昆明旅行記(ブログ) 一覧に戻る
雲南旅行の4日目。麗江から昆明に戻り、石林観光及び民俗村見学。

雲南旅行記(4日目)

3いいね!

2010/05/01 - 2010/05/05

341位(同エリア499件中)

0

45

パンダ番長

パンダ番長さん

雲南旅行の4日目。麗江から昆明に戻り、石林観光及び民俗村見学。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.0
グルメ
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
25万円 - 30万円

PR

  • <麗江最後の朝と麗江空港までの道程><br />朝少し早いが、5時30分に目覚しをセットしていた。その目覚しで起きる。<br />然程眠い感じもなく、直ぐにベッドから出て身支度を行う。身支度が済むと今日は昆明へ移動なので、荷物を整理する。昨晩購入したお土産類を出来るだけ手荷物カバンに中に詰め込む。入り切らない物は、折り畳みのリュックを持って来たのでその中に入れる。<br />6時になり、1階のレストランに降りる。さすがにこの時間では殆ど人がいない。好きな席に座れる。<br />昨日と同じ席に座り、昨日と同じ様にまず飲物を取り、それから料理を取りに行く。<br />しかし、バイキングなので昨日と料理メニューは同じである。<br />  <br />ほぼ昨日と同じものを取り、早々に食べ終わる。レストランには結局森住さんは現れなかった。<br />昨晩の民族ショーで出会った日本人の家族の方が朝食を食べているのを確認した。どうも同じ日本旅行のツアーであるが、少し我々とはコースが違う様である。<br />親子連れで、ご両親と大学生くらいのお兄さんと高校生くらいの妹の4人である。<br />部屋を戻る途中、3階の廊下の窓際で森住さんを発見した。<br />

    <麗江最後の朝と麗江空港までの道程>
    朝少し早いが、5時30分に目覚しをセットしていた。その目覚しで起きる。
    然程眠い感じもなく、直ぐにベッドから出て身支度を行う。身支度が済むと今日は昆明へ移動なので、荷物を整理する。昨晩購入したお土産類を出来るだけ手荷物カバンに中に詰め込む。入り切らない物は、折り畳みのリュックを持って来たのでその中に入れる。
    6時になり、1階のレストランに降りる。さすがにこの時間では殆ど人がいない。好きな席に座れる。
    昨日と同じ席に座り、昨日と同じ様にまず飲物を取り、それから料理を取りに行く。
    しかし、バイキングなので昨日と料理メニューは同じである。

    ほぼ昨日と同じものを取り、早々に食べ終わる。レストランには結局森住さんは現れなかった。
    昨晩の民族ショーで出会った日本人の家族の方が朝食を食べているのを確認した。どうも同じ日本旅行のツアーであるが、少し我々とはコースが違う様である。
    親子連れで、ご両親と大学生くらいのお兄さんと高校生くらいの妹の4人である。
    部屋を戻る途中、3階の廊下の窓際で森住さんを発見した。

  • 今日もここからの玉龍雪山の朝日に輝く写真を撮るために粘っている様である。近づき、朝の挨拶を行い、気に入った写真が撮れたかを尋ねる。<br />まだ、朝日が当るには少し時間が早い様で、まだ写真は撮れていないと言う。<br />私は、部屋に戻り、再度荷物を確かめる。カメラも取りあえず、手荷物カバンの中に仕舞い込む。<br />少し早いが、6時45分頃に部屋を出る。すると廊下の先で森住さんがまだ粘っている。<br />その場所まで行き、どうですかと尋ねる。<br />すると丁度今、朝日が当たり、頂上付近にも雲があまり懸かっていない状況であると言う。見ると、昨日よりも綺麗に玉龍雪山が見えている。<br />私もその場で手荷物カバンを開け、カメラを取り出し、この朝日の当る玉龍雪山を撮らせて貰う。<br />そして再び、手荷物カバンの中にカメラを仕舞い込む。<br />森住さんといっしょにロビーに下りるつもりであったが、森住さんがギリギリまで粘りたいと言うので、先にロビーに下りる事にした。<br />ロビーに下り、フロントでチェックアウトを済ませ、李さんを待つ。<br /><br />ホテルの駐車場を見ると、既に運転手の和さんは来ている。そこまで行き、朝の挨拶を行い、荷物をワゴン車に乗せて貰う。荷物を乗せて貰っていると李さんが現れた。<br />李さんに森住さんの様子を伝え、森住さんが下りて来るのをロビーで待つ。<br />

    今日もここからの玉龍雪山の朝日に輝く写真を撮るために粘っている様である。近づき、朝の挨拶を行い、気に入った写真が撮れたかを尋ねる。
    まだ、朝日が当るには少し時間が早い様で、まだ写真は撮れていないと言う。
    私は、部屋に戻り、再度荷物を確かめる。カメラも取りあえず、手荷物カバンの中に仕舞い込む。
    少し早いが、6時45分頃に部屋を出る。すると廊下の先で森住さんがまだ粘っている。
    その場所まで行き、どうですかと尋ねる。
    すると丁度今、朝日が当たり、頂上付近にも雲があまり懸かっていない状況であると言う。見ると、昨日よりも綺麗に玉龍雪山が見えている。
    私もその場で手荷物カバンを開け、カメラを取り出し、この朝日の当る玉龍雪山を撮らせて貰う。
    そして再び、手荷物カバンの中にカメラを仕舞い込む。
    森住さんといっしょにロビーに下りるつもりであったが、森住さんがギリギリまで粘りたいと言うので、先にロビーに下りる事にした。
    ロビーに下り、フロントでチェックアウトを済ませ、李さんを待つ。

    ホテルの駐車場を見ると、既に運転手の和さんは来ている。そこまで行き、朝の挨拶を行い、荷物をワゴン車に乗せて貰う。荷物を乗せて貰っていると李さんが現れた。
    李さんに森住さんの様子を伝え、森住さんが下りて来るのをロビーで待つ。

  • 7時丁度にロビーに森住さんが下りて来た。フロントで李さんといっしょにチェックアウトを済ませる。<br />みんなでワゴン車へ向かう途中で、森住さんに気に入った写真が撮れたかを聞くと、先程私が居た時間帯が最も状況が良かったと言う。あれからは頂上付近に雲の懸かりが多くなったそうだ。<br />ワゴン車に乗り込み、これから麗江空港に向かう。<br />ホテルを出たワゴン車は、古城の入口ゲートを抜け、東大街の道を右に曲がり、昨晩民族ショーを見た雲南麗江国際民族文化交流中心劇場の手前の交差点を再び右に曲がり、鎮東路と言う道に入る。この道は丁度、古城を見下ろす高台の中腹付近を抜ける道である。<br />この鎮東路を通り、ワゴン車は東に進む。少し行くと行きでも使用した高速道路の入口に到着する。<br />この高速道路を使用して麗江空港まで行く。朝の早い時間でもあり、高速道路を走る車は一台もない。<br />殆ど真直ぐな道路であるが、前を走る車が見せない。その様な状況で10分くらい走っていたが、急に後方から乗用車に追い越された。追い越して行った乗用車も見る見る内に見えなくなる。非常に猛スピードで走っている。我々のワゴン車は適度なスピードで、景色を楽しみながらである。<br />先程から李さんと運転手の和さんが盛んに話をしているが、何を話しているのか?<br />高速道路に乗っている間は、森住さんも私も景色を見ているだけで殆ど無言であった。<br />高速道路を下りて一般の幹線道路に入る。村の近くまで来ると道路脇を歩くジャージ姿の子供達が現れる。概ね2人、3人がいっしょに歩いている。<br />李さんに聞くと登校風景であると言う。今日は労働節で子供も休みなのではないのかと聞くと、<br />『農村地帯では労働節は5月3日までです。また、公営企業も5月3日まで。5月5日まで労働節で休んでいるのは、私営の企業だけです。』と言う。<br />それで子供達も今日から学校なのである。それとこの辺の子供達は集団で登校していると言う。<br />少数民族の村では、小さい頃から許婚の風習があり、数年の歳の離れた男女で登校しているのは、その許婚のカップルであると言う。良く見ていると、謂われる様な組み合わせで登校している子供を何組か見かける。<br />これは女の子の親が許婚の男の子に女の子の面倒を見る事をさせているのであると言う。その場合、昼食なども含め、男の子の家族がこの女の子の面倒を見る事になるそうだ。<br />勿論、みんな歩いての登校で、学校が家から遠い子供はお弁当を持参しているが殆どの子供が昼食時には家に帰り食事を摂り、再び学校へ登校するそうだ。その為に昼休みは2時間程あると言う。<br />村を抜けると高速道路の工事現場が見えて来る。行きにこの場所を通った時は、労働節で工事が休みであったのか、工事現場に人は見えなかったが、今日はこの朝の早い時間から既に作業が始まっている。<br />中国らしく重機はなく、多くの人達が、蟻が何かに群がる様に工事現場に群がっている。この高速道路も来年の麗江空港の増設工事完成に合わせて完成する予定であると李さんが教えてくれる。<br />程なく幹線道路から外れ、麗江空港への道を取る。<br />遠くからでも増設中の麗江空港のターミナル棟が見えている。麗江の街で見た特徴のある屋根を模したターミナルの建物である。その増設中の大きなターミナルの横に小さな2階建ての現空港ターミナルがある。<br />ワゴン車はその入口前で停車する。ワゴン車を降り、荷物を受け取る。<br />ここで運転手の和さんとはお別れである。運転手の和さんにお礼のつもりで、20元(約300円)を渡すが、照れて受け取らない。仕方なく、握手をして別れた。<br />

    7時丁度にロビーに森住さんが下りて来た。フロントで李さんといっしょにチェックアウトを済ませる。
    みんなでワゴン車へ向かう途中で、森住さんに気に入った写真が撮れたかを聞くと、先程私が居た時間帯が最も状況が良かったと言う。あれからは頂上付近に雲の懸かりが多くなったそうだ。
    ワゴン車に乗り込み、これから麗江空港に向かう。
    ホテルを出たワゴン車は、古城の入口ゲートを抜け、東大街の道を右に曲がり、昨晩民族ショーを見た雲南麗江国際民族文化交流中心劇場の手前の交差点を再び右に曲がり、鎮東路と言う道に入る。この道は丁度、古城を見下ろす高台の中腹付近を抜ける道である。
    この鎮東路を通り、ワゴン車は東に進む。少し行くと行きでも使用した高速道路の入口に到着する。
    この高速道路を使用して麗江空港まで行く。朝の早い時間でもあり、高速道路を走る車は一台もない。
    殆ど真直ぐな道路であるが、前を走る車が見せない。その様な状況で10分くらい走っていたが、急に後方から乗用車に追い越された。追い越して行った乗用車も見る見る内に見えなくなる。非常に猛スピードで走っている。我々のワゴン車は適度なスピードで、景色を楽しみながらである。
    先程から李さんと運転手の和さんが盛んに話をしているが、何を話しているのか?
    高速道路に乗っている間は、森住さんも私も景色を見ているだけで殆ど無言であった。
    高速道路を下りて一般の幹線道路に入る。村の近くまで来ると道路脇を歩くジャージ姿の子供達が現れる。概ね2人、3人がいっしょに歩いている。
    李さんに聞くと登校風景であると言う。今日は労働節で子供も休みなのではないのかと聞くと、
    『農村地帯では労働節は5月3日までです。また、公営企業も5月3日まで。5月5日まで労働節で休んでいるのは、私営の企業だけです。』と言う。
    それで子供達も今日から学校なのである。それとこの辺の子供達は集団で登校していると言う。
    少数民族の村では、小さい頃から許婚の風習があり、数年の歳の離れた男女で登校しているのは、その許婚のカップルであると言う。良く見ていると、謂われる様な組み合わせで登校している子供を何組か見かける。
    これは女の子の親が許婚の男の子に女の子の面倒を見る事をさせているのであると言う。その場合、昼食なども含め、男の子の家族がこの女の子の面倒を見る事になるそうだ。
    勿論、みんな歩いての登校で、学校が家から遠い子供はお弁当を持参しているが殆どの子供が昼食時には家に帰り食事を摂り、再び学校へ登校するそうだ。その為に昼休みは2時間程あると言う。
    村を抜けると高速道路の工事現場が見えて来る。行きにこの場所を通った時は、労働節で工事が休みであったのか、工事現場に人は見えなかったが、今日はこの朝の早い時間から既に作業が始まっている。
    中国らしく重機はなく、多くの人達が、蟻が何かに群がる様に工事現場に群がっている。この高速道路も来年の麗江空港の増設工事完成に合わせて完成する予定であると李さんが教えてくれる。
    程なく幹線道路から外れ、麗江空港への道を取る。
    遠くからでも増設中の麗江空港のターミナル棟が見えている。麗江の街で見た特徴のある屋根を模したターミナルの建物である。その増設中の大きなターミナルの横に小さな2階建ての現空港ターミナルがある。
    ワゴン車はその入口前で停車する。ワゴン車を降り、荷物を受け取る。
    ここで運転手の和さんとはお別れである。運転手の和さんにお礼のつもりで、20元(約300円)を渡すが、照れて受け取らない。仕方なく、握手をして別れた。

  • <麗江空港から昆明空港へ:MU5759便><br />我々は空港ターミナル内に入る。時刻は7時20分である。道が空いていたせいか、比較的早く麗江空港に到着した。朝早い時間帯にも関わらず、空港内は人で一杯である。<br />高い天井付近に下げられた出発案内板を見ると、丁度似たような時間帯に3便飛ぶ様である。それもすべてが昆明経由便である。一旦は昆明に飛んで、そこから各地に再び飛ぶのである。<br />それぞれの便毎にカウンターが違う。<br />どれに並ぶのかを李さんに尋ねると真ん中の列に並ぶ様に言われ、その後李さんがどこかに消えてしまった。<br />私と森住さんはその列で順番を待つ。徐々に列の前に近づき、あと数人で我々の順番であるが、まだ李さんが戻って来ない。その場で後ろの人に先に順番を譲り、李さんを待つ。<br />やっとの事、李さんが戻り、並んでいた列でない事が判り、再び一番奥の列に並び直す。<br />結局、一番最後に搭乗手続きを行う破目になった。その為に3人がバラバラの席になっている。<br />李さんにどこに行っていたのか聞くと、同僚の若手ガイドの面倒を見に行っていたそうで、どうもその若手が事前の搭乗予約が出来ておらず、同じ便に乗れない可能性があったそうで、その調整の手伝いを行っていたと言う。結果がどうなったのかを聞くと、やはりエコノミー席はなく、その若手の自腹でビジネスに乗る事になったと言う。自腹でビジネスとはかわいそうである。<br />手荷物カバンを預け、時間も余りないので、直ぐに手荷物検査所に向かう。ここでも厳重な手荷物検査を受け、今までと同様に靴まで脱がされ、やっとの思いで出発ロビーに入る。<br />

    <麗江空港から昆明空港へ:MU5759便>
    我々は空港ターミナル内に入る。時刻は7時20分である。道が空いていたせいか、比較的早く麗江空港に到着した。朝早い時間帯にも関わらず、空港内は人で一杯である。
    高い天井付近に下げられた出発案内板を見ると、丁度似たような時間帯に3便飛ぶ様である。それもすべてが昆明経由便である。一旦は昆明に飛んで、そこから各地に再び飛ぶのである。
    それぞれの便毎にカウンターが違う。
    どれに並ぶのかを李さんに尋ねると真ん中の列に並ぶ様に言われ、その後李さんがどこかに消えてしまった。
    私と森住さんはその列で順番を待つ。徐々に列の前に近づき、あと数人で我々の順番であるが、まだ李さんが戻って来ない。その場で後ろの人に先に順番を譲り、李さんを待つ。
    やっとの事、李さんが戻り、並んでいた列でない事が判り、再び一番奥の列に並び直す。
    結局、一番最後に搭乗手続きを行う破目になった。その為に3人がバラバラの席になっている。
    李さんにどこに行っていたのか聞くと、同僚の若手ガイドの面倒を見に行っていたそうで、どうもその若手が事前の搭乗予約が出来ておらず、同じ便に乗れない可能性があったそうで、その調整の手伝いを行っていたと言う。結果がどうなったのかを聞くと、やはりエコノミー席はなく、その若手の自腹でビジネスに乗る事になったと言う。自腹でビジネスとはかわいそうである。
    手荷物カバンを預け、時間も余りないので、直ぐに手荷物検査所に向かう。ここでも厳重な手荷物検査を受け、今までと同様に靴まで脱がされ、やっとの思いで出発ロビーに入る。

  • 出発ロビーは2箇所に別れており、その場の席はほぼ満席である。その席の周りに土産物屋が少しある。<br />その店は土産物を売っていると言うよりは、展示している感じで店員が殆どいない。<br />私もその土産物を見るだけであった。指して欲しいものも置いてなかったが?<br />その出発ロビーで15分程待って、搭乗が開始された。時刻は8時10分である。<br />機体は昆明から大理に飛んだ時に乗った機体と同じである。機内に入ると、李さんに合図する若者がビジネスシートに座っている。この若者が、李さんが言っていた同僚である。意外にも笑顔である。自腹とは言ってもやはりビジネスシートに座る事に優越感を感じている様子である。<br />機内はやはり、片側3人掛けのシートである。私は通路側の席に座る事になった。森住さんも私の少し前の通路側に座っている。李さんは更に前の方の真ん中の席である。<br />全員の搭乗が終了すると、機体が動き出す。小さな空港なので動き出した機体は直ぐに滑走路脇まで出る。<br />そこで一旦離陸待ちで止まる。再び動き出し、滑走路へ出ると加速を開始し、無事定刻の8時40分に麗江空港を離陸した。周りに山々が迫っているせいか、急激に上昇をしている。機内の通路もかなりの角度に傾いている。かなりの時間同様の角度で上昇を続けていた様に感じたが、10分程であった。<br />その後、話相手もいないので、いつの間にか寝てしまった。<br />目が覚めたのは、到着予定時刻の10分程前である。到着予定時刻は9時30分である。<br />徐々に機体が降下しているのが判る。しかし、まだ窓の外には雲しか見えていない。暫く外の景色を見ていたが、雲しか見えない為に再びうとうとと寝てしまい、着陸の衝撃で目が覚めた。<br />時刻は9時35分、定刻より5分遅れの到着である。<br />着陸後、然程時間が掛からず、ターミナルに到着し、乗客が降り始める。国内線なので、通路を通り、そのまま手荷物受取所に出る。ここでまた少し時間を要する。いつもの事ながらなかなか荷物が出てこない。<br />ここで20分程待つ事になった。<br />手荷物を取り上げ、空港の駐車場へ急ぐ。駐車場の入口付近で一台の乗用車が待っている。3日前にこの昆明空港まで送ってくれた車である。私と森住さんはその車に気づいたが、李さんは判らなかった様で、仕切に車を探していた。我々がその車を指すと、違うと言うが近くまで行き、その車である事を確認すると頭を掻いていた。<br />運転手も同じ人である。荷物を乗せ、その車に乗り込む。<br />

    出発ロビーは2箇所に別れており、その場の席はほぼ満席である。その席の周りに土産物屋が少しある。
    その店は土産物を売っていると言うよりは、展示している感じで店員が殆どいない。
    私もその土産物を見るだけであった。指して欲しいものも置いてなかったが?
    その出発ロビーで15分程待って、搭乗が開始された。時刻は8時10分である。
    機体は昆明から大理に飛んだ時に乗った機体と同じである。機内に入ると、李さんに合図する若者がビジネスシートに座っている。この若者が、李さんが言っていた同僚である。意外にも笑顔である。自腹とは言ってもやはりビジネスシートに座る事に優越感を感じている様子である。
    機内はやはり、片側3人掛けのシートである。私は通路側の席に座る事になった。森住さんも私の少し前の通路側に座っている。李さんは更に前の方の真ん中の席である。
    全員の搭乗が終了すると、機体が動き出す。小さな空港なので動き出した機体は直ぐに滑走路脇まで出る。
    そこで一旦離陸待ちで止まる。再び動き出し、滑走路へ出ると加速を開始し、無事定刻の8時40分に麗江空港を離陸した。周りに山々が迫っているせいか、急激に上昇をしている。機内の通路もかなりの角度に傾いている。かなりの時間同様の角度で上昇を続けていた様に感じたが、10分程であった。
    その後、話相手もいないので、いつの間にか寝てしまった。
    目が覚めたのは、到着予定時刻の10分程前である。到着予定時刻は9時30分である。
    徐々に機体が降下しているのが判る。しかし、まだ窓の外には雲しか見えていない。暫く外の景色を見ていたが、雲しか見えない為に再びうとうとと寝てしまい、着陸の衝撃で目が覚めた。
    時刻は9時35分、定刻より5分遅れの到着である。
    着陸後、然程時間が掛からず、ターミナルに到着し、乗客が降り始める。国内線なので、通路を通り、そのまま手荷物受取所に出る。ここでまた少し時間を要する。いつもの事ながらなかなか荷物が出てこない。
    ここで20分程待つ事になった。
    手荷物を取り上げ、空港の駐車場へ急ぐ。駐車場の入口付近で一台の乗用車が待っている。3日前にこの昆明空港まで送ってくれた車である。私と森住さんはその車に気づいたが、李さんは判らなかった様で、仕切に車を探していた。我々がその車を指すと、違うと言うが近くまで行き、その車である事を確認すると頭を掻いていた。
    運転手も同じ人である。荷物を乗せ、その車に乗り込む。

  • <昆明から石林までの道程><br />車は空港駐車場を抜け、一路昆明の東南に位置する石林を目指す。一旦市街地に入った車は高速道路に乗り、石林を目指す。昆明から石林までは、約100km、殆ど高速道路で行けるそうだ。<br />我々の乗る車は高速道路を軽快に走る。程なく、昆明郊外に出る。<br />周りに見える景色は麗江とは違い、山々の裾野には畑があり、開けた場所には田園風景が広がる。また、田園風景に混じり、ところどころにビニルハウスが見える。非常に日本の農村の風景に似ている。<br />ビニルハウスでは何が栽培されているのかを聞くと、様々な物があるが、主な物はトマトであると言う。<br />その様な景色が当分続いたが、登り坂に差し掛かると前方にトンネルが見えて来た。トンネルに近づくと、湖が見えて来る。阻宗海である。トンネルを抜けるとはっきりと阻宗海が左手に見える。<br />李さんによるとこの阻宗海の近くにはこの雲南でも有名なシンガポール資本のゴルフ場があると言う。<br />その湖を過ぎると、少し景色が変って来た。山肌に赤土が剥き出しの山が増えている。山肌の畑の様子も少し違う。小さな木の様なものが多くなっている。<br />李さんに聞くと、この辺りは赤土の土地が多く、作物が制限されていると言う。<br />お茶や果物類が栽培されている事が多いと言う。雲南地方の特産物は、意外に少なく、有名な物は栗と松茸、前に大理の郊外で見たニンニクなどである。雲南では栗も有名で、中国では天津甘栗が有名であるが、今はこの雲南の栗が日本などの海外への輸出量が多いと言う。我々がスーパーなどで買う甘栗もこの雲南地方の栗が多いのかも知れない。それも数年前からのもので、その理由がこの高速道路である。<br />今走っている高速道路は、昆石高速と言う昆明と石林を結ぶ高速道路である。<br />しかし、この高速道路網は既に昆明と南シナ海沿いの東海岸の北海市を結んでいる。約1000kmの高速道路網である。この高速道路の完成が昆明などの山奥の都市からでも世界に物資の輸出が可能になり、また昆明などでも海の幸が食べられる様になって来た。<br />その様な話を聞いていると、また周りの景色が変る。山肌に灰色の岩がところどころに出ている。この景色は日本の山口の秋吉台に見られるカルスト地形に非常に似ている。<br />もう石林が近いのである。石林に似た風景が周りに徐々に増えてくる。すると高速の料金所が見えて来た。料金所には大きく石林の文字が見える。時刻は10時過ぎである。<br />

    <昆明から石林までの道程>
    車は空港駐車場を抜け、一路昆明の東南に位置する石林を目指す。一旦市街地に入った車は高速道路に乗り、石林を目指す。昆明から石林までは、約100km、殆ど高速道路で行けるそうだ。
    我々の乗る車は高速道路を軽快に走る。程なく、昆明郊外に出る。
    周りに見える景色は麗江とは違い、山々の裾野には畑があり、開けた場所には田園風景が広がる。また、田園風景に混じり、ところどころにビニルハウスが見える。非常に日本の農村の風景に似ている。
    ビニルハウスでは何が栽培されているのかを聞くと、様々な物があるが、主な物はトマトであると言う。
    その様な景色が当分続いたが、登り坂に差し掛かると前方にトンネルが見えて来た。トンネルに近づくと、湖が見えて来る。阻宗海である。トンネルを抜けるとはっきりと阻宗海が左手に見える。
    李さんによるとこの阻宗海の近くにはこの雲南でも有名なシンガポール資本のゴルフ場があると言う。
    その湖を過ぎると、少し景色が変って来た。山肌に赤土が剥き出しの山が増えている。山肌の畑の様子も少し違う。小さな木の様なものが多くなっている。
    李さんに聞くと、この辺りは赤土の土地が多く、作物が制限されていると言う。
    お茶や果物類が栽培されている事が多いと言う。雲南地方の特産物は、意外に少なく、有名な物は栗と松茸、前に大理の郊外で見たニンニクなどである。雲南では栗も有名で、中国では天津甘栗が有名であるが、今はこの雲南の栗が日本などの海外への輸出量が多いと言う。我々がスーパーなどで買う甘栗もこの雲南地方の栗が多いのかも知れない。それも数年前からのもので、その理由がこの高速道路である。
    今走っている高速道路は、昆石高速と言う昆明と石林を結ぶ高速道路である。
    しかし、この高速道路網は既に昆明と南シナ海沿いの東海岸の北海市を結んでいる。約1000kmの高速道路網である。この高速道路の完成が昆明などの山奥の都市からでも世界に物資の輸出が可能になり、また昆明などでも海の幸が食べられる様になって来た。
    その様な話を聞いていると、また周りの景色が変る。山肌に灰色の岩がところどころに出ている。この景色は日本の山口の秋吉台に見られるカルスト地形に非常に似ている。
    もう石林が近いのである。石林に似た風景が周りに徐々に増えてくる。すると高速の料金所が見えて来た。料金所には大きく石林の文字が見える。時刻は10時過ぎである。

  • <石林風景区の観光><br />ここからは一般道で石林に向かう。石林は正式には石林風景区と言う。この石林風景区も玉龍雪山風景名勝区と同じく5Aの景勝区である。また、中国南部のカルスト地帯で2007年に登録された世界自然遺産でもある。この中国南部のカルスト地帯は、この石林の他には、重慶市の武陵、貴州省の茘波の2ヶ所が登録の対象となっている。<br />高速道路を下り、一般道に入ったら直ぐに石林の朱文字が刻まれた大岩が見えて来た。その脇を抜ける。<br />ここからが石林風景区である。道の横には大きな岩が聳えている。<br />道は木立の間を抜け、建物が並ぶ一角で止まる。目の前には門が見える。李さんが車を降りて、手続きをする為に門の脇の事務所らしき場所に行く。<br />暫くして李さんが戻り、車の運転手に通行証の様な物を渡し、門に進む。門の警備員にその通行証を見せ、車のまま門を通過する。<br />石林湖と言う大きな池のような湖に掛かった橋を渡り、道が二手に別れている。その道を右手に。<br />少し行くとまた道が別れ、丘の上に登る道を進む。そこにはホテルらしきものが建っている。石林賓館である。<br />この前で車を降りる。するとその前には、麗江のホテルでいっしょであった日本旅行のツアーに参加している日本人の家族がいるではないか?同じ様な時間帯に着いていたのである。<br />ここからは電気自動車に乗るのか、目の前には電気自動車が一台止まっている。李さんに、これに乗るのかと聞くと、少し待つ様に言われる。ここに来て、日差しが強くなり、暑くなって来た。<br />

    <石林風景区の観光>
    ここからは一般道で石林に向かう。石林は正式には石林風景区と言う。この石林風景区も玉龍雪山風景名勝区と同じく5Aの景勝区である。また、中国南部のカルスト地帯で2007年に登録された世界自然遺産でもある。この中国南部のカルスト地帯は、この石林の他には、重慶市の武陵、貴州省の茘波の2ヶ所が登録の対象となっている。
    高速道路を下り、一般道に入ったら直ぐに石林の朱文字が刻まれた大岩が見えて来た。その脇を抜ける。
    ここからが石林風景区である。道の横には大きな岩が聳えている。
    道は木立の間を抜け、建物が並ぶ一角で止まる。目の前には門が見える。李さんが車を降りて、手続きをする為に門の脇の事務所らしき場所に行く。
    暫くして李さんが戻り、車の運転手に通行証の様な物を渡し、門に進む。門の警備員にその通行証を見せ、車のまま門を通過する。
    石林湖と言う大きな池のような湖に掛かった橋を渡り、道が二手に別れている。その道を右手に。
    少し行くとまた道が別れ、丘の上に登る道を進む。そこにはホテルらしきものが建っている。石林賓館である。
    この前で車を降りる。するとその前には、麗江のホテルでいっしょであった日本旅行のツアーに参加している日本人の家族がいるではないか?同じ様な時間帯に着いていたのである。
    ここからは電気自動車に乗るのか、目の前には電気自動車が一台止まっている。李さんに、これに乗るのかと聞くと、少し待つ様に言われる。ここに来て、日差しが強くなり、暑くなって来た。

  • 李さんが気を利かせて、ミネラル水を買ってきてくれた。<br />暫く、この場で待っていたが、結局前に止まっている電気自動車に乗り込む。まずはこの電気自動車で外石林を見学するのである。<br />外石林は、環石林公路を通り、その周りの風景を見学するのである。電気自動車に乗り、少し行くと村が現れる。周りには畑も見える。鍬を担いだおじいさんが、この電気自動車の通る石畳の上を歩いている。<br />そのおじいさんを避けながら電気自動車は村を抜け、更に進む。この電気自動車が通る石畳はこの為に造られたものである。この様な光景を楽しみながら、先程李さんが買って来てくれたミネラル水を飲み、喉を潤す。暫く行くと、風景が開け、周りには石の林が延々と続いている。<br />この右手に見えているのが、万年霊芝景区である。遠くまで景色が続いている。左手には、大石林区が見えている。<br />途中で電気自動車が止まる。ここに展望場所がある。ここから大石林区の景色を展望出来るのである。<br />また、この辺りに咲く花が綺麗である。<br /> <br />

    李さんが気を利かせて、ミネラル水を買ってきてくれた。
    暫く、この場で待っていたが、結局前に止まっている電気自動車に乗り込む。まずはこの電気自動車で外石林を見学するのである。
    外石林は、環石林公路を通り、その周りの風景を見学するのである。電気自動車に乗り、少し行くと村が現れる。周りには畑も見える。鍬を担いだおじいさんが、この電気自動車の通る石畳の上を歩いている。
    そのおじいさんを避けながら電気自動車は村を抜け、更に進む。この電気自動車が通る石畳はこの為に造られたものである。この様な光景を楽しみながら、先程李さんが買って来てくれたミネラル水を飲み、喉を潤す。暫く行くと、風景が開け、周りには石の林が延々と続いている。
    この右手に見えているのが、万年霊芝景区である。遠くまで景色が続いている。左手には、大石林区が見えている。
    途中で電気自動車が止まる。ここに展望場所がある。ここから大石林区の景色を展望出来るのである。
    また、この辺りに咲く花が綺麗である。

  • この場所でみんな記念撮影をしている。我々もここで大石林区をバックに記念撮影を行う。<br />すると先程、我々の前を歩いていたおじいさんが、大石林の中を歩いているのが、見えている。この中にも畑があるのだろうか?<br />再び、電気自動車に乗り込み石畳の道を行く。大石林の外縁を通り、環石林公路が続く。<br />暫く行くと、また少し景色が変り、比較的大きな岩の塊が並ぶ風景が右手に現れる。その岩を良く見ると、岩の途中に筋の様な切れ目が見える。<br />李さんに聞くと、この石林は元々海の底で、火山地帯であり、3回の火山の大きな噴火で形成された大地が2億八千万年前の地殻変動で隆起により、岩面が地表に露出した。その岩盤が長年の風雨で浸食され、鉱物を含む硬い岩だけが残され、現在の奇怪な風景を作り出された。<br />

    この場所でみんな記念撮影をしている。我々もここで大石林区をバックに記念撮影を行う。
    すると先程、我々の前を歩いていたおじいさんが、大石林の中を歩いているのが、見えている。この中にも畑があるのだろうか?
    再び、電気自動車に乗り込み石畳の道を行く。大石林の外縁を通り、環石林公路が続く。
    暫く行くと、また少し景色が変り、比較的大きな岩の塊が並ぶ風景が右手に現れる。その岩を良く見ると、岩の途中に筋の様な切れ目が見える。
    李さんに聞くと、この石林は元々海の底で、火山地帯であり、3回の火山の大きな噴火で形成された大地が2億八千万年前の地殻変動で隆起により、岩面が地表に露出した。その岩盤が長年の風雨で浸食され、鉱物を含む硬い岩だけが残され、現在の奇怪な風景を作り出された。

  • 現在、岩の途中に見える筋の様な切れ目は岩盤が形成される際の噴火で体積した溶岩層(火山灰層)の境目であるそうだ。確かに良く見ると、2つの筋状の切れ目がある岩も見える。<br />ここでも電気自動車が止まり、その場の景色を見学する。この右手に見えるのが、李子園景区である。<br />    <br />また、この場所で記念撮影を行う。我々が記念撮影を行っていると後から別の電気自動車が数台続けて来た。しかし、この場所で止まる事なく、我々の電気自動車を追い抜いて行く。<br />我々も電気自動車に乗り込み、その後に続く。起伏のある石畳の道を電気自動車はゆっくりと走る。同じ様な景色が続いていたが、少し開けた場所で再び電気自動車が停止する。<br />電気自動車を降り、岩の林立する中に少し入って行く。何があるのかと思ったら化石である。巻貝の一種の化石が大きな岩の表面にひとつだけ確認出来る。<br />どうもこの石林ではこの様な化石が残っているところが少ないのか、珍しいのである。確かに昔は海底であったとしても、残っている部分の岩が殆ど溶岩である為に化石が残る確立は非常に低いと思われる。わざわざ、このひとつの化石の為に大きな説明書きのパネルまである。<br />

    現在、岩の途中に見える筋の様な切れ目は岩盤が形成される際の噴火で体積した溶岩層(火山灰層)の境目であるそうだ。確かに良く見ると、2つの筋状の切れ目がある岩も見える。
    ここでも電気自動車が止まり、その場の景色を見学する。この右手に見えるのが、李子園景区である。

    また、この場所で記念撮影を行う。我々が記念撮影を行っていると後から別の電気自動車が数台続けて来た。しかし、この場所で止まる事なく、我々の電気自動車を追い抜いて行く。
    我々も電気自動車に乗り込み、その後に続く。起伏のある石畳の道を電気自動車はゆっくりと走る。同じ様な景色が続いていたが、少し開けた場所で再び電気自動車が停止する。
    電気自動車を降り、岩の林立する中に少し入って行く。何があるのかと思ったら化石である。巻貝の一種の化石が大きな岩の表面にひとつだけ確認出来る。
    どうもこの石林ではこの様な化石が残っているところが少ないのか、珍しいのである。確かに昔は海底であったとしても、残っている部分の岩が殆ど溶岩である為に化石が残る確立は非常に低いと思われる。わざわざ、このひとつの化石の為に大きな説明書きのパネルまである。

  • それを見終え、電気自動車に戻る。この辺りまで来るとなぜかこの電気自動車の通る石畳の上を歩いている人が多くなる。暫く行くとその理由が判った。もう出発地点のホテルに非常に近かった為である。<br />我々はホテルまでは帰らず、その手前の小石林のところでこの電気自動車を降りる。<br />小石林は、小さな石の柱が並ぶところを想像していたが、そうではなく、むしろひとつひとつが独立した景観を造り出し、下が芝生である事も相まって、日本で言う石庭を大きくした様な光景である。<br />分割された庭園を造り、非常に綺麗である。中の方までは入らず、小石林の入口付近で記念撮影を行い、引き返す。<br />

    それを見終え、電気自動車に戻る。この辺りまで来るとなぜかこの電気自動車の通る石畳の上を歩いている人が多くなる。暫く行くとその理由が判った。もう出発地点のホテルに非常に近かった為である。
    我々はホテルまでは帰らず、その手前の小石林のところでこの電気自動車を降りる。
    小石林は、小さな石の柱が並ぶところを想像していたが、そうではなく、むしろひとつひとつが独立した景観を造り出し、下が芝生である事も相まって、日本で言う石庭を大きくした様な光景である。
    分割された庭園を造り、非常に綺麗である。中の方までは入らず、小石林の入口付近で記念撮影を行い、引き返す。

  • 丁度、小石林の前辺りに人口の池がある。蓮華池がある。その周りには綺麗に花が植えられている。<br />ここから、徒歩でメインとなる大石林区の中に入る。<br />  <br />大石林は、先程の小石林に比べれば、無機質な感じの岩が林立するエリアである。また、迫り来る感じの非常に大きな岩が殆どで、その中に入るとヒンヤリとしている。<br />この大石林は迷路の様に路が入り組んでいる。中に入るとどの辺りを歩いているのか、さっぱり判らない。<br />

    丁度、小石林の前辺りに人口の池がある。蓮華池がある。その周りには綺麗に花が植えられている。
    ここから、徒歩でメインとなる大石林区の中に入る。

    大石林は、先程の小石林に比べれば、無機質な感じの岩が林立するエリアである。また、迫り来る感じの非常に大きな岩が殆どで、その中に入るとヒンヤリとしている。
    この大石林は迷路の様に路が入り組んでいる。中に入るとどの辺りを歩いているのか、さっぱり判らない。

  • 暫く歩くと売店のある広場に出た。その奥でこの周辺に多く住むイ族の中のサニ族の人達が集団でいる。<br />おばさん達は、近くのベンチで縫い物をしている。おじさん達は、木陰の休憩を取っている。中には大きな筒を抱え込んでいる人もいる。何かと思い、李さんに聞くと、『水たばこですよ!』と言う。<br />その水たばこを近くで見せて貰う。<br />李さんにまた、この人達は何をしているのか?と尋ねると、『ここで観光客を相手に楽器の演奏を行っている。』と言う。観光客が多くなるとここで演奏を行う様であるが、今は我々以外誰もいないので、休憩をしていたのである。<br />

    暫く歩くと売店のある広場に出た。その奥でこの周辺に多く住むイ族の中のサニ族の人達が集団でいる。
    おばさん達は、近くのベンチで縫い物をしている。おじさん達は、木陰の休憩を取っている。中には大きな筒を抱え込んでいる人もいる。何かと思い、李さんに聞くと、『水たばこですよ!』と言う。
    その水たばこを近くで見せて貰う。
    李さんにまた、この人達は何をしているのか?と尋ねると、『ここで観光客を相手に楽器の演奏を行っている。』と言う。観光客が多くなるとここで演奏を行う様であるが、今は我々以外誰もいないので、休憩をしていたのである。

  • そこから大きな岩の間を抜けながら、大石林の奥に進む。本当に迷路で李さんについて行かないと迷子になってしまう。途中、本当に森住さんが写真を撮るのに夢中になり、私と李さんを見失い、大きな声を出していた。この様な迷路の路のどこをどう通ったのか、また広場に出た。<br />そこには、多くの観光客が集まっている。その広場の前には、赤文字で“石林”と刻まれた大岩が聳えている。その前で多くの観光客が記念撮影を行っている。<br />また、ここでも民族衣装の貸し出しを行っている。イ族の民族衣装を着て観光客が記念撮影を行っている。<br />ブーゲンブリアの花も綺麗に咲いていて、記念撮影をするには絶好の場所である。<br />

    そこから大きな岩の間を抜けながら、大石林の奥に進む。本当に迷路で李さんについて行かないと迷子になってしまう。途中、本当に森住さんが写真を撮るのに夢中になり、私と李さんを見失い、大きな声を出していた。この様な迷路の路のどこをどう通ったのか、また広場に出た。
    そこには、多くの観光客が集まっている。その広場の前には、赤文字で“石林”と刻まれた大岩が聳えている。その前で多くの観光客が記念撮影を行っている。
    また、ここでも民族衣装の貸し出しを行っている。イ族の民族衣装を着て観光客が記念撮影を行っている。
    ブーゲンブリアの花も綺麗に咲いていて、記念撮影をするには絶好の場所である。

  • 我々もここで記念撮影を行う。その後、石林の赤文字の大岩の脇を抜け、更に奥に進む。<br />李さんはさすがにこの石林に何度も来ているだけの事はある。迷う事なく、どんどん細い路を奥に進む。<br />途中に階段を上ったり、下ったりする。その内に大きな岩が柱の上に乗っている様な光景も出て来た。<br />これは地震により周りの柱が倒れて岩の柱の上に乗り掛かったものである。<br />その先には、岩が剣の様に尖ったものが林立するエリアに出る。岩の一部にここにも赤文字で“剣峰”と刻まれている。正に岩の剣である。その岩の剣の峰々の間を抜けると、大きく下方に路が下る。<br />その先には池があり、その前には多くの観光客がいる。団体客である。この池をバックに記念撮影を行っている。丁度ガイドの人が日本語を話せる人で我々が日本人であると判ると話かけて来た。<br />

    我々もここで記念撮影を行う。その後、石林の赤文字の大岩の脇を抜け、更に奥に進む。
    李さんはさすがにこの石林に何度も来ているだけの事はある。迷う事なく、どんどん細い路を奥に進む。
    途中に階段を上ったり、下ったりする。その内に大きな岩が柱の上に乗っている様な光景も出て来た。
    これは地震により周りの柱が倒れて岩の柱の上に乗り掛かったものである。
    その先には、岩が剣の様に尖ったものが林立するエリアに出る。岩の一部にここにも赤文字で“剣峰”と刻まれている。正に岩の剣である。その岩の剣の峰々の間を抜けると、大きく下方に路が下る。
    その先には池があり、その前には多くの観光客がいる。団体客である。この池をバックに記念撮影を行っている。丁度ガイドの人が日本語を話せる人で我々が日本人であると判ると話かけて来た。

  • 日本に留学していたらしい。このガイドが率いている団体は重慶から来た観光客であると言う。<br />この団体客の後に我々も記念撮影を行う。この池の奥には剣峰の文字が見えている。この辺りは観光客が多く、路にも多くの観光客が犇いている。それを避ける様に李さんが再び観光客の居ない路を探し、迷路の様な路を行く。今度は、この大石林の中心にある展望台である望峰亭に向かう。<br />どこをどう通ったのか判らないが、観光客が居て、混む事なく、望峰亭の下までやって来た。<br />そして、前に聳える岩の上の望峰亭に昇る。一番上より一段低い展望台で少し休憩を取る。李さんはここから上には昇らないと言う。<br />私と森住さんは、一番上まで昇る。さすがにこの大石林の展望台である。非常に見晴らしが良く、遠くまで見えている。暫くこの景色を楽しんで、再び一段低い展望台に戻る。<br />

    日本に留学していたらしい。このガイドが率いている団体は重慶から来た観光客であると言う。
    この団体客の後に我々も記念撮影を行う。この池の奥には剣峰の文字が見えている。この辺りは観光客が多く、路にも多くの観光客が犇いている。それを避ける様に李さんが再び観光客の居ない路を探し、迷路の様な路を行く。今度は、この大石林の中心にある展望台である望峰亭に向かう。
    どこをどう通ったのか判らないが、観光客が居て、混む事なく、望峰亭の下までやって来た。
    そして、前に聳える岩の上の望峰亭に昇る。一番上より一段低い展望台で少し休憩を取る。李さんはここから上には昇らないと言う。
    私と森住さんは、一番上まで昇る。さすがにこの大石林の展望台である。非常に見晴らしが良く、遠くまで見えている。暫くこの景色を楽しんで、再び一段低い展望台に戻る。

  • そして、ここで李さんにお願いし、記念撮影を行う。ここで、休憩をしながら森住さんを待つ。<br />森住さんが戻り、この展望台を下りる。<br />また、迷路の路に戻り、李さんに付いて歩く。すると最初に入って来た広場に出る。もう先程のサニ族の人達はいない。丁度昼食時でいない様である。<br />そこから小石林の脇まで戻り、ホテルの方に道を取る。ホテルは丘の上にあり、ここから登り道を行く。<br />途中、階段を上り、近道をする。ホテルの建物の間を抜け、今日の昼食場所のホテルに併設しているレストランに移動する。<br />

    そして、ここで李さんにお願いし、記念撮影を行う。ここで、休憩をしながら森住さんを待つ。
    森住さんが戻り、この展望台を下りる。
    また、迷路の路に戻り、李さんに付いて歩く。すると最初に入って来た広場に出る。もう先程のサニ族の人達はいない。丁度昼食時でいない様である。
    そこから小石林の脇まで戻り、ホテルの方に道を取る。ホテルは丘の上にあり、ここから登り道を行く。
    途中、階段を上り、近道をする。ホテルの建物の間を抜け、今日の昼食場所のホテルに併設しているレストランに移動する。

  • <石林での昼食:廳湖覧><br />レストランの看板には“廳湖覧”とある。<br />  <br />レストランの2階入口から右手の広い部屋に入る。既に先程、電気自動車でいっしょに乗った日本人の家族が奥のテーブルに座っている。時刻は12時過ぎである。<br />

    <石林での昼食:廳湖覧>
    レストランの看板には“廳湖覧”とある。

    レストランの2階入口から右手の広い部屋に入る。既に先程、電気自動車でいっしょに乗った日本人の家族が奥のテーブルに座っている。時刻は12時過ぎである。

  • 李さんがまず飲物を聞く。天気が良く、少し暑くなって来たので冷たい飲物が飲みたい。一番冷えているソフトドリンクと言う事で出てきたのがスプライトであった。飲むとそこそこ冷えている。<br />続いて料理が出て来た。ここで李さんが時間も充分あるという事で食事は13時までになる。<br />出て来た料理は以下の通りである。<br /><br /> ①アヒルの丸焼き(北京ダック風)<br /> ②卵焼飯<br /> ③山鳥のスープ<br /> ④中国風焼チーズ(乳扇という)<br /> ⑤チンゲン菜の塩炒め<br /> ⑥キャベツの塩炒め<br /> ⑦中国風オムレツ(ニラと卵)<br /> ⑧猪肉、唐辛子とねぎの塩炒め<br /> ⑨白菜と豆腐のスープ<br />とても二人では食べきれない量である。アヒルの丸焼きは美味しいが、少し消毒薬の臭いがする。意外に美味しかったのは、中国風焼チーズ(乳扇)である。見た目は良くないが、食べて見るとチーズである。<br />あとあっさりしていたのが白菜と豆腐のスープである。<br />

    李さんがまず飲物を聞く。天気が良く、少し暑くなって来たので冷たい飲物が飲みたい。一番冷えているソフトドリンクと言う事で出てきたのがスプライトであった。飲むとそこそこ冷えている。
    続いて料理が出て来た。ここで李さんが時間も充分あるという事で食事は13時までになる。
    出て来た料理は以下の通りである。

     ①アヒルの丸焼き(北京ダック風)
     ②卵焼飯
     ③山鳥のスープ
     ④中国風焼チーズ(乳扇という)
     ⑤チンゲン菜の塩炒め
     ⑥キャベツの塩炒め
     ⑦中国風オムレツ(ニラと卵)
     ⑧猪肉、唐辛子とねぎの塩炒め
     ⑨白菜と豆腐のスープ
    とても二人では食べきれない量である。アヒルの丸焼きは美味しいが、少し消毒薬の臭いがする。意外に美味しかったのは、中国風焼チーズ(乳扇)である。見た目は良くないが、食べて見るとチーズである。
    あとあっさりしていたのが白菜と豆腐のスープである。

  • 箸をおいてから、森住さんと世界遺産の話になる。森住さんは既に各国の世界遺産を70ヶ所以上訪れていると言う。すごい!私は最近、世界遺産巡りを行い出したので、まだ今回の麗江と石林の2ヶ所を合わせても、日本の世界遺産を除けば、以下の通りである。<br />①西安 秦始皇帝/兵馬傭坑<br />②カンボジア アンコール・ワット<br />③厦門 福建土楼<br />④澳門 澳門歴史地区<br />⑤タイ アユタヤ歴史地区<br />そして<br />⑥麗江 麗江古城<br />⑦昆明 石林(中国南部のカルスト地帯)<br />まだたったの7ヶ所である。森住さんの1/10である。<br />過去には、北京 紫禁城/天壇公園/頤和園/万里の長城(1987年に世界遺産登録されている)などには行った事がある。<br />    <br />   <br />しかし、行ったのが1989年3月(有名な天安門事件が起こる約1ヶ月前)で、その頃はまだ日本で世界遺産という概念が定着しておらず(日本初の世界遺産が誕生したのは1993年である)、旅行でのガイドや紹介にもその様な事は書かれていなかった。そういう意味では日本で世界遺産の概念が確立した後では上の7ヶ所だけである。まだまだがんばらねば!<br />この様な話をしているともう13時前である。食事を終えた李さんが迎えに来た。李さんにお願いし、少し土産物を見る時間を貰う。レストランを出ると入口脇に露店が幾つも出ている。<br />店で売っているものは、織物などの小物類である。その中で子供用の可愛い柄のリュックを見つける。これは親戚の子供達に買って帰る事にした。ひとつが25元(約375円)、非常に安い!<br />それを買った後に他の店の前を歩くと、他の店で色々な物を売り付けて来る。民族衣装を着た女性が、熱心に小さな袋状の土産物を売り付ける。何なのかと見てみると、携帯ホールダーである。<br />盛んに『1000円!1000円!』と言っている。何個で1000円なのかを李さんに聞いて貰うと、何と30個で1000円だと言う。1000元ではないのか?と思ったが日本円だと言う。<br />1個なんと約33円である。これは手作りではないかも知れないが安いので買う事にした。森住さんも30個は要らないと言うので、私が買った物を分けてあげる。<br />両手一杯に土産を持ち、車に戻る。非常に沢山土産を買ってしまった。<br />車は再び、石林湖の橋を渡り、門を抜け、木立の道を戻る。一般道に出て、高速道路の入口を目指す。<br />

    箸をおいてから、森住さんと世界遺産の話になる。森住さんは既に各国の世界遺産を70ヶ所以上訪れていると言う。すごい!私は最近、世界遺産巡りを行い出したので、まだ今回の麗江と石林の2ヶ所を合わせても、日本の世界遺産を除けば、以下の通りである。
    ①西安 秦始皇帝/兵馬傭坑
    ②カンボジア アンコール・ワット
    ③厦門 福建土楼
    ④澳門 澳門歴史地区
    ⑤タイ アユタヤ歴史地区
    そして
    ⑥麗江 麗江古城
    ⑦昆明 石林(中国南部のカルスト地帯)
    まだたったの7ヶ所である。森住さんの1/10である。
    過去には、北京 紫禁城/天壇公園/頤和園/万里の長城(1987年に世界遺産登録されている)などには行った事がある。


    しかし、行ったのが1989年3月(有名な天安門事件が起こる約1ヶ月前)で、その頃はまだ日本で世界遺産という概念が定着しておらず(日本初の世界遺産が誕生したのは1993年である)、旅行でのガイドや紹介にもその様な事は書かれていなかった。そういう意味では日本で世界遺産の概念が確立した後では上の7ヶ所だけである。まだまだがんばらねば!
    この様な話をしているともう13時前である。食事を終えた李さんが迎えに来た。李さんにお願いし、少し土産物を見る時間を貰う。レストランを出ると入口脇に露店が幾つも出ている。
    店で売っているものは、織物などの小物類である。その中で子供用の可愛い柄のリュックを見つける。これは親戚の子供達に買って帰る事にした。ひとつが25元(約375円)、非常に安い!
    それを買った後に他の店の前を歩くと、他の店で色々な物を売り付けて来る。民族衣装を着た女性が、熱心に小さな袋状の土産物を売り付ける。何なのかと見てみると、携帯ホールダーである。
    盛んに『1000円!1000円!』と言っている。何個で1000円なのかを李さんに聞いて貰うと、何と30個で1000円だと言う。1000元ではないのか?と思ったが日本円だと言う。
    1個なんと約33円である。これは手作りではないかも知れないが安いので買う事にした。森住さんも30個は要らないと言うので、私が買った物を分けてあげる。
    両手一杯に土産を持ち、車に戻る。非常に沢山土産を買ってしまった。
    車は再び、石林湖の橋を渡り、門を抜け、木立の道を戻る。一般道に出て、高速道路の入口を目指す。

  • <昆明国際展覧中心のお茶店><br />石林で大分歩いたので、疲れていた事と昼食を食べ、満腹である事が相まって眠くなって来た。その内、何時の間にか寝てしまう。<br />目が覚めるともう既に昆明市街に戻っている。李さんに『良く寝ていましたね!』と言われる。1時間程寝ていた様である。李さんが、『これからお茶の専門店に行きます。』と言う。<br />時刻は14時30分になっている。周りには大きな展示館らしき建物が見えて来た。日本で言う国際見本市会場の様な所である。建物のひとつの門に入る。そこには、昆明国際展覧中心と書かれている。この大きな建物の一角にお茶の専門店がある。この雲南地方で有名なお茶と言えば普&#27953;茶(プーアル茶)である。<br />店内に入ると展示されているお茶は殆ど普&#27953;茶である。<br />ここで店員の若い女性について、個室に通される。中国のお茶店で良くある試飲会である。<br />  <br />まず普&#27953;茶についての説明がその女性から成される。普&#27953;茶には今では2つの製法があり、それにより呼び名が違うと言う。ひとつは昔からの製法で造られる生茶、もうひとつは、熟茶である。<br />普&#27953;茶は山間に生える自生の茶樹から採った緑茶を自然の状態で発酵したもので、熟成を重ねて行く程、口当たりも良くなる。しかし、その反面非常に高価な物となる。この様な普&#27953;茶を生茶と言う。<br />熟茶も生茶と途中までは同じであるが、途中で加熱によって酸化発酵を止め、その後コウジカビで発酵させる。これが熟茶である。<br />一般に出回っている普&#27953;茶は殆どの物がこの製法で造られたものである。<br />李さんが、女性の説明に対し、効能を付け加える。中国でお茶と言えば、ジャスミン茶と烏龍茶が有名で、最近の日本では特保商品としての黒烏龍茶が脂肪分解に良いとされているが、中国ではこの普&#27953;茶の方が脂肪分解には効果があるとされている。そのデータも発表されていると言い、壁に掛けられた額を指差す。<br />その額の中には成分分析のデータらしきものが書かれた用紙が収められている。<br />また、非常に整腸作用や血糖値抑制などにも効果が認められているとの事である。森住さんはお医者さんなので、そのデータを興味深く見られていたが、西洋医学を学んだお医者さんには漢方薬の効能は信じ難い様である。<br />この様な説明の最中に、女性はお茶を入れる準備をしている。ここにも厦門のお茶店で見たお湯の温度を測る素焼きのクレヨンしんちゃん像が使われている。<br />このお茶を入れてくれている女性もこの地方の少数民族のタイ(泰)族の人である。<br />その女性は日本語も流暢に話すが、森住さんがタイ族であったらタイ語が話せるのかと聞くと、直ぐにタイ語で挨拶と簡単な自己紹介をしてくれた。<br />やはり、この辺りの少数民族は国境が近い事もあり、非常に隣接の国々との交流が頻繁にある様だ。<br />女性がひとつ目のお茶を入れてくれた。<br />まず入れてくれたのは、緑茶である。一般に良く飲まれるお茶だそうだ。香りはあまり強くなく、味も日本の緑茶に比べると少し物足りない感じのお茶である。<br />続いて入れてくれたのが、普&#27953;茶の5年物。発酵を開始してから、5年間寝かせたもので、その現物の茶餅を見せてくれる。普&#27953;茶は殆どの場合、この茶餅と言う茶葉を固めて日本の鏡餅の様な形にして、風の通りの良い場所に保存して置くのである。その茶餅は薄っすらと緑茶が薄褐色に変り、ところどころに水色の斑点が出来ている。<br />香りは少し甘い感じの香りで、飲むと甘みと渋みが少しある。<br />更に普&#27953;茶の10年物を入れてくれる。これも茶餅を見せてくれたが、これは先程の5年物よりも茶褐色を増し、また斑点も無くなり掛けており、また茶葉の目も詰まっている。<br />香りも先程の5年物に比べ強いが日本のお茶程ではない。味は非常に甘みが増しており、渋みが消えている。<br />これらのお茶を一通り頂き、また好きなお茶があれば再度入れて貰う。<br />ここで、壁に地図が描かれたポスターの様なものが掛けられている。<br />それには“茶馬古道”の文字が見える。<br />茶馬古道とは、古くは唐時代前にこの雲南地方のお茶とチベットの馬を交換する交易が行われていた。その交易路である。この雲南地方からお茶の他に塩、銀製品、布製品、食料品などが出され、チベットの馬、毛皮、薬草などと交換を行った。この茶馬古道を通して、中国南部にもチベットの物産が入り、西はインド、パキスタンまでこの雲南地方の産物が行き渡った。昨日まで訪れていた大理や麗江などもこの茶馬古道の要衝の街である。<br />

    <昆明国際展覧中心のお茶店>
    石林で大分歩いたので、疲れていた事と昼食を食べ、満腹である事が相まって眠くなって来た。その内、何時の間にか寝てしまう。
    目が覚めるともう既に昆明市街に戻っている。李さんに『良く寝ていましたね!』と言われる。1時間程寝ていた様である。李さんが、『これからお茶の専門店に行きます。』と言う。
    時刻は14時30分になっている。周りには大きな展示館らしき建物が見えて来た。日本で言う国際見本市会場の様な所である。建物のひとつの門に入る。そこには、昆明国際展覧中心と書かれている。この大きな建物の一角にお茶の専門店がある。この雲南地方で有名なお茶と言えば普洱茶(プーアル茶)である。
    店内に入ると展示されているお茶は殆ど普洱茶である。
    ここで店員の若い女性について、個室に通される。中国のお茶店で良くある試飲会である。

    まず普洱茶についての説明がその女性から成される。普洱茶には今では2つの製法があり、それにより呼び名が違うと言う。ひとつは昔からの製法で造られる生茶、もうひとつは、熟茶である。
    普洱茶は山間に生える自生の茶樹から採った緑茶を自然の状態で発酵したもので、熟成を重ねて行く程、口当たりも良くなる。しかし、その反面非常に高価な物となる。この様な普洱茶を生茶と言う。
    熟茶も生茶と途中までは同じであるが、途中で加熱によって酸化発酵を止め、その後コウジカビで発酵させる。これが熟茶である。
    一般に出回っている普洱茶は殆どの物がこの製法で造られたものである。
    李さんが、女性の説明に対し、効能を付け加える。中国でお茶と言えば、ジャスミン茶と烏龍茶が有名で、最近の日本では特保商品としての黒烏龍茶が脂肪分解に良いとされているが、中国ではこの普洱茶の方が脂肪分解には効果があるとされている。そのデータも発表されていると言い、壁に掛けられた額を指差す。
    その額の中には成分分析のデータらしきものが書かれた用紙が収められている。
    また、非常に整腸作用や血糖値抑制などにも効果が認められているとの事である。森住さんはお医者さんなので、そのデータを興味深く見られていたが、西洋医学を学んだお医者さんには漢方薬の効能は信じ難い様である。
    この様な説明の最中に、女性はお茶を入れる準備をしている。ここにも厦門のお茶店で見たお湯の温度を測る素焼きのクレヨンしんちゃん像が使われている。
    このお茶を入れてくれている女性もこの地方の少数民族のタイ(泰)族の人である。
    その女性は日本語も流暢に話すが、森住さんがタイ族であったらタイ語が話せるのかと聞くと、直ぐにタイ語で挨拶と簡単な自己紹介をしてくれた。
    やはり、この辺りの少数民族は国境が近い事もあり、非常に隣接の国々との交流が頻繁にある様だ。
    女性がひとつ目のお茶を入れてくれた。
    まず入れてくれたのは、緑茶である。一般に良く飲まれるお茶だそうだ。香りはあまり強くなく、味も日本の緑茶に比べると少し物足りない感じのお茶である。
    続いて入れてくれたのが、普洱茶の5年物。発酵を開始してから、5年間寝かせたもので、その現物の茶餅を見せてくれる。普洱茶は殆どの場合、この茶餅と言う茶葉を固めて日本の鏡餅の様な形にして、風の通りの良い場所に保存して置くのである。その茶餅は薄っすらと緑茶が薄褐色に変り、ところどころに水色の斑点が出来ている。
    香りは少し甘い感じの香りで、飲むと甘みと渋みが少しある。
    更に普洱茶の10年物を入れてくれる。これも茶餅を見せてくれたが、これは先程の5年物よりも茶褐色を増し、また斑点も無くなり掛けており、また茶葉の目も詰まっている。
    香りも先程の5年物に比べ強いが日本のお茶程ではない。味は非常に甘みが増しており、渋みが消えている。
    これらのお茶を一通り頂き、また好きなお茶があれば再度入れて貰う。
    ここで、壁に地図が描かれたポスターの様なものが掛けられている。
    それには“茶馬古道”の文字が見える。
    茶馬古道とは、古くは唐時代前にこの雲南地方のお茶とチベットの馬を交換する交易が行われていた。その交易路である。この雲南地方からお茶の他に塩、銀製品、布製品、食料品などが出され、チベットの馬、毛皮、薬草などと交換を行った。この茶馬古道を通して、中国南部にもチベットの物産が入り、西はインド、パキスタンまでこの雲南地方の産物が行き渡った。昨日まで訪れていた大理や麗江などもこの茶馬古道の要衝の街である。

  • その茶馬古道のポスターの様な物が欲しくなった。ちゃんと朱印まで押されており、記念になる。<br />お茶を入れてくれた女性店員に、そのポスターが売り物ではないのかと聞くと、やはり売り物ではないと言う。だが少し待つ様に言われ、個室を出て行った。<br />そして戻って来て、少しなら在庫があるとの事で、何枚いるのか聞いてくる。勿論1枚で良いので、その値段を聞くと、1枚が150元(約2250円)であると言う。意外に高い!<br />しかし折角なので、1枚購入する事にした。ちゃんと正規の朱印も押してくれた。<br />また本題のお茶の販売交渉に女性が入る。先程試飲させて貰ったものと同じお茶を出して来て、値段を説明する。最初の緑茶が、1缶(約150g)で100元(約1500円)、次に出された5年物の普&#27953;茶が、1缶(約120g)で200元(約3000円)、最後に出された10年物の普&#27953;茶が1缶(約120g)で何と450元(約6750円)である。普&#27953;茶は1回に1g程度で良いらしく、1缶で3ヶ月分くらいはある。<br />さすがに本場であるのに非常にお茶は高い。厦門での烏龍茶も高かった記憶がある。<br />女性店員に聞き、もう少し小分けされた安価なものがないのか聞くと、価格帯は変らないが、小分けした小さな缶が幾つか入ったものはあると言う。それを森住さんと相談し、購入する事にした。<br />普&#27953;茶の5年物が40gずつ小缶に入り、その小缶が4つ入ったものを300元(約4500円)で購入する。それを森住さんと半分ずつに分ける。<br />更に装飾用(部屋の飾り用)の茶餅を1個150元(約2250円)で購入した。直径10cm弱の中国貨幣状に茶葉を固めたものである。<br />それらを全て包装して貰い、支払いを終え、店を出る。<br />意外に長くこのお茶店に居た。時刻はもう15時を廻っている。再び車に乗り込み、次の目的地を目指す。<br /><br />

    その茶馬古道のポスターの様な物が欲しくなった。ちゃんと朱印まで押されており、記念になる。
    お茶を入れてくれた女性店員に、そのポスターが売り物ではないのかと聞くと、やはり売り物ではないと言う。だが少し待つ様に言われ、個室を出て行った。
    そして戻って来て、少しなら在庫があるとの事で、何枚いるのか聞いてくる。勿論1枚で良いので、その値段を聞くと、1枚が150元(約2250円)であると言う。意外に高い!
    しかし折角なので、1枚購入する事にした。ちゃんと正規の朱印も押してくれた。
    また本題のお茶の販売交渉に女性が入る。先程試飲させて貰ったものと同じお茶を出して来て、値段を説明する。最初の緑茶が、1缶(約150g)で100元(約1500円)、次に出された5年物の普洱茶が、1缶(約120g)で200元(約3000円)、最後に出された10年物の普洱茶が1缶(約120g)で何と450元(約6750円)である。普洱茶は1回に1g程度で良いらしく、1缶で3ヶ月分くらいはある。
    さすがに本場であるのに非常にお茶は高い。厦門での烏龍茶も高かった記憶がある。
    女性店員に聞き、もう少し小分けされた安価なものがないのか聞くと、価格帯は変らないが、小分けした小さな缶が幾つか入ったものはあると言う。それを森住さんと相談し、購入する事にした。
    普洱茶の5年物が40gずつ小缶に入り、その小缶が4つ入ったものを300元(約4500円)で購入する。それを森住さんと半分ずつに分ける。
    更に装飾用(部屋の飾り用)の茶餅を1個150元(約2250円)で購入した。直径10cm弱の中国貨幣状に茶葉を固めたものである。
    それらを全て包装して貰い、支払いを終え、店を出る。
    意外に長くこのお茶店に居た。時刻はもう15時を廻っている。再び車に乗り込み、次の目的地を目指す。

  • <雲南の少数民族が判る雲南民族村><br />本来の旅行日程では昆明郊外の西山森林公園内にある龍門石窟に行く予定であったが、そこを止め、次は森住さんのリクエストもあり、雲南民族村に行く事になった。<br />最初、李さんは旅行日程の変更を渋っていたが、李さんの旅行会社と相談して貰い、変更可能となった。<br />しかし、追加料金として雲南民族村の入場料の80元(約1200円)を取られた。<br />雲南民族村も昆明郊外にあるが、西山森林公園よりもかなり近い。昆明郊外を南に進み、&#28359;池と言う昆明郊外の湖の辺に向かう。10分程で雲南民族村の入口駐車場に到着した。その駐車場へは入らず、その駐車場沿いの道端で車を降りる。<br />駐車場の奥には、大きな看板で雲南民族村の文字が見えているが、蔦に覆われている為に最後の“村”の文字が隠れている。また、その右手には大きな門がある。<br />

    <雲南の少数民族が判る雲南民族村>
    本来の旅行日程では昆明郊外の西山森林公園内にある龍門石窟に行く予定であったが、そこを止め、次は森住さんのリクエストもあり、雲南民族村に行く事になった。
    最初、李さんは旅行日程の変更を渋っていたが、李さんの旅行会社と相談して貰い、変更可能となった。
    しかし、追加料金として雲南民族村の入場料の80元(約1200円)を取られた。
    雲南民族村も昆明郊外にあるが、西山森林公園よりもかなり近い。昆明郊外を南に進み、滇池と言う昆明郊外の湖の辺に向かう。10分程で雲南民族村の入口駐車場に到着した。その駐車場へは入らず、その駐車場沿いの道端で車を降りる。
    駐車場の奥には、大きな看板で雲南民族村の文字が見えているが、蔦に覆われている為に最後の“村”の文字が隠れている。また、その右手には大きな門がある。

  • その門に向かい、歩き始める。時刻は既に15時30分頃になっているせいか、人は疎らである。<br />門の近くまで来るとその周りには露店が出ている。土産物や食べ物・飲物を売っている。<br />この門の下で記念撮影をまず行い、この門を潜る。この門にも雲南民族村の文字が見える。<br />門を潜るとそこには、古い街並みが再現されている。<br />李さんに聞くと、『明時代の昆明の街を再現しています。』と言う。<br />

    その門に向かい、歩き始める。時刻は既に15時30分頃になっているせいか、人は疎らである。
    門の近くまで来るとその周りには露店が出ている。土産物や食べ物・飲物を売っている。
    この門の下で記念撮影をまず行い、この門を潜る。この門にも雲南民族村の文字が見える。
    門を潜るとそこには、古い街並みが再現されている。
    李さんに聞くと、『明時代の昆明の街を再現しています。』と言う。

  • 街の建物は、その多くが今は土産物屋やレストランとして使用されている。街中の路を歩くと、どこからともなく美味しい匂いが漂ってくる。<br />この街並みの奥が雲南民族村になっている。その手前の建物がチケット売場で、李さんに言われ、その前で入場手続きを待つ。隣がレストランである。そこから食欲を誘う匂いが漂う。<br />李さんが戻り、その奥にある橋を渡り、雲南民族村に入る。<br />入ったところには、色鮮やかな布を括り付けた紐が路の上を覆う。風が強く、その布が強く旗めいている。<br />これはチベット(蔵)族の風習である。その路を抜けると右手に大きな門が見える。<br />この門の中がチンプオ(景頗)族の村である。この様に雲南民族村内には、各少数民族の村が点在している。<br />チンプオ族の村に入る。門を入ると直ぐ右手にレンガ造りの竈の様なものがある。李さんに聞くと、<br />『このチンプオ族は鋳造技術に優れた部族で、日本刀に近い切れ味の刀を鋳造する技術を持っている。』と言う。ここにある竈はその鋳造用の竈である。<br />

    街の建物は、その多くが今は土産物屋やレストランとして使用されている。街中の路を歩くと、どこからともなく美味しい匂いが漂ってくる。
    この街並みの奥が雲南民族村になっている。その手前の建物がチケット売場で、李さんに言われ、その前で入場手続きを待つ。隣がレストランである。そこから食欲を誘う匂いが漂う。
    李さんが戻り、その奥にある橋を渡り、雲南民族村に入る。
    入ったところには、色鮮やかな布を括り付けた紐が路の上を覆う。風が強く、その布が強く旗めいている。
    これはチベット(蔵)族の風習である。その路を抜けると右手に大きな門が見える。
    この門の中がチンプオ(景頗)族の村である。この様に雲南民族村内には、各少数民族の村が点在している。
    チンプオ族の村に入る。門を入ると直ぐ右手にレンガ造りの竈の様なものがある。李さんに聞くと、
    『このチンプオ族は鋳造技術に優れた部族で、日本刀に近い切れ味の刀を鋳造する技術を持っている。』と言う。ここにある竈はその鋳造用の竈である。

  • チンプオ族は人口が約10数万人で、主に雲南省とミャンマー国境付近に住んでいる人々である。<br />この村の中を通り抜け、隣にあるドアン(徳昂)族の村に入る。ここには、高床式の家が数件並んでいる。<br />日本の歴史で見る飛鳥時代の家の様である。その村の中でも民族衣装を着た人を余り見かけない。<br />村の広場にはお祭りの用具なども置かれている。そして、ひときわ飾りの多い高床式の建物が見えて来る。これはお寺である。やはり少数民族にとって宗教は重要なものなのか、他の高床式の住居とは少し違う。<br />ドアン族は、人口は2万人弱の本当に人口の少ない少数民族で、雲南省の保山地区に主に住んでいる。方言と衣装で、紅ドアン、花ドアン、黒ドアンなどに別れる。<br />  <br />その前を通り、路を行くと門が現れる。門を潜り、振り返ると門の上に額が掛かり、“徳昂族賽”と書かれている。ここが正式な村の入口である。門の横には大きな幟が立っている。何の意味かは判らない?<br />

    チンプオ族は人口が約10数万人で、主に雲南省とミャンマー国境付近に住んでいる人々である。
    この村の中を通り抜け、隣にあるドアン(徳昂)族の村に入る。ここには、高床式の家が数件並んでいる。
    日本の歴史で見る飛鳥時代の家の様である。その村の中でも民族衣装を着た人を余り見かけない。
    村の広場にはお祭りの用具なども置かれている。そして、ひときわ飾りの多い高床式の建物が見えて来る。これはお寺である。やはり少数民族にとって宗教は重要なものなのか、他の高床式の住居とは少し違う。
    ドアン族は、人口は2万人弱の本当に人口の少ない少数民族で、雲南省の保山地区に主に住んでいる。方言と衣装で、紅ドアン、花ドアン、黒ドアンなどに別れる。

    その前を通り、路を行くと門が現れる。門を潜り、振り返ると門の上に額が掛かり、“徳昂族賽”と書かれている。ここが正式な村の入口である。門の横には大きな幟が立っている。何の意味かは判らない?

  • そして次の村に向かう。次の村は、ハニ(哈尼)族の村である。<br />ハニ族は、人口は約130万人で、雲南省の紅河と瀾滄江の間に多く住んでいる。ハニ族の歴史は古く、イ(彝)族やラフ(拉&#31068;)族とともに古代の羌人が祖先だと言われている。羌人とは中国の西方の異民族で、この羌人として歴史的に有名な人物は、太公望(呂尚)である。隋唐時代には、“烏蛮”と呼ばれた民族である。文字を持たず、口頭で伝承された民間伝承や歌、踊り等が沢山あると言う。<br />この村では、高床式の住居のひとつに入る事が出来る。その住居に入ると、部屋の真ん中に囲炉裏があり、そこで料理を作っていた。また、その囲炉裏の奥には小さな四角いテーブルがあり、そこにこのハニ族の女性が何かを食べている。その食事をしている場所まで行き、何を食べているのかを覗き込むと、何かの焼いた肉を手で千切りながら食べている。鶏肉であろうか?<br />

    そして次の村に向かう。次の村は、ハニ(哈尼)族の村である。
    ハニ族は、人口は約130万人で、雲南省の紅河と瀾滄江の間に多く住んでいる。ハニ族の歴史は古く、イ(彝)族やラフ(拉祜)族とともに古代の羌人が祖先だと言われている。羌人とは中国の西方の異民族で、この羌人として歴史的に有名な人物は、太公望(呂尚)である。隋唐時代には、“烏蛮”と呼ばれた民族である。文字を持たず、口頭で伝承された民間伝承や歌、踊り等が沢山あると言う。
    この村では、高床式の住居のひとつに入る事が出来る。その住居に入ると、部屋の真ん中に囲炉裏があり、そこで料理を作っていた。また、その囲炉裏の奥には小さな四角いテーブルがあり、そこにこのハニ族の女性が何かを食べている。その食事をしている場所まで行き、何を食べているのかを覗き込むと、何かの焼いた肉を手で千切りながら食べている。鶏肉であろうか?

  • 女性の民族衣装は、朱色と黒を基調に細かな刺繍細工が施された非常に色鮮やかな服である。また、頭には、表面にビーズの様なもので装飾を施した鶏の鶏冠の様な帽子を被っている。非常にお洒落である。<br />記念撮影をお願いすると、快くOKを貰う。<br />この住居を出て、別のハニ族の住居に向かう。今度は、このハニ族の芸術家の家である<br />

    女性の民族衣装は、朱色と黒を基調に細かな刺繍細工が施された非常に色鮮やかな服である。また、頭には、表面にビーズの様なもので装飾を施した鶏の鶏冠の様な帽子を被っている。非常にお洒落である。
    記念撮影をお願いすると、快くOKを貰う。
    この住居を出て、別のハニ族の住居に向かう。今度は、このハニ族の芸術家の家である

  • 起用に木の木目模様を利用して様々な表情の顔を造り出している。作品が家の壁を覆う。家の中にも同様のものが飾られているが、家の中の暗い場所で見るとどこか不気味な感じがする。<br />また別の家ではハニ族だけではなく、少数民族の民族楽器が展示された家がある。その家に入ると、ひとりのおじいさんが入口付近で楽器の修理を行っている。<br />李さんが、『この方は雲南でも有名な民族楽器奏者であったのですが、今は引退し、ここで楽器の修理を行っているのです。』と言う。そう言い、そのおじいさんと何やら会話をしている。<br />すると、おじいさんは日本の沖縄の三線(さんしん)の様な楽器を取り出し、演奏を始めた。<br />演奏してくれた曲は何と“北国の春”である。<br />その後も楽器を変え、数曲の民族音楽を演奏してくれた。日本の楽器とは音色や曲調などが非常に違い、新鮮な音色である。残念な事に、ここは写真撮影が禁止との事で、楽器類や演奏の模様を撮影が出来なかった。<br />おじいさんに礼を言い、この家を後にし、隣の住居に入る。<br />ここは、農村の家を再現されており、そこにはひとりの少女が部屋の掃除を行っていた。別の住居で会った女性よりは服装の装飾は質素であるが、帽子は真珠?の小さな珠の様なものを散りばめたものを被っている。笑顔が可愛い少女である。<br />

    起用に木の木目模様を利用して様々な表情の顔を造り出している。作品が家の壁を覆う。家の中にも同様のものが飾られているが、家の中の暗い場所で見るとどこか不気味な感じがする。
    また別の家ではハニ族だけではなく、少数民族の民族楽器が展示された家がある。その家に入ると、ひとりのおじいさんが入口付近で楽器の修理を行っている。
    李さんが、『この方は雲南でも有名な民族楽器奏者であったのですが、今は引退し、ここで楽器の修理を行っているのです。』と言う。そう言い、そのおじいさんと何やら会話をしている。
    すると、おじいさんは日本の沖縄の三線(さんしん)の様な楽器を取り出し、演奏を始めた。
    演奏してくれた曲は何と“北国の春”である。
    その後も楽器を変え、数曲の民族音楽を演奏してくれた。日本の楽器とは音色や曲調などが非常に違い、新鮮な音色である。残念な事に、ここは写真撮影が禁止との事で、楽器類や演奏の模様を撮影が出来なかった。
    おじいさんに礼を言い、この家を後にし、隣の住居に入る。
    ここは、農村の家を再現されており、そこにはひとりの少女が部屋の掃除を行っていた。別の住居で会った女性よりは服装の装飾は質素であるが、帽子は真珠?の小さな珠の様なものを散りばめたものを被っている。笑顔が可愛い少女である。

  • 家は二階部分に竈が置かれ、1階部分は農機具などが置かれた倉庫の様な場所である。<br />ここから大きな道に出る。その前にはまた独特の門が立っている。この門にも額が掛かり、そこには“哈尼族賽”と書かれている。またまた逆から入った様である。<br />雲南民族村のメイン通りに出て、更に奥に進む。丁度、ハニ族の門の前辺りから道沿いに、この雲南民族村の横に位置する&#28359;池から水を引いて人工池が造られている。その池沿いにも住居が建っている。どこの民族かは判らなかったが、先程のハニ族の村の続きと思われる。<br />

    家は二階部分に竈が置かれ、1階部分は農機具などが置かれた倉庫の様な場所である。
    ここから大きな道に出る。その前にはまた独特の門が立っている。この門にも額が掛かり、そこには“哈尼族賽”と書かれている。またまた逆から入った様である。
    雲南民族村のメイン通りに出て、更に奥に進む。丁度、ハニ族の門の前辺りから道沿いに、この雲南民族村の横に位置する滇池から水を引いて人工池が造られている。その池沿いにも住居が建っている。どこの民族かは判らなかったが、先程のハニ族の村の続きと思われる。

  • ここの高床式住居にも入る事が出来、入るとここでも部屋の真ん中に囲炉裏があり、何か料理を作っている。<br />囲炉裏には、鍋が掛けられている。換気が上手く行われておらず、煙が少し充満している。<br />余りに煙たいので早々に退散する。またその横の住居軒下に女性が腰掛けて、編み物をしている。<br />その場所に行き、女性を見ると凄い美人である。この女の子にも写真を撮っても良いかを確認すると、少し照れていたがOKを貰い、写真を撮らせて貰う。<br />

    ここの高床式住居にも入る事が出来、入るとここでも部屋の真ん中に囲炉裏があり、何か料理を作っている。
    囲炉裏には、鍋が掛けられている。換気が上手く行われておらず、煙が少し充満している。
    余りに煙たいので早々に退散する。またその横の住居軒下に女性が腰掛けて、編み物をしている。
    その場所に行き、女性を見ると凄い美人である。この女の子にも写真を撮っても良いかを確認すると、少し照れていたがOKを貰い、写真を撮らせて貰う。

  • 李さんが近づき、この子に話をしている。そして教えてくれた事は、この住居は彼女の生活の場であると言う事である。この子はここで寝泊りをしていると言う。<br />中を見ると、民族衣装などが展示されたスペースとは別に奥が仕切られており、そこがこの子達の生活の場なのである。さすがにそこは見学が出来ない様である。<br />この村を抜け、更に民族村の奥に進む。左手に大きな近代的な建物が現れる、何かと思うと、休憩所である。<br />売店や民芸品などの即売所でもある。更に奥に進むと、これまた大きな建物が現れる。野外ステージの様な造りの建物である。その前まで行くと、“民族団結広場”と表示されている。<br />また、そこにはポスターが多数貼られている。その中でもひときわ目立つポスターがある。<br />そのポスターを見て森住さんが、『ヤン・リーピンのシャングリラですよ!』と私に言った。<br />“ヤン・リーピン?”と私が首を傾げていると、また森住さんが、『知りませんか?世界的に有名な中国の舞踊家ですよ!』と言い、『この3月に大阪でも公演があったんですよ!』と付け加える。<br />森住さんが、李さんにこの公演を今夜見に行けないかと聞いている。<br />李さんが、『可能ですが、それには遅くともここを18時には出て食事に行く必要があります。』と言う。<br />森住さんが私にもそれでも良いかを確認する。私は訳が判らないがOKである旨を伝え、結果いっしょに公演を見に行く事になった。<br />李さんが、至急携帯で自分の旅行社に電話を掛け、チケットの手配を行う。問題なくチケットは取れたみたいである。チケットは何と300元(約4500円)である。<br />私は“えっ!そんなにするの!”と思ったが仕方がない。<br />森住さんに聞けば、このヤン・リーピン(楊麗萍)と言うダンサーは、中国の国宝級ダンサーと謂われており、海外での公演も多いと言う。今年に入り、日本でも東京と大阪の2ヶ所で公演を行い、どの公演も満席であった。日本で見ても8000円以上はするそうだ。それなら4500円でも仕方ないか?<br />有名な踊りとして、「月光」と「孔雀踊り」があるそうだ。<br />民族団結広場の前を過ぎ、更に奥に進む。<br />時刻は17時である。ここに居られるのも、あと1時間程である。<br />次に現れたのが、イ(彝)族の村である。イ族は人口が700万人を超える少数民族の中でも最も人口の多い民族で、雲南省のみならず、四川省、貴州省、広西チワン族自治区など広範な範囲に分布している。<br />その歴史は古く、雲南に元々住んでいた昆明人はイ族だと謂われ、独自の言語と文化を有する。100以上の支族から成り、イ族はその総称である。イ族の名前は、漢族が鼎彝(ていい)と呼んでいた彝からの命名で彼らの自称ではない。<br />このイ族の村に入ると今までの高床式の住居ではなく、平屋の住居である。村の入口付近で、鶏を大きな炭火の鍋で丸焼きにしている。その住居に入ると、若い民族衣装を着た女性が立っている。手に何かを持っており、観光客に配っている。見ればその後ろに酒壷が並んでいる。地酒を振舞っているのである。<br />李さんといっしょにその女性の傍に行き、酒を見せて貰う。色は薄い褐色の紹興酒の様な酒である。<br />紹興酒の様な透明感はなく、少し濁っている。折角なので、頂く事にした。ほんの少し湯飲みに入れて貰う。それを一気に飲み干す。非常に甘みの強いお酒である。甘酒の様な味であるが、甘酒の様な変な後味は残らない。非常に飲みやすく果実酒の様なお酒である。<br />記念にとその女性といっしょに写真を撮って貰う。独特の顔立ちの女性である。<br />

    李さんが近づき、この子に話をしている。そして教えてくれた事は、この住居は彼女の生活の場であると言う事である。この子はここで寝泊りをしていると言う。
    中を見ると、民族衣装などが展示されたスペースとは別に奥が仕切られており、そこがこの子達の生活の場なのである。さすがにそこは見学が出来ない様である。
    この村を抜け、更に民族村の奥に進む。左手に大きな近代的な建物が現れる、何かと思うと、休憩所である。
    売店や民芸品などの即売所でもある。更に奥に進むと、これまた大きな建物が現れる。野外ステージの様な造りの建物である。その前まで行くと、“民族団結広場”と表示されている。
    また、そこにはポスターが多数貼られている。その中でもひときわ目立つポスターがある。
    そのポスターを見て森住さんが、『ヤン・リーピンのシャングリラですよ!』と私に言った。
    “ヤン・リーピン?”と私が首を傾げていると、また森住さんが、『知りませんか?世界的に有名な中国の舞踊家ですよ!』と言い、『この3月に大阪でも公演があったんですよ!』と付け加える。
    森住さんが、李さんにこの公演を今夜見に行けないかと聞いている。
    李さんが、『可能ですが、それには遅くともここを18時には出て食事に行く必要があります。』と言う。
    森住さんが私にもそれでも良いかを確認する。私は訳が判らないがOKである旨を伝え、結果いっしょに公演を見に行く事になった。
    李さんが、至急携帯で自分の旅行社に電話を掛け、チケットの手配を行う。問題なくチケットは取れたみたいである。チケットは何と300元(約4500円)である。
    私は“えっ!そんなにするの!”と思ったが仕方がない。
    森住さんに聞けば、このヤン・リーピン(楊麗萍)と言うダンサーは、中国の国宝級ダンサーと謂われており、海外での公演も多いと言う。今年に入り、日本でも東京と大阪の2ヶ所で公演を行い、どの公演も満席であった。日本で見ても8000円以上はするそうだ。それなら4500円でも仕方ないか?
    有名な踊りとして、「月光」と「孔雀踊り」があるそうだ。
    民族団結広場の前を過ぎ、更に奥に進む。
    時刻は17時である。ここに居られるのも、あと1時間程である。
    次に現れたのが、イ(彝)族の村である。イ族は人口が700万人を超える少数民族の中でも最も人口の多い民族で、雲南省のみならず、四川省、貴州省、広西チワン族自治区など広範な範囲に分布している。
    その歴史は古く、雲南に元々住んでいた昆明人はイ族だと謂われ、独自の言語と文化を有する。100以上の支族から成り、イ族はその総称である。イ族の名前は、漢族が鼎彝(ていい)と呼んでいた彝からの命名で彼らの自称ではない。
    このイ族の村に入ると今までの高床式の住居ではなく、平屋の住居である。村の入口付近で、鶏を大きな炭火の鍋で丸焼きにしている。その住居に入ると、若い民族衣装を着た女性が立っている。手に何かを持っており、観光客に配っている。見ればその後ろに酒壷が並んでいる。地酒を振舞っているのである。
    李さんといっしょにその女性の傍に行き、酒を見せて貰う。色は薄い褐色の紹興酒の様な酒である。
    紹興酒の様な透明感はなく、少し濁っている。折角なので、頂く事にした。ほんの少し湯飲みに入れて貰う。それを一気に飲み干す。非常に甘みの強いお酒である。甘酒の様な味であるが、甘酒の様な変な後味は残らない。非常に飲みやすく果実酒の様なお酒である。
    記念にとその女性といっしょに写真を撮って貰う。独特の顔立ちの女性である。

  • それから奥の部屋に行くと、イ族の男性が酒を飲みながら話をしている。<br />18時頃までにこの雲南民族村を出なければならないので、この村から先にはナシ(納西)民族の村があるが、ここから入口に引き返しながら、他の民族の村を見る事になった。<br />イ族の隣に位置するペー族の村に入る。<br />  <br />ペー族は、数日前に訪れた大理を中心に暮らす民族で、人口は約200万人である。白色を尊び、自らを白い人と呼ぶ。ペー語を話し、文字は漢字を使用する。比較的漢族に似た風習を持つ。<br />大理でこの民族の女性を多く目撃した。ここでの説明書きで、大理で見た女性の被っていた白い羽飾りの帽子は、未婚女性が被る帽子だったのだ。<br />確かに考えて見れば、白い羽飾りの帽子を被っていた女性は若い人が多かった。<br />しかし、かわいい女の子を連れた女性も女の子とお揃いの白い羽飾りの帽子を被っていたのはなぜなのか?不思議である。てっきり親子であると思っていたのであるが、姉妹なのか?<br />村に入ると前方より民族衣装を着た3人の女性が歩いて来る。しかし、雰囲気が今までの民族衣装を着た女性とは少し違う。するとこの3人は観光客で、貸し民族衣装を着て、この村を歩いているだけであった。<br />やはり着こなしがどこか違う。<br />ペー族の村は大理の郊外の喜州で見た三方一照壁の家が数件並び、その内の何軒かは土産物屋になっている。<br />その村の中を抜け、次の村へ移動する。<br />次はラフ(拉&#31068;)族の村である。ラフ族は人口が約40万人強である。狩猟の民で非常に勇猛な民族として有名である。<br />そこからジノー(基諾)族の村に出る。ジノー族は人口約2万人である。雲南省景洪市のジノー山一帯に住む民族で、太陽を崇拝し、衣装などの図柄に太陽をモチーフにしたものが多い。<br />

    それから奥の部屋に行くと、イ族の男性が酒を飲みながら話をしている。
    18時頃までにこの雲南民族村を出なければならないので、この村から先にはナシ(納西)民族の村があるが、ここから入口に引き返しながら、他の民族の村を見る事になった。
    イ族の隣に位置するペー族の村に入る。

    ペー族は、数日前に訪れた大理を中心に暮らす民族で、人口は約200万人である。白色を尊び、自らを白い人と呼ぶ。ペー語を話し、文字は漢字を使用する。比較的漢族に似た風習を持つ。
    大理でこの民族の女性を多く目撃した。ここでの説明書きで、大理で見た女性の被っていた白い羽飾りの帽子は、未婚女性が被る帽子だったのだ。
    確かに考えて見れば、白い羽飾りの帽子を被っていた女性は若い人が多かった。
    しかし、かわいい女の子を連れた女性も女の子とお揃いの白い羽飾りの帽子を被っていたのはなぜなのか?不思議である。てっきり親子であると思っていたのであるが、姉妹なのか?
    村に入ると前方より民族衣装を着た3人の女性が歩いて来る。しかし、雰囲気が今までの民族衣装を着た女性とは少し違う。するとこの3人は観光客で、貸し民族衣装を着て、この村を歩いているだけであった。
    やはり着こなしがどこか違う。
    ペー族の村は大理の郊外の喜州で見た三方一照壁の家が数件並び、その内の何軒かは土産物屋になっている。
    その村の中を抜け、次の村へ移動する。
    次はラフ(拉祜)族の村である。ラフ族は人口が約40万人強である。狩猟の民で非常に勇猛な民族として有名である。
    そこからジノー(基諾)族の村に出る。ジノー族は人口約2万人である。雲南省景洪市のジノー山一帯に住む民族で、太陽を崇拝し、衣装などの図柄に太陽をモチーフにしたものが多い。

  • 更にワ(&#20324;)族の村を通る。ワ族は人口が約35万人である。赤と黒を尊び、民族衣装は黒をベースに赤を飾りとして使用するものが多い。男性は彫刻などの細工が得意で、屋根や壁に図柄を彫る事もある。<br />このワ族の村の広場で、民族衣装を着た女性が竹で造った笙に似た管楽器を手に持っている。<br />  <br />李さんが、その女性にその楽器を演奏してくれる様にお願いすると恥ずかしいのか、演奏を行わず、どこかへ走り去る。すると同じワ族の男性を連れて来て自分の持っていた楽器を手渡す。<br />

    更にワ(佤)族の村を通る。ワ族は人口が約35万人である。赤と黒を尊び、民族衣装は黒をベースに赤を飾りとして使用するものが多い。男性は彫刻などの細工が得意で、屋根や壁に図柄を彫る事もある。
    このワ族の村の広場で、民族衣装を着た女性が竹で造った笙に似た管楽器を手に持っている。

    李さんが、その女性にその楽器を演奏してくれる様にお願いすると恥ずかしいのか、演奏を行わず、どこかへ走り去る。すると同じワ族の男性を連れて来て自分の持っていた楽器を手渡す。

  • その男性が我々の前でその楽器を演奏してくれた。どうもその男性と先程の女性は恋人同士なのか、その後もいっしょに手を繋いで、村の中に消えて行った。<br />我々も次の村に移動する。次はプーラン(布朗)族の村の脇を通る。プーラン族は人口約8万人である。竹製の住居に住み、仏教を信仰する民族である。竹で造られた住居が見えている。<br />

    その男性が我々の前でその楽器を演奏してくれた。どうもその男性と先程の女性は恋人同士なのか、その後もいっしょに手を繋いで、村の中に消えて行った。
    我々も次の村に移動する。次はプーラン(布朗)族の村の脇を通る。プーラン族は人口約8万人である。竹製の住居に住み、仏教を信仰する民族である。竹で造られた住居が見えている。

  • そして、池を挟んでタイ(&#20643;)族の村が見えている。その池に架かるタイ式の屋根の橋を渡り、村に入る。<br />  <br />タイ族は人口約160万人である。主に雲南省のシーサンパンナを中心に住んでいる。タイ族は水&#20643;、旱&#20643;、花腰&#20643;の3つに別けられる。タイ族は踊りが非常に好きで、数多い踊りの中でも「孔雀踊り」が良く知られている。ヤン・リーピンの踊りもこれである。<br />そのタイ族の村を抜けると、至るところに色鮮やかな小さな傘が置かれている。<br />これもタイ族の特徴の様である。また、ここで民族衣装を着た綺麗な女性に出会う。この女性はこの雲南民族村のガイドさんである。<br />

    そして、池を挟んでタイ(傣)族の村が見えている。その池に架かるタイ式の屋根の橋を渡り、村に入る。

    タイ族は人口約160万人である。主に雲南省のシーサンパンナを中心に住んでいる。タイ族は水傣、旱傣、花腰傣の3つに別けられる。タイ族は踊りが非常に好きで、数多い踊りの中でも「孔雀踊り」が良く知られている。ヤン・リーピンの踊りもこれである。
    そのタイ族の村を抜けると、至るところに色鮮やかな小さな傘が置かれている。
    これもタイ族の特徴の様である。また、ここで民族衣装を着た綺麗な女性に出会う。この女性はこの雲南民族村のガイドさんである。

  • 費用がどれくらいかは判らないが、頼めばこの民族村内を案内してくれる。<br />タイ族の村を抜け、入口に急ぐ。もう時刻は17時40分を過ぎている。<br />最後のチベット(蔵)族の村に移動する。チベット族は人口約550万人である。<br />  <br />雲南省では北西部に多く住んでいる。主に遊牧を生活の糧としている。また近年は何かとお騒がせな民族で、今でもチベット自治区では時折政府への不満が爆発し、暴動が起きている。その前を通り過ぎ、入口にやっと戻って来た。<br />再び、昆明の古い街並みを再現した一角を抜け、駐車場に急ぐ。<br />土産物に民族衣装として一覧絵図などがあれば購入したいと考えたが、その様なものを販売している店は見つからなかった。程なく、車を降りた駐車場脇に到着し、車が来るのを待つ。<br />時刻は18時前で予定通りである。これから昆明市街の夕食場所に移動する。<br />

    費用がどれくらいかは判らないが、頼めばこの民族村内を案内してくれる。
    タイ族の村を抜け、入口に急ぐ。もう時刻は17時40分を過ぎている。
    最後のチベット(蔵)族の村に移動する。チベット族は人口約550万人である。

    雲南省では北西部に多く住んでいる。主に遊牧を生活の糧としている。また近年は何かとお騒がせな民族で、今でもチベット自治区では時折政府への不満が爆発し、暴動が起きている。その前を通り過ぎ、入口にやっと戻って来た。
    再び、昆明の古い街並みを再現した一角を抜け、駐車場に急ぐ。
    土産物に民族衣装として一覧絵図などがあれば購入したいと考えたが、その様なものを販売している店は見つからなかった。程なく、車を降りた駐車場脇に到着し、車が来るのを待つ。
    時刻は18時前で予定通りである。これから昆明市街の夕食場所に移動する。

  • 車が我々の前に現れ、急いで乗り込む。車は雲南民族村を後にし、北の市街地を目指す。<br />この雲南民族村へ来る途中は余り気にならなかったが、帰りに周辺を見ていると、この辺りはアパート風の建物が非常に多い。まだ建設中の建物も多いが、この辺りが昆明のベットタウンになっているのである。<br />10分程で今日の夕食場所の“蜀九香”に到着する。玄関前で車が止まり、みんなで降りる。<br />  <br />看板には火鍋酒楼の文字がある。今日も鍋料理である。<br />

    車が我々の前に現れ、急いで乗り込む。車は雲南民族村を後にし、北の市街地を目指す。
    この雲南民族村へ来る途中は余り気にならなかったが、帰りに周辺を見ていると、この辺りはアパート風の建物が非常に多い。まだ建設中の建物も多いが、この辺りが昆明のベットタウンになっているのである。
    10分程で今日の夕食場所の“蜀九香”に到着する。玄関前で車が止まり、みんなで降りる。

    看板には火鍋酒楼の文字がある。今日も鍋料理である。

  • <昆明での夕食の松茸鍋:蜀九香><br />玄関を入り、そのまま奥の階段を上る。我々は2階で食事を取る様である。2階にはまだ殆ど客はいない。<br />テーブルのひとつに案内され、そこに座る。テーブルの真ん中には大きなコンロがある。<br />まずいつもの通りに飲物を聞かれる。森住さんも私もスプライトを注文する。<br />直ぐに缶のスプライトが運ばれて来た。それと同時に花饅が運ばれてきた。<br />肉饅の皮部分だけの饅頭である。それをいっしょに持って来た白い蜜の様なものを付けて食べるのである。<br />少し温かいので、まだ食べられるが、冷えたら美味しくもないであろう。<br />暫くすると鍋の具材が運ばれて来た。そして最後に大きな土鍋が運ばれ、テーブル真ん中のコンロに置かれた。土鍋の中には既に具材が一杯入っている。土鍋に入っているものは、クコの実、棗、長葱、ニンニク、衣笠茸、朝鮮人参、生姜、鶏肉などである。<br />この状態で暫く待つ事になった。周りを見ると半個室のところで、石林でいっしょになった日本旅行のツアー家族が食事を始めている。我々よりも早くこの食事場所に到着していた様である。<br />すると店員が再び現れ、コンロを点けた。そして、テーブルに置いてある具材の一部を土鍋に入れ始める。そしてある程度の具材を入れ終わると土鍋に蓋をし、店員がテーブルを離れる。<br />因みにテーブルに並んだ鍋の具材は以下の通りである。<br /> ①松茸<br /> ②山羊肉<br /> ③椎茸<br /> ④マッシュルーム<br /> ⑤じゃがいも<br /> ⑥白菜<br /> ⑦山芋<br /> ⑧中国湯葉<br /> ⑨舞茸<br /> ⑩しめじ<br /> ⑪トマト<br /> ⑫中国菜<br /> ⑬豚肉つくね<br />などである。言うまでも無く今日の夕食のメイン食材は松茸である。<br />

    <昆明での夕食の松茸鍋:蜀九香>
    玄関を入り、そのまま奥の階段を上る。我々は2階で食事を取る様である。2階にはまだ殆ど客はいない。
    テーブルのひとつに案内され、そこに座る。テーブルの真ん中には大きなコンロがある。
    まずいつもの通りに飲物を聞かれる。森住さんも私もスプライトを注文する。
    直ぐに缶のスプライトが運ばれて来た。それと同時に花饅が運ばれてきた。
    肉饅の皮部分だけの饅頭である。それをいっしょに持って来た白い蜜の様なものを付けて食べるのである。
    少し温かいので、まだ食べられるが、冷えたら美味しくもないであろう。
    暫くすると鍋の具材が運ばれて来た。そして最後に大きな土鍋が運ばれ、テーブル真ん中のコンロに置かれた。土鍋の中には既に具材が一杯入っている。土鍋に入っているものは、クコの実、棗、長葱、ニンニク、衣笠茸、朝鮮人参、生姜、鶏肉などである。
    この状態で暫く待つ事になった。周りを見ると半個室のところで、石林でいっしょになった日本旅行のツアー家族が食事を始めている。我々よりも早くこの食事場所に到着していた様である。
    すると店員が再び現れ、コンロを点けた。そして、テーブルに置いてある具材の一部を土鍋に入れ始める。そしてある程度の具材を入れ終わると土鍋に蓋をし、店員がテーブルを離れる。
    因みにテーブルに並んだ鍋の具材は以下の通りである。
     ①松茸
     ②山羊肉
     ③椎茸
     ④マッシュルーム
     ⑤じゃがいも
     ⑥白菜
     ⑦山芋
     ⑧中国湯葉
     ⑨舞茸
     ⑩しめじ
     ⑪トマト
     ⑫中国菜
     ⑬豚肉つくね
    などである。言うまでも無く今日の夕食のメイン食材は松茸である。

  • 再び店員が現れ、鍋の蓋を取り、軽く鍋の中を掻き混ぜ、我々に食べる様に促す。<br />鍋から具材を取り上げ、食べ始める。松茸を取り食べるが、匂いもなく、また味も余り美味しくない。<br />香りが全くしないのはどうしてか?<br />そのなかでも美味しいと感じたものは、山芋である。山芋は非常に美味しい。<br />それ以外は指して美味しいものは無かった。一通り食べ終わり、一服する。やはり鍋は余り美味しいものではない。普通の火鍋を考えていたが、そうでは無かった。普通の火鍋の方がよっぽど美味しいのではないか?<br />時刻は19時である。<br />李さんが現れ、『食事はどうでしたか?』と聞く。李さんに言わせれば、この昆明でも最高の鍋料理であると言う。普通の旅行ではこれ程の鍋料理は食べられないそうだ。<br />席を立ち、我々も店を出る事にする。一旦ホテルに戻り、不要な荷物や土産物を置いてから、雲南民族村で予約したヤン・リーピンのショーを見に行くと言う。<br />車に乗り込み、今度はホテルを目指す。20分程でホテルに到着した。<br />1日目に宿泊した同じ桜花酒店である。李さんに再びパスポートを提出し、チェックインをお願いする。<br />李さんのチェックインが終了し、カードキーを貰う。手荷物などを持ち、部屋のある8階にエレベーターで上がり、部屋を探す。部屋は8階の一番奥であった。<br />部屋に入り、荷物を置く。必要なものだけを持ち、再び1階のロビーに下りる。<br />李さんに合流し、森住さんが下りて来るのを待つ。劇場はこのホテルの直ぐ近くであると言う。行きは車で行くが、帰りは歩いて帰ると言う。<br />

    再び店員が現れ、鍋の蓋を取り、軽く鍋の中を掻き混ぜ、我々に食べる様に促す。
    鍋から具材を取り上げ、食べ始める。松茸を取り食べるが、匂いもなく、また味も余り美味しくない。
    香りが全くしないのはどうしてか?
    そのなかでも美味しいと感じたものは、山芋である。山芋は非常に美味しい。
    それ以外は指して美味しいものは無かった。一通り食べ終わり、一服する。やはり鍋は余り美味しいものではない。普通の火鍋を考えていたが、そうでは無かった。普通の火鍋の方がよっぽど美味しいのではないか?
    時刻は19時である。
    李さんが現れ、『食事はどうでしたか?』と聞く。李さんに言わせれば、この昆明でも最高の鍋料理であると言う。普通の旅行ではこれ程の鍋料理は食べられないそうだ。
    席を立ち、我々も店を出る事にする。一旦ホテルに戻り、不要な荷物や土産物を置いてから、雲南民族村で予約したヤン・リーピンのショーを見に行くと言う。
    車に乗り込み、今度はホテルを目指す。20分程でホテルに到着した。
    1日目に宿泊した同じ桜花酒店である。李さんに再びパスポートを提出し、チェックインをお願いする。
    李さんのチェックインが終了し、カードキーを貰う。手荷物などを持ち、部屋のある8階にエレベーターで上がり、部屋を探す。部屋は8階の一番奥であった。
    部屋に入り、荷物を置く。必要なものだけを持ち、再び1階のロビーに下りる。
    李さんに合流し、森住さんが下りて来るのを待つ。劇場はこのホテルの直ぐ近くであると言う。行きは車で行くが、帰りは歩いて帰ると言う。

  • <昆明会堂でのシャングリラ(雲南映象)><br />時刻は19時30分過ぎである。森住さんが下りて来た。みんなが揃い、車に移動する。<br />車に乗り込み、劇場に向かう。市街の大通りに出て、ひとつ目の大きな交差点を直ぐに右に曲がる。また、その大通りのひとつ目の大きな交差点を右に曲がる。その道は工事中で、通りが混雑している。その為、曲がった直ぐのところで、我々は車を降りる。そこから劇場まで歩いて行くのである。<br />道を渡り、大通り沿いに歩く。<br />すると大きな劇場風の建物が右手に見えて来た。建物の上部には“昆明会堂”の文字が見える。ここが、今日のヤン・リーピンのショーを見る劇場である。<br />建物の入口前まで来た。劇場で行われているショーは正式には、“雲南映象”と言う。<br />この劇場の前で記念撮影を行う。<br />  <br />その後、劇場内に入る。入ると民族衣装を着た数人の男女が立っている。この劇の出演者である。その人達の前に行き、いっしょに記念撮影をお願いする。<br />更にその奥には、チベットのシャーマンの格好の男性が立っている。欧米人の観光客がその人といっしょに写真を撮っている。<br />

    <昆明会堂でのシャングリラ(雲南映象)>
    時刻は19時30分過ぎである。森住さんが下りて来た。みんなが揃い、車に移動する。
    車に乗り込み、劇場に向かう。市街の大通りに出て、ひとつ目の大きな交差点を直ぐに右に曲がる。また、その大通りのひとつ目の大きな交差点を右に曲がる。その道は工事中で、通りが混雑している。その為、曲がった直ぐのところで、我々は車を降りる。そこから劇場まで歩いて行くのである。
    道を渡り、大通り沿いに歩く。
    すると大きな劇場風の建物が右手に見えて来た。建物の上部には“昆明会堂”の文字が見える。ここが、今日のヤン・リーピンのショーを見る劇場である。
    建物の入口前まで来た。劇場で行われているショーは正式には、“雲南映象”と言う。
    この劇場の前で記念撮影を行う。

    その後、劇場内に入る。入ると民族衣装を着た数人の男女が立っている。この劇の出演者である。その人達の前に行き、いっしょに記念撮影をお願いする。
    更にその奥には、チベットのシャーマンの格好の男性が立っている。欧米人の観光客がその人といっしょに写真を撮っている。

  • 私達もその人といっしょに記念撮影を行う。それを終え、急いで席に着く。<br />李さんに付いて、劇場内の席に移動する。席は比較的前の方であった。ここで李さんは外で終焉まで待っていると言う。時刻は20時前である。ショーは20時からである。<br />まだ、前のステージの幕は開いていない。しかし、音楽が流れ始める。<br />すると先程入口で記念撮影を行ったチベットのシャーマンが大きな石を抱えてステージ脇から現れる。そしてゆっくりとした歩みで、反対側のステージ脇にある祭壇の様な石組みに抱かえた石を積み上げ、その前で跪き、お祈りを行う。そして再び立ち上がり、ステージ脇に消えた。<br />

    私達もその人といっしょに記念撮影を行う。それを終え、急いで席に着く。
    李さんに付いて、劇場内の席に移動する。席は比較的前の方であった。ここで李さんは外で終焉まで待っていると言う。時刻は20時前である。ショーは20時からである。
    まだ、前のステージの幕は開いていない。しかし、音楽が流れ始める。
    すると先程入口で記念撮影を行ったチベットのシャーマンが大きな石を抱えてステージ脇から現れる。そしてゆっくりとした歩みで、反対側のステージ脇にある祭壇の様な石組みに抱かえた石を積み上げ、その前で跪き、お祈りを行う。そして再び立ち上がり、ステージ脇に消えた。

  • 暫くして再び、石を抱かえて現れ、同じ様な歩みで、今度はステージの幕が上がる中をゆっくりと祭壇に向かう。祭壇に石を積み上げ、跪いてお祈りをする。そしてステージ脇に消える。<br />同じ事がもう1回繰り返された後、ステージに垂れ下がっていた大銅鑼を打ち鳴らし、ショーが始まった。<br />第一場は太陽がテーマである。<br />まず、太陽鼓。太陽の太鼓である。力強い太鼓の演奏である。大太鼓が5つも並び非常に力強い演技である。<br />これを始まりに芒鼓、象脚鼓、銅芒などの太鼓や銅鑼の力強い演奏が続く。<br />

    暫くして再び、石を抱かえて現れ、同じ様な歩みで、今度はステージの幕が上がる中をゆっくりと祭壇に向かう。祭壇に石を積み上げ、跪いてお祈りをする。そしてステージ脇に消える。
    同じ事がもう1回繰り返された後、ステージに垂れ下がっていた大銅鑼を打ち鳴らし、ショーが始まった。
    第一場は太陽がテーマである。
    まず、太陽鼓。太陽の太鼓である。力強い太鼓の演奏である。大太鼓が5つも並び非常に力強い演技である。
    これを始まりに芒鼓、象脚鼓、銅芒などの太鼓や銅鑼の力強い演奏が続く。

  • 第二場は土地がテーマである。<br />最初は、ヤン・リーピンの「月光」である。満月の中での神秘的な踊りである。<br />さすがに国際的に有名になるだけの踊りである。あまりバレエなどを見た事がないので、どれくらいに素晴らしいものなのかは判らないが、非常に印象に残る踊りである。<br />  <br />その後、イ族の可愛らしい女性達の歌と踊りである。非常に元気な歌と踊りである。<br />そして最後は、花腰タイ族の神秘的な踊りである。大きな傘の様な帽子を被り、顔を隠す様な踊りであった。<br />第三場は家国がテーマである。<br />第三場の最初はイ族の男女の歌と踊りである。その次が太鼓や大笛の演奏。<br />第四場は巡礼がテーマである。<br />最初にチベット族の踊り、そしてその後大きなマニ車とチベット仏教の神々の踊りである。<br />その後、再びヤン・リーピンの「孔雀踊り」である。ひとりの踊りから始まり、集団の孔雀の舞で終了する。<br />

    第二場は土地がテーマである。
    最初は、ヤン・リーピンの「月光」である。満月の中での神秘的な踊りである。
    さすがに国際的に有名になるだけの踊りである。あまりバレエなどを見た事がないので、どれくらいに素晴らしいものなのかは判らないが、非常に印象に残る踊りである。

    その後、イ族の可愛らしい女性達の歌と踊りである。非常に元気な歌と踊りである。
    そして最後は、花腰タイ族の神秘的な踊りである。大きな傘の様な帽子を被り、顔を隠す様な踊りであった。
    第三場は家国がテーマである。
    第三場の最初はイ族の男女の歌と踊りである。その次が太鼓や大笛の演奏。
    第四場は巡礼がテーマである。
    最初にチベット族の踊り、そしてその後大きなマニ車とチベット仏教の神々の踊りである。
    その後、再びヤン・リーピンの「孔雀踊り」である。ひとりの踊りから始まり、集団の孔雀の舞で終了する。

  • ショーの最後は、みんなの登場である。それぞれの踊りなどをしながら現れ、挨拶を行う。<br />時刻は21時50分である。2時間近いショーであった。<br />いつの間にか李さんが後ろの席に居て、いっしょに劇場を出る。そしてここから歩いて帰るのである。<br />この昆明会堂の劇場の隣は大きな百貨店である。その百貨店内を通り抜ける。<br />この百貨店には世界的な専門店が並んでいる。この百貨店内を抜けると大きな通りに出た。<br />この通りは既に桜花酒店の前の通りである。<br />そこから10分程でホテル近くまで着いた。その手前にあるスーパーで飲物を購入する。もう飲物が必要なのは今晩だけなので、あまり買わない様にする。<br />500mlのペットボトルのお茶を1本だけ購入する。3.5元(約53円)である。<br />それを持ち、ホテルのロビーに戻る。時刻は既に22時10分。<br />明日の集合時間は、朝早く5時45分である。<br />フロントにモーニングコールを5時にお願いする。その後、森住さんとは別れる。<br />私は李さんといっしょにロビー内のソファに移動し、そこで私の連絡先を教え、渡し、李さんの日本に来る予定を聞く。早ければ、6月上旬に日本に行く可能性があると言う。日本での再開を約束し、今晩はこれで別れた。<br />部屋に戻り、早々にシャワーを浴び、荷物の整理を行う。なるべく手荷物バックの中に詰め込む。<br />今回は少し土産物を買い過ぎた。その荷物が非常に多い。<br />カメラなども含め、すべてを詰め込み。朝には何も整理する事がない様にしておいた。<br />時刻は既に23時30分である。もうベッドに入り、寝る事にする。<br /><br />今回はここまで! 明日は帰国の旅程。<br />

    ショーの最後は、みんなの登場である。それぞれの踊りなどをしながら現れ、挨拶を行う。
    時刻は21時50分である。2時間近いショーであった。
    いつの間にか李さんが後ろの席に居て、いっしょに劇場を出る。そしてここから歩いて帰るのである。
    この昆明会堂の劇場の隣は大きな百貨店である。その百貨店内を通り抜ける。
    この百貨店には世界的な専門店が並んでいる。この百貨店内を抜けると大きな通りに出た。
    この通りは既に桜花酒店の前の通りである。
    そこから10分程でホテル近くまで着いた。その手前にあるスーパーで飲物を購入する。もう飲物が必要なのは今晩だけなので、あまり買わない様にする。
    500mlのペットボトルのお茶を1本だけ購入する。3.5元(約53円)である。
    それを持ち、ホテルのロビーに戻る。時刻は既に22時10分。
    明日の集合時間は、朝早く5時45分である。
    フロントにモーニングコールを5時にお願いする。その後、森住さんとは別れる。
    私は李さんといっしょにロビー内のソファに移動し、そこで私の連絡先を教え、渡し、李さんの日本に来る予定を聞く。早ければ、6月上旬に日本に行く可能性があると言う。日本での再開を約束し、今晩はこれで別れた。
    部屋に戻り、早々にシャワーを浴び、荷物の整理を行う。なるべく手荷物バックの中に詰め込む。
    今回は少し土産物を買い過ぎた。その荷物が非常に多い。
    カメラなども含め、すべてを詰め込み。朝には何も整理する事がない様にしておいた。
    時刻は既に23時30分である。もうベッドに入り、寝る事にする。

    今回はここまで! 明日は帰国の旅程。

この旅行記のタグ

3いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

中国で使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
中国最安 219円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

中国の料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから海外旅行記(ブログ)を探す

PAGE TOP