天草諸島旅行記(ブログ) 一覧に戻る
前に島原城の天守閣から南の方を見たら有明海に浮かぶ天草の島々が輝いていた。これは是非見に行きたいと思い今回の旅行を組み立てることにした。五島に行ったときは隠れキリシタンの教会群を見たので今回は天草の崎津集落、長崎外海の大野集落、志津集落、平戸の春日集落をテーマに海と島の景観を楽しもうという趣旨。四歳上の先輩(ゴンガさん)との二人旅ということになり、2日に出て7日まで、無理せず予定通り回れた。<br />やはり日本は島国だとつくづく感じた。先ず本州(島)から九州(島)の熊本へ、其処から西の天草島、長崎を経て其の西北端の平戸島、更に平戸の北端にある生月島に行き、最後は伊万里、唐津を経て福岡までの旅行だった。その間熊本ー三角はA Train , 長崎―佐世保はシーサイドライナー、佐世保―福岡はレンタカー、三角ー上天草と下天草ー長崎は快速船、その他は観光タクシーを使った。<br />天草下田温泉、平戸、唐津に泊まるが、何れも海辺のホテルで部屋からの景色は最高で料理も美味しかった。長崎駅前のニュー長崎ホテルは居心地が良く地場の料理を前回同様楽しんだ。<br /><br />A Train、三角―松島(上天草)遊覧船<br /><br />熊本―三角は普通列車で1時間半程かかるのがこのA Trainという観光用の特急だと50分で三角に着く。途中御輿来海岸という所で有明海の干潟がみられる。幸い干潮で、其処は列車もゆっくり走る。正に海の棚田の様な絶景だった。<br /><br />三角から松島はほんの20分程の航海だが、1,200以上あるという島嶼の眺めを楽しめる。松島に着いたがタクシーが見当たらず、土産の店に入ってタクシーを呼んでもらう。此処から下天草の西海岸までは小一時間、上天草の海岸線を過ぎて下天草の本渡に入った後は深い山の中を走る。<br /><br />下田温泉―崎津集落―妙見浦―富岡(苓北)<br /><br />下田温泉は天草灘に面する小さな温泉街で旅館が13軒ほどあり、今回泊まったのは温泉街の端の海岸に面した大きなホテルだった。団体客でかなり賑わっていて驚いた。部屋は海に面しており天草灘が正面に見える。夕食は事前にオコゼ料理を依頼して置いたら、造りが一匹、唐揚げが一匹出てきた。それ以外にアワビの酒蒸し、サザエのアヒージョ、豚しゃぶ、等沢山出たので美味しいが食べきれなかった。酒は冷酒の300㏄の瓶を二本空けた。<br /><br />翌日は観光タクシーを雇い天草灘の観光に。ホテルの近くには<五足の靴>という明治の末、与謝野鉄幹が北原白秋等4人の学生と九州を旅行した際の紀行文の題名の入った石碑が有った。鉄幹と昌子の歌碑もそこら中にあり、十三万仏崎の碑が一番有名の様だが、其処から見る妙見浦の景色は素晴らしい。崎津集落は小さな漁港にあるが、港の直ぐ傍に古い教会が有った。教会のすぐ近くには諏訪神社があり、不思議に思う。其処から長崎の茂木に行く快速艇の出る苓北の富岡港まで海岸線を北上する。苓北に入ると大きな火力発電所があり、運転手さんの話だとかなり近辺の生態系に影響を及ぼしているとのこと。景観にも良くない。<br /><br />快速艇は45分の航海だが、後ろに天草の島々、右手は島原半島、先方には長崎の野母崎半島と橘湾が見える。生憎天気が余り良くなく、普賢岳は雲の中だった。茂木港から長崎駅までは山を一つ越えると市電の崇福寺の駅の先に出て来て全部で20分程度。<br /><br />長崎外海<br /><br />長崎は駅前のニュー長崎ホテルに泊まる。窓からは正面に稲佐山、左手には長崎港が見える。夕食は前回の滞在で気に入った<鳥政>というホテルの近くの焼鳥屋で食べる。此処の焼き鳥は種類が多く焼き場を囲むコの字型のカウンターの前は全部焼き鳥のネタが冷蔵ケースに入っている。ゴンガさんも気に入って沢山食べていた。翌朝は11時に外海観光の車を頼んであったので、時間が有ったので朝の散歩に近くの聖福寺と16聖人記念碑を見に行く。聖福寺はひっそりとした良い寺で、国の重要文化財が5つある。鐘楼は特に有名。<br /><br />小一時間で外海の大野集落に着き、先ず山の中にある殉教者を奉った枯松神社という小さな神社を見てから大野教会に行く。この協会は平屋の日本家屋であり堂内は板敷きの古い教室の様だった。瓦にクロスが焼き付けられている以外は、十字架はどこにもない。東シナ海を見下ろす丘の上にある遠藤周作記念館を見た後、志津集落に向かう。この地で布教をしていたドロ神父の教会は立派な建物で、中のステンドグラスも綺麗だった。ドロ神父が作った救助所も近くにあり、これは女子の孤児の職業訓練所で古い建物がそのまま残っている。屋根瓦にはやはりクロスが焼き付けられていた。ドロ神父がフランスから持ってきたという古い柱時計が印象に残った。<br /><br />早めに全ての見どころを回り終えて市内に帰る。運転手さんに諏訪神社の本殿の近くまで車で行けるか聞いたら行けるということで序に寄ってもらった。何しろ長崎は坂が多く前に亀山社中に行くにあたって大分苦労した。諏訪神社は階段を沢山登ると聞いていたので前回の滞在時来ていなかった。<br /><br />夜は ”のだ屋”という天ぷら屋に行く。ゴンガさんは余り乗り気ではなかったが、美味しい造りがでて, 一杯入ったこともあり機嫌も良くなった。天ぷらが出始めたら食べる際折角の美味しい衣を油が多いということで殆ど取ってしまう。なるほどそういうことかと納得した。食後は丸山町にある行きつけのクラブに行き、久しぶりにママさんと会い、ゴンガさん共々飲み過ぎた。<br /><br />長崎―佐世保―平戸<br /><br />シーサイドライナーの路線に以前にはシーボルトという特急が走っていたが今は格下げで普通快速になっている。大村を過ぎた辺りから大村湾の良い景色が出てくる。佐世保に近づくにつれ険しい海岸線になり、島も多くなる.佐世保の駅前でレンタカーを借りて平戸に向かう。平戸大橋を渡り、市街を抜けて島の西北端にある生月島に入る。小さな島だが海岸線のサンセットドライブが島を一周しており、先ず最北端の大ばえ灯台へ行き、塩俵の絶壁などを見て島を出る。其の南が春日集落で此処では教会は見当たらなかったが、春日の棚田がある。海辺に春日神社もあり其処の海岸線は見応えがある。<br />ホテルは平戸城の近くの海岸端にあり、部屋からは平戸城と平戸湾が見渡せる。<br /><br />夕食はアジ、カワハギ、イカの造りと、鯛のアラ煮、ぶりの塩焼き等で典型的な旅館食だったがまたも量が多すぎて完食できず。この旅館は空いており風呂は何時も貸し切りの様だった。<br /><br />翌日はまずオランダ商館跡、ザビエル教会堂(改修中で中に入れず)、松浦水軍の本拠の平戸城を見た後、平戸大橋を渡り田平教会へ行く。長崎、五島で沢山教会を見たが鉄川与助という人の作った教会が沢山あった。この田平教会はその最後に作られた教会とのことで、赤レンガの造りは長崎の大浦天主堂に似ていた。海を見渡す山の上にある、ひっそりと佇む大きな教会だった。<br /><br />伊万里―唐津<br /><br />松浦まで玄界灘を左に見て進み、其処から山中に入り暫くすると伊万里湾が見えてくる。この辺りで作られた陶磁器は有田焼、鍋島焼を含めて伊万里の港から出荷するので伊万里焼と総称していると聞いたが真偽の程は判らない。伊万里の大川内山だけでも沢山の窯がありそれぞれ違う陶器を作っており、近くの有田も同じようなことと思う。此処ではかなり大きな登り窯を見ることが出来た。年に一回のお祭りの際、火付けをするとのこと。マグカップが安売りで5,000円のものが2,000円になっていたので買ってみた。<br /><br />伊万里から唐津は30分程で、唐津の浜辺の虹ノ松原にあるホテルに泊まる。部屋は玄界灘の浜辺の直ぐ上で、虹ノ松原と浜の間にホテルは建っている。この松原には百万本以上の松があり、恐らく10キロ近く防風林として役目を果たしている。<br /><br />唐津の隣町の呼子は水イカの産地なので、唐津に来たら水イカの姿造りを食べようと思っていた。ホテルから車で10分程の<玄洋>という店に行き、水イカの造り、サザエの壺焼き、いた雲丹でさんざんハイボールを飲んだ後、最後にジャコメシで終わりにした。<br /><br />唐津―福岡<br /><br />唐津から福岡は一時間程で、市内までは問題なしに着いたが博多駅に行く道が複雑でナビが無かったら大変苦労すると思われた。神戸に新幹線で帰るゴンガさんを博多駅まで送り、その後空港で車を返し、羽田まで帰って来た。小金井に着いた後駅前の焼鳥屋で一杯飲んでから帰宅した。<br /><br />羽田への飛行機がちょっと遅れた以外は全て予定通りだった。<br />

天草―長崎―平戸―唐津

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2019/06/02 - 2019/06/07

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wushilan

wushilanさん

前に島原城の天守閣から南の方を見たら有明海に浮かぶ天草の島々が輝いていた。これは是非見に行きたいと思い今回の旅行を組み立てることにした。五島に行ったときは隠れキリシタンの教会群を見たので今回は天草の崎津集落、長崎外海の大野集落、志津集落、平戸の春日集落をテーマに海と島の景観を楽しもうという趣旨。四歳上の先輩(ゴンガさん)との二人旅ということになり、2日に出て7日まで、無理せず予定通り回れた。
やはり日本は島国だとつくづく感じた。先ず本州(島)から九州(島)の熊本へ、其処から西の天草島、長崎を経て其の西北端の平戸島、更に平戸の北端にある生月島に行き、最後は伊万里、唐津を経て福岡までの旅行だった。その間熊本ー三角はA Train , 長崎―佐世保はシーサイドライナー、佐世保―福岡はレンタカー、三角ー上天草と下天草ー長崎は快速船、その他は観光タクシーを使った。
天草下田温泉、平戸、唐津に泊まるが、何れも海辺のホテルで部屋からの景色は最高で料理も美味しかった。長崎駅前のニュー長崎ホテルは居心地が良く地場の料理を前回同様楽しんだ。

A Train、三角―松島(上天草)遊覧船

熊本―三角は普通列車で1時間半程かかるのがこのA Trainという観光用の特急だと50分で三角に着く。途中御輿来海岸という所で有明海の干潟がみられる。幸い干潮で、其処は列車もゆっくり走る。正に海の棚田の様な絶景だった。

三角から松島はほんの20分程の航海だが、1,200以上あるという島嶼の眺めを楽しめる。松島に着いたがタクシーが見当たらず、土産の店に入ってタクシーを呼んでもらう。此処から下天草の西海岸までは小一時間、上天草の海岸線を過ぎて下天草の本渡に入った後は深い山の中を走る。

下田温泉―崎津集落―妙見浦―富岡(苓北)

下田温泉は天草灘に面する小さな温泉街で旅館が13軒ほどあり、今回泊まったのは温泉街の端の海岸に面した大きなホテルだった。団体客でかなり賑わっていて驚いた。部屋は海に面しており天草灘が正面に見える。夕食は事前にオコゼ料理を依頼して置いたら、造りが一匹、唐揚げが一匹出てきた。それ以外にアワビの酒蒸し、サザエのアヒージョ、豚しゃぶ、等沢山出たので美味しいが食べきれなかった。酒は冷酒の300㏄の瓶を二本空けた。

翌日は観光タクシーを雇い天草灘の観光に。ホテルの近くには<五足の靴>という明治の末、与謝野鉄幹が北原白秋等4人の学生と九州を旅行した際の紀行文の題名の入った石碑が有った。鉄幹と昌子の歌碑もそこら中にあり、十三万仏崎の碑が一番有名の様だが、其処から見る妙見浦の景色は素晴らしい。崎津集落は小さな漁港にあるが、港の直ぐ傍に古い教会が有った。教会のすぐ近くには諏訪神社があり、不思議に思う。其処から長崎の茂木に行く快速艇の出る苓北の富岡港まで海岸線を北上する。苓北に入ると大きな火力発電所があり、運転手さんの話だとかなり近辺の生態系に影響を及ぼしているとのこと。景観にも良くない。

快速艇は45分の航海だが、後ろに天草の島々、右手は島原半島、先方には長崎の野母崎半島と橘湾が見える。生憎天気が余り良くなく、普賢岳は雲の中だった。茂木港から長崎駅までは山を一つ越えると市電の崇福寺の駅の先に出て来て全部で20分程度。

長崎外海

長崎は駅前のニュー長崎ホテルに泊まる。窓からは正面に稲佐山、左手には長崎港が見える。夕食は前回の滞在で気に入った<鳥政>というホテルの近くの焼鳥屋で食べる。此処の焼き鳥は種類が多く焼き場を囲むコの字型のカウンターの前は全部焼き鳥のネタが冷蔵ケースに入っている。ゴンガさんも気に入って沢山食べていた。翌朝は11時に外海観光の車を頼んであったので、時間が有ったので朝の散歩に近くの聖福寺と16聖人記念碑を見に行く。聖福寺はひっそりとした良い寺で、国の重要文化財が5つある。鐘楼は特に有名。

小一時間で外海の大野集落に着き、先ず山の中にある殉教者を奉った枯松神社という小さな神社を見てから大野教会に行く。この協会は平屋の日本家屋であり堂内は板敷きの古い教室の様だった。瓦にクロスが焼き付けられている以外は、十字架はどこにもない。東シナ海を見下ろす丘の上にある遠藤周作記念館を見た後、志津集落に向かう。この地で布教をしていたドロ神父の教会は立派な建物で、中のステンドグラスも綺麗だった。ドロ神父が作った救助所も近くにあり、これは女子の孤児の職業訓練所で古い建物がそのまま残っている。屋根瓦にはやはりクロスが焼き付けられていた。ドロ神父がフランスから持ってきたという古い柱時計が印象に残った。

早めに全ての見どころを回り終えて市内に帰る。運転手さんに諏訪神社の本殿の近くまで車で行けるか聞いたら行けるということで序に寄ってもらった。何しろ長崎は坂が多く前に亀山社中に行くにあたって大分苦労した。諏訪神社は階段を沢山登ると聞いていたので前回の滞在時来ていなかった。

夜は ”のだ屋”という天ぷら屋に行く。ゴンガさんは余り乗り気ではなかったが、美味しい造りがでて, 一杯入ったこともあり機嫌も良くなった。天ぷらが出始めたら食べる際折角の美味しい衣を油が多いということで殆ど取ってしまう。なるほどそういうことかと納得した。食後は丸山町にある行きつけのクラブに行き、久しぶりにママさんと会い、ゴンガさん共々飲み過ぎた。

長崎―佐世保―平戸

シーサイドライナーの路線に以前にはシーボルトという特急が走っていたが今は格下げで普通快速になっている。大村を過ぎた辺りから大村湾の良い景色が出てくる。佐世保に近づくにつれ険しい海岸線になり、島も多くなる.佐世保の駅前でレンタカーを借りて平戸に向かう。平戸大橋を渡り、市街を抜けて島の西北端にある生月島に入る。小さな島だが海岸線のサンセットドライブが島を一周しており、先ず最北端の大ばえ灯台へ行き、塩俵の絶壁などを見て島を出る。其の南が春日集落で此処では教会は見当たらなかったが、春日の棚田がある。海辺に春日神社もあり其処の海岸線は見応えがある。
ホテルは平戸城の近くの海岸端にあり、部屋からは平戸城と平戸湾が見渡せる。

夕食はアジ、カワハギ、イカの造りと、鯛のアラ煮、ぶりの塩焼き等で典型的な旅館食だったがまたも量が多すぎて完食できず。この旅館は空いており風呂は何時も貸し切りの様だった。

翌日はまずオランダ商館跡、ザビエル教会堂(改修中で中に入れず)、松浦水軍の本拠の平戸城を見た後、平戸大橋を渡り田平教会へ行く。長崎、五島で沢山教会を見たが鉄川与助という人の作った教会が沢山あった。この田平教会はその最後に作られた教会とのことで、赤レンガの造りは長崎の大浦天主堂に似ていた。海を見渡す山の上にある、ひっそりと佇む大きな教会だった。

伊万里―唐津

松浦まで玄界灘を左に見て進み、其処から山中に入り暫くすると伊万里湾が見えてくる。この辺りで作られた陶磁器は有田焼、鍋島焼を含めて伊万里の港から出荷するので伊万里焼と総称していると聞いたが真偽の程は判らない。伊万里の大川内山だけでも沢山の窯がありそれぞれ違う陶器を作っており、近くの有田も同じようなことと思う。此処ではかなり大きな登り窯を見ることが出来た。年に一回のお祭りの際、火付けをするとのこと。マグカップが安売りで5,000円のものが2,000円になっていたので買ってみた。

伊万里から唐津は30分程で、唐津の浜辺の虹ノ松原にあるホテルに泊まる。部屋は玄界灘の浜辺の直ぐ上で、虹ノ松原と浜の間にホテルは建っている。この松原には百万本以上の松があり、恐らく10キロ近く防風林として役目を果たしている。

唐津の隣町の呼子は水イカの産地なので、唐津に来たら水イカの姿造りを食べようと思っていた。ホテルから車で10分程の<玄洋>という店に行き、水イカの造り、サザエの壺焼き、いた雲丹でさんざんハイボールを飲んだ後、最後にジャコメシで終わりにした。

唐津―福岡

唐津から福岡は一時間程で、市内までは問題なしに着いたが博多駅に行く道が複雑でナビが無かったら大変苦労すると思われた。神戸に新幹線で帰るゴンガさんを博多駅まで送り、その後空港で車を返し、羽田まで帰って来た。小金井に着いた後駅前の焼鳥屋で一杯飲んでから帰宅した。

羽田への飛行機がちょっと遅れた以外は全て予定通りだった。

同行者
友人
交通手段
レンタカー タクシー ANAグループ JR特急 JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 有明海の干潟と今回の旅行の行程。

    有明海の干潟と今回の旅行の行程。

  • 天草西海岸

    天草西海岸

  • 苓北港と長崎聖福寺。

    苓北港と長崎聖福寺。

  • 長崎諏訪大社

    長崎諏訪大社

  • 平戸城、春日の棚田、ザビエル教会、生月島の灯台。

    平戸城、春日の棚田、ザビエル教会、生月島の灯台。

  • 田平教会、平戸大橋、平戸のホテルから見た朝日。

    田平教会、平戸大橋、平戸のホテルから見た朝日。

  • 伊万里の窯、唐津虹ノ松原のホテルからの眺め。

    伊万里の窯、唐津虹ノ松原のホテルからの眺め。

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