1996/04/30 - 1996/05/02
2860位(同エリア7884件中)
palさん
初めてベトナムに行ったのは、1996年のゴールデンウィークでした。
2週間の休暇を取って、サイゴンin ハノイout でベトナムを南から北に縦断しました。
このシリーズには、写真はありません。
ありますけど、フィルム時代で、写真のスキャンが面倒なのです。。。
訪れた都市順に、
サイゴン編 3泊
ニャチャン編 2泊
ダナン編 2泊
フエ編 2泊
ハノイ編 2泊
です。
縦断後、ハノイから飛び立ち、中国返還前の香港、澳門に立ち寄ったのですが、その思い出は以前に書きました。
その話はこちらです。
https://4travel.jp/travelogue/11275413
本編は、サイゴン編です。
因みに、1996年の為替レートは、
1USドル=100円=10000ベトナムドン
と、奇跡のように計算しやすいレートでした。
当時のベトナムの最高額紙幣は、20000ドン(200円)のコットン紙幣でした。
100ドル両替すると、20000ドン札が50枚出てきて、財布がパンパンになりました。
しかも、食堂とか買い物で、20000ドンを差し出すと、お釣りないよぉ、の世界でした(=_=)
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香港からサイゴンへ、キャセイパシフィック航空で
往路の香港は、トランジットでした。
いつも行き当たりばったり旅で、
サイゴンから、ハノイまでどう行くかって、適当にしか考えていませんでした。
ベトナムでも縦断だと、誰が考えても同じルートです。
当時は、情報って少なかったですし、
細かいことを計画を立てても、うまく行かないって、そんなのは無意味だって、それまでの経験で知っていました。
旅のお供は、
地球の歩き方
と
奮発して買った、英語のロンリープラネット でした。
2週間休暇の配分は、
11日 ベトナム縦断
3日 香港
ベトナム縦断でなにかトラブルがあって、ハノイ到着が遅れても、
香港にたどり着けば、なんとか日本に帰国できるだろう、って発想でした。
香港は、中国返還前に見ておきたいって思いもありました。
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機内から初めて見た、サイゴンの夜景
サイゴン着は、夕方の多分7時か8時あたりで、もう真っ暗な時間でした。
飛行機は、高度を下げて、タンソンニャット空港に。
旋回して、眼下にサイゴンの街が広がりました。
これが、光が少なくって、暗い街でした。
蛍光灯ではなくって、40wぐらいの裸電球のような、ほの暗いオレンジ色の光に包まれていました。
ハッキリ言って、やべー、と思いました(=_=)
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初めてのタンソンニャット空港
そのターミナルは、今は、もうないです。
日本だと、地方都市空港のようなこじんまりとしたターミナルでした。
イミグレーションに歩いていると、日本人ビジネスマンに声をかけられました。
君、1人? 大丈夫?
かなり不安だったので、ラッキーでした。
その頃のタンソンニャット空港のイミグレーションって、今でいうと、ベトナム/ラオス国境とか、ベトナム/カンボジア国境のようなこじんまりとしたものでした。
ブースが確か1つだけで、もう激込みでした。
イミグレーションに到達するまで、心配してくれた日本人ビジネスマンが、タクシーの乗り方とか、なんのかんの、色々とベトナムの旅について指南してくれました。
これはとってもラッキーな出会いで、とても役立ちました。
さて、空港ターミナルの出口では、お迎えとか白タクの群衆が待ち構えていました。
ビジネスマンの指南がなければ、そこを突破してタクシーを見つけるのに苦労したと思います。
なんとかタクシーを見つけて、街にくりだしました(+_+)/
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初めてのタクシー
行き当たりばったり旅なので、宿を決めていませんでした。
まあ、いつものことです。
運ちゃんに、安いホテルに連れてって、とお願いしました。
英語が通じました。
灯りの乏しい道を、タクシーは、町中に走り始めました。
その頃も、バイクはいっぱいでした。
4/30で、南部解放記念日(サイゴン陥落の日)でした。
5/1は、メーデーで休日。
ベトナムは、プチゴールデンウィークでした。
その頃は、ヘルメットなんて被ってる人は皆無でした。
まだヘルメットは義務化されていない時代でした。
そして、まだマスク姿とか、女性の忍者姿もなかったと思います。
現在とは、ちょっと違うバイクの風景でした。
その頃のベトナム人の憧れは、Hondaが発売したての Honda Dream でした。
正に、ベトナム人の夢のバイクでした。
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初めてのベトナムのホテル
運ちゃんが連れて行ってくれたのは、20USDぐらいの綺麗なホテルでした。
現在の家族経営的なホテルよりも、もっといいホテルでした。
フロントには、アオザイお姉さんと、お兄さんがいました。
初めてアオザイ姿の女性を見て、もう、大感激でした。
英語が通じました。
部屋は、まあその値段なのでそれなりにですが、私にとっては小綺麗で満足でした。
部屋に手書きコピーで、ベトナム語と英語で注意書きが貼ってあって、ホウホウと英語の方を読みました。
爆笑したのが、ベトナムガールの連れ込みは禁止!!!
でした(*_*)
そう、ベトナムは社会主義国で、お厳しいのです。。。
その日は、夜の街歩きの雰囲気もわからず、
ホテルを確保して安心して、夕食抜きでそのままスヤスヤ就寝しました。
そこがサイゴンのどこらへんだったのかは、全く覚えていません。。。
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ホテルで国際電話事件
翌朝、
フロントで国際電話を掛けたいって頼みました。
家族に無事に着いたって連絡したかったんですよねぇ。
その頃は、フロントが電話局に電話して、国際回線に繋いでもらって、やっと通じるの時代でした。
もちろん高くて、3分、10USDぐらいだったと思います。
繋がるった、と思ったら、2秒ぐらいで、プツっと切れてしまいました。
フロントのアオザイお姉さんと、お兄さんは、それまでニコニコだったのが、一瞬で青ざめました。
申し訳ございません。3分固定料金で、2秒でも10ドルです。
私も青ざめました。。。
でも当時の10ドルって、多分、彼らの1週間分ぐらいの給料で、
彼らが青ざめたのは、当たり前でした。
彼らが悪いわけではなく、きっとオンボロ電話局の設備のせいです。
もし国際電話をかけたいのだったら、近くに電話局があるので、そこからお掛け下さい、とのことでした。
でも、とても行く気は起こりませんでした。。。
フロントのアオザイお姉さんは、2秒1000円に怒りもせずにいた私に興味津々のようでした。
お姉さんと書きましたが、20歳ぐらいの可愛い女の子でした。
英語で
私の名前は、Tao タオ(上がる声調)です。意味は、リンゴです。
今、英会話を勉強中です。
少し英語を教えて下さい。(ニコニコ)
(=_=)!?
あのぉ、私は日本人ですけどぉ。。。
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サイゴンでのミッション
1995年にサイゴンを旅行した高校時代の友だちに、1枚の写真を託されました。
写っていたのは、友だちとベトナム人で、フォー屋さんで撮ったようでした。
サイゴン行くんやったら、こいつに、この写真を届けてくれ。
このフォー屋さんの店員や。
(=_=)!? お前、アホか?
と、引き受けてしました。
お粗末な地図を描いてもらいました。
サイゴンでも地図を買いました。
初めてのサイゴンでフォー屋さん、人探しってアホか、と思いながら、サイゴンの街を散歩しました。
それが、そのフォー屋さんが奇跡的に見つかったんです。
でも、英語が全く通じませんでした。
店員さんに託された写真を見せると、英語を片言話せる店員さんを呼んでくれました。
彼曰く、そいつは
店を変わった。その店に連れて行ってあげる。
と、近くのフォー屋さんに連れて行ってもらいました。
写真に写っていたベトナム人がいました。
彼に託され写真を見せると、ビックリで大感激でした。
でも彼は英語が話せず、お互いにニコニコするだけでコミュニケーション取れず。。。
兎に角、彼に写真を渡して、ミッションコンプリートでした(+_+)///フフフ
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南ベトナムの旧大統領府
その昔は、仏インドシナの総督府です。
今は、統一記念堂?
英語では、Reunification Center でした。
その頃は、入り口に変な輩もいて、無視無視無視でチケットを買って、中に入りました。
見るからにオープンなのに、
今日は休館です、お好きなところにご案内します、
とか言っているアホもいました(-_-)
ここは、見る価値があります。
サイゴン陥落の日、大統領に1番乗りで大統領府に突っ込んだという戦車も展示されています。
その後、NHKで、特集を見ました。
ベトコン戦車隊は、初めてのサイゴンで道に迷ったそうです。
1番乗りは、実は別の戦車でした。
飾られているのは、2番乗りの戦車だそうです。
北ベトナムを支援していたのは、ソ連と中国でした。
1番乗り戦車は、中国製。
2番乗り戦車は、ソ連製。
政治的に、中国製戦車が1番乗りは、あかん、ってことで、なかったことになりました。
その後、
中国製戦車長は冷遇され、ソ連製戦車長は昇を重ねて英雄でした。
戦車隊が大統領府に突っ込んで、大統領府に北ベトナムの旗を立てる映像って、すぐに撮られた再現映像だそうです。
そんな歴史もあります。
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シクロ事件
当時のサイゴンは、そこらへんにシクロがいました。
三輪車で、お客さん席が前で、運ちゃんが後ろで漕ぐタイプです。
1時間1ドルって声をかけられたやつに、乗っちゃいました。
色々連れて行ってもらいました。
チャイナタウンの中国寺にも行きました。
サイゴンの5月って、むちゃくちゃ暑いです。
炎天下の中、運ちゃんお兄ちゃんは、一生懸命漕いでくれました。
ランチはおごりで、一緒に食べました。
当時はまだ Bia Saigon(サイゴンビール) は存在せず、缶の333ビールだけでした。
もちろん飲みました。
当時は、20000ドンが最高額紙幣でした。
缶333ビールは、10000ドンでした。
ベトナム人がおいそれと飲めるものではなかったのです。
もう、シクロ兄ちゃんは、大感激でした。
その後、またシクロドライブでした。
ずっとサイゴンで買ったサイゴン地図を見ながら走ってもらって、自分がどこにいるのか確認していました。
が、なんか、橋を渡って、いつのまにか地図の外を走っていました。
通りには、バラックみたいな小屋が並んでいて、その1つ1つから、お姉さんが手を振っていました。
何じゃこりゃ(+_+)!?
あっつ、これって、置屋街(=_=)
次は、日本大使館(いえ、領事館)に行けぇ、とリクエストすると、運ちゃんは、チェっとつぶやいてUターンでした。
この兄ちゃんへの信頼は、一瞬で消え去りました。
街中に戻って来て、偶然レックスホテルの近くを通りがかりました。
超ラッキーでした。
と言うのは、当時レックスホテル近辺は、シクロ進入禁止地帯だったのです。
兄ちゃんにここで降ろして、と言いました。
兄ちゃんシャアシャア曰く、
100ドルです。
(-_-)アホか
もうブチ切れです。5時間弱だったので、払っても5ドルです。
だって、1時間1ドルって、言われました。
口論になりましたが、アホらしいので、
4ドルを投げるように渡して、私は、スタスタとシクロ進入禁止区域にスタスタ早足で歩いて行きました。
昼間も奢りましたし、まあそんなもんですなぁ。
シクロ進入禁止地帯に彼は愛車のシクロで入ることはできません。
地団駄踏んでいました。
(+_+)フフフ
レックスホテル付近は、シクロ進入禁止っていうのは、地球の歩き方の情報でした。
ありがとう、地球の歩き方(^_^)///
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クチトンネルツアー
当時のシンカフェでツアーを頼みました。
当時は、500円程度でした。
バスは日本のお古のオンボロバスで、懐かしかったです。
クチトンネルは、ベトナム戦争時、ベトコンが掘りまくった要塞兼トンネルの街です。
米軍はエージェントオレンジ(枯葉剤)をばらまきました。
ツアーガイドのおっちゃんは、元南ベトナム軍人で、米軍と一緒に戦った人でした。
サイゴン陥落後、思想教育キャンプに送られたそうです。
英語達者なので、今は、ガイドで生計をたてているとのことでした。
クチトンネルでは、可愛い女の子の司会で、最初にオリエンテーションのショートムービーを見せられました。
お客さんは、ほぼみんなバックパッカーの西洋人でした。
ショートムービー終了後、司会の女の子は、
こうして私たちは、南ベトナムを解放しました、とキラキラお目々で自信たっぷりのコメントでオリエンテーションが終了でした。
それがとっても印象的でした。
西側の日本人としては、サイゴン陥落って考えしかなかったので、驚きでした。
最近のクチトンネルツアーの旅行記を読みました。
写真を見ると、当時とは比べ物にならないほど展示物が充実しているようです。
クチトンネルツアーは、
女性さえも、いかに戦ったかって、
戦争の悲惨さを感じれる体験ができます。。。
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初めてのビアホイ
アオザイのリンゴちゃんのホテルには、2泊しました。
そこから当時のバックパッカーのメイン通りのファングラオ通りに宿を変えました。
翌日に、ファングラオ通り発、ニャチャン行きのバスを、シンカフェで予約していてからです。
当時のファングラオ通りは、真っ暗でした。
ちょっと怖くても、お腹が空いたら、真っ暗な街に夕食です。
通りがかった、青空飲み屋のお風呂椅子に陣取りました。
食事は、困るんです。
英語メニューって、外国人を当て込んだお店にはありましたが、写真はなく、せいぜい10品ぐらいしかありませんでした。
でも、3日目には、お気に入りが決まっていました。
チャージョー 小さな揚げ春巻き。いつも10個
空芯菜の炒め物 これは、台湾旅行で覚えました。サイゴン風は、ニンニクがいっぱいで、台湾風とちょっと違います。
333ビール
みんな1ドルでした。
でもこれって外国人値段だったと思います。
地元民は、もっと安く食べられたはずです。
その入った青空飲み屋では、頼んでいない1リットルぐらいのペットボトルが運ばれてきました。
中身は、琥珀色。
冷えてない。
お茶かなぁ、って飲んでみると、ん(-_-)?何じゃこりゃ???
ほのかに微炭酸のような。。。
気の抜けた薄いビール?
それがビアホイとの出会いでした。
現在、ファングラオ通り、ブイヴィエン通りから安いビアホイは、完全に駆逐されました。
ハノイでは、冷えた炭酸いっぱいの美味しいビアホイを楽しめます(^_^)///
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次作は、ニャチャン編です(+_+)///
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