1996/05/04 - 1996/05/04
896位(同エリア1903件中)
palさん
初めてベトナムに行ったのは、1996年のゴールデンウィークでした。
2週間の休暇を取って、サイゴンin ハノイout でベトナムを南から北に縦断しました。
このシリーズは、
訪れた都市順に、
サイゴン編 3泊
ニャチャン編 2泊
ダナン編 2泊
フエ編 2泊
ハノイ編 2泊
です。
縦断後、ハノイから飛び立ち、中国返還前の香港、澳門に立ち寄ったのですが、その思い出は以前に書きました。
その話はこちらです。
https://4travel.jp/travelogue/11275413
本編は、ダナン前編です。
ダナン後編は、ミーソン遺跡へのツーリング編です。
ダナンには、2泊しました。
因みに、1996年の為替レートは、
1USドル=100円=10000ベトナムドン
と、奇跡のように計算しやすいレートでした。
当時のベトナムの最高額紙幣は、20000ドン(200円)のコットン紙幣でした。
100ドル両替すると、20000ドン札が50枚出てきて、財布がパンパンになりました。
しかも、食堂とか買い物で、20000ドンを差し出すと、お釣りないよぉ、の世界でした(=_=)
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ニャチャンからダナンへのバス
サイゴン/ニャチャン同様に、Sinh Cafe シンカフェのバスだったと思います。
バンバスでした。
定員は、7名ほど。
偶然にも私を含めて3人が日本人でした。
1996年は、JALの関空/サイゴン線が就航した都市で、関西人にはベトナムブームだったようです。
ベトナムで出会った日本人のバックパッカーは、みんな関西弁でした。。。
私も関西人の端くれでしたが、関東の生活が長くて、
ベトナムで関西弁が聴けて、もう感動(T_T)でした。
バスに乗り合わせた関西弁の2人は、男性1人、女性1人。
みんな1人旅のバックパッカーでした。
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ダナンへの道
サイゴン/ニャチャン間と同様に、車がほとんど通っていませんでした。
対向車は、稀。
前方のゆっくりのトラックに追いついては、キーンと追い越して行きました。
自家用車なんて、皆無でした。
景色を楽しんでのドライブだったのですが、
突然、振動で揺られました。
パンクでした(=_=)
乗客のみんなはバンを降りて、タイヤ交換を待ちました。
周りには何もなく、炎天下の道路脇で、待ちました(-_-)
1台のバス、ミニバスが通り過ぎていきました。
バスの屋根には、荷物がてんこ盛りに積まれていました。
長距離バスでした。
ベトナム戦争映画のような風景でした。
すげー、って目が点でした。
そんな、のんびりのバンバスの旅でした。
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ホイアンの街で休憩
ホイアンで休憩でしたが、3,4人がホイアンの歴史街方向に消えていきました。
乗り合わせた日本人の女の子も消えていきました。
そのころホイアンは、まだ世界遺産ではなくて、無名の街でした。
でも、地球の歩き方に、昔、日本人町があったっていう記事は読んでいました。
でも、こんな街に降りるなんて、マニアックだなぁと思いましたよ。。。
砂ぼこりの街でした。。。
舗装されてなかったのかなぁ。。。
ホイアンが世界遺産に登録されたのは、1999年です。
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ホイアンからダナンまで
現在は、ダナン/ホイアン間は、とってもいい道ができていて30分程ですが、1996年は、2時間弱かかりました。
ダナンに着いた頃には、日は落ちていました。
バンバスで一緒だった日本人男性と、暗いダナンの街にホテル探しにトコトコ散歩でした。。。
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泊まったホテルは、大理石ホテル
当時、ベトナムのホテル名って、ベトナム名と英語名の2つがありました。
英語名がマーブルホテルで、大理石ホテルでした。
バンバスで意気投合した日本人男性とツインの部屋を取りました。
そして、バックパックを部屋に放り込んで、夕食に街にくりだしました。
マーブルホテルは、大通りに面していて、バイクの往来は激しかったです。
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お風呂椅子の青空食堂
夕食に出かけました。
見つけたのは、青空屋台で、英語メニューもありました。
でも英語メニューって、外国人ボッタクリ料金なんですよねぇ。
ベトナム人は、もっと安い値段で食べているはずです。
まあ、何でも1ドルでした。。。
フォーを頼むと、おばちゃんがどこかにトコトコ
歩いて行きました。。。
(-_- どこかのお店に買いに行ったのでした。
きっと安い値段でフォー屋さんに買いに行って、
値段もわからない外国人に1ドルで売りつけて、その差額が彼らの儲けなのです。。。
一方、フォー屋さんは、英語が話せず、外国人相手に商売できないのでしょう。
フォーの売上が伸びて、ニッコリなのだと思います。
関心したのが、自然サイクルでした。
他の東南アジア諸国同様に、骨とか残飯みたいなものは、床、道路に投げ捨てです。
放し飼いの鶏、アヒル軍団が寄って来て、雑残飯をパクパクついばんでいました。
餌要らずです。
お客さんの食べカスですからねぇ。
勝手に育って行きます。
(*_*)ホー
でも、君たちは、いずれ、チキンフォーか、アヒルフォーになる。。。
兎に角、食べられる。
輪廻?
いえ、ベトナムの自然サイクルです。。。
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ダナンの大理石ホテルとは、
一緒に泊まることになった日本人とホテルに戻りました。
ベッドは2つ。当たり前です。
オンボロのエアコンがあったのですが、キリル文字(ロシア文字)で、使い方がわからず。。。
ファンが天井にあったのですが、手が届くような高さでした。
天井でグルグル回るやつです。
相棒となった彼は、タイのどこかで、同じような高さのファンの下で伸びをして、指に大怪我を負ったそうです。
低い位置のファンには、ご用心です。
きっとレトロなホテルには、今も、あります。
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ミーソン遺跡への準備
相棒の彼も、ダナンに来た目的は、ミーソン遺跡でした。
でも行き方がわからず。。。
私が持ってきた地球の歩き方のベトナム編は、1995年バージョンでした。
まだ世界遺産ではなかったのですは、ミーソン遺跡が、始めの数ページで特集でした。
その頃の日本人バックパッカーの、ベトナムの旅のハイライトのひとつだったと思います。
が、地球の歩き方では、行き方が不明でした。
アホか(-_-*)
一方、他に持ってきた英語バージョンのロンリープラネットには、地図は無いにせよ、
ダナンの街からミーソン遺跡までの道順が、詳しく載っていたのです。
距離、どこでどう曲がってとか、目印とか、とっても詳細でした。
それを元に、寝る前に、忠実に地図を書き上げました。
(+_+)フフフ
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翌日、相棒と一緒にミーソン遺跡見学に、レンタルのスーパーカブで出かけました。
これが、もうハプニングいっぱいで、大爆笑の珍道中でした。
この話は長くなるので、別編にします。
つづく
to be continued
(+_+)フフフ
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