2011/09/23 - 2011/09/26
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パンダ番長さん
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無錫・蘇州・上海旅行の2日目。無錫観光の後、蘇州観光。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
-
<観光初日の朝と無錫日航ホテルの朝食>
朝5時45分過ぎに目覚し時計の音で起こされる。直ぐに起きる気力がなく、いつの間にか、また寝てしまう。そして、目が覚め、慌てて起き、時計を見ると6時15分過ぎであった。二度寝をしてしまった。
慌てて、顔などを洗い、身支度を整え、6時半過ぎに2階のレストランに下りる。
少し出遅れてしまった。
8月に訪れた北京でのホテルでは中国人観光客がたくさん宿泊していた為に、ホテル内のレストランでは、少しレストランが開く時間を過ぎると、嫌な思いを何度もしたが、それを思い出す。
2階でエレベーターを下りるとエレベーターホールの横がレストランの入口である。
レストラン名は“カフェ・セリーナ”、入口でルームキーを見せ、レストラン内に入ると、客が殆どいない。ほぼ1番乗りの状態であった。 -
料理は西洋風のバイキング方式を中心に、中華風の料理も少し加わった感じの様式である。
まず、適当な場所に荷物を置き、料理を取りに行く。
明日の朝もここでの食事になるので、今日は西洋風の料理を中心に取る事にした。
まず、食パンをトースターに入れ、それが焼ける間に料理を取るが、ソーセージやハム、スクランブルエッグなど定番の料理類を取り、あとは生野菜など加える。
そして、焼けた食パンとロールパン風のものを加え、席に着く。飲物はりんごジュースを入れる。
その間にレストランに人が増える事を予想していたが、一行に人が増える気配がない。私と同ツアーの人達も来ない。 -
そう思いながら、食事を始める。料理は可もなく、不可もないと言う感じである。私の食事が終わる頃に、同ツアーの人達が続々と現れ、最後に唐さんも現れた。しかし、アシスタントの梁さんがいない。
私が食事を終え、先に挨拶を済ませ、レストランを出て、一旦部屋に戻る。時刻は7時15分である。集合時間が8時なので、まだ時間に余裕がある。
少し部屋でテレビを見ながら寛いでいたが、眠気が差す。このままでは寝てしまう恐れがあるので、早々に部屋を出て、集合場所の入口ロビーに行く事にした。時刻は7時40分頃である。
必要な荷物を持ち、1階の入口ロビーに行く。既に入口ロビーのソファには、おばさん4姉妹が勢揃いしている。非常に早い集合である。そして、入口付近には梁さんが立っている。
梁さんに朝の挨拶を行う為に近づき、「早上好!」と中国語で言うとニコッと笑い、日本語で、「おはよ、ごじゃいます。」と慣れない日本語で答えてくれる。どうも“ございます”が“ごじゃいます”になる様である。
その後、日本語で少し話すがやはり判らない様で、そのまま2人でロビーのソファに移動する。
その場所で、みんなが揃うのを待つ事になる。しかし、直ぐにOL2人組、4人家族、唐さんが加わり、最後に若い男性2人組が来て、集合時間前に全員が揃う。
若い男性2人組に、私が昨晩の食事はどうしたのかを聞くと、私がホテルへ戻ってから行った、あの運河沿いの通りのレストランの1軒で食事をした様である。
その様な話を聞いていると、唐さんが、「それでは出発しますので、付いて来て下さい。」と言い、ホテルを出る。バスはホテル玄関にはなく、ホテルの横に駐車されている様で、そこまで歩き、バスに乗り込む。そして、全員が乗り込むと見慣れないおばさんが一人乗り込んで来た。 -
<無錫観光へ出発>
バスが走り始めると、唐さんが、そのおばさんについて説明を始める。時刻は8時5分である。
「今日の無錫観光のガイドさんを紹介します。呉さんです。」と言い、そのおばさんにマイクを渡す。
すると、そのおばさんが、「今日の無錫観光のガイドをさせて頂きます。“呉”です。呉は三国時代の国の呉と同じ字です。そして、この無錫はその呉の国の発祥の地と言われています。」と言う。
そして、昨晩の運河の上に差し掛かると、「左手に見える運河は、非常に古く、商の時代に長江と太湖を結ぶ為に造られたと言われています。」と教えてくれる。
そして、この呉さんが、今日の無錫観光の予定を説明する。「これからまず無錫の街に面した湖である太湖に行き、その後真珠工場の見学に行きます。」と言う。
そして、その最初の観光地である太湖に向かうまでの間に無錫についての説明を始める。
呉さんの無錫説明は大体以下の様な内容である。
まず、我々が宿泊しているホテルについての説明から始まる。
我々の宿泊している日航無錫ホテルは昨年(2010年)の8月にオープンしたばかりの非常に新しいホテルで、無錫でも最も良いホテルであると言う。
また、ホテル内のレストランも地元無錫の人達に人気で、週末などは、そのレストランに食事に行く人達が非常に多く、予約で一杯なのだそうだ。この為に昨日(金曜日)到着した時にホテル前にバスが止められないくらい車がホテル内に駐車されていたのである。
次に無錫の気候について説明を始める。無錫では年間で、最も寒い時で、-6℃、最も暑い時で、39℃になると言う。非常に気温の差が大きな場所である。
また、この様な気候のせいか、無錫の人達は、声が大きく、はっきりと喋る人が多い。また、真面目な人が多い事でも有名な土地柄なのだと言う。
その為か、この無錫近郊には日系企業の工場が多く、375社の工場があるそうだ。
また、水の都でもあり、男の人は非常に優しいのだと言う。
この様な話を聞いている間に、バスは太湖が見える通りに出て来た。もう目の前に太湖が見えている。その太湖沿いの道を進む。
途中、太湖で猟を終えた漁夫が、岸に小さな手漕ぎ舟を止め、獲った魚を売っている。
その様な光景が所々で見えていたが、湖から少し離れ、木々が生い茂る中を走ると、前方に大きな門が見えて来た。その門手前右手に建屋があり、その前でバスが停車した。
ここでまず、唐さんだけが降り、我々はそのままバスで、見えている門前まで行く。時刻は8時25分頃である。最初に止まって唐さんが降りた建屋がチケット売場である。
門前で、我々が降り、そこで集合する。そして、唐さんが戻るのを暫く待つ。 -
唐さんが戻る間に、呉さんが、この場所の説明を始める。
「ここは、太湖に突き出た半島部分に位置する公園で、“黿頭渚(がんとうしょ)公園”と言う自然公園です。この名前は、この公園が位置する半島が“すっぽんの頭”の様に見える事から付けられたものです。“黿(がん)”は中国語ですっぽんの意味です。」と説明をしてくれる。
この説明の間に唐さんが我々の所に戻って来た。
また、呉さんは、「太湖は中国五大淡水湖の一つで、東西約60km、南北45kmでその面積は2,200km2と言う広大な湖で、日本の琵琶湖の約3倍の大きさがあります。また、この黿頭渚公園の一画はもともとは個人所有の別荘の庭園があったものですが、その土地を中国政府が引き継ぎ、自然公園として造り変えたものです。それでは中に入りましょう!」と言い、我々を先導して門を潜る。すると門の左手奥にまた、門があり、その奥に建物が見えている。
呉さんが、「この奥に見えている建物は元のこの庭園の持ち主の別荘で、今は資料館になっています。」と教えてくれた。
更に公園内の小路を公園奥へ進む。少し公園内を歩くと、広い場所に出た。すると、その先は太湖である。そこには船が停泊している。ここは遊覧船の乗り場である。 -
ここから遊覧船に乗る様で、その桟橋の建物前に集合する。そこで、呉さんが、「これから太湖の遊覧を行います。この遊覧船は普通、20名以上でないと1艘を貸切る事が出来ませんが、今回は唐さんの努力でこの人数でもこの遊覧船を貸切りで運航して貰える事になりました。」と教えてくれる。
遊覧船乗り場の建屋について、料金を見ると確かに、1艘貸切りにするには、1800元(約23,400円)/時間と表示されている。
その建屋を抜け、桟橋に行き、ジャンク船の様な遊覧船に乗り込む。船内は船室窓沿いに対面席が設けられている。その席に適当にみんなが座る。暫くすると船がゆっくりと動き始める。
そして、桟橋を離れ、太湖にゆっくりと船が出て行く。 -
<太湖遊覧>
ここで、呉さんが、「太湖は、昔から多くの詩人に愛された場所でもあります。有名な詩は日本の演歌にもなっています。」と言い、歌を歌い始めた。
有名な“無錫旅情”の歌である。途中まで少し歌い、呉さんが、「この無錫旅情の歌詞は、中山大三郎と言う作詞家がこの無錫の太湖を訪れた際に書き、それに曲を付け、日本の尾形大作さんが歌い、ヒットした曲です。この黿頭渚公園にもその歌詞の碑があります。」と説明をしてくれる。
そして、みんなのアンコールもあり、その歌をまた最初から歌い始める。
みんなの手拍子の中で気持ち良く、呉さんが無錫旅情の歌を歌い終える。
そして、みんなが拍手をする中で、「私は音痴ですので、上手く歌えませんでしたが、拍手を頂き、ありがとうございます。」と礼を言う。
その後、船室から出て、太湖上からの周りの景色を見る。見れば、湖上には、我々と同じ様な船が何艙も浮かんでいる。 -
それらを眺めていると、呉さんが、「あちらを見て下さい。」と太湖に浮かず島を指差す。「あの島々が仙島です。西鴨、大磯、小磯の三つの島からなっています。」と教えてくれる。
更に、「この仙島は烏亀山とも呼ばれ、太湖72ヶ所の名山で最も有名な場所でもあります。遊覧船の中には、この仙島に立寄る船もあります。」と教えてくれる。
この辺りは平野で、本当に遠くまで見渡せる。周りに山がなく、小高い丘の様な丘陵が見えるだけである。
また、湖の浅瀬に近い湖面上には竹の棒の様なものが密集して突き出ているところがある。
それを指差して、私が、「呉さん、あれは何ですか?」と聞くと、呉さんが、「あれは淡水真珠の養殖場所です。あの棒の下で淡水真珠が養殖されています。」と教えてくれる。
その後、この船上で記念撮影会が始まる。
まず、唐さんが一組ずつ記念撮影を行う。私も唐さんに船上で記念撮影を行って貰った。
そして、唐さん、梁さん、呉さんの写真を撮らせて貰う。 -
また、他のツアー客にお願いし、私と唐さん、梁さんの3人を撮って貰ったりもした。
他のツアー客の指摘で気が付いたが、船上から湖面を見ると、緑色の湖面である。藻の様なものが異常に発生しているのであろうか?
呉さんに聞くと、この太湖は然程深くなく、平均水深も数m程であると言う。また、この藻は無錫周辺の工業化が急速に進んだ為に、その排水などが太湖に流れ込み、汚染された為であると言う。
この太湖の水は、無錫や蘇州の人達の飲み水として使用されていたが、水質汚染が酷くなり、この水を飲料水として使用出来なくなり、ミネラル水が異常に値上がりしたとの事である。
現在もその汚染は政府が管理はしているものの、収まっていないのだそうだ。
それにしても、物凄い藻の量である。水深が浅い為に、湖底近くまで太陽光がとどき、余計に藻などの繁殖を促すのであろうか?
その後、船室などを行き来しながら、湖上の風景を楽しむ遊覧となったが、30分程で、船に乗り込んだ桟橋に戻った。1時間程船に乗るのかと思っていたが、半分であった。
先程見た価格表は1時間のものであるので、唐さんが、人数と時間を交渉し、この船を手配した様である。それでも1艘貸切りにするのは、半分の900元(約11,700円)程必要と考えた場合、1人当たり、日本円で千円近いお金が掛かる事になる。この安いツアーでは破格の観光である。
再び、桟橋に戻り、船が停泊すると、我々が降りる。
しかし、その船を我々が降りた後で乗り込む人は居らず、その代わりに大きな近代的な遊覧船の方には多くの観光客が乗り込んでいた。 -
どうも、この太湖遊覧は、近代的な遊覧船の方がメインなのであろう。また、先程の仙島などにも立寄る遊覧船とは、この近代的な遊覧船の方なのかも知れない。
この遊覧船乗り場から公園内を散策するのかと思ったが、そのまま元来た路を戻り、公園入口の門まで戻る様で、この公園内の散策は行わない様である。
入口で見た、この公園の地図からするとこの公園は、かなりの広さがあるので、もう少しゆっくりと公園内を散策したかった。
再び、木立の中の路を抜け、入口門のところまで戻る。
ここでトイレ休憩を挟み、その後門前に到着したバスに乗り込む。時刻は9時25分頃である。 -
<太湖真珠工場見学>
バスが走り出すと次の立寄る場所を呉さんが説明を始める。次はこの太湖で採れる淡水真珠の加工工場へ行くのだそうだ。太湖の淡水真珠は中国国内でも有名で、様々なものに使用されているそうだ。
特に最近有名なのが、この太湖の真珠を使った洗顔クリームなのだと言う。
バスは先程来た道を戻る。丁度、黿頭渚公園は先程も書いたが、太湖に突き出た半島の様な部分の先端にある。その半島を戻り、今度は湖岸沿いの道を進む。左手に太湖を見ながら、この湖岸沿いの道を走ると、別の公園の様な場所の入口前を過ぎ、更に進むと工場の様な建物が幾つか並ぶ場所に到着する。その建物の一つの玄関部分にバスが入り、その前で停車する。
ここが目的地の太湖の淡水真珠工場である。時刻は9時40分過ぎである。
バスを降り、前の玄関から建物の中に入ると、その入口付近で女性店員らしき人がカードを配っている。中国ではよくある入門券の様なものである。ここで品物を購入する際にこのカードを提示するのである。
そして、玄関脇にあるエレベーターで2階に上がる。エレベーターを降りたところで、呉さんにここで少し待つ様に言われる。どうも前の観光客がまだ終わっていない様である。
そのエレベーター前には、この工場の宣伝用の大きな看板が貼られている。
そこには、この工場の名前か、“福潤”の文字が見え、その横に“珍珠―宝石皇后”という文字が見える。ここでは、真珠ではなく、“珍珠”と書かれている。この意味はあとで判った。 -
呉さんが、一人の女性店員を連れて戻って来た。その女性がまず、先程見ていた看板の前で、この太湖の真珠の説明を始める。
「この太湖は古くから真珠の名産地と有名で、楊貴妃もここの淡水真珠を粉にして飲んでいた事でも有名です。特にここの淡水真珠は非常に大きくなり、その大きさが10mm以上のものを特に、ここに書かれている“珍珠”と呼び、貴重なものとして取引されました。また、中国では、結婚13年目のお祝いの品としても送られる宝石で、宝石の皇后と呼ばれています。また、日本では真珠は海で養殖されますが、ここのものは淡水で養殖されています。その為にその貝も、日本では阿古屋貝が用いられますが、ここではカラス貝が用いられています。それでは、中にこの淡水真珠を使用した様々な商品が展示されていますので、皆さんゆっくりと見て下さい。」と言い、我々を大きな商品展示部屋に案内する。
その部屋には多くのショーケースが並び、大きな宝石店の様である。
それらを自由に見て廻るのかと思っていたら、この中に入ると、ある大きなテーブルに案内される。
そのテーブルに全員が座り、その前には中年の男性が立っている。
その男性がまた説明を始める。「皆さんようこそ!私はこの店の店長をしております。劉と申します。私は国費で20年程前に日本に留学をして日本語を勉強しました国家公務員です。今日は、皆さんが、この工場に立寄って頂いた記念に是非この太湖の真珠製品を買って帰って頂きたく思い、時間を作って戻って来ました。まず、この太湖の真珠がどの様なものであるかを見て貰います。」と言い、女性店員に合図をすると、女性店員が何かを運んで来た。
女性店員が持っていたのはトレイで、そのトレイの中には、大きな貝とピンセットなどの道具類が並んでいる。
再び、劉さんが、「これは太湖の真珠養殖に使われるカラス貝を言う貝です。皆さん、この貝の中にどのくらいの数の真珠が入っているか判りますか?日本の阿古屋貝には真珠は1個です。しかし、この太湖のカラス貝には、大体25~40個の真珠が入っています。また、色も様々なものがあり、白、ピンク、黒などで、最も稀少なものは黄金のものであります。この黄金の真珠は非常に貴重で、高価なものです。それでは、皆さんにここに用意した貝にどこくらいの数の真珠が入っているかを当てて貰います。もし、当たった方には記念品を差し上げます。」と言い、テーブルに着いた我々に順番にその数を聞き始める。私は、“26個”と言い、その結果を待つ。
全員の数を聞き終え、劉さんが、「それでは貝を開けて見ます。」と言うと女性店員が道具を使い、貝を開けている。意外に簡単に貝は開き、その中から真珠を探している。それを見ていると本当に1~2mm程度の小さな真珠がたくさん出てきている。それも色もまちまちである。
探した真珠をトレイに出して、もう真珠が無い事を入念に確認した後、「それでは数えます。1個、2個。3個・・・・」と真珠をピンセットで取りながら、数え始める。
そして、結果は全部で29個であった。
劉さんが、「29個と言われた方がいましたね!どなたですか?」と問う。
すると4人家族で来ていた娘さんが正解者であった。その人に劉さんから記念品が渡される。何を貰ったのかは判らないが、小さな箱の様なものを渡されていた。
そして、劉さんが、「みなさん、この貝に入っていた真珠です。記念に持って帰って下さい!」とテーブルにそれらをばら撒く。私もその一つを貰う。私が貰ったものは2mm程の大きさの白真珠である。
ここまでが劉さんの余興で、これからが本番であった。この工場の最も有名な商品が真珠の洗顔クリームで、この商品の説明が始まる。
劉さんが、「この洗顔クリームは北京や上海、大連などのデパートなどにもここから送られ、販売されています。また、日本にも輸出されており、日本のデパートなどで購入すると1個3,000円以上します。この洗顔クリームは朝用と夜用の2種類があり、使い分けて下さい。また、この洗顔クリームは真珠だけではなく、良質のコラーゲンも使用していますので、お膚には非常に良いです。勿論男性にも効果抜群です。」と説明を行う。
そして最後に、「今日は、ここでこの商品の宣伝をさせて頂きましたので、特別に皆さんに朝用と夜用の2個セットで、日本円2,500円で販売させて頂きます。」と言う。
すると、ここで見ていた唐さんが、「劉さん、皆さんが折角この工場に立寄って頂いているのですから、もう一声、2個で2,000円にして下さい。」と我々が値切る前に言い出す。
これには劉さんも驚いた様で、「2個で2,000円では工場がやって行けませんよ?」と渋っている。
しかし、唐さんがそうする様に更に言うと、「判りました!今日は特別です。2個で、2,000円で結構です。それで購入頂ける方は手を挙げて下さい。」と言うと、数人の人が手を挙げる。
それでも劉さんは不満であったのか、盛んに「他に欲しい人は居られませんか?」と盛んに聞いていた。
もう誰も頼む人がいない事を確認し、劉さんが最後に、「ありがとうございました。それでは他の真珠商品も見て下さい。欲しい物があれば、是非購入して帰って下さい。本当に安価な価格で提供しておりますので宜しく!」と言い、席を離れる。
我々も思い思いに店内のショーケースを見る。私は、この間のベトナム旅行で、淡水真珠は衝動的にたくさん購入してしまったので、今回は全く買う気はない。
しかし、いつもの事ながら店内で商品を見ていると、どうも気になるものが出て来る。
それを見透かされた様に女性店員が寄って来て、流暢な日本語で、「どうですか?安いですよ!どれが欲しいですか?」と聞いて来る。
先程、劉さんの説明でもあった黄金の真珠を見てみたくなったので、その女性店員に、「黄金の真珠はどこにあるのですか?」と聞くと、店の奥の一画を指差す。
その場所に行くと、その一画のみが別の部屋になっている。中に入り、ショーケースを覗き込むと、本当に黄金色の塗料でも塗った様な黄金色の真珠が並んでいる。しかし、その値札を見て、再びビックリである。
珍珠と言われる10mm以上の黄金色の真珠が1個付いたネックレスで、4万元(約52万円)である。
この黄金色の真珠で出来たネックレスに至っては、30万元(約390万円)である。
とても我々に買えるレベルではない。ネックレスの一つをショーケースから出して、その大きさを精密に測って見せてくれる。その大きさは約12mmで、本当に“珍珠中の珍珠”である。
再び、一般の真珠が並ぶショーケースに戻ると先程の女性店員が再び現れ、盛んに色々な商品を勧める。手頃で買えそうな物は携帯用のストラップになる5mm程の真珠を連ねた物が5個入ったもので、これが日本円で千円であると言う。これなら購入しても良い!
それと10mmには満たない真珠が1つ付いたネックレスも綺麗である。
聞くと、1本が日本円で5千円であると言う。1本五千円は買えない。そこで、交渉を開始する。
国営の工場直営店でもあり、既に値札自体が安価な価格設定になっている事は唐さんから説明を受けたが、それでも日本人としては値切る行為は行いたい。
しかし、その女性店員には、その価格判断の権限がないのか、私の値切り交渉には一切応じてくれない。そこで、私がそれでは要らない旨を示すと、何処からか先程の劉さんを連れて来た。
そして、劉さんが、「どのネックレスを幾らで欲しいですか?」と私に聞いて来る。
私が、「このネックレスを3千円で欲しい!」と言うと、劉さんが「もう1本欲しくないですか?2本買って貰えるのであれば、1本3千円で結構です。」と言う。
それで、私がもう1本を選び、2本を6千円で購入する。すると、劉さんは、「洗顔クリームは要りませんか?1個でも千円にしますよ!」と言う。
それでは朝用を1個だけ買う事にすると、何と劉さんが、「内緒ですよ!朝用1個だけでは効果が薄いので、夜用はネックレスも購入頂いたのでおまけしておきます。」と言い、千円で2個洗顔クリームを渡してくれた。
結局、ここでは何も買うつもりが無かったのに結果、8千円もの買物をしてしまった。本当に意志が弱い。他の人達はどうなのであろうか?
ここで、唐さんから集合が掛かり、この店内を出る。2階から今度は階段で1階に下り、玄関とは反対の裏口を出る。その前が駐車場になっており、そこに我々のバスが停車している。
そのバスに全員が乗り込むと、呉さんは、ここまでの様で、バス内で呉さんが挨拶を行い、バスを降りる。
そして、呉さんに見送られ、バスはこの真珠工場を出発する。 -
<次の観光地、蘇州の寒山寺>
次の目的地は蘇州の寒山寺である。時刻は10時40分頃である。丁度、1時間程この工場に居た。
バスは左手に太湖の入り江部分を見ながら少し走ると、前方に大きな橋が見えて来る。左に折れ、その橋を渡り、無錫市街に入ると程なく、高速道路の入口が見えて来た。ここから高速道路に乗り、蘇州に向かう。高速道路に入ると、今度は右手に太湖が遠くまで見えている。
この単調な景色を眺めているといつの間にか寝てしまっていた。
次に目が覚めたと言うよりも起こされたのは、蘇州の寒山寺の駐車場に到着した時である。
私以外にも多くの人が寝ていたのか、唐さんが、「皆さん起きて下さい。寒山寺に到着しましたよ!」と言う声で起されたのである。時刻は11時30分である。
バスの外を見ると、バスの周りには多くの観光客が歩いている。我々もここで降りる様である。
バスを降りた場所は駐車場ではなく、道路脇である。その左手前方に門の様なものが見えている。 -
ここからは歩いて行くのである。
唐さんについて見えている門に向かい歩く。門の手前には多くの屋台が出ている。
門を潜ると、そこは参道の様で、綺麗に整備された石畳が続いている。その参道の両側は既に寺院なのか、オレンジ色の塀が続く。オレンジ色の壁とは珍しい。門もこのオレンジ色であった。
唐さんによると、この参道の右側が、古い寺院で、左側は新しい寺院なのだと言う。 -
この参道の右手には灯籠が一つ見えるが、この路に建てられている電灯は、灯籠の様な形をしており、景観にあったものになっている。
参道を少し歩くと、右手の塀のところに入口がある。その奥には大きな塔が聳えている。これが、この寒山寺の普明宝塔と言う塔である。入口と思っていたところは、出口の様である。この前を過ぎ、少し歩いたところで唐さんが立ち止まり、この寒山寺の説明を始める。
唐さんの説明を要約すると大体以下の様な内容である。
この寒山寺は、南北朝時代の梁の時代に「妙利普院塔院」として創建されたとされている。 -
寒山寺という現在の寺名は、唐代の貞観年間に風狂の人“寒山”が、この地で草庵を結んだという伝承に因む。
また、襄陽出身の張継が、有名な「楓橋夜泊」を詠んだのは8世紀中頃の事である。
伽藍の創建は8世紀から9世紀にかけての事であり、石頭希遷によると伝えられる。
全盛期の寒山寺の面積は広大で、巷間で「馬に乗って山門を見る」と言われる程で、当時、北方から訪れた旅行者の多くは、まず寒山寺に参詣してから蘇州の市街に入ったと言われている。
宋代の太平興国初年には、節度使の孫承祐によって7層の仏塔が建てられた。
嘉祐年間には「普明禅院」と名を改め、1134年に僧法選によって再建された。
宋以後は伽藍の盛況を迎えた寒山寺であったが、元末の1366年に張士誠と朱元璋の間の戦闘により焼失した。明初の1369年に恵貞により再建されたが、その後火災によって再び焼失。正統年間に王況鐘が再建し、嘉靖年間に本寂が鐘を鋳造している。
しかし、明の1618年に再び火災に遭って堂宇は灰燼に帰した。清代にも1711年、1860年に焼失している。1860年の焼失は、太平天国の乱にともなうものである。
現在の寒山寺は、清末の1906年(光緒32年)に程徳全が再建したものであり、それぞれの建物はいずれも比較的新しいものである。
西のオレンジ色の照壁が境内への入口となっており、中央に大雄宝殿、周囲に鐘楼、鐘房、羅漢堂、碑廊を配している。東側に寒拾殿、東端には普明宝塔があり、東西にやや細長い境内配置となっている。 -
この様な内容の事を説明し、この寒山寺の西側に向かい、再び歩き始める。
綺麗に整備された石畳の途中に、彫刻を施されたものが幾つか見える。見ると、お金の様な形に彫刻されたものである。これもこの寺院が再建された時に造られたものなのであろう。
この参道を突き当たりまで歩き、そこから塀沿いに右手に曲がる。この参道の突き当たりのところには、記念碑の様に大きな太湖石が置かれている。また、その先には運河が見える。
更に歩くと、左手の運河に架かる大きな石橋が見える。形は所謂、太鼓橋である。また、右手には塀と同じオレンジ色の大きな壁が見えている。そこには“寒山寺”の文字が見える。
これが照壁で、目隠し用の壁である。この照壁の裏がこの寒山寺の入口である。
この照壁のところまで来て、唐さんが入場手続きを行う間、ここで待つ。照壁の裏は寒山寺の入口前の広場になっている。そこでみんなと待つ。 -
この間に、この寒山寺の入口前で梁さんにお願いし、記念撮影を行って貰う。
暫くすると唐さんが戻り、みんなで寒山寺の入口に向かう。入口で一列に並び、一人ずつ入る。
この入口を抜けると、その前にはガラスで仕切られた小さな祠に入った黄金色に輝く阿弥陀仏が見える。
また、その両脇には、これまた黄金色に輝く四天王の大きな像が見える。
また、阿弥陀仏が祀られた祠に裏側には、韋駄天将が祀られている。この入口建屋を抜けると、前庭に出る。この前庭には多くの観光客がいる。また、ここには大きな鼎の線香立てがある。
日本と同じく、この線香立ての前では、その煙を頭などに仰いで掛けている人達がいる。中国でも日本と同じ風習があるのであろうか?
同じツアー客の人達もそれに習い、同じ様な事を行っている。その前庭の前方には、この寒山寺の本堂にあたる大雄宝殿が見えている。
しかし、唐さんが最初に向かった先は、この前庭の左手に建つ羅漢堂である。
羅漢堂は、中国の寺院では良く目にする建物である。日本の寺院ではあまり馴染みがない。
この羅漢堂の中央の正面には、これも黄金色に輝く観音像が見える。 -
唐さんによれば、この羅漢堂の観音像は日本人の寄付で造られたものであると言う。その寄付をされた人達の名前がその観音像の裏の基壇の両脇のプレートに刻まれている。
そして、この観音像の裏には、この建物の名前の由来である羅漢像が壁際の棚に並んでいる。 -
その羅漢像は小さな人形の様なものであるが、全てが黄金色に輝いている。
唐さんが、「この羅漢像は全て顔が違い、どれかの羅漢像に似ていると言われています。皆さんも自分に似た羅漢像があるはずです。探して見て下さい。」と言う。
日本では、五百羅漢と言うが、ここにも五百の羅漢像があるのであろうか?見た目はそれ程の数がある様には見えない。
この羅漢堂内を一周し、羅漢堂を出る。
そして、今度は本堂の大雄宝殿に向かう。その大雄宝殿前には、大きな香炉が見える。
これは香炉ではあるが、今は、これは香炉として使われているのではなく、賽銭箱の様に使われている。
観光客はこの前に立ち、この香炉の一番上の中にお金を投げ入れている。
唐さんによると、これは1回で入れなければ、ご利益がないと言う。それでツアー客の面々が思い思いのお金で、そこへお金を入れ様と挑戦しているが、誰も入れる事が出来ない。
私も財布から日本の五円玉を出し、それを投げ入れる。すると上手く、一番上の穴に入った。
しかし、入ったと思った五円玉は、そのまま反対側へ抜けた様で、反対側から見ていた唐さんが、それを教えてくれた。仕方なく、抜けた五円玉を回収する。
結局、ツアー客の全員が挑戦するも誰もそこにお金を入れる事が出来なかった。しかし、入れられれば、どの様なご利益があるのであろうか?
その後、大雄宝殿内に入る。この正面の壇上には、これまた黄金色の釈迦牟尼仏が祀られている。また、その左右には、阿難、迦葉の像が隠れている。
その釈迦牟尼仏の前から左手に殿内を移動する。すると壁沿いにここにも羅漢像が並んでいる。
ここには十八羅漢像が並ぶ。片側に9体ずつの羅漢像が並んでいる。
更に堂内を移動し、釈迦牟尼仏の裏側には、この寒山寺の開祖とされる寒山(かんざん)と拾得(じっとく)の絵が祀られている。
この寒山と拾得は共に唐代の脱俗的な人物で、両者ともに在世年代は不詳である。 -
両人は、非僧非俗の風狂の徒であったが、仏教の哲理には深く通じていた。
詩作をよくし、ことに寒山は「寒山子詩」と呼ばれる多数の詩を残している。
寒山は文殊菩薩、拾得は普賢菩薩の再来と呼ばれることがあり、また、師の豊干禅師を釈迦如来に見立て、あわせて「三聖」あるいは「三隠」と称する。寒山子詩を中心に3者の詩を集めたものに「三隠詩集」がある。
その殿内の隅には、鐘が置かれている。
また、反対側の通路には、先程の十八羅漢の残りの像が並んでいる。
裏側の出口からこの大雄宝殿を出る。すると、再び大きな庭に出る。左右には回廊が見える。 -
この庭の右手にオレンジ色の壁を持った2階建ての建物が見える。
唐さんに聞くと、これが鐘楼であると言う。庭からは何も見えないが内部に鐘があるのであろう。
この庭の先に建つ建物が寒拾殿である。この殿内に入ると、この殿内の中央には、黄金色の寒山と拾得の像が祀られている。その像がまた面白い。
唐さんが、「この像はカラオケをしているのではありませんよ!」と言う。確かに、立っている像は、手にマイクを持って歌を歌っている様に見える。
しかし、唐さんが、「あれはマイクではありません。蓮の花の蕾です。」と教えてくれる。 -
この像が造られた時代にはカラオケなどがあるはずもなく、造った人達も後世の人達がその様な見方をするとは思わなかったであろう。
また、続けて唐さんが、「寒山と拾得が手にしているものは、一つは花瓶ともう一つは蓮の花の蕾です。この2つのものは、共に平和を象徴するものです。」と教えてくれる。
この像は平和を象徴しているのである。
その殿内を抜けると、その裏からは回廊が続いている。その回廊の壁沿いには、多くの額が回廊の壁に埋め込まれ、その中には様々な漢詩が書かれている。これは、この寒山や拾得が作った漢詩なのであろうか?
その漢詩の中に、中唐の詩人で政治家でもあった張継の有名な七言絶句「楓橋夜泊」がある。
その漢詩の前で、唐さんが説明を始める。 -
唐さんによれば、張継は、煬帝の造った大運河を旅した時に、蘇州郊外で、旅愁を詠ったものが、この七言絶句「楓橋夜泊」である。
この詩は都落ちした旅人が、蘇州西郊の楓江にかけられた楓橋の辺りで船中に泊まった際、旅愁のために眠れぬまま寒山寺の鐘の音を聞いたという様子を詠ったものである。
唐さんが、漢詩で書かれたこの詩を日本語で読んでくれる。
一通り読んだ後にツアー客の女性に復唱する様に言うが、一回聞いたくらいでは憶えられないのであろう。その女性はもう一度、唐さんに読んでくれる様に要求する。
〔 楓橋夜泊 〕
月落烏啼霜満天、 月落ち、烏啼きて、霜、天に満つ、
江楓漁火対愁眠。 江楓、漁火、愁眠に対す。
姑蘇城外寒山寺、 姑蘇、城外の寒山寺
夜半鐘聲到客船。 夜半の鐘声、客船に到る。
この七言絶句の漢詩の意味は以下の様な内容である。
月は西に落ちて闇の中にカラスの鳴く声が聞こえ、厳しい霜の気配は天一杯に満ちている。
運河沿いに繁る楓と点々と灯る川の漁火の光が、旅の愁いの浅い眠りの中でチラチラ瞬いている。
その時、姑蘇の町外れの寒山寺から、夜半を知らせる鐘の音が、私の乗る船にまで聞こえて来た。
と言った内容である。
この壁の額を見れば、幾つかの額はこの漢詩を、書体を変えて書かれたものである。
この様な漢詩が、この回廊には一杯に並んでいる。この回廊を抜けると、最初の参道から見えていた普明宝塔の前に出る。ここで、この塔をバックに記念撮影を個々に行う。 -
私もまた梁さんにお願いし、この塔をバックに記念撮影をお願いする。しかし、丁度お昼頃である為に、太陽が真上近くにあり、ここからでは逆光になっている。
唐さんによれば、この普明宝塔は最近の1995年に再建されたものなのだと言う。高さは52mで、唐の楼閣式仏塔を模して建てられたものである。
ここで一通り記念撮影を済ませ、更に建物沿いにある回廊を奥に進む。ここにも壁には多くの漢詩を飾った額が埋め込まれている。
また、途中に小さな箱庭の様なところも造られており、そこには太湖石が置かれた場所もある。そして、寺の出口前の内庭には、これまた立派な太湖石がある。
それには、“観音峰”と彫られている。どういう意味なのであろうか?この太湖石の名前か?
この太湖石の裏が寺院の出口である。その出口から出ると、最初の参道にあった出口ではなく、バスを降りた近くなのであろうか、この寺院の駐車場のところに出て来た。
その駐車場には、我々のバスも止まっており、そのバスに乗り込む。時刻は12時20分頃である。 -
<蘇州料理の昼食>
次は昼食場所である。バスは我々が全員乗り込むと走り出す。
唐さんが、「これから昼食場所に向かいます。今日の昼食は蘇州料理です。そして食事後にこの蘇州の伝統工芸である刺繍の工場に立寄ります。」と言う。私が昼食場所までは時間が掛かるのかを聞くと、昼食場所はここから然程遠くないとの事であった。
バスは寒山寺から蘇州市街の道を進む。この寒山寺辺りは旧市街なのであろうか、周りの家々も古い民家が多い。バスの車窓から、この蘇州のランドマーク的な建物の虎丘が見えている。
バスはこの蘇州市街を10分程走り、大きな白い塀で囲まれた建物の脇で停車する。ここが今日の昼食場所の様である。唐さんに促され、全員がバスから降り、唐さんについて、その建物内に入る。
その入口には、“蘭莉園”と書かれた大きな額が掛かっている。その建物の入口から回廊が続き、その回廊を通り、店内に入る。 -
店内は非常に広く、既に多くの客で円卓テーブルが埋まっている。その店内奥の円卓テーブルに誘導され、その一つの円卓テーブルに全員が座る。
まずはお決まりの飲物を唐さんが、みんなに聞いて廻る。そして、今日の料理についての説明を始める。
今日の昼食は蘇州料理である。川魚料理と麺が有名な料理だそうだ。
注文された飲物が来ると、直ぐに料理が円卓テーブル中央のガラスの円卓部分に置かれる。それも次から次へと料理が出て来て、直ぐにそのガラスの円卓部分が一杯になる。その後も多くの料理が出て来た。
結局出て来た料理は以下の様なものである。
<平成23年9月24日(土)昼食:蘇州料理>
①豆腐と木耳のうま煮
②チャーハン風ご飯
③もやしと牛肉のうま辛煮
④餡かけおこげ
⑤中国菜の塩炒め
⑥蘇州麺
⑦鶏肉の天ぷら
⑧松鼠桂魚(川魚)のケチャップ風甘酢餡かけ
⑨キャベツと人参の塩炒め
⑩大根と豚肉の醤油煮
⑪トマトと卵のスープ
⑫卵の塩炒め
⑬豚挽肉の醤油炒め(揚げワンタン皮入り)
⑭デザート(プチトマト)
デザートも合わせ、全部で14品もの料理が出て来た。中でも唐さんによれば、この蘇州料理の名物料理が一つは、その名前通りの蘇州麺ともう一つが松鼠桂魚(川魚)なのだと言う。
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蘇州麺は、細い日本のラーメンの様な麺である。汁は少しラー油の効いた辛い汁ではあるが、麺は日本人には馴染みのあるしこしこ麺で美味しい。
普通の醤油系スープで、この麺を食べたら更に美味しいであろう。
唐さんに後で聞くと、普通の蘇州麺は醤油系スープや鶏がらスープで食べるのが普通なのだそうだ。
松鼠桂魚の“松鼠”とはリスの意味で、桂魚は中国で最高級の淡水魚である。
この料理は、この桂魚をリスの尻尾の形に揚げたものにケチャップ風甘酢餡をかけた料理である。
しかし、淡水魚であるので、小骨が気になるが、意外にしっかりと取り除き、揚げられているので、気にならない。淡水魚であるので、淡白な味ではあるが、丁度掛かっているケチャップ風甘酢餡かけが、その淡白な白身に合う。
他の料理もそこそこ美味しいものが多かった。しかし、残念なのはご飯である。ここもチャーハン風に炒めたご飯が出て来たが、美味しくはない。ご飯好きの私としては、おかずの料理が美味しいだけに非常に残念である。量と味は満足のいくレベルの料理であった。
デザートには、中国国内の食事では定番の“スイカ”が出て来るものと思っていたら、珍しくプチトマトが出て来た。
これで食事を終える。出されたお茶を飲みながら、唐さんが来るのを待つ。
暫らくすると、唐さんと梁さんが現れ、ここで食事が終了し、全員が席を立つ。
そして、トイレなどを済ませ、再び回廊を抜け、玄関に出て、その前でバスが到着するのを待つのかと思ったら、ここから歩いて次の予定場所である刺繍研究所に向かう様である。 -
<蘇州刺繍研究所の見学と蘇州のランドマーク:虎丘>
その昼食場所の建物の塀伝いに移動し、隣に立つ建物が刺繍研究所なのである。
その建物の入口を入ると写真の様な大きな絵が目に入る。絵だと思っていたら、それは刺繍で出来たものであった。非常に大作である。この様なものを刺繍で行うのにどれ位の時間が必要なのであろうか?
元々蘇州はシルク産業で有名な場所で、この刺繍もそれに伴って発達したものである。この蘇州の刺繍は中国国内でも秀逸で、ユネスコの無形文化財に指定されているものである。
更に入口から奥の部屋に入ると、広い部屋の壁沿いと中央部分に丁度、美術館の絵画の様に刺繍作品が並んでいる。そして、その壁沿いの場所で、一人のおばさんが黙々と刺繍を行っている。
ここで一人の女性が説明員として現れた。その女性について、壁沿いの刺繍の説明を受けながら、一つ一つの作品を見学する。本当にこれが刺繍で出来ているのかと疑いたくなる様な出来栄えである。裏から見ると刺繍と判るものもあるが、裏から見ても刺繍かどうか判らない様な作品もある。
そして、これらは展示、観賞用ではなく、どれも小さく作品の下部に値札が付いている。これらは全て売り物である。
そして、驚いたのは、両面で刺繍糸の色が違うもので、同じ図柄が色違いで裏にも描かれたものや、更に凄いものは両面で図柄が全く違うものがある。どの様にして刺繍をしているのか判らない。
両面で図柄が違うものは、張り合わされているのかと聞いたが、違うらしい。どの様にして刺繍を施しているのか、全く理解が出来ない。
更にその奥の部屋には更に大きな作品や屏風状になったものなどが展示されている。
中には、日本円で一千万円近いものもある。こんなものを買う人が本当にいるのであろうか?
もう中国皇帝の持ち物の域である。
それらの作品を見て後、大きな土産物の部屋に通される。
ここにある土産ものは、先程まで見ていた様な大きな絵のものはないが、はがき大のものからそれよりも少し大きなものなどの刺繍製品があり、手頃な値段で販売されている様である。
しかし、良い作品だと思い、値札を見るとそれなりの値段が付いている。土産物に購入するレベルのものではない。
少し安いと思うと、やはり良い物に比べ、刺繍が雑であったり、とそれなりの値段にあった作品になっている。
また手頃な土産物としては刺繍のハンカチなども多くあるが、余りにも在り来たりのものである。
結局、色々見て廻ったが、ここでは何も買う事がなく、最後にお茶を頂き、のんびりするだけであった。ここでは刺繍作業を行っているところは入口の部屋で見た人のみである。
同ツアーの人達の多くはここでハンカチなどの小物の土産物を多く購入していた。しかし、ここではハンカチ1つでも40元(約520円)程する。中国国内の物価からすると非常に高い。
お茶を飲む場所にほぼ全員が集まった事を確認し、唐さんが、「もう皆さん、土産物は良いですか?それではここを出ます。」と言い、この部屋の隅にある大きな扉を開ける。
そして、この建物を出て、再び塀沿いの道路に出るとそこに我々のバスが待っていた。
全員がそれに乗り込み、唐さんが人数を確認するとバスが出発する。時刻は14時10分頃である。
ここで、唐さんが、「次はこの蘇州のランドマーク的な建物である虎丘を見ます。」と言う。
バスは蘇州の市街を走る。途中、さすがに運河の街で、至る所で運河に見え、その上の橋を渡る。
その橋の上からは虎丘が見えている。すると、バスは道路脇で停車する。
そして、唐さんが、「皆さん、ここで降りますよ!」と我々を促す。我々がバスを降りると、そこは車の往来の多い通りで、虎丘の近くではない。
唐さんに、私が「虎丘に行くんではなかったのですか?」と尋ねると、「虎丘に行く時間はありません。この先から虎丘を眺めるのです。」と答える。残念である虎丘には立寄るのではないのだ。
旅行日程表を良く見ると、確かに車窓からの表示になっている。バスを降りて見やすい場所まで行くだけでも車窓よりは良いか?
そして、バスを降り、少し歩き、運河に架かる橋の上から虎丘を眺める。この橋の上からの運河の眺めも日本にはない風景である。 -
この虎丘について少し説明を加えると、この虎丘は越王に敗れた呉王の闔閭(こうりょ)がこの小高い丘に埋葬された。その3日後に白い虎がこの丘にうずくまっていた事からこの名前が付いたと言われている。
元来、この丘には東晋時代に建てられた別荘が寺になった虎丘山寺と呼ばれる寺があった。
その後、改修や改名を繰り返し、清代に虎阜禅寺となり、現在に至る。因みに本当の呉王の闔閭の墓は、この虎丘に向かう途中の剣池と言う池の辺りであったとされている。
呉王の闔閭は、漢文などで習う中国の春秋戦国時代の伝記の一つである『臥薪嘗胆』の故事の物語に出て来る人物である。その相手は、越王の勾践(こうせん)である。
ここで唐さんが、ツアー客のカメラで個々に虎丘をバックに記念撮影を行ってくれる。車の往来が多いので、その車に気をつけながらの写真撮影になった。また、ここでは梁さんもその記念撮影を行っている我々の横からツアー客の写真を必死に撮っている。
虎丘をバックにした記念撮影やこの辺りの運河の風景を写真に収め、10分程で再びバスに戻る。
ここから、この蘇州のメインの観光地である世界遺産の蘇州庭園の一つである留園に向かう。 -
<蘇州の世界遺産、留園>
蘇州は、現在9ヶ所の庭園が世界文化遺産に登録されている。その9か所の庭園は、拙政園、留園、網師園、環秀山荘、滄浪亭、獅子林、耦園、芸圃、退思園(同里)である。
上記以外にも蘇州には江南式庭園が多い。
バスは再び、蘇州市街を走り、10分程で大きな駐車場に入り、そこで停車する。この駐車場でバスを降り、ここから歩くのである。時刻は14時35分である。
天気が良くなって来たので、日差しが眩しい。駐車場から出て、その横の塀沿いに歩くと、その壁の所に小さな入口が見えている。その入口上に留園の文字が見える。ここが留園の入口なのである。 -
この入口前で唐さんが、入場手続きを済ませるのを待つ。
ここで、この留園について少し説明すると、この留園は清代の建築造園様式を伝える名園で、蘇州四大名園の1つに挙げられるばかりか、中国四大名園としても名高い。
その創建は明代に徐時泰が個人庭園を造園したのが始まりで、清代の18世紀末に劉恕により改築されて、劉園となり、更に19世紀末から20世紀初に掛けて大規模な改築が行われた後、留園と呼ばれる様になった。
唐さんの入場手続きが済むと、みんなでこの小さな入口から中に入る。入口を入ったところは広間になっており、そこには“呉下名園”の額が掲げられ、その下にはこの庭園の綺麗な絵図が見える。
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この広間から少し狭い通路を通ると、また広間があり、そこには留園の文字の額が見え、その右手の壁には中国の名勝地で見る“国家級旅遊景区”の文字と5Aの表示がある。
この留園内の回廊は迷路の様に張り巡らされている。その回廊を唐さんが、この庭園の奥へとどんどん進んで行く。
すると回廊から池が見える。この様な池がこの庭園内には様々なところに配されている。
更に回廊を唐さんについて奥に進むと、また大きな庭の前に出る。この庭には、大きな太湖石が山の様に積み上げられている。その前には屋敷が建っている。この屋敷の様な建物は、五峰仙館と呼ばれているそうだ。前面に扉が並ぶ、変った造りの平屋の建物である。 -
唐さんによれば、この五峰仙館はこの庭園内で最も大きな広間を持つ建物であると言う。
この五峰仙館内に入ると、この広間は左右対称の造りで、中には当時使用された調度品などがそのままの状態で展示されている。
この五峰仙館の梁や柱、調度品類はすべて楠木で造られており、その事から、この五峰仙館は別名『楠庁』と呼ばれている。 -
この五峰仙館内を見学し、その裏手からこの建物を出る。その先にも回廊が続き、その両脇には、箱庭の様な庭園が続く。
すると、その回廊の脇に建つ建物から楽器の音色が聞こえてくる。更に回廊を進み、その建物の前まで来ると、その建物内で、宮廷衣装を着た女性が琴を演奏している姿が見える。 -
しかし、この回廊からでは、その演奏状態が良く見えない。その女性を見る為に、その回廊を更に進み、その建物の入口付近に行く。
そこには、この女性を写真に撮ろうと、その入口前には列が出来ている。
私もその列に並び、順番を待つ。やっと順番が来て、中を覗き込む様にして写真を撮らせて貰う。
ここで、唐さんが、「それでは先に進みますので、写真を撮りたい人はもう一度、ここに戻って来ますので、その時にして下さい。」と言い、みんなに先に進む様に促す。まだ、同じツアー客の人達が写真を撮る為に、列に並んでいたからである。
再び、回廊を進むと、目の前に池の中に大きな太湖石がそそり立つ庭が現れる。
その庭を囲む様に建物が建っている。その大きな太湖石の前で、唐さんが、「この大きな太湖石は“冠雲峰”と呼ばれ、その高さは6.5mもあります。この庭園内で最も有名な太湖石です。また、この北側に立つ太湖石と並んで、冠雲、瑞雲、岫雲と言われ、庭園内の姉妹三峰として有名です。」と説明をしてくれる。
そして、唐さんが、「ここで少し時間を取りますので、記念撮影などを行って下さい。」と言う。
各自、思い思いにこの冠雲峰をバックに記念撮影を行っている。 -
私も、梁さんにお願いし、冠雲峰をバックに記念撮影を行う。また、梁さんが、自分も撮って欲しいと言うので、梁さんの持っているカメラで、同じ様に冠雲峰をバックに写真を撮ってあげる。
また、私のカメラでもポーズを取る梁さんを撮らせて貰う。
この前で、5分間程この様な写真撮影会をツアーのみんなで行っていた。
その後、その前の冠雲堂内に入り、その中に展示されている調度品を見ながら、その中を抜ける。
この冠雲堂内を抜けると、石畳の小路がある小庭に出る。この小庭には、大きな木々は無いが、小さな木々がこの小庭を鉢にした盆栽の様に配されている。
この小庭の小路の石畳を見ると、石畳だと思っていたが、その小路は小石が敷き詰められ、その間には小石で花瓶に生けられた花などをモチーフにした絵が所々に見受けられる。
この小庭を一周し、再び冠雲堂内を抜け、先程の冠雲峰前の広場から回廊に戻る。 -
そして先程、女性が琴の演奏をしていた建物前まで戻って来た。そこで先程、写真が撮れなかった人達が写真を撮りに、その建物入口付近に向かう。
しかし、良く聞いていると、先程とは音色が違う。回廊沿いにその演奏の様子が見えるところまで出ると、先程、この前を通った時に演奏していた女性とは違い、また楽器も琴ではない。
楽器は琴よりも小さな楽器である。この楽器はベトナムのホイアンで見た楽器と似ている。
琴を小さくした様な楽器である。この楽器を演奏している。
その建物前を過ぎ、回廊から外れ、回廊脇の入口を入る。ここから再び壁沿いに回廊が続き、その左手には小庭があり、壁には漢文を納めた額が並ぶ。本当に迷路の様で、唐さんについて歩かないと迷子になりそうだ。
その回廊を進むと、視界が広がり、大きな庭に出る。そこには、池が配され、その周りには建物が並ぶ。池には小橋が架けられ、柳などの木々が多く配され、非常に情緒がある庭である。 -
この池の前でもまた、記念撮影会が始まる。ツアー客が各々、自分の気に入った場所をバックに写真を撮って貰っている。
私も池をバックに梁さんに写真を撮って貰う。その後、その池の周辺を廻る様に建物内の回廊を進む。その建物内にある窓からは、その庭の景色を切り取った、ひとつの絵の様に見える。
この庭や建物を設計した人の狙いもこの様ところにあるのであろう。
それもその見える風景が最も美しく見える様な効果も狙っている様に思う。
紅葉などの木々の端が少し見える様に設けられたものや柳の垂れた枝の一部が池に迫る部分を切り取ったものなどがあるのが、その事を彷彿させる。
その回廊を進むと、最初に、池の向こう側に見えていた建物の舞台で、また、楽器の演奏を行っている。その舞台前まで行き、この演奏風景を少し見学する。
その演奏が終わると、再び建物内の回廊を進む。建物内の回廊の途中にも回廊沿いに小さな庭の様な場所が見える。また、庭に面した回廊に配した窓が建物入口奥に見える場所もある。
遠くからでも庭の景色が見える様に設計されている。 -
その回廊を進むと、何時の間にか、この留園の出口を出ていた。その脇にはこの留園の入場券売場がある。ここが正規の入口なのかも知れない。
これで留園の見学終了である。この出口付近でみんなが集合した事を確認し、この留園の駐車場へ向かう。出口付近から駐車場は然程遠くなく、直ぐに駐車場に出る。時刻は15時20分頃である。
駐車場で再びバスに乗り込み、次の観光ポイントに移動する。次は山塘街である。 -
<蘇州の古街、山塘街>
バスは蘇州市街を再び走り、5分程で運河に架かる橋の上で停車する。この運河沿いの街並みが観光地になっている山塘街である。
バスを降り、その橋の上で唐さんからこれからの予定について説明が始まる。
「ここが山塘街と言う蘇州の中で最も有名な水郷の街です。ここで自由時間にします。今が15時30分前ですので、16時まで自由時間とします。それでは解散します。」と言う。
この橋の上からの景色も中々の景色である。中国ならではの景色である。
この橋の上で何枚か記念撮影を梁さんにお願いした後、橋からこの水郷沿いに広がる街内に入る。 -
まずは、この水郷沿いの右手の路地に下りる。路地には、多くの観光客がいるが、日本人の観光客ではなく、中国人の観光客である。それも多くは若者である。ここは蘇州や近隣の町の若者のデートスポットになっている様である。
この路地沿いには、この水郷を見ながら喫茶が楽しめる洒落たカフェなどもあり、デートスポットとしても確かに最適な場所である。そのカフェなどもこの水郷の古い建物をリフォームして造られており、この水郷の景観を損なわない様な配慮が見受けられる。
ここで少し、この山塘街について説明を加える。
山塘街は、唐代の有名な詩人である白居易が、この蘇州の長官を勤めていた時に、蘇州城と虎丘山を繋ぐ水郷沿いに築かれた街である。現在の街並みは近年観光用に明、清時代の街並みを再現したもので、白壁の家々が水郷沿いに並ぶ風情たっぷりの街である。 -
この水郷には、日本の屋形船の様な遊覧船が運航されている。その遊覧船が水郷を行き来しているのが見える。この遊覧船にも乗りたいが、時間が余りにも少ない。
路地沿いには大きな白壁の古い家々が並ぶ。その家々の前をゆっくりと水郷の景色を眺めながら、進んで行くと、前方に橋が見えて来た。それと同時に梁さんが、私に追い付いて来た。
また、ここで写真を撮って貰う事にした。その後、梁さんと二人で橋を渡り、水郷の反対側の通りに出る。しかし、ここで梁さんは私と反対側の方向に歩き出した。
仕方なく、梁さんとは別れ、私は更に水郷の奥に、通りを進む。この辺りには食べ物を売る店や食堂風のレストランなどが並んでいる。
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少し歩くと、多くの人が一軒の屋台の前に群がっている。何を売っているのかとその店の前に出ると、何やら大きな丸い鉄板の上で、丸い金属の輪っかの型でパンケーキの様なものを焼いている。
焼く途中に、その上にトッピングで乾燥フルーツやナッツの様なものを載せている。
そして、それが焼けると金属の輪っかを外し、大きなブリキの皿に並べて売っている。それを若い女の子達が買って、頬張っている。食べていないので、味は判らないが、その女の子達を見ていると、どうも甘いパンケーキ状のお菓子の様なものの様である。 -
それらの前を過ぎ、更に路地を奥に進むと、変な臭いが周りに漂い出した。何かが腐った様な臭いというか、どう表現したら良いか判らない臭いである。
すると前方の右手に、何かを売っている店が見えている。どうもこの店から臭いがしている様である。店の前まで行くと、その店には“臭豆腐”の文字が見える。
この店で売られている揚げた豆腐の様なものが、この悪臭の元凶である。本当に、店の前まで来ると近くにバキュームカーでも止まっている様な臭いである。
この様な強烈な臭いのする食べ物でも、若い女の子達が買って食べている。美味しいのであろうか?
しかし、この臭いでは、日本人には食べられないであろう。
この臭豆腐なるものは、後で唐さんに聞くと、中国の人でも好みが分れ、食べられる人と食べられない人がはっきりしているとの事であった。中国ではポピュラーな食材で、家庭でも作られるもので、豆腐を石灰等の中に入れて発酵させたものなのだと言う。日本の納豆に似たものである。 -
とにかく、この店の前から離れる事にした。この臭いのする所にいると、この臭いが衣服や体に染込みそうだ。
この店の前から更に水郷沿いの路地を奥に進むが、また先程の臭いが漂う。
この辺りには、この臭豆腐を売る店が多い様だ。仕方なく、この辺りで引き返す事にした。奥に進みと更に臭いが酷くなる事が判るからである。
先程の店の前を過ぎ、やっとこの酷い臭いから解放された。時計を見ると、15時50分を過ぎたところである。ここからゆっくりと解散した橋まで戻れば、丁度16時前頃には戻る事が出来る。
この路地を橋の方向に歩き始める。細い路地に多くの店が軒を連ねる。 -
橋に戻る途中で、この水郷の遊覧船乗り場が現れる。ここには、この水郷の観光の中心地らしく、ここには中国の景勝地の標識がある。ここの正式な名称は“七里山塘景区”である。また、この名勝地は、“国家級旅遊景区”看板と文字の4Aの表示である。
この遊覧船乗り場を過ぎると、もう最初に解散した橋の下である。まだ、集合時間には少しあるので、そのまま橋の下を過ぎ、道路下のトンネルを抜け、橋の道路の反対側に出る。
しかし、この辺りは観光地として整備途中で、まだ路地脇の古い家々は工事をしているところもある。
このトンネルを抜けたところで、橋の上に上がり、この反対側の運河沿いの水郷街の様子を見ると、こちら側は先程まで歩いていた水郷街の様に運河沿いに路地がなく、運河に面し、隙間無く白い壁の家々が続いている。 -
再びトンネルを抜け、集合場所の橋に戻ると、丁度16時前であった。もう殆どのツアー客が集合している。寧ろ、肝心のガイドの唐さんがいない。また、梁さんもいない。
16時過ぎになり、やっと唐さんと梁さんが橋に上がって来た。
そして、みんなが揃っている事を確認し、バスに向かう。
バスは道路の反対側に止まっている様で、みんなで往来する車やバイクに気をつけながら、その道路を渡り、道路沿いにバスのところまで移動し、バスに乗り込む。時刻は16時5分過ぎである。 -
<無錫への帰路と無錫料理の夕食>
ここから無錫に戻り、夕食である。ここで、唐さんが、「これから無錫に戻り、夕食場所になります。ここから1時間程掛かります。この間にオプショナルについて説明を行います。今日のオプショナルはマッサージだけです。明日のオプショナルはお勧めの上海雑技観賞と黄浦江のナイトクルーズです。これらは全て1人当り日本円で3,500円ですが、2つ以上申し込まれた方は2つで、日本円で6,000円になります。マッサージは1時間で、ホテルの部屋で受ける事が出来ます。それでは、これから皆さんに聞いて廻りますので、宜しくお願いします。」と言い、少しするとバスの前の方から、みんなに聞いて廻っている。
そして、私のところに来た時に、私が「明日の上海雑技観賞はどこの雑技団の雑技が観賞出来るのですか?」とガイドブックを見せながら、聞いて見ると、白玉蘭劇場の雑技だとの事である。これは今迄に見た事がない雑技劇場での雑技ある。
それでは、この雑技観賞とマッサージをお願いする事にした。それで、その2つのオプショナルをお願いする。そして、その代金を支払おうとすると、マッサージの時に徴収するとの事で、ここでは申し込みだけの様である。また、マッサージの時間を19時からと決める。
これが済むと、今日は結構歩いたので、少し疲れた為か眠気が襲い、そのまま寝てしまう。憶えているのは、蘇州市街を走っていた間だけである。
次に目が覚めたのが、既に無錫近郊の高速道路上であった。もう直ぐ、高速道路出口である。
高速道路を出て、更に10分程無錫市内の道を走ると、今晩の夕食場所である“中水大酒店”に到着した。時刻は17時5分である。中水大酒店はホテルである。 -
このホテルの入口を入ると、左手にレストランがある。このレストランで食事をするのである。
レストラン内に入ると、客は然程いない。このレストランの中央部分の円卓テーブルにみんなで座る。既に円卓テーブルの上には前菜の皿が数皿並んでいる。
まずはお決まりの飲物の注文を聞かれる。数人の人達が麦酒を注文している。
その麦酒が来るのと同じ様なタイミングで、最初の料理が出て来る。最初に出て来た料理は珍しく焼飯である。それも今迄に出て来た焼飯とは違い、色がこげ茶色である。かなり味が濃いものかも知れない。そして、その次に蒸篭に入った小龍包が出て来た。これを店員が蒸篭から各々の皿に1個ずつ取り分けてくれる。
その後、どんどん料理が出て来た。出て来た料理は以下の様なものである。
<平成23年9月24日(土)夕食:無錫料理>
①前菜(ピーナッツ/焼豚/キャベツの漬物/きんぴらごぼう)
②焼飯
③小龍包
④豚肉とじゃがいもの煮物
⑤豚肉の味噌煮
⑥チンゲン菜の塩炒め
⑦卵と白魚の塩炒め
⑧ピーマン、しめじと牛肉の醤油炒め
⑨茄子とキュウリの甘味噌炒め
⑩ポテトフライ
⑪冬瓜とふのりのスープ
⑫デザート(すいか)
無錫料理とは、比較的薄い味付けの料理が多い。その分、焼飯に味がしっかりと付いている。北京辺りの料理は料理の味が濃く、ご飯物は殆ど味が付いていない物が多い。
取り立てて美味しいものはなかったが、小龍包は上手く肉汁が包み込まれ、美味しかった。
食事を終え、お茶を飲みながら、唐さんと梁さんが現れるのを待つ。
ここで、若者2人が、今晩のホテルへ帰ってからの事を話している。私がその話に首を突っ込む。
どうも2人は、昨晩食事をしたホテル近くの古運河の店々に再び行く様である。そこで私もその散策に参加させて貰える様にお願いすると、快くOKを貰った。
ホテルへ帰ったら、私はマッサージを受ける事を説明すると、その2人もマッサージを受ける事になっていると言うので、全員のマッサージが終了するであろう。20時過ぎに私の部屋に来て貰う事にした。
お茶を飲みながら、若者2人、この様な話をしていると唐さんが現れた。
唐さんが、「料理はどうでしたか?」とお決まりの様に聞いて来る。これに数人がこれもお決まりの様に、「美味しかったです。」と答える。本当に美味しいと思っている人は少ないであろうが?
その話が終わると、全員が席を立ち、レストランを出る。時刻は17時55分過ぎである。 -
バスは、夕方の無錫市内を走る。夕方の時間帯である為か、道路が所々で渋滞している。その為か、ホテルに到着するのに、少し時間を要した。
夕食場所の中水大酒店から30分程で、日航無錫ホテルに到着した。時刻は18時25分である。
辺りはすっかり暗くなっている。 -
<ホテルでのマッサージ>
ホテル前でバスを降り、一旦ホテルのロビーに集合する。そこで、今晩のマッサージについて説明が始まる。
マッサージの説明を受けているのは、ツアー客のほぼ全員である。その為に少しずつ時間をずらし、各自の部屋に唐さんが、マッサージの女性を案内する様である。私は丁度、最後から2番目で、このマッサージの後に一緒に出掛ける約束をしている若い2人組の男性達の前である。
時間は19時過ぎくらいに部屋に来るとの事を唐さんに告げられる。
それで再び、若い2人組の男性とマッサージが済んだ頃に部屋に来て貰う事として、みんなと一緒に各自の部屋に戻る為にエレベーターに乗り込む。
ツアー客のみんなの部屋は、同じ12階である。
エレベーターを降り、各々の部屋に戻る。私も部屋に戻り、部屋着に着替え様としていたら、部屋のベルが鳴った。
もうマッサージの人が来たのか?と思い、部屋着に着替えるのを止め、ドアを開けると、同ツアーの若いOL2人組の子達であった。
何の用事なのかと聞くと、そのOL2人組の子達も、マッサージが終わったら、このホテル周辺を散策したかったらしく、私達が出歩く相談をしているのを聞いて、同行したい事を告げに来たのである。私は、一緒に行く事は問題ないので、その旨を告げ、他の2人も問題ないのでないかと言い、マッサージが終了した後に部屋に誘いに行く事を約束する。
それで安心したのか、若いOL2人組の子達は部屋に戻って行った。部屋は隣である。
再び、部屋着に着替えを行い、テレビを点け、マッサージの人が来るのを待つ。まだ、予定の19時まで10分程ある。
テレビを見ながら、今日の予定をまとめる。19時になったが、マッサージの人は現れない。
19時5分過ぎにやっと部屋のベルが鳴る。出ると、唐さんがいる。そして、唐さんの後に小柄な女の子がいる。この子がマッサージをしてくれるのである。
唐さんが、「この子がマッサージをします。良いですか?」と聞く。私が、「問題ありません。」と言う。唐さんが、「時間は1時間です。足のマッサージです。高石さんは、明日の雑技観賞もありますので、代金は明日の雑技観賞も合わせて、6,000円です。」と言う。そのお金を支払う。
私が、「足だけですか?」と聞くと、唐さんが、「足が中心です。全身ではありません。それでは、始めます。」と言い、その女の子に始める様に促す。
その女の子が、部屋のソファを引き出し、それに座る様に身振りをするので、私はそれに座る。
そして、クリームを手に付けて、私の足裏からマッサージを始める。
唐さんは、それを確認すると、「まだ、後の人もいますので、これで失礼します。」と言い、部屋を出て行く。その間も女の子は足裏のマッサージを黙々と行ってくれている。
さすがに上手である。痛くもなく、弱くもなく、適度に足裏のツボを押してくれている。
日本語で喋りかけるが、一行に反応しない。やはり、全く日本語が判らない様で、コミュニケーションが取れないのが、残念である。
しかし、段々気持ちが良くなって来て、眠くなって来た。
うとうとしながら、マッサージを受けていると、ふくらはぎをマッサージされると、さすがに痛い。それで少し顔をしかめると、それを見て、少し弱めに揉み始める。この様なところは、言葉が通じない方が微妙な表情の変化で、マッサージの対応を行ってくれるので楽である。
あっと言う間に片足が終わり、もう片足に掛かる。それも少しうとうとしていると、済んでしまう。
最後に、ソファに座ったまま、肩をマッサージしてくれる。
この肩のマッサージが力強く、これが最も痛かった。
余りにも肩が凝り過ぎているので、そう簡単には凝りを解す事が出来ないが、その肩を何とか解そうと力を籠めて揉んでくれるが、それがまた痛い。
この肩のマッサージを10分程行って貰い、マッサージは終了した。チップをあげ様としたが、受け取らず、そのまま部屋を出て行った。
みんなもそろそろ、マッサージが終わる頃であろう。早々に部屋着から服を着替え、出掛ける準備を行い、若い2人組が来るのを待つ。
しかし、8時を10分程過ぎても、まだ来ない。すると部屋のベルが鳴る。
やっと来たのかと出て見ると、若いOL2人組の子達である。余りにも私が、部屋に来るのが遅いので、痺れを切らし、来たのである。
まだ、若い2人組の男性が来ていない事を説明し、私もそのまま、部屋を出て、その男性の部屋に行く事にした。
その若い2人組の男性の部屋は少し離れた、12階の端の部屋である。その部屋に行き、ベルを鳴らす。すると、1人の男性が出て来た。既にマッサージは終了している様である。
もう一人が着替え中の様である。少し部屋の前でみんなが揃うのを待つ。その間に若い2人組の男性の一人に、若いOL2人組も一緒に行く事を告げ、了解を貰う。みんなが揃い、エレベーターで1階に下りる。
そのエレベーターホールで、同ツアーのおばさん4姉妹の一人の人に声を掛けられる。
どうも、そのおばさん達もマッサージを終えた様であるが、その代金に納得が行かなかった様である。
どうも代金を中国元で支払った様であるが、それが500元を支払った様である。
確かに日本円で6,000円なので、500元は払い過ぎである。その旨を言い、納得したのか、エレベーターホールから部屋におばさんは戻って行った。
その後、やっと我々がエレベーターで1階に下りる。そして、夜の街に出る。 -
<無錫日航ホテル近くの運河沿いの街並み散策>
時刻は、20時30分前である。もう余り遠くまでは行けない。
ホテル近くの運河沿いの街並みを見に行く事なった。若い2人組の男性は昨晩もこの運河沿いの街で食事したと言う。
聞くと、その後デザート専門店の様な店で、その店の名物スイーツを食べたと言う。その話を聞き、私も若いOL2人組もそのスイーツに興味津々である。
若い2人組の男性は、今晩も行く様な事を店員に言っていたので、その店でもOKとの事で、とりあえず、その店に行く事になった。
今晩も昨晩と同様に、この運河沿いの店々も多くの地元の若者で賑わっている。その中を縫う様に歩き、そのスイーツ店を目指す。
スイーツ店の前に到着し、再度、みんながこの店で良いかを確認し、入る。
このスイーツ店名は“Snowhouse”である。
この時間帯は多少空いている。5名である事を女店員に手で示すと、2階に上がる様に勧められる。階段で2階に上がると、壁沿いに席が楕円状にあり、その端部分のテーブルに5人で座る。
そして、女店員の持って来たメニューをみんなで見る。
若い2人組の男性の一人が、この店の名物スイーツを教えてくれる。それは、マンゴースイーツで、マンゴージュースのカキ氷をベースにマンゴーフルーツをトッピングし、その上からまたマンゴーソースを掛けたマンゴーづくしのスイーツで、それもかなりのボリュームのものである。
一人では、食べきれない量の様である。
しかし、折角の名物との事なので、私はこれを注文する事にした。そして、飲物に珈琲を注文する。他のみんなも思い思いに食べたいものを注文している。
ここで、みんなの自己紹介を行う。
若い2人組の男性は、大学生と思っていたが、社会人で、一人は国家公務員で、国土交通省の姫路局に勤務しているとの事。主な仕事は河川工事の発注だと教えてくれた。
もう一人の男性は、大阪淀屋橋のIT企業に勤務していると言う。大学時代の友人かと思ったが、高校時代の友人なのだそうだ。
そして、若いOL2人組は、聞くと私の高校の後輩であった。共に北大和高校を卒業した、この2人も高校時代の友達なのだそうだ。
一人は大安寺に住み、押熊の公民館に勤務する公務員で、もう一人は生駒に住み、大阪の会社に通うOLとの事である。
私も簡単な自己紹介を行い、最近はアジアの世界遺産を廻っている事を説明し、このツアーにも世界遺産見学の為に参加した旨を話した。 -
みんな、私の世界遺産巡りに興味があった様で、どの辺りを廻ったのかを盛んに聞いて来る。その廻ったところを説明すると、その都度何らかの質問が返って来る。
その様な話をしていると、各人が注文したスイーツが運ばれて来た。私の注文したマンゴースイーツは、さすがに圧巻のスイーツである。大きな深皿に山の様に盛られている。
他の各人のスイーツも全体的に大きなものが多い。この店は日本で言うデカ盛りの店なのかも知れない。全員で、そのスイーツの評価を互いにしていると、隣の席に中国人の若者達の団体が来た。
全員で、15人程いる。どう見ても、我々の隣の席を全部使っても座れないであろうと、思っていたら、その席にみんなで無理やり、座っている。
その為に、我々と接する様に座る人が何人も出て来た。その光景を見て、若いOL2人組が爆笑している。何人かの中国人の若者が自分達の直ぐ脇まで、来ているからである。
そんな事はお構いなしに、中国人の客達は店員に各々注文をしている。
この中国人達は、何の集団なのだろうか?良く見ると、男女混合で、年齢も同じ様には見えない。
また、若いOL2人組の子達が見つけたのであるが、男性の数人がトランシーバーを持っている。
まさか、仲間内で使用しているのであろうか?それとも仕事に使用しているのか?
みんなでその事を不思議に思いながら、更に行動を見ていると、今度は誰かがトランプらしきものを出して、何かを始める様である。しかし、良く見ると、トランプではなく、UNOカードである。
UNOを始める様である。そのUNOカードをこの大人数のみんなに配り始めた。
全員にUNOカードを配り終え、UNOを始めた。しかし、何人かはルールも知らない様で、自分の持っているカードを隣の人に見せて、何やら話をしている。
その様子をこちらからみんなで見ていると、非常に滑稽であった。
その後、私の世界遺産巡りの話にみんなが興味を示し、その話を暫くしていたが、話に夢中になっていた為に時間が経つのも忘れていた。もうみんなの注文したスイーツを食べ終わっている。
私も何とかジャンボマンゴースイーツを完食した。そろそろ、この店を出る事にした。
既に時刻は22時前になっていた。
店を出て、もう少し、この辺りをみんなで散策する事にする。この運河沿いの街を奥に進む。
この遅い時間にも関わらず、まだ多くの人達でレストランやバーなどは賑わっている。
少し、歩いていたが、かなり先まで店は続いている様で、適当なところで引き返す事にする。
ここで、若い2人組の男性の一人が、もう少し先まで行って見るとの事で、その男性とは別れ、我々はホテル方向に話ながら戻る事にした。そして、入口の門のところまで戻った時に、OLの一人がコンビニに寄りたいとの事で、近くにコンビニがないかを探す事になった。
横断歩道のところまで来た時に、丁度交差点の対角側の一画に小さな便利店が見えている。この便利店が中国でのコンビニである。しかし、この便利店は日本のコンビニ程色々な物は置いていない。
主に店に並んでいる物は、飲物やお菓子類、果物などが多い。
交差点の横断歩道を渡り、その店に入る。思った通り、4畳くらいの広さの小さな店で、余り多くの物は置いていない。店に入ると、思い思いに自分が欲しい物を探す。
私も丁度、ホテルの部屋で飲む飲物を購入したかったので、それを探す。
冷蔵庫は小さく、中の物も少ない。その中でお茶類を見て、砂糖入りの緑茶を購入する。みんなも好きな物を購入した様である。 -
店を出て、今度はホテルを目指し、歩き始める。もう時刻も22時半近くになっている。
ホテルまでは、交差点を渡れば、直ぐである。
ホテルに戻り、エレベーターで12階に上がり、部屋前でみんなと別れる。
時間も遅いので、部屋に戻り、早々にシャワーを浴びる事にした。シャワーを簡単に浴び、髪が乾くまでテレビを見ながら、今日の出来事を整理する。
明日の集合時間は7時半であるが、明日はこのホテルのチェックアウトなので、荷物の整理も行う。特に大きな土産物を買った訳ではないので、直ぐに荷物の整理も終わる。
そこで少し早いが、23時半過ぎに、ベッドに潜り込み、就寝する。
今回はここまで! 明日は上海へ移動!
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