト(シシィ)もここのスィーツを好んで食べたとか。
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スポンジケーキにウォルナッツとジャムを重ねたものにチョコレートトップ。
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スポンジケーキにヴァニラチョコレートクリーム、横にカラメルトップ。
味はジャムを挟んでいるというところはかなりオールドフッションなケーキで私的にはイマイチでした。
コーヒー、チップもいれて3000円弱くらいしたので、ハンガリーの物価から考えるととても高価と言えます。後でキャシーからあんなボッタクリでお茶したの!と叱られてしまいました。はい、観光客なのでそういうところでこそお茶したいんです。 -
クリスマス市には沢山の人がいました。
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聖イシュトヴァーン大聖堂(聖シュテファンバジリカ)の前のクリスマス市は特に大きくて賑わっていました。ここでキャシー達と合流。
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こちらのクリスマス市では子供達がスケートを楽しんでいました。
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楽しそう!
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バジリカの入り口のクーポラが見事です。
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ここも入口、出口にビニールで寒さよけをしています。
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バジリカの中を見学しましたが、たくさん観光客がいて写真は撮らず。
こちらは地下にあるクリプト。
この石棺はレプリカです。 -
葬儀を行う祭壇です。
1938年から45年の間にナチスドイツによってヨーロッパ占領が行われ、ハンガリーを含む20ケ国以上の国が支配されました。
1944年12月29日、ハンガリー軍とドイツ国防軍は、ソビエト赤軍・ルーマニア軍に包囲され、翌年2月無条件降伏しました。将兵は18万人対50万人。ハンガリー側ではドイツ国防軍を含め戦死、負傷、捕虜は15万人だったそうです。
ソビエト赤軍は2ヶ月後には、ウィーンも陥落させます。
そんな大きな大戦の後から甦った街は沢山ありますが、ブダペストもその一つです。 -
バジリカの上からブダペストの街並みを見ました。王宮が見えます。ブダ区です。
復興にすぐ着手できた国もありますが、まだ遅々として進まないところもあるようです。このバジリカの修復は、現在も続けられています。 -
ペスト区。
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さて、ランチはどこで?となり、ここにきました。
最近ブダペストで人気のバルカン料理店です。オスマン帝国に統治時代に影響を受けたスパイシーなバルカン料理を出しているそうです。 -
ちょっと変わったカフェなのですが、モンテネグロがセビリアから分離・独立したのは2006年と最近のことです。
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二階の窓からは一昨日見た観覧車が右の奥に見えます。
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ランチはどうしてもハンガリーの伝統的なスープ、グャーシュを食べて欲しいと。こちら。
ハンガリーのシンボル的なスープで、パプリカ、玉ねぎ、牛肉、じゃがいもを煮込んだものです。 -
パンといただきます。パンも美味しい。
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遅いランチの後、歩いてアパートに向かって散歩。アンドラーシ通りを通ると夜のイルミネーションが美しいです。
この後アパートでお茶をして、2人と別れました。 -
さて、さて、ついカードを使ってしまいフォリントがかなり残っています。消費するためアパートのそばにあるニューヨーク・パレス・ブダペストへやって来ました。この煌びやかさ!
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しかしカフェに入ると、なんと結構並んでいます!
並ぶのは嫌なので出てきましたが、こちらは宮殿のような豪華な内装で有名なカフェです。残念。 -
しょうがないので斜め向かいのスーパーにいってとにかくお土産を買いました。
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アサヒビールがこんなに売ってる!
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品揃えはすごいのですが、レジは少なめでいつも並んでいます。
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この他に空港でフォアグラの缶詰なども購入し、やっとフォリントを消化しました。しかしまだ旅の半分が終わったところなのにこんなバラマキ土産を買うなんて!結局重いので、自分でできるだけ消化する羽目に、、、(泣)
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キャシーからもらった彼女のお気に入りのパネットーネ(当然、イタリア製)、とても美味しそうなんだけれど、あまりにかさばるので、、、、
多分こちらはこのアパートホテルのレセプションの人に貰ってもらわないといけないなー、残念だなぁ、、、、最後の地ローマでパネットーネを買えばいいかな、と慰める。
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旅行記グループ 初東欧 201912月 ウィーンからドナウ川沿いをブダペストへ
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