1996/05/04 - 1996/05/04
1312位(同エリア2290件中)
palさん
初めてベトナムに行ったのは、1996年のゴールデンウィークでした。
2週間の休暇を取って、サイゴンin ハノイout でベトナムを南から北に縦断しました。
このシリーズは、
訪れた都市順に、
サイゴン編 3泊
ニャチャン編 2泊
ダナン編 2泊
フエ編 2泊
ハノイ編 2泊
です。
縦断後、ハノイから飛び立ち、中国返還前の香港、澳門に立ち寄ったのですが、その思い出は以前に書きました。
その話はこちらです。
https://4travel.jp/travelogue/11275413
本編は、ダナン後編です。
ダナン後編は、ミーソン遺跡へのツーリング編です。
ダナンには、2泊しました。
因みに、1996年の為替レートは、
1USドル=100円=10000ベトナムドン
と、奇跡のように計算しやすいレートでした。
当時のベトナムの最高額紙幣は、20000ドン(200円)のコットン紙幣でした。
100ドル両替すると、20000ドン札が50枚出てきて、財布がパンパンになりました。
しかも、食堂とか買い物で、20000ドンを差し出すと、お釣りないよぉ、の世界でした(=_=)
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ミーソン遺跡とは、
ベトナム中部にあったチャンパ王国(192年~1832年)の聖域の遺跡です。
バイクで向かうことにしました。
wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3%E8%81%96%E5%9F%9F
写真
https://www.google.com/search?q=%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3%E9%81%BA%E8%B7%A1&client=tablet-unknown&prmd=minv&sxsrf=ACYBGNRyf9OvpJMAMHDS40izc6fIyA_Qig:1572208753285&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwj6goKCpr3lAhWG7WEKHf-UBXAQ_AUIGSgC&biw=962&bih=601
1999年に、世界遺産に登録されました。
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早朝に、スーパーカブを借りる
滞在していたマーブルホテルの近くに、レンタルバイク屋さんがありました。
前日の夜に目星をつけていたのです。
オンボロのスーパーカブでした。
でも、Hondaの名車です。
1リットル40キロぐらいかなぁ?もしかしたら60キロ走るかもぉ(*_*)
大したチェックもせずに、借りました。
そのころは、ヘルメットは義務ではなかったので、貸し出しのヘルメットはありませんでした。
ニャチャンからのバスで出会った相棒は、バンダナを頭に巻いて、
私は、ノン(ベトナム菅笠)を被って、
いざ、出陣(+_+)///目指すは、ミーソン遺跡!!!!!!!
出陣~~~~~~~~~~ん(^_^)/////
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ガソリンスタンドで給油
私は、バイクの中免を持っていましたが、マニュアルとフルオートマティック(スクーター)しか乗ったことがありませんでした。
セミオートマティクのカブをどう運転するのかわからなくて、最初は大変でした。
チェンジペダルがあるのに、何故クラッチレバーがないのじゃ(*_*)!?
最初は、ギアチェンジの度にギクシャクしてトロトロ走行でした。。。
そのうちギアチェンジするときには、スロットルを戻せばいいとわかってきました。
先ず、レンタルバイク屋さんが教えてくれたガソリンスタンドに向かいました。
ガソリンスタンドの兄ちゃんは、タバコを咥えながら給油していました。。。
(=_=)
後ろに下がりましたよ。。。
タンクを満タンにした後、
ダナンの街から抜けるのに、ちょっと迷ってしまいました。
街を抜けると、快調でした。
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ダナン郊外の農道でガス欠(=_=)/
ようやくダナンの街を抜けました。
今は、ホイアンまでとってもいい舗装道路がありますが、当時は、ありませんでした。
ロンリープラネットの記事を元に作った地図の通りに進むと、のどかな田園風景でした。
地図を持っている私が先頭で、相棒が後続でした。
相棒が、待って、と声をかけてきました。
なんとガス欠でした。
さっき満タンにして、数キロしか走っていないのに(=_=)ありえない。。。
スーパーカブのタンクは、4リットルぐらい?
200キロぐらいは走れるはずです。。。
まだ、数キロしか走っていませんでした。。。
しょうがないので、2人で農道をカブを押してトボトボ歩きました。
そこにトラックターが通りがかりました。
荷台には、藁がてんこ盛りで、男がその上に乗っていて、私たちを見てニコニコしていました。
そして、ポーンと1mちょっとの縄を投げてくれたんです。
一瞬、なんのことかわかりませんでした。
が、はっと気づきました。
もう、大感激でした(^_^)///
牽引すればいいのです。
バイク同士を縄で繋いで、農道をトロトロと牽引で進みました。
私がガス欠カブを牽引しました。
(+_+)/フフフ
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農道のペットボトル
ダナンの街中にはガソリンスタンドがありましたが、それも珍しい存在でした。
郊外に出ると、ガソリンスタンドなんてありません。
雑貨屋さんとか、何もない民家でも、1リットルのガソリン入のペットボトルが置いてありました。
そんなところたどり着きました。
タンクに漏斗で給油でした。
牽引で使った紐は捨てられません。
またガス欠になるはずです。
案の定、というか、今度は私のカブが、ガス欠になりました(=_=)
牽引するまでもなく、ペットボトルガソリンが見つかりました。
スーパーカブの燃費がそんなに悪くなるなんて思えないし、
混ぜもの入りのガソリンだったのかなぁ、と思います。
ペットボトルガソリンの前を通りがかる度に、給油するかなぁ、とガス欠注意のツーリングとなりました。。。
今でも、山奥に行くと、ペットボトル ガソリンスタンドがあります。
でも炎天下に、ペットボトルっていうのは危ないですよねぇ。。。
中で揮発していて、とっても危ないはずです。
さて、その後、私のカブがプスプスでガス欠寸前になりました(=_=)
完全ガス欠になる前に、ペットボトル ガソリンスタンド発見(+_+)フフフ
ペットボトルガソリン給油をしながら、ツーリングを続けました。
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ミーソン遺跡に到着
田園風景、街、村を通り抜けて、ミーソン遺跡に到着しました。
ロンリープラネットの記事から作った地図は、とっても正確でした(+_+)フフフ
現在のミーソン遺跡には、観光バス、ツアーが押し寄せています。
2012年に再訪したときには、すっかり整備されていてビックリでした。
遺跡近くまで電気カートも走っていました。。。
1996年には、バラックのチケット売り場しかありませんでした。
しかも、先客は、バイク2台だけでした。
訪れる人は稀だったのです。
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ミーソン遺跡見学
当時のロンリープラネットには、
道を外れるな !
Bom 爆弾があるかもしれない。
と書いてありました。
不発弾とは書いてなくて、ただ、爆弾と書いてありました。
そして、牛が放牧されているかもしれないが、それはbomを見つけてくれる牛だと書いてありました。。。
ほんまでっか(*_*)!?
爆弾とは、ナパーム弾?クラスタ爆弾から飛び散った小型爆弾ボンビー?地雷?
処理は完全に終わってないの(=_=)!?
ジャングル小道を外れないように、恐る恐る遺跡群方向に前進しました。
ミーソン遺跡は広大で、A群からH群に別れています。
全部、ゆっくり見学しました。
米軍の爆撃で半壊しているようなものもありました。
出会ったバックパッカーは、2人ぐらいでした。
2012年にホイアンからのツアーでミーソン遺跡を再訪しました。
観光客で溢れかえっていてビックリしました。
英語ガイド付きで遺跡の説明があったのはいいのですが、見学したのは広大な遺跡の中のごく一部でした。
全部ゆっくりと見学したい人は、プライベートで訪れるしかないと思います。
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遺跡見学後の不快事件(-_-*)
見学を終えて、ジャングル小道を通って、地雷も踏まず、無事に入り口まで戻って来ました。
男2人と低学年の小学生ぐらいの男の子が、私たちのカブの横にいました。
1人の男が英語で曰く、
バイクを修理しておきました。
なんですと(+_+)!?
と、多分、なにかゆるんでいたところを針金で留めたところを見せてくれました。
そして、
この子が修理したんですよ。
と男の子を指差しました。
ありえない。。。
男は、ニコニコして、ご褒美に、5ドルあげて下さい、
と、しゃあしゃあとぬかしよりました。
修理なんて、頼んどらん(-_-*)
ちょっと話し合いましたが、
アホらしいので、相棒に日本語で行くぞ、声をかけました。
エンジンをかけて、中指をおったてて、走り去りました。
全く、子どもを出しに使う詐欺まがい行為とは、かなりムカつきました(-_-*)
後味の悪い、遺跡との別れでした。
因みに2016年にフーコック島で借りたバイクがパンクしてしまいました。
修理屋さんは、たった20000ドン(100円)でした。。。
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ホイアンの日本人の墓に立ち寄る
ホイアンは1999年に世界遺産になって、現在は日本人にも人気の街です。
当時の地球の歩き方は、2, 3ページの扱いでした。
気になったのは、日本人のお墓の記事でした。
鎖国で日本に帰れなくて、客死した日本人商人のお墓です。
ダナンの街に戻る前に、そこに寄ろうということになりました。
お墓の場所は、地球の歩き方のホイアンの地図から外にはずれていました。
その欄外の方向に行くと村がありました。
更に行くと村の外れで、広大な田んぼが広がっていていました。
途方に暮れていると、
10人ぐらいの子どもたちに囲まれてしまいました(-_-)
駄目元で聞いてみました。
Japan と言って、両手を合わせて拝む仕草をしました。
すると子供たちは、あっちー、と田んぼを指差してくれました。
ありがとう(^_^)///
と、立ち去ろうとしたのですが、
子供たちは、私のカブのシートに座ったり、ハンドルとシートの間に入り込んできたり、、、
5人か、6人乗りになりました(=_=)
運転する私の前に1人か2人、私の後ろに3人です。
相棒のカブも同じでした。。。
(=_=)
しょうがないので、農道を超低速でトロトロと子供たちが教えてくれる方向に進みました。
あぜ道も通って行きました。
みんな、落ちるなよぉ(+_+)///
お墓は、2基ありました。
2つは離れた場所で、どちらも田んぼの中にポツンとありました。
私たちは、ベトナムへ、飛行機でひとっ飛び。
そして、バスとバイクで簡単に来ました。
お墓の主は、死と隣合わせの大航海で、ホイアンにたどり着いたんでしょうねぇ。
日の本の国に帰りたかったでしょうねぇ。
南無~~~~~~~~です。
今、大量にホイアンに押し寄せる日本人観光客を極楽から覗いて、ニッコリ微笑んでいるでしょう。
お墓に案内してくれた子供たちは、田んぼの中の日本人の墓を守り続けている村の子供たちでした。
きっと迷い込んできた日本人バックパッカーを見つけては、案内しているんでしょうね。
子供たちの遊びです。。。
ーーーーーーー
おまけ
遣唐使の安倍仲麻呂は、唐のプーさん皇帝に重用されました。
プーさんに派遣されて、総督となったのは、その頃のプーさん帝国支配下の北のベトナムの地でした。
その頃、すぐ南には、巨大なチャンパ王国がありました。
ミーソン遺跡のチャム族のチャンパ王国です。
安倍仲麻呂は、総督を勤め上げて、プーさん皇帝にお暇をもらって、
日出処に帰ろうとしましたが、2度難破でどこかに漂着。
私は漂着したのは、プーさん帝国のどこかだと思っていましたが、
それは、ベトナムだったそうです。
天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも
ですねぇ。。。
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ダナンの街への帰り道、迷子になる(=_=)
日本人のお墓を案内してくれた子供たちと分かれる頃には、薄暗くなっていました。
相棒は、子供たちにガムを配りました。
バイバイ、墓守の村の子供たち。
さて、暗くなってきたので、カブのヘッドライトのスイッチを入れたのですが、
なんと、壊れていました(=_=)
それまでずっと先導していたのですが、相棒と先頭を交代しました。
無灯の私は、相棒のカブの赤いテールランプを追走するだけでした。。。
もうダナンの街に近いはずなのに、また村でした。
相棒は、構わず進みました。
真っ暗な道でした。
アホです。。。
それは、ダナンの街を流れている川の対岸だったのです。。。
今は、ミーケビーチとかあって、リゾート地なのですが、当時は、真っ暗な農村でした。。。
今は、ドラゴン橋とか他にもライトアップされる橋が2本かかっていますが、当時は、ありませんでした。
もっと上流の橋しかなかったのです。
そこを渡って対岸に行っちゃたんです。。。
相棒のバイク追走に集中していて、行きに渡らなかった橋を渡っても気づきませんでした。
アホです(=_=)/
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相棒がダナンの街で迷子になる(@_@)/
ダナンの街に戻って来ました。
街のほのかな光が懐かしかったです。
バイクがいっぱい走っていました。
うれしくなっちゃって、相棒がスピードをあげて爆走し始めました。
アホか(=_=)
私は、無灯でスピードが出せず、置いてきぼりとなりました。
相棒は、ダナンの街に消えました。。。
アホです。
ホテルの名刺は、私しか持っていなかったんですよねぇ。
私はホテルに帰れますが、相棒は迷子となりました。。。
迷子になったら、動き回るのは得策ではありません。
いや、私が迷子ではないのですが、その場の路肩に駐車して、一服スパスパです。
どうしようスパスパ。
現在ならスマホがありますが、そんなものはない時代でした。
このまま戻って来なかったらどうしようスパスパ。
見捨てるわけにも行かないしなぁスパスパ。
(=_=)
10分ほどして、通りがかる相棒のカブを発見しました(+_+)///おーい、ここだ!!!!!
もう、相棒の血相をかかえた顔は、大爆笑ものでした(^_^)キャハハハ
と言うわけで、再会して、無事にダナンのホテルに帰還しました(+_+)/フフフ
ーーーーーーーーーーーーー
この日は、数ある旅の中で、1番長く、忘れられない1日です。
翌日は、ベトナム最後の王朝の阮朝(1802年~1945年)の都だった、フエに向かいます。
つづく
to be continued
(+_+)/フフフ
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