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初めてベトナムに行ったのは、1996年のゴールデンウィークでした。<br /><br />2週間の休暇を取って、サイゴンin ハノイout でベトナムを南から北に縦断しました。<br /><br /><br />このシリーズは、<br /><br />訪れた都市順に、<br /><br />サイゴン編 3泊<br />ニャチャン編 2泊<br />ダナン編 2泊<br />フエ編 2泊<br />ハノイ編 2泊<br />です。<br /><br />縦断後、ハノイから飛び立ち、中国返還前の香港、澳門に立ち寄ったのですが、その思い出は以前に書きました。<br />その話はこちらです。<br />https://4travel.jp/travelogue/11275413 <br /><br /><br />本編は、ダナン前編です。<br />ダナン後編は、ミーソン遺跡へのツーリング編です。<br />ダナンには、2泊しました。<br /><br /><br /><br />因みに、1996年の為替レートは、<br />1USドル=100円=10000ベトナムドン<br />と、奇跡のように計算しやすいレートでした。<br /><br />当時のベトナムの最高額紙幣は、20000ドン(200円)のコットン紙幣でした。<br /><br />100ドル両替すると、20000ドン札が50枚出てきて、財布がパンパンになりました。<br />しかも、食堂とか買い物で、20000ドンを差し出すと、お釣りないよぉ、の世界でした(=_=)<br /><br /><br />ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<br /><br />ニャチャンからダナンへのバス<br /><br /><br />サイゴン/ニャチャン同様に、Sinh Cafe シンカフェのバスだったと思います。<br />バンバスでした。<br /><br />定員は、7名ほど。<br />偶然にも私を含めて3人が日本人でした。<br /><br />1996年は、JALの関空/サイゴン線が就航した都市で、関西人にはベトナムブームだったようです。<br />ベトナムで出会った日本人のバックパッカーは、みんな関西弁でした。。。<br /><br />私も関西人の端くれでしたが、関東の生活が長くて、<br />ベトナムで関西弁が聴けて、もう感動(T_T)でした。<br /><br />バスに乗り合わせた関西弁の2人は、男性1人、女性1人。<br />みんな1人旅のバックパッカーでした。<br /><br />ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<br /><br />ダナンへの道<br /><br /><br />サイゴン/ニャチャン間と同様に、車がほとんど通っていませんでした。<br /><br />対向車は、稀。<br />前方のゆっくりのトラックに追いついては、キーンと追い越して行きました。<br />自家用車なんて、皆無でした。<br /><br /><br />景色を楽しんでのドライブだったのですが、<br />突然、振動で揺られました。<br />パンクでした(=_=)<br /><br />乗客のみんなはバンを降りて、タイヤ交換を待ちました。<br /><br />周りには何もなく、炎天下の道路脇で、待ちました(-_-)<br /><br /><br />1台のバス、ミニバスが通り過ぎていきました。<br /><br />バスの屋根には、荷物がてんこ盛りに積まれていました。<br />長距離バスでした。<br />ベトナム戦争映画のような風景でした。<br /><br />すげー、って目が点でした。<br /><br /><br />そんな、のんびりのバンバスの旅でした。<br /><br />ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<br /><br />ホイアンの街で休憩<br /><br /><br />ホイアンで休憩でしたが、3,4人がホイアンの歴史街方向に消えていきました。<br />乗り合わせた日本人の女の子も消えていきました。<br /><br />そのころホイアンは、まだ世界遺産ではなくて、無名の街でした。<br />でも、地球の歩き方に、昔、日本人町があったっていう記事は読んでいました。<br /><br />でも、こんな街に降りるなんて、マニアックだなぁと思いましたよ。。。<br /><br /><br />砂ぼこりの街でした。。。<br />舗装されてなかったのかなぁ。。。<br /><br /><br />ホイアンが世界遺産に登録されたのは、1999年です。<br /><br />ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<br /><br />ホイアンからダナンまで<br /><br /><br />現在は、ダナン/ホイアン間は、とってもいい道ができていて30分程ですが、1996年は、2時間弱かかりました。<br /><br />ダナンに着いた頃には、日は落ちていました。<br /><br /><br />バンバスで一緒だった日本人男性と、暗いダナンの街にホテル探しにトコトコ散歩でした。。。<br /><br /><br />ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<br /><br />泊まったホテルは、大理石ホテル<br /><br /><br />当時、ベトナムのホテル名って、ベトナム名と英語名の2つがありました。<br />英語名がマーブルホテルで、大理石ホテルでした。<br /><br />バンバスで意気投合した日本人男性とツインの部屋を取りました。<br /><br />そして、バックパックを部屋に放り込んで、夕食に街にくりだしました。<br /><br />マーブルホテルは、大通りに面していて、バイクの往来は激しかったです。<br /><br />ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<br /><br />お風呂椅子の青空食堂<br /><br /><br />夕食に出かけました。<br /><br />見つけたのは、青空屋台で、英語メニューもありました。<br />でも英語メニューって、外国人ボッタクリ料金なんですよねぇ。<br />ベトナム人は、もっと安い値段で食べているはずです。<br /><br />まあ、何でも1ドルでした。。。<br /><br />フォーを頼むと、おばちゃんがどこかにトコトコ<br />歩いて行きました。。。<br /><br /> (-_- どこかのお店に買いに行ったのでした。<br /><br />きっと安い値段でフォー屋さんに買いに行って、<br />値段もわからない外国人に1ドルで売りつけて、その差額が彼らの儲けなのです。。。<br /><br />一方、フォー屋さんは、英語が話せず、外国人相手に商売できないのでしょう。<br />フォーの売上が伸びて、ニッコリなのだと思います。<br /><br /><br /><br />関心したのが、自然サイクルでした。<br /><br /><br />他の東南アジア諸国同様に、骨とか残飯みたいなものは、床、道路に投げ捨てです。<br /><br />放し飼いの鶏、アヒル軍団が寄って来て、雑残飯をパクパクついばんでいました。<br />餌要らずです。<br />お客さんの食べカスですからねぇ。<br />勝手に育って行きます。<br /><br /> (*_*)ホー<br /><br />でも、君たちは、いずれ、チキンフォーか、アヒルフォーになる。。。<br />兎に角、食べられる。<br /><br />輪廻?<br />いえ、ベトナムの自然サイクルです。。。<br /><br />ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<br /><br />ダナンの大理石ホテルとは、<br /><br /><br />一緒に泊まることになった日本人とホテルに戻りました。<br /><br />ベッドは2つ。当たり前です。<br /><br />オンボロのエアコンがあったのですが、キリル文字(ロシア文字)で、使い方がわからず。。。<br /><br />ファンが天井にあったのですが、手が届くような高さでした。<br />天井でグルグル回るやつです。<br /><br />相棒となった彼は、タイのどこかで、同じような高さのファンの下で伸びをして、指に大怪我を負ったそうです。<br /><br />低い位置のファンには、ご用心です。<br /><br /><br />きっとレトロなホテルには、今も、あります。<br /><br />ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<br /><br />ミーソン遺跡への準備<br /><br /><br />相棒の彼も、ダナンに来た目的は、ミーソン遺跡でした。<br />でも行き方がわからず。。。<br /><br /><br />私が持ってきた地球の歩き方のベトナム編は、1995年バージョンでした。<br />まだ世界遺産ではなかったのですは、ミーソン遺跡が、始めの数ページで特集でした。<br />その頃の日本人バックパッカーの、ベトナムの旅のハイライトのひとつだったと思います。<br />が、地球の歩き方では、行き方が不明でした。<br />アホか(-_-*)<br /><br />一方、他に持ってきた英語バージョンのロンリープラネットには、地図は無いにせよ、<br />ダナンの街からミーソン遺跡までの道順が、詳しく載っていたのです。<br />距離、どこでどう曲がってとか、目印とか、とっても詳細でした。<br />それを元に、寝る前に、忠実に地図を書き上げました。<br /><br />(+_+)フフフ<br /><br />ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<br /><br />翌日、相棒と一緒にミーソン遺跡見学に、レンタルのスーパーカブで出かけました。<br />これが、もうハプニングいっぱいで、大爆笑の珍道中でした。<br /><br />この話は長くなるので、別編にします。<br /><br /><br />つづく<br />to be continued<br /><br />(+_+)フフフ<br />

1996年、初めてのベトナム。縦断。ダナン前編

18いいね!

1996/05/04 - 1996/05/04

896位(同エリア1903件中)

旅行記グループ ベトナム 1996 縦断の旅

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pal

palさん

初めてベトナムに行ったのは、1996年のゴールデンウィークでした。

2週間の休暇を取って、サイゴンin ハノイout でベトナムを南から北に縦断しました。


このシリーズは、

訪れた都市順に、

サイゴン編 3泊
ニャチャン編 2泊
ダナン編 2泊
フエ編 2泊
ハノイ編 2泊
です。

縦断後、ハノイから飛び立ち、中国返還前の香港、澳門に立ち寄ったのですが、その思い出は以前に書きました。
その話はこちらです。
https://4travel.jp/travelogue/11275413


本編は、ダナン前編です。
ダナン後編は、ミーソン遺跡へのツーリング編です。
ダナンには、2泊しました。



因みに、1996年の為替レートは、
1USドル=100円=10000ベトナムドン
と、奇跡のように計算しやすいレートでした。

当時のベトナムの最高額紙幣は、20000ドン(200円)のコットン紙幣でした。

100ドル両替すると、20000ドン札が50枚出てきて、財布がパンパンになりました。
しかも、食堂とか買い物で、20000ドンを差し出すと、お釣りないよぉ、の世界でした(=_=)


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ニャチャンからダナンへのバス


サイゴン/ニャチャン同様に、Sinh Cafe シンカフェのバスだったと思います。
バンバスでした。

定員は、7名ほど。
偶然にも私を含めて3人が日本人でした。

1996年は、JALの関空/サイゴン線が就航した都市で、関西人にはベトナムブームだったようです。
ベトナムで出会った日本人のバックパッカーは、みんな関西弁でした。。。

私も関西人の端くれでしたが、関東の生活が長くて、
ベトナムで関西弁が聴けて、もう感動(T_T)でした。

バスに乗り合わせた関西弁の2人は、男性1人、女性1人。
みんな1人旅のバックパッカーでした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ダナンへの道


サイゴン/ニャチャン間と同様に、車がほとんど通っていませんでした。

対向車は、稀。
前方のゆっくりのトラックに追いついては、キーンと追い越して行きました。
自家用車なんて、皆無でした。


景色を楽しんでのドライブだったのですが、
突然、振動で揺られました。
パンクでした(=_=)

乗客のみんなはバンを降りて、タイヤ交換を待ちました。

周りには何もなく、炎天下の道路脇で、待ちました(-_-)


1台のバス、ミニバスが通り過ぎていきました。

バスの屋根には、荷物がてんこ盛りに積まれていました。
長距離バスでした。
ベトナム戦争映画のような風景でした。

すげー、って目が点でした。


そんな、のんびりのバンバスの旅でした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ホイアンの街で休憩


ホイアンで休憩でしたが、3,4人がホイアンの歴史街方向に消えていきました。
乗り合わせた日本人の女の子も消えていきました。

そのころホイアンは、まだ世界遺産ではなくて、無名の街でした。
でも、地球の歩き方に、昔、日本人町があったっていう記事は読んでいました。

でも、こんな街に降りるなんて、マニアックだなぁと思いましたよ。。。


砂ぼこりの街でした。。。
舗装されてなかったのかなぁ。。。


ホイアンが世界遺産に登録されたのは、1999年です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ホイアンからダナンまで


現在は、ダナン/ホイアン間は、とってもいい道ができていて30分程ですが、1996年は、2時間弱かかりました。

ダナンに着いた頃には、日は落ちていました。


バンバスで一緒だった日本人男性と、暗いダナンの街にホテル探しにトコトコ散歩でした。。。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

泊まったホテルは、大理石ホテル


当時、ベトナムのホテル名って、ベトナム名と英語名の2つがありました。
英語名がマーブルホテルで、大理石ホテルでした。

バンバスで意気投合した日本人男性とツインの部屋を取りました。

そして、バックパックを部屋に放り込んで、夕食に街にくりだしました。

マーブルホテルは、大通りに面していて、バイクの往来は激しかったです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

お風呂椅子の青空食堂


夕食に出かけました。

見つけたのは、青空屋台で、英語メニューもありました。
でも英語メニューって、外国人ボッタクリ料金なんですよねぇ。
ベトナム人は、もっと安い値段で食べているはずです。

まあ、何でも1ドルでした。。。

フォーを頼むと、おばちゃんがどこかにトコトコ
歩いて行きました。。。

 (-_- どこかのお店に買いに行ったのでした。

きっと安い値段でフォー屋さんに買いに行って、
値段もわからない外国人に1ドルで売りつけて、その差額が彼らの儲けなのです。。。

一方、フォー屋さんは、英語が話せず、外国人相手に商売できないのでしょう。
フォーの売上が伸びて、ニッコリなのだと思います。



関心したのが、自然サイクルでした。


他の東南アジア諸国同様に、骨とか残飯みたいなものは、床、道路に投げ捨てです。

放し飼いの鶏、アヒル軍団が寄って来て、雑残飯をパクパクついばんでいました。
餌要らずです。
お客さんの食べカスですからねぇ。
勝手に育って行きます。

 (*_*)ホー

でも、君たちは、いずれ、チキンフォーか、アヒルフォーになる。。。
兎に角、食べられる。

輪廻?
いえ、ベトナムの自然サイクルです。。。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ダナンの大理石ホテルとは、


一緒に泊まることになった日本人とホテルに戻りました。

ベッドは2つ。当たり前です。

オンボロのエアコンがあったのですが、キリル文字(ロシア文字)で、使い方がわからず。。。

ファンが天井にあったのですが、手が届くような高さでした。
天井でグルグル回るやつです。

相棒となった彼は、タイのどこかで、同じような高さのファンの下で伸びをして、指に大怪我を負ったそうです。

低い位置のファンには、ご用心です。


きっとレトロなホテルには、今も、あります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ミーソン遺跡への準備


相棒の彼も、ダナンに来た目的は、ミーソン遺跡でした。
でも行き方がわからず。。。


私が持ってきた地球の歩き方のベトナム編は、1995年バージョンでした。
まだ世界遺産ではなかったのですは、ミーソン遺跡が、始めの数ページで特集でした。
その頃の日本人バックパッカーの、ベトナムの旅のハイライトのひとつだったと思います。
が、地球の歩き方では、行き方が不明でした。
アホか(-_-*)

一方、他に持ってきた英語バージョンのロンリープラネットには、地図は無いにせよ、
ダナンの街からミーソン遺跡までの道順が、詳しく載っていたのです。
距離、どこでどう曲がってとか、目印とか、とっても詳細でした。
それを元に、寝る前に、忠実に地図を書き上げました。

(+_+)フフフ

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

翌日、相棒と一緒にミーソン遺跡見学に、レンタルのスーパーカブで出かけました。
これが、もうハプニングいっぱいで、大爆笑の珍道中でした。

この話は長くなるので、別編にします。


つづく
to be continued

(+_+)フフフ

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