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雲南旅行の3日目。麗江から玉龍雪山観光と麗江周辺、古城観光。

雲南旅行記(3日目)

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2010/05/01 - 2010/05/05

425位(同エリア587件中)

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69

パンダ番長

パンダ番長さん

雲南旅行の3日目。麗江から玉龍雪山観光と麗江周辺、古城観光。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.0
グルメ
4.5
ショッピング
3.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
25万円 - 30万円

PR

  • <ホテルでの朝食と早朝の麗江古城の街散策><br />朝6時に目覚しの音で起きる。もう少し寝たい気分である。ベッドから出ないで、そのままの状態で15分くらい起きずにいる。そして6時15分頃にベッドを出て顔を洗い、身支度を始める。<br />6時40分頃に1階のレストランに行く。レストランは然程大きくはなく、既に殆どのテーブルが埋まっている。唯一空いているのが、入口付近のテーブルだけである。その席に荷物を置き、料理を取りに行く。<br />朝食はバイキングである。まず、飲物を取りに行く。<br />オレンジジュースとコーヒーを入れて、席に置く。そして料理やパンを取りに行く。<br />バイキングで食べたものは以下の通りである。<br /><br /> ①野菜サラダ<br /> ②ソーセージ<br /> ③オムレツ<br /> ④ポテト<br /> ⑤パン(食パン)<br /> ⑥飲物(オレンジジュース/コーヒー)<br />特に変った料理はなく、また料理の数も少ない。一通り食べ終わり、美味しかったオムレツをもう少し取り、食べた。7時過ぎに食事を終え、一度部屋に戻る。<br />

    <ホテルでの朝食と早朝の麗江古城の街散策>
    朝6時に目覚しの音で起きる。もう少し寝たい気分である。ベッドから出ないで、そのままの状態で15分くらい起きずにいる。そして6時15分頃にベッドを出て顔を洗い、身支度を始める。
    6時40分頃に1階のレストランに行く。レストランは然程大きくはなく、既に殆どのテーブルが埋まっている。唯一空いているのが、入口付近のテーブルだけである。その席に荷物を置き、料理を取りに行く。
    朝食はバイキングである。まず、飲物を取りに行く。
    オレンジジュースとコーヒーを入れて、席に置く。そして料理やパンを取りに行く。
    バイキングで食べたものは以下の通りである。

     ①野菜サラダ
     ②ソーセージ
     ③オムレツ
     ④ポテト
     ⑤パン(食パン)
     ⑥飲物(オレンジジュース/コーヒー)
    特に変った料理はなく、また料理の数も少ない。一通り食べ終わり、美味しかったオムレツをもう少し取り、食べた。7時過ぎに食事を終え、一度部屋に戻る。

  • 途中、3階の窓に森住さんがいた。朝日の浴びた玉龍雪山を撮る為に日が山肌に当るのを待っていると言う。<br />  <br />見ると、もうかなり明るくはなって来ているが、山肌に朝日は当っていない。丁度、朝日が出ている辺りが雲で覆われているせいだろう。また、玉龍雪山も頂上付近に大きな雲が懸かっている。昨日の夕方の方が山の頂上付近がはっきり見えていた。私も部屋に戻り、カメラを持って待つ事にした。<br />ここで、15分くらい森住さんといっしょに玉龍雪山を睨みながら、雲が晴れるのを待っていたが、結局大きな変化がないので、私は諦め、麗江古城の街の散策に出た。<br />

    途中、3階の窓に森住さんがいた。朝日の浴びた玉龍雪山を撮る為に日が山肌に当るのを待っていると言う。

    見ると、もうかなり明るくはなって来ているが、山肌に朝日は当っていない。丁度、朝日が出ている辺りが雲で覆われているせいだろう。また、玉龍雪山も頂上付近に大きな雲が懸かっている。昨日の夕方の方が山の頂上付近がはっきり見えていた。私も部屋に戻り、カメラを持って待つ事にした。
    ここで、15分くらい森住さんといっしょに玉龍雪山を睨みながら、雲が晴れるのを待っていたが、結局大きな変化がないので、私は諦め、麗江古城の街の散策に出た。

  • 水車前の広場に昨晩の賑わいはなく、朝の散歩を楽しむ老人などが数人いるだけである。<br />昨晩少し歩いた東大街を進む。右手の水路の音が聞こえる程に朝の古城の街は静かである。<br />この時間では店も殆ど開いていない。水路の向こう側にある店が数件開いているだけである。その店は朝食を食べる人で繁盛している。<br />

    水車前の広場に昨晩の賑わいはなく、朝の散歩を楽しむ老人などが数人いるだけである。
    昨晩少し歩いた東大街を進む。右手の水路の音が聞こえる程に朝の古城の街は静かである。
    この時間では店も殆ど開いていない。水路の向こう側にある店が数件開いているだけである。その店は朝食を食べる人で繁盛している。

  • 水路を見ると、見た事もない魚を模った板が掛かっている。何なのか全く判らない。後で李さんに聞いてみよう。更に東大街を進むと広場に出た。ここが古城の中心地である四方街である。

    水路を見ると、見た事もない魚を模った板が掛かっている。何なのか全く判らない。後で李さんに聞いてみよう。更に東大街を進むと広場に出た。ここが古城の中心地である四方街である。

  • この四方街を中心に四方に路が続いている。高台にある万古楼に行きたいが、時間もないので今は行けない。そこで大石橋と書かれた方向に行く事にした。この辺りには開いている店がちらほら見える。

    この四方街を中心に四方に路が続いている。高台にある万古楼に行きたいが、時間もないので今は行けない。そこで大石橋と書かれた方向に行く事にした。この辺りには開いている店がちらほら見える。

  • 更に古城の奥に進むと小さな石橋が見えて来た。これが大石橋である。

    更に古城の奥に進むと小さな石橋が見えて来た。これが大石橋である。

  • 大石橋を渡り、この下を流れる水路沿いの道を水車の方に戻る。密士巷の路を進み、迷路の様な路に迷い込む。

    大石橋を渡り、この下を流れる水路沿いの道を水車の方に戻る。密士巷の路を進み、迷路の様な路に迷い込む。

  • この古城の地図を見ながらでも迷いそうである。一度、路が突き当たりになり、少し焦ったが、何とか大きな通りの新叉街に出た。この路に出れば、水車前の広場は直ぐである。<br />しかし、時刻は既に8時10分である。急がないと集合時間に間に合わなくなる。何とか8時15分頃にホテルに戻る事が出来た。一旦部屋に戻り、今日必要な物を揃え、ロビーに下りる。まだ、李さんも森住さんもロビーにはいない。

    この古城の地図を見ながらでも迷いそうである。一度、路が突き当たりになり、少し焦ったが、何とか大きな通りの新叉街に出た。この路に出れば、水車前の広場は直ぐである。
    しかし、時刻は既に8時10分である。急がないと集合時間に間に合わなくなる。何とか8時15分頃にホテルに戻る事が出来た。一旦部屋に戻り、今日必要な物を揃え、ロビーに下りる。まだ、李さんも森住さんもロビーにはいない。

  • <玉龍雪山風景名勝区へ><br />程なく、李さんがホテル前に現れた。ロビーを出て朝の挨拶を行う。そして、まだ森住さんが下りて来ていない事を伝える。森住さんは8時30分ぴったりにロビーに現れた。<br />みんなが揃い、ワゴン車に向かう。ワゴン車は既にホテル前に止まっている。運転手の和さんが、ワゴン車の横で待っていた。和さんに朝の挨拶を行い、ワゴン車に乗り込む。<br />

    <玉龍雪山風景名勝区へ>
    程なく、李さんがホテル前に現れた。ロビーを出て朝の挨拶を行う。そして、まだ森住さんが下りて来ていない事を伝える。森住さんは8時30分ぴったりにロビーに現れた。
    みんなが揃い、ワゴン車に向かう。ワゴン車は既にホテル前に止まっている。運転手の和さんが、ワゴン車の横で待っていた。和さんに朝の挨拶を行い、ワゴン車に乗り込む。

  • 今日はこれから玉龍雪山への観光である。<br />ワゴン車は古城地区のゲートを抜け、新城地区に出る。そこから幹線道路を使い、北に進む。<br />この麗江の街は然程大きな街ではなく、直ぐに街外れになる。街外れに大きな幹線道路が現れる。片側3車線で中央分離帯は幅が30m以上ある。中央分離帯は草が生い茂る荒地である。この幹線道路は真直ぐに玉龍雪山に向かっている。幹線道路の外は、これまた荒地である。ナシ族は人も少なく、耕地を耕すだけの労働力がないのであろうか?ペー族が支配していた大理の郊外とは大きな違いである。<br />車も然程走っていないので、快調にワゴン車は走る。途中に何度か、幾人かのナシ族の民族衣装を着た女性が車を止めようと道路に出てくる場面に出くわす。李さんに聞くと、『競馬に勧誘しているんです。』と言う。競馬がこの辺りで行われているのかと聞くと、日本の競馬とは違い、乗馬の一種であると言う。<br />しかし、非常に危ない。どの車もかなりのスピードで走っているので、急に道に出て来られたら、危なくて仕方がない。ここで李さんがこの地方の大型犬の話を始める。<br />玉龍雪山には熊ほどの大きさで、虎とも互角に戦う犬がいるという。<br />李さん曰く、犬とライオンとの混血種であるという。地元の人でもこの犬に遭遇すると熊以上に恐れるという。何かどこかで聞いた事のある話である様な気がした。<br />もしかすると李さんが言う犬というのは、チベタン・マスティスではないのか?<br />最近放送の“世界の果てまでイッテQ”でイモトが紹介していたチベット地方で飼われている大型犬である。<br />チベタン・マスティスとは、古くからチベットの牧羊民に牧羊犬や番犬として、飼われていた超大型犬で、別名東方神犬、虎とも対峙し、互角の戦いをし、虎が油断すると倒す事もあると言う。世界の大型犬の原種と見られている犬である。<br />この様な話をしている間に徐々に登り坂に差し掛かっている。暫く行くと、ゲートが見えて来た。玉龍雪山風景名勝区への入口である。中国の名勝区などは、“A”の数でランク付けされている。<br />この玉龍雪山風景名勝区は“AAAAA”の5Aである。5Aは最高位である。今までに中国の名勝区を幾つか訪れたが、5Aは始めてである。このゲートで李さんが、『パスポートを出して下さい。』と言う。<br />私は持って来ていたが、森住さんは持っていないと言う。<br />李さんが仕方なく、私のパスポートを持ち、そして李さんが持っている身分証明書らしきものといっしょにゲートの係官に提示して何やら話をしている。<br />暫く話をしていたが、係官は納得したのか、李さんが料金を支払い、チケットを受け取っている。そして、我々にそのチケットを渡す。このチケットは、この玉龍雪山風景名勝区全域の共通券であるという。玉龍雪山風景名勝区は幾つもの観光スポットがあるが、これで全域行けるという。但し、リフトなどは別である。<br />ワゴン車はゲートを潜り、再び坂を登り出す。<br />先程、森住さんがパスポートを持っていないのが、気になったのか、李さんが森住さんに注意をしている。パスポートは肌身離さず持つ様に言っている。<br />ワゴン車は徐々に山に近づく、また道の左横には渓谷が見えて来る。かなり深い渓谷である。<br />李さんがいうには、玉龍雪山からの雪解け水の浸食により、造られた渓谷であると言う。この渓谷沿いに坂を登ると高原地帯に出る。非常に平らな部分が広がっている。すると前方にゴルフ場が見えて来た。<br />玉龍雪山ゴルフクラブである。1日目に昆明空港で大きな公告の看板を見たゴルフ場である。昆明空港で見た看板の通り、本当に玉龍雪山の麓である。李さんがこのゴルフ場について説明を行う。<br />このゴルフ場は香港資本が運営を行っているそうで、ここのコースでは飛距離が1.2~1.3倍になるそうである。飛ばす人なら300ヤードショットも夢ではない。<br />丁度、このゴルフ場の横に来ると、ワゴン車が停止した。李さんと運転手の和さんが周りを見ながら何かを探している。<br />再び動き出し、50m程進んだ道端で停止し、ここで降りると言う。ワゴン車を降り始めると後方より公安警察の車が現れた。そして我々のワゴン車の前方で停止し、何人かの公安警察官が降りて来る。<br />李さんと和さんがその公安警察官と話をして、李さんは我々のところに戻り、ゴルフ場の横に建っている建物に向かい歩き出す。<br />運転手の和さんはワゴン車に乗り込み、ワゴン車を移動させた。公安の車もどこかへ行ってしまった。<br />

    今日はこれから玉龍雪山への観光である。
    ワゴン車は古城地区のゲートを抜け、新城地区に出る。そこから幹線道路を使い、北に進む。
    この麗江の街は然程大きな街ではなく、直ぐに街外れになる。街外れに大きな幹線道路が現れる。片側3車線で中央分離帯は幅が30m以上ある。中央分離帯は草が生い茂る荒地である。この幹線道路は真直ぐに玉龍雪山に向かっている。幹線道路の外は、これまた荒地である。ナシ族は人も少なく、耕地を耕すだけの労働力がないのであろうか?ペー族が支配していた大理の郊外とは大きな違いである。
    車も然程走っていないので、快調にワゴン車は走る。途中に何度か、幾人かのナシ族の民族衣装を着た女性が車を止めようと道路に出てくる場面に出くわす。李さんに聞くと、『競馬に勧誘しているんです。』と言う。競馬がこの辺りで行われているのかと聞くと、日本の競馬とは違い、乗馬の一種であると言う。
    しかし、非常に危ない。どの車もかなりのスピードで走っているので、急に道に出て来られたら、危なくて仕方がない。ここで李さんがこの地方の大型犬の話を始める。
    玉龍雪山には熊ほどの大きさで、虎とも互角に戦う犬がいるという。
    李さん曰く、犬とライオンとの混血種であるという。地元の人でもこの犬に遭遇すると熊以上に恐れるという。何かどこかで聞いた事のある話である様な気がした。
    もしかすると李さんが言う犬というのは、チベタン・マスティスではないのか?
    最近放送の“世界の果てまでイッテQ”でイモトが紹介していたチベット地方で飼われている大型犬である。
    チベタン・マスティスとは、古くからチベットの牧羊民に牧羊犬や番犬として、飼われていた超大型犬で、別名東方神犬、虎とも対峙し、互角の戦いをし、虎が油断すると倒す事もあると言う。世界の大型犬の原種と見られている犬である。
    この様な話をしている間に徐々に登り坂に差し掛かっている。暫く行くと、ゲートが見えて来た。玉龍雪山風景名勝区への入口である。中国の名勝区などは、“A”の数でランク付けされている。
    この玉龍雪山風景名勝区は“AAAAA”の5Aである。5Aは最高位である。今までに中国の名勝区を幾つか訪れたが、5Aは始めてである。このゲートで李さんが、『パスポートを出して下さい。』と言う。
    私は持って来ていたが、森住さんは持っていないと言う。
    李さんが仕方なく、私のパスポートを持ち、そして李さんが持っている身分証明書らしきものといっしょにゲートの係官に提示して何やら話をしている。
    暫く話をしていたが、係官は納得したのか、李さんが料金を支払い、チケットを受け取っている。そして、我々にそのチケットを渡す。このチケットは、この玉龍雪山風景名勝区全域の共通券であるという。玉龍雪山風景名勝区は幾つもの観光スポットがあるが、これで全域行けるという。但し、リフトなどは別である。
    ワゴン車はゲートを潜り、再び坂を登り出す。
    先程、森住さんがパスポートを持っていないのが、気になったのか、李さんが森住さんに注意をしている。パスポートは肌身離さず持つ様に言っている。
    ワゴン車は徐々に山に近づく、また道の左横には渓谷が見えて来る。かなり深い渓谷である。
    李さんがいうには、玉龍雪山からの雪解け水の浸食により、造られた渓谷であると言う。この渓谷沿いに坂を登ると高原地帯に出る。非常に平らな部分が広がっている。すると前方にゴルフ場が見えて来た。
    玉龍雪山ゴルフクラブである。1日目に昆明空港で大きな公告の看板を見たゴルフ場である。昆明空港で見た看板の通り、本当に玉龍雪山の麓である。李さんがこのゴルフ場について説明を行う。
    このゴルフ場は香港資本が運営を行っているそうで、ここのコースでは飛距離が1.2~1.3倍になるそうである。飛ばす人なら300ヤードショットも夢ではない。
    丁度、このゴルフ場の横に来ると、ワゴン車が停止した。李さんと運転手の和さんが周りを見ながら何かを探している。
    再び動き出し、50m程進んだ道端で停止し、ここで降りると言う。ワゴン車を降り始めると後方より公安警察の車が現れた。そして我々のワゴン車の前方で停止し、何人かの公安警察官が降りて来る。
    李さんと和さんがその公安警察官と話をして、李さんは我々のところに戻り、ゴルフ場の横に建っている建物に向かい歩き出す。
    運転手の和さんはワゴン車に乗り込み、ワゴン車を移動させた。公安の車もどこかへ行ってしまった。

  • <雲杉坪への道程><br />建物に向かい歩いていると、建物のひとつで何やらショーを行っているのか、歓声が聞こえてくる。<br />我々は歓声が聞こえて来る建物ではなく、別の建物に向かい歩いている。<br />その途中に大きな看板があり、また名勝区5Aの表示を発見する。<br />

    <雲杉坪への道程>
    建物に向かい歩いていると、建物のひとつで何やらショーを行っているのか、歓声が聞こえてくる。
    我々は歓声が聞こえて来る建物ではなく、別の建物に向かい歩いている。
    その途中に大きな看板があり、また名勝区5Aの表示を発見する。

  • 建物前まで来て、ここで待つ様に李さんが言われ、李さんが建物の中に消える。<br /> <br />暫くして出て来て、歓声の聞こえていた建物に行く事になった。<br />どうも李さんが以前来た時と受付所などが変っている様子である。李さんに聞くと、玉龍雪山に来るのは、久しぶりであるという。半年以上来ていないそうだ。<br />歓声の聞こえる建物の脇で再び李さんを待つ事になる。待つ間、建物の上から聞こえる歓声が気になる。<br />森住さんも気になるのか、盛んに上の方を見ているが、通路の様なところが一部見え、そこにちらほらと民族衣装を来た人が何人か見えるだけで何をしているのかまでは判らない。野外劇場でもあるのだろうか?<br />その内、李さんが戻り、その建物に入る様に言う。奥にリフト乗り場へ向かう送迎バス乗り場があると言う。その建物内を移動するが、それらしき場所が見当たらない。李さんがその建物の中にある店の店員に聞くと、送迎バス乗り場の入口は、我々の入った建物の向い側の建物の中との事であった。<br />また、建物を出て、向い側の建物に入る。中に入ると、まず目に付いたのは防寒着がずらりと並んで置いてある事と携帯用酸素ボンベが山の様に置かれていた事である。共に売り物である。<br />また、高山らしく薬草などの漢方薬が売られている。それらの展示物の間を抜けて、送迎バス乗り場の入口を探す。<br />

    建物前まで来て、ここで待つ様に李さんが言われ、李さんが建物の中に消える。

    暫くして出て来て、歓声の聞こえていた建物に行く事になった。
    どうも李さんが以前来た時と受付所などが変っている様子である。李さんに聞くと、玉龍雪山に来るのは、久しぶりであるという。半年以上来ていないそうだ。
    歓声の聞こえる建物の脇で再び李さんを待つ事になる。待つ間、建物の上から聞こえる歓声が気になる。
    森住さんも気になるのか、盛んに上の方を見ているが、通路の様なところが一部見え、そこにちらほらと民族衣装を来た人が何人か見えるだけで何をしているのかまでは判らない。野外劇場でもあるのだろうか?
    その内、李さんが戻り、その建物に入る様に言う。奥にリフト乗り場へ向かう送迎バス乗り場があると言う。その建物内を移動するが、それらしき場所が見当たらない。李さんがその建物の中にある店の店員に聞くと、送迎バス乗り場の入口は、我々の入った建物の向い側の建物の中との事であった。
    また、建物を出て、向い側の建物に入る。中に入ると、まず目に付いたのは防寒着がずらりと並んで置いてある事と携帯用酸素ボンベが山の様に置かれていた事である。共に売り物である。
    また、高山らしく薬草などの漢方薬が売られている。それらの展示物の間を抜けて、送迎バス乗り場の入口を探す。

  • 送迎バスの入口はこの建物の奥にあり、柵で区切られていた。我々がその前辺りまで来た時に左手の扉から多くの観光客らしき人達が出て来た。どうも歓声の聞こえていたショーを見ていた人達らしい。<br />この人達も送迎バスに乗るらしく、その柵内を移動している。我々も柵の途中にある入口から柵内に入ろうとすると女性の係員が来て制止する。<br />李さんがチケットらしきものを見せたが、我々の前を移動している集団が右手の扉から全員が外に出るまで待つ様に言われた様だ。それを待つ。全員が右手の扉内に消えてから、入口より柵内に入り、右手扉前で待つ様に先程の女性の係員に言われる。<br />李さん曰く、前に来た時とバスに乗る場所や要領などが変わってしまっているらしい。以前は最初に行った建物にチケット売場があり、その横からバスも出ていたそうだ。<br />少し待ったが、扉が開き、通路を移動する様に係員に促される。通路を抜けると外の駐車場に出た。そこに数台の大型バスが止まっている。そのバスの1台に乗り込む。乗り込んでバスの中で再び待たされる。<br />待つ事10分程でやっと運転手が乗り込みバスが発車する。バスの席は半分程しか埋まっていない。<br />バスは再び、先程ワゴン車が通っていた道に出て、更に北に進む。<br />左手には雄大な玉龍雪山の峰々が迫って見える。<br />バスは10分程走り、高原の尾根の谷間に下りて行く。そして、再び高原の尾根を登り、中腹まで来るとそこに大きな駐車場が見えて来た。ここがこのバスの終着地点である。ここでバスを降りる。<br />

    送迎バスの入口はこの建物の奥にあり、柵で区切られていた。我々がその前辺りまで来た時に左手の扉から多くの観光客らしき人達が出て来た。どうも歓声の聞こえていたショーを見ていた人達らしい。
    この人達も送迎バスに乗るらしく、その柵内を移動している。我々も柵の途中にある入口から柵内に入ろうとすると女性の係員が来て制止する。
    李さんがチケットらしきものを見せたが、我々の前を移動している集団が右手の扉から全員が外に出るまで待つ様に言われた様だ。それを待つ。全員が右手の扉内に消えてから、入口より柵内に入り、右手扉前で待つ様に先程の女性の係員に言われる。
    李さん曰く、前に来た時とバスに乗る場所や要領などが変わってしまっているらしい。以前は最初に行った建物にチケット売場があり、その横からバスも出ていたそうだ。
    少し待ったが、扉が開き、通路を移動する様に係員に促される。通路を抜けると外の駐車場に出た。そこに数台の大型バスが止まっている。そのバスの1台に乗り込む。乗り込んでバスの中で再び待たされる。
    待つ事10分程でやっと運転手が乗り込みバスが発車する。バスの席は半分程しか埋まっていない。
    バスは再び、先程ワゴン車が通っていた道に出て、更に北に進む。
    左手には雄大な玉龍雪山の峰々が迫って見える。
    バスは10分程走り、高原の尾根の谷間に下りて行く。そして、再び高原の尾根を登り、中腹まで来るとそこに大きな駐車場が見えて来た。ここがこのバスの終着地点である。ここでバスを降りる。

  • この駐車場からの玉龍雪山の景色も素晴らしい。規模は違うが、日本の中央アルプスの甲斐駒ケ岳の風景に少し似ている気がする。<br />ここから更にリフトで、観光の目的地である雲杉坪(うんさんぺい)を目指す。駐車場からリフト乗り場までは然程遠くはない。李さんについて、駐車場前の建物に入る。この中を抜けて、リフト乗り場に移動する様だ。<br />しかし、途中で行き止まりになってしまう。ここでも前に李さんが来た時とリフト乗り場への経路が変っている様である。再び、駐車場脇まで戻り、案内板に示されている通りの道を行く、少し遠回りにはなっているが、リフト乗り場正面に出る事が出来た。リフト乗り場の建物内に入り、階段を上がる。<br />運よく、リフトは混んでおらず、6人乗りのリフトに我々3人だけで乗る事が出来た。<br />

    この駐車場からの玉龍雪山の景色も素晴らしい。規模は違うが、日本の中央アルプスの甲斐駒ケ岳の風景に少し似ている気がする。
    ここから更にリフトで、観光の目的地である雲杉坪(うんさんぺい)を目指す。駐車場からリフト乗り場までは然程遠くはない。李さんについて、駐車場前の建物に入る。この中を抜けて、リフト乗り場に移動する様だ。
    しかし、途中で行き止まりになってしまう。ここでも前に李さんが来た時とリフト乗り場への経路が変っている様である。再び、駐車場脇まで戻り、案内板に示されている通りの道を行く、少し遠回りにはなっているが、リフト乗り場正面に出る事が出来た。リフト乗り場の建物内に入り、階段を上がる。
    運よく、リフトは混んでおらず、6人乗りのリフトに我々3人だけで乗る事が出来た。

  • リフトは急斜面の山肌に沿って急激に標高を高める。先程の駐車場の標高がどのくらいかは判らないが、このリフトで200m以上は標高が上がっている。<br />最初、李さんに『どのくらいこのリフトに乗っているのか?』と聞いて、『15分くらいです。』と言う事で、15分もこんなリフトで山肌を登るの?それならかなり標高の高いところまで、このリフトで行くのであろうと思っていたが、実際は5分程でリフトは頂上駅に到着した。

    リフトは急斜面の山肌に沿って急激に標高を高める。先程の駐車場の標高がどのくらいかは判らないが、このリフトで200m以上は標高が上がっている。
    最初、李さんに『どのくらいこのリフトに乗っているのか?』と聞いて、『15分くらいです。』と言う事で、15分もこんなリフトで山肌を登るの?それならかなり標高の高いところまで、このリフトで行くのであろうと思っていたが、実際は5分程でリフトは頂上駅に到着した。

  • 頂上駅の外に出るとそこはこれから雲杉坪へ行く人とそこから帰って来た人で、細い道が混雑している。<br />この頂上駅より少し離れたところにゴルフ場のカートの様な車が何台も止まっている。<br /> <br />ここからはそれに乗って雲杉坪まで行くのである。歩いても行ける様であるが、我々はそれに乗る事になった。この車は電気自動車である。エンジン音もなく、静かに走る。環境を考慮したものであろう。<br />電気自動車は満席で12人が乗れるもの。ほぼ満席の状態で我々の乗った電気自動車も発車する。<br />ここから、この車の専用道路を通り、雲杉坪近くまで行くのである。木立の中に道が造られているので、非常に心地よい。周りは原始林の林である。杉であろうか、木々が鬱蒼と茂り、見上げても木の天辺が見えない様な巨木もある。<br />前からは帰りの車も同じ道を来るので、所々に交差出来る待機所を設けている。その待機所で互いに前から来る車を待つ事になる。<br />この木立の中の道を5分程走ると雲杉坪の降車場に着く。ここで降りてここからは徒歩である。<br />

    頂上駅の外に出るとそこはこれから雲杉坪へ行く人とそこから帰って来た人で、細い道が混雑している。
    この頂上駅より少し離れたところにゴルフ場のカートの様な車が何台も止まっている。

    ここからはそれに乗って雲杉坪まで行くのである。歩いても行ける様であるが、我々はそれに乗る事になった。この車は電気自動車である。エンジン音もなく、静かに走る。環境を考慮したものであろう。
    電気自動車は満席で12人が乗れるもの。ほぼ満席の状態で我々の乗った電気自動車も発車する。
    ここから、この車の専用道路を通り、雲杉坪近くまで行くのである。木立の中に道が造られているので、非常に心地よい。周りは原始林の林である。杉であろうか、木々が鬱蒼と茂り、見上げても木の天辺が見えない様な巨木もある。
    前からは帰りの車も同じ道を来るので、所々に交差出来る待機所を設けている。その待機所で互いに前から来る車を待つ事になる。
    この木立の中の道を5分程走ると雲杉坪の降車場に着く。ここで降りてここからは徒歩である。

  • <ナシ族の理想郷である「玉龍第三国」の入口:雲杉坪><br />ここからは板敷きの遊歩道が設けられており、そこを歩く。板敷きの遊歩道の一角にトンネルの様に何かが沢山ぶら下がっている。何かと李さんに聞くと、ナシ族の願い札であると言う。よく見ると、日本の神社などの絵馬に似たものであった。ひとつひとつに絵と文字が書かれている。それが板敷きの遊歩道にトンネルを形成する程にぶら下げられているのである。<br />

    <ナシ族の理想郷である「玉龍第三国」の入口:雲杉坪>
    ここからは板敷きの遊歩道が設けられており、そこを歩く。板敷きの遊歩道の一角にトンネルの様に何かが沢山ぶら下がっている。何かと李さんに聞くと、ナシ族の願い札であると言う。よく見ると、日本の神社などの絵馬に似たものであった。ひとつひとつに絵と文字が書かれている。それが板敷きの遊歩道にトンネルを形成する程にぶら下げられているのである。

  • そこを潜り抜けると、急に前方が開けた。雲杉坪である。<br />広大な草原地帯が目の前に広がっている。この草原地帯に沿って奥まで遊歩道が延びている。<br />この遊歩道の入口付近には数件の店が並んでいる。ここから見る玉龍雪山は、丁度草原とその奥の原始林の林越しに山々が見える絶景である。残念な事に少し、頂上付近に雲が懸かっている。<br />もっと絶景の景色が見える場所を目指し、その遊歩道を歩く。しかし、さすがに標高が高い為か、少し歩くだけで息切れする。かなり酸素が薄い。軽い運動でもかなりの負荷がかかる。<br />この雲杉坪の標高は約3200mである。この雲杉坪を眺めながら遊歩道を歩く。雲杉坪には、黒い山羊や牛が放し飼いにされている。<br />丁度、遊歩道を半分くらい行ったところで、玉龍雪山の東壁をバックに記念撮影を行う絶好の場所があった。

    そこを潜り抜けると、急に前方が開けた。雲杉坪である。
    広大な草原地帯が目の前に広がっている。この草原地帯に沿って奥まで遊歩道が延びている。
    この遊歩道の入口付近には数件の店が並んでいる。ここから見る玉龍雪山は、丁度草原とその奥の原始林の林越しに山々が見える絶景である。残念な事に少し、頂上付近に雲が懸かっている。
    もっと絶景の景色が見える場所を目指し、その遊歩道を歩く。しかし、さすがに標高が高い為か、少し歩くだけで息切れする。かなり酸素が薄い。軽い運動でもかなりの負荷がかかる。
    この雲杉坪の標高は約3200mである。この雲杉坪を眺めながら遊歩道を歩く。雲杉坪には、黒い山羊や牛が放し飼いにされている。
    丁度、遊歩道を半分くらい行ったところで、玉龍雪山の東壁をバックに記念撮影を行う絶好の場所があった。

  • そこで何枚かの記念撮影を行う。記念撮影を終えたら、森住さんが、もう引き換えそうと言う。<br />酸素が薄く、つらい様子である。<br />    <br />李さんが、『もう少しがんばって下さい。あそこまでは行きましょう!』と前方に見える広場を指し示す。<br />森住さんを促し、再びその広場を目指し歩く。しかし、思いの外つらい、直ぐに息切れする。<br />やっとの事、その広場に到着する。そこには多くの観光客が記念撮影を行っている。<br />また、店があり、何の店かと言うと、ナシ族やチベット族の民族衣装をレンタルしており、それを観光客が着て記念撮影を行っているのである。<br />我々も民族衣装を着た観光客を撮らせて貰っていたが、李さんが、『民族衣装を着ましょう!』と言い、我々をその店前に連れて行く。<br />森住さんは最初遠慮していたが、チベット族の衣装を着、私はナシ族の衣装を着て、その場で記念撮影を行う事になった。また、我々だけで撮り終えた後に、他の観光客ともいっしょになり、何枚かの記念撮影を行う。かなりの時間、この記念撮影を行っていた。<br />

    そこで何枚かの記念撮影を行う。記念撮影を終えたら、森住さんが、もう引き換えそうと言う。
    酸素が薄く、つらい様子である。

    李さんが、『もう少しがんばって下さい。あそこまでは行きましょう!』と前方に見える広場を指し示す。
    森住さんを促し、再びその広場を目指し歩く。しかし、思いの外つらい、直ぐに息切れする。
    やっとの事、その広場に到着する。そこには多くの観光客が記念撮影を行っている。
    また、店があり、何の店かと言うと、ナシ族やチベット族の民族衣装をレンタルしており、それを観光客が着て記念撮影を行っているのである。
    我々も民族衣装を着た観光客を撮らせて貰っていたが、李さんが、『民族衣装を着ましょう!』と言い、我々をその店前に連れて行く。
    森住さんは最初遠慮していたが、チベット族の衣装を着、私はナシ族の衣装を着て、その場で記念撮影を行う事になった。また、我々だけで撮り終えた後に、他の観光客ともいっしょになり、何枚かの記念撮影を行う。かなりの時間、この記念撮影を行っていた。

  • それが終わり、ここから折り返し、再度来た道を戻る。<br />その帰り道で、李さんが、『この雲杉坪はナシ族の理想郷である「玉龍第三国」の入口と考えられている場所である。』と教えてくれた。<br />元々玉龍雪山自体が、ナシ族にとっては、主神である“三朶”などの神々の住む聖なる山であり、生活に必要な動植物や薬草が採れる恵み豊かな山である。<br />そして「玉龍第三国」とは、ナシ族の死後の世界、理想郷の事である。<br />ナシ族は元々自由恋愛であったが、漢民族の支配を受ける中で、この自由な恋愛が出来なくなってしまう。愛を引き裂かれた男女が死後の理想郷での永遠の愛を求めて、この玉龍雪山に入り込む様になった。<br />その多くの恋人達は、互いに神への供物や線香、酒や食料などを持ち込み、この場所で落ち合い、宴会を行い、歓楽の限りを尽くす。そして、食料などがなくなると、更に奥地に入り、この山に自生するトリカブトなどの毒草で心中をすると言う。<br />解放前の中国では、まだナシ族の間にこの風習が残っており、多くの自殺者を出したと言う。<br />中には、14人の集団心中もあったと言うから驚きである。解放後は、この風習は成りを潜めたが、今でもナシ族の間では、密かに引継がれていると言う。少し怖い様な話である。<br />

    それが終わり、ここから折り返し、再度来た道を戻る。
    その帰り道で、李さんが、『この雲杉坪はナシ族の理想郷である「玉龍第三国」の入口と考えられている場所である。』と教えてくれた。
    元々玉龍雪山自体が、ナシ族にとっては、主神である“三朶”などの神々の住む聖なる山であり、生活に必要な動植物や薬草が採れる恵み豊かな山である。
    そして「玉龍第三国」とは、ナシ族の死後の世界、理想郷の事である。
    ナシ族は元々自由恋愛であったが、漢民族の支配を受ける中で、この自由な恋愛が出来なくなってしまう。愛を引き裂かれた男女が死後の理想郷での永遠の愛を求めて、この玉龍雪山に入り込む様になった。
    その多くの恋人達は、互いに神への供物や線香、酒や食料などを持ち込み、この場所で落ち合い、宴会を行い、歓楽の限りを尽くす。そして、食料などがなくなると、更に奥地に入り、この山に自生するトリカブトなどの毒草で心中をすると言う。
    解放前の中国では、まだナシ族の間にこの風習が残っており、多くの自殺者を出したと言う。
    中には、14人の集団心中もあったと言うから驚きである。解放後は、この風習は成りを潜めたが、今でもナシ族の間では、密かに引継がれていると言う。少し怖い様な話である。

  • この様な話を聞きながら、ゆっくりと遊歩道を戻る。丁度、入口付近にあった店の前まで戻ったところで、少し休憩を取る。店は3軒あり、1軒は食べ物や飲物を売る店、もう1軒は郵便局、そして最後の1軒はここで写真(デジカメで)を撮った人の写真を即座にパソコンでプリントを行う店である。<br />ここでの記念にと郵便局で、切手とこの郵便局の刻印(スタンプ)を押して貰った絵葉書を購入した。2枚購入し、価格は20元(約300円)である。刻印には、雲南・麗江 雲杉坪と書かれ、海抜3240米と入っている。<br />そして更に隣の飲食店で、我々三人は、ヤク肉の串焼きを5元(約75円)で購入し、その場で食べる。<br />硬い肉を想像していたが、非常に柔らかな肉で、味も美味しい。店のカウンターに置かれた香辛料(辛い香辛料)を少し振りかけると美味しさが増す。<br />

    この様な話を聞きながら、ゆっくりと遊歩道を戻る。丁度、入口付近にあった店の前まで戻ったところで、少し休憩を取る。店は3軒あり、1軒は食べ物や飲物を売る店、もう1軒は郵便局、そして最後の1軒はここで写真(デジカメで)を撮った人の写真を即座にパソコンでプリントを行う店である。
    ここでの記念にと郵便局で、切手とこの郵便局の刻印(スタンプ)を押して貰った絵葉書を購入した。2枚購入し、価格は20元(約300円)である。刻印には、雲南・麗江 雲杉坪と書かれ、海抜3240米と入っている。
    そして更に隣の飲食店で、我々三人は、ヤク肉の串焼きを5元(約75円)で購入し、その場で食べる。
    硬い肉を想像していたが、非常に柔らかな肉で、味も美味しい。店のカウンターに置かれた香辛料(辛い香辛料)を少し振りかけると美味しさが増す。

  • これを食べ終わり、再び遊歩道を歩き出す。店の横には、放牧されている牛がいた。その横を通り抜け、先程の電気自動車の降車場まで戻る。ここで電気自動車が来るのを待つ。<br />程なく電気自動車が観光客を一杯に乗せ、到着する。観光客の降りた電気自動車に我々が乗り込み、発車を待つ。<br />電気自動車は満席になる事なしに発車し、再び原始林の中をゆっくりと走る。途中何度か前方より来る車と交差し、その都度停止するので、帰りは10分ほど要した。<br />リフトの頂上駅前まで戻り、電気自動車を下りる。見ると、電気自動車の乗り場はすごい列が出来ている。我々が乗った時には列などが出来ていなかったので、タイミングが良かったのか?<br />そして、リフトに再び乗り込み、バスを降りた駐車場駅まで戻る。<br />このリフトから見る谷間の景色も素晴らしいが残念な事にリフトの窓(窓と言ってもほぼ全面がシースルーになっているリフトである)が汚れており、曇った様にしか見えない。<br />下りも5分ほどでバスの駐車場に到着する。そして、このリフト駅もまた乗車待ちの長い列がリフト乗り場の建物の外まで出来ている。本当にこの様な時に乗る事になっていたら大変であった。<br />帰りの道はリフト横から繋がる建物の中を通り抜ける様に帰路が示されている。建物内には多くの土産物が並んでいる。その土産物のひとつを手に取り、見ていると李さんに注意される。<br />『無闇に土産物に触らない方が良いです。』と言う。その土産物を置き、なぜかと尋ねると、最近観光客と店員とのトラブルが多いと言う。そのトラブルの多くは買うつもりもなく、土産物を手に取り、見たりしていると無理やり買取らされる場合があるそうだ。<br />この様な土産物屋の一角を過ぎると、今度は食べ物屋が並び、そこにはたこ焼きそっくりのものを作っている。粉生地に野菜の微塵切りを入れ、丸い型のたい焼きの様な焼型をひっくり返している。それも自動でひっくり返している。1個1個手でひっくり返しているのではない。見た目はたこ焼きである。<br />それらの店を過ぎると外に出た。<br />ここでトイレ休憩になる。バス駐車場前に大きなトイレがある。その建物にみんなで向かう。建物に入ると、入口が売店で、左奥がトイレになっている。先にトイレを済まし、売店でみんな飲物を購入した。<br />李さんと森住さんはコーラを購入、私は砂糖入りの緑茶を購入した。<br />売店を出て、外で森住さんが勢い良くコーラの栓を廻し開けると、何回か思いっきり振ったコーラの栓を開けた様にコーラが噴き出す。<br />幸いにも服には掛からなかったようであるが、ビンの中の半分近くが無くなっている。やはり気圧が低いせいか、炭酸飲料は噴き出るようだ。それを見て李さんが慎重に栓を開けていた。<br />ここから、この近くの観光スポットである白水河を目指す。バス駐車場には、先程リフト頂上駅付近で乗った電気自動車と同じものが何台か停車している。それに乗るのか、李さんがその場所に移動する。<br />その電気自動車の前まで来て、何やら運転手の女性に聞いている。どうも、この電気自動車は別チケットが必要な様で、チケット売場を聞いている。それを聞き、私達にはこの電気自動車に乗って待つ様に言い残し、再び土産物屋のあった建物に戻って行った。<br />暫くして戻って来て、別のバスに乗ると言う。この電気自動車で行くのではない様である。<br />しかし、李さんを待つ間に他の観光客が持っている案内などを見ると、この電気自動車は白水河に行く様に思えてならない。<br />

    これを食べ終わり、再び遊歩道を歩き出す。店の横には、放牧されている牛がいた。その横を通り抜け、先程の電気自動車の降車場まで戻る。ここで電気自動車が来るのを待つ。
    程なく電気自動車が観光客を一杯に乗せ、到着する。観光客の降りた電気自動車に我々が乗り込み、発車を待つ。
    電気自動車は満席になる事なしに発車し、再び原始林の中をゆっくりと走る。途中何度か前方より来る車と交差し、その都度停止するので、帰りは10分ほど要した。
    リフトの頂上駅前まで戻り、電気自動車を下りる。見ると、電気自動車の乗り場はすごい列が出来ている。我々が乗った時には列などが出来ていなかったので、タイミングが良かったのか?
    そして、リフトに再び乗り込み、バスを降りた駐車場駅まで戻る。
    このリフトから見る谷間の景色も素晴らしいが残念な事にリフトの窓(窓と言ってもほぼ全面がシースルーになっているリフトである)が汚れており、曇った様にしか見えない。
    下りも5分ほどでバスの駐車場に到着する。そして、このリフト駅もまた乗車待ちの長い列がリフト乗り場の建物の外まで出来ている。本当にこの様な時に乗る事になっていたら大変であった。
    帰りの道はリフト横から繋がる建物の中を通り抜ける様に帰路が示されている。建物内には多くの土産物が並んでいる。その土産物のひとつを手に取り、見ていると李さんに注意される。
    『無闇に土産物に触らない方が良いです。』と言う。その土産物を置き、なぜかと尋ねると、最近観光客と店員とのトラブルが多いと言う。そのトラブルの多くは買うつもりもなく、土産物を手に取り、見たりしていると無理やり買取らされる場合があるそうだ。
    この様な土産物屋の一角を過ぎると、今度は食べ物屋が並び、そこにはたこ焼きそっくりのものを作っている。粉生地に野菜の微塵切りを入れ、丸い型のたい焼きの様な焼型をひっくり返している。それも自動でひっくり返している。1個1個手でひっくり返しているのではない。見た目はたこ焼きである。
    それらの店を過ぎると外に出た。
    ここでトイレ休憩になる。バス駐車場前に大きなトイレがある。その建物にみんなで向かう。建物に入ると、入口が売店で、左奥がトイレになっている。先にトイレを済まし、売店でみんな飲物を購入した。
    李さんと森住さんはコーラを購入、私は砂糖入りの緑茶を購入した。
    売店を出て、外で森住さんが勢い良くコーラの栓を廻し開けると、何回か思いっきり振ったコーラの栓を開けた様にコーラが噴き出す。
    幸いにも服には掛からなかったようであるが、ビンの中の半分近くが無くなっている。やはり気圧が低いせいか、炭酸飲料は噴き出るようだ。それを見て李さんが慎重に栓を開けていた。
    ここから、この近くの観光スポットである白水河を目指す。バス駐車場には、先程リフト頂上駅付近で乗った電気自動車と同じものが何台か停車している。それに乗るのか、李さんがその場所に移動する。
    その電気自動車の前まで来て、何やら運転手の女性に聞いている。どうも、この電気自動車は別チケットが必要な様で、チケット売場を聞いている。それを聞き、私達にはこの電気自動車に乗って待つ様に言い残し、再び土産物屋のあった建物に戻って行った。
    暫くして戻って来て、別のバスに乗ると言う。この電気自動車で行くのではない様である。
    しかし、李さんを待つ間に他の観光客が持っている案内などを見ると、この電気自動車は白水河に行く様に思えてならない。

  • <小黄龍 白水河の観光><br />再び李さんについて駐車場を移動する。行きにこの場所まで来た大型バスと同じ大型バスに乗り込む。<br />直ぐにそのバスは出発し、駐車場から谷間に下り始める。谷間の三叉路で、バスは行きに来た道とは別の道に曲がる。曲がり少し行ったところで、李さんが運転手に何か聞いている。運転手が答える内容で驚き、運転手に何か言っていると、急にバスが止まった。慌てて李さんがここでバスを降りると言う。<br />降りた場所の周りには古ぼけた今は使用されていない納屋などが建ち並んでいる。<br />やはり乗るバスを間違えた様である。先程の電気自動車に乗るのが正解であったのであろう。<br />しかし、李さんは、お構いなしに歩き始める。バスが来た道を戻り、先程曲がった三叉路に至る。更にその三叉路を越えて谷間の道を歩く。<br />左手には、綺麗な池が見えている。看板には玉龍湖と書かれている。<br />

    <小黄龍 白水河の観光>
    再び李さんについて駐車場を移動する。行きにこの場所まで来た大型バスと同じ大型バスに乗り込む。
    直ぐにそのバスは出発し、駐車場から谷間に下り始める。谷間の三叉路で、バスは行きに来た道とは別の道に曲がる。曲がり少し行ったところで、李さんが運転手に何か聞いている。運転手が答える内容で驚き、運転手に何か言っていると、急にバスが止まった。慌てて李さんがここでバスを降りると言う。
    降りた場所の周りには古ぼけた今は使用されていない納屋などが建ち並んでいる。
    やはり乗るバスを間違えた様である。先程の電気自動車に乗るのが正解であったのであろう。
    しかし、李さんは、お構いなしに歩き始める。バスが来た道を戻り、先程曲がった三叉路に至る。更にその三叉路を越えて谷間の道を歩く。
    左手には、綺麗な池が見えている。看板には玉龍湖と書かれている。

  • その横を通り、更に道沿いに歩く。<br />10分程歩き、やっと白水河のメイン観光スポットに到着した。そこには、先程の電気自動車も来ている。<br />やはり、この電気自動車に乗るべきであったのだ。<br />この河自体が白水河であり、この観光スポットはこの山から流れた水がこの辺りで綺麗な棚田状の小さな滝を形成している。<br />日本で言えば山口県の秋芳洞で千枚皿という石灰が造った棚田状の光景が見られるが、それの大きいものである。中国ではこの様な石灰の棚田では黄龍という世界自然遺産のものが有名である。<br />

    その横を通り、更に道沿いに歩く。
    10分程歩き、やっと白水河のメイン観光スポットに到着した。そこには、先程の電気自動車も来ている。
    やはり、この電気自動車に乗るべきであったのだ。
    この河自体が白水河であり、この観光スポットはこの山から流れた水がこの辺りで綺麗な棚田状の小さな滝を形成している。
    日本で言えば山口県の秋芳洞で千枚皿という石灰が造った棚田状の光景が見られるが、それの大きいものである。中国ではこの様な石灰の棚田では黄龍という世界自然遺産のものが有名である。

  • 森住さんはその黄龍にも行った事があるそうで、聞いてみると黄龍はこの10倍以上であると言う。それを聞くと黄龍にも是非行きたいと思った。<br />この白水河の展望スポットには、鷹匠が居て、観光客に鷹を持たせてくれる。<br />李さんがいくらで鷹を持たせてくれるのかを尋ねると20元(約300円)だと言う。少し高いので、諦め様としていると、李さんにその鷹匠が半分の10元(約150円)で良いと言うので、それでは折角の機会なので、持たせて貰い、写真を撮って貰う事にした。<br />鷹を持つ為の専用の手袋を借りて嵌める。そしてその手袋の上に鷹匠が鷹を乗せてくれる。<br />鷹は思いの外重く、鷹匠が腕を上下する様に言うが思う様に上下させられない。私が力の限り腕を上下させると、鷹は羽を広げてくれた。<br />私の鷹を持った写真を撮っていた森住さんも興味を持った様で、最初は嫌がっていたが、私の後に同じ様に鷹を持ち、写真を撮る事となった。良い記念写真になった。<br />後で鷹の重さを李さんが鷹匠に聞くと、何と9kgもあると言う。重いはずである。<br />

    森住さんはその黄龍にも行った事があるそうで、聞いてみると黄龍はこの10倍以上であると言う。それを聞くと黄龍にも是非行きたいと思った。
    この白水河の展望スポットには、鷹匠が居て、観光客に鷹を持たせてくれる。
    李さんがいくらで鷹を持たせてくれるのかを尋ねると20元(約300円)だと言う。少し高いので、諦め様としていると、李さんにその鷹匠が半分の10元(約150円)で良いと言うので、それでは折角の機会なので、持たせて貰い、写真を撮って貰う事にした。
    鷹を持つ為の専用の手袋を借りて嵌める。そしてその手袋の上に鷹匠が鷹を乗せてくれる。
    鷹は思いの外重く、鷹匠が腕を上下する様に言うが思う様に上下させられない。私が力の限り腕を上下させると、鷹は羽を広げてくれた。
    私の鷹を持った写真を撮っていた森住さんも興味を持った様で、最初は嫌がっていたが、私の後に同じ様に鷹を持ち、写真を撮る事となった。良い記念写真になった。
    後で鷹の重さを李さんが鷹匠に聞くと、何と9kgもあると言う。重いはずである。

  • そこから石灰の棚田の下流に行くと、浅瀬が広がり、そこにはヤクが数頭いる。放牧されている訳ではなく、この河の浅瀬の中を観光客を乗せて歩いている。それもここでも民族衣装を貸し出しており、それを着てヤクに乗り、浅瀬に出て記念撮影を行っている。<br />李さんが、『ヤクに乗りますか?』と言われたが、私も森住さんもこれは遠慮した。<br />暫く、ここでヤクに乗る他の観光客やここからの玉龍雪山の風景を写真に収めたりして時間を過ごす。<br />10分くらいして、もう引き返す事になった。今度は電気自動車に乗れると思っていたが、電気自動車のチケット売場はここにはない。片道での乗車が出来ない様で、仕方なく先程来た道を再度戻る事になった。<br />この白水河に来る時は、下りの道であったが、今度は上り坂である。<br />ゆっくりと周りの景色を見ながら、上るが、それでも上りはきつい。この辺りでも標高は、2500m以上はある。少し上るだけでも息が弾む。<br />15分くらい歩いてやっとバスの停留所に着く。来た時に乗った同じ柄の大型バスが数台停まっている。<br />李さんが行きのバスのチケットを見せ、既に多くの人が乗っている1台に乗り込む。やっと少し落ち着けた。<br />先程買った砂糖入りのお茶をがぶ飲みする。先程の上り坂でかなり汗を掻いた。<br />大型バスは、我々が乗ってから5分程で、出発した。先程我々が上ってきた坂を下り、白水河に架かる橋を渡り、対岸の峰を上り始める。元来た道を戻るのである。<br />10分程で、行きに観光バスに乗ったゴルフ場脇に到着した。バスを降りると、そこは一般車両の駐車場脇で、我々のワゴン車も直ぐ近くに停車していた。<br />運転手の和さんは寝ており、窓を叩き、和さんを起す。慌てて和さんがワゴン車から降り、頭を掻きながら我々にドアを開けてくれる。そして我々はワゴン車に乗り込む。<br />午前中の観光はこれで終了、次は昼食場所に向かう。今日の昼食は地元料理である。<br />ゴルフ場から元来た道を戻る。途中で道が分かれ、一方通行になる。行きに通った道は渓谷を挟んで反対側に見えている。<br />いつの間にか隣で森住さんが寝ている。私も行きに見た同じ景色が続いたので、つられて寝てしまった。<br />次の目が覚めたのは、李さんの『もう直ぐ昼食場所に着きますよ!』と言う声で起された。<br />

    そこから石灰の棚田の下流に行くと、浅瀬が広がり、そこにはヤクが数頭いる。放牧されている訳ではなく、この河の浅瀬の中を観光客を乗せて歩いている。それもここでも民族衣装を貸し出しており、それを着てヤクに乗り、浅瀬に出て記念撮影を行っている。
    李さんが、『ヤクに乗りますか?』と言われたが、私も森住さんもこれは遠慮した。
    暫く、ここでヤクに乗る他の観光客やここからの玉龍雪山の風景を写真に収めたりして時間を過ごす。
    10分くらいして、もう引き返す事になった。今度は電気自動車に乗れると思っていたが、電気自動車のチケット売場はここにはない。片道での乗車が出来ない様で、仕方なく先程来た道を再度戻る事になった。
    この白水河に来る時は、下りの道であったが、今度は上り坂である。
    ゆっくりと周りの景色を見ながら、上るが、それでも上りはきつい。この辺りでも標高は、2500m以上はある。少し上るだけでも息が弾む。
    15分くらい歩いてやっとバスの停留所に着く。来た時に乗った同じ柄の大型バスが数台停まっている。
    李さんが行きのバスのチケットを見せ、既に多くの人が乗っている1台に乗り込む。やっと少し落ち着けた。
    先程買った砂糖入りのお茶をがぶ飲みする。先程の上り坂でかなり汗を掻いた。
    大型バスは、我々が乗ってから5分程で、出発した。先程我々が上ってきた坂を下り、白水河に架かる橋を渡り、対岸の峰を上り始める。元来た道を戻るのである。
    10分程で、行きに観光バスに乗ったゴルフ場脇に到着した。バスを降りると、そこは一般車両の駐車場脇で、我々のワゴン車も直ぐ近くに停車していた。
    運転手の和さんは寝ており、窓を叩き、和さんを起す。慌てて和さんがワゴン車から降り、頭を掻きながら我々にドアを開けてくれる。そして我々はワゴン車に乗り込む。
    午前中の観光はこれで終了、次は昼食場所に向かう。今日の昼食は地元料理である。
    ゴルフ場から元来た道を戻る。途中で道が分かれ、一方通行になる。行きに通った道は渓谷を挟んで反対側に見えている。
    いつの間にか隣で森住さんが寝ている。私も行きに見た同じ景色が続いたので、つられて寝てしまった。
    次の目が覚めたのは、李さんの『もう直ぐ昼食場所に着きますよ!』と言う声で起された。

  • <地元料理の昼食:8号食館><br />見ると既に街中である。左手に川なのか水路なのか判らないが、水が流れている。すると、ワゴン車がその水路沿いの歩道脇に停まった。ここでワゴン車を降りる。<br />道を渡り、ワゴン車を降りた反対側の歩道を歩く。この歩道沿いに何軒かの食館(レストラン)が並んでいる。そのひとつの“8号食館”と書かれた幟の立つ食館に入る。時刻は丁度12時30分である。<br />

    <地元料理の昼食:8号食館>
    見ると既に街中である。左手に川なのか水路なのか判らないが、水が流れている。すると、ワゴン車がその水路沿いの歩道脇に停まった。ここでワゴン車を降りる。
    道を渡り、ワゴン車を降りた反対側の歩道を歩く。この歩道沿いに何軒かの食館(レストラン)が並んでいる。そのひとつの“8号食館”と書かれた幟の立つ食館に入る。時刻は丁度12時30分である。

  • 店は古い民家をそのまま店にしたもので、入口が土間の様なところである。そこには古い農機具などが置かれている。小さい頃に田舎で見た事がある農具なども幾つかはあった。そこを抜け、中庭に出る。<br />この中庭にも幾つかテーブルが置かれていた。この中庭で最初食事を摂るつもりであったが、日差しが強いので、止めて中庭に面した廊下部分に置かれたテーブルで食事を摂る事にした。<br />まずいつもの如く、飲物である。この店には飲物の種類があまり無く、コーラかスプライトくらいである。<br />私はスプライトを注文する。<br />その飲物と同時に桶の様なお櫃に入ってご飯が来た。それから以下の料理が次々と出て来た。<br /><br /> ①酢豚(当然、中国の酢豚であるので豚肉のみの甘酢炒めである)<br /> ②鶏肉、ねぎ、人参、冬瓜、生姜の塩炒め<br /> ③キャベツの塩炒め<br /> ④かぼちゃの塩炒め<br /> ⑤冬瓜のスープ<br /> ⑥沢庵(中国風大根の漬物)<br />意外とあっさりとした料理が多かった。<br />

    店は古い民家をそのまま店にしたもので、入口が土間の様なところである。そこには古い農機具などが置かれている。小さい頃に田舎で見た事がある農具なども幾つかはあった。そこを抜け、中庭に出る。
    この中庭にも幾つかテーブルが置かれていた。この中庭で最初食事を摂るつもりであったが、日差しが強いので、止めて中庭に面した廊下部分に置かれたテーブルで食事を摂る事にした。
    まずいつもの如く、飲物である。この店には飲物の種類があまり無く、コーラかスプライトくらいである。
    私はスプライトを注文する。
    その飲物と同時に桶の様なお櫃に入ってご飯が来た。それから以下の料理が次々と出て来た。

     ①酢豚(当然、中国の酢豚であるので豚肉のみの甘酢炒めである)
     ②鶏肉、ねぎ、人参、冬瓜、生姜の塩炒め
     ③キャベツの塩炒め
     ④かぼちゃの塩炒め
     ⑤冬瓜のスープ
     ⑥沢庵(中国風大根の漬物)
    意外とあっさりとした料理が多かった。

  • 酢豚はこれぞ中国の酢豚で、日本の酢豚の様に野菜がいっしょに入っておらず、豚肉の甘酢炒めである。<br />その他は淡い塩味の炒めものばかりであるが、非常に日本人の舌に合う味付けがされていた。どれも非常に美味しかった。<br />また、最後に出てきたものは、ピンク色の漬物である。食べてみると味は日本の沢庵そのものである。強いて言えば、少し浅漬けに近いもので、日本の沢庵よりもあっさりした感じである。<br />午前中にかなり運動をした事もあり、非常に食が進む。<br />

    酢豚はこれぞ中国の酢豚で、日本の酢豚の様に野菜がいっしょに入っておらず、豚肉の甘酢炒めである。
    その他は淡い塩味の炒めものばかりであるが、非常に日本人の舌に合う味付けがされていた。どれも非常に美味しかった。
    また、最後に出てきたものは、ピンク色の漬物である。食べてみると味は日本の沢庵そのものである。強いて言えば、少し浅漬けに近いもので、日本の沢庵よりもあっさりした感じである。
    午前中にかなり運動をした事もあり、非常に食が進む。

  • 30分程で食事を終え、中庭に出て、この店を見ていると、やはり民家をそのまま使用しているので、台所に当る場所には竈がある。また、庭の小さな池には、大きな食用蛙や鯉が泳いでいる。<br />  <br />李さんに言わせると、食用蛙は非常に美味しいと言う。日本ではあまり食材として食べる事がない。<br />私自身も今迄に食用蛙を食べた事はないので良く判らない。聞いた話だと、非常に鶏肉に似た食感であると言うが?<br />その様なものの見学も終え、店を出る。<br />

    30分程で食事を終え、中庭に出て、この店を見ていると、やはり民家をそのまま使用しているので、台所に当る場所には竈がある。また、庭の小さな池には、大きな食用蛙や鯉が泳いでいる。

    李さんに言わせると、食用蛙は非常に美味しいと言う。日本ではあまり食材として食べる事がない。
    私自身も今迄に食用蛙を食べた事はないので良く判らない。聞いた話だと、非常に鶏肉に似た食感であると言うが?
    その様なものの見学も終え、店を出る。

  • <玉泉公園(黒龍潭)の観光><br />ここから次の目的地の玉泉公園(黒龍潭)に向かう。<br />再びワゴン車に乗り込み、玉泉公園を目指すと思いきや、少し走ると左に曲がり、そこでワゴン車が停止した。ここがもう玉龍公園である。先程の食事場所から歩いても行ける場所であった。<br />この玉龍公園は市街地の北に位置する公園で、別名を黒龍潭とも言う。<br />この名が付いたのは、この公園の池の水が玉の様に碧いため、この名が付いたと言われている。ここに玉泉龍王廟が建てられたのが、始まりで、この公園の池はトンパ教の聖地である香格裏拉(シャングリラ)の白水台とつながっており、白水台の水が枯れるとこの黒龍潭の水も枯れると信じられている。<br />

    <玉泉公園(黒龍潭)の観光>
    ここから次の目的地の玉泉公園(黒龍潭)に向かう。
    再びワゴン車に乗り込み、玉泉公園を目指すと思いきや、少し走ると左に曲がり、そこでワゴン車が停止した。ここがもう玉龍公園である。先程の食事場所から歩いても行ける場所であった。
    この玉龍公園は市街地の北に位置する公園で、別名を黒龍潭とも言う。
    この名が付いたのは、この公園の池の水が玉の様に碧いため、この名が付いたと言われている。ここに玉泉龍王廟が建てられたのが、始まりで、この公園の池はトンパ教の聖地である香格裏拉(シャングリラ)の白水台とつながっており、白水台の水が枯れるとこの黒龍潭の水も枯れると信じられている。

  • ワゴン車を降りると、その前に色鮮やかな装飾で飾られた立派な門が聳え建つ。その門には、黒龍譚の文字が見える。そして、その門を潜ると、その右手に小さな入口がある。ここで、入場手続きを李さんが行う。<br />我々が入場手続きをしている間に、欧米人のバックパッカーらしき若い男の人がパスポートの様な券を見せ、先に公園内に入って行った。<br />李さんに聞くと、世界遺産登録後、麗江周辺の観光地は共通券で入れるものが多く出来たと言う。<br />我々も同じ様な共通券で廻っている様である。<br />

    ワゴン車を降りると、その前に色鮮やかな装飾で飾られた立派な門が聳え建つ。その門には、黒龍譚の文字が見える。そして、その門を潜ると、その右手に小さな入口がある。ここで、入場手続きを李さんが行う。
    我々が入場手続きをしている間に、欧米人のバックパッカーらしき若い男の人がパスポートの様な券を見せ、先に公園内に入って行った。
    李さんに聞くと、世界遺産登録後、麗江周辺の観光地は共通券で入れるものが多く出来たと言う。
    我々も同じ様な共通券で廻っている様である。

  • 李さんの入場手続きも終わり、公園内に入る。左手に枝垂れ柳の木々が茂っている。直ぐにその枝垂れ柳の奥に池が見えて来る。これが玉泉である。この公園はこの池が中心で、この池は弓型をしており、その周りに枝垂れ柳が植えられている。その池に沿って路が続く。<br />少し行くと、この枝垂れ柳が途切れ、池の全容が見える。丁度、中央付近に石橋が見えている。また、その左手には3層の楼閣も見えている。中央の石橋が玉帯拱橋(ぎょくたいこうきょう)と言い、左手の3層の楼閣を得月楼と言う。<br />更に池のほとりの小路を行くと、枝垂れ柳が途切れ、小さな石橋が現れる。ここからの景色は絶景である。池越しに玉龍雪山が見えている。この石橋の下に、この池から小川が流れている。この小川が我々のホテルの横の水路まで続いているそうだ。<br />ここで池をバックに記念撮影を行う。他の観光客もこの辺りで記念撮影を行っている。<br />

    李さんの入場手続きも終わり、公園内に入る。左手に枝垂れ柳の木々が茂っている。直ぐにその枝垂れ柳の奥に池が見えて来る。これが玉泉である。この公園はこの池が中心で、この池は弓型をしており、その周りに枝垂れ柳が植えられている。その池に沿って路が続く。
    少し行くと、この枝垂れ柳が途切れ、池の全容が見える。丁度、中央付近に石橋が見えている。また、その左手には3層の楼閣も見えている。中央の石橋が玉帯拱橋(ぎょくたいこうきょう)と言い、左手の3層の楼閣を得月楼と言う。
    更に池のほとりの小路を行くと、枝垂れ柳が途切れ、小さな石橋が現れる。ここからの景色は絶景である。池越しに玉龍雪山が見えている。この石橋の下に、この池から小川が流れている。この小川が我々のホテルの横の水路まで続いているそうだ。
    ここで池をバックに記念撮影を行う。他の観光客もこの辺りで記念撮影を行っている。

  • 李さんも自分の写真を撮って欲しいとカメラをカバンから出して来た。李さんも本当に写真好きである。我々とほぼ同じ場所で記念撮影を行っている。記念撮影を終え、再び池のほとりを歩き出す。<br />少し行くと、路が二手に別れている。ひとつは上り坂になっている。この上り坂の手前には東巴文化研究所という石碑が立っている。その上り坂には行かず、下の路を池沿いに進む。<br />池の端まで行くと、非常に水が澄んでいる。池で泳ぐ、魚が良く見えている。そして、その池の底から泡が出ている。この辺りの池の底から水が湧いている。この池の水の一部は湧水である。<br />更に小路を行くと、大きな木々が生い茂っている。その大木の一本が非常に特徴ある木膚をしている。<br />この木の木膚は丁度中国の麻雀牌の大きさくらいの四角い形が並んでいる。<br />李さんが、『これは麻雀牌の木です。』と言う。本当に特徴的な木膚の木である。記念に、この木の横で記念撮影を李さんにお願いする。<br />この辺りで、横には先程の石橋の玉帯拱橋と3層の楼閣を得月楼が見えている。この路の先には、大きな舞台のある建物が見えている。前には綺麗に花が並べられている。<br />   <br />

    李さんも自分の写真を撮って欲しいとカメラをカバンから出して来た。李さんも本当に写真好きである。我々とほぼ同じ場所で記念撮影を行っている。記念撮影を終え、再び池のほとりを歩き出す。
    少し行くと、路が二手に別れている。ひとつは上り坂になっている。この上り坂の手前には東巴文化研究所という石碑が立っている。その上り坂には行かず、下の路を池沿いに進む。
    池の端まで行くと、非常に水が澄んでいる。池で泳ぐ、魚が良く見えている。そして、その池の底から泡が出ている。この辺りの池の底から水が湧いている。この池の水の一部は湧水である。
    更に小路を行くと、大きな木々が生い茂っている。その大木の一本が非常に特徴ある木膚をしている。
    この木の木膚は丁度中国の麻雀牌の大きさくらいの四角い形が並んでいる。
    李さんが、『これは麻雀牌の木です。』と言う。本当に特徴的な木膚の木である。記念に、この木の横で記念撮影を李さんにお願いする。
    この辺りで、横には先程の石橋の玉帯拱橋と3層の楼閣を得月楼が見えている。この路の先には、大きな舞台のある建物が見えている。前には綺麗に花が並べられている。

  • この建物には、納西古楽宮と書かれた額が掛かっている。この前を通る前に、リス族らしき民族衣装を着た若い女性とすれ違った。この公園では度々民族衣装を着た人々を多く見る。<br />この公園は麗江の人々の憩いの場所にもなっている様で、小さな子供を連れた家族連れも非常に多い。その様な人々を見ながら、小路を行く。すると右手に大きな門が見えて来た。<br />

    この建物には、納西古楽宮と書かれた額が掛かっている。この前を通る前に、リス族らしき民族衣装を着た若い女性とすれ違った。この公園では度々民族衣装を着た人々を多く見る。
    この公園は麗江の人々の憩いの場所にもなっている様で、小さな子供を連れた家族連れも非常に多い。その様な人々を見ながら、小路を行く。すると右手に大きな門が見えて来た。

  • この門の奥に建物が建っているのである。門を潜り、中に入ると、大きな楼閣が建っている。<br />これが、この公園で一番有名な楼閣で、五鳳楼という。屋根の形が五つの羽を広げている鳳凰の姿に見える事から五鳳楼と言う名が付いたそうだ。この楼閣の前には、馬に跨った軍人の像がある。<br />  <br />この軍人はナシ族の英雄であるという。この五鳳楼は1601年の創建で、当初はこの地方を統治した人の住居として使用されていた。<br />“五鳳楼”と聞いて、何か前にも聞いた名前であると少し考えていた。そうである厦門に行った時に訪れた福建・土楼の種類のひとつに“五鳳楼”という土楼があった。屋根が重なった方楼の一種である。<br />

    この門の奥に建物が建っているのである。門を潜り、中に入ると、大きな楼閣が建っている。
    これが、この公園で一番有名な楼閣で、五鳳楼という。屋根の形が五つの羽を広げている鳳凰の姿に見える事から五鳳楼と言う名が付いたそうだ。この楼閣の前には、馬に跨った軍人の像がある。

    この軍人はナシ族の英雄であるという。この五鳳楼は1601年の創建で、当初はこの地方を統治した人の住居として使用されていた。
    “五鳳楼”と聞いて、何か前にも聞いた名前であると少し考えていた。そうである厦門に行った時に訪れた福建・土楼の種類のひとつに“五鳳楼”という土楼があった。屋根が重なった方楼の一種である。

  • この五鳳楼を出ると、その前が大きな広場になっている。そこには民族衣装を着たおばあさんが、この広場のベンチで井戸端会議中である。<br />  <br />この辺りが池の端で石橋が架かっている。それを渡ると近代的な建物が並んでいる。<br />時刻は14時になっている。<br />その前には、門があり、少し開いている。その隙間から中に入る。近代的な建物の入口の門は閉まっている。<br /><br />

    この五鳳楼を出ると、その前が大きな広場になっている。そこには民族衣装を着たおばあさんが、この広場のベンチで井戸端会議中である。

    この辺りが池の端で石橋が架かっている。それを渡ると近代的な建物が並んでいる。
    時刻は14時になっている。
    その前には、門があり、少し開いている。その隙間から中に入る。近代的な建物の入口の門は閉まっている。

  • <トンパ文化博物館の見学><br />李さんが、その門を開け様とするが、やはり閉まっている。<br />李さんが、門の取っ手の金具部分を持って門を叩く。すると中から何か言っている。李さんがそれを聞いて、その門から壁沿いに奥に進む。すると、奥の勝手口の様なところからこの建物の人が出て来た。<br />ここが、トンパ(東巴)文化博物館である。<br />今日は、本当は休館日で一般の人達の入場は出来ないので、表の門が閉まっていたのである。<br />我々は李さんが予約をしていたので、見学が出来る。この勝手口の様なところから入り、大きな中庭に出る。<br />そこで暫く待つ様李さんに言われる。中庭の廊下にも多くの民族道具が並べられている。<br />李さんといっしょに中年の男の人が現れる。李さんが、『このトンパ文化博物館の館長の呂先生です。』と紹介される。その館長さんは、流暢な日本語を話し、我々を博物館内に案内してくれる。<br />最初の部屋に入ると、壁に大きくトンパ文字が描かれている。また、その部屋の中央には、ジオラマのこの地方の模型が置かれている。その模型の前で館長さんが日本語で説明を開始する。<br />  <br />

    <トンパ文化博物館の見学>
    李さんが、その門を開け様とするが、やはり閉まっている。
    李さんが、門の取っ手の金具部分を持って門を叩く。すると中から何か言っている。李さんがそれを聞いて、その門から壁沿いに奥に進む。すると、奥の勝手口の様なところからこの建物の人が出て来た。
    ここが、トンパ(東巴)文化博物館である。
    今日は、本当は休館日で一般の人達の入場は出来ないので、表の門が閉まっていたのである。
    我々は李さんが予約をしていたので、見学が出来る。この勝手口の様なところから入り、大きな中庭に出る。
    そこで暫く待つ様李さんに言われる。中庭の廊下にも多くの民族道具が並べられている。
    李さんといっしょに中年の男の人が現れる。李さんが、『このトンパ文化博物館の館長の呂先生です。』と紹介される。その館長さんは、流暢な日本語を話し、我々を博物館内に案内してくれる。
    最初の部屋に入ると、壁に大きくトンパ文字が描かれている。また、その部屋の中央には、ジオラマのこの地方の模型が置かれている。その模型の前で館長さんが日本語で説明を開始する。

  • この麗江は、丁度、山々の谷間にある街で周りを4000m級の山々に囲まれた地形である。そしてその最高峰が玉龍雪山であるという。<br />また、この玉龍雪山の裏側の石鼓には、長江(揚子江)が始めて曲がる地点の長江第一湾がある。<br />この様な土地の説明を受けた後、その奥に展示されている。世界遺産の登録書の説明を聞く。<br />この登録書の内のひとつが珍しいものであった。記憶遺産の登録書である。<br />しかし、これは世界遺産とはまた別物であるが、世界中でここだけのものであると言う説明を受けた。<br />更に次の部屋に移動すると、色々なトンパ文明に関する文物が展示されている。それもトンパ文字に関するものが中心で、辞書や筆などが展示されている。<br />

    この麗江は、丁度、山々の谷間にある街で周りを4000m級の山々に囲まれた地形である。そしてその最高峰が玉龍雪山であるという。
    また、この玉龍雪山の裏側の石鼓には、長江(揚子江)が始めて曲がる地点の長江第一湾がある。
    この様な土地の説明を受けた後、その奥に展示されている。世界遺産の登録書の説明を聞く。
    この登録書の内のひとつが珍しいものであった。記憶遺産の登録書である。
    しかし、これは世界遺産とはまた別物であるが、世界中でここだけのものであると言う説明を受けた。
    更に次の部屋に移動すると、色々なトンパ文明に関する文物が展示されている。それもトンパ文字に関するものが中心で、辞書や筆などが展示されている。

  • 代表的なものを館長さんが説明をしてくれる。そして、次の展示室に。ここにはトンパの生活に関する用具類が展示されている。また部屋が再現されているが、昔の日本家屋の部屋に似ている。部屋の真ん中に囲炉裏があり、部屋の隅には仏壇に似た祭壇がある。そして博物館最奥の部屋に入る。<br />この部屋に入ると、ひとりの変った帽子を被った民族衣装を着た老人が先程見た竹筆で何やら文字を書いている。館長さんが、『この方がトンパ先生です。』と紹介を受ける。<br />このトンパ先生は、トンパ文明のスペシャリストの中からひとり選ばれると言う。<br />このトンパ先生も前のトンパ先生が亡くなられて、今のトンパ先生が選ばれた。今のトンパ先生は前のトンパ先生の弟であると言う。<br />ここで館長さんが、トンパ文明との交流を記念して、トンパ紙に書かれたトンパ文字をお土産に持って帰ってほしいと言う。ただ(無料)なのかと思ったが、そうではなくトンパ紙が貴重なものである為、その紙代だけを貰うと言う。<br />どれくらいするのかと思ったら、200元(約3000円)だと言う。非常に高い!<br />この日本の和紙の様なものを少し厚くした様な紙が200元もするのか?と思ったが、このトンパ先生に会えるのはそうないと言う事なので、まあ記念に購入する事にした。<br />我々の目の前でトンパ先生が文字、日付やサインをトンパ文字で入れてくれた。<br />私は、“祝家人平安健康長寿幸福”という文をトンパ文字で書いて貰い、最後にトンパ先生のサインが入った。<br />そして、その書いて貰った紙を持ち、トンパ先生といっしょに記念撮影を行った。<br />最初の記念撮影は、館長さんにカメラを渡し、撮って貰ったが、一眼レフのデジカメラでの撮影の経験がないのか、上手く撮れていなかった。それで森住さんにお願いし、撮って貰った。<br />森住さんも同様に購入し、同じ様に記念撮影を行う。

    代表的なものを館長さんが説明をしてくれる。そして、次の展示室に。ここにはトンパの生活に関する用具類が展示されている。また部屋が再現されているが、昔の日本家屋の部屋に似ている。部屋の真ん中に囲炉裏があり、部屋の隅には仏壇に似た祭壇がある。そして博物館最奥の部屋に入る。
    この部屋に入ると、ひとりの変った帽子を被った民族衣装を着た老人が先程見た竹筆で何やら文字を書いている。館長さんが、『この方がトンパ先生です。』と紹介を受ける。
    このトンパ先生は、トンパ文明のスペシャリストの中からひとり選ばれると言う。
    このトンパ先生も前のトンパ先生が亡くなられて、今のトンパ先生が選ばれた。今のトンパ先生は前のトンパ先生の弟であると言う。
    ここで館長さんが、トンパ文明との交流を記念して、トンパ紙に書かれたトンパ文字をお土産に持って帰ってほしいと言う。ただ(無料)なのかと思ったが、そうではなくトンパ紙が貴重なものである為、その紙代だけを貰うと言う。
    どれくらいするのかと思ったら、200元(約3000円)だと言う。非常に高い!
    この日本の和紙の様なものを少し厚くした様な紙が200元もするのか?と思ったが、このトンパ先生に会えるのはそうないと言う事なので、まあ記念に購入する事にした。
    我々の目の前でトンパ先生が文字、日付やサインをトンパ文字で入れてくれた。
    私は、“祝家人平安健康長寿幸福”という文をトンパ文字で書いて貰い、最後にトンパ先生のサインが入った。
    そして、その書いて貰った紙を持ち、トンパ先生といっしょに記念撮影を行った。
    最初の記念撮影は、館長さんにカメラを渡し、撮って貰ったが、一眼レフのデジカメラでの撮影の経験がないのか、上手く撮れていなかった。それで森住さんにお願いし、撮って貰った。
    森住さんも同様に購入し、同じ様に記念撮影を行う。

  • それが終わると更にその部屋の奥に案内され、そこに展示されている美術品などを見せられる。<br />また、民族衣装を着たおばあさんが、その部屋の片隅で縫い物をしている。<br />覗き込むと何と布に手で刺繍を入れている。何を作っているのかを聞くと、ネクタイであるという。<br />見るとおばあさんが座っている後ろには、同じ手作りのネクタイが並んでいる。非常に手間の掛かる作業をしている。因みに価格がどのくらいするのかを聞いてみると、ネクタイ1本が1000元(約1.5万円)であると言う。さすがに高い!と思ったがそれくらいの価値はあるのではないか?<br />更に奥に進み、美術品を見せられる。ここにある美術品はこの土地の貴族からこのトンパ文化博物館に寄付されたもので、この博物館の運営の為に格安で販売をしていると言う。<br />しかし、言葉ではそう言っているが、何の事はない、土産物の販売であった。<br />この館長さんも非常に商魂豊かで、何かと売り付け様と品物の説明を行う。本当に本物なのかを疑いたくなる様なものばかりである。<br />ここで李さんが現れ、お茶でもここで頂きましょうと言う。<br />すると女性の店員がお茶を運んで来てくれた。何のお茶か良く判らないが、非常に薄いお茶である。<br />そのお茶を飲みながら、周りの美術品の説明を受ける。しかし、私も森住さんも鼻から買う気はない。<br />お茶を飲み終え、この部屋を後にする。その際に一般的なトンパ文字を用いた土産物が並ぶ前を通った。<br />森住さんが幾つかのお土産を見ている。その内にトンパ文字の簡単な辞書を見つけ、私に見せる。確かに日本語と英語、中国語とトンパ文字が並ぶ辞書の様なものがある。<br />森住さんはそれが気にいった様で購入すると言う。<br />すると館長さんが、『トンパ先生にこれにもサインを入れて貰いましょう!』と言い、先程の部屋に戻る。<br />程なく戻って来て、森住さんにトンパ先生のサインが入ったものを手渡す。私も同じ辞書を購入し、同様にサインを入れて貰った。<br />この辞書も一冊200元(約3000円)である。少し高いが仕方が無い。<br />

    それが終わると更にその部屋の奥に案内され、そこに展示されている美術品などを見せられる。
    また、民族衣装を着たおばあさんが、その部屋の片隅で縫い物をしている。
    覗き込むと何と布に手で刺繍を入れている。何を作っているのかを聞くと、ネクタイであるという。
    見るとおばあさんが座っている後ろには、同じ手作りのネクタイが並んでいる。非常に手間の掛かる作業をしている。因みに価格がどのくらいするのかを聞いてみると、ネクタイ1本が1000元(約1.5万円)であると言う。さすがに高い!と思ったがそれくらいの価値はあるのではないか?
    更に奥に進み、美術品を見せられる。ここにある美術品はこの土地の貴族からこのトンパ文化博物館に寄付されたもので、この博物館の運営の為に格安で販売をしていると言う。
    しかし、言葉ではそう言っているが、何の事はない、土産物の販売であった。
    この館長さんも非常に商魂豊かで、何かと売り付け様と品物の説明を行う。本当に本物なのかを疑いたくなる様なものばかりである。
    ここで李さんが現れ、お茶でもここで頂きましょうと言う。
    すると女性の店員がお茶を運んで来てくれた。何のお茶か良く判らないが、非常に薄いお茶である。
    そのお茶を飲みながら、周りの美術品の説明を受ける。しかし、私も森住さんも鼻から買う気はない。
    お茶を飲み終え、この部屋を後にする。その際に一般的なトンパ文字を用いた土産物が並ぶ前を通った。
    森住さんが幾つかのお土産を見ている。その内にトンパ文字の簡単な辞書を見つけ、私に見せる。確かに日本語と英語、中国語とトンパ文字が並ぶ辞書の様なものがある。
    森住さんはそれが気にいった様で購入すると言う。
    すると館長さんが、『トンパ先生にこれにもサインを入れて貰いましょう!』と言い、先程の部屋に戻る。
    程なく戻って来て、森住さんにトンパ先生のサインが入ったものを手渡す。私も同じ辞書を購入し、同様にサインを入れて貰った。
    この辞書も一冊200元(約3000円)である。少し高いが仕方が無い。

  • 意外に長く、このトンパ文化博物館に居た。外に出ると出口前に既にワゴン車が止まっている。それに乗り込み、今日最後の観光スポットの麗江古城に移動する。<br />ワゴン車は枝垂れ柳の並木の水路沿いの道を市街に向かう。思いの外近く、5分も経たないうちに、麗江古城のゲートに着く。ゲートを抜け、ホテル前にワゴン車が止まる。<br />ワゴン車を降り、ホテルのロビーに入る。ここで、李さんと今後の予定を打ち合わせる。これから少し休憩し、麗江古城の散策に向かう事になった。<br />一旦、ホテルの部屋に戻り、余分な荷物を置いて、再びロビーに下りる。<br />ロビーのソファには、李さんと運転手の和さん、そしてもう一人の女性の3人が話をしている。<br />  <br />女の人は李さんと同じ会社の日本語ガイドの人であった。別の日本人ツアー客のガイドをしていると言う。<br />ここで、3人の写真を撮らせて貰った。森住さんがまだ下りて来ていないので、ここで3人と話をしながら、森住さんを待つ。<br />程なく、森住さんが現れ、和さんと女性のガイドの人と別れ、李さんと森住さんとで、ホテルを出る。<br />

    意外に長く、このトンパ文化博物館に居た。外に出ると出口前に既にワゴン車が止まっている。それに乗り込み、今日最後の観光スポットの麗江古城に移動する。
    ワゴン車は枝垂れ柳の並木の水路沿いの道を市街に向かう。思いの外近く、5分も経たないうちに、麗江古城のゲートに着く。ゲートを抜け、ホテル前にワゴン車が止まる。
    ワゴン車を降り、ホテルのロビーに入る。ここで、李さんと今後の予定を打ち合わせる。これから少し休憩し、麗江古城の散策に向かう事になった。
    一旦、ホテルの部屋に戻り、余分な荷物を置いて、再びロビーに下りる。
    ロビーのソファには、李さんと運転手の和さん、そしてもう一人の女性の3人が話をしている。

    女の人は李さんと同じ会社の日本語ガイドの人であった。別の日本人ツアー客のガイドをしていると言う。
    ここで、3人の写真を撮らせて貰った。森住さんがまだ下りて来ていないので、ここで3人と話をしながら、森住さんを待つ。
    程なく、森住さんが現れ、和さんと女性のガイドの人と別れ、李さんと森住さんとで、ホテルを出る。

  • <麗江古城の散歩><br />昨日と同様に、古城入口の水車付近には、多くの観光客がいる。<br />まず、我々は李さんの先導で、古城のメイン通りではなく、新華街を通る。この通りは然程広くなく、メイン通りの東大街よりも少し、高い場所を通っている。<br />水車脇から新華街に入る。この通りも両側に沢山の店が並ぶ。まだ、時刻が15時過ぎくらいなので、余り人通りは多くない、この通りには、BARも多く、夜は賑わうのであろう。<br />

    <麗江古城の散歩>
    昨日と同様に、古城入口の水車付近には、多くの観光客がいる。
    まず、我々は李さんの先導で、古城のメイン通りではなく、新華街を通る。この通りは然程広くなく、メイン通りの東大街よりも少し、高い場所を通っている。
    水車脇から新華街に入る。この通りも両側に沢山の店が並ぶ。まだ、時刻が15時過ぎくらいなので、余り人通りは多くない、この通りには、BARも多く、夜は賑わうのであろう。

  • 途中に何軒かの店先で機織をしている光景を見かける。機織をしている女性は勿論民族衣装を着ている。この麗江の地に多く暮らすナシ族の女性であろう。<br />更にこの通りを南に進むと、水路を隔てて、四方街という古城の中心地に出る。<br />この四方街には、多くの観光客が集まっている。その訳は、この四方街ではナシ族の女性が楽しそうに輪を<br />描いて踊っている。観光客はみんな、この光景を見る為に集まっているのである。<br />

    途中に何軒かの店先で機織をしている光景を見かける。機織をしている女性は勿論民族衣装を着ている。この麗江の地に多く暮らすナシ族の女性であろう。
    更にこの通りを南に進むと、水路を隔てて、四方街という古城の中心地に出る。
    この四方街には、多くの観光客が集まっている。その訳は、この四方街ではナシ族の女性が楽しそうに輪を
    描いて踊っている。観光客はみんな、この光景を見る為に集まっているのである。

  • 我々もその場所で少しの間、このナシ族の女性達の踊りを見る。その踊りが一区切りすると、李さんが、<br />『先に印章を造りに行きますよ!』と言い、我々に付いて来る様に言う。<br />四方街から北東方向に延びる路地に入り、大石橋を渡り、水路沿いの路を北に向かう。そして、密士巷という場所辺りにある。トンパ文字関連グッズを売っている一軒の店に入る。<br />李さんが、『ここは先程のトンパ文化博物館でお会いしたトンパ先生の息子さんが経営している店です。』と教えてくれる。そして、『ここで、トンパ文字で印章を造ります。』と言う。聞くと、これはツアー料金に入っていて、タダで造ってくれると言う。しかし、篆刻石は決められた石からしか選べない様である。<br />森住さんと石を選び、そして彫って貰うトンパ文字や形式を決め、店員に示す。<br />李さんが、『その他でも印章を造りたければ、石の代金だけで造れますよ!』と言うが、印章はもう余分にはいらない。他の土産物を見せて貰う。李さんのお勧めが、Tシャツであったので、それを数点見る。<br />確かにデザインはトンパ文字が象形文字なので非常に面白い。そこで、数枚Tシャツを買う事にした。<br />一枚の価格が、50元(約750円)なので手頃な価格である。結局3枚柄の違うものを購入した。<br />出来上がった印章は、ホテルに届けてくれるというので、購入したTシャツもそのまま預け、いっしょに届けて貰う事にし、店を出る。<br />

    我々もその場所で少しの間、このナシ族の女性達の踊りを見る。その踊りが一区切りすると、李さんが、
    『先に印章を造りに行きますよ!』と言い、我々に付いて来る様に言う。
    四方街から北東方向に延びる路地に入り、大石橋を渡り、水路沿いの路を北に向かう。そして、密士巷という場所辺りにある。トンパ文字関連グッズを売っている一軒の店に入る。
    李さんが、『ここは先程のトンパ文化博物館でお会いしたトンパ先生の息子さんが経営している店です。』と教えてくれる。そして、『ここで、トンパ文字で印章を造ります。』と言う。聞くと、これはツアー料金に入っていて、タダで造ってくれると言う。しかし、篆刻石は決められた石からしか選べない様である。
    森住さんと石を選び、そして彫って貰うトンパ文字や形式を決め、店員に示す。
    李さんが、『その他でも印章を造りたければ、石の代金だけで造れますよ!』と言うが、印章はもう余分にはいらない。他の土産物を見せて貰う。李さんのお勧めが、Tシャツであったので、それを数点見る。
    確かにデザインはトンパ文字が象形文字なので非常に面白い。そこで、数枚Tシャツを買う事にした。
    一枚の価格が、50元(約750円)なので手頃な価格である。結局3枚柄の違うものを購入した。
    出来上がった印章は、ホテルに届けてくれるというので、購入したTシャツもそのまま預け、いっしょに届けて貰う事にし、店を出る。

  • 再び、四方街を目指し、今度は、密士巷から水路沿いの路に戻り、東大街に出る。東大街を歩き、四方街を目指す。ここで、今日の早朝にひとりでこの東大街を歩いた際に見つけた魚を形取った看板の様な物を李さんに見て貰い、何なのかを聞く。すると、李さんは、『あぁ、これは祠の様なものです。』と言う。<br />聞くと、蝋燭を点し、願い事を書いた紙の船をこの前から水路に流すと言う。時期などはなく、毎晩でも行うと言う。日本の精霊(鐘楼)流しのイメージであったが、少し違う様である。<br />再び東大街を、四方街を目指して歩く。この東大街も路の左手に店が多く並ぶ。数分で、四方街に出る。<br />今度は、この四方街から西南方向に延びる坂路を上る。ところどころに石段があるこの坂路は、この古城の高台に建つ万古楼に繋がっている。次はこの万古楼を目指す。<br />    <br />万古楼への坂路は、最初比較的なだらかであったが、途中から急に坂がきつくなり、石段も増える。<br />途中、上って来た路を振り返ると、その急斜面が良く判る。かなり上まで上がって来たと思ったところで、路を折れ、細い階段路に入る。丁度、民家の裏手の路で、民家の剥き出しのレンガ壁が見ている。<br />しかし、この狭い石段の右手には、カフェなどの店が幾つも並んでいる。<br />この階段を上り切ると、そこには広場があった。展望台である。<br />

    再び、四方街を目指し、今度は、密士巷から水路沿いの路に戻り、東大街に出る。東大街を歩き、四方街を目指す。ここで、今日の早朝にひとりでこの東大街を歩いた際に見つけた魚を形取った看板の様な物を李さんに見て貰い、何なのかを聞く。すると、李さんは、『あぁ、これは祠の様なものです。』と言う。
    聞くと、蝋燭を点し、願い事を書いた紙の船をこの前から水路に流すと言う。時期などはなく、毎晩でも行うと言う。日本の精霊(鐘楼)流しのイメージであったが、少し違う様である。
    再び東大街を、四方街を目指して歩く。この東大街も路の左手に店が多く並ぶ。数分で、四方街に出る。
    今度は、この四方街から西南方向に延びる坂路を上る。ところどころに石段があるこの坂路は、この古城の高台に建つ万古楼に繋がっている。次はこの万古楼を目指す。

    万古楼への坂路は、最初比較的なだらかであったが、途中から急に坂がきつくなり、石段も増える。
    途中、上って来た路を振り返ると、その急斜面が良く判る。かなり上まで上がって来たと思ったところで、路を折れ、細い階段路に入る。丁度、民家の裏手の路で、民家の剥き出しのレンガ壁が見ている。
    しかし、この狭い石段の右手には、カフェなどの店が幾つも並んでいる。
    この階段を上り切ると、そこには広場があった。展望台である。

  • ここからの眺めは、観光ガイドや旅行パンフレットなどで見る麗江古城の景色である。軒を寄せ合う様に並ぶ屋根屋根が一望出来る。<br />  <br />この展望台は野外カフェテラスにもなっており、いくつかのテーブルが置かれている。<br />ここで休憩する事になり、テーブルのひとつに3人で座る。李さんが店からメニューを持って来て、<br />『何か飲みますか?』と聞く。メニューを見ると、コーヒーなどもある。<br />コーヒーを見ると、幾つか種類があり、一番高いものはブラジルサントスである。<br />これが50元(約750円)。<br />次に書かれていたのが雲南アラビカである。これはこの地方のコーヒーなのか?<br />李さんに聞くと、『そうです。この雲南地方で採れるコーヒーです。』との事。<br />これが少し安い40元(約600円)である。<br />折角、雲南地方に来ているので、ここは雲南アラビカを注文する事にした。森住さんも同じものを注文する。<br />万古楼がここから見えないので、李さんに聞くと、『万古楼は、この見えている山の上です。』と言う。<br />

    ここからの眺めは、観光ガイドや旅行パンフレットなどで見る麗江古城の景色である。軒を寄せ合う様に並ぶ屋根屋根が一望出来る。

    この展望台は野外カフェテラスにもなっており、いくつかのテーブルが置かれている。
    ここで休憩する事になり、テーブルのひとつに3人で座る。李さんが店からメニューを持って来て、
    『何か飲みますか?』と聞く。メニューを見ると、コーヒーなどもある。
    コーヒーを見ると、幾つか種類があり、一番高いものはブラジルサントスである。
    これが50元(約750円)。
    次に書かれていたのが雲南アラビカである。これはこの地方のコーヒーなのか?
    李さんに聞くと、『そうです。この雲南地方で採れるコーヒーです。』との事。
    これが少し安い40元(約600円)である。
    折角、雲南地方に来ているので、ここは雲南アラビカを注文する事にした。森住さんも同じものを注文する。
    万古楼がここから見えないので、李さんに聞くと、『万古楼は、この見えている山の上です。』と言う。

  • 丁度、展望台の裏に山がある。この頂上付近との事で、まだこの展望台から階段でも300段以上あるとの事。森住さんがこれを聞いて、万古楼へはもう登らないと言う。<br />李さんもここで待つと言う。私は是非、建物だけでも見たいと思い、この山を登る事にした。<br />注文したコーヒーが出され、それを飲む。非常にマイルドなコーヒーである。酸味と渋味のバランスが非常に良い。非常にブラジルサントスに味が似ていると感じた。<br />それを飲み終え、私は席を経ち、森住さんと李さんにここで少し待って貰う事にして、万古楼に向かう。<br />まず、展望台の奥に進むと、非常に長い階段が現れた。それを駆け足で上る。<br />しかし、途中で息苦しくなった。この麗江でも標高が2200mくらいあるので、さすがに酸素が薄い。<br />この見えていた長い石段を上がり切り、ほっとしたのも束の間で、次の階段が直ぐに現れた。<br />

    丁度、展望台の裏に山がある。この頂上付近との事で、まだこの展望台から階段でも300段以上あるとの事。森住さんがこれを聞いて、万古楼へはもう登らないと言う。
    李さんもここで待つと言う。私は是非、建物だけでも見たいと思い、この山を登る事にした。
    注文したコーヒーが出され、それを飲む。非常にマイルドなコーヒーである。酸味と渋味のバランスが非常に良い。非常にブラジルサントスに味が似ていると感じた。
    それを飲み終え、私は席を経ち、森住さんと李さんにここで少し待って貰う事にして、万古楼に向かう。
    まず、展望台の奥に進むと、非常に長い階段が現れた。それを駆け足で上る。
    しかし、途中で息苦しくなった。この麗江でも標高が2200mくらいあるので、さすがに酸素が薄い。
    この見えていた長い石段を上がり切り、ほっとしたのも束の間で、次の階段が直ぐに現れた。

  • この階段も急いで上る。この様な階段が4回くらい続き、やっと門らしきものが前方に見えて来て、そのうしろの木々の間から万古楼が見えて来た。しかし、既にここまで登るのに汗だくの状態である。<br />門を潜ると、前方に大きな楼閣が現れる。万古楼である。<br />  <br />この山は獅子山と言い、この頂上に万古楼が建っている。万古楼は5層の楼閣で高さは約33m、麗江古城地区では最も高い場所である。<br />さすがにここまで上って来ている人は少なく、数人の観光客しか見えない。残念な事に周りが木々に覆われているので、万古楼の前からでは麗江古城の風景を見る事が出来ない。<br />この万古楼には登れるらしいが、もうそこまでの元気が残っていない。登れば、非常に雄大な眺めだろう。<br />少し休憩し、万古楼の全容のみをカメラに収め、再び戻る事にした。<br />

    この階段も急いで上る。この様な階段が4回くらい続き、やっと門らしきものが前方に見えて来て、そのうしろの木々の間から万古楼が見えて来た。しかし、既にここまで登るのに汗だくの状態である。
    門を潜ると、前方に大きな楼閣が現れる。万古楼である。

    この山は獅子山と言い、この頂上に万古楼が建っている。万古楼は5層の楼閣で高さは約33m、麗江古城地区では最も高い場所である。
    さすがにここまで上って来ている人は少なく、数人の観光客しか見えない。残念な事に周りが木々に覆われているので、万古楼の前からでは麗江古城の風景を見る事が出来ない。
    この万古楼には登れるらしいが、もうそこまでの元気が残っていない。登れば、非常に雄大な眺めだろう。
    少し休憩し、万古楼の全容のみをカメラに収め、再び戻る事にした。

  • 先程上がって来た階段をひたすら下りる。下りるのにもかなり時間を要した。最後の階段に差し掛かったところで、階段下で李さんと森住さんが待っているのが見えた。<br />やっとの事、階段を下り、合流する。<br />森住さんからどうでしたか?と聞かれ、木々が多く、麗江古城の風景が見られなかった事を説明する。<br />すると李さんが、『直ぐに木府(もくふ)に向いますよ!』と言う。どうも木府への入場が16時迄だと言う。<br />時刻を見ると、もう16時である。<br />慌てて、李さんについて歩く。この展望台の奥に木府への入口がある。丁度、裏手側から木府に入るのである。その入口で李さんが慌てて手続きをしている。<br />李さんの後ろで、手続きが終わるのを待ち、終わると直ぐに入口の門を入る。<br />入口の門からはいきなり下り階段が続く。ここから下り、木府の裏手に建つ道教寺院に向かう。<br />ここで少し麗江について説明を受ける。麗江古城には、古城の名前がついているのに城壁がない。中国の都市は殆どが城郭都市である。しかし、この麗江にはその城壁がない。なぜか?<br />伝承によれば、麗江を治めた王朝が当時の皇帝の名の「朱」から兜を取った「木」という名前を与えられた。これが当時の頭首である『阿甲阿得』で、姓を木氏と改め、この麗江の街を治めた。<br />麗江の街も異民族からの脅威に直面していたが、木氏は算卜により、木が統治する地域を城壁で囲むと、「木」が「困」になる事を嫌い城壁は造営しなかった。実際には麗江の街には水路が入り組んでおり、これらの冶水の面からも城壁を造ると不利になる事も考慮して造営しなかったとも推察されている。<br />木府は、この木氏が暮らした館である。正式な名前は土司木氏衛署と言う。<br />その様な説明を聞きながら、階段を下りる。最初に現れるのは、道教の寺院である三清殿である。<br />

    先程上がって来た階段をひたすら下りる。下りるのにもかなり時間を要した。最後の階段に差し掛かったところで、階段下で李さんと森住さんが待っているのが見えた。
    やっとの事、階段を下り、合流する。
    森住さんからどうでしたか?と聞かれ、木々が多く、麗江古城の風景が見られなかった事を説明する。
    すると李さんが、『直ぐに木府(もくふ)に向いますよ!』と言う。どうも木府への入場が16時迄だと言う。
    時刻を見ると、もう16時である。
    慌てて、李さんについて歩く。この展望台の奥に木府への入口がある。丁度、裏手側から木府に入るのである。その入口で李さんが慌てて手続きをしている。
    李さんの後ろで、手続きが終わるのを待ち、終わると直ぐに入口の門を入る。
    入口の門からはいきなり下り階段が続く。ここから下り、木府の裏手に建つ道教寺院に向かう。
    ここで少し麗江について説明を受ける。麗江古城には、古城の名前がついているのに城壁がない。中国の都市は殆どが城郭都市である。しかし、この麗江にはその城壁がない。なぜか?
    伝承によれば、麗江を治めた王朝が当時の皇帝の名の「朱」から兜を取った「木」という名前を与えられた。これが当時の頭首である『阿甲阿得』で、姓を木氏と改め、この麗江の街を治めた。
    麗江の街も異民族からの脅威に直面していたが、木氏は算卜により、木が統治する地域を城壁で囲むと、「木」が「困」になる事を嫌い城壁は造営しなかった。実際には麗江の街には水路が入り組んでおり、これらの冶水の面からも城壁を造ると不利になる事も考慮して造営しなかったとも推察されている。
    木府は、この木氏が暮らした館である。正式な名前は土司木氏衛署と言う。
    その様な説明を聞きながら、階段を下りる。最初に現れるのは、道教の寺院である三清殿である。

  • この三清殿には、道教の創始者とされる3人が祀られている。祀られているのは、「太元」を神格化した最高神である『元始天尊』、「道」を神格化した『霊宝天尊(太上道君)』、老子を神格化した『道徳天尊(太上老君)』の3人である。<br />道教は、漢民族の伝統的な宗教で、中心の概念は道(タオ)である。この道とは宇宙と人生の根源的な不滅の真理を指す。この起こりは中国の春秋戦国時代の諸子百家にある。その代表的なものが、老子・荘子の老荘思想である。この思想が日本にも伝来し、各地で祀られる様になったのが、庚申堂(庚申信仰)である。<br />私の住む奈良の町でも古くからこの庚申信仰があった様で今でも古い町並みの残る奈良町では、この庚申信仰の身代わり猿を軒先に吊り下げる風習が見られる。<br />また、書物では中国の明の時代に書かれた通俗小説の『封神演技』(日本ではあまり読まれる事はないが、この小説をモチーフにマンガも書かれている)がある。この小説には、道教の神々が多く登場する。<br />この三清殿は、木府を見下ろす山の中腹に建てられており、ここからの眺めも非常に良い。<br />ここで、時間もないのに記念撮影を行う。結局、記念撮影などを行った為に、三清殿内には入る時間がなく、次に向かう。殿内に入り、3人の像を見たかった。<br />次は、この三清殿の真下に見える玉音楼である。<br />三清殿からまた階段を下り、回廊を抜けて玉音楼の横に出る。この玉音楼は、歌舞を観賞した場所で、所謂コンサートホールである。この楼閣の山側には、楼閣の外に舞台もある。<br />

    この三清殿には、道教の創始者とされる3人が祀られている。祀られているのは、「太元」を神格化した最高神である『元始天尊』、「道」を神格化した『霊宝天尊(太上道君)』、老子を神格化した『道徳天尊(太上老君)』の3人である。
    道教は、漢民族の伝統的な宗教で、中心の概念は道(タオ)である。この道とは宇宙と人生の根源的な不滅の真理を指す。この起こりは中国の春秋戦国時代の諸子百家にある。その代表的なものが、老子・荘子の老荘思想である。この思想が日本にも伝来し、各地で祀られる様になったのが、庚申堂(庚申信仰)である。
    私の住む奈良の町でも古くからこの庚申信仰があった様で今でも古い町並みの残る奈良町では、この庚申信仰の身代わり猿を軒先に吊り下げる風習が見られる。
    また、書物では中国の明の時代に書かれた通俗小説の『封神演技』(日本ではあまり読まれる事はないが、この小説をモチーフにマンガも書かれている)がある。この小説には、道教の神々が多く登場する。
    この三清殿は、木府を見下ろす山の中腹に建てられており、ここからの眺めも非常に良い。
    ここで、時間もないのに記念撮影を行う。結局、記念撮影などを行った為に、三清殿内には入る時間がなく、次に向かう。殿内に入り、3人の像を見たかった。
    次は、この三清殿の真下に見える玉音楼である。
    三清殿からまた階段を下り、回廊を抜けて玉音楼の横に出る。この玉音楼は、歌舞を観賞した場所で、所謂コンサートホールである。この楼閣の山側には、楼閣の外に舞台もある。

  • しかし、面白い事に山の中腹の三清殿から見た楼閣の形と近くで見る形が違う。近くまで来ると、玉泉公園で見た五鳳楼に似て、鳥が羽を広げた様な屋根に見える。非常に特徴のある形である。<br />この建物の横を抜け、次の建物の光碧楼に移動する。光碧楼は、接客に用いられた建物である。3層の比較的大きな楼閣である。裏の入口には忠孝文武の額が掲げられている。<br />この光碧楼に入り、階段に上り、2階に上がる。そして2階から繋がる渡り廊下を通り、次の楼閣に進む。<br />次の楼閣は、護法殿である。護法殿は木氏の私事的な会合の場である。<br />更に進むと曲阜の孔廟を参考に建てられた書庫の万巻楼に出る。<br />

    しかし、面白い事に山の中腹の三清殿から見た楼閣の形と近くで見る形が違う。近くまで来ると、玉泉公園で見た五鳳楼に似て、鳥が羽を広げた様な屋根に見える。非常に特徴のある形である。
    この建物の横を抜け、次の建物の光碧楼に移動する。光碧楼は、接客に用いられた建物である。3層の比較的大きな楼閣である。裏の入口には忠孝文武の額が掲げられている。
    この光碧楼に入り、階段に上り、2階に上がる。そして2階から繋がる渡り廊下を通り、次の楼閣に進む。
    次の楼閣は、護法殿である。護法殿は木氏の私事的な会合の場である。
    更に進むと曲阜の孔廟を参考に建てられた書庫の万巻楼に出る。

  • この辺りまで来て、気が付いたが北京の紫禁城と建物や石廊、階段などの装飾が非常に似ている。<br />李さんに聞くと、『この木府は木氏が北京の紫禁城をモデルに造らせたものです。それも木氏は実際には紫禁城を見た事がなかったので、その紫禁城の建築に従事した職人を多数呼び寄せ、紫禁城と同じものを造る様に指示した。しかし、職人はこの麗江の土地を見て、同規模のものは不可能な事を説明したが、木氏はそれを許さない。仕方なく、職人達はそのミニチュア版をこの土地に造る事を行った。』と言う。<br />それで石廊の柱の装飾や石段の中央の装飾などが紫禁城のものと似ているのである。万巻楼の建物内には入らず、その周りの石廊を進む。<br />

    この辺りまで来て、気が付いたが北京の紫禁城と建物や石廊、階段などの装飾が非常に似ている。
    李さんに聞くと、『この木府は木氏が北京の紫禁城をモデルに造らせたものです。それも木氏は実際には紫禁城を見た事がなかったので、その紫禁城の建築に従事した職人を多数呼び寄せ、紫禁城と同じものを造る様に指示した。しかし、職人はこの麗江の土地を見て、同規模のものは不可能な事を説明したが、木氏はそれを許さない。仕方なく、職人達はそのミニチュア版をこの土地に造る事を行った。』と言う。
    それで石廊の柱の装飾や石段の中央の装飾などが紫禁城のものと似ているのである。万巻楼の建物内には入らず、その周りの石廊を進む。

  • 最後に現れたのが、木氏が政務を執り行った議事庁である。この殿内には、紫禁城の太和殿と同じく、政務を執った当時の執政官が座る立派な椅子が置かれている。<br />その前に煌びやかな門が建っている。これが木府の門である。門を潜ると木府の外である。振り返るとその門には木府と書かれて額が掛かっている。我々は反対側からこの木府に入ったのである。本当は、ここがこの木府の正規の入口である。また、この入口門の前には、今度は石造りの立派な門がある。これが忠義坊で、元々はこの門が木府の入口であった。ここで木府は終了である。<br />再び、麗江古城の街を歩く。忠義坊の前から右手に進み。三眼井と言う井戸を目指す。<br />

    最後に現れたのが、木氏が政務を執り行った議事庁である。この殿内には、紫禁城の太和殿と同じく、政務を執った当時の執政官が座る立派な椅子が置かれている。
    その前に煌びやかな門が建っている。これが木府の門である。門を潜ると木府の外である。振り返るとその門には木府と書かれて額が掛かっている。我々は反対側からこの木府に入ったのである。本当は、ここがこの木府の正規の入口である。また、この入口門の前には、今度は石造りの立派な門がある。これが忠義坊で、元々はこの門が木府の入口であった。ここで木府は終了である。
    再び、麗江古城の街を歩く。忠義坊の前から右手に進み。三眼井と言う井戸を目指す。

  • この通りにも土産物屋が所々にあるが、余り観光客が来ない場所の様である。ある店では双子の女の子か、同じ似た年頃の女の子がお揃いのピンク色の服装を着て、店先に立っている。<br />通りを通る人も少なく、殆どがこの古城の住民である。子供も通りで遊んでいる。また、家の入口付近で、友達を待っているのか、女の子が通りを行く観光客を見ている。この様な情景を楽しみながら、三眼井に向かう。

    この通りにも土産物屋が所々にあるが、余り観光客が来ない場所の様である。ある店では双子の女の子か、同じ似た年頃の女の子がお揃いのピンク色の服装を着て、店先に立っている。
    通りを通る人も少なく、殆どがこの古城の住民である。子供も通りで遊んでいる。また、家の入口付近で、友達を待っているのか、女の子が通りを行く観光客を見ている。この様な情景を楽しみながら、三眼井に向かう。

  • 程なく三眼井に到着する。三眼井と言っても遺跡などではなく、この古城での生活井戸である。当然の様にこの辺りの住民がこの井戸を使う。井戸は三段に別れていて、一番上が飲み水の汲み場、二段目が食材や食器などの洗い場、三段目が洗濯場になっている。見ると二段目と三段目は余り段差もなく、隣接しているので、清潔だとは言い難い。丁度、女の子が二段目のところでトマトを洗い、皮を剥いている。その横でおばさんが洗濯をしている。

    程なく三眼井に到着する。三眼井と言っても遺跡などではなく、この古城での生活井戸である。当然の様にこの辺りの住民がこの井戸を使う。井戸は三段に別れていて、一番上が飲み水の汲み場、二段目が食材や食器などの洗い場、三段目が洗濯場になっている。見ると二段目と三段目は余り段差もなく、隣接しているので、清潔だとは言い難い。丁度、女の子が二段目のところでトマトを洗い、皮を剥いている。その横でおばさんが洗濯をしている。

  • ここで折り返し、通りを戻る。先程の木府前は通らず、この通りを真直ぐに東に行き、路なりに興文巷に出る。そして、そこから路を曲がり、官門口の石門の前を通る。この門を潜った路が木府へ繋がる正式な路である。門の中から馬に乗った人が出てくる。最初に四方街で見た馬で観光客を乗せているのである。<br />  <br />更にその通りを、四方街を目指し、進む。<br />

    ここで折り返し、通りを戻る。先程の木府前は通らず、この通りを真直ぐに東に行き、路なりに興文巷に出る。そして、そこから路を曲がり、官門口の石門の前を通る。この門を潜った路が木府へ繋がる正式な路である。門の中から馬に乗った人が出てくる。最初に四方街で見た馬で観光客を乗せているのである。

    更にその通りを、四方街を目指し、進む。

  • 四方街には出ずにその手前で、再び右に曲がると前方に人が沢山座っている。近づくと、そこは石橋でみんな石橋の欄干に腰掛けているのである。<br />李さんが、『この石橋は百歳橋と言われ、この欄干に腰掛けると長生きが出来ると謂われています。』と教えてくれる。我々も欄干に座れる場所を探すが、みんな隙間なく座っている。少し待っていたが、結局空かず、その場を離れる。この百歳橋から水路沿いに大石橋を目指す。大石橋に着くと、この欄干に腰掛、休憩を取る。休んでいる間にも我々の前を様々な人達が通る。その人達を観察しているだけでも面白い<br />

    四方街には出ずにその手前で、再び右に曲がると前方に人が沢山座っている。近づくと、そこは石橋でみんな石橋の欄干に腰掛けているのである。
    李さんが、『この石橋は百歳橋と言われ、この欄干に腰掛けると長生きが出来ると謂われています。』と教えてくれる。我々も欄干に座れる場所を探すが、みんな隙間なく座っている。少し待っていたが、結局空かず、その場を離れる。この百歳橋から水路沿いに大石橋を目指す。大石橋に着くと、この欄干に腰掛、休憩を取る。休んでいる間にも我々の前を様々な人達が通る。その人達を観察しているだけでも面白い

  • 天秤棒を担ぎ、苺を売るナシ族のおばさんや整然と隊列を組んで歩く公安の警官、艶やかな民族衣装を着た若いナシ族の女性など様々である。<br />しかし、目に付くのは殆どが女性で、男性が民族衣装を着ているのを余り見かけない。<br />時刻は17時を過ぎている。休憩を終え、再び大石橋から水路沿いの路を密士巷に向かう。時間があるとの事で、先程印章を頼んだトンパ文字関連グッズの店に立寄る。<br /> <br />店で先程の印章が出来ているかを確かめるとまだ出来ていない様である。仕方なく、その場を後にし、その密士巷を更に奥に進む。すると、路の左手に井戸が現れた。この井戸は、溢&#29864;泉と言う。<br />従来は飲み水専用で使用されていたが、今は使用されていない様である。覗くと水量も少ない。<br />

    天秤棒を担ぎ、苺を売るナシ族のおばさんや整然と隊列を組んで歩く公安の警官、艶やかな民族衣装を着た若いナシ族の女性など様々である。
    しかし、目に付くのは殆どが女性で、男性が民族衣装を着ているのを余り見かけない。
    時刻は17時を過ぎている。休憩を終え、再び大石橋から水路沿いの路を密士巷に向かう。時間があるとの事で、先程印章を頼んだトンパ文字関連グッズの店に立寄る。

    店で先程の印章が出来ているかを確かめるとまだ出来ていない様である。仕方なく、その場を後にし、その密士巷を更に奥に進む。すると、路の左手に井戸が現れた。この井戸は、溢璨泉と言う。
    従来は飲み水専用で使用されていたが、今は使用されていない様である。覗くと水量も少ない。

  • この辺りから急に路が狭くなる。そして路が入り組んでいる。進んでいた路は突き当たりとなり、左右に別れている。良く見ると、早朝にもここは通り、左手に行き、行き止まりになった事を思い出した。<br />李さんはさすがに迷わず、右手に進む。そして、少し行くと広場に出る。李さんによると、昔この場所は、馬などに水や飼葉を与える場所であると言う。<br />確かに中央に大きな木があり、そこに馬を繋ぎ止めていたのであろう。現在はその木の周りにベンチが造られており、老人がそこで休憩を取っている。<br />  <br />そこから新叉街に路を取る。新叉街に入ると、李さんが店を探し始める。この辺りの店で夕食を摂る予定の様だ。また、携帯で店を確認している。電話が終わると、周りを見渡し、携帯をかけていた真ん前の店が夕食場所であった。<br />

    この辺りから急に路が狭くなる。そして路が入り組んでいる。進んでいた路は突き当たりとなり、左右に別れている。良く見ると、早朝にもここは通り、左手に行き、行き止まりになった事を思い出した。
    李さんはさすがに迷わず、右手に進む。そして、少し行くと広場に出る。李さんによると、昔この場所は、馬などに水や飼葉を与える場所であると言う。
    確かに中央に大きな木があり、そこに馬を繋ぎ止めていたのであろう。現在はその木の周りにベンチが造られており、老人がそこで休憩を取っている。

    そこから新叉街に路を取る。新叉街に入ると、李さんが店を探し始める。この辺りの店で夕食を摂る予定の様だ。また、携帯で店を確認している。電話が終わると、周りを見渡し、携帯をかけていた真ん前の店が夕食場所であった。

  • <麗江での茸料理の夕食:紅楼食館><br />店の名前は“紅楼食館”である。今晩はキノコ料理である。<br />  <br />店の前には水路があり、小さな石橋が架かっている。それを渡り、店内に入る。時刻は17時40分で、夕食を摂るには少し時間が早い。その為か我々以外にまだ客はいない。<br />我々は入口横の小部屋に案内される。窓からは店前の新叉街の通りが見えている。<br />

    <麗江での茸料理の夕食:紅楼食館>
    店の名前は“紅楼食館”である。今晩はキノコ料理である。

    店の前には水路があり、小さな石橋が架かっている。それを渡り、店内に入る。時刻は17時40分で、夕食を摂るには少し時間が早い。その為か我々以外にまだ客はいない。
    我々は入口横の小部屋に案内される。窓からは店前の新叉街の通りが見えている。

  • テーブル中央には既に日本の銅製のお皿の様なものが置かれ、その周りには、小皿に野菜やキノコ類が別けて置かれている。まず、飲物を注文する。今回は、コーラを注文する。<br />すると、店員が鍋を持って来た。しゃぶしゃぶの鍋に似た鍋をその中央の銅製の皿の上に置く。そしてそれと同時に火の点いた炭を持って来て、テーブル中央の鍋の上を開け、中にその炭を入れる。<br />持って来た鍋には既に幾つかの具材が入っている。炭を入れると直ぐに鍋は煮立った。<br />店員が今度は大皿に山盛りに乗ったキノコ類を持って来た。また、焼豚が付け出しに出て来た。<br />  <br />それらが運ばれて来る頃には、既に鍋が沸騰している。もう鍋の中のものは食べられる様である。<br />鍋、小皿や大皿に乗っている具材は以下の通りである。<br /><br /> ①ホウレン草<br /> ②もやし<br /> ③白菜①(大きくならないもの)<br /> ④キャベツ<br /> ⑤しんじゅう茸<br /> ⑥舞茸<br /> ⑦椎茸<br /> ⑧花(黄花)茎<br /> ⑨白菜②(大きくなったもの)<br /> ⑩ジャガイモ<br /> ⑪人参<br /> ⑫木耳(きくらげ)<br /> ⑬鶏肉<br /> ⑭猪肉<br /> ⑮中国ハム<br /> ⑯豚肉<br /> ⑰豆腐<br />などである。余りに具材が多く、食べきれない。鍋から取ったものは、日本の薄口醤油似たものとラー油の辛さの聞いた醤油を少し付けて食べる。鍋に入っているスープ(湯)には何も味が付いていない。<br />

    テーブル中央には既に日本の銅製のお皿の様なものが置かれ、その周りには、小皿に野菜やキノコ類が別けて置かれている。まず、飲物を注文する。今回は、コーラを注文する。
    すると、店員が鍋を持って来た。しゃぶしゃぶの鍋に似た鍋をその中央の銅製の皿の上に置く。そしてそれと同時に火の点いた炭を持って来て、テーブル中央の鍋の上を開け、中にその炭を入れる。
    持って来た鍋には既に幾つかの具材が入っている。炭を入れると直ぐに鍋は煮立った。
    店員が今度は大皿に山盛りに乗ったキノコ類を持って来た。また、焼豚が付け出しに出て来た。

    それらが運ばれて来る頃には、既に鍋が沸騰している。もう鍋の中のものは食べられる様である。
    鍋、小皿や大皿に乗っている具材は以下の通りである。

     ①ホウレン草
     ②もやし
     ③白菜①(大きくならないもの)
     ④キャベツ
     ⑤しんじゅう茸
     ⑥舞茸
     ⑦椎茸
     ⑧花(黄花)茎
     ⑨白菜②(大きくなったもの)
     ⑩ジャガイモ
     ⑪人参
     ⑫木耳(きくらげ)
     ⑬鶏肉
     ⑭猪肉
     ⑮中国ハム
     ⑯豚肉
     ⑰豆腐
    などである。余りに具材が多く、食べきれない。鍋から取ったものは、日本の薄口醤油似たものとラー油の辛さの聞いた醤油を少し付けて食べる。鍋に入っているスープ(湯)には何も味が付いていない。

  • 最初に入っていた猪肉が意外にも非常に美味しい。少し臭みがあるが、味は良い。キノコ類はあまりどれも美味しくない。日本のキノコの方が美味しい。<br />今日はかなり歩いたので、お腹が空いているはずであるが、あまり食が進まない。山の中なので美味しい物は期待していなかったが、もう少し美味しいものがないのか?<br />取り敢えず、少しずつ具材を食べる事にした。一通り食べ終わり、満足する。まだ、小皿に多くの野菜やキノコが残っている。<br />李さんに、『まだ時間は充分ありますよ!もっと食べて下さい!』と促される。<br />しかし、私も森住さんももうお腹一杯である。お茶を飲みながら、少し話をする。<br />時刻は18時30分。<br />もうお腹一杯になった旨を李さんに伝え、店を出る事にした。一旦、ホテルに戻る。新叉街から水車前の広場に出る。昨晩と同様にこの時間帯でも多くの観光客がいる。その間を縫って歩く。<br />ホテルのロビーに戻り、ここで次の集合時間を19時10分とし、部屋に戻る。<br />集合時間までに20分程ある。次はこの地方の民族ショーを見に出かける。カメラのバッテリーが心配なので、それを交換し、早々にロビーに下りる。まだ集合時間までには、10分程ある。<br />李さんはロビーにいるが、何やらフロントで話をしている。聞くと、昨晩の宿泊ホテルがここからかなり遠く、今晩はこの近くに宿がないかを探して貰っていたと言う。<br />結果はこの辺りにはやはり手頃な価格で宿泊出来る部屋は空いておらず、仕方なく昨晩と同じホテルに宿泊すると言う。1泊をどこくらいの価格で済ませているのか非常に興味があったので、少し聞いてみたが、やはり会社から支給される宿泊代は精々200元くらいであると言う。<br />我々が宿泊しているホテルの1/2以下である。でも比較的支給されている方なのかも知れない。<br />森住さんが下りて来ない。19時15分前になり、やっと森住さんが現れる。直ぐにホテルを出る。ここからショーが行われる劇場までは徒歩で向かう。ホテルから出ると李さんが、このショーが終わったら、自分達でホテルへ戻ってほしいと言う。<br />李さんはショーに連れて行った後は帰ると言う。明日の待ち合わせ時間を確認する。<br />明日は7時、ロビーに集合である。<br />

    最初に入っていた猪肉が意外にも非常に美味しい。少し臭みがあるが、味は良い。キノコ類はあまりどれも美味しくない。日本のキノコの方が美味しい。
    今日はかなり歩いたので、お腹が空いているはずであるが、あまり食が進まない。山の中なので美味しい物は期待していなかったが、もう少し美味しいものがないのか?
    取り敢えず、少しずつ具材を食べる事にした。一通り食べ終わり、満足する。まだ、小皿に多くの野菜やキノコが残っている。
    李さんに、『まだ時間は充分ありますよ!もっと食べて下さい!』と促される。
    しかし、私も森住さんももうお腹一杯である。お茶を飲みながら、少し話をする。
    時刻は18時30分。
    もうお腹一杯になった旨を李さんに伝え、店を出る事にした。一旦、ホテルに戻る。新叉街から水車前の広場に出る。昨晩と同様にこの時間帯でも多くの観光客がいる。その間を縫って歩く。
    ホテルのロビーに戻り、ここで次の集合時間を19時10分とし、部屋に戻る。
    集合時間までに20分程ある。次はこの地方の民族ショーを見に出かける。カメラのバッテリーが心配なので、それを交換し、早々にロビーに下りる。まだ集合時間までには、10分程ある。
    李さんはロビーにいるが、何やらフロントで話をしている。聞くと、昨晩の宿泊ホテルがここからかなり遠く、今晩はこの近くに宿がないかを探して貰っていたと言う。
    結果はこの辺りにはやはり手頃な価格で宿泊出来る部屋は空いておらず、仕方なく昨晩と同じホテルに宿泊すると言う。1泊をどこくらいの価格で済ませているのか非常に興味があったので、少し聞いてみたが、やはり会社から支給される宿泊代は精々200元くらいであると言う。
    我々が宿泊しているホテルの1/2以下である。でも比較的支給されている方なのかも知れない。
    森住さんが下りて来ない。19時15分前になり、やっと森住さんが現れる。直ぐにホテルを出る。ここからショーが行われる劇場までは徒歩で向かう。ホテルから出ると李さんが、このショーが終わったら、自分達でホテルへ戻ってほしいと言う。
    李さんはショーに連れて行った後は帰ると言う。明日の待ち合わせ時間を確認する。
    明日は7時、ロビーに集合である。

  • <民族ショー(麗水金沙):雲南麗江国際民族文化交流中心劇場><br />ホテルから古城入口脇の歩道を通り、古城前の大通りの新大街に出る。そこから、新大街を北に少し行くと、右手に公園が見えて来る。<br />この公園中央には今はもう余り見る事がなくなった毛沢東の大きな像が見えている。この公園と新大街を挟んだ反対側に建つ建物がショーを見る“雲南麗江国際民族文化交流中心劇場”である。<br />

    <民族ショー(麗水金沙):雲南麗江国際民族文化交流中心劇場>
    ホテルから古城入口脇の歩道を通り、古城前の大通りの新大街に出る。そこから、新大街を北に少し行くと、右手に公園が見えて来る。
    この公園中央には今はもう余り見る事がなくなった毛沢東の大きな像が見えている。この公園と新大街を挟んだ反対側に建つ建物がショーを見る“雲南麗江国際民族文化交流中心劇場”である。

  • 劇場前まで来ると、その前に道には多くの屋台が出ている。何を売っているのか見ると、殆どの屋台が果物を売っている。西瓜、マンゴー、マンゴスチンなど亜熱帯、熱帯の果物が並ぶ。中にはヤシの実を売っている店もある。どうして食べるのかと言うと、中の水と果肉を食べるそうである。<br />それらの店前を通り、劇場に。劇場入口は2階で階段を上り、入口付近で李さんの入場手続きを待つ。<br />

    劇場前まで来ると、その前に道には多くの屋台が出ている。何を売っているのか見ると、殆どの屋台が果物を売っている。西瓜、マンゴー、マンゴスチンなど亜熱帯、熱帯の果物が並ぶ。中にはヤシの実を売っている店もある。どうして食べるのかと言うと、中の水と果肉を食べるそうである。
    それらの店前を通り、劇場に。劇場入口は2階で階段を上り、入口付近で李さんの入場手続きを待つ。

  • 手続きが終わり、中に入ると昼間にあった李さんの同僚の女性のガイドの方が居て、『遅かったですね!』と言われた。時計を見ると、丁度19時30分である。もうショーが始まっている様である。<br />民族ショーの名前は、“麗水金沙”である。<br />李さんに付いて、暗い劇場内に入り、席を探す。李さんが席まで案内してくれ、指定された席に座る。<br />もう既にステージでは民族音楽の演奏が始まっている。<br />席は1階席の前から6列目辺りのほぼ中央である。非常に見やすい席である。ステージではナシ族の民族衣装を着た人達の演奏が続いている。非常に物静かな音楽である。<br />この音楽が終わると、次は今までステージの端で座っていた女の人達が立ち、音楽の演奏に合わせ、歌を歌い出す。非常に澄んだ声で歌を歌っている。<br />

    手続きが終わり、中に入ると昼間にあった李さんの同僚の女性のガイドの方が居て、『遅かったですね!』と言われた。時計を見ると、丁度19時30分である。もうショーが始まっている様である。
    民族ショーの名前は、“麗水金沙”である。
    李さんに付いて、暗い劇場内に入り、席を探す。李さんが席まで案内してくれ、指定された席に座る。
    もう既にステージでは民族音楽の演奏が始まっている。
    席は1階席の前から6列目辺りのほぼ中央である。非常に見やすい席である。ステージではナシ族の民族衣装を着た人達の演奏が続いている。非常に物静かな音楽である。
    この音楽が終わると、次は今までステージの端で座っていた女の人達が立ち、音楽の演奏に合わせ、歌を歌い出す。非常に澄んだ声で歌を歌っている。

  • その後、民族の風習や各民族の特徴的な踊りなどが音楽に合わせ、繰り広げられる。<br />まず、第一幕は水をテーマにしたものである。<br />孔雀と象の踊りである。孔雀の頭と象の足を表現しての踊りである。大人数での踊りであった。<br />その次には、タイ(泰)族の帽子を使った踊りである。<br />そして蝋燭の立てた船を持った女の人達の踊りである。それらが終わると第一幕が終了である。<br />第二幕は山をテーマにしたものである。<br />まずはナシ族の棒棒会と言う踊りである。棒棒会はナシ族が色々な物を並べて売る会で、春の農耕時期を告げるナシ族にとっては重要な会である。それを題材にした踊りである。非常に可愛いらしい仕草の踊りで、歌もまた甲高い声で歌われ、独特な感じがする。<br />その後には、リス族の踊り、チベット族の踊りなどが行われる。どの衣装も非常に艶やかである。<br />第三幕は情をテーマにしたものである。<br />まずは、濾沽湖の周辺に住むモソ(摩梭)族の通い婚(走婚)の風習を題材にした踊りである。このモゾ族は今でも通い婚の風習が残っており、女性の地位が高い母系社会である。踊り(劇)では夜の間に男性が思いを寄せる女性の家に行き、その女性が気に入れば通い婚が成立し、女性の家に泊まる。そして、夜が明ける前に男性はその家を去るのである。<br />それともうひとつ、この地方で有名なものがナシ族の玉霊第三国である。これは結ばれない恋人同士の心中物語である。それを題材にした踊り(劇)である。<br />

    その後、民族の風習や各民族の特徴的な踊りなどが音楽に合わせ、繰り広げられる。
    まず、第一幕は水をテーマにしたものである。
    孔雀と象の踊りである。孔雀の頭と象の足を表現しての踊りである。大人数での踊りであった。
    その次には、タイ(泰)族の帽子を使った踊りである。
    そして蝋燭の立てた船を持った女の人達の踊りである。それらが終わると第一幕が終了である。
    第二幕は山をテーマにしたものである。
    まずはナシ族の棒棒会と言う踊りである。棒棒会はナシ族が色々な物を並べて売る会で、春の農耕時期を告げるナシ族にとっては重要な会である。それを題材にした踊りである。非常に可愛いらしい仕草の踊りで、歌もまた甲高い声で歌われ、独特な感じがする。
    その後には、リス族の踊り、チベット族の踊りなどが行われる。どの衣装も非常に艶やかである。
    第三幕は情をテーマにしたものである。
    まずは、濾沽湖の周辺に住むモソ(摩梭)族の通い婚(走婚)の風習を題材にした踊りである。このモゾ族は今でも通い婚の風習が残っており、女性の地位が高い母系社会である。踊り(劇)では夜の間に男性が思いを寄せる女性の家に行き、その女性が気に入れば通い婚が成立し、女性の家に泊まる。そして、夜が明ける前に男性はその家を去るのである。
    それともうひとつ、この地方で有名なものがナシ族の玉霊第三国である。これは結ばれない恋人同士の心中物語である。それを題材にした踊り(劇)である。

  • これらが約1時間30分間かけて演じられた。非常に見ごたえのある民族ショーであった。<br />ショーが終わり、森住さんと共に席を立ち、通路に出ると李さんの同僚の女性のガイドさんが我々に声をかけてくる。李さんが出口で待っていると言う。<br />李さんは帰ると言っていたが、待ってくれていた様である。手には何か持っている。<br />李さんは、出来上がった印章を持って来てくれたのである。そして我々に出来上がった印章を見せ、その文字を確かめる様に言う。明日では直せないので、今夜の内に確かめて貰いたかった様である。<br />問題ない事を確かめ、私はTシャツなどの商品も含め、受け取った。<br />そして、結局ホテルまで送って貰った。ホテルに着いたら、もう時刻は21時15分である。<br />ホテルの入口で今度は本当に李さんと別れる。

    これらが約1時間30分間かけて演じられた。非常に見ごたえのある民族ショーであった。
    ショーが終わり、森住さんと共に席を立ち、通路に出ると李さんの同僚の女性のガイドさんが我々に声をかけてくる。李さんが出口で待っていると言う。
    李さんは帰ると言っていたが、待ってくれていた様である。手には何か持っている。
    李さんは、出来上がった印章を持って来てくれたのである。そして我々に出来上がった印章を見せ、その文字を確かめる様に言う。明日では直せないので、今夜の内に確かめて貰いたかった様である。
    問題ない事を確かめ、私はTシャツなどの商品も含め、受け取った。
    そして、結局ホテルまで送って貰った。ホテルに着いたら、もう時刻は21時15分である。
    ホテルの入口で今度は本当に李さんと別れる。

  • <麗江最後の夜と買い物><br />ホテルの部屋に戻り、少し休憩を取る。今日は麗江最後の夜であるので、これから街に出て土産物を探す。<br />21時30分頃にホテルの部屋を出て、街に出る。今夜も多くの人達で水車前の広場は賑わっている。<br />その中を抜け、店の並ぶ東大街に進む。一軒一軒を見て廻る。適当な土産物がなかなか見つからない。<br />最初に土産物として見たのは、皮製品である。これは李さんから止められていた土産物である。<br />ワシントン条約の為、中国国内の通関は問題ないにしても日本の通関で引っ掛かって没収され、罰金まで払わされる可能性があると言う。<br />  <br />しかし、トンパ文字のモチーフにしたベルトが気に入り、それを購入する事にした。<br />1本が120元(約1800円)である。少し高い様に思ったが、本物のヤクの皮である。ディスカウントを要求すると、1本を100元まで負けてくれた。それを2本購入する。<br />再び、東大街の店を見ながら歩く。何か小物の土産物が買える所がないかと店を見て廻る。<br />結局、目ぼしい物がなく、東大街を戻る。そして新叉街の通りに移動する。ここでも観光客が多く、店も賑わっている。その内の一軒で、民族の織物や刺繍の小物を売る店を発見する。もう時刻も10時を廻っているので、これ以上多くの店を廻る事も出来ない。ここで土産物を購入する事にした。<br />店の中で、土産物を物色する。まず目に付いたのは、この地方独特の色使いの織物に刺繍を施したエプロンである。これが何と一枚8元(約120円)である。非常に安い。これは買いである。しかし、余りに物が大きいので多数は買えない。これを刺繍柄が違うものを2枚購入する事にした。<br />そして小物を探す。なかなか良い物が見つからなかったが、丁度店先の天井から吊るされた籠の中に、ポーチの様な可愛らしい小物入れを発見する。これもこの地方の織物で出来ており、色使いも中国らしい物である。値札がない(どれも値札などは基本的にはないのであるが)ので、店員にいくらなのかを英語で聞く。<br />すると店員が電卓を取り出し、数字を打つ。示された数値は15である。1個15元(約225円)である。<br />これは土産物には手頃である。店員に両手で10個と示し、ディスカウントと英語でお願いすると、電卓で15×10を打ち、150の数値が出る。そしてそこから20を引いてくれて130を示す。<br />私もそれでOKであると言い、先程のエプロン代と合わせて、146元(約2190円)を支払う。<br />これでかなりの量お土産を購入した。時刻も22時30分に近くになっている。<br />ここでの買物はこれで終え、ホテルに帰る事にした。新叉街を戻り、再び水車前の広場に出る。<br />こんな時間なのに、まだこの辺りは人で賑わっている。<br />森住さんも出かけていたと思うが結局会う事がなかった。何か飲物を購入したく、古城の外の新大街に出る。<br />その通りにある屋台で、お茶を購入し、ホテルに戻る。<br />ホテルの部屋に戻ったのが結局、22時40分であった。直ぐにシャワーを浴びる。<br />買って来たお茶を飲みながら、頭の毛が乾くまで内容が判らないテレビ番組を見る。判らなくてもBGM代わりに意外になるものである。<br />そして、明日の朝が早いので、早々にベッドに入る。明日は今日よりも早く朝食を済ませなければならない。<br />23時30分頃には寝ていた。<br /><br />今回はここまで! 明日は昆明に移動し、石林観光と民族村。<br />

    <麗江最後の夜と買い物>
    ホテルの部屋に戻り、少し休憩を取る。今日は麗江最後の夜であるので、これから街に出て土産物を探す。
    21時30分頃にホテルの部屋を出て、街に出る。今夜も多くの人達で水車前の広場は賑わっている。
    その中を抜け、店の並ぶ東大街に進む。一軒一軒を見て廻る。適当な土産物がなかなか見つからない。
    最初に土産物として見たのは、皮製品である。これは李さんから止められていた土産物である。
    ワシントン条約の為、中国国内の通関は問題ないにしても日本の通関で引っ掛かって没収され、罰金まで払わされる可能性があると言う。

    しかし、トンパ文字のモチーフにしたベルトが気に入り、それを購入する事にした。
    1本が120元(約1800円)である。少し高い様に思ったが、本物のヤクの皮である。ディスカウントを要求すると、1本を100元まで負けてくれた。それを2本購入する。
    再び、東大街の店を見ながら歩く。何か小物の土産物が買える所がないかと店を見て廻る。
    結局、目ぼしい物がなく、東大街を戻る。そして新叉街の通りに移動する。ここでも観光客が多く、店も賑わっている。その内の一軒で、民族の織物や刺繍の小物を売る店を発見する。もう時刻も10時を廻っているので、これ以上多くの店を廻る事も出来ない。ここで土産物を購入する事にした。
    店の中で、土産物を物色する。まず目に付いたのは、この地方独特の色使いの織物に刺繍を施したエプロンである。これが何と一枚8元(約120円)である。非常に安い。これは買いである。しかし、余りに物が大きいので多数は買えない。これを刺繍柄が違うものを2枚購入する事にした。
    そして小物を探す。なかなか良い物が見つからなかったが、丁度店先の天井から吊るされた籠の中に、ポーチの様な可愛らしい小物入れを発見する。これもこの地方の織物で出来ており、色使いも中国らしい物である。値札がない(どれも値札などは基本的にはないのであるが)ので、店員にいくらなのかを英語で聞く。
    すると店員が電卓を取り出し、数字を打つ。示された数値は15である。1個15元(約225円)である。
    これは土産物には手頃である。店員に両手で10個と示し、ディスカウントと英語でお願いすると、電卓で15×10を打ち、150の数値が出る。そしてそこから20を引いてくれて130を示す。
    私もそれでOKであると言い、先程のエプロン代と合わせて、146元(約2190円)を支払う。
    これでかなりの量お土産を購入した。時刻も22時30分に近くになっている。
    ここでの買物はこれで終え、ホテルに帰る事にした。新叉街を戻り、再び水車前の広場に出る。
    こんな時間なのに、まだこの辺りは人で賑わっている。
    森住さんも出かけていたと思うが結局会う事がなかった。何か飲物を購入したく、古城の外の新大街に出る。
    その通りにある屋台で、お茶を購入し、ホテルに戻る。
    ホテルの部屋に戻ったのが結局、22時40分であった。直ぐにシャワーを浴びる。
    買って来たお茶を飲みながら、頭の毛が乾くまで内容が判らないテレビ番組を見る。判らなくてもBGM代わりに意外になるものである。
    そして、明日の朝が早いので、早々にベッドに入る。明日は今日よりも早く朝食を済ませなければならない。
    23時30分頃には寝ていた。

    今回はここまで! 明日は昆明に移動し、石林観光と民族村。

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