2019/08/22 - 2019/08/23
20位(同エリア23件中)
たまおさん
楽しかったトーゴを後にし、いよいよベナンへ。
ベナンは、90年代後半よりお茶の間で人気を博したゾマホンの母国。テレビタレントとして「ここがヘンだよ!日本人」や、他のバラエティ番組に出て、独特の日本語とリアクションで笑わせてくれた。私も強烈に印象に残っている。ベナンという国を知ったのもその頃だ。ただ当時は「ふーん」という感じで別に興味もなかった。それがまさかベナンを訪れることになるなんて!
そのゾマホンが、日本で稼いだお金で何をしたかというと、母国に3つの小学校と1つの日本語学校を建てた。学費はすべて無償。(すばらしい!)これは是非とも訪れたいと思った。これが1番の目的だ。
しかし、ネットで学校の情報調べても、学校の名前は分かったが、肝心の場所の情報がゼロ。そこで、ベナン大使館やそこで教えてもらったIFE財団にメールで問い合わせたわけだが(~旅の準備編~参照)↓、
https://4travel.jp/travelogue/11536717
返信は全く来ず、情報が何もないままの入国となった。
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ベナンへ向かう前に…
ロメで迎えた朝。朝食の支度がまだ(もう8時なんですけどね…)ということで、ATMでお金下ろすついでに少しお散歩。写真のビルは、銀行。泊まっている宿はこれのすぐ裏。このような近代的なビルがある一方で、 -
すぐ裏は、庶民の生活が垣間見えるエリア。宿もこの通りにあります。
首都といえども、近代的なビルはあまりない。ほとんどがこんな感じ。 -
朝食の準備ができて。テーブル席が2つのカウンター席が3つほどの、夜にはちょっとしたバーに変身しそうな、そんな場所でいただきました。
朝食食べたらいよいよベナンへ向け出発! -
ベナンとの国境へ行く乗り合いタクシーは、海沿いのサンタ・マリアというところから発車(写真)。そこまではバイタクで(300セーファ=約54円)。大きなバックパック背負ってバイタク乗るのはやめようと思っていたのだが、宿の人に「バイクで行く?」と聞かれるとなぜか頷いてしまうんだよな…。
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もう一枚写真を撮ったらすごい怒られた。丁寧に何度も謝った!(もちろんこういう時はフランス語で!)
(写真の)男の乗りタクで、国境までは1時間(1,000セーファ=約180円)。 -
1時間で着いて、ここから国境へ歩く。
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国境が見えてきた。(怒られてません)
傾いている街灯のすぐ下の看板がトーゴ側の国境。
ベナンも通貨は同じなので、ここでは厄介な両替商はいない。
もうすぐ国境だが、ここでは(サヨナラ、トーゴ)なんて思っている心の余裕はなく、ベナンのアライバルビザが取れるか不安でいっぱいだった。いくらベナン大使から「簡単に取れる」と言われても、実際に取れたという人が、ネットで見つけたのはアメリカ人女性1人だけ。この女性も、ブログ上で、ガーナにあるベナン大使館や地元で出会ったガイドの人から「国境で取れる」と言われたが、実際に取れたという人がいなかったため不安だったということが書かれてある。 -
国境です!(少しズームにしてみた)
トーゴの出国も簡単だった。そして問題のベナンのアライバルビザ…。
結論から言うと、ビザは発行してくれた。
しかし、実際はなかなかビザを発行してくれず、係官の間で少し揉めるような感じの話し合いが行われた。係官は「なぜe-visaを取ってこなかったのか?」とか、「ベナンでの目的は何だ」とかしつこく聞いてきた。私は、「ゾマホンが建てた学校を訪れたい」(*係官はゾマホンを知っていた)という明確な目的があるため、しっかりと答えられたが、ここを漠然と「観光」とか答えていたのでは絶対に通用しないと思う。
私の後からもぞくぞくと人がやってきたが、彼らは皆e-visaを取っていたため難なく入国していった。私はずっと椅子に座ったまま何十人という人を見送った。30分…40分待ち…(私にビザは発行されるのか…)と思いながら。そして、その後、JICAで来ていた日本人男性と、その付き添い通訳士の若いラオス人男性がやってきた。ラオス人男性は日本語とフランス語が母国語並みに上手で、私は初め日本人かと思ったほどだった。ちょうどその頃に、私にビザが発行されることが決まり、私は小さくガッツポーズ。日本人男性もラオス人男性も「よかったですね!」と言ってくれた。
この後、ラオス人男性に言葉の面でいろいろ助けてもらいながら、私は乗りタクで2時間(3000セーファ=約550円)、最大の都市コトヌーまで向かった。 -
これが実際の発行してくれたビザ。特別ツーリストビザで8日間のみ有効。10,000 セーファ(約$17ぐらいなのでe-visaの50ユーロより格段に安い)
今後、もしアライバルビザで訪れようと思う人は、必ず大使館(大使)に確認(メールで)、(取れるのであれば)その書面を持って行こう。私は口で大使から言われたことを係官に伝えたが、もちろん書面の方が信用度は高いので。あと、明確な目的を持って行くこと。
アメリカ人女性のブログでは、ホテルの予約確認書、航空券、ベナンでの日程表の提出が求められたと書かれているが、私の時は求められなかった。イェローカードの提示も賄賂もなし。 -
コトヌーに向かっている途中の車窓。スイカがいっぱい!
車の中で考えていたのは、(ゾマホンの建てた学校について)日本大使館に行けば何かしら情報つかめるだろう、だった。 -
コトヌーの最大のランドマーク、Etoi Rouge(エトワ・ルージュ)で乗りタクを降り、そこから黄色い個人タクシー(2000セーファ=約360円)で宿へ。(写真)
B&B Chez Rita
高級住宅地の雰囲気が漂う、その中ににある、宿に改築した大きな家だった。相当分かりづらい場所にあり、ドライバーが宿に電話して道案内してもらっていたのだが、それでもなかなかたどり着かない場所にあった。
ここでも出迎えてくれたのは、30代のスイス人女性。(おお??宿のオーナーか??)とも思ったが、そうではなく、オーナーはこのスイス人女性の義理の母、Ritaさんだった。スイス人女性には2人のアフリカ系の顔立ちをした子供(息子、娘)がいたので、ベナン人男性と結婚し、彼の母と一緒に宿を切り盛りしているということなのだろう。
宿へ着いて、私はすぐにスイス人女性にゾマホンが建てた学校のこと、場所が全く分からないのだが、日本大使館へ行けば情報がつかめるだろう…ということを話した。(スイス人女性もオーナーのRitaさんもゾマホンを知らなかった。)
スイス人女性は英語が話せる人なのでよかった!オーナーのRitaさんは英語が全く話せないので、意思疎通ができなかった。 -
今回の滞在した宿の中ではいちばん広い部屋!蚊帳も付いてる。
部屋で荷解きをしていると、なんとスイス人女性がさっそく日本大使館の場所と、日本大使館に問い合わせ、学校を管轄しているIFE財団の場所を聞いてくれた!(自分で調べようと思っていたので、調べてくれたことと、このすばやい対応にびっくり!)
住所まではわからなかったそうなのだが、場所のランドマーク的なものをメモしてくれた。 -
バスルームも広々!
さて、時間は16:30ぐらい。この時、スイス人女性と時間を確認してよかった。なんと、ガーナ、トーゴとベナンの間では1時間の時差があった。ベナンは+1になることをまったく知らなかった!
この半端な時間、日本大使館に行こうかIFE財団に行こうか迷ったけれど、行っても時間的に閉まっているかもしれないし(そこまでどのくらいかかるかもわからない)、学校の情報収集はすべて明日やることに決めた。 -
で、SIMカードを買いに行くことにし、宿近くの携帯電話通信会社にやってきた。(写真)
ベナンの一番大きな通信会社は"MOOV"。銀行のようにスタッフに要件を言い、番号札を出してもらう。英語はまったく通じなかったがなんとかなった。SIMを買うときに対応してくれた若いおねぇさんがとってもかわいくて、まったく英語が話せず、頭の中で必死に英単語を考えて私に伝えようとしている姿が本当にキュートだった。でも、英単語が出てきたことは一度もなくて(笑)、彼女も笑いだしてしまったり、私も一生懸命彼女の言わんとしていることを予想し、英単語にしてみたり。
(本当に、フランス語できなくてごめんなさい!!)
でも、私はこんな風に、言葉が通じなくてもお互い一生懸命意思疎通しようとするのが大好きなのだ。
ちなみにSIMカード+トップアップチャージ(データ通信1G、無料通話もいくらかついて)で、よく覚えていないが、6000セーファ($10)ぐらいだった。高い!!
しかし、設定をしてもらったが、インターネットに繋がらず、閉店時間になり、「明日もう一度来て」ということになった。
閉店時間になり、皆が掃除を始めていても、一生懸命私のスマホに取り掛かってくれたおねぇさんたちには本当に感謝。言葉が通じないからといって突っぱねないで、閉店時間でも、うまくいかない私のスマホをなんとかしようとする、ベナン人のやさしさに触れた。
どうでもいい話だが、この会社は、スタッフの女性は皆、服は白、と決まっていて、その中で皆最大限のおしゃれをしていた。 -
その後、宿近くのタイレストランで夕食。ベナンはビールは小瓶であるんだな。大瓶がいいのだけど(笑)
宿近くには3軒レストランがあるのだが(タイ、イタリアン、アフリカン)、泊った宿は、(知らなかったのだが)大統領が住んでいるエリアの近くで、そのためなのか、すべてが高級レストランだった。もっと庶民的な食堂で食べたかったのだけど、夜遠くまで一人歩きするのもやめたほうがいいと思って、滞在中の夕食はずっとこの3軒で食べた。 -
お昼を食べ損ねていたので、お腹がペコペコ!
小食の私が前菜の揚げ春巻きと、 -
ココナッツのきいたシュリンプカレーを頂きました。ココナッツが大好きなのでホッとする味。
これで$18ぐらいかかってしまった!高っっ!!
美味しかったけどね! -
お店の外観。
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翌朝。宿のルーフトップで朝食。ルーフトップといっても3階分しかないのだけど。
ジュースにコーヒー紅茶、フルーツ、バゲット1本というめちゃくちゃ簡素な朝食。
1泊や2泊ぐらいならまだいいのだけど、4泊もするとさすがに飽きた。パンの種類は変えてほしかったな…。
朝食の後は、学校の情報収集! -
(学校を管轄しているのはIFE財団だけど)IFE財団に目的の学校があるのかはわからない、とスイス人女性が言っていたので、とりあえず、バイタクを拾って、日本大使館(だと思っていた)にやってきた。(写真)
*バイタクはこちらでは"gem"(ゼミジャン)といい、ドライバーは必ず、黄色のTシャツやジャケットなど、黄色を身につけているので(トーゴと違って)わかりやすい。
大使館(だと思っていた)では、日本人女性の職員が対応してくれた。IFE財団の住所と電話番号、そこにいる日本人男性イセダさんの携帯の番号を教えてくれた。
IFE財団はここからタクシーで1時間ぐらいだとのこと。大通りに出てタクシーを拾おうとしたが、なかなかつかまらず、日本人女性職員さんが教えてくれたタクシーの電話番号に電話した(いつも利用しているタクシーだそうで、つかまらない場合はそこに電話して、と言われていた)。
*大使館やJICA職員、その他日本企業から派遣されている職員は、バイタクに乗ることは禁止で、移動はタクシーのみ。
電話で「大使館前にいるので、迎えに来てほしい」と伝えたが、英語が全く通じず、何度もかけなおしたり、かかってきたり…。最終的には通じて、向こうから「今、大使館前にいるが、どこにいるんだ」と電話がかかってきた。慌てて大使館前に戻ると、誰もいない…。もう一度、日本人女性職員さんを呼び出し、事情を話すと、
「ここは大使館ではなくて、JICAですよ」
「えぇっ??」ほんとだ。確かに看板に「JICA」と書いてある…。
慌てて、タクシーに電話をかけなおし、「JICA(ジカ)」と伝え直し、迎えに来てもらった。
ここへ来るとき、ゼミジャンに"JAPON EMBASSY"と書かれたメモを指さして来てもらったのに…。メモにはどこにも"JICA"という文字はない…。どうしてJICAに来たのか本当に謎…。 -
タクシーで2000セーファでやってきたIFE財団。1時間だと聞かされていたが、30分ぐらいで着いた。
着くと、おそらくイセダさんと思われる日本人男性が授業を行っているところだった。授業の邪魔になるのでひとまず隣の部屋で待機。どうやらここがIFE財団であり、兼日本語学校のようだ。写真は教室の建物。授業が終わってから撮った。 -
授業が終わると、私が呼ばれ、生徒の前で話をしてくれと。
生徒の前で話をする私。(自己紹介)
いつの間にか、こんな写真が撮られていたことに全く気付かなかった! -
生徒さんは4人。留学準備コースのクラスだったので、皆、ある程度日本語が話せた。
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私は生徒さんに、どうして日本に興味を持ったのかを聞いた。すると、テレビやネットを通じてアニメや漫画を見た、という人だったり、テレビでアジア(主に中国)のことをやっていて、そこから日本に興味を持った、とのことだった。
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一番右側の男性は、日本に留学経験があり、やはり日本語も一番上手だった。その隣の女性は、来月日本に留学すると言っていたので、たぶん今頃日本だ。
ちょうどお昼にさしかかっていたので、石田さん(イセダではなく)のご厚意で、皆で一緒にお昼を食べに行くことになった。 -
IFE&日本語学校の周辺。写真を撮ったら、石田さんに「写真を撮るときは注意してくださいね」と言われた。どうも、こちらの人が街中の風景を撮られることを嫌がるのは、欧米諸国や私たち先進国の者が、撮影したものを自分たちの国で流して、「これだけ貧しいのだ」とか知らないところで悪いことを言われるのが、とても屈辱的なのだそうだ。
そうか・・・
しかし、純粋に自分が旅してきた風景を残しておきたいのは旅人というもの。
自分の今までの行為を反省しつつ、(これだけ貧しいとか、そんなこと言うつもりは毛頭ないのだけど)改めて気を付けていこうと思った。 -
「アグ」と呼ばれる、こちらの主食。ヤム芋から作られている。ガーナで食べたフフと似ている!同じなのかな??
もちもちしていてお腹にたまりやすい。(注文はもちろんすべて石田さんたちにお任せ) -
その付け合わせのスープ。先ほどのアグをちぎってこのスープにつけて食べる。スプーンやフォークはなく、すべて素手で食べる。写真上の物体は豚肉なのだが、硬くて噛みきれず。下の2個の物体はチーズ。噛んだ瞬間の感触は完全に厚揚げなのだが、噛んでいくと、後味がチーズという、不思議な食べ物。でもこのチーズは美味しかった。
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こちらが生徒さんが食べていた物。キャッサバから作られているそうだ。
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先の生徒さんが食べていた物を作っている様子。日本の餅つきとそっくり。
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つくづく思うのだが、日本の食文化とアフリカの食文化はとてもよく似ている。必ず主食となる日本の米にあたるものがあり、味は淡白で、お腹にたまるという特徴も同じ。そしてそれと共に付け合わせのおかずを食べる。
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日本の餅つきだよね!
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子供も一生懸命お手伝い。
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こちらのめちゃくちゃローカル食堂でいただきました。(もちろん、撮影許可済み)
ごちそうさまでした。 -
学校へ戻り、もう帰るという生徒さんと共に記念撮影。一番右側の男性、日本に留学経験があって、さすが、たたずまいも日本的(笑)
いろいろお話できて楽しかった!
皆様がベナンと日本の懸け橋になれるよう、日本からお祈りしています!
この後、私は石田さんの午後の授業を見学した。 -
授業が終わって、分からないところがある生徒は石田さんに聞きに行ったり、そのまま帰る生徒だったり。このクラスは在籍者数は56人ぐらいのクラスなのだが、この日の出席者数はこの半分程度。様々な事情を抱えてしばらく学校に来れなかったり、脱落していく生徒も多数。このクラスは初級クラスなので、まったく日本語を話せるレベルではなく、私に話しかけてくる生徒さんゼロ。
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本日の授業は、辞書が引けるようになるための学習。
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こちらで活動、お世話になった日本人の方々の寄せ書き。
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うん!
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学校というより、人生の心得です!
授業後は、隣の部屋で石田さんからベナンのこと、アフリカのこと、たくさんお話を伺った。石田さんはフランス語は話さず、現地語のフォン語を話す。理由の一つは、フランスは何もしてこなかったからだと。奴隷貿易400年、植民地300年、独立60年、鉛筆1本も作れなかった。アメリカやヨーロッパが発展したのはすべてアフリカの人のおかげ。彼らが労働力となったからだ。と。 -
(教室の後片付け、掃除はもちろん生徒さんたちの仕事。ここは日本式。)
また、石田さんが訴えていたことは、日本の学校からたまにバザーで集まったものが送られてくるのだが、箱を開けてみると、そこはゴミ。片方しかない手袋や靴下、使いかけの鉛筆…。アフリカだって新しいのが欲しい!
私も含めて私たちは無意識にどこかで、アフリカには使い古しのものでいい、と思っていないだろうか。アフリカを下に見ていないだろうか。
また、石田さんはこんな話もしていた。石田さんは昔、17~18年前、ここへ派遣される日本語教師の面接も行っていたのだが、親御さんを説得する際、「アメリカだったらいいんですけど、ベナンは…。」理由を聞くと、「アメリカの方が安全ですし…。」と言われたらしい。
アメリカの方が安全?!冗談じゃない。
時は17~18年前。何が起きたと思う?アメリカ同時多発テロだ。そんなテロが起きやすい国が安全?!
どうしても私たちは、情報が少ない(知らない)国=危険、と思いがち。けれど、安全な国ってたくさんある!一般的に危ないと思われがちな中東やアフリカにも!
石田さんの話は、自分の意識を顧みるきっかけになった。 -
(教室後部の内のゾマホンとゆかりのある方々の写真を撮る)
石田さんの本気の願いは、日本の学校の修学旅行先をベナンにすることだった。(それは正直実現厳しいよな~)と思いつつ、同時に、私はもっ突拍子もないことを考えていた。それは、
(遠足をベナンにしよう!) ←無謀すぎる…
遠足でディズニーランドやディズニーシーに行く学校は多いと思う。
でも、ディズニーは「夢の国」。「夢の国」に行って何になる?それより、「現実の国」に行って、何かを学んで何かを感じ取ってほしい。いかに自分たちの住んでいる環境が、国が恵まれていて、贅沢な暮らしをしているのか。
*(私の勝手なつぶやきです…。お許しいただきたい)*
石田さんも言っていたが、その恵まれた環境ゆえに、心が貧しくなってきているように思う。自殺や今流行り(?)の詐欺なんて、モノや情報があふれすぎていて飽和状態だから起きる問題ではないのか。 -
実は、お昼を食べているときには、石田さんからベナンのひどい教育事情を聞いていた。
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小学校には3歳から入れて、一クラスは70人で一人の先生。午前中の授業は8時から12時まででその間に休み時間はたったの15分。午後はまた15時から。飛び級も留年もある。
驚きのあまり、開いた口が塞がらなかった。70人で一人の先生って、どうやって教えるの?しかも、クラスの中は年齢層バラバラ、休み時間はたったの15分で、これでは子供の集中力は持たないし、学力だってもちろん上がらないし、先生のモチベーションも上がらない。 -
(ゾマホンと写っているのはだれなのかな??)
英語の授業に関しては高校からで、中学ではあるところとないところがある。しかし、高校まで進む人は少ないから、一生涯英語に触れない人はたくさんいる。
そして、理不尽なことに、日本に留学するための試験は英語なのだ。しかし彼らは英語ができない。英語に苦しめられ、なかなか日本に留学できず、なんと、先の写真の留学経験ある男性は留学するまで8年もかかった。本当に心から、ここまで諦めずに日本に対する夢を持ち続けてきたことがすごいと思う。ここ(日本語学校)を離れたら、一切ベナン国内で日本(語)に触れる機会はない。その状況でモチベーションを失くさずに学習し続けることができるのは、並大抵のことではない。 -
石田さんは、この理不尽さに腹をたて、何年もかけて大使館に働きかけ、ようやくついに今年、ベナンで初の日本語能力試験が行われることになった。私はこの試験になじみがあるので、この話を聞いて素直に嬉しかった。
*この試験は世界各地で同一日時に一斉に行われます。 -
しかし、中身の要綱は日本語と英語だけで書かれているので、英語ができない彼らには読むのも一苦労。
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時計を見ると17:30になろうとしていた。(どんだけ長話していたんだ!)そろそろ帰らなければ、と思い、最後にIFE財団兼たけし日本語学校の前で記念撮影。
*(もし、ここへ行きたいと思っている方いましたら、住所を教えますので連絡ください。)
たくさん石田さんからお話を聞けて、いろいろ考えさせられた本当に有意義な時間だった。
この後は、石田さんのバイクの後ろに乗せてもらって、宿近くの"MOOV”まで送ってもらった(昨日スマホがネットに繋がらなかったため、もう一度来て、と言われていた)。宿の場所をそもそも日本語でも何と説明したらいいのか分からなかったのだが、「もしかしてあそこかな…。あの角っこにあるMOOV?」と、なんとか分かってくれたようで…。まぁ、日本人なので、言葉通じるので、違っていても安心ですが。 -
そうです!ここです!さすが石田さん。(写真、2度目の掲載…w)
石田さんは夜の授業があるため、ここでお別れ。
お仕事が残っているにも関わらず、送ってきてくれて本当にありがとうございました。
この時に、宿に戻るための新たなランドマークを石田さんと考えた。そうしないと、私は一人で帰れないのだ。タクシーやゼミジャンのドライバーに何と伝えて帰ればいいのかわからない。やはり、ガーナと同じ、住所を見せても分からないし、宿側がランドマークとして言っているものは、ドライバーも石田さんもわからなかったし、道行く人に聞いても分からないという、ランドマークの意味がまったくなかった!それで見つけたのが、このMOOVと同じ通りにある"immigration"。石田さん曰く、"immigration(イミグラシオン)"といえば、少なくともコトヌーを走っているドライバーであればだれでも分かる、という。これで一人で帰れるぞ!! -
無事ネットにもつながり、ルンルン気分で、夕食は、イタリアンレストランへやってきた。
残念ながら、お酒は置いておらず、アップルサイダーのようなものを注文。でも美味しかった!
しかし、氷が入っていることに気づいたときにはすでに遅し。だいぶ溶け出してしまっていて…。
夜中、腹痛を起こし、トイレへ駆け込みました…。でも、この1回で済んだのでよかった! -
サーモンパスタ。食べ慣れたホッとする味。美味しかった!
全部で$12~13ほど。昨日のタイレストランほどではないけど、やっぱり高い!! -
外観はこんな感じ。屋外テラスが気持ちがいい。屋内ではケーキやアイスクリームを売っている。高級レストランというより、カフェレストランが近いかな。多くの家族連れが利用していた。
本日はこれにて終了。
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この旅行記へのコメント (2)
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- マリオットさん 2021/01/06 10:19:18
- 未知のアフリカ
- はじめまして。本日のお題から、アフリカ旅行記を読みました。トーゴやベナンどころかアフリカ自体が未訪のため、面白く読みました。
その中でも、日本語学校を尋ねる旅と言うのは面白いですね。旅先での訪問先としては、思いつきませんでした。
その昔、インドの学校がお祭りをやっていたので中に入れてもらったのですが、生徒の注目を浴びてしまって、先生から出て行けと言われてしまいました。それ以来、学校を訪れたことがないのですが、やはりきちんと団体などを通して申し込むものなのですね。海外旅行に行けるようになったら、参考にしたいと思います。
- たまおさん からの返信 2021/01/06 19:04:54
- Re: 未知のアフリカ
- マリオットさん
こんばんは。はじめまして。コメントありがとうございます。
海外旅行に行けない今、自分の過去の旅行記を読み返して夢想旅行に浸っています…。なかなかつらい時期ですね。
インドで先生に追い出されてしまったそうで、それは悲しいですね。私も実はアポは取っていなかったんですよ。学校の場所が分からなかったので、JICAで学校の場所を聞いて突然の訪問でした。
早く海外旅行へ行ける日が来るといいですね!
たまお
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