2011/09/23 - 2011/09/26
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パンダ番長さん
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- Q&A回答0件
- 10,215アクセス
- フォロワー2人
無錫・蘇州・上海旅行の3日目。無錫から周荘観光から上海へ移動。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
PR
-
<観光2日目の朝とホテルでの朝食>
朝6時前に起床する。窓の外を見ると、今日も天気が良い様だ。
テレビを見ながら、身支度を整える。そして、少し早いが6時20分過ぎに2階のレストランに下りる。2階のレストランは既に開いていた。
レストラン入口で、ルームキーを見せ、レストラン内に入る。今日は一番乗りである。
まだ誰もいない。昨日と同じ場所に席を決め、料理を取りに席を立つ。
当たり前ではあるが、料理は昨日と同じメニューである。昨日と違うのは、今日は料理人が麺類を客の要望に応じて作ってくれる様である。昨日は、ここでは水餃子を作っていた。
最後にこの麺類をお願いする事にしよう。
まずは、お決まりの野菜類やソーセージなどを取り、席で食べる。昨日よりも少し量は控え目にして、最後に麺料理を貰いに行く。麺料理は2種類あり、日本のラーメンの様な麺と少し細いきしめんの様な麺である。私は細いきしめんの様な麺を選択し、お願いする。
具は数種の野菜とワンタンである。所謂、ワンタン麺である。席に戻り、その麺を食べる。 -
スープは非常にあっさりとしたもので、ワンタンも海老ワンタンである。非常にスープにあった具である。麺は腰もなく、柔らかい麺でお世辞にも美味しいものではないが、スープと具は美味しかった。
その麺を食べ終わり、食事を終える。早く来過ぎたのか、同じツアーの人達はまだ誰もレストランに来ない。時刻は7時前である。早々に食事を終え、部屋に戻る。
レストランを出たところで、若いOL2人組がレストランに現れた。朝の挨拶をし、エレベーターで部屋に戻る。部屋に戻り、昨日荷物の整理を行っていたので、もう集合時間まで何もする事もないので、暫くテレビを見て、少し早いが7時15分頃に部屋を出て、1階フロントに下りる。
ホテルフロントでチェックアウトを済ませ、玄関ロビーに移動する。 -
そこで梁さんがいるのを見つけ、朝の挨拶を行う。
気になったのは、梁さんの服装が最初の日から同じ事である。
また、背負っているリュックも同じものの様である。見れば、髪飾りのリボンも汚れている。中国の女の子にしても、若い女の子にしては、この様な事は珍しい。
一緒に玄関ロビーのソファに座り、みんなが集合するのを待つ。少しすると、4人姉妹のおばさん達が現れ、その後若いOL2人組が現れ、再び、私に朝の挨拶を行い、昨日のお礼を言って来た。
その後、その若いOL2人組と話を始まる。
その若いOL2人組も梁さんの服装やリュックは気になっていた様で、私以上に細かな観察を行っていた。その背負っているリュックはミニーマウスを模した物であるが、使い込んでいるせいか、既に鼻の部分が取れ、汚れも酷く、ファスナーの取手部分も無くなっていると言う。
2人の話によると、多分このリュックしか持っていないのではないかと言う事であった。普通なら取手が無くなった様なものは使わないと言う。
また、髪飾りの汚れも気が付いていた様で、他に持っていないのかも知れないと言う。
確かに、日本語も満足に喋れないのに日本人のツアー客相手のアルバイトを行っている事自体が不自然である。余程お金に困り、割りの良いアルバイトとして行っているのか、または他に出来るアルバイトがないのかは判らないが、非常に不自然ではある。
その事を聞きたいが、こちらも中国語が判らないので、コミュニケ-ションを取る手段がない。
こちらが英語で少し質問をするが、その英語も殆ど判らない様である。
そうこうしている内に、みんなが集合し、バスに乗り込む為にホテルを出る事になった。
バスは既にホテル玄関前に止まっている。バスの運転手に旅行カバンを預け、バスに乗り込む。 -
<水郷古鎮の周荘観光>
今日は、上海方面に向かう途中で、水郷の街である周荘を訪れる予定だ。時刻は7時35分である。
バスはホテルを出て、無錫の街中を走り始める。バスは直ぐに無錫郊外に差し掛かり、そこから高速道路に乗り、この無錫の街の大半を占める太湖に沿いに走る。
この太湖が見えている間は起きていたが、高速道路が太湖から離れた時点で寝てしまう。
次に目が覚めた時には既に高速道路を下り、大きな街路樹並ぶ道をバスが走っていた。時刻は8時40分である。もうホテルを出てから、1時間以上経っている。この辺りは既に周荘の近くの様である。唐さんがマイクを持ち、説明を始める。
「もう直ぐ、周荘の街に到着します。この先で橋を渡ると周荘の街です。」と言う。
すると前方に大きな塔が見えて来る。この塔が周荘の街のランドマーク的な塔なのであろうか?
バスは橋を渡り、その塔の脇を抜け、更に街の奥に進む。そこから少し街中を走り、大きな駐車場の様なところに入り、その中でバスが停車する。
ここで唐さんが周荘の入場手続きを行う様である。その間にトイレに行きたい人は、行く様に唐さんから言われ、みんながバスを降りる。
バスの停車した直ぐ近くには、土産物や飲物などを売る店が並び、その横に公共のトイレがある。 -
その店の上には、“周荘旅遊票務中心“の文字が見える。
その店前辺りで待っていると唐さんが戻り、全員が揃っている事を確認し、再びバスに乗る様に言われる。周荘の観光地域はまだ、ここから少し距離がある様だ。
そして、バスは再び周荘の街中を少し走り、道を左に曲がったところで、バスが道路脇に止まる。ここでバスを降りるのである。時刻は丁度9時である。
ここからは歩いて行く様である。
バスを降り、この通りを進むと前方に運河に架かる橋が見えて来た。この橋の上からは運河とその運河沿いに並ぶ周荘の街並みが良く見える。
これから、この見えている運河沿いの街内を巡るのである。ガイドブックの地図では、この橋は蜆江橋と言う橋である。この蜆江橋を渡り、その運河沿いの路に入る。 -
この路沿いには、この周荘の名物料理と言うものの店が並ぶ。その名物料理とは、“万三蹄”というものである。これは、豚のもも肉を醤油煮込みにしたものである。店には、その豚のもも肉の醤油煮込みが並んでいる。この同じ“万三蹄”を売る店が軒を連ねている。
周荘という街は、元から明の時代に大いに栄えた。この時代に周荘を有名にしたのが、商人の沈万三(元々は「瀋万三」であるが、「瀋」の字は、文化大革命で簡体字が生まれて以降、「沈」になった。)である。この沈万三の屋敷跡に、この後立寄る予定である。
この周荘の街には、「万三××」という品物や料理が多いのは、この沈万三の名前に由来している為である。その中で、最も「沈万三」が好んで食べた料理が、“万三蹄”なのだ。
この“万三蹄”の店を過ぎると、小さな柵が前方に見えて来た。
この柵内が観光地としての周荘の街並みである。この柵前で、唐さんが再び、入場手続きを行う。
手続きを終え、唐さんに促され、その柵内に入る。
すると、直ぐその柵脇の運河には、石橋が架かっている。これが全功橋である。 -
この橋の対岸にも多くの店々が並んでいる。また、運河には、2人の船頭が操る小舟が浮かんでいる。荷物を運搬するのに使用されているのであろうか?
そこから運河沿いの路を足早に街の奥に進む。途中で写真を撮っていると、先頭を行く唐さんに追い付けない。写真を撮りながら、小走りで唐さんに付いて行く。
古戯台と言う建物の前も過ぎ、更に街の奥に進む。この辺りも多くの店やホテルの様な建物が並んでいる。前方には、また対岸に架かる小さな石橋が見えて来た。 -
そして、我々の進む路にも小さな橋が架かっている。この2つの橋を合わせて、双橋と呼ばれる。
また、各々の橋は対岸に向かい架かる橋が、世徳橋で、我々が進む方向に架かる橋が永安橋である。
この2つの橋の外見が、昔使われていた鍵に似ている事から、周荘の人達はこの橋の事を“カギ橋”と呼んでいるそうだ。この2つの小さな石橋の下は、小舟しか通れない幅に運河が狭まっている。
我々は、永安橋を渡り、更に街を奥に進む。すると、また対岸に小さな石橋が見えている。
この石橋が太平橋である。この先から路は狭まり、更に運河沿いから離れ、両側に店が並ぶ場所になる。 -
この狭い路を更に奥に進むと、少し広まった場所に出ると、ここにも石橋が対岸に架かっている。
この橋が富安橋で、また対岸にも小さな石橋が見える。これが梯雲橋である。
この様に周荘の街は運河の水路が入り組んでいる為に至る所に石橋が造られている。
橋の先に、この周荘の街で最初の観光場所である“沈庁”がある。
沈庁が、先程、周荘の名物料理として書いた“万三蹄”の名前の由来である沈万三の子孫の屋敷である。この沈庁は清代の1742年に建てられたものである。 -
唐さんを先頭に路からこの沈庁内に入る。正面には、大きな衝立が置かれ、その衝立には、この沈庁の説明書きが中国語で書かれている。
この入口は非常に小さいが、唐さんの説明によると、内部は非常に広く、書斎など大小100近い部屋があるそうだ。 -
中に入ると、当時使用されていた家具などが置かれた部屋が続き、また塀で仕切られた中庭の様な場所に出て、その先にまた部屋がある。中庭には、井戸などもあり、生活感も窺える。
更に奥に進むと多くの部屋があり、また長い廊下もある。その廊下には、この沈庁の始祖である沈万三の偉業をレリーフにした銅版が並んでいる。 -
更にその廊下を抜け、奥の部屋に行くと、そこには沈万三を富財神として祀った部屋がある。
この像の前には木柵が設けられているが、その柵の手摺部分には、見慣れない形状の飾りが並んでいる。唐さんに聞くと、昔の貨幣の模ったものなのだと言う。秤量貨幣の一種であろうか?
さすがに富財神として祀られているだけあって、座った像の前には、大きな古銭形状の賽銭箱が置かれ、その古銭には、“万三通寶”と言う文字が見える。
更にこの部屋の奥にも多くの生活調度品が並ぶ部屋が幾つもあり、そして一番奥の部屋が台所になっている。とてつもなく奥に長い家である。日本で言う“うなぎの寝床”の様な家である。
この部屋は他の部屋とは違い、非常に天井が高く、その屋根の下には、煙を逃がす、通気口の様な丸い穴が壁に開いている。この台所が土産物店になっている。そして、台所であった場所を利用し、ここでは土産物の他に饅頭なども作り、販売している。 -
見た目は仙台などの名物である“ずんだ餅”に似た饅頭である。購入して食べてみたいと思ったが、この場所もさっさと素通りで、唐さんが足早に次に進むので、土産物を見る事も出来ず、何も買う事も出来なかった。
ここから入口に向かい、戻る。途中に大きな古銭の形をした金庫らしきものがある。また、こちら側の廊下にも行きに見た沈万三の偉業を称えた銅版のレリーフがある。 -
そのレリーフを見ながら、ゆっくりと戻る。見れば、明代の話もあるのか、朱元璋も出ているレリーフもある。再び、多くの部屋を抜け、出口に到着した。
出口は入口ではなく、入口とは少し離れたところに出た。
全員が沈庁から出たのを唐さんが確認すると、先程来た路を少し戻り、富安橋を渡る。
渡った先の狭い路を再び、黙々と進む。この路は両側から建物が迫り、非常に圧迫感を感じる。また、張り出した軒先で光を遮り、暗い。
この路地にも多くの店が並ぶ。その店々を見ながら、進んでいると唐さんとかなり離れてしまった。
途中交差する路地の先には所々で運河に架かる石橋が幾つも見える。 -
慌てて、それに追い付く。すると突然、唐さんが立ち止り、その左手の古びた家に入ると言う。
ここが、2番目の観光場所の迷楼である。入口には数人のこの施設の管理人らしき人がいる。
入口を入ると、直ぐに階段があり、まず2階から見学する様である。この階段を上る。 -
2階に上がると広い部屋に出る。その先にはテラスの様な縁側があり、そこから運河が良く見える。
この迷楼は1920年代初頭、革命文学団体『南社』のメンバーが4度にわたり、密会を行ったと言う元飲食店である。今は、博物館になっている。
ここで、陳去病、柳亜子、王大覚らが詩を詠み、陽気に歌い、文学や民主革命について語り合った。当初、この飲食店は『徳記酒店』と言ったが、ある時メンバーが酔った勢いで、『迷楼』の名をこの飲食店に寄贈すると、それが店に定着したそうだ。
2階には、当時の写真などが展示されているが、然程多くのものは展示されていない。
それよりも、先程の縁側からの景色の方が私には興味があった。その縁側からの景色を何枚かの写真に収め、1階へ下りる。
1階にも少しの展示物があるだけで、早々にこの迷楼を出る。 -
迷楼から出て、再び先程の路を少し戻り、その路から交差する路地に曲がる。その路地を進むと、店はないが、この街の生活感を感じる家々が並ぶ。湖での漁を行う為の網などが広い場所で干されていたり、畑なども見える。この辺りはどうも漁師の家が多い様である。
-
その一画を抜け、再び運河に出る。そして、その運河に架かる橋を渡る。この橋は福洪橋と言う。
渡った先の運河沿いにも古い家々が並ぶ。
この運河沿いの路をまた足早に歩き、左手に白壁の一際大きな建物が現れる。これが周荘博物館である。
しかし、周荘博物館は、今日の観光ポイントには入っていない様である。その前を唐さんは素通りである。この周荘博物館の先の運河沿いの所に大きな壁がある。
これが古鎮照壁と呼ばれるものである。この前まで来ると、唐さんが集合を掛ける。 -
ここで集合写真を撮る様である。みんなをこの古鎮照壁の前に並ばせ、梁さんに写真を撮る様に唐さんが指示を出す。梁さんが、2枚程写真を撮り、この前から解散する。
この辺りで少し、自由時間となり、この周りの店や個々に写真を撮ったりし、再びこの古鎮照壁の前の大通りを歩き始める。
この大通りがこの周荘のメイン通りの様である。この通りの両側には多くの土産物屋が並ぶ。
また、大きな万三蹄の模型を付けた店も見える。
その先に柵が設けられている。ここがメインのゲートの様である。その左手には大きな塔が見える。全福塔である。この塔は全福塔で、この街のランドマーク的な塔で、この街に入る際に見えていた塔である。 -
メインゲートを抜け、更に大通りを進み、交差する通りを渡る。その先には大きなホテルがあり、その脇に我々のバスが止まっていた。
ここは駐車場ではないが、この周荘の周辺には多くの駐車場がなく、観光客用の駐車場は一杯で、ここにバスが停車していたのである。
バスに全員が乗り込み、周荘を後にする。
最初の通りに出て、再び橋を渡り、周荘の街を出る。時刻は10時25分過ぎである。 -
<上海市街への道程とシルク工場見学>
ここから上海に向かうのである。
周荘の街外れの通りは綺麗な並木路である。その道をバスはゆっくりと進む。その道を抜けると、大きな幹線道路に出る。この辺りは湖が近いのか、幹線道路脇には、湿地帯が続く。
すると、湖が見えて来た。この周荘周辺には小さな湖が点在している。先程の周荘の街は南湖と言う湖に面した街である。
湖に面した道の脇には、漁師小屋の様な建物が所々に見え、その小屋には看板が掲げられている。
その看板は上海蟹の看板である。この辺りの湖でも上海蟹の養殖が行われており、その販売宣伝用の看板である。前にも書いたが、この辺りで最も上海蟹の養殖で有名な湖は陽澄湖である。
唐さんによると、丁度、秋が旬でこれから美味しくなる時期なると言う。
一般には、雌の上海蟹は10月頃、雄は11月頃が最も美味しいとされる。実際に私は上海蟹を食べた事がないので、美味しいのかどうかは判らない。
しかし、所詮は渡り蟹の一種であるので、そのもの自体はそれ程美味しいものとは思えない。やはり、それを使用した料理が有名なのだろうと、唐さんに聞いたが、上海蟹はそれ自体を楽しむ料理が多いそうだ。特に雌は卵、雄は味噌が美味しいそうだ。
最近はこの上海蟹がブランド化した事で、高価になり、偽物が非常に多いとの事。
上海蟹の本場のこの辺りでも、偽物が横行していると言う。
その様な話を唐さんから聞いていると、バスは高速道路に入る。ここから高速道路を利用して上海市内に向かうのである。
ここで、少し眠たくなって来て、そのまま寝てしまう。次に気が付いたのが、もう高速道路を下り、上海市内の道を走っていた。どの辺りを走っているのかは判らない。
その内に、小さな路地に入り、あるビルの前でバスが停車する。ここが次の観光ポイントである。
観光ポイントではなく、ビルの1階部分に雑多な店が並ぶところである。その一つの店舗が目的地のシルク工場の直営店の“江南絲綢館”である。
このビルの1階に並ぶ店々とは少し入口の造りも違い、他の店に比べ、立派な造りである。 -
この直営店に立寄るのである。時刻は11時30分である。
ビルに入ると、大きなロビーがあり、その奥にテーブルが置かれている。そのテーブル脇にひとりの女性が立ち、我々を迎えてくれる。
流暢な日本語で出迎えの挨拶を受け、我々をテーブルの前に誘導する。
テーブルには幾つかの標本瓶が並び、その中には、蚕の標本が入っていた。それを用い、蚕の成長過程を説明してくれる。それが済むと、そのロビー脇にある階段をその女性に付いて上がる。
2階に上がると、広い即売場になっている。これは中国で定番のシルク販売店の造りである。
ここで、これもまた中国のシルク販売店で定番のシルクのふとん造りの体験である。
生糸にならない繭から取ったシルクの塊をみんなで四方に引っ張って重ね合わせ、1枚の布団綿の様な形に仕上げるのである。観光客は素人なので、均等に四方に引っ張る事が出来ず、大概はどこかに偏ってしまう。
その後は、このシルクの布団の宣伝販売である。
この様なシルク店に来る度に思うのであるが、確かに物はこの場所で製作実演をしているくらいなので、物は信頼出来る物ではあるが、土産物としては考えにくいものである。殆どの人が土産物と言うよりは、自分用で購入して返るのであろうか?
真空パックにしてはくれるが、それでも大きな荷物になる。
私は、購入するつもりもなく、女性店員が宣伝販売を行なうが、それを聞く事もなく、その展示場をぶらぶらするだけである。
唐さんによれば、1階はシルク小物の販売所になっていると言うので、その1階に先に下りる事にした。1階も大きな広い販売所になっており、フロア一面にシルクの服類や小物などの商品が並んでいる。
まずは服類の並ぶエリアで少し商品を見ていると、早速女性店員が現れ、私について商品の説明を行ってくれる。しかし、購入するつもりは余りないので、その女性店員の説明もそこそこに、このフロアをぶらぶらするが、その女性店員は離れる事なく、私が立ち止まり、商品を見始めると、その商品の説明をしてくれる。
ここで少し土産物を購入する事は考えていたので、時間を掛けて土産物を探す。
丁度、手頃な物として、シルクの刺繍を施した眼鏡袋の様な物がある。これを数個購入する事にした。また、先程の女性店員が服類を勧める。
その為にもう一度、服類の展示エリアに戻り、子供服類を見る。少し派手な色合いではあるが、可愛らしい子供服が並ぶ。女性店員に値段を聞いて見ると、然程高いものではない。
そこで、これから着れる秋冬用の上着を見る。手頃な大きさのものは少ないが、余りにも熱心に勧めるので、一つ購入する事にした。少し派手ではあるが、赤い上着を購入する。
その支払いを済ませ、みんなが揃うのをこの1階で待つ。既に殆どの人が1階に下りて来ている。
暫くすると、唐さんがみんなに声を掛け、このシルク工場の直営店を出る。
時刻は12時50分である。これから昼食場所に移動する。 -
<上海市街での昼食、上海点心料理>
再び、この直営店のビルの前でバスに乗り込む。もう、この辺りは上海の中心街に近いところの様である。唐さんによれば、昼食場所はこの近くだと言う。
ここで、今日のオプショナルの確認を唐さんが行う。
私は今日のオプショナルの2つの内の雑技観賞だけをお願いしている。多くの人は雑技観賞と黄浦江のナイトクルーズの両方に行く様だ。雑技観賞だけなのは、私と若い男性2人組だけである。
バスは上海市街を走り、再び高架道路に乗り、少し走り、高架道路を下り、ビルが立ち並ぶ一画で、大きなビル横で止まる。
このビル内に今日の昼食場所のレストランがある様だ。
ビルの1階部分には大きな銀行が、今日は日曜日で銀行は閉まっている。その銀行の横を抜け、ビルの正面ロビーに移動し、そこからエスカレーターで2階に上がる。
その2階正面に“廊亦舫酒楼”と言う店がある。ここが今日の昼食場所である。旅行日程表では、今日の昼食は点心料理とある。時刻は13時10分頃である。
店に入ると、既にお客で店内は一杯である。
その中で一つだけ空いている円卓テーブルに案内される。その円卓テーブル1つにみんなで座る。
まず、お茶が出され、その後直ぐに料理が出て来る。
最初に出て来たのは、卵チャーハンである。最初にご飯ものが出て来るのは珍しい。
その後、次々と料理が出て来る。円卓テーブルは直ぐに一杯になる。
出て来た料理類は以下の様な内容である。
<平成23年9月25日(日)昼食:点心料理>
①卵チャーハン(薄味付け)
②中国菜の塩炒め
③麻婆豆腐
④ホウレン草のお浸し風
⑤タケノコのキムチ
⑥クラゲの醤油煮
⑦かぼちゃの煮付け
⑧蒸し鶏
⑨セロリの醤油煮
⑩川魚と木耳のうま煮
⑪ぜんまいの甘辛煮
⑫卵スープ
⑬薄豆腐(高野豆腐より少し硬い)と香菜の和え物
⑭水餃子
⑮小龍包
⑯包子(カリカリに揚げた豚肉を包んで食べる)
⑰もち米焼売(もち米に醤油味を付けたものを焼売生地で包んだもの)
⑱揚げ餅
⑲餅菓子
⑳デザート(すいか/メロン)
非常にたくさんの料理が出て来た。どの料理も点心料理と言うだけに少なめである。
変った物としては、薄豆腐と言ったら、良いのか?日本の高野豆腐を薄くスライスした様な少し硬めの豆腐を用いた料理が出た事である。唐さんに聞くと、中国では非常にポピュラーな豆腐だそうである。
全般に期待した程、美味しい物はなく、少しずつ料理を食べ、食事を終える。
少し疲れていたのか、最後の方で出て来たお菓子風の揚げ餅や餅菓子などの甘い物が非常に美味しく感じた。
最後にデザートにすいかやメロンを食べ、お茶を飲みながら、唐さんが合流するのを待つ。
この店に入った時は店内の円卓テーブルは満席の状態であったが、今は殆どの客は食事を終え、既に店内の客は疎らな状態になっている。
直ぐに唐さんが現れ、我々に「食事はどうでしたか?」と聞いて来る。 -
何人かの人が、「美味しいかったです。」と答え、みんなで席を立つ。時刻は13時40分である。非常に早く食事を終えた。
店を出て、再び店の前のエスカレーターで1階に下り、ビルの側面の交通量の少ない通りにバスが止まっている様で、その場所に向かう。
その通りに数台のバスが止まっており、その1台が我々のバスであった。そのバスに乗り込む。
その途中で、上海市のゴミ箱を見つけて、写真を撮る。
この間の北京旅行で、交流を持った大阪市立大学の都市工学部准教授の水谷先生に贈る為である。シンプルな木で出来たゴミ箱である。
バスに全員が乗り込み、再び上海市内を走り始める。次はこの上海市内の観光である。 -
<上海の名所、外灘観光>
まずは“外灘”である。バスは上海市内の大通りを通り、黄浦江沿いの路に出る。ここから“外灘”へは然程、遠くないはずである。
しかし、この黄浦江沿いの路は、以前上海を訪れた時には上海万博の為に至る所で工事を行っていたが、今は綺麗に整備され、路幅も広がり、交通量も以前よりもかなり多くなっている。
“外灘”に近づくにつれ、車の数も多くなる。すると、前方に“外灘”のレトロな建物群が見えて来る。
そこから少しバスが走るが、私が思っていた所よりも、かなり手前でバスが道路脇で止まる。
ここで、バスを降りて“外灘”の観光を行う様である。時刻は14時過ぎである。
バスを降り、その直ぐ近くにある地下道に入る。この地下道で黄浦江側に路を渡る。地下道を抜け、地上に出るで、そこから再び階段を上り、一段高い黄浦江沿いの公園に出る。
ここが新たに整備された黄浦江公園である。
この公園に出た所で、唐さんが、この“外灘”について説明を始める。
唐さんの説明は概略以下の様な内容である。
この黄浦江沿いの街並みは、外灘(バンド)と呼ばれ、上海の港湾として発展したエリアである。
黄浦江沿いの南北に広がる一帯には、19世紀後半から20世紀前半にかけて造られた多様な欧風建築の石造りのビルが立ち並ぶ。
また、最近ではこの外灘側と黄浦江を挟んだ反対側の浦東地区に立ち並ぶ近代的な建物のギャップが見所になっていると言う。
特に夜になると、更にその情景が一変する。ライトアップされた外灘と、ネオン煌く浦東地区とは一見の価値がある情景である。
租界時代に建てられた外灘の建物には、日本の商船会社の建物などもある。
19世紀中期から19世紀末に流行したベランダ付きのレンガ造りが特徴的なコロニアルスタイルの建物やネオ・ルネサンス様式の建物などのイギリス風の建築様式の建物が大半であるが、当時ニューヨークなどで流行したアール・デコ様式を持つ高層建築なども見られる。
この様な内容の説明を終え、この公園内を北の向かい少し歩き始める。
少し歩いた所で、唐さんが、「この辺りから対岸の浦東地区が良く見えます。」と言い、黄浦江沿いに並ぶ対岸のビル群を見る。私は何回か、この上海に来ているので、この風景も今日が初めてではない。しかし、前に来た時にはまだ、日本の森ビルが建築中であったが、超高層ビルも既に完成している。 -
ビルの名前は“上海環球金融中心”と言い、492mもあるビルで、100階には展望台がある。
ここで、個々に記念撮影を行う。主に浦東地区の高層ビル群をバックに写真を撮る。
私も梁さんにお願いし、写真を撮って貰う。また、梁さんと2ショットの写真も唐さんに撮って貰う。この黄浦江公園内を北に100m程歩いた辺りで、Uターンし、戻る。
最後に、この黄浦江公園を下りる前で、全員で集合写真を撮る事になり、梁さんがその写真を撮る。
この写真を撮り終え、黄浦江公園を後にする。この公園沿いの路で、バスが到着するのを少し待つ。
バスは暫くすると我々の前に到着し、みんなで乗り込む。時刻は14時25分である。 -
<中国旅行で必ずあるお茶店での試飲>
再び、外灘をUターンし、北上すると思っていたが、唐さんが、「これからお茶店に立寄ります。」と言い、バスは外灘から離れ、南下する。
バスは暫く、この黄浦江沿いの路を進み、そこから小路に入る。小路を何回か曲がり、更に小さな路に入り、殆ど車の往来の無い小路でバスは停車する。
ここでバスを降り、お茶店に向かう様である。
バスを降り、少し小路を歩くと、お茶店の入口前に到着する。お茶店は“心應茶芸苑”である。 -
建物はレンガ造りのシックな建物で、入口脇の窓には大きな茶器の絵が描かれている。時刻は14時35分である。
そして、入口を入ると、数名の女性店員が出迎えてくれ、そのまま階段を上がる様に勧められ、2階の部屋に通される。そして、部屋の中央にある大きなテーブルを囲む様に椅子に座る。
テーブル前には2人の女性が立ち、お茶の試飲の準備を行っている。そして、1人の女性が準備をしながら、日本語で話し始める。
その女性の話では、これから5つの種類のお茶の試飲をさせてくれると言う。その話を聞いていると、もう1人の女性が簡単な試飲茶の説明書きを全員に配っている。
まずは鉄観音から試飲させてくれる様である。鉄観音は最もポピュラーな中国茶である。
大きな急須で熱いお湯を掛け、茶器を暖める。そして、鉄観音のお茶を入れてくれる。入れたお茶を小さな茶碗に小分けし、各人の前に置いてくれる。
そして、茶碗の持ち方を教わり、各人がお茶を楽しむ。かなり高級な鉄観音らしく、非常に香りも良く、美味しい。この鉄観音は渡された説明書きによれば、私の様な高血圧の人には血圧を低下させる効果があり、お勧めのお茶の様だ。
-
その後、これも中国では定番的なお茶の茉莉花茶(ジャスミン茶)が出される。
そして、次に少し変ったお茶である一葉茶が出される。このお茶は名前の通り、お茶の葉が一枚の葉であり、それを一枚入れて、お茶を出す。このお茶は少し苦味が強いお茶である。
主にコレステロールを低下させ、解毒、利尿作用のあるお茶である。
更に普洱茶が出される。何と、十三年ものを飲ませてくれると言う。
普洱茶はブランデーなどと同じく、お茶では珍しいが年数が経ったもの程、高級なのである。十三年ものになるとかなり高級なお茶である。
この普洱茶は減肥(脂肪を取る)効果があり、脂の多い食事を取る時に飲めば効果があると言う。
また、胃腸などの整腸効果もあるそうだ。
最後に杜仲茶が振舞われる。これも貴重な中国茶のひとつで、主に免疫力を高め、腎臓強化、不眠症などにも効果があると言う。
これらのお茶を振舞われ、後はもう一度飲みたいお茶を入れて貰う。また、他のお茶で飲みたいお茶があれば、リクエスト出来ると言うので、私は果物茶をお願いした。
この前の北京旅行のお茶店で、この果物茶を始めて飲み、非常に香りの良いお茶で気に入ったからである。それを入れて貰うと他の人も興味があった様で、そのお茶を飲んでいた。
各人が好みのお茶を飲んでいる時に、お茶を振舞ってくれていた女性店員がある置物を出して来て、説明を始める。
その置物は蛙の様な生物の置物で、説明によると、その置物は“三脚蟾蜍(さんきゃくせんじょ)”と言い、三本足のヒキガエルである。その口には、中国の古銭を銜えている。
日本でも蛙をモチーフにした物は「無事に帰る」や「お金が返る」といった言葉の語呂から縁起物として人気があるが、風水の世界の中国でも、この“三脚蟾蜍”は自分の前方と左右にある「財」を全てかき集め、蓄える為に三本脚になったと言われ、財運やビジネス運・商売運をアップさせるアイテムとして人気があると言う。
女性店員によれば、日本の観光客にも非常に人気のある置物なのだと言う。
また、置物はお湯を掛けると色が変るそうで、女性店員がお湯を掛け、実演してくれる。
値段を聞くと、見せてくれた15cm程の置物は1つで500元(約6,500円)もすると言う。
かなり高いので、もう少し小さな物はないのかと聞くと、一周り小さなものを出して来た。
それでも値段は300元(約4,000円)である。更に小さなものがないのか聞いたが、これが置物としては最小であるらしく、後は1階にあるアクセサリー的な小物になると言う事なので、その300元の置物を購入する事にした。それと茉莉花茶2箱(1箱:100g入り)を購入し、合計で700元(約9,100円)の買物をした。
その後、部屋を出て、1階に下り、小物等やその他の茶器類などを見る。
暫く、ここでみんなが小物や茶器類などを見ていたが、時間が来たのか、唐さんが集合を掛け、このお茶店を出る。時刻は15時15分前である。 -
<上海一の繁華街、南京東路>
先程の路地に戻り、そこに止まっているバスに乗り込む。
バスは、小さな路地から再び、黄浦江沿いの路に出る。唐さんによれば、これから再び外灘方面に戻り、上海のメイン通りである南京東路に行くとの事である。
バスは外灘前に到着し、丁度、南京東路の入口付近で停車する。この辺りは中国各地から来た中国人観光客で一杯である。我々のバスと同じ様に多くのバスが、この辺りに停車し、観光客を降ろしている。我々も旧和平飯店南楼前でバスを降りる。
そして、その場で一旦集合し、唐さんが、「ここで暫くの間、自由行動とします。皆さん、南京東路付近の店々を自由に散策下さい。今の時刻が15時25分ですので、集合時間を16時にします。集合場所は、この横断歩道を渡った向かいのビルの辺りにします。それでは、自由に散策下さい。」と言う。
その後、私は最初、若い男性2人組やOL2人組と南京東路を西方面へ歩いていたが、途中の店々で各々見たいものを見ている内に逸れてしまう。
この南京東路は、この外灘周辺よりも、どちらかと言うともっと西側の人民広場付近の方が、多くの有名店が並ぶ一画である。その場所までは、1km以上ある。
その場所までは行く時間がない。
それでもなるべく西側に行ける所までは行ってみたい。
それで途中の店などを見ず、ひたすら西に歩く。
そして、上海地下鉄の南京東路駅のところまで来て、ここから西方面の南京東路は歩行者天国になっている。その入口には大きな石碑がある。その石碑には、“南京路歩行街”の文字が見える。
この歩行者天国の路を少し歩き、時間を見れば、あと20分程で集合である。 -
もうそろそろ戻らなければならない。この辺りで路を戻る。途中で少し、店々を見ながらゆっくりと歩く。
それでも、集合場所に戻ったのは15時50分過ぎである。既に梁さんがいたので、その梁さんと少し話をする事にした。話をするとしても梁さんは日本語が判らない。
そこで、英語で少し聞いて見ると、梁さんの下の名前が“SNOW=雪”である事が判った。
その様な会話を梁さんとしていると、OL2人組が戻って来て、私と梁さんの話に加わる。
私が梁さんの名前が判った事を話し、その後も何とかその他の話を聞こうとするが、やはり日本語が判らない様で、盛んに持っている日本語の簡単な会話本を見せ、我々がどの事を言っているのかを探して欲しい仕草をするが、その本にはそれ程細かな事が書かれている訳でもなく、その本では、会話にならない。
この様に梁さんと話をしていると、全員が揃ったのか、唐さんが、その場からバスの待つ所に移動する様に促す。少し歩き、黄浦江沿いの路(中山東一路)に出て、そこでバスに乗り込む。 -
<ラテックス工房と上海の古い買物スポットである豫園商城、上海老街>
次は豫園商城に行くと思っていたが、唐さんが、「これから豫園商城に行く前にもう1軒土産物店に寄ります。これからラテックス工房に行きます。」と言う。
バスは再び、黄浦江沿いの路を南下する。
そして、更にその路から外れ、豫園商城付近に近づくが、その北側付近のビルの前でバスが停車する。このビルにラテックス工房がある様である。時刻は16時15分である。
この様なラテックス工房は北京旅行の際にも、立寄った。その為にどんな所なのかは判っている。
このビルの地下にラテックス工房があった。工房内は、北京旅行の際に立寄った工房と全く同じであった。
まず、商品説明を小部屋で聞き、その後展示室でベッドや枕を体感する。私は少しベッドで休憩を取らせて貰う。本当に寝てしまっていた様で、唐さんに起こされた。
時間もかなり経っていた様で、直ぐに集合が掛かり、このラテックス工房を後にする。 -
時刻は16時50分前である。ここから再びバスに乗り込み、今度は豫園商城に向かう。ここから豫園商城までは歩いても行ける距離の様に思われる。
バスに乗り、5分程で豫園商城入口前の路に到着する。そこでバスを降り、豫園商城入口付近で集合する。ここで再び自由行動になる。
唐さんから、「この場所に17時30分集合です。」と言われ、解散となる。30分程自由時間がある。
どうしようかと思案していると、若い男性2人組が私に付いて行くと言う。私が以前にここには来た事があると言っていた為だ。
そこで、その2人と共にとりあえず、豫園近くまで商城内を歩く事にした。
今日は休日で、上海の若者達もこの商城でショッピングやデートを楽しんでおり、非常に混雑している。歩くのも大変な程、人が多い。その中を掻き分けながら、豫園商城内を進む。 -
そして、最奥の豫園商城の中心的な建物である湖心亭まで行き、この辺りで少し時間を潰す。
ここには上海でも有名な小龍包の店である“南翔饅頭店”がある。
ここに来れば、いつも饅頭(小龍包)を買いたいと思うが、何時来ても(とは行ってもこれまでで数回しか来た事はないが)、店の前は長蛇の列が出来ている。テイクアウトで買うとしても、どれくらい並べば良いのかも想像が付かない。
その事を2人に話すと非常に気になった様である。この“南翔饅頭店”の支店は、日本の大阪心斎橋にもある事も教えた。私もその店に行った事はないが?
そこから、上海老街に2人を案内する事にした。豫園商城を抜け、上海老街の通りに出る。
ここで、偽物のブランド品を売る男性に2人の一人が捕まり、かなりの時間付き纏われていたが、それを振り切り、再び、豫園商城に戻る。途中、その中の大きな百貨店の様な店に入り、2人が上海の地元ブランド品の服などを見ていた。そこでも少し店員に捕まった。
その店員も我々が日本人とは知らずに、話かけて来た様であるが、少し日本語が話せるみたいで、日本語で会話が出来た。その後、時間も無くなり、集合場所に急ぎ戻る。
集合場所に戻ると既に殆どの人が集合していた。最後にOLの2人組が戻り、全員が集合した。 -
そこからバスが待つ所に歩き、移動する。
その途中で、再び若い2人組の一人が偽物のブランド品を売る男性に再び捕まる。
その男性は結局、バスの所まで付いて来た。本当にしつこく付き纏われていた。
最後には、その男性はバスに乗り込んで来る勢いであった。
しかし、さすがにバスには乗り込んで来ず、窓越しにブランド品を見せていたが、バスが動き出すと諦めた。時刻は17時30分過ぎである。 -
<上海料理の夕食>
とりあえず、今日の旅行日程表での観光はこれで終了である。あとは食事だけだ。
ここで食事の時間まで少しあるので、先に今日宿泊のホテルにチェックインに向かう事になった。
夜のオプショナルで2手に分かれてしまうからである。
ホテルまでは然程掛からない様である。バスは大通りを北に向かい走り始める。
今日のホテルは、上海粤海酒店である。
バスは10分程走り、ホテルに到着した。バスを降り、運転手から各々の旅行カバンを受け取り、ホテルの玄関ロビーに入る。そこで再び集合し、そこで唐さんに少し待つ様に言われる。
ホテルのチェックインには、パスポートがいるのであろうと、出していたが、このホテルでは要らない様である。唐さんがフロントで各自のチェックインを行うのを待つ。
5分も経たず、唐さんが我々のところに戻り、各自の部屋の説明を始め、ルームキーを渡し、各人に旅行カバンを置いてくる様に言う。
我々の部屋は11階である。部屋に荷物だけを入れ、再びロビーに集合する。
ここで唐さんから明日の予定が発表される。明日は朝6時30分にこの玄関ロビーに集合である。朝食はホテルで食べるのではなく、ホテルが用意するお弁当だと言う。
再び、バスに乗り込み、今日の夕食場所に向かう。夕食場所も然程離れた場所ではない様である。
バスは上海市街の大通りを進み、黄浦江の海底トンネルを通り、浦東地区に出る。
浦東地区に入り、少し走り、15分程で夕食場所に到着した。
-
今日の夕食場所は“尚謙大酒店”という店で、旅行日程表では“紅子鶏”と言う店での上海料理であったが、旅行直前のHISからの報告で、この“紅子鶏”の予約が取れなかった事を聞いた。
その代わりの店が、この“尚謙大酒店”なのである。
店内に入ると、入口付近には多くの水槽が並んでいる。水槽には多くの食材となる魚介類が入っている。
その脇を抜け、円卓テーブルが並ぶ店内に移動する。
店内には殆ど客はいない。その円卓テーブルの一つにみんなで座る。
まずは、お決まりの飲物を聞かれるが、このツアーの面々は麦酒などを飲む人は少ない。
暫く待ったが、料理が円卓テーブルに並び始める。出て来た料理は以下の様なものである。
<平成23年9月25日(日)夕食:上海料理>
①上海風焼きそば
②麻婆豆腐
③中国菜の塩炒め
④豚肉と玉葱のオイスターソース炒め
⑤鶏肉のオイスターソース炒め
⑥野菜炒め(キャベツ、人参、木耳、豚肉の炒めもの)
⑦中国風卵豆腐
⑧ジャガイモと豚肉の煮物
⑨川魚(扁魚)の酒蒸し
⑩鶏肉の味噌炒めと包子(鶏肉の味噌炒めを包んで食べる)
⑪魚つみれ団子と白菜、春雨のスープ
⑫豚肉と薄豆腐(薄豆腐を細い麺状にし、捻ってある)の醤油炒め
⑬ご飯
⑭デザート(すいか)
-
料理が次々に出て来る間も唐さんがいたので、特に気になった食材については質問をする。
酒蒸しの川魚は“扁魚”と言う中国ではポピュラーな川魚なのだと言う。
“扁魚”とは、日本のヘラブナの様な魚である。日本に帰ってから調べて見ると、中国語で“扁魚”と言うと“片側に目の付いた魚全般の事を指す”のだそうだ。
だから、海の魚であるヒラメやカレイなども中国語では“扁魚”となる。
また、ここでも薄豆腐の様なものが出て来た。
これについても唐さんに聞くと、ここで出て来た薄豆腐(木綿豆腐を押し固めて薄く切ったもの)を捻った様なものは“百叶結”と言うらしい。これも中国ではポピュラーな食材だそうだ。
薄豆腐と思っていたものは、実は豆腐を押し固め、薄くしたもので、そのまま四角く切ったものや、ここで出て来た様に細い麺状にし、捻ったものなど数種あるのだと言う。
主に肉料理やスープなどに良く使われるのだと言う。
しかし、残念な事に特筆する程美味しい料理はなかった。
全ての料理に箸を付けるが、然程多く食べるものはなく、少量食べて食事を終える。強いて言うなら、一番シンプルな料理である“上海風焼きそば”が最も美味しかった。
最後にデザートとお茶を飲みながら、途中から何処かへ行ってしまった唐さんが、戻って来るのを待つ。
暫くすると、唐さんと梁さんが現れ、我々の食事が終了する。
飲物を注文した面々の精算を終え、席を立ち、レストランを後にする。時刻は18時55分頃になっている。 -
<上海の最も有名なエンターテイメント、上海雑技観賞>
ここから今晩のオプショナルの最初の雑技会場に向かう。雑技は全員が参加する事になっている。
再び、夕食場所のビルの前からバスに乗り込み、雑技会場に出発する。
バスは、黄浦江の随道を通り、浦東地区から旧上海市街に戻り、更に西に進む。15分程走り、比較的大きな通り沿いに建つビル前でバスが停車する。その前方に大きな看板が見えている。
その看板には“白玉蘭劇院”の文字が見える。
今日見る雑技は、“白玉蘭劇院”の雑技団の雑技である。 -
今迄に何回か上海に来た際に雑技を見たが、この雑技団の雑技は初めてである。
現在、上海で雑技を行っているのは、これから見る“白玉蘭劇院”の他に4つある。
その4つとは、“上海商城劇院”、“雲峰劇院”、“上海馬戯城”、“滬西大劇院”である。この内の“上海商城劇院”と“雲峰劇院”は以前に見た事がある。
今迄に見た2つの劇院の雑技の内容は、同じ様な内容のものもあり、その雑技団独自のものもありと楽しめる内容のものであったが、今回の雑技はどうであろうか?
見えていた看板手前の階段を上がる。2階部分がエントランスになっている様である。
階段を上り、入口を入ると、そこがエントランスのロビーになっているが、雑技を見に来た客で、一杯で唐さんに付いて行くのが大変である。
そして、ロビー中央で唐さんの入場手続きを待つ。エントランスのロビーが然程大きくない事が、この混雑の原因である。
暫くすると、唐さんが戻り、劇場入口に向かう。劇場内は意外に小さい。
我々は、唐さんが席に案内してくれた。指定の席に座る。丁度、前から5、6列くらいの中央から右手にかけての席を確保してくれた様である。 -
私は何回か見ているので、その席の一番通路側の席で良いと言い、出来るだけ中央に近い席を他のツアー客に譲る。時刻は19時15分頃で、開演の19時30分にはまだ少し時間がある。
ロビーが混雑していたので、観客が多いと思っていたが、席はまだ半分くらいの席が空いている。
これから開演までに満席近くになるのであろうか?
開演5分前頃になると、多くの観客が席に着き始める。どこかで開演を待っていたのかも知れない。
すると、劇場内の照明が消え、いよいよ開演である。
最初の演目は、唐代の宮廷衣装を着た美女達の踊りから始まった。
その後、柔軟な体の女性達の踊りや機械体操の様な演目と続き、女性達の皿まわし、ローラースケートを用いた柔軟な演技、糸巻きを用いた踊り等様々な演目が続くが、この様な演目は他の雑技団でも見られる演目である。しかし、女性の演目が非常に多い。
ここで、演目にマジックが入る。これは他の雑技では見た事が無かった。
そして、自転車の曲乗りがあり、最後の演目は、バイクの曲乗りである。 -
このバイクの曲乗りも以前の雑技観賞で見た事がある。しかし、このバイクの曲乗りは何回見せて迫力満点である。
実質、1時間強の開演時間であった。このバイクの曲乗りが終了し、全員が最後の挨拶に出て来て、終演となる。唐さんが、席に来て、我々を導いて、劇場内からロビーに出る。
劇場出口には、この劇団でもこの雑技演目のDVDを演技者自らが観客に販売を行っている。
再び、込み合うロビー内を掻き分け、表に出る。
劇院前の道路は迎えの車やバスが至るところに止まっている。その中から我々のバスを探す。
我々のバスは、劇院前から少し離れた所に停車されていた。そのバスを見つけ、乗り込む。 -
<上海のホテルまでの帰りの道程とホテルでの夜>
これから、ツアー客は2手に別れる事になる。しかし、唐さんの説明では、全員バスに乗り込み、まず、ナイトクルーズの乗り場に行き、その後ナイトクルーズへ行かない面々は、そのままホテルへこのバスで帰るとの事である。
全員がバスに乗り込むと、バスは夜の上海市街を走り始める。時刻は21時前である。
この時間でも上海市街の交通量は減る気配がない。15分程バスが走り、道路脇で停車する。夜である事もあり、どの辺りまで来ているのかは定かではないが、もうナイトクルーズの乗り場は然程遠くない様である。ここで、殆どのツアー客がバスを降りる。
バスに残ったのは、梁さんと若い男性2人組、私の4人だけである。梁さんがホテルまで案内してくれるのである。
バスは、再び黄浦江沿いの道を暫らく進む。その後、上海のビル群の中を走り、ホテルに向かう。
ここで、梁さんと少し会話をする。出来れば、この旅行で梁さんの写真を何枚か撮ったので、是非住所を教えて貰い、写真を送りたい。
梁さんを捕まえて、その事をノートを使い、英語で示す。何とか私が言いたい事は判ってくれた様であるが、その答えが梁さんは英語では答えられない様で、必死に中国語で何とか私に漢字や言葉で説明を繰り返すが、私も中国語が判らないので、どうも上手く理解出来ない。
そこで、若い男性2人組の1人が、iPodプラスで中国語の会話のデータを少し入れて持って来ている事を思い出した。
その男性に、今迄の梁さんとのノートの会話を示し、調べて貰うが、その中国語に合う様な内容はない。
しかし、このノートでの会話で梁さんの出身が河北省の省都でもある邯鄲である事が判った。
この邯鄲からわざわざ働きにこの上海まで出て来ているのである。
その後、バスの運転手が梁さんと話を始め、これ以上の会話を行う事を諦める事にした。
バスはまだまだ交通量の多い上海市街を暫らく走り、15分程でホテルに着いた。
バスから我々が降り、梁さんのみがバスに残り、今日はこれでお別れである。日本語で、“さようなら!”と挨拶をして、ホテルのロビー内に入る。
また、若い男性2人組ともここで別れ、私はホテル近くのコンビニに行く事にした。
上海市街でもあり、直ぐに日本の大きなコンビニではないが、中国のコンビニである便利店が見つかり、そこで砂糖入りのお茶を購入し、ホテルに戻る。
11階の自分の部屋に戻り、既に受け取っていたルームキーで部屋に入る。
先程は荷物を部屋に入れただけで部屋をゆっくり見なかったが、今晩の短い時間のみを過ごすには勿体ない部屋である。
明日は帰る日である。今晩中に荷物を纏めておかなければならない。今回の旅行では大きな土産物を購入しなかったので、旅行カバンも然程一杯にもなっていない。
その為に旅行カバンの整理も殆ど行う必要がない。時刻は22時を過ぎている。
先にシャワーを浴びる事にした。部屋の広さの割には、洗面所などは少し狭い。
しかし、シャワーのみを使用するには充分である。頭だけを洗い、簡単にシャワーを浴びて済ませる。髪が乾くまでテレビでも見る事にする。
上海のホテルなので、日本のBS放送でも入るかと期待したが、日本語の放送はなく、中国語の放送のみである。仕方なく、その中国語の番組を見ながら、髪を乾く間、荷物の整理を行う。
明日は帰るだけなので、出来る限りの荷物を旅行カバンに詰め込む。
そうこうしていると既に23時前である。明日は6時30分に集合で、朝食をホテルで取らないにしても5時30分過ぎには起きなければならない。少し早いが、ベッドに潜り込む。
ベッドで少しテレビを見ていたが、早々にテレビを消して、寝る体制に入る。
23時30分前に部屋の電気を消して就寝する。
今回はここまで! 明日は上海からの帰国の旅程。
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