2019/07/06 - 2019/07/09
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ワンダラーさん
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毎年7月に、学生時代の山仲間と軽井沢の別荘に集まり、自炊の合宿を開催しています。
10年ほど前は、黒斑山や東篭の登山、小浅間山などをハイキングして往時を懐かしんでおりましたが、年々、長時間は歩けないとの声が高まり、観光地を歩くことに変わって来ました。
今年のテーマは、近年人気が出ている葛飾北斎で有名な小布施の街歩き。
前日に軽井沢入りし、先ずは前夜祭。そして、一日、小布施を歩いてすき焼きパーティ。
2泊目が明けて、お世話になった別荘のお掃除を済ませ別荘を後にする。
「その2」では中軽井沢を散策後、諏訪に向かう。
「その3」は、昔に訪問した箇所や岡谷の製糸産業などを見学し、茅野から昔歩いた麦草峠越で佐久に戻り、締めに丸木美術館を見学して帰京する。
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久々に諏訪に来たので、諏訪神社下社秋宮に参拝。
初めて来たのは、学生時代にゼミの合宿だったのを思い出す。
早いもので、早や半世紀だが余り変わっていないか。 -
軽井沢合宿の帰路に諏訪・岡谷に一人で立ち寄ったのは、戦前に盛んであった製糸産業の興亡に興味を持ったため。
近年は、全国で産業史の遺構を保存したり、観光事業に使っている例が増えている。世界遺産になった群馬県の富岡製糸工場の保存も、ここの片倉家が関与している。
長野県の製糸産業で一番の成功例が片倉家による製糸工場とされる。
この写真建物は、当時は岡谷の隣村の川岸村にあり、片倉組・片倉製糸紡績発祥の地という。
明治43年につくられた木造タイル貼りの近代的な事務所という。 -
片倉製糸発祥の地の裏手には、諏訪湖の釜口水門から流れ出した天竜川が流れている。高速道路の橋の先にある釜口水門は、中学生時代に先生に引率されて来たところだ(拡張移設されている)。
工場では、最初女工さんが人力で生糸を繰り取っていた座繰り製糸だったが、
天竜川に直径11m以上の大水車を架けて、その動力で機械化し、生産性を高めたという。
天竜川川岸には他の製糸工場も立ち並び、伊那や諏訪からの繭や、製品も舟運輸送されていたのであろう。
中央本線も岡谷駅から明治39年に辰野駅経由で延伸され、大正12年には川岸駅ができたという。
東西日本への鉄道輸送の便が良くなったのも製糸工場の発展につながったのであろうし、水力発電も機械化を推し進めたのであろう。。 -
こちらは岡谷市中心部びある市立岡谷蚕糸博物館(シルクファクトおかや)。
隣に製糸工場が併設されていて、稼働している工場も見学できる優れた博物館だ。製糸工場の外壁は、昔のノコギリ屋根の意匠で、ちゃんと北側が窓であっている。 -
こちらが製糸工場部分で、女工さんが「煮えた湯の中の5つほどの繭から糸を引き出し、撚りをかけて生糸にしている工程」を見学できる。
映像では見たことはあるが、実物は初めてで、感激。 -
こちらは20人分くらいの作業をこなす自動製糸機械(稼働中)。
この工場は、従業員は僅か12人くらいでやっているようだ。
岡谷・諏訪の製糸工場は、ナイロンの普及、輸出の激減で、戦時中に大半が軍需工場に変わり、戦後は精密工業に転換したという。煉瓦づくりの繭などの倉庫群は重いものの保管には向かず、建て替えが進んで皆無という。 -
片倉家がつくった片倉製糸紡績は、岡谷一から長野県一、日本一の製糸産業をつくり上げ、片倉財閥とも言われた(末裔の片倉工業は、繊維産業などから、各地の工場跡地でショッピングセンター経営などで残っている。)。
この博物館は、片倉家に残された機械や文書などを岡谷市が引き継いで、蚕糸試験場機関の跡に開設したという。
高品質の生糸を輸出して外貨を稼いだ日本の製糸産業史そのものが理解できる。 -
この博物館では、桑が成長する期間は、蚕を飼って、繭をつくるまでを実物展示している。写真は、五齢といって一番大きな幼虫で、数千頭の蚕が桑の葉を蚕食する様は迫力がある。
片倉製糸は、良質の繭をつくる蚕のF1(一代交雑種)の卵を養蚕農家に貸し付けて養蚕を指導、桑を育てる金肥も生産供給し、出来た繭を引き取って高品質生糸を生産したバイオ企業とされる。
この蚕にもそんなDNAが脈々と受け継がれていると思う。
我々の学生時代に、忙しい授業や研究の傍ら我々学生に山旅の楽しみを教えてくださった生物の先生の、DNAの授業を思い出す。まだ日本の教科書に載る前の時代だった。 -
こちらは片倉財閥が上諏訪につくった片倉館という建物。
現在は財団法人経営で、温浴施設として使われている千人風呂や美術館がある。 -
千人風呂の入口
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この大正レトロのような建物が千人風呂の建物
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諏訪から茅野を抜けて、メルヘン街道と呼ばれる国道299号線で八ヶ岳を横断して帰ることにする。
途中、近年人気が出てい御射鹿池に寄ってみる。
有名になったので来てみたが、あいにく霧の中。
それでも観光客が車で何台も来ている。 -
大昔、北八ヶ岳登山の帰りに、渋の湯からバスで茅野に降りた際にも前を通ったはずだが、当時は何の表示もない農業用ため池だったと思う。
かすかに見える水面が神秘的で、霧の日も乙なものだと再認識。 -
渋の湯へ向かうバス道から、八ヶ岳中腹を国道299号線メルヘン街道に渡って、標高2,127mの麦草峠を目指す。
峠の西側に麦草ヒュッテと駐車場がある。 -
三角屋根の麦草ヒュッテの東の開けた草地には、霧の中で、赤いツツジが咲いていた。湯ノ丸高原ほどの群生ではない。
標高2,000mだと寒くて、7月になって咲くのだろう。
残念ながら今日は縞枯山など北八ッの山々は見えず。 -
ここがメルヘン街道の麦草峠 2,127メートル
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佐久側に降りる途中で、中部横断道路無料区間の八千穂ICがあって、佐久南ICまでひとっ走り。随分と便利になったものだ。
国道254号と交差するところに道の駅「ヘルシーテラス南佐久」が新設されていたので初訪問。まだ来訪客が少ないせいか、野菜などが安い。 -
帰路、東松山で、以前から訪問したかった丸木美術館に初めて立ち寄る。
国際的に余りにも有名な「原爆の図 第一部から第十四部」が展示公開されていることで、知られている。(第十五部〈長崎〉は長崎原爆資料館が所蔵している。)
原爆の図の連作は、実物は予想以上に迫力がある。(撮影禁止) -
丸木美術館には、屋外での企画展示もある。
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林の中に現代アートが展示されている。こちらは撮影禁止ではないよう。
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丸木美術館前には「原爆観音」があり、広島と長崎での原爆被災者への慰霊を込めてお参りする。
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丸木美術館前には、都幾川が平和に流れている。
川の風景を眺めて涼むと、一時、原水爆を忘れて、平和な世の中を感じる。
丸木夫妻もこんな立地のアトリエで制作されていたのかと思う。
椅子に座って思い起こせば、広島市の原爆ドームや平和公園を訪問したのは、学生時代にテントを背負って全国を旅行した途中で、既に高度経済成長で復興していて、原爆の被害は目立なくなっていた。
むしろ長崎市の爆心地近くの城山小学校や旧浦上天主堂などの原爆被害跡や、10年経っても防空壕での生活を余儀なくされていた被災者が見られた昭和30年ころの悲惨な記憶が思い出された。
そのような体験がない若い世代の旅人にも、ぜひ訪問してほしい美術館だ。
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