2019/08/19 - 2019/08/20
12位(同エリア32件中)
たまおさん
月曜日、アクラから西へ165㎞、車で3時間のケープコーストへ行った。
世界遺産である、ケープコースト城とエルミナ城を見るためだ。二つとも奴隷貿易の拠点となったところである。
そもそも奴隷貿易とは・・・
奴隷貿易とは、古くギリシャ・ローマ時代から存在していたが、黒人奴隷貿易が盛んになったのは、15世紀後半から、欧州列強(ポルトガル・スペイン・オランダ・イギリス・フランス)が西インド諸島や南北アメリカで、欧州向けの作物生産のために大規模な農園の経営を始めたころだった。当初は原住民であるインディオが砂糖生産等の労働力として使用されたが、彼らは体力がなく、過酷な労働に不向きで多くの人が死んでしまった。そこで目を付けられたのがアフリカの人たちだった。アフリカの黒人は熱帯の過酷な気候の中で暮らしているので、体力・抵抗力があり、インディオが生存できないような環境でも生き残ることができた。
サハラ以南のアフリカ黒人を奴隷として拉致し商品化する行為を、組織的・国家的にはじめたのは15世紀のポルトガルであった。この頃、ヨーロッパの海外志向が高まり、その主役はポルトガルとスペインだった。両国は、世界を二国で分割するという条約を結び、ポルトガルはアフリカ以東の航路を独占。そして、その権利を確保するための拠点となる要塞をアフリカ各地に築いたが、その一つがエルミナ城だ。当時は金の貿易の保護が目的だったが、のちに奴隷の「交易」の拠点とされる。そして、そののち、オランダ人、イギリス人によって占領され、奴隷貿易も継承された。
エルミナ城から遅れること数十年、ケープコースト城が建てられた。同じくポルトガル人によって建てられ金の貿易の拠点だったが、スウェーデン、デンマーク、イギリスによって占領され、奴隷貿易の拠点へと変わった。
つまり、エルミナ城、ケープコースト城も奴隷たちを保管して出荷する「保管用倉庫」だったのだ。
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朝、宿からUberを呼んでもらい、乗り合いワゴンが発着するKaneshi Bus Stationへ向かった。(ガーナでもUberが主流!世界中どこでもUberだね…)
Uberの方が普通のタクシーより安く、14セディ(約280円)だった。Kaneshiまでは20分ぐらい。ケープコースト行きのワゴンの前で止めてくれた。 -
こちらのワゴンで行く。(撮影許可済)
私が最後の一人か二人で、すぐに出発した。 -
Kaneshi Bus Stationの様子。いろんな行き先の乗り合いワゴンが並び、車たちで見えないが、車の裏手はたくさんの露店商が軒を連ねるアクラマーケットだ。
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3時間で、ケープコーストに到着。タクシーに乗って宿に向かった(交渉して15セディ)。
予約した宿は"Orange Beach Resort" -
目の前は海。そしてケープコースト城はなんと隣。立地抜群の宿。
ここでも出迎えてくれたのは、白人女性。聞けばクロアチア人だった。 -
宿の食堂。(ザンジバル島で泊まった宿を思い出す…なんだか似てる)
カウンターの上に見える"AKWAABA"はガーナの現地の言葉で"Welcome" -
私の部屋はこちら左側。
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中。
ファンあり。蚊帳なし。バスとトイレは外。水シャワーなので浴びなかった。1泊だけだし。 -
荷解きをして、落ち着いたらもちろんビールの時間。(なぜかギネス…)
海風を受けながら飲むビールはうまい。 -
最高。
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お腹が空いたのでパスタを注文。
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お昼を食べた後は、ケープコースト城へ。(すぐお隣だから時間節約!)
入場料40セディ(約800円)。高っ。これは外国人料金。
ガイドを付け損ねた。。 -
大砲がずらり。
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こちら側にも。
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周辺の景色
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漁業が盛ん。何隻もの小舟が砂浜にぎゅうぎゅう詰めだ。
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ごちゃごちゃしている。
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周辺の景色
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男の奴隷が収容されていた部屋。
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その入り口。
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2009年に元大統領、バラク・オバマがここを訪れた。
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床は当時のまま。
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中に入る。
小さい窓が3つだけ。逃亡を防ぐためであろう。ここにぎゅぎゅうに奴隷たちが押し込められた。 -
先の部屋から入口の方向へ。
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支配者(商人)たちの寝室へ向かう階段。
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こちらはコミュニケーションホール。
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要塞からの眺め
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想像したくない…。
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奴隷売買ルートの地図。
ヨーロッパの奴隷商人たちは、ヨーロッパの港で、
鉄砲、ガラス製品、鉄の塊、綿織物、ジン(強い酒)を船に積み込み西アフリカまで運び、奴隷と交換し、南北アメリカまで運ぶ。
↓
奴隷をアメリカの砂糖、コーヒー、綿花と交換する。
↓
このアメリカ品をヨーロッパまで運ぶ。
これが、奴隷たちが大量に組織的に売買された三角貿易の構図だ。
私が3年前に行ったザンジバル島にも目をやると、ザンジバルの奴隷たちもカリブ海の国々や南アメリカに運ばれているが…。
ちなみにザンジバルの奴隷貿易とは…
ヨーロッパではなく、ムスリム商人によるインド洋交易圏での黒人を奴隷として売買した貿易だ。このインド洋交易における黒人奴隷貿易は、16世紀後半、ポルトガルの衰退が進み、台頭してきたオマーンによって盛んに行われ、ザンジバルがその中心として栄えた。彼らはインド洋に進出し、アフリカ東岸を南下し、象牙などと共に黒人を捕らえて奴隷としてイスラーム圏で売りさばいた。オマーンは、モンバサ、ザンジバル、モザンビークなどに拠点を設け、盛んに黒人奴隷貿易を展開し、19世紀まで続いた。 -
”DOOR OF NO RETURN"
このドアをくぐったらもう二度と帰ることはできない。
奴隷船はここから出港し、南北アメリカへ運ばれて売買された。
(観光客が多く興ざめ) -
改めて、観光客がいなくなってから写真を撮る。
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このドアが開いた瞬間、奴隷たちは何を思っただろう…。
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しばし、奴隷たちに思いを馳せる…。
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そして、私はドアをくぐった。
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そして、記念撮影。
正直、何も感情がわかなかった。所詮、日本から遠く離れた国々で行われたことだからか…。観光客が多かったからか… -
外の眺めは、先の大砲があったところからの眺めと同じだ。ごちゃごちゃしている。
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女性奴隷たちの収容部屋。
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男性の部屋よりも若干せまい。
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こちらは"CELL"だ。
反乱を起こした奴隷たちが入れられたのだろうか。
入り口はとても小さく、 -
中はとても暑くて、小さい部屋だった。
窓がないので、空気がこもりやすい。今は観光用にドアを開けて空気が入るようにしていてもこの状態なのに、当時は…。 -
入口の方を撮った写真。
私もそそくさと出てきた。 -
そろそろ帰ろうか。
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時間は16時半ぐらいだったが、一応宿の人にエルミナ城の開館時間を聞き、エルミナ城に向かうことにした。エルミナはさらに西へ約12㎞ほど。タクシーを往復チャーターした(要交渉50セディ)。
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海岸沿いのドライブは気持ちがいい。
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30分ちょっとで到着。
ガイドは付けなかった。ガイドを付けると入場料と同じ40セディをまた取られる。
ちなみにケープコーストのチケット売り場では、ケープコーストの入場チケットがエルミナにも有効との記述があったが、別でまた払わないとだめだった。 -
この建物の中は奴隷貿易に関する展示がされてあったが、電気がなく、真っ暗で何も見えなかった。
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支配者たちのキッチン部屋。
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中はこう。
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要塞からの眺め
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要塞からの眺め
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要塞からの眺め
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エルミナ城はコンパクトでそれほど広くないのだが、それぞれの部屋に何の部屋か書かれた看板のようなものがないので(それとも私が見つけられなかったのか)、よくわからず、30分くらいで再び中庭へ降りてきてしまった。ガイドを付けた方がよかった。
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さっさと出るのも悲しいので、中庭をぐるっと囲った建物を撮る。
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同じく
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同じく
やはりガイドを付けるべきだったかな…。ケチるべきではなかった。 -
帰り。途中で車を止めてもらってエルミナ城の全景を撮る。
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写真だけ見ると、なんだか素敵なリゾート地、という感じがするが、とんでもないむごいことが行われていた要塞。
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ヤシの木がなんともリゾート感を醸し出しているが、ここはむごい奴隷海岸。
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夕食。
SMIRNOFFを飲んでみた。 -
ヤム芋とよくわからない付け合わせ。表現しづらい味。まずくはないのだけど、残してしまった。
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翌朝。アクラへ帰る日。
砂浜を少し歩く。
写真は、砂浜から見た宿。素敵な宿だった。 -
朝食。(ザンジバルを思い出すな~)
トーストと卵焼きの簡素なものだったが、トーストのパンは甘みがあって美味しかった。 -
朝食の後、海岸から街中の方へ少し歩いていくと、教会を発見。
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中では礼拝が行われていた。
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海岸の方へ歩いて行く
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映画館&スポーツスタジアム
使われていない様子だ。 -
まったく活気がない。
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ケープコースト城へ着いた。
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その向かいにある子ども図書館。各国の国旗が吊り下げられていて、ここだけ立派な建物だった。
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昨日も宿まで乗せて行ってくれたタクシードライバー。また乗り合いバス乗り場まで送ってもらった。
アクラ行は人がなかなか集まらず、1時間半以上待っての出発になった。ここから国境のアフラオ行きも出ているので、そのまま国境越えも可能なのだが、私はオーダーしていた服をピックアップしなければならないので、アクラへ戻らねばならない。ピックアップした後、国境へ向かう案も考えたが、気持ちが焦って汗だくだくになりそうなので、やめてアクラでもう1泊することにしたのだ。正解だったと思う。焦るの好きではないし、気持ちもゆったりのんびり行きたい。
*ピックアップした服の旅行記は前旅行記になります。
↓
https://4travel.jp/travelogue/11537452
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この旅行記へのコメント (6)
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- kasekunさん 2023/02/07 05:11:13
- 懐かしく、よませてもらいました
- ガーナに旅行する日本人いるのかなと思い、検索してみたらここにたどり着きました。はじめまして。
ケープコースト、エルミナ、、行ったんですね。で、1つ質問があります!自分実は12年ほど前、協力隊でガーナに派遣され、2年間程住んでました。休日にはガーナ各地に貸与されたバイクで訪れていました。ケープコーストやエルミナ、他の小さな砦もほぼ全て、、。で、この唯一の有名な観光地に日本語パンフがないのが残念で、英文の説明を日本語に翻訳し、是非日本人が来たら渡して上げてくださいと帰国間際に協力隊のスタッフと一緒に渡しに行ったんですが、、。ケープコースト、エルミナでそんな物を目にしましたでしょうか?
日本人なら、、、と最後に感想を書いていましたが、ある本によりますと、実は日本人も奴隷として売られていたそうです。秀吉はその事実を知り、一転してキリスト教の禁教を命じたんだそうです。信長は南蛮貿易で儲けました。が、突然秀吉は禁教に転じます。何があったか?と考えれば、確かにこの説は頷けます、、。神を信じない者は人間ではない、、日本人を捉え奴隷として売る、、あり得るなあと思います。
もう12年経ちました。お世話になった人達にまた会いたくなってきました。旅行記ありがとうございます。
(フーフー、おいしくなかったですか?自分好きで大家さんが作ってくれた夕飯の中では1番好きでした。)
- たまおさん からの返信 2023/02/12 18:07:43
- RE: 懐かしく、よませてもらいました
- > kasekunさん
はじめまして。
コメントありがとうございます。
協力隊の派遣で行かれたんですね。私も協力隊は挑戦してみたいのですが…。
2年間も住んでいたら、あちこち行かれたでしょうね。
ご質問に関してですが、ケープコースト、エルミナで日本語のパンフはなかったですね。まぁ、日本人が観光で行くなんて、よっぽどの変わり者しかいませんから…(私ですが…笑)当然っちゃ当然だと思いますよ(笑)
日本人も奴隷として売りに出されていたとは、初めて知りました。
ありがとうございます。勉強になりました。
フーフーは…そうですね…味がなくて…慣れていけば美味しく感じるのかもしれませんね。きっと日本のお米も、ガーナの人たちにとってはまずく感じるかもしれませんし。
私の方からも、一つ質問です。
協力隊で派遣中は、バイクに乗っていいんですか?
確かガーナではなくベナンだったかと思うのですが、現地駐在のJICAの職員は、移動は必ずタクシーでないとだめみたいで、バイタクとか禁止だと言っていました。理由は危険だかららしいです。確かに、運転がめちゃくちゃで荒くて、私も何度もバイタクに乗りましたが、いつも事故に会うんじゃないかと冷や冷やでした。そりゃ、駐在中に怪我されては困りますものね。
次は、いつアフリカの国を旅できるのかしら…
また、旅行記に遊びに来ていただけるとうれしいです。
たまお
- kasekunさん からの返信 2023/02/13 18:16:16
- Re: 懐かしく、よませてもらいました
- 返信ありがとうございます。
そうですか。なかったですか。日本人が来たら見せてあげてください。と頼んだけど、誰が日本人かなんてわかりませんから、そんな所かもしれません。
バイクは自分、アダンシノース郡の教育局に派遣され、色々な小学校を回って算数と理科の授業をやったり、現地の授業を見て助言したり、現地でも作れる教材を作って披露したり、そんなことをしてたので、バイクは貸与されていたのです。本当は仕事以外で使用してはいけないのですが、そこはこっそり走行距離をごまかしながら使ってました。
だが、たくさん乗ってると壊れますね。HONDAの90ccのバイクでしたが、2度程走らなくなり、仲良くなった現地のバイク屋さんにこっそり直してもらいました。
それから、転倒もしましたね。最初の頃はバンバンとばして乗ってたんですが、一度夜の道は何にも考えず乗ってたんです、、すると、穴ぼこに、、吹っ飛びました。穴ぼこだらけのガーナの道。夜は見えずらかったんです。ヘルメットかぶってなければ即死でした。それ以来できるだけ夜は乗らないようにしましたね。
ちなみにJICA職員と隊員の処遇は違います。職員や専門家と呼ばれる方々はあれば航空機、、、そんな待遇です。安全面から、、。一方隊員は航空機は使えなく、バス又はトロトロの陸路だけです。出張等遠方へ行こうにも、陸路だけです。かかった費用は後で現金至急。そんな仕組み、、。でも、安全面から考えると現地のトロトロに乗った方が安全に思いました。職員として派遣された方が航空機で出張し、空港からのタクシーでドライバーが突然強盗に変わったということがありました。飛行機に乗る外国人、どう考えても金を持ってると考える、、一方、外国人がトロトロに乗ってるなんて誰も思わない。自分はそう思いますけど、JICAの規則ではそうなってるようです。
※バイクタクシーはガーナでは無いような、、。2年いまして1度も自分見かけませんでした。
、、ガーナに行く日本人旅行者が増えてくれればいいんですが、何せ危険が伴いますから、、(マラリアという超恐い危険、、一度罹患し3日間入院しました、、)難しいですね。でも、行ってみようと、それを実行する貴殿がすごい!アフリカ旅行、今は航空機代も昔よりはるかに安くなりました。綴っていると無性に行きたくなってきました、、
返信ありがとうございました。
- たまおさん からの返信 2023/02/14 19:23:21
- RE: Re: 懐かしく、よませてもらいました
- > Kasekunさん
返信ありがとうございます。
とても興味深く読ませていただきました!
バイクはこっそり、だったんですね(笑)
それにしても、転倒事故は怖かったですね。確かに、ガーナでバイタクはなかったですね。トーゴからすごいありました。でも、やはり、街灯も日本と比べたらはるかに少ないですし、夜は見えないですよね。本当に生きて帰れてよかったですね!!
JICAの職員と隊員の処遇は違うのですか。やはり職員の待遇はいいですね。でも、ドライバーが強盗に変わったのは、怖すぎ…!!
マラリア、怖いですよね。
私は2016年に3週間かけてタンザニアから南アまで旅したことがあります。
(よかったら旅行記ものぞいてみていただけるとうれしいですw)
↓
https://4travel.jp/travelogue/11164102
その時は、怖くて、マラリアの予防薬なんかも飲んで、かなりビビっていましたが、その時の経験から、要は、蚊に刺されなければいいことなので、とにかく蚊対策は万全にしてガーナ、トーゴ、ベナンの旅をしました。おかげで蚊には刺されずに済みました。でも、旅行という短期間で一時的なものだから、そういうことに神経を使えましたけれども、2年間の長期だと、いつかは気が緩んでしまいそうですよね。でも、これもまた本当に、生きて帰ってこれてよかった!!
私も無性にアフリカに行きたいです!!
たまお
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- pedaruさん 2021/03/07 07:05:34
- 奴隷貿易
- たまおさん おはようございます。
日本人でも条件がそろえば奴隷を商売にしたでしょうか?
仏教や儒教の影響の強い国では、これまではできなかった気がしますが・・・
なかなか体験できないレアな旅行、旅行記として発表してくださってありがとうございます。世界中の人に知ってもらいたいですね。
pedaru
- たまおさん からの返信 2021/03/20 17:48:56
- RE: 奴隷貿易
- pedaruさん。
こんにちは。コメントありがとうございます。
私は旅をしている間ずっと、なぜヨーロッパの人たちはそんなことができたのかと考えていました。どうしてそんな心があるのかと。信じられないことですものね。でも考えすぎて分からなくなってしまいました…。
日本人は…考えていませんでしたが、できないですよね。
このガーナ、トーゴ、ベナンの西アフリカの旅は、普通のリフレッシュの旅、楽しい旅というより、学習、勉強の旅でした。
たまお
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