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雲南旅行の2日目。昆明から大理へ。大理観光後、麗江への旅程。

雲南旅行記(2日目)

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2010/05/01 - 2010/05/05

161位(同エリア204件中)

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61

パンダ番長

パンダ番長さん

雲南旅行の2日目。昆明から大理へ。大理観光後、麗江への旅程。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
3.5
グルメ
3.5
ショッピング
3.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
20万円 - 25万円

PR

  • <昆明空港での時間><br />朝、モーニングコール前に持参した目覚しの音で目が覚める。まだ、眠いのでぐずぐずしているとモーニングコールの電話が鳴った。それを取り起きる。直ぐに顔を洗い、目を覚ます。<br />昨晩出した物を再度、手荷物の中に仕舞い込み、身支度を行う。部屋に居てはまた寝てしまいそうであったので、少し早いが5時30分にロビーに降りる。そして、フロントでチェックアウトを行い、それが終わると朝食のお弁当を受け取る。非常に大きな紙箱である。何が入っているのか非常に重い。<br />ロビーのソファで待っていると直ぐに森住さんも降りて来た。それと同時くらいに昨日の運転手がホテルのロビーに現れた。運転手はもうひとつお弁当を受け取り、少し早いが我々2人を車に誘導する。<br />そのまま車に乗り込み、まだ夜が明けない道を空港に向かう。昨日は気が付かなかったが、このホテルの周りは商業地区なのか、百貨店らしき建物が多い。<br />昨日も通った大きな円筒形の街灯のあるメイン通りを抜け、空港に向かう。昆明国際空港は非常に昆明の中心街から近いのか、または朝の早い時間でもある為か、10分足らずで到着した。<br />車は2階の出発ロビー前の入口に着けられる。車を降りて、ターミナル内に入ろうとすると運転手がここで待つ様に手振りで示す。<br />森住さんと非常に便の良い国際空港だとの話をしていると、李さんが運転手と共に現れた。<br />朝の挨拶を行い、ターミナル内に移動する。運転手さんに礼を言い、今日はここでお別れである。また、数日後に昆明には戻るので、その時も多分この運転手さんに厄介になるのであろう。<br />李さんと共にターミナル内に移動するとこの朝の早い時間にも限らず、空港内は人でいっぱいである。<br />幾つものカウンターで既に列が出来ている。昨日の到着時に良く判らなかったが、やはり国際空港だけあって、意外に大きな空港である。<br />李さんに聞くと、1999年に開催された花博覧会の際に空港が増設されて今の空港になったという。<br />この空港も既に手狭で、最近急増している中国内外の旅行者を受け入れるのは不十分で、現在新しい空港を昆明郊外約40kmのところに建設中であるという。<br />来る途中で見た街灯の話をすると、それも1999年の花博覧会時に造られた街灯であるという。<br />雲南省は花の産地で、中国国内の花の何と80%を生産しているという。<br />海外への輸出も多く、日本などにも輸出されているらしい。特に有名なものはバラ科の花で、多くの品種が栽培されている。また、ユリ科の花も豊富であるらしい。<br />この様な話をしながら、カウンターの列のひとつに並ぶ。まだ、チェックインは始まっていない。<br />この時間にホテルで貰った朝食のお弁当を食べる事にした。先程貰った大きな紙箱を開ける。<br />すると重いと思っていたのは600mlペットボトルのミネラル水が1本と大きな梨(洋ナシの様な形のもの)が入っていた。これが重い原因であった。<br />あとは小さなハムチーズサンドとパンケーキとジャムである。ハムチーズサンドとパンケーキを食べ、ミネラル水を飲んで、朝食を終える。梨は手提げカバンに仕舞い込む。<br />列で待つ事20分、やっとチェックインが開始された。<br />李さんが我々のパスポートを受け取り、みんなが列に並んでいるのもお構いなしにカウンターに行く。<br />暫くして戻り、我々に手荷物を持って前に来る様に促す。李さんに付いて我々もカウンター前に行く。<br />李さんにここで待つ様に言われ、少しここで待ったが直ぐに手荷物を預ける事になり、搭乗券を受け取る。これで身軽になる。<br />李さんについて、手荷物検査所に向かう。ここでも国内線に乗るにも関わらず、非常に念入りに身体検査を受ける。また、ここでも靴まで脱ぐ様に言われた。先程、朝食時に飲んだミネラル水を取られてしまう。<br />李さんが中身だけを捨て、ペットボトルは持っている様に言うので、その様にする。<br />待合場所に飲料水が汲めるところがあると言う。<br />時間は掛かったが、手荷物検査所を終え、やっと空港内の出発ロビーに移動する。国内線なので、あまり店などもなく、カフェがあるのみである。それにしても空港設備が新しい!<br />李さんに聞くと、このエリアは1999年の花博覧会の時に増設されたエリアであるそうだ。<br />時刻は、6時40分で、搭乗開始予定時間が7時10分なので、然程時間もない。<br />この待合場所で待つ事になった。李さんが早速、先程中身を捨てたペットボトルを持って飲料水を汲みにどこかへ消える。私と森住さんは、近くの椅子に座って、ここで少し話をした。<br />森住さんは、既にこの旅行までに各国の世界遺産を70ヶ所以上巡っているという。<br />すごい!目的は殆どが写真撮影で、今回の主目的も写真であるという。<br />私も写真が好きで、最近世界遺産を巡っている事を話す。<br />今回の雲南省は森住さんも初めてという事で、非常に楽しみにしているという。もっと田舎町をイメージしていたが、昆明などが非常に都会であるので驚いたという。私も同様の感想を持っていた。<br />雲南省と言えば、中国国内でも非常に田舎のイメージであったが、昆明を見る限りそんな事はない。<br />特に私の中では三国志の孟獲が支配する南蛮がこの地であるというイメージが強く、どちらかと言うと熱帯雨林のジャングルをイメージしていた。<br />その様な話をしていると李さんがペットボトルに水を汲み終えて戻って来た。それを私に渡す。<br />本当にこれを飲んでも良いのであろうか?非常に不安である。折角汲んで来てくれたので、それを持って歩く事にした。<br />ここで李さんが昨晩の続きの雲南省の話を始める。雲南省は非常に山が多く、省の約80%が山であると言う。その為にどこも標高が高く、この昆明でも標高が約1900m、そしてこれから行く大理は更に標高が上がり、2000mを越えていると言う。<br />基本的に雨が少ない土地ではあるが、ここ半年程雨が降らず、旱魃状態であるという。その為、野菜などの農作物も不作が続いているそうだ。<br />この様な話を聞いていると、少し早く搭乗が開始された。新しいターミナルなので、ここから通路を通り、直接機内に乗れる様である。ゲートを抜け、通路を通り、機内に入る。便は中国東方航空のMU5987便である。<br />

    <昆明空港での時間>
    朝、モーニングコール前に持参した目覚しの音で目が覚める。まだ、眠いのでぐずぐずしているとモーニングコールの電話が鳴った。それを取り起きる。直ぐに顔を洗い、目を覚ます。
    昨晩出した物を再度、手荷物の中に仕舞い込み、身支度を行う。部屋に居てはまた寝てしまいそうであったので、少し早いが5時30分にロビーに降りる。そして、フロントでチェックアウトを行い、それが終わると朝食のお弁当を受け取る。非常に大きな紙箱である。何が入っているのか非常に重い。
    ロビーのソファで待っていると直ぐに森住さんも降りて来た。それと同時くらいに昨日の運転手がホテルのロビーに現れた。運転手はもうひとつお弁当を受け取り、少し早いが我々2人を車に誘導する。
    そのまま車に乗り込み、まだ夜が明けない道を空港に向かう。昨日は気が付かなかったが、このホテルの周りは商業地区なのか、百貨店らしき建物が多い。
    昨日も通った大きな円筒形の街灯のあるメイン通りを抜け、空港に向かう。昆明国際空港は非常に昆明の中心街から近いのか、または朝の早い時間でもある為か、10分足らずで到着した。
    車は2階の出発ロビー前の入口に着けられる。車を降りて、ターミナル内に入ろうとすると運転手がここで待つ様に手振りで示す。
    森住さんと非常に便の良い国際空港だとの話をしていると、李さんが運転手と共に現れた。
    朝の挨拶を行い、ターミナル内に移動する。運転手さんに礼を言い、今日はここでお別れである。また、数日後に昆明には戻るので、その時も多分この運転手さんに厄介になるのであろう。
    李さんと共にターミナル内に移動するとこの朝の早い時間にも限らず、空港内は人でいっぱいである。
    幾つものカウンターで既に列が出来ている。昨日の到着時に良く判らなかったが、やはり国際空港だけあって、意外に大きな空港である。
    李さんに聞くと、1999年に開催された花博覧会の際に空港が増設されて今の空港になったという。
    この空港も既に手狭で、最近急増している中国内外の旅行者を受け入れるのは不十分で、現在新しい空港を昆明郊外約40kmのところに建設中であるという。
    来る途中で見た街灯の話をすると、それも1999年の花博覧会時に造られた街灯であるという。
    雲南省は花の産地で、中国国内の花の何と80%を生産しているという。
    海外への輸出も多く、日本などにも輸出されているらしい。特に有名なものはバラ科の花で、多くの品種が栽培されている。また、ユリ科の花も豊富であるらしい。
    この様な話をしながら、カウンターの列のひとつに並ぶ。まだ、チェックインは始まっていない。
    この時間にホテルで貰った朝食のお弁当を食べる事にした。先程貰った大きな紙箱を開ける。
    すると重いと思っていたのは600mlペットボトルのミネラル水が1本と大きな梨(洋ナシの様な形のもの)が入っていた。これが重い原因であった。
    あとは小さなハムチーズサンドとパンケーキとジャムである。ハムチーズサンドとパンケーキを食べ、ミネラル水を飲んで、朝食を終える。梨は手提げカバンに仕舞い込む。
    列で待つ事20分、やっとチェックインが開始された。
    李さんが我々のパスポートを受け取り、みんなが列に並んでいるのもお構いなしにカウンターに行く。
    暫くして戻り、我々に手荷物を持って前に来る様に促す。李さんに付いて我々もカウンター前に行く。
    李さんにここで待つ様に言われ、少しここで待ったが直ぐに手荷物を預ける事になり、搭乗券を受け取る。これで身軽になる。
    李さんについて、手荷物検査所に向かう。ここでも国内線に乗るにも関わらず、非常に念入りに身体検査を受ける。また、ここでも靴まで脱ぐ様に言われた。先程、朝食時に飲んだミネラル水を取られてしまう。
    李さんが中身だけを捨て、ペットボトルは持っている様に言うので、その様にする。
    待合場所に飲料水が汲めるところがあると言う。
    時間は掛かったが、手荷物検査所を終え、やっと空港内の出発ロビーに移動する。国内線なので、あまり店などもなく、カフェがあるのみである。それにしても空港設備が新しい!
    李さんに聞くと、このエリアは1999年の花博覧会の時に増設されたエリアであるそうだ。
    時刻は、6時40分で、搭乗開始予定時間が7時10分なので、然程時間もない。
    この待合場所で待つ事になった。李さんが早速、先程中身を捨てたペットボトルを持って飲料水を汲みにどこかへ消える。私と森住さんは、近くの椅子に座って、ここで少し話をした。
    森住さんは、既にこの旅行までに各国の世界遺産を70ヶ所以上巡っているという。
    すごい!目的は殆どが写真撮影で、今回の主目的も写真であるという。
    私も写真が好きで、最近世界遺産を巡っている事を話す。
    今回の雲南省は森住さんも初めてという事で、非常に楽しみにしているという。もっと田舎町をイメージしていたが、昆明などが非常に都会であるので驚いたという。私も同様の感想を持っていた。
    雲南省と言えば、中国国内でも非常に田舎のイメージであったが、昆明を見る限りそんな事はない。
    特に私の中では三国志の孟獲が支配する南蛮がこの地であるというイメージが強く、どちらかと言うと熱帯雨林のジャングルをイメージしていた。
    その様な話をしていると李さんがペットボトルに水を汲み終えて戻って来た。それを私に渡す。
    本当にこれを飲んでも良いのであろうか?非常に不安である。折角汲んで来てくれたので、それを持って歩く事にした。
    ここで李さんが昨晩の続きの雲南省の話を始める。雲南省は非常に山が多く、省の約80%が山であると言う。その為にどこも標高が高く、この昆明でも標高が約1900m、そしてこれから行く大理は更に標高が上がり、2000mを越えていると言う。
    基本的に雨が少ない土地ではあるが、ここ半年程雨が降らず、旱魃状態であるという。その為、野菜などの農作物も不作が続いているそうだ。
    この様な話を聞いていると、少し早く搭乗が開始された。新しいターミナルなので、ここから通路を通り、直接機内に乗れる様である。ゲートを抜け、通路を通り、機内に入る。便は中国東方航空のMU5987便である。

  • <大理空港から市街地へ道程><br />機体は関西空港から昆明までに乗った機体とあまり変わりがない。同系統の機体で主翼の先端の形が少し違う程度である。<br />座席は、後ろの方で、李さんを含め、3人で座る事になる。私が真ん中に入る。李さんが通路側に座ったが、機内は満席ではないので、乗客全員が乗り終えると、CAに話し、李さんは別の空いている席に移り、私に通路側の席を空けてくれた。<br />これでゆったりと座れた。昨晩あまり寝る時間が無かったので、ここで少しでも寝る事にした。<br />昆明から大理までの飛行時間は40分程である。乗客全員が席に着くと、機体は動き始める。<br />丁度、当初の搭乗予定時刻の7時10分である。空港内を少しの時間移動していたが、直ぐに停止する。<br />離陸待ちである。再び移動を始め、エンジン音が上がり、加速を開始し、予定時間よりも早く離陸する。<br />機体が上昇をする中で寝てしまった。目が覚めたのは、森住さんに起された時である。<br />森住さんに促され、窓の外を見ると、眼下には赤土の山々が見えている。非常に殺伐とした風景である。<br />その中のひとつの山の頂上に滑走路らしきものが見えている。既に高度はかなり下がっている。程なく、見えていた滑走路へ着陸した。<br />周りは赤土の地表が剥き出しで、まだ建設中の様な空港である。ここが大理空港である。<br />着陸した機体はゆっくりと滑走路を移動する。滑走路のみが整備されているだけで、その他の土地は赤土で草も生えていない。ターミナルに到着し、機体が停止する。<br />少しして乗客が降り始める。我々は機体の後方であったので、最後に降りる事になった。<br />国内線なので、通路を通り、何もなく、手荷物受取所に移動する。この空港も最近出来たらしく、何もかもが非常に新しい。空港周りもまだ整備中のところが多い。<br />手荷物が出てくるのに多少時間を要したが無事に受け取る。空港の待合所を通り抜け、空港の外に向かう。<br />この空港の待合場所に全身白い民族衣装の綺麗な女性が座っていた。<br />李さんに聞くと、少数民族のペー族(白族)の女性であると言う。<br />

    <大理空港から市街地へ道程>
    機体は関西空港から昆明までに乗った機体とあまり変わりがない。同系統の機体で主翼の先端の形が少し違う程度である。
    座席は、後ろの方で、李さんを含め、3人で座る事になる。私が真ん中に入る。李さんが通路側に座ったが、機内は満席ではないので、乗客全員が乗り終えると、CAに話し、李さんは別の空いている席に移り、私に通路側の席を空けてくれた。
    これでゆったりと座れた。昨晩あまり寝る時間が無かったので、ここで少しでも寝る事にした。
    昆明から大理までの飛行時間は40分程である。乗客全員が席に着くと、機体は動き始める。
    丁度、当初の搭乗予定時刻の7時10分である。空港内を少しの時間移動していたが、直ぐに停止する。
    離陸待ちである。再び移動を始め、エンジン音が上がり、加速を開始し、予定時間よりも早く離陸する。
    機体が上昇をする中で寝てしまった。目が覚めたのは、森住さんに起された時である。
    森住さんに促され、窓の外を見ると、眼下には赤土の山々が見えている。非常に殺伐とした風景である。
    その中のひとつの山の頂上に滑走路らしきものが見えている。既に高度はかなり下がっている。程なく、見えていた滑走路へ着陸した。
    周りは赤土の地表が剥き出しで、まだ建設中の様な空港である。ここが大理空港である。
    着陸した機体はゆっくりと滑走路を移動する。滑走路のみが整備されているだけで、その他の土地は赤土で草も生えていない。ターミナルに到着し、機体が停止する。
    少しして乗客が降り始める。我々は機体の後方であったので、最後に降りる事になった。
    国内線なので、通路を通り、何もなく、手荷物受取所に移動する。この空港も最近出来たらしく、何もかもが非常に新しい。空港周りもまだ整備中のところが多い。
    手荷物が出てくるのに多少時間を要したが無事に受け取る。空港の待合所を通り抜け、空港の外に向かう。
    この空港の待合場所に全身白い民族衣装の綺麗な女性が座っていた。
    李さんに聞くと、少数民族のペー族(白族)の女性であると言う。

  • 空港の周りには何もない。前の駐車場にも数台の車が停まっているだけである。昆明空港とは大きな違いである。その停まっている車の1台が、我々がこれからの観光のために乗り込む車であった。ワゴン車である。<br />それもトヨタのマークが付いている。車体には、“閣瑞斯”とエンブレムが付いている。<br />李さんに何て読むのか聞くと、“コーヅーウェイ”という。コースターである。<br />運転手は“和さん”と言い、麗江の少数民族ナシ族(納西族)の出身であるという。サングラスを掛けておられるので、少し厳つい感じがしたが、非常に親切な方である。<br />李さんに車両の後ろに荷物を乗せる様に言われる。その前に私は手荷物からカメラを取り出す。これが無ければ観光が始まらない。そして、運転席後ろの席に乗り込む。ワゴン車は大理空港の駐車場を出て、大理市街を目指す。改めて車から大理空港を見ると、新しい空港ではあるが、非常に殺風景な建物である。<br />大理空港を離れると、そこからは下りの長い直線道路である。周りに見えるのは赤土の山肌だけで何もない。<br />本当にこの大理空港は山の頂上を削って造られたらしく、そこからはかなりの下り坂が延々と続いている。<br />少し下ると対面の山裾に工場らしき建物が見えている。<br />李さんに聞くと、製鉄所であるという。この辺の山からは鉄鉱石が取れるという。<br />その工場以外は本当に何も見えない。山の中腹くらいまで降りて来て、やっと前方遠くに街並みが見えて来た。そして、大きな高架橋の下を潜る。<br />またまた李さんに、この高架橋は何かと問うと、これは最近開通した新幹線の高架橋であるという。<br />中国のこんな山の中に新幹線が走っているのかと再度問うと、どうも日本の新幹線のような高速ではなく、150km/hr程度のスピードを出す鉄道である。新たに3年前に昆明~大理間が開通したという。<br />また、この鉄道は更に、大理~麗江間も建設され、昨年暮れに開通したばかりであるという。<br />まだまだ本数は少なく、2時間に1本程度しか走っていないそうだ。昆明から大理間の所要時間は約7時間だそうだ。<br />その高架橋の下を潜り、更に街に下りて行く。本当にかなり高い山の頂上付近に大理空港が造られていた。<br />結局、街まで下りるのに20分近くを要した。<br />街まで下りて来ると、そこは下関という地名のところである。街に入り、少し走ると右手に大きな湖が見えて来た。&#27953;海である。<br />この&#27953;海沿いに更に走ると、観光船の船着場が現れた。非常に多くの観光バスが止まっている。<br />また、大きな遊覧船が数隻停泊している。日本の琵琶湖や箱根の芦ノ湖などで同様の遊覧船を見た事があるが、更に規模の大きな遊覧船である。多くの人がその前の広場に集まっている。<br />それらを横目に見ながら、我々のワゴン車は更に下関の街の中心に向かう。遊覧船乗り場を過ぎると、左手に大きな建物が見えて来た。マンション群である。非常に沢山同じ外観の建物が林立している。<br />李さんに聞くと、これらはアパートであるという。先程から見ているマンションらしき建物の大きさでは中国のこの地方ではマンションとは言わない様である。アパートだと言う。<br />どのくらいの大きさがあるのか尋ねると、120m2~150m2であると言う。<br />やはり日本人の感覚ではマンションである。どのくらい価格で購入出来るのかを更に尋ねると、20万元(約300万円)から30万元(約450万円)であるという。<br />更にこのくらいのアパートを購入し、そのアパートで3年間暮らすと中国国籍も得られるという。<br />その為に、この大理など、国境に近い都市では東南アジアからの移民が多いという。<br />本当なのかどうかは疑わしいが、それが本当なら非常に簡単に国籍が得られる事になる。<br />因みにこの地方でマンションと言えば、どのくらいの大きさのものを言うのかを聞いてみたら、何と200m2以上の家であるという。価格は、それでも80万元程度(約1200万円)である。それも大概は庭付きで庭の面積は入っていないと言う。<br />この様な話を聞いている内に、下関の街の中心街を抜けていた。更に泰安大橋と書かれた橋を渡り、北に向かう。目的地はこの大理の旧城下街である大理古城である。<br />

    空港の周りには何もない。前の駐車場にも数台の車が停まっているだけである。昆明空港とは大きな違いである。その停まっている車の1台が、我々がこれからの観光のために乗り込む車であった。ワゴン車である。
    それもトヨタのマークが付いている。車体には、“閣瑞斯”とエンブレムが付いている。
    李さんに何て読むのか聞くと、“コーヅーウェイ”という。コースターである。
    運転手は“和さん”と言い、麗江の少数民族ナシ族(納西族)の出身であるという。サングラスを掛けておられるので、少し厳つい感じがしたが、非常に親切な方である。
    李さんに車両の後ろに荷物を乗せる様に言われる。その前に私は手荷物からカメラを取り出す。これが無ければ観光が始まらない。そして、運転席後ろの席に乗り込む。ワゴン車は大理空港の駐車場を出て、大理市街を目指す。改めて車から大理空港を見ると、新しい空港ではあるが、非常に殺風景な建物である。
    大理空港を離れると、そこからは下りの長い直線道路である。周りに見えるのは赤土の山肌だけで何もない。
    本当にこの大理空港は山の頂上を削って造られたらしく、そこからはかなりの下り坂が延々と続いている。
    少し下ると対面の山裾に工場らしき建物が見えている。
    李さんに聞くと、製鉄所であるという。この辺の山からは鉄鉱石が取れるという。
    その工場以外は本当に何も見えない。山の中腹くらいまで降りて来て、やっと前方遠くに街並みが見えて来た。そして、大きな高架橋の下を潜る。
    またまた李さんに、この高架橋は何かと問うと、これは最近開通した新幹線の高架橋であるという。
    中国のこんな山の中に新幹線が走っているのかと再度問うと、どうも日本の新幹線のような高速ではなく、150km/hr程度のスピードを出す鉄道である。新たに3年前に昆明~大理間が開通したという。
    また、この鉄道は更に、大理~麗江間も建設され、昨年暮れに開通したばかりであるという。
    まだまだ本数は少なく、2時間に1本程度しか走っていないそうだ。昆明から大理間の所要時間は約7時間だそうだ。
    その高架橋の下を潜り、更に街に下りて行く。本当にかなり高い山の頂上付近に大理空港が造られていた。
    結局、街まで下りるのに20分近くを要した。
    街まで下りて来ると、そこは下関という地名のところである。街に入り、少し走ると右手に大きな湖が見えて来た。洱海である。
    この洱海沿いに更に走ると、観光船の船着場が現れた。非常に多くの観光バスが止まっている。
    また、大きな遊覧船が数隻停泊している。日本の琵琶湖や箱根の芦ノ湖などで同様の遊覧船を見た事があるが、更に規模の大きな遊覧船である。多くの人がその前の広場に集まっている。
    それらを横目に見ながら、我々のワゴン車は更に下関の街の中心に向かう。遊覧船乗り場を過ぎると、左手に大きな建物が見えて来た。マンション群である。非常に沢山同じ外観の建物が林立している。
    李さんに聞くと、これらはアパートであるという。先程から見ているマンションらしき建物の大きさでは中国のこの地方ではマンションとは言わない様である。アパートだと言う。
    どのくらいの大きさがあるのか尋ねると、120m2~150m2であると言う。
    やはり日本人の感覚ではマンションである。どのくらい価格で購入出来るのかを更に尋ねると、20万元(約300万円)から30万元(約450万円)であるという。
    更にこのくらいのアパートを購入し、そのアパートで3年間暮らすと中国国籍も得られるという。
    その為に、この大理など、国境に近い都市では東南アジアからの移民が多いという。
    本当なのかどうかは疑わしいが、それが本当なら非常に簡単に国籍が得られる事になる。
    因みにこの地方でマンションと言えば、どのくらいの大きさのものを言うのかを聞いてみたら、何と200m2以上の家であるという。価格は、それでも80万元程度(約1200万円)である。それも大概は庭付きで庭の面積は入っていないと言う。
    この様な話を聞いている内に、下関の街の中心街を抜けていた。更に泰安大橋と書かれた橋を渡り、北に向かう。目的地はこの大理の旧城下街である大理古城である。

  • <大理 崇聖寺三塔および三塔倒影公園><br />ここでハプニングが起きる。丁度、地元の少数民族であるペー族の“三月街”と言うお祭りで道路規制が行なわれている。<br />この“三月街”はペー族にとって最も大きな祭りである。<br />規制を行っている公安(中国の警察)に李さんが盛んに外国人の観光であるという事を言っているが、通して貰えない様で、そこから公安の指示で路地道に入る。<br />この様な規制の為に、この辺りの道路は渋滞している。また、お祭りの為か歩いている人も非常に多い。<br />ここで李さんと運転手の和さんが何やら相談を始めた。唯でさえ判らない中国語なのにこの地方の訛りが入っているので余計に判らない。<br />暫く相談していたが、話が纏まったのか、後部座席の我々に向かい、李さんが『少し予定を変更します。』と言う。<br />予定では、大理古城にまず立ち寄る予定であったが、それを止め、先に崇聖寺三塔公園に行く事になった。<br />古城の古い日干し煉瓦の塀沿いの路地を抜け、瓦工場の並ぶ路地を通り、北に向かう。<br />程なく、視界の開けた大きな道に出て、更に北に進むと、前方左手に大きな門が見え、更にその左奥遠くの山裾に三塔が見えて来た。その大きな門の下を潜り、今度は西の山に向かってワゴン車が曲がる。<br />李さんにお願いし、この門を潜った辺りでワゴン車を停めて貰う。ここで記念撮影を行いたい為である。<br />

    <大理 崇聖寺三塔および三塔倒影公園>
    ここでハプニングが起きる。丁度、地元の少数民族であるペー族の“三月街”と言うお祭りで道路規制が行なわれている。
    この“三月街”はペー族にとって最も大きな祭りである。
    規制を行っている公安(中国の警察)に李さんが盛んに外国人の観光であるという事を言っているが、通して貰えない様で、そこから公安の指示で路地道に入る。
    この様な規制の為に、この辺りの道路は渋滞している。また、お祭りの為か歩いている人も非常に多い。
    ここで李さんと運転手の和さんが何やら相談を始めた。唯でさえ判らない中国語なのにこの地方の訛りが入っているので余計に判らない。
    暫く相談していたが、話が纏まったのか、後部座席の我々に向かい、李さんが『少し予定を変更します。』と言う。
    予定では、大理古城にまず立ち寄る予定であったが、それを止め、先に崇聖寺三塔公園に行く事になった。
    古城の古い日干し煉瓦の塀沿いの路地を抜け、瓦工場の並ぶ路地を通り、北に向かう。
    程なく、視界の開けた大きな道に出て、更に北に進むと、前方左手に大きな門が見え、更にその左奥遠くの山裾に三塔が見えて来た。その大きな門の下を潜り、今度は西の山に向かってワゴン車が曲がる。
    李さんにお願いし、この門を潜った辺りでワゴン車を停めて貰う。ここで記念撮影を行いたい為である。

  • ここでこの大きな門をバックに記念撮影を行う。門の周りは、三塔に向かう道路以外は畑である。<br />記念撮影を終え、再びワゴン車に乗り込み、三塔を目指す。<br />

    ここでこの大きな門をバックに記念撮影を行う。門の周りは、三塔に向かう道路以外は畑である。
    記念撮影を終え、再びワゴン車に乗り込み、三塔を目指す。

  • 道路の脇には畑が続いている。よく見ていると、バラの畑である。この辺りはバラの花の栽培を行っている。これらの花畑を見ながら、少し行くと三塔前の道路に繋がった。<br />その前には黄金に輝く大きな鳥の像が立っている。この黄金像の脇で再度ワゴン車を停めて貰う。<br />車を下り、鳥の像の前に向かう。この鳥は大鵬と言う架空の鳥だそうだ。<br />大鵬は、龍を食らうという鳥で、この地方の漁民の守り神であるという。龍は海(この地方では&#27953;海が海であると考えられていた)を荒れ狂わす生き物と考えられており、それを食らう大鵬は海を沈める守り神と考えられている。この像は非常に新しく最近造られたものである。<br />李さんに聞くと、昔からここには、この様な大鵬の黄金像があったらしいが、何時の時代かに消失し、数年前に復元されたと言う。非常に大きな像である。この前で記念撮影を行う事になった。<br />

    道路の脇には畑が続いている。よく見ていると、バラの畑である。この辺りはバラの花の栽培を行っている。これらの花畑を見ながら、少し行くと三塔前の道路に繋がった。
    その前には黄金に輝く大きな鳥の像が立っている。この黄金像の脇で再度ワゴン車を停めて貰う。
    車を下り、鳥の像の前に向かう。この鳥は大鵬と言う架空の鳥だそうだ。
    大鵬は、龍を食らうという鳥で、この地方の漁民の守り神であるという。龍は海(この地方では洱海が海であると考えられていた)を荒れ狂わす生き物と考えられており、それを食らう大鵬は海を沈める守り神と考えられている。この像は非常に新しく最近造られたものである。
    李さんに聞くと、昔からここには、この様な大鵬の黄金像があったらしいが、何時の時代かに消失し、数年前に復元されたと言う。非常に大きな像である。この前で記念撮影を行う事になった。

  • 李さんが、張り切ってカメラを構える。ここでもかなり標高が高いので、&#27953;海が一望出来る。<br />また、三塔の後ろには、聳える頂上付近に万年雪を湛える山々も綺麗に見えている。後ろの山々は蒼山と言い、4000m級の峰が並ぶ。この蒼山と&#27953;海とで蒼山&#27953;海風景区を形成している。<br />蒼山は&#27953;海に沿って連なる全長約50kmの山脈で、16の峰々から成り、最高峰は“馬龍峰”で海抜4122mである。また、前に見える&#27953;海は、字の通り、その湖の形が耳の形に似ている事から付けられた。<br />一通り記念撮影を行い、再びワゴン車に乗り込み。直ぐ前に見えている三塔公園の入口に移動する。<br />ワゴン車は直ぐに入口脇の駐車場に到着する。そこで、ワゴン車を下り、入口の大門に向かう。<br />途中で李さんが入場手続きの為に離れ、我々は先に大門の前に行く様に言われる。<br />大門前まで来て、ここでまた森住さんに記念撮影を行って貰う。<br />

    李さんが、張り切ってカメラを構える。ここでもかなり標高が高いので、洱海が一望出来る。
    また、三塔の後ろには、聳える頂上付近に万年雪を湛える山々も綺麗に見えている。後ろの山々は蒼山と言い、4000m級の峰が並ぶ。この蒼山と洱海とで蒼山洱海風景区を形成している。
    蒼山は洱海に沿って連なる全長約50kmの山脈で、16の峰々から成り、最高峰は“馬龍峰”で海抜4122mである。また、前に見える洱海は、字の通り、その湖の形が耳の形に似ている事から付けられた。
    一通り記念撮影を行い、再びワゴン車に乗り込み。直ぐ前に見えている三塔公園の入口に移動する。
    ワゴン車は直ぐに入口脇の駐車場に到着する。そこで、ワゴン車を下り、入口の大門に向かう。
    途中で李さんが入場手続きの為に離れ、我々は先に大門の前に行く様に言われる。
    大門前まで来て、ここでまた森住さんに記念撮影を行って貰う。

  • 暫くして李さんが追い付き、大門の中に移動する。大門と言うだけあって立派な建物である。<br />この大門を潜ったところで、記念にと、ここの絵はがき付きの入場券を李さんがくれた。この絵はがきには、ここの名前が崇聖寺三塔文化旅遊区と書かれている。これが正式な名前なのであろう。<br />簡単な伽藍の配置図も載っているが、三塔は一番手前側にあり、その後ろに非常に多くの伽藍からなる崇聖寺がある。とても全てを見て廻れないであろう。<br />大門を抜けると、正面に綺麗に三塔が見える。三塔まででも、まだかなりの距離がある。<br />三塔を良く見ると、左右の塔が真ん中の主塔に向かい少し傾いている。<br />李さん曰く、『主塔があまりにも重い為に地盤が沈み、左右の塔が真ん中に向かい傾いたのです。』と言う。<br />また、ここで三塔に向かい歩きながら、李さんのこのお寺に関する説明が始まる。<br />この崇聖寺は唐の開元年間に建立された仏教寺院で、唐・宋の時代には、この地方を治めた南詔国と大理国の王室の菩提寺となった由緒ある寺院であったが、清の時代に三塔を残して伽藍が焼き払われてしまった。<br />近年になり、新たに再建されたのであるが今の寺院である。<br />まだ、全部が出来上がっておらず、現在もその建設が続いているという。<br />

    暫くして李さんが追い付き、大門の中に移動する。大門と言うだけあって立派な建物である。
    この大門を潜ったところで、記念にと、ここの絵はがき付きの入場券を李さんがくれた。この絵はがきには、ここの名前が崇聖寺三塔文化旅遊区と書かれている。これが正式な名前なのであろう。
    簡単な伽藍の配置図も載っているが、三塔は一番手前側にあり、その後ろに非常に多くの伽藍からなる崇聖寺がある。とても全てを見て廻れないであろう。
    大門を抜けると、正面に綺麗に三塔が見える。三塔まででも、まだかなりの距離がある。
    三塔を良く見ると、左右の塔が真ん中の主塔に向かい少し傾いている。
    李さん曰く、『主塔があまりにも重い為に地盤が沈み、左右の塔が真ん中に向かい傾いたのです。』と言う。
    また、ここで三塔に向かい歩きながら、李さんのこのお寺に関する説明が始まる。
    この崇聖寺は唐の開元年間に建立された仏教寺院で、唐・宋の時代には、この地方を治めた南詔国と大理国の王室の菩提寺となった由緒ある寺院であったが、清の時代に三塔を残して伽藍が焼き払われてしまった。
    近年になり、新たに再建されたのであるが今の寺院である。
    まだ、全部が出来上がっておらず、現在もその建設が続いているという。

  • 目の前に見えている一番大きな塔が“千尋塔(せんじんとう)”と言い、16層の方形密檐式レンガ製仏塔で、高さ69.13mで南詔国の勧豊佑時代(824年~859年)に建てられた。<br />また、主塔の左右に建つ二つの小塔は、大理国の時代の12世紀頃に建てられたと言われ、この小塔は10層の八角形密檐式レンガ製仏塔で、高さ42.19mである。1978年に修復作業が行われた際に塔頂や塔基部分から680以上の貴重な文化財が発見された。その内の多くの文化財が北京に持って行かれたが、その一部がこの塔の奥に新たに建てられた展示館に収蔵されている。<br />この様な話を聞きながら、塔に近づいて行く。塔は2段高い位置にある。<br />その前の1段高い壇上の様な場所に着く。そこで、またまた塔をバックに記念撮影を行う。<br />その右手から塔の傍まで上る。その途中で木々の生い茂る木陰があり、そこにベンチがある。<br />この場所でみんなと休憩を取る。少し歩いたので汗が出て来た。ここからでも主塔の大きさが判る。<br />少し休憩した後その主塔の正面に上がる。<br />

    目の前に見えている一番大きな塔が“千尋塔(せんじんとう)”と言い、16層の方形密檐式レンガ製仏塔で、高さ69.13mで南詔国の勧豊佑時代(824年~859年)に建てられた。
    また、主塔の左右に建つ二つの小塔は、大理国の時代の12世紀頃に建てられたと言われ、この小塔は10層の八角形密檐式レンガ製仏塔で、高さ42.19mである。1978年に修復作業が行われた際に塔頂や塔基部分から680以上の貴重な文化財が発見された。その内の多くの文化財が北京に持って行かれたが、その一部がこの塔の奥に新たに建てられた展示館に収蔵されている。
    この様な話を聞きながら、塔に近づいて行く。塔は2段高い位置にある。
    その前の1段高い壇上の様な場所に着く。そこで、またまた塔をバックに記念撮影を行う。
    その右手から塔の傍まで上る。その途中で木々の生い茂る木陰があり、そこにベンチがある。
    この場所でみんなと休憩を取る。少し歩いたので汗が出て来た。ここからでも主塔の大きさが判る。
    少し休憩した後その主塔の正面に上がる。

  • その正面には、大理石のプレートに大きな文字で“永鎮山川”と書かれている。<br />この文字は明時代の沐世階の筆によるものとされている。また、各層には、小さな仏像がはめ込まれている。<br />正面に建つと非常に大きく、見上げても塔頂部が見えない。<br />李さんが、『この塔の壁を触ると活力が得られると言われています。』と言う。<br />

    その正面には、大理石のプレートに大きな文字で“永鎮山川”と書かれている。
    この文字は明時代の沐世階の筆によるものとされている。また、各層には、小さな仏像がはめ込まれている。
    正面に建つと非常に大きく、見上げても塔頂部が見えない。
    李さんが、『この塔の壁を触ると活力が得られると言われています。』と言う。

  • 見ると、確かに数人に中国人の観光客が塔に手をぺたぺた着けている。我々も手を塔に当てる。<br />また、その格好で記念写真を撮って貰う。ここで先程からこの塔の周りの植木で気になっている事があった。<br />植木がすべて平に切り揃えられている。日本ではこの様な刈り方をされた植木は見た事がない。<br />この疑問を李さんにぶつけると、あっさりと答えられた。<br />植木が平に刈り込まれているのは、この植木を燭台に見立てている為との事であった。<br />確かに塔の周りに並ぶ燭台に見える。そしてこの主塔から更に奥の崇聖寺を目指す。<br />丁度、3つの塔の中央付近に大きな石が置かれている。その前に行くと、蛙鳴石と書かれている。<br />

    見ると、確かに数人に中国人の観光客が塔に手をぺたぺた着けている。我々も手を塔に当てる。
    また、その格好で記念写真を撮って貰う。ここで先程からこの塔の周りの植木で気になっている事があった。
    植木がすべて平に切り揃えられている。日本ではこの様な刈り方をされた植木は見た事がない。
    この疑問を李さんにぶつけると、あっさりと答えられた。
    植木が平に刈り込まれているのは、この植木を燭台に見立てている為との事であった。
    確かに塔の周りに並ぶ燭台に見える。そしてこの主塔から更に奥の崇聖寺を目指す。
    丁度、3つの塔の中央付近に大きな石が置かれている。その前に行くと、蛙鳴石と書かれている。

  • その石の表面には、幾つものへこみがある。そのへこみ部分に小さな石が置かれている。<br />李さんに聞くと、この蛙石のへこみを石で叩くと、その音が3つの塔に当たり、反響するという。<br />そう言われて、やってみると、確かにこの蛙鳴石のへこみを石で叩くと、周りの塔から音が反響してくる。<br />音が周りを廻っている感じである。中国人は、この様な音の遊びが好きなのであろうか?<br />今迄に北京の天壇公園の壁や西安の城壁の壁などにも同じ様な音が反響する仕掛けを見た。<br />その蛙石を過ぎ、更に寺院の奥に進む。路の左右には大きな木々が生い茂っている。<br />その木々の合間に幾つかの建物が配置されている。<br />後ろを振り返ると木々の合間から三塔の主塔が見えている。少し歩いたところで、路を左に折れ、その前に建つ建物に入る様だ。展示館である。<br />入口には係員が座っている。中には多くの展示物がある。<br />李さんに写真を撮っても問題ないのかを先程座っていた係員に聞いて貰う。写真はOKである。<br />館内には、修復作業時に先程の主塔や左右の副塔から出てきた文化財の一部や寺院で収蔵されていたものが展示されている。唐の時代の南詔国の国王の謁見をモチーフにした絵画が展示されていたり、黄金の塔の模型や大鵬の模型などもある。<br />

    その石の表面には、幾つものへこみがある。そのへこみ部分に小さな石が置かれている。
    李さんに聞くと、この蛙石のへこみを石で叩くと、その音が3つの塔に当たり、反響するという。
    そう言われて、やってみると、確かにこの蛙鳴石のへこみを石で叩くと、周りの塔から音が反響してくる。
    音が周りを廻っている感じである。中国人は、この様な音の遊びが好きなのであろうか?
    今迄に北京の天壇公園の壁や西安の城壁の壁などにも同じ様な音が反響する仕掛けを見た。
    その蛙石を過ぎ、更に寺院の奥に進む。路の左右には大きな木々が生い茂っている。
    その木々の合間に幾つかの建物が配置されている。
    後ろを振り返ると木々の合間から三塔の主塔が見えている。少し歩いたところで、路を左に折れ、その前に建つ建物に入る様だ。展示館である。
    入口には係員が座っている。中には多くの展示物がある。
    李さんに写真を撮っても問題ないのかを先程座っていた係員に聞いて貰う。写真はOKである。
    館内には、修復作業時に先程の主塔や左右の副塔から出てきた文化財の一部や寺院で収蔵されていたものが展示されている。唐の時代の南詔国の国王の謁見をモチーフにした絵画が展示されていたり、黄金の塔の模型や大鵬の模型などもある。

  • 一通り、展示物を見た後にこの展示館を出る。また、先程の路に戻り、更に寺院の奥に進む。<br />前方に大きな新しい建物が見えて来る。建物の中央部分に南詔建極大鐘の文字が見える。<br />李さんに聞くと、大鐘が吊るされている建物であるという。その建物の中に入ると中央部分が吹き抜けになっており、上を見ると鐘が吊るされているのが見える。<br />李さんに『上まで登りますか?』と言われ、森住さんは登らないと言うが、私は登る事にした。<br />森住さんと李さんは次の建物に向かうと言う。<br />私はその建物の壁沿いにある階段を登る。建物は3階建てで、その3階部分に大鐘が吊るされている。<br />大鐘には、四天王などの彫刻が施されている。

    一通り、展示物を見た後にこの展示館を出る。また、先程の路に戻り、更に寺院の奥に進む。
    前方に大きな新しい建物が見えて来る。建物の中央部分に南詔建極大鐘の文字が見える。
    李さんに聞くと、大鐘が吊るされている建物であるという。その建物の中に入ると中央部分が吹き抜けになっており、上を見ると鐘が吊るされているのが見える。
    李さんに『上まで登りますか?』と言われ、森住さんは登らないと言うが、私は登る事にした。
    森住さんと李さんは次の建物に向かうと言う。
    私はその建物の壁沿いにある階段を登る。建物は3階建てで、その3階部分に大鐘が吊るされている。
    大鐘には、四天王などの彫刻が施されている。

  • また、この3階に上がると三塔が非常に綺麗に見える。<br />少しここからの景色を眺めていたが、再び階下におり、李さんと森住さんを追いかける。<br />二人は然程遠くには行っておらず、この建物の外で休憩をしていた様である。<br />そこから更にかなり距離がある場所に、次の伽藍の建物が見えている。<br />もう森住さんはそこまで行くつもりはない様である。次の建物は、雨銅観音堂である。ここで折り返す事になった。再び、南詔建極大鐘の建物を抜け、三塔に向かう。<br />

    また、この3階に上がると三塔が非常に綺麗に見える。
    少しここからの景色を眺めていたが、再び階下におり、李さんと森住さんを追いかける。
    二人は然程遠くには行っておらず、この建物の外で休憩をしていた様である。
    そこから更にかなり距離がある場所に、次の伽藍の建物が見えている。
    もう森住さんはそこまで行くつもりはない様である。次の建物は、雨銅観音堂である。ここで折り返す事になった。再び、南詔建極大鐘の建物を抜け、三塔に向かう。

  • 三塔の今度は左脇を抜け、公園内の池を配した庭を通り、駐車場に移動する。<br />この庭園内からも三塔が見えるが写真に撮るには、木々が大きくなり過ぎて邪魔をしている。李さんも同じ事を言っており、公園管理局に木を切る事を提案しているそうだ。<br />  <br />公園を抜け、駐車場への道中には土産物屋が並んでいる。主に地元の少数民族の民族衣装などを売る店が多い。これらの店を見ながら駐車場に戻り、ワゴン車を探す。<br />我々のワゴン車は駐車場の一番端に停められていた。<br />それに乗り込み、この公園から少し離れた三塔倒影公園に移動する。<br />

    三塔の今度は左脇を抜け、公園内の池を配した庭を通り、駐車場に移動する。
    この庭園内からも三塔が見えるが写真に撮るには、木々が大きくなり過ぎて邪魔をしている。李さんも同じ事を言っており、公園管理局に木を切る事を提案しているそうだ。

    公園を抜け、駐車場への道中には土産物屋が並んでいる。主に地元の少数民族の民族衣装などを売る店が多い。これらの店を見ながら駐車場に戻り、ワゴン車を探す。
    我々のワゴン車は駐車場の一番端に停められていた。
    それに乗り込み、この公園から少し離れた三塔倒影公園に移動する。

  • 駐車場から寺院の前の道を南に少し行き、そこから路地道に入る。運転手の和さんもあまり三塔倒影公園には行かないのか、どの路地道に入るのかを迷っていた。やっと入る路地道が判り、その路地道を行く。<br />少し行くと小さな門が路地脇に見えて来る。ここが三塔倒影公園の入口である。その前でワゴン車を降りる。<br />入口には受付らしきものはない。その門の脇に入場料を表示したパネルが掛かっている。それに誰もいない。<br />李さんも要領が良く判らない様であるが、そのまま中に入る事に。<br />観光客は我々以外誰もいない。公園内には大きな池があり、その池越しに先程の三塔が見えている。<br />これは非常に綺麗な景色である。なぜ、ここに観光客が来ないのか不思議である。<br />やっと、この公園の管理人らしき人が現れたが、先程の崇聖寺三塔公園に入場券を持っていれば、ここにも入れるとの事で問題はなかった。共通券になっているそうだ。<br />

    駐車場から寺院の前の道を南に少し行き、そこから路地道に入る。運転手の和さんもあまり三塔倒影公園には行かないのか、どの路地道に入るのかを迷っていた。やっと入る路地道が判り、その路地道を行く。
    少し行くと小さな門が路地脇に見えて来る。ここが三塔倒影公園の入口である。その前でワゴン車を降りる。
    入口には受付らしきものはない。その門の脇に入場料を表示したパネルが掛かっている。それに誰もいない。
    李さんも要領が良く判らない様であるが、そのまま中に入る事に。
    観光客は我々以外誰もいない。公園内には大きな池があり、その池越しに先程の三塔が見えている。
    これは非常に綺麗な景色である。なぜ、ここに観光客が来ないのか不思議である。
    やっと、この公園の管理人らしき人が現れたが、先程の崇聖寺三塔公園に入場券を持っていれば、ここにも入れるとの事で問題はなかった。共通券になっているそうだ。

  • ここからの三塔は公園の名前の通り、逆さに倒れた形で池に写っている。天気も良いので、綺麗に池に映し出されている。先程から森住さんが盛んに写真を撮っている。この景色が非常に気にいった様子である。<br />    <br />  <br />私も李さんにお願いし、記念撮影を行う。李さんも私に自分のカメラを渡し、撮ってくれる様に言う。<br />この様な記念撮影をお互いに撮り終えた後に少しこの池の周りを散策する。池の端の方には蓮の花が綺麗に咲いていた。それにしても本当に他の観光客が来ない。<br />先程の崇聖寺三塔公園には多くの中国人の観光客が居たのに、ここには来ない様である。<br />李さんに聞くとやはり余りここには案内しない様である。<br />森住さんといっしょに李さんにここは非常に日本人好みのスポットである事を教えた。<br />今後、日本人の観光客をガイドする場合は是非この場所に連れて来ると喜ばれる事間違いなしである。<br />再び、門を抜け、ワゴン車に戻る。<br />門を良く見ると、両脇に獅子の像が置かれており、またその門に繋がる塀の上は龍の背を模した形になっている。どちらも上海の豫園の庭園内で見たものと同じである。<br />獅子の像は左側に足の下に子獅子を押さえた牝獅子と右側に足の下に玉を押さえた雄獅子が並ぶ。<br />その様な事を森住さんと話ながらワゴン車に乗り込む。<br />時刻は、まだ昼食には早い11時過ぎである。ここから先程順番を変えた大理古城に向かう。<br />

    ここからの三塔は公園の名前の通り、逆さに倒れた形で池に写っている。天気も良いので、綺麗に池に映し出されている。先程から森住さんが盛んに写真を撮っている。この景色が非常に気にいった様子である。


    私も李さんにお願いし、記念撮影を行う。李さんも私に自分のカメラを渡し、撮ってくれる様に言う。
    この様な記念撮影をお互いに撮り終えた後に少しこの池の周りを散策する。池の端の方には蓮の花が綺麗に咲いていた。それにしても本当に他の観光客が来ない。
    先程の崇聖寺三塔公園には多くの中国人の観光客が居たのに、ここには来ない様である。
    李さんに聞くとやはり余りここには案内しない様である。
    森住さんといっしょに李さんにここは非常に日本人好みのスポットである事を教えた。
    今後、日本人の観光客をガイドする場合は是非この場所に連れて来ると喜ばれる事間違いなしである。
    再び、門を抜け、ワゴン車に戻る。
    門を良く見ると、両脇に獅子の像が置かれており、またその門に繋がる塀の上は龍の背を模した形になっている。どちらも上海の豫園の庭園内で見たものと同じである。
    獅子の像は左側に足の下に子獅子を押さえた牝獅子と右側に足の下に玉を押さえた雄獅子が並ぶ。
    その様な事を森住さんと話ながらワゴン車に乗り込む。
    時刻は、まだ昼食には早い11時過ぎである。ここから先程順番を変えた大理古城に向かう。

  • <大理古城の散歩><br />ワゴン車は大きな道に出て南方面に向かう。<br />途中また、道路の規制に会い、古城周辺のメイン通りは通して貰えず、ワゴン車は東方向へ折れる。<br />そこからどの様に行くかを再び李さんと運転手の和さんが相談をしている。<br />その相談が終わり、少し行った路地前でワゴン車が停まる。<br />ここから歩いて、古城の北門を目指す事になった。<br />ワゴン車を降り、路地道に入ると、正面に北門が見えている。然程遠くない。<br />この路地道沿いには、沢山の店が並ぶ。しかし、一般的なものを売る店ではなく、服の仕立てや、バイクや自転車の補修などの手工業的な店が並んでいる。なかには散髪屋さんもあった。<br />また、その店の前では、地べたで、中国将棋を指すおじいさんの集団やこの店々の子供達が遊んでいる。<br />

    <大理古城の散歩>
    ワゴン車は大きな道に出て南方面に向かう。
    途中また、道路の規制に会い、古城周辺のメイン通りは通して貰えず、ワゴン車は東方向へ折れる。
    そこからどの様に行くかを再び李さんと運転手の和さんが相談をしている。
    その相談が終わり、少し行った路地前でワゴン車が停まる。
    ここから歩いて、古城の北門を目指す事になった。
    ワゴン車を降り、路地道に入ると、正面に北門が見えている。然程遠くない。
    この路地道沿いには、沢山の店が並ぶ。しかし、一般的なものを売る店ではなく、服の仕立てや、バイクや自転車の補修などの手工業的な店が並んでいる。なかには散髪屋さんもあった。
    また、その店の前では、地べたで、中国将棋を指すおじいさんの集団やこの店々の子供達が遊んでいる。

  • 路地道には馬車が走り、まるで何十年かタイムスリップした様な感覚になる。その様な光景を見ながら歩く事、数分で北門前に到着した。<br />

    路地道には馬車が走り、まるで何十年かタイムスリップした様な感覚になる。その様な光景を見ながら歩く事、数分で北門前に到着した。

  • 北門には大理石のプレートに大理の文字が見える。<br />この北門辺りで自動車の規制をまた行っており、一方向のみしか行けない為に混乱し、渋滞になっている。<br />北門からは自動車やバイクなどは途切れる事なく出て来ている。その自動車やバイクなどに注意しながら我々も北門を潜る。<br />北門を潜り、古城内に入るとその場所が広場になっている。<br />また、入った左手の塀沿いに道があり、そこから自動車などが北門に向かって曲がっている。<br />古城内のメイン通りはお祭りの為か、歩行者天国の様になっていた。<br />この北門から古城の中心に向かい復興路と書かれた路を続いている。<br />北門の直ぐ近くの左手に病院が見えている。この路の両サイドにも古い家並みが続くが、その多くが店屋である。また、その前にも屋台が出ており、食べ物や飲物を売っている。<br />先程までの観光スポットとは打って変って、この場所は非常に人が多い。<br />

    北門には大理石のプレートに大理の文字が見える。
    この北門辺りで自動車の規制をまた行っており、一方向のみしか行けない為に混乱し、渋滞になっている。
    北門からは自動車やバイクなどは途切れる事なく出て来ている。その自動車やバイクなどに注意しながら我々も北門を潜る。
    北門を潜り、古城内に入るとその場所が広場になっている。
    また、入った左手の塀沿いに道があり、そこから自動車などが北門に向かって曲がっている。
    古城内のメイン通りはお祭りの為か、歩行者天国の様になっていた。
    この北門から古城の中心に向かい復興路と書かれた路を続いている。
    北門の直ぐ近くの左手に病院が見えている。この路の両サイドにも古い家並みが続くが、その多くが店屋である。また、その前にも屋台が出ており、食べ物や飲物を売っている。
    先程までの観光スポットとは打って変って、この場所は非常に人が多い。

  • 李さんに聞くと、このお祭りはペー族のお祭りでも大きなもので、近隣の村々から多くの人が集まると言う。<br />よって殆どの人が観光客ではなく、近隣の村々から来た人達である。<br />様々な物が売られているので、店々を見るのも飽きない。左右をキョロキョロしながら歩いていると、前方より軽トラックがやって来た。歩行者天国では無かった様だ。その軽トラックを避け、再び歩き出すと、ペー族の代表的な民族衣装である白を基調とした衣装を着た人達がやって来た。<br />ここでは普段でもあの様な民族衣装を着ている様だ。<br />また、屋台店の人も民族衣装を着て、料理や物売りを行っている。ふと左手を見ると石を綺麗に組み上げた大きな建物が目に留まる。屋根の上に十字架が見えている。教会か?李さんに確かめると教会だと言う。<br />李さんはさっさとその方向へ歩き出す。<br />

    李さんに聞くと、このお祭りはペー族のお祭りでも大きなもので、近隣の村々から多くの人が集まると言う。
    よって殆どの人が観光客ではなく、近隣の村々から来た人達である。
    様々な物が売られているので、店々を見るのも飽きない。左右をキョロキョロしながら歩いていると、前方より軽トラックがやって来た。歩行者天国では無かった様だ。その軽トラックを避け、再び歩き出すと、ペー族の代表的な民族衣装である白を基調とした衣装を着た人達がやって来た。
    ここでは普段でもあの様な民族衣装を着ている様だ。
    また、屋台店の人も民族衣装を着て、料理や物売りを行っている。ふと左手を見ると石を綺麗に組み上げた大きな建物が目に留まる。屋根の上に十字架が見えている。教会か?李さんに確かめると教会だと言う。
    李さんはさっさとその方向へ歩き出す。

  • 我々もその後を付いて歩く、丁度我々が来た復興路と教会入口前の路地との角で、道端に何やら果物らしきものを積み上げて売る民族衣装を着た女性がいる。何を売っているのか見ると“みかん”であった。<br />形は悪いが、大きさなどは日本の温州みかんと同じである。<br />我々が興味を抱き、その女性なども含め写真を撮っていると、李さんがそのみかんを購入するのか、その女性と価格交渉を始めた。ビニールの袋に半分くらい入れて貰い、お金を払っている。<br />李さんにそれで価格はどれくらいなのかを聞くと、『これで3元です。』と言う。<br />安いのか、高いのかは判らないが、ビニール袋の中には10個程入っている。<br />

    我々もその後を付いて歩く、丁度我々が来た復興路と教会入口前の路地との角で、道端に何やら果物らしきものを積み上げて売る民族衣装を着た女性がいる。何を売っているのか見ると“みかん”であった。
    形は悪いが、大きさなどは日本の温州みかんと同じである。
    我々が興味を抱き、その女性なども含め写真を撮っていると、李さんがそのみかんを購入するのか、その女性と価格交渉を始めた。ビニールの袋に半分くらい入れて貰い、お金を払っている。
    李さんにそれで価格はどれくらいなのかを聞くと、『これで3元です。』と言う。
    安いのか、高いのかは判らないが、ビニール袋の中には10個程入っている。

  • その袋を持ち、その横の教会の入口に李さんが入る。我々もそれについて教会の敷地内に入る。<br />敷地内では、女の子達が何やら絵本などで勉強をしている。李さんは更に教会内に入ると言い、我々を導くが教会内を覗くと丁度、礼拝時間なのか、中の椅子は満席である。<br />それを見て私も森住さんも入るのは遠慮した。キリスト教徒でもない我々が礼拝の邪魔をしたくはない。<br />教会を後に再び、復興路に戻り、南へ進む。<br />するとペー族の親子?が前方より歩いて来た。お揃いの白い民族衣装と帽子を被っている。<br />その女の子は小学校の低学年くらいの子で、非常に民族衣装が可愛らしい。絶好のシャッターチャンスであったが、残念な事にあまりに人が多く、写真を撮る事が出来なかった。非常に残念である。<br />

    その袋を持ち、その横の教会の入口に李さんが入る。我々もそれについて教会の敷地内に入る。
    敷地内では、女の子達が何やら絵本などで勉強をしている。李さんは更に教会内に入ると言い、我々を導くが教会内を覗くと丁度、礼拝時間なのか、中の椅子は満席である。
    それを見て私も森住さんも入るのは遠慮した。キリスト教徒でもない我々が礼拝の邪魔をしたくはない。
    教会を後に再び、復興路に戻り、南へ進む。
    するとペー族の親子?が前方より歩いて来た。お揃いの白い民族衣装と帽子を被っている。
    その女の子は小学校の低学年くらいの子で、非常に民族衣装が可愛らしい。絶好のシャッターチャンスであったが、残念な事にあまりに人が多く、写真を撮る事が出来なかった。非常に残念である。

  • 少し歩くと更に賑やかな一角に指し掛かった。この一角の西に向かう路地には門があり、その門には“洋人街”と書かれている。この辺りが最もこの古城内で賑わう場所の様だ。道端にも屋台の店が非常に多い。<br />それらを見ながら、更に南へ進むと、車の走る大きな道路と交差する。この道路が、人民路である。<br />西の方を見ると、楼閣が遠くに見えている。東の方にも楼閣が見えるがこちらの方が更に遠くに見えている。<br />この路まで来て、李さんが先程の洋人街まで戻ると言う。<br />

    少し歩くと更に賑やかな一角に指し掛かった。この一角の西に向かう路地には門があり、その門には“洋人街”と書かれている。この辺りが最もこの古城内で賑わう場所の様だ。道端にも屋台の店が非常に多い。
    それらを見ながら、更に南へ進むと、車の走る大きな道路と交差する。この道路が、人民路である。
    西の方を見ると、楼閣が遠くに見えている。東の方にも楼閣が見えるがこちらの方が更に遠くに見えている。
    この路まで来て、李さんが先程の洋人街まで戻ると言う。

  • 今日の昼食は、この洋人街にある店で食事を摂る様だ。<br />再び、洋人街の門の前へ。そして、その路地に入る。この路地は非常に人が多く、混雑している。<br />左右の店も今まで歩いていた復興路の店とは違い、洒落た感じの店が多い。<br />

    今日の昼食は、この洋人街にある店で食事を摂る様だ。
    再び、洋人街の門の前へ。そして、その路地に入る。この路地は非常に人が多く、混雑している。
    左右の店も今まで歩いていた復興路の店とは違い、洒落た感じの店が多い。

  • 店前にテーブルが並ぶ店が多く、カフェの様な造りの店が多い。店の看板を見ると“RESTRANT & BAR”と書かれた店が多い。<br />ここで、李さんが盛んに携帯電話で何やら話をしている。<br />その間、私と森住さんは遠くへは行かずにその周辺の店などを見ていた。<br />  <br />5分程してやっと電話が終わり、李さんが我々のもとに来るが、またここで暫く待つ様に言われる。時刻はもう12時を過ぎている。<br />直ぐに再び李さんが戻り、洋人街の更に奥に進む。<br />ある店の前まで来て、店の店員に何やら聞いている。どうもこの辺に店があるらしい。聞いた店員の店が、今日の昼食の場所であった。李さんが看板を見つける事が出来なかった様である。<br />

    店前にテーブルが並ぶ店が多く、カフェの様な造りの店が多い。店の看板を見ると“RESTRANT & BAR”と書かれた店が多い。
    ここで、李さんが盛んに携帯電話で何やら話をしている。
    その間、私と森住さんは遠くへは行かずにその周辺の店などを見ていた。

    5分程してやっと電話が終わり、李さんが我々のもとに来るが、またここで暫く待つ様に言われる。時刻はもう12時を過ぎている。
    直ぐに再び李さんが戻り、洋人街の更に奥に進む。
    ある店の前まで来て、店の店員に何やら聞いている。どうもこの辺に店があるらしい。聞いた店員の店が、今日の昼食の場所であった。李さんが看板を見つける事が出来なかった様である。

  • <洋人街での昼食:KAIYI‘S KITCHEN><br />店員に促され、店内に入る。まだ、昼食時には、時間が早いのか誰も店内にはいない。<br />我々は通りに面した席に着いた。<br />店の名前は、“KAIYI‘S KITCHEN”で、先程からこの洋人街で良く見かけた“RESTRANT & BAR”である。<br />  <br />まず定番の飲物を聞かれる。ここでは李さんもいっしょに食事を摂るようだ。<br />

    <洋人街での昼食:KAIYI‘S KITCHEN>
    店員に促され、店内に入る。まだ、昼食時には、時間が早いのか誰も店内にはいない。
    我々は通りに面した席に着いた。
    店の名前は、“KAIYI‘S KITCHEN”で、先程からこの洋人街で良く見かけた“RESTRANT & BAR”である。

    まず定番の飲物を聞かれる。ここでは李さんもいっしょに食事を摂るようだ。

  • 李さんは地麦酒を頼み、私はすいかジュースを、そして森住さんは私と同じすいかジュースを頼んだ。<br />森住さんもお酒が飲めないと言う。<br />みんなの飲物が来て、乾杯をする。そして、料理が来るのを待つ。<br />今日の昼食のメイン料理は、&#27953;海魚の料理である。<br />まず、最初に出て来た料理は、牛肉とピーマン、マッシュルームの塩炒めである。そして直ぐに揚げ春巻きとごはんが来る。その後次々に以下の料理が出てきた。<br /><br /> ①牛肉とピーマン、マッシュルームの塩炒め<br /> ②揚げ春巻き<br /> ③グリーンアスパラのオイスターソース炒め<br /> ④さやえんどうの塩炒め<br /> ⑤砂鍋魚:&#27953;海魚の鍋(&#27953;海魚、鶏肉、ハム、湯葉、椎茸などの入ったもの)<br /> *ペー族の代表的な民族料理である<br /> ⑥豚肉と人参、ニラ、高菜漬けのピリ辛醤油炒め<br />朝食が簡単なお弁当であった事と、これまでの午前の観光でかなり歩いた為にお腹も空いていた。<br />その為か料理はどれも非常に美味しく感じた。味付けも濃くなく、食べやすい。<br />

    李さんは地麦酒を頼み、私はすいかジュースを、そして森住さんは私と同じすいかジュースを頼んだ。
    森住さんもお酒が飲めないと言う。
    みんなの飲物が来て、乾杯をする。そして、料理が来るのを待つ。
    今日の昼食のメイン料理は、洱海魚の料理である。
    まず、最初に出て来た料理は、牛肉とピーマン、マッシュルームの塩炒めである。そして直ぐに揚げ春巻きとごはんが来る。その後次々に以下の料理が出てきた。

     ①牛肉とピーマン、マッシュルームの塩炒め
     ②揚げ春巻き
     ③グリーンアスパラのオイスターソース炒め
     ④さやえんどうの塩炒め
     ⑤砂鍋魚:洱海魚の鍋(洱海魚、鶏肉、ハム、湯葉、椎茸などの入ったもの)
     *ペー族の代表的な民族料理である
     ⑥豚肉と人参、ニラ、高菜漬けのピリ辛醤油炒め
    朝食が簡単なお弁当であった事と、これまでの午前の観光でかなり歩いた為にお腹も空いていた。
    その為か料理はどれも非常に美味しく感じた。味付けも濃くなく、食べやすい。

  • 特にグリーンアスパラのオイスターソース炒めや豚肉と人参、ニラ、高菜漬けのピリ辛醤油炒めなどは、ごはんと非常に良く合う。<br />    <br />残念な事に、メインの&#27953;海魚の鍋は新鮮な魚を食べ慣れている日本人にはあまり美味しいものではない。<br />この料理はペー族の代表的な鍋料理である。やはり、淡水魚である為に多少泥臭さがあり、また鯉か鮒に近く、小骨が多く、非常に食べ難い。<br />森住さんも一口食べられただけで後は箸を付けない。私も少し食べただけで止めた。魚の他に鍋に入っているものは、湯葉が多く、これも日本の湯葉ほど味があるものではなかった。<br />食事の間も通りには多くの人が行き来している。<br />偶に民族衣装を着た人が通ると、森住さんが食事を中断し、写真を撮られている。<br />時刻は13時を廻っている。ここらで食事を終え、飲物代金の18元(約270円)を支払う。<br />

    特にグリーンアスパラのオイスターソース炒めや豚肉と人参、ニラ、高菜漬けのピリ辛醤油炒めなどは、ごはんと非常に良く合う。

    残念な事に、メインの洱海魚の鍋は新鮮な魚を食べ慣れている日本人にはあまり美味しいものではない。
    この料理はペー族の代表的な鍋料理である。やはり、淡水魚である為に多少泥臭さがあり、また鯉か鮒に近く、小骨が多く、非常に食べ難い。
    森住さんも一口食べられただけで後は箸を付けない。私も少し食べただけで止めた。魚の他に鍋に入っているものは、湯葉が多く、これも日本の湯葉ほど味があるものではなかった。
    食事の間も通りには多くの人が行き来している。
    偶に民族衣装を着た人が通ると、森住さんが食事を中断し、写真を撮られている。
    時刻は13時を廻っている。ここらで食事を終え、飲物代金の18元(約270円)を支払う。

  • <再び、大理古城の散歩><br />店を出て、再び洋人街からメイン通りの復興路に戻り、南に進む。<br />先程の人民路に達し、それを渡り、更に南に行く。前方に楼閣が見えて来た。五華楼である。<br />この楼閣に向かい、ゆっくりとまた路の両サイドの店を見ながら、進む。<br />特に買いたいものがある訳ではないが、興味深い食べ物や品物が並ぶ店もある。特に観光客向けの店と言う様な店はなく、地元の人達も利用する店などが多い。<br />途中に大きな門を構えた公園入口が現れる。その門には大理文化園と書かれている。<br />

    <再び、大理古城の散歩>
    店を出て、再び洋人街からメイン通りの復興路に戻り、南に進む。
    先程の人民路に達し、それを渡り、更に南に行く。前方に楼閣が見えて来た。五華楼である。
    この楼閣に向かい、ゆっくりとまた路の両サイドの店を見ながら、進む。
    特に買いたいものがある訳ではないが、興味深い食べ物や品物が並ぶ店もある。特に観光客向けの店と言う様な店はなく、地元の人達も利用する店などが多い。
    途中に大きな門を構えた公園入口が現れる。その門には大理文化園と書かれている。

  • の前を過ぎると、もう目の前に五華楼が聳えて見える。近づくと思いの外大きな楼閣である。<br />この楼閣には登る事が出来ない様で、その下を潜るのみであった。この楼閣は夜になるとライトアップされて非常に綺麗だと李さんが教えてくれた。それが見られないのは残念である。<br />  <br />まだまだ、店が続いている。更に南に南門が見えている。そこまで店が続いていると言う。<br />

    の前を過ぎると、もう目の前に五華楼が聳えて見える。近づくと思いの外大きな楼閣である。
    この楼閣には登る事が出来ない様で、その下を潜るのみであった。この楼閣は夜になるとライトアップされて非常に綺麗だと李さんが教えてくれた。それが見られないのは残念である。

    まだまだ、店が続いている。更に南に南門が見えている。そこまで店が続いていると言う。

  • 店の前にペー族の民族衣装を着た若い女の子が立っていた。先程から何度かペー族の人達を見かけるが、この子の衣装は基本的な白を基調に赤いベスト風の服をいう簡単な服装になっている。頭にはペー族の一番ポピュラーな白い羽根で作られた帽子を被っている。着飾っているというよりは普段着の様に着ている。<br />更にそこから少し行くと人集りの出来ている前に着く。<br />

    店の前にペー族の民族衣装を着た若い女の子が立っていた。先程から何度かペー族の人達を見かけるが、この子の衣装は基本的な白を基調に赤いベスト風の服をいう簡単な服装になっている。頭にはペー族の一番ポピュラーな白い羽根で作られた帽子を被っている。着飾っているというよりは普段着の様に着ている。
    更にそこから少し行くと人集りの出来ている前に着く。

  • 何かと思うと、ここは広場があり、その奥には“総統兵馬大元帥府”という額が掛けられた立派な門が建っている。<br />李さんに尋ねると、ここは清代末期の“杜文秀”という人の元帥府跡であると言う。<br />“杜文秀”は清代末期の太平天国の動乱時、この地にも倒清運動が高まった際に、推挙され、総統兵馬大元帥になり、殺官安民をスローガンに雲南の53の城を統治した人物である。太平天国の動乱が収まると清軍が大挙して侵攻した為、最後は降伏し、自殺した。<br />現在、この元帥府跡が大理市博物館となっている。<br />ここには入らない様で、その前を通り過ぎる。ここには大理国時代の石碑を集めた碑林や大理で出土した文化財の展示館などもあるらしい。<br />この総統兵馬大元帥府を過ぎると、もう南門は目の前である。<br />この楼閣には登れるらしく、その下に到着すると、その右手に廻り、細い階段を登り、城壁に上がる。<br />城壁に上がったところが料金所になっている。やはり、ここに登るにもお金が必要な様だ。<br />料金は、2元(約30)と表示されている。それを李さんが支払いを行う。<br />楼閣の一階部分には、祭壇があり、道教の神様らしきものが祀られている。その前を通り、壁際にある階段を登り、上階へ進む。楼閣は2階建てである。2階に上がると非常に眺めが良い。まず南方向を眺めると、南門前に少し広場があり、その前を大通りが横切っている。<br />南門から南には更に真直ぐ路が延び、その先には楼閣が見えている。地図で確かめると“文献楼”とある。この辺りは高い建物もない為に、ここからは周辺が一望出来る。<br />移動をして今度は、西方向を見る。西方向は蒼山の方向で、蒼山に向かい、城壁が綺麗に整備されている。また、その先には一塔寺という寺院の塔が見えている。<br />ここで、李さんがこの大理に伝わる日本人僧の話をしてくれる。<br />時代は明代初期、明の太祖である朱元璋は、紅巾の乱を共に戦い明朝成立に貢献した左丞相の胡惟庸を日本や北宋と内通して叛乱を企てた罪で処刑した。<br />この時にその被害が明に仏教を学びに来ていた4人の日本人僧にも及び、彼らは処刑される事は無かったが当時は辺境の地であった雲南のここ大理に流刑される事となる。<br />その後、明は倭寇などの海賊に手を焼き、ほぼ鎖国の状態になった為にこの4人には帰国の道も閉ざされてしまった。この大理の地に残り、過酷な境遇に耐えながら、地元のペー族の人達と交流を取った彼らは、仏教信仰の盛んな土地柄もあり、地元の人達からは尊敬されていた。その為に彼らの死後、ペー族の人達により日本四僧塔と呼ばれる供養塔が建てられ、今も地元のペー族の人達に守られていると言う。<br />また、日本人俳優の高倉健が『単騎、千里を走る』という映画の撮影で、この地を訪れた際に先の話を監督の張芸謀(チャン・イーモウ)から聞き、感動し、お金を出してその供養塔の修復を行ったとの事である。その供養塔が、今見えている西方向の山裾にあるそうだ。<br />その話が終わり、また移動する。今度は、北方向である。この方向は先程歩いて来た復興路の方向である。手前の楼閣の五華楼が見えている。かすかに崇聖寺三塔も見えている。<br />ここで楼閣の廊下が行き止まりになっている。東方向には廻れない。<br />

    何かと思うと、ここは広場があり、その奥には“総統兵馬大元帥府”という額が掛けられた立派な門が建っている。
    李さんに尋ねると、ここは清代末期の“杜文秀”という人の元帥府跡であると言う。
    “杜文秀”は清代末期の太平天国の動乱時、この地にも倒清運動が高まった際に、推挙され、総統兵馬大元帥になり、殺官安民をスローガンに雲南の53の城を統治した人物である。太平天国の動乱が収まると清軍が大挙して侵攻した為、最後は降伏し、自殺した。
    現在、この元帥府跡が大理市博物館となっている。
    ここには入らない様で、その前を通り過ぎる。ここには大理国時代の石碑を集めた碑林や大理で出土した文化財の展示館などもあるらしい。
    この総統兵馬大元帥府を過ぎると、もう南門は目の前である。
    この楼閣には登れるらしく、その下に到着すると、その右手に廻り、細い階段を登り、城壁に上がる。
    城壁に上がったところが料金所になっている。やはり、ここに登るにもお金が必要な様だ。
    料金は、2元(約30)と表示されている。それを李さんが支払いを行う。
    楼閣の一階部分には、祭壇があり、道教の神様らしきものが祀られている。その前を通り、壁際にある階段を登り、上階へ進む。楼閣は2階建てである。2階に上がると非常に眺めが良い。まず南方向を眺めると、南門前に少し広場があり、その前を大通りが横切っている。
    南門から南には更に真直ぐ路が延び、その先には楼閣が見えている。地図で確かめると“文献楼”とある。この辺りは高い建物もない為に、ここからは周辺が一望出来る。
    移動をして今度は、西方向を見る。西方向は蒼山の方向で、蒼山に向かい、城壁が綺麗に整備されている。また、その先には一塔寺という寺院の塔が見えている。
    ここで、李さんがこの大理に伝わる日本人僧の話をしてくれる。
    時代は明代初期、明の太祖である朱元璋は、紅巾の乱を共に戦い明朝成立に貢献した左丞相の胡惟庸を日本や北宋と内通して叛乱を企てた罪で処刑した。
    この時にその被害が明に仏教を学びに来ていた4人の日本人僧にも及び、彼らは処刑される事は無かったが当時は辺境の地であった雲南のここ大理に流刑される事となる。
    その後、明は倭寇などの海賊に手を焼き、ほぼ鎖国の状態になった為にこの4人には帰国の道も閉ざされてしまった。この大理の地に残り、過酷な境遇に耐えながら、地元のペー族の人達と交流を取った彼らは、仏教信仰の盛んな土地柄もあり、地元の人達からは尊敬されていた。その為に彼らの死後、ペー族の人達により日本四僧塔と呼ばれる供養塔が建てられ、今も地元のペー族の人達に守られていると言う。
    また、日本人俳優の高倉健が『単騎、千里を走る』という映画の撮影で、この地を訪れた際に先の話を監督の張芸謀(チャン・イーモウ)から聞き、感動し、お金を出してその供養塔の修復を行ったとの事である。その供養塔が、今見えている西方向の山裾にあるそうだ。
    その話が終わり、また移動する。今度は、北方向である。この方向は先程歩いて来た復興路の方向である。手前の楼閣の五華楼が見えている。かすかに崇聖寺三塔も見えている。
    ここで楼閣の廊下が行き止まりになっている。東方向には廻れない。

  • 少し覗くと東方向の城壁は整備されておらず、荒れ放題になっている。その為にこちら側には廻れない様になっているのである。仕方なく、階下に下りる。<br />    <br />入って来た側と反対側から城壁に再び出る。<br />城壁には、一定間隔で穴が開いており、日本のお城の城壁でも見る“狭間”に似たものが造られている。<br />李さんにこの穴は何の用途に用いるのかを聞くと、やはり戦争時の弓や鉄砲の穴であるという。<br />李さんの話では、この大理は国境にも近い為、いつの時代も領土侵略の最前線に晒されて来た場所であると言う。<br />

    少し覗くと東方向の城壁は整備されておらず、荒れ放題になっている。その為にこちら側には廻れない様になっているのである。仕方なく、階下に下りる。

    入って来た側と反対側から城壁に再び出る。
    城壁には、一定間隔で穴が開いており、日本のお城の城壁でも見る“狭間”に似たものが造られている。
    李さんにこの穴は何の用途に用いるのかを聞くと、やはり戦争時の弓や鉄砲の穴であるという。
    李さんの話では、この大理は国境にも近い為、いつの時代も領土侵略の最前線に晒されて来た場所であると言う。

  • 再び、先程登ってきた階段を下り、南門下に移動し、南門を潜る。<br />南門に入ると中に部屋があり、そこには店がある。こんな場所にまで店を出しているのである。<br />南門を潜るとその前は広場になっており、ここには多くの観光客が集まっている。<br />みんな手に手にカメラを持ち、記念撮影を行っている。我々も李さんにお願いし、記念撮影を行う。すると近くに民族衣装を着た若い女の子の一団がいる。<br />李さんに聞くと、観光客相手にいっしょに記念撮影をする子達であると言う。<br />写真を撮るには、一人10元(約150円)必要だと言う。<br />森住さんと相談し、折角なのでふたりで20元を払い、いっしょに写真を撮る事にした。一度、10元を払うと、何枚撮っても良いのか、かなりの枚数をふたりで撮った。<br />それを撮り終え、この広場脇の木陰で少し休憩を取る事になった。<br />休憩場所近くの屋台で思い思いに飲物を購入する。私は砂糖入りのジャスミン茶を購入した。600mlのペットボトルで、5元(約75円)である。李さんがワゴン車の運転手に電話をしている。この場所にワゴン車を呼ぶ為である。ワゴン車が来るまでの間、この場所で休憩をする。<br />時刻は、14時近くになり、太陽が丁度真上辺りにあり、日差しが強い。日の当るところは少し暑い。<br />5分程でワゴン車が我々の休憩している道路脇に到着した。みんなでワゴン車に乗り込む。<br />

    再び、先程登ってきた階段を下り、南門下に移動し、南門を潜る。
    南門に入ると中に部屋があり、そこには店がある。こんな場所にまで店を出しているのである。
    南門を潜るとその前は広場になっており、ここには多くの観光客が集まっている。
    みんな手に手にカメラを持ち、記念撮影を行っている。我々も李さんにお願いし、記念撮影を行う。すると近くに民族衣装を着た若い女の子の一団がいる。
    李さんに聞くと、観光客相手にいっしょに記念撮影をする子達であると言う。
    写真を撮るには、一人10元(約150円)必要だと言う。
    森住さんと相談し、折角なのでふたりで20元を払い、いっしょに写真を撮る事にした。一度、10元を払うと、何枚撮っても良いのか、かなりの枚数をふたりで撮った。
    それを撮り終え、この広場脇の木陰で少し休憩を取る事になった。
    休憩場所近くの屋台で思い思いに飲物を購入する。私は砂糖入りのジャスミン茶を購入した。600mlのペットボトルで、5元(約75円)である。李さんがワゴン車の運転手に電話をしている。この場所にワゴン車を呼ぶ為である。ワゴン車が来るまでの間、この場所で休憩をする。
    時刻は、14時近くになり、太陽が丁度真上辺りにあり、日差しが強い。日の当るところは少し暑い。
    5分程でワゴン車が我々の休憩している道路脇に到着した。みんなでワゴン車に乗り込む。

  • <大理郊外の田園風景><br />ワゴン車は古城の南の城壁沿いの道を東に進み、城壁が途切れると、方向を変え、北に向かう。<br />よく見ると、この通りは朝に通った道である。道の両サイドに瓦工場の並ぶ路地に入って来た。<br />左手に東門が見えて来る。ここから少し朝に通った道とは違う様だ。城壁沿いに走っていたワゴン車は少し城壁から離れ、東に向かい、大きな幹線道路に出る。この幹線道路を北に走り出した。<br />次の目的地は、喜州である。<br />古城の街並みが途切れると辺りの景色が田園風景に一変する。<br />丁度、田植えの季節であるのか、田んぼの多くには、水が引き込まれていたり、既に田植えを終えた田んぼが目に付く。中には、今まさに田植えを行っている田んぼもあった。<br />田植えの風景などは一昔前の日本と同じである。人が一列に並び、手で植えている。<br />現在の日本では見る事が少なくなった光景で、非常に長閑である。<br />また、日本では見かけないものとして大きなパイプラインが蒼山から&#27953;海に向かい、延びえている。<br />

    <大理郊外の田園風景>
    ワゴン車は古城の南の城壁沿いの道を東に進み、城壁が途切れると、方向を変え、北に向かう。
    よく見ると、この通りは朝に通った道である。道の両サイドに瓦工場の並ぶ路地に入って来た。
    左手に東門が見えて来る。ここから少し朝に通った道とは違う様だ。城壁沿いに走っていたワゴン車は少し城壁から離れ、東に向かい、大きな幹線道路に出る。この幹線道路を北に走り出した。
    次の目的地は、喜州である。
    古城の街並みが途切れると辺りの景色が田園風景に一変する。
    丁度、田植えの季節であるのか、田んぼの多くには、水が引き込まれていたり、既に田植えを終えた田んぼが目に付く。中には、今まさに田植えを行っている田んぼもあった。
    田植えの風景などは一昔前の日本と同じである。人が一列に並び、手で植えている。
    現在の日本では見る事が少なくなった光景で、非常に長閑である。
    また、日本では見かけないものとして大きなパイプラインが蒼山から洱海に向かい、延びえている。

  • 何の為のパイプラインかを李さんに聞くと、この地方は雨が少なく、農作業に必要な水の確保に非常に苦労をする。その為、蒼山の雪解け水を有効に活用する為に、このパイプラインが造られているとの事である。<br />雪解け水の多い時期は、このパイプライン内に水を貯め(余分なものは、&#27953;海に流す)、水の少ない時期になったら、蒼山の麓の河川に戻し、田畑に水を供給すると言う。それでも不足する場合は、&#27953;海から水を汲み上げられる様になっており、&#27953;海の水を田畑に供給する。<br />この様なパイプラインが峰と峰との渓谷部分に造られているそうだ。<br />確かに、先程から何本かこのパイプラインを目撃した。<br />ワゴン車は軽快に幹線道路を走る。片側2車線の道路であるが、1車線の幅は日本の道路の1.5倍くらいある。なぜ、これ程の車線必要なのかは、直ぐに判った。<br />前に遅い車がいれば、2重走行になるのもお構いなしに追い越しをかける。<br />極端な場合は、対向車線に車がいなければ、そこを走ってでも追い越しをかけている。我々の乗るワゴン車も何台かの車を追い越して行く。その追い越す車の中でまたまた興味を引く物を発見した。<br />追い抜くまでは、普通のトラックかと思っていたが、そのトラックを追い越す際に非常に大きな音を出して走っているのに気が付く。そのトラックを見ると、運転席の前のエンジン部分が剥き出しである。<br />良く見ると、ディーゼルエンジンの廃気管が上を向いており、ボンネット部分もなく、運転席前の荷台の様なところにそのままエンジンのみが乗っている。<br />李さんに聞くと、人民公社の最高傑作である農作業用多目的トラクターだと言う。<br />トラックではなく、トラクターである。<br />多目的というのは、従来のトラクターだけではなく、トラックなど他の用途にも使用可能な万能車であるそうだ。気を付けて見ていると対向車でも、このトラクターは何台も走っていた。<br />この様な日本では見られない景色を見ながら、北に進んでいたワゴン車が幹線道路からそれ、街の一角に入って行った。古城の南門でワゴン車に乗ってから20分程度経っていた。ここが喜州である。<br />

    何の為のパイプラインかを李さんに聞くと、この地方は雨が少なく、農作業に必要な水の確保に非常に苦労をする。その為、蒼山の雪解け水を有効に活用する為に、このパイプラインが造られているとの事である。
    雪解け水の多い時期は、このパイプライン内に水を貯め(余分なものは、洱海に流す)、水の少ない時期になったら、蒼山の麓の河川に戻し、田畑に水を供給すると言う。それでも不足する場合は、洱海から水を汲み上げられる様になっており、洱海の水を田畑に供給する。
    この様なパイプラインが峰と峰との渓谷部分に造られているそうだ。
    確かに、先程から何本かこのパイプラインを目撃した。
    ワゴン車は軽快に幹線道路を走る。片側2車線の道路であるが、1車線の幅は日本の道路の1.5倍くらいある。なぜ、これ程の車線必要なのかは、直ぐに判った。
    前に遅い車がいれば、2重走行になるのもお構いなしに追い越しをかける。
    極端な場合は、対向車線に車がいなければ、そこを走ってでも追い越しをかけている。我々の乗るワゴン車も何台かの車を追い越して行く。その追い越す車の中でまたまた興味を引く物を発見した。
    追い抜くまでは、普通のトラックかと思っていたが、そのトラックを追い越す際に非常に大きな音を出して走っているのに気が付く。そのトラックを見ると、運転席の前のエンジン部分が剥き出しである。
    良く見ると、ディーゼルエンジンの廃気管が上を向いており、ボンネット部分もなく、運転席前の荷台の様なところにそのままエンジンのみが乗っている。
    李さんに聞くと、人民公社の最高傑作である農作業用多目的トラクターだと言う。
    トラックではなく、トラクターである。
    多目的というのは、従来のトラクターだけではなく、トラックなど他の用途にも使用可能な万能車であるそうだ。気を付けて見ていると対向車でも、このトラクターは何台も走っていた。
    この様な日本では見られない景色を見ながら、北に進んでいたワゴン車が幹線道路からそれ、街の一角に入って行った。古城の南門でワゴン車に乗ってから20分程度経っていた。ここが喜州である。

  • <ペー族の村:喜州の厳家大院><br />幹線道路を離れ、喜州の街に入ると道路が舗装されておらず、デコボコ道を暫く進む。街中の路地を何度か曲がり、目的地の喜州ペー族の巌家大院に到着した。その前の駐車場が満車で、少し離れた道路脇でワゴン車を降りる。<br />廻りの屋根を見ると青い瓦が特徴的である。ここ喜州の村(街)は、ペー族の村で、約1000年前から南詔国の重要な軍事拠点であったという。その後も雲南における商業貿易の要衝として栄えた街である。<br />ワゴン車から巌家大院の入口前まで戻る。入口前には土産物を売る屋台が数件並んでいる。間口の高い門が入口で、その脇で何人もの白い民族衣装を着たペー族の女性がいる。<br />李さんが入場の手続きを行い、笹を配した小路を屋敷の奥に進む。するとまず真ん中に池のある大きな広場が現れる。その左手に家屋が立ち並ぶ一角がある。<br />また、この家屋のひとつに大きな門がある。ここを入る様である。<br />

    <ペー族の村:喜州の厳家大院>
    幹線道路を離れ、喜州の街に入ると道路が舗装されておらず、デコボコ道を暫く進む。街中の路地を何度か曲がり、目的地の喜州ペー族の巌家大院に到着した。その前の駐車場が満車で、少し離れた道路脇でワゴン車を降りる。
    廻りの屋根を見ると青い瓦が特徴的である。ここ喜州の村(街)は、ペー族の村で、約1000年前から南詔国の重要な軍事拠点であったという。その後も雲南における商業貿易の要衝として栄えた街である。
    ワゴン車から巌家大院の入口前まで戻る。入口前には土産物を売る屋台が数件並んでいる。間口の高い門が入口で、その脇で何人もの白い民族衣装を着たペー族の女性がいる。
    李さんが入場の手続きを行い、笹を配した小路を屋敷の奥に進む。するとまず真ん中に池のある大きな広場が現れる。その左手に家屋が立ち並ぶ一角がある。
    また、この家屋のひとつに大きな門がある。ここを入る様である。

  • 中に入ると中庭を中心に三方に家屋が建ち、入って来た門の横が大きな白壁になっている。<br />この様な造りの家がペー族の家屋の特徴であるそうだ。三方一照壁と言い、2階建ての母屋の両側に副屋を建て、母屋の正面に目隠し用の照壁を配した構造になっている。<br />また、これとは違いもうひとつ家屋建築で特徴的なものがあり、それが四合五天井である。これは中庭を中央に周囲四方に家屋を配した構造のものである。丁度、入ると副屋に当る1階で何かショーを行っている様だ。垂れ幕がかかっており、中の様子は判らない。<br />ショーは時間制で次のショーまで待たなければならないと李さんに言われる。その間に家屋を見て廻る事にした。母屋や副屋の一階部分は、ショーの劇場や事務所、土産物屋になっている。<br />

    中に入ると中庭を中心に三方に家屋が建ち、入って来た門の横が大きな白壁になっている。
    この様な造りの家がペー族の家屋の特徴であるそうだ。三方一照壁と言い、2階建ての母屋の両側に副屋を建て、母屋の正面に目隠し用の照壁を配した構造になっている。
    また、これとは違いもうひとつ家屋建築で特徴的なものがあり、それが四合五天井である。これは中庭を中央に周囲四方に家屋を配した構造のものである。丁度、入ると副屋に当る1階で何かショーを行っている様だ。垂れ幕がかかっており、中の様子は判らない。
    ショーは時間制で次のショーまで待たなければならないと李さんに言われる。その間に家屋を見て廻る事にした。母屋や副屋の一階部分は、ショーの劇場や事務所、土産物屋になっている。

  • 母屋の端に2階へ上がる階段があり、それを使い2階に上がる。2階の副屋や母屋に生活道具などが展示されているが、余り見るべき物もない。<br />丁度、1階でショーが終了したらしく、観光客が副屋の1階劇場から出て来た。<br />  <br />ショーを行っていたペー族の男女も事務所のところに戻ろうとしている。<br />次のショーまでにまだ時間がある様なので、2階をもう少し見て廻る事にした。<br />一番奥の副屋の部屋から中庭側と反対方向を見ると、そこにも中庭があり、同じ様に家屋が建っている。<br />副屋を共有している様な構造で、家屋が建てられている。<br />また、中庭側に戻り、下を見ると、母屋の事務所前にペー族の女の子が集まっている。<br />

    母屋の端に2階へ上がる階段があり、それを使い2階に上がる。2階の副屋や母屋に生活道具などが展示されているが、余り見るべき物もない。
    丁度、1階でショーが終了したらしく、観光客が副屋の1階劇場から出て来た。

    ショーを行っていたペー族の男女も事務所のところに戻ろうとしている。
    次のショーまでにまだ時間がある様なので、2階をもう少し見て廻る事にした。
    一番奥の副屋の部屋から中庭側と反対方向を見ると、そこにも中庭があり、同じ様に家屋が建っている。
    副屋を共有している様な構造で、家屋が建てられている。
    また、中庭側に戻り、下を見ると、母屋の事務所前にペー族の女の子が集まっている。

  • 何か盛んに大声で話をしている。我々も2階で見るべき物は見終え、先程上がって来た階段とは、反対側にある階段から1階に下りる。そして副屋の前の椅子で、ショーの始まりを待つ。<br />李さんは先程から同じガイド仲間の女性と話し込んでいる。<br />5分程待ったか、李さんに促され、劇場に入る。劇場と言っても古めかしい椅子が沢山並べられているだけである。我々以外はまだ誰もいない。<br />ここでまた待つ事になる。暫くして徐々人が集まる。最後に団体客が入って来て、これで席がほぼ満席となる。入口の垂れ幕が掛かり、ショーが始まる。<br />

    何か盛んに大声で話をしている。我々も2階で見るべき物は見終え、先程上がって来た階段とは、反対側にある階段から1階に下りる。そして副屋の前の椅子で、ショーの始まりを待つ。
    李さんは先程から同じガイド仲間の女性と話し込んでいる。
    5分程待ったか、李さんに促され、劇場に入る。劇場と言っても古めかしい椅子が沢山並べられているだけである。我々以外はまだ誰もいない。
    ここでまた待つ事になる。暫くして徐々人が集まる。最後に団体客が入って来て、これで席がほぼ満席となる。入口の垂れ幕が掛かり、ショーが始まる。

  • まず、男性の司会者が女性をひとりひとり呼び出し、着ている衣装の説明を行う。衣装の説明を行っている事は仕草などからは判るが何をどう説明しているのかはさっぱり判らない。<br />それが終わるとその女の子達を中心に踊りが始まる。<br />ひとつの踊りが終わり、一旦みんなが退出する。<br />今度は同じ衣装を着、帽子を持った女の子が数人登場し、再び踊りが始まる。その踊りの間に、同じ衣装を着た別の女の子が観光客にお茶を配り始めた。<br />横から李さんが、『これが“三道茶”という伝統的な作法に則ったペー族の振る舞い茶です。』と教えてくれる。“三道茶”の様式は、「一苦、二甜、三回味」という言葉に集約されると言われている。<br />今配られているのが、1杯目のお茶で、&#28900;茶(こうちゃ)と言う。<br />この&#28900;茶は火にかけた空のやかんに未製茶(生茶)の茶葉を入れて黄色くなるまで焙り、熱湯を注ぐ。それを再び沸騰させた後、湯飲みにお茶を注いだものである。こうして出来たものは苦味の濃い味のお茶になる。<br />我々のところにも配られて来た。日本の湯飲み茶碗よりも一回り小さな茶碗に入れられている。<br />

    まず、男性の司会者が女性をひとりひとり呼び出し、着ている衣装の説明を行う。衣装の説明を行っている事は仕草などからは判るが何をどう説明しているのかはさっぱり判らない。
    それが終わるとその女の子達を中心に踊りが始まる。
    ひとつの踊りが終わり、一旦みんなが退出する。
    今度は同じ衣装を着、帽子を持った女の子が数人登場し、再び踊りが始まる。その踊りの間に、同じ衣装を着た別の女の子が観光客にお茶を配り始めた。
    横から李さんが、『これが“三道茶”という伝統的な作法に則ったペー族の振る舞い茶です。』と教えてくれる。“三道茶”の様式は、「一苦、二甜、三回味」という言葉に集約されると言われている。
    今配られているのが、1杯目のお茶で、烤茶(こうちゃ)と言う。
    この烤茶は火にかけた空のやかんに未製茶(生茶)の茶葉を入れて黄色くなるまで焙り、熱湯を注ぐ。それを再び沸騰させた後、湯飲みにお茶を注いだものである。こうして出来たものは苦味の濃い味のお茶になる。
    我々のところにも配られて来た。日本の湯飲み茶碗よりも一回り小さな茶碗に入れられている。

  • 飲むと、少し苦味があるが、それ程でもない。日本の緑茶の方が苦味は強い感じである。<br />我々がお茶を飲んでいる間も前では女の子達が踊っている。それを飲み終えた頃に続けて、次のお茶を配り出している。2杯目のお茶は、甜茶(てんちゃ)である。<br />この甜茶は、先程の&#28900;茶のお茶にお湯を注いで薄め、これにクルミ、乳扇、黒砂糖を入れたお茶である。<br />乳扇とは、一種のチーズで、鍋にホオズキなどで作った酸味の液と牛乳を入れて加熱しながら掻き混ぜ、固めたものである。この甜茶は滋養強壮効果がある。<br />このお茶は先程よりも少し大きな茶碗に入って出て来た。これを飲むと少し甘みがあるが、クルミの匂いと味が強い。そして最後のお茶が配られる。<br />3杯目のお茶は、回味茶(かいみちゃ)である。<br />この回味茶は、&#28900;茶のお茶にお湯を注いで薄めたものに蜂蜜、少量の生姜、山椒、桂皮を入れ煮込んだものである。生姜の辛さと山椒の痺れる様な辛さの後味(中国語で回味という)が良い事から回味茶と呼ばれている。これが、小さな細長い茶碗に入って出て来た。飲むとやはり生姜の味が強い。<br />

    飲むと、少し苦味があるが、それ程でもない。日本の緑茶の方が苦味は強い感じである。
    我々がお茶を飲んでいる間も前では女の子達が踊っている。それを飲み終えた頃に続けて、次のお茶を配り出している。2杯目のお茶は、甜茶(てんちゃ)である。
    この甜茶は、先程の烤茶のお茶にお湯を注いで薄め、これにクルミ、乳扇、黒砂糖を入れたお茶である。
    乳扇とは、一種のチーズで、鍋にホオズキなどで作った酸味の液と牛乳を入れて加熱しながら掻き混ぜ、固めたものである。この甜茶は滋養強壮効果がある。
    このお茶は先程よりも少し大きな茶碗に入って出て来た。これを飲むと少し甘みがあるが、クルミの匂いと味が強い。そして最後のお茶が配られる。
    3杯目のお茶は、回味茶(かいみちゃ)である。
    この回味茶は、烤茶のお茶にお湯を注いで薄めたものに蜂蜜、少量の生姜、山椒、桂皮を入れ煮込んだものである。生姜の辛さと山椒の痺れる様な辛さの後味(中国語で回味という)が良い事から回味茶と呼ばれている。これが、小さな細長い茶碗に入って出て来た。飲むとやはり生姜の味が強い。

  • これで三道茶は終了である。女の子達の踊りも最後の回味茶が出される前に終わっている。<br />李さんが、これからペー族の模擬結婚式の劇(芝居)を行うと言う。<br />すると綺麗な衣装に着替えた男女と両親役と思われる付け髭を付けた男の子や女の子が現れた。花嫁役はサングラスをしている。<br />李さんの説明では親との別れで涙を見せない意味であると言う。要するにサングラスも芝居道具である。<br />内容は良く判らないが、どんどん芝居は進んでいる。結局最後まで内容が判らないままで終わってしまった。最後の全員が勢ぞろいし。挨拶を行い、ショーは終了した。<br />ショーを見終えて、ここの見学も終了である。みんなでトイレを済ませ、入口に戻る。<br />ワゴン車は、入口前の駐車場に停まっていた。それにみんなで乗り込む。再び、喜州への入口に戻り、幹線道路を更に北に走る。喜州の街並みが途切れると、再び田園風景に変る。<br />

    これで三道茶は終了である。女の子達の踊りも最後の回味茶が出される前に終わっている。
    李さんが、これからペー族の模擬結婚式の劇(芝居)を行うと言う。
    すると綺麗な衣装に着替えた男女と両親役と思われる付け髭を付けた男の子や女の子が現れた。花嫁役はサングラスをしている。
    李さんの説明では親との別れで涙を見せない意味であると言う。要するにサングラスも芝居道具である。
    内容は良く判らないが、どんどん芝居は進んでいる。結局最後まで内容が判らないままで終わってしまった。最後の全員が勢ぞろいし。挨拶を行い、ショーは終了した。
    ショーを見終えて、ここの見学も終了である。みんなでトイレを済ませ、入口に戻る。
    ワゴン車は、入口前の駐車場に停まっていた。それにみんなで乗り込む。再び、喜州への入口に戻り、幹線道路を更に北に走る。喜州の街並みが途切れると、再び田園風景に変る。

  • <周城の藍染工房><br />田園風景ではあるが先程とは少し違う。今度は畑が多い。<br />李さんに何が収穫出来るのかを聞くと、ニンニクであると言う。<br />雲南省はニンニク生産でも有名で、多くの国に輸出されているそうだ。<br />特にヨーロッパに多く輸出されているが、日本にも一部が輸出されていると言う。<br />なぜニンニクの生産が盛んなのか?これも李さんに聞くと、勿論この土地の気候もあるが、それ以上にこの土地の赤土が原因であると言う。赤土では農作物の生育が制限され、あまり多用な作物が出来ないそうだ。<br />その中でもニンニクなどは生育が良い為、この雲南ではその生産が多いと言う。<br />確かに最近、中国産のニンニクをスーパーなどで良く見かけるが、これは雲南産のものが多いのかも知れない。走るうちに、その収穫を行っている場面に出くわす。<br />丁度、今が収穫時期なのである。多くの人が広がる畑で、収穫をしている。収穫を終えたニンニクが大きな紫色のネット袋に詰められ、畑に立てられている。その様な光景を見ながら、ワゴン車は北に走る。<br />先程の喜州から15分くらい走ったところで、ワゴン車は幹線道路から外れ、村の中に入って行く。<br />

    <周城の藍染工房>
    田園風景ではあるが先程とは少し違う。今度は畑が多い。
    李さんに何が収穫出来るのかを聞くと、ニンニクであると言う。
    雲南省はニンニク生産でも有名で、多くの国に輸出されているそうだ。
    特にヨーロッパに多く輸出されているが、日本にも一部が輸出されていると言う。
    なぜニンニクの生産が盛んなのか?これも李さんに聞くと、勿論この土地の気候もあるが、それ以上にこの土地の赤土が原因であると言う。赤土では農作物の生育が制限され、あまり多用な作物が出来ないそうだ。
    その中でもニンニクなどは生育が良い為、この雲南ではその生産が多いと言う。
    確かに最近、中国産のニンニクをスーパーなどで良く見かけるが、これは雲南産のものが多いのかも知れない。走るうちに、その収穫を行っている場面に出くわす。
    丁度、今が収穫時期なのである。多くの人が広がる畑で、収穫をしている。収穫を終えたニンニクが大きな紫色のネット袋に詰められ、畑に立てられている。その様な光景を見ながら、ワゴン車は北に走る。
    先程の喜州から15分くらい走ったところで、ワゴン車は幹線道路から外れ、村の中に入って行く。

  • ここが次の目的地の周城である。ここでは藍染工場を見学する予定である。ワゴン車は村の路地道を何度か曲がり、ある小さな入口前まで来た。ここを入る様だ。<br />しかし、その入口は非常に狭く、このワゴン車でも壁ぎりぎりである。その狭い入口を入ると中は広場があり、そこでワゴン車が停止する。<br />工場と聞いていたが、どう見ても民家の様にしか見えない。<br />李さんに聞くと、工場はこの裏で工場見学は行わず、ここにある藍染の製品を見るだけとの事であった。工場と言うよりは工房である。<br />民家の中を通り抜け、中庭に出る。中庭にはおばあさんが椅子に座り、何か手仕事を行っている。<br />何をしているのかと思ったら、李さんが『藍染の絞りの仕事をしているのです。』と教えてくれた。

    ここが次の目的地の周城である。ここでは藍染工場を見学する予定である。ワゴン車は村の路地道を何度か曲がり、ある小さな入口前まで来た。ここを入る様だ。
    しかし、その入口は非常に狭く、このワゴン車でも壁ぎりぎりである。その狭い入口を入ると中は広場があり、そこでワゴン車が停止する。
    工場と聞いていたが、どう見ても民家の様にしか見えない。
    李さんに聞くと、工場はこの裏で工場見学は行わず、ここにある藍染の製品を見るだけとの事であった。工場と言うよりは工房である。
    民家の中を通り抜け、中庭に出る。中庭にはおばあさんが椅子に座り、何か手仕事を行っている。
    何をしているのかと思ったら、李さんが『藍染の絞りの仕事をしているのです。』と教えてくれた。

  • また、この中庭には藍の木もある。また、置いてある桶には藍染液が入っている。<br />部屋には、藍染製品がところ狭しと並べている。ここもペー族の民族衣装を着た若い女の子が藍染製品を見せてくれる。森住さんは徳島出身で、藍染は徳島の特産品でもある為、製品に詳しく、手に取ってはその説明をしてくれる。<br />折角なので、ここで数点の土産物を買う事にした。適当な製品を手に取っては価格を聞く。しかし、どれも中国にしては非常に高い。<br />森住さんに聞くと、徳島の藍染では言われる価格の5倍はすると言う。それを聞くとやはり価格は安い。<br />

    また、この中庭には藍の木もある。また、置いてある桶には藍染液が入っている。
    部屋には、藍染製品がところ狭しと並べている。ここもペー族の民族衣装を着た若い女の子が藍染製品を見せてくれる。森住さんは徳島出身で、藍染は徳島の特産品でもある為、製品に詳しく、手に取ってはその説明をしてくれる。
    折角なので、ここで数点の土産物を買う事にした。適当な製品を手に取っては価格を聞く。しかし、どれも中国にしては非常に高い。
    森住さんに聞くと、徳島の藍染では言われる価格の5倍はすると言う。それを聞くとやはり価格は安い。

  • それで、藍染のポーチ風のものを数点とコースターなどを購入する。全部で1150元(約17、250円)であったが、ディスカウントして貰い、1000元(約15、000円)で購入した。そしておまけとして、ランチョンマットを1枚付けてくれた。<br />時間はまだ充分あると言うので、他の製品も見せて貰うが、やはり高いものばかりである。<br />李さんが、『お茶でも飲んで休んで下さい。』と言うので、中庭にあるテーブルに座る。<br />出されたお茶を見ると青い。藍の葉で作ったお茶なのである。味は普通のお茶に比べ、非常に薄く、少し青臭い。美味しいものでは無かった。<br />このお茶を終え、席を立ち、この場所を後にする。ワゴン車は先程の広場に停まっている。結局、我々以外は誰も来なかった。<br />ワゴン車は入って来た狭い路を通り、村の道に出る。そして再び幹線道路に出る。ここからは、もう立寄る場所もなく、麗江を目指す。<br />

    それで、藍染のポーチ風のものを数点とコースターなどを購入する。全部で1150元(約17、250円)であったが、ディスカウントして貰い、1000元(約15、000円)で購入した。そしておまけとして、ランチョンマットを1枚付けてくれた。
    時間はまだ充分あると言うので、他の製品も見せて貰うが、やはり高いものばかりである。
    李さんが、『お茶でも飲んで休んで下さい。』と言うので、中庭にあるテーブルに座る。
    出されたお茶を見ると青い。藍の葉で作ったお茶なのである。味は普通のお茶に比べ、非常に薄く、少し青臭い。美味しいものでは無かった。
    このお茶を終え、席を立ち、この場所を後にする。ワゴン車は先程の広場に停まっている。結局、我々以外は誰も来なかった。
    ワゴン車は入って来た狭い路を通り、村の道に出る。そして再び幹線道路に出る。ここからは、もう立寄る場所もなく、麗江を目指す。

  • <麗江までの道程><br />時刻は、15時30分を廻っている。ここから麗江までは、約3時間との事である。<br />周りの風景は再び先程の田園風景に変る。その田園風景の中を15分くらい走ると、前に料金所が見えて来た。幹線道路でも有料なのである。高速道路ではない。普通の幹線道路である。李さんに聞くと、中国では良くあり、幹線道路でも70km程度おきにこの様な料金所があると言う。そうなると、麗江までは約300kmなので、4回はこの様な料金所がある事になる。<br />料金所を過ぎると、登り坂が続き出した。先程から森住さんが隣で寝ている。朝早かったせいか、私も眠気が襲って来た。知らない間に寝てしまっていた。<br />

    <麗江までの道程>
    時刻は、15時30分を廻っている。ここから麗江までは、約3時間との事である。
    周りの風景は再び先程の田園風景に変る。その田園風景の中を15分くらい走ると、前に料金所が見えて来た。幹線道路でも有料なのである。高速道路ではない。普通の幹線道路である。李さんに聞くと、中国では良くあり、幹線道路でも70km程度おきにこの様な料金所があると言う。そうなると、麗江までは約300kmなので、4回はこの様な料金所がある事になる。
    料金所を過ぎると、登り坂が続き出した。先程から森住さんが隣で寝ている。朝早かったせいか、私も眠気が襲って来た。知らない間に寝てしまっていた。

  • 次に目が覚めた時には、30分ほど経っていた。周りを見るとヘアピンカーブの道になっている。山肌も赤土が剥き出しの山肌になっている。反対側を見ると凄い谷である。かなり標高が高いところに上がって来ていた。李さんに聞くと、ここで標高は3、400m以上あると言う。大理の蒼山に連なる山々の尾根伝いに道が造られているのである。先程からこの山には木々が見えない。山肌の赤土が見えるだけである。<br />李さんに聞くと、『これは四人組の悪政時に森林を極端に伐採した名残です。』と言う。<br />今は、植林を推進しているが、赤土の為、木の生育なども限られ、現在は赤松の植林を行っていると言う事であった。それにしても酷い伐採である。山全体に木がないのである。<br />しかし、不思議な事にその様な山にも家が見える。単独で存在する家もあるが、集落らしきものを形成しているところもある。何をして生計を立てているのかと思えば、所々で、山羊であろうか放牧をしている光景を見かける。標高も高い、ましてや木も生えていない山で生活をしているのである。<br />逞しいというか、他になぜ住まないのか不思議なくらいである。<br />この辺に住んでいる民族はイ族(彝族)であると言う。山の民である。雲南省や四川省、貴州省などに広く住んでいる少数民族で、少数民族といっても700万人以上いるらしい。また、イ族には昔奴隷制度もあったと言う。<br />ワゴン車は依然山を登り続けている。どの辺りまで登るのだろうか?時々、尾根尾根の間から平地が遥か彼方に見えている。まさに天空の道を走っている感じである。ワゴン車もあまり速度が上がっていない。<br />それでもエンジン音は苦しそうである。標高が高く、空気が薄いためか?<br />李さんに聞いても正確な最高標高は判らない様であるが、3、900m近くまで登っているのではないかと言う。そして、もう直ぐ峠の頂上付近であると言う。頂上付近と言っても、先程と景色が大きく変わった訳でもなく、依然赤土の山肌が見えているだけである。<br />その後、15分くらい走ったら、下りに差し掛かっている。頂上はもう過ぎたのか?<br />李さんに聞くと、もう既に頂上付近は過ぎたと言う。教えて貰いたかった。<br />徐々に下っていたが、少し下ったところで、高原地帯を走り始めた。周りの景色も少し変り、赤松の木々が増え、ぽつぽつと畑も見えている。<br />李さんに何が栽培されているのか聞くと、『たばこです。』と言う。このたばこも雲南の重要な産物であるという。また、この辺りは松茸の産地でもあると言う。確かに赤松の木が非常に多い。<br />『松茸も雲南の重要な産物です。お土産もありますよ!』と李さんが言う。土産とは何かと尋ねると、<br />『乾燥松茸です。』と言う。李さんの旅行社でも取り扱っていると言い、昆明へ戻った日にパンフレットと現物を見せてくれる事になった。<br />この高原地帯を走っていると、トイレのマークの看板が現れる。前方にドライブインが見えて来た。<br />

    次に目が覚めた時には、30分ほど経っていた。周りを見るとヘアピンカーブの道になっている。山肌も赤土が剥き出しの山肌になっている。反対側を見ると凄い谷である。かなり標高が高いところに上がって来ていた。李さんに聞くと、ここで標高は3、400m以上あると言う。大理の蒼山に連なる山々の尾根伝いに道が造られているのである。先程からこの山には木々が見えない。山肌の赤土が見えるだけである。
    李さんに聞くと、『これは四人組の悪政時に森林を極端に伐採した名残です。』と言う。
    今は、植林を推進しているが、赤土の為、木の生育なども限られ、現在は赤松の植林を行っていると言う事であった。それにしても酷い伐採である。山全体に木がないのである。
    しかし、不思議な事にその様な山にも家が見える。単独で存在する家もあるが、集落らしきものを形成しているところもある。何をして生計を立てているのかと思えば、所々で、山羊であろうか放牧をしている光景を見かける。標高も高い、ましてや木も生えていない山で生活をしているのである。
    逞しいというか、他になぜ住まないのか不思議なくらいである。
    この辺に住んでいる民族はイ族(彝族)であると言う。山の民である。雲南省や四川省、貴州省などに広く住んでいる少数民族で、少数民族といっても700万人以上いるらしい。また、イ族には昔奴隷制度もあったと言う。
    ワゴン車は依然山を登り続けている。どの辺りまで登るのだろうか?時々、尾根尾根の間から平地が遥か彼方に見えている。まさに天空の道を走っている感じである。ワゴン車もあまり速度が上がっていない。
    それでもエンジン音は苦しそうである。標高が高く、空気が薄いためか?
    李さんに聞いても正確な最高標高は判らない様であるが、3、900m近くまで登っているのではないかと言う。そして、もう直ぐ峠の頂上付近であると言う。頂上付近と言っても、先程と景色が大きく変わった訳でもなく、依然赤土の山肌が見えているだけである。
    その後、15分くらい走ったら、下りに差し掛かっている。頂上はもう過ぎたのか?
    李さんに聞くと、もう既に頂上付近は過ぎたと言う。教えて貰いたかった。
    徐々に下っていたが、少し下ったところで、高原地帯を走り始めた。周りの景色も少し変り、赤松の木々が増え、ぽつぽつと畑も見えている。
    李さんに何が栽培されているのか聞くと、『たばこです。』と言う。このたばこも雲南の重要な産物であるという。また、この辺りは松茸の産地でもあると言う。確かに赤松の木が非常に多い。
    『松茸も雲南の重要な産物です。お土産もありますよ!』と李さんが言う。土産とは何かと尋ねると、
    『乾燥松茸です。』と言う。李さんの旅行社でも取り扱っていると言い、昆明へ戻った日にパンフレットと現物を見せてくれる事になった。
    この高原地帯を走っていると、トイレのマークの看板が現れる。前方にドライブインが見えて来た。

  • ドライブインと言っても、屋台の店が数件並び、あとは大きなトイレが併設されている広場である。そこで休憩するのかと思ったが、通り過ぎてしまった。<br />もう周城からワゴン車に乗って、1時間半以上経過しているので、少し車を下りて休憩がしたい。その旨を李さんに言うと、『もう直ぐ、鶴慶という街に出ますので、その辺りで休憩しましょう。』と言う。<br />それから、また徐々に下り始める。その後、30分くらい緩やかな下りの道を進んでいたが、いきなり景色が開けた。周りには田んぼや畑、民家が見えて来る。<br />すると前方に街が見えて来た。その街が鶴慶である。街に入る手前でワゴン車を止め、ここで休憩を取る事になった。周りは畑である。今は何も植えられていない。何かを収穫した後の様である。先程、大理の郊外で見たニンニクなのかも知れない。<br />

    ドライブインと言っても、屋台の店が数件並び、あとは大きなトイレが併設されている広場である。そこで休憩するのかと思ったが、通り過ぎてしまった。
    もう周城からワゴン車に乗って、1時間半以上経過しているので、少し車を下りて休憩がしたい。その旨を李さんに言うと、『もう直ぐ、鶴慶という街に出ますので、その辺りで休憩しましょう。』と言う。
    それから、また徐々に下り始める。その後、30分くらい緩やかな下りの道を進んでいたが、いきなり景色が開けた。周りには田んぼや畑、民家が見えて来る。
    すると前方に街が見えて来た。その街が鶴慶である。街に入る手前でワゴン車を止め、ここで休憩を取る事になった。周りは畑である。今は何も植えられていない。何かを収穫した後の様である。先程、大理の郊外で見たニンニクなのかも知れない。

  • この場所で10分程休憩を取り、再びワゴン車は走り出す。直ぐに鶴慶の街に入る。久々に信号機で止まる。鶴慶の街は、然程大きな街ではなく、大理に比べれば非常に殺風景な街である。<br />鶴慶の街を過ぎると、また景色が変り、今度は黄金色の穂を一杯に湛えた田園風景に変る。<br />李さんに聞くと、大麦であると言う。この辺りは大理よりも標高が高いためか、少し収穫の時期などが違っている。しかし、この辺りもまだペー族の住む地域であると言う。<br />雲南ではペー族も大きな少数民族で、その勢力も強い。また、農耕に長けた民族だと言う。<br />この大麦の実った風景がかなり続いた。幾つかの集落を通り過ぎ、また山間に入る。<br />すると大きなゲートが見えて来た。“歓迎 麗江”の文字が見える。もう直ぐ麗江なのか?<br />李さんに確かめると、まだ30km以上あり、前に見えている山の向こう側が麗江であると言う。そして、『もう少し行くと麗江空港があります。』と李さんが付け加える。<br />また、少し走ると登り坂の途中に村があり、その村の外れに麗江空港があるらしい。麗江空港も1999年の花博覧会の際に建設された空港で、現在その増設工事中である。増設工事の終了は来年予定との事。村に差し掛かると、かすかに増設中の空港施設が見えている。更に登り坂が続く。村を抜けると道路の工事現場が道端に見えて来る。高速道路の建設現場である。<br />何でも麗江の街から麗江空港までを高速道路で繋ぐ予定になっているそうだ。また、その高速道路の工事現場の奥に大理で見た高速鉄道の新しい線路が見えている。<br />そろそろ峠に差し掛かって来た。かなり山に登ってきたところで、非常に景色の良いところに出た。<br />ここで、李さんに無理を言い、ワゴン車を止めて貰う。<br />段々畑が眼下に見えている。この景色を森住さんが是非カメラに収めたいと言う。ワゴン車を下り、写真を撮る。山間にある段々畑が非常に綺麗である。<br />

    この場所で10分程休憩を取り、再びワゴン車は走り出す。直ぐに鶴慶の街に入る。久々に信号機で止まる。鶴慶の街は、然程大きな街ではなく、大理に比べれば非常に殺風景な街である。
    鶴慶の街を過ぎると、また景色が変り、今度は黄金色の穂を一杯に湛えた田園風景に変る。
    李さんに聞くと、大麦であると言う。この辺りは大理よりも標高が高いためか、少し収穫の時期などが違っている。しかし、この辺りもまだペー族の住む地域であると言う。
    雲南ではペー族も大きな少数民族で、その勢力も強い。また、農耕に長けた民族だと言う。
    この大麦の実った風景がかなり続いた。幾つかの集落を通り過ぎ、また山間に入る。
    すると大きなゲートが見えて来た。“歓迎 麗江”の文字が見える。もう直ぐ麗江なのか?
    李さんに確かめると、まだ30km以上あり、前に見えている山の向こう側が麗江であると言う。そして、『もう少し行くと麗江空港があります。』と李さんが付け加える。
    また、少し走ると登り坂の途中に村があり、その村の外れに麗江空港があるらしい。麗江空港も1999年の花博覧会の際に建設された空港で、現在その増設工事中である。増設工事の終了は来年予定との事。村に差し掛かると、かすかに増設中の空港施設が見えている。更に登り坂が続く。村を抜けると道路の工事現場が道端に見えて来る。高速道路の建設現場である。
    何でも麗江の街から麗江空港までを高速道路で繋ぐ予定になっているそうだ。また、その高速道路の工事現場の奥に大理で見た高速鉄道の新しい線路が見えている。
    そろそろ峠に差し掛かって来た。かなり山に登ってきたところで、非常に景色の良いところに出た。
    ここで、李さんに無理を言い、ワゴン車を止めて貰う。
    段々畑が眼下に見えている。この景色を森住さんが是非カメラに収めたいと言う。ワゴン車を下り、写真を撮る。山間にある段々畑が非常に綺麗である。

  • ここで、暫し写真を撮った後、再びワゴン車に乗り込み、峠を越える。<br />時刻は既に18時30分になっている。当初の麗江到着予定時刻である。少し寄り道をしていたせいか、時間が掛かっている。峠を越え、下りに差し掛かったところで、また料金所が現れる。高速道路の料金所である。ここから麗江の街までは、高速道路が出来ている。<br />この高速道路に入ると前方が開け、遠くには頂上付近に雪が残る山が見えている。この山が玉龍雪山である。<br />ワゴン車は、高速道路を順調に走る。ここでふと、周辺の風景に違和感を覚える。<br />峠を越えるまでは、綺麗な田園風景が広がっていたのに、この辺りは何もない。ただの荒地である。農地にもなっていない。<br />この事を李さんに聞くと、先程の峠の手前まではペー族の住む地域であったが、峠のこちら側はナシ族(納西族)の住む地域であると言う。<br />ナシ族は人も少なく、その為に充分な農耕が人手不足で行えないのだと言う。<br />高速道路を15分程走ると、玉龍雪山もかなり近くに見えて来た。もう直ぐ、麗江の街に入る。<br />高速道路の終点の料金所に到着し、ここからは幹線道路で麗江の中心街に目指す。

    ここで、暫し写真を撮った後、再びワゴン車に乗り込み、峠を越える。
    時刻は既に18時30分になっている。当初の麗江到着予定時刻である。少し寄り道をしていたせいか、時間が掛かっている。峠を越え、下りに差し掛かったところで、また料金所が現れる。高速道路の料金所である。ここから麗江の街までは、高速道路が出来ている。
    この高速道路に入ると前方が開け、遠くには頂上付近に雪が残る山が見えている。この山が玉龍雪山である。
    ワゴン車は、高速道路を順調に走る。ここでふと、周辺の風景に違和感を覚える。
    峠を越えるまでは、綺麗な田園風景が広がっていたのに、この辺りは何もない。ただの荒地である。農地にもなっていない。
    この事を李さんに聞くと、先程の峠の手前まではペー族の住む地域であったが、峠のこちら側はナシ族(納西族)の住む地域であると言う。
    ナシ族は人も少なく、その為に充分な農耕が人手不足で行えないのだと言う。
    高速道路を15分程走ると、玉龍雪山もかなり近くに見えて来た。もう直ぐ、麗江の街に入る。
    高速道路の終点の料金所に到着し、ここからは幹線道路で麗江の中心街に目指す。

  • <麗江格蘭大酒店および夕食:東京湾><br />程なく麗江の街が見えて来る。麗江の街に入ると以外にも近代的な建物が建ち並んでいる。今ワゴン車が走っている地区は麗江の街の新城地区である。これから古城地区に向かう。ある場所でワゴン車が曲がる。その前にはゲートがある。<br />ここが、麗江の古城地区である。ワゴン車はゲートを通り、古城地区内に入る。右手に古城地区のシンボルのひとつの大きな水車が見えている。その横の白壁には“世界遺産 麗江古城”の文字が見える。その前でワゴン車は左に曲がる。<br />その前の建物が今日の宿泊ホテルの麗江格蘭大酒店である。<br />

    <麗江格蘭大酒店および夕食:東京湾>
    程なく麗江の街が見えて来る。麗江の街に入ると以外にも近代的な建物が建ち並んでいる。今ワゴン車が走っている地区は麗江の街の新城地区である。これから古城地区に向かう。ある場所でワゴン車が曲がる。その前にはゲートがある。
    ここが、麗江の古城地区である。ワゴン車はゲートを通り、古城地区内に入る。右手に古城地区のシンボルのひとつの大きな水車が見えている。その横の白壁には“世界遺産 麗江古城”の文字が見える。その前でワゴン車は左に曲がる。
    その前の建物が今日の宿泊ホテルの麗江格蘭大酒店である。

  • ホテルの前にてワゴン車を降り、ワゴン車から手荷物を出し、フロントに向かい、チェックインを行う。本当に絶好のロケーションのホテルである。<br />チェックインは我々のパスポートを受け取った李さんが行う。チェゥクインを行う間、ホテルのロビーで休憩をする。本当に今日は疲れた。時刻はもう19時である。周りは夕闇に包まれかけている。<br />チェックインが終わり、カードキーを受け取る。李さんと再度待合せ時間を決め、部屋に向かう。部屋は森住さんと同じ3階である。<br />3階まで上がり、部屋に荷物を入れて、必要な物のみを持ち、再びロビーに向かう。<br />3階の窓のところに森住さんがいた。このホテルの窓から見える夕暮れの玉龍雪山をカメラに収めている。<br />

    ホテルの前にてワゴン車を降り、ワゴン車から手荷物を出し、フロントに向かい、チェックインを行う。本当に絶好のロケーションのホテルである。
    チェックインは我々のパスポートを受け取った李さんが行う。チェゥクインを行う間、ホテルのロビーで休憩をする。本当に今日は疲れた。時刻はもう19時である。周りは夕闇に包まれかけている。
    チェックインが終わり、カードキーを受け取る。李さんと再度待合せ時間を決め、部屋に向かう。部屋は森住さんと同じ3階である。
    3階まで上がり、部屋に荷物を入れて、必要な物のみを持ち、再びロビーに向かう。
    3階の窓のところに森住さんがいた。このホテルの窓から見える夕暮れの玉龍雪山をカメラに収めている。

  • 丁度、頂上付近にも余り雲が掛かっていない。私も変わって貰い、写真を撮る。また、そこから窓の下の広場を見るとナシ族の民族衣装を着た一団が楽しそうに踊っている。それもカメラに収める。その後、ロビーに下りる。

    丁度、頂上付近にも余り雲が掛かっていない。私も変わって貰い、写真を撮る。また、そこから窓の下の広場を見るとナシ族の民族衣装を着た一団が楽しそうに踊っている。それもカメラに収める。その後、ロビーに下りる。

  • 李さんは何かフロントと話をしている。少し待つ様に言われ、森住さんといっしょにロビーのソファで待つ。<br />暫くして李さんが戻り、これから夕食である。既に日が落ち、暗くなっている。ホテルを出て、水路沿いにホテル横の路を行き、橋を渡り、対岸の店の並ぶ路地を行く。そして少し行ったところで、その店々のひとつに入る。店の名前は“東京湾”と言う。<br />

    李さんは何かフロントと話をしている。少し待つ様に言われ、森住さんといっしょにロビーのソファで待つ。
    暫くして李さんが戻り、これから夕食である。既に日が落ち、暗くなっている。ホテルを出て、水路沿いにホテル横の路を行き、橋を渡り、対岸の店の並ぶ路地を行く。そして少し行ったところで、その店々のひとつに入る。店の名前は“東京湾”と言う。

  • 今日の夕食場所である。料理は何と日本料理である。この中国の奥地まで来て日本料理である。美味しいものは期待出来ない。<br />店に入ると意外に店には人が多い。結構流行っている様だ。その店の窓際の席に座る。<br />いつも通りに飲物をまず頼む。今回はマンゴージュースを注文する。この店の料理はコース料理であるが、他に追加で注文が可能であると言う。店員にメニューを貰い、食べたいものを探す。<br />スプライトなどの飲物が来て、同時に最初の料理が来る。最初に来たのは野菜サラダである。<br />その後出て来た料理は、以下の通りである。<br /><br /> ①野菜サラダ<br /> ②お寿司(かっぱ巻き/サーモン/たまご)<br /> ③山芋の磯揚げ<br /> ④茶碗蒸し<br /> ⑤天ぷら(ピーマン/ナス/カニかまぼこ/えび)<br /> ⑥焼魚(さんま?)<br /> ⑦味噌汁/ご飯<br /> ⑧松茸と鶏肉の鍋(特別に後で注文した料理)<br />あまり期待はしていなかったが、やはり美味しいとは言い難い。それなりの味なのは、山芋の磯揚げと茶碗蒸しくらいか?また、特別に注文した松茸と鶏肉の鍋もそれ程美味しいものではなかった。もう少し松茸に風味がすると思ったが、全然である。<br />李さんに日本料理のイメージを聞くと、やはり生魚などが新鮮な事であると言う。<br />しかし、李さんは生魚が苦手な様で、どちらかと言うと、日本でも天ぷらなどの揚げものが好きだと言う。<br />時刻は20時30分に近づいている。<br />食事を終え、今日の予定はこれで終了である。再び、ホテルのロビーに戻って、明日の集合時間を決める。明日は8時30分にロビー集合となる。そして明日の朝食場所を確認する。朝食場所はロビー奥のレストランである。今晩はこれで李さんと森住さんと別れる。<br />

    今日の夕食場所である。料理は何と日本料理である。この中国の奥地まで来て日本料理である。美味しいものは期待出来ない。
    店に入ると意外に店には人が多い。結構流行っている様だ。その店の窓際の席に座る。
    いつも通りに飲物をまず頼む。今回はマンゴージュースを注文する。この店の料理はコース料理であるが、他に追加で注文が可能であると言う。店員にメニューを貰い、食べたいものを探す。
    スプライトなどの飲物が来て、同時に最初の料理が来る。最初に来たのは野菜サラダである。
    その後出て来た料理は、以下の通りである。

     ①野菜サラダ
     ②お寿司(かっぱ巻き/サーモン/たまご)
     ③山芋の磯揚げ
     ④茶碗蒸し
     ⑤天ぷら(ピーマン/ナス/カニかまぼこ/えび)
     ⑥焼魚(さんま?)
     ⑦味噌汁/ご飯
     ⑧松茸と鶏肉の鍋(特別に後で注文した料理)
    あまり期待はしていなかったが、やはり美味しいとは言い難い。それなりの味なのは、山芋の磯揚げと茶碗蒸しくらいか?また、特別に注文した松茸と鶏肉の鍋もそれ程美味しいものではなかった。もう少し松茸に風味がすると思ったが、全然である。
    李さんに日本料理のイメージを聞くと、やはり生魚などが新鮮な事であると言う。
    しかし、李さんは生魚が苦手な様で、どちらかと言うと、日本でも天ぷらなどの揚げものが好きだと言う。
    時刻は20時30分に近づいている。
    食事を終え、今日の予定はこれで終了である。再び、ホテルのロビーに戻って、明日の集合時間を決める。明日は8時30分にロビー集合となる。そして明日の朝食場所を確認する。朝食場所はロビー奥のレストランである。今晩はこれで李さんと森住さんと別れる。

  • <麗江古城の夜の街へ><br />一度、部屋に戻り、必要ない物を置く。そして再び、夜の麗江古城の街に出る。<br />まず、ホテル前の古城入口の水車前に行く。水車横の世界遺産 麗江古城を書かれた白壁がライトアップされて綺麗だ。その前は観光客でいっぱいである。夜の21時前であるというのに多くの人で賑わっている。<br />水車前は記念撮影の為の三脚が一杯置かれていた。やはり、夜になると三脚がないと上手く取れないのか?<br />

    <麗江古城の夜の街へ>
    一度、部屋に戻り、必要ない物を置く。そして再び、夜の麗江古城の街に出る。
    まず、ホテル前の古城入口の水車前に行く。水車横の世界遺産 麗江古城を書かれた白壁がライトアップされて綺麗だ。その前は観光客でいっぱいである。夜の21時前であるというのに多くの人で賑わっている。
    水車前は記念撮影の為の三脚が一杯置かれていた。やはり、夜になると三脚がないと上手く取れないのか?

  • 水車前から古城のメインストリートである東大街に入る。この通りは、右手が水路で、左手には店を営む古い家並みが続く。この時間でも殆どの店が開いている。殆どが土産物屋である。どの様なものがあるのかと店内の商品を見ながら、東大街を進む。ほぼ一軒ずつ見ていたので、意外に時間が掛かっていた。

    水車前から古城のメインストリートである東大街に入る。この通りは、右手が水路で、左手には店を営む古い家並みが続く。この時間でも殆どの店が開いている。殆どが土産物屋である。どの様なものがあるのかと店内の商品を見ながら、東大街を進む。ほぼ一軒ずつ見ていたので、意外に時間が掛かっていた。

  • 気が付くと21時30分近くになっている。東大街のほぼ半分くらいの所まで来て、今夜は此処までにして、ホテルに戻る事にした。明日の朝にもう一度、時間のある限り、朝の古城内を廻る事にする。<br />再び、東大街を水車に向かい、通りを戻る。この時間になっても人が減る様子はない。水車前の広場に戻ると益々人が増えている様に思える。それらを横目にホテルに戻る。<br />部屋に戻り、直ぐにシャワーを浴びて長かった1日の疲れを癒す。風呂から出て、テレビを見ながら、今日のまとめを行う。昆明ではNHKのBS日本語放送が入ったが、さすがにこの辺りは無理のようである。どの番組も中国語で何も判らない。取り敢えず、時刻が判る番組にチャンネルを合わせて置く。<br />時刻は22時30分である。今日は朝も早かったので、少し時刻が早いが寝る事にした。<br /><br />今回はここまで! 明日は玉龍雪山と麗江市街の観光。

    気が付くと21時30分近くになっている。東大街のほぼ半分くらいの所まで来て、今夜は此処までにして、ホテルに戻る事にした。明日の朝にもう一度、時間のある限り、朝の古城内を廻る事にする。
    再び、東大街を水車に向かい、通りを戻る。この時間になっても人が減る様子はない。水車前の広場に戻ると益々人が増えている様に思える。それらを横目にホテルに戻る。
    部屋に戻り、直ぐにシャワーを浴びて長かった1日の疲れを癒す。風呂から出て、テレビを見ながら、今日のまとめを行う。昆明ではNHKのBS日本語放送が入ったが、さすがにこの辺りは無理のようである。どの番組も中国語で何も判らない。取り敢えず、時刻が判る番組にチャンネルを合わせて置く。
    時刻は22時30分である。今日は朝も早かったので、少し時刻が早いが寝る事にした。

    今回はここまで! 明日は玉龍雪山と麗江市街の観光。

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