2019/06/19 - 2019/06/28
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tono202さん
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道東8日目・前日に突然に配偶者が岬めぐりの船に乗りたいと言い出しました。ネットで「残席4」と表示のあった「ドルフィン」に午後13:30発便を予約しました。
当日、羅臼からウトロに向かう途中でメールが入りました。
「濃霧のため午前中のクルーズは中止します。午後便も未定」とのこと。
知床峠は真っ青な青空。とても信じられないのですが、海岸には濃い霧が出ているようです。五湖で木道見学をした後で、ウトロにやってきました。
霧は晴れてきたので、行けるとこまでは行って見るとのこと。
教訓1「知床クルージングは、予約していても乗れるとは限らない」
そういうわけで、知床クルーズ乗船体験記となります。
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
やってきたのはウトロのドルフィンさん
セブンイレブンのはす向かいの指定された駐車場に誘導され、チケット販売所で待機。
出発15分前になると「乗船予定の方は駐車場にお集まりください」とのこと。
何が始まるのかなと思っていると、予約順に整列して座席指定をしていきました。
2Fの見晴らしの良い席は、予約の早いひとから埋まっていきます。
こちらは前日予約の「残席4」の立場。1F後方の座席になりそうです。
ちなみに、私たちの後は独からやってきた老夫婦。世界遺産巡りを楽しんでいるようです。
整列が住むと「特別席」に座りませんかとの提案
「ボートの前方の車で言うとボンネットに寝っ転がってクルージングを楽しみたい方はいませんか? 予約順に先着で受け付けます」との声。
若い人たちが手をあげて、私たちまでは廻ってきません。
教訓2「知床クルージングの予約は早めに」 -
整列がおわると、乗り場までの行進です。
「酋長の家」の前を通っていきます。
ここも「男はつらいよ 知床旅情」で、ママさんが開いていたスナックとして使われていました。 -
五分足らずで、小型遊覧船乗り場に到着。
-
これが、わたしたちのドルフィンⅢのようです。
「ボンネット乗船」を希望した若者たちは、この前に陣取るようです。
「うらやまし~」 -
向こうの三角岩の下が大型船オーロラ号の乗り場のようです。
この船は、冬場は網走からの流氷観光に使われ、夏はこちらで稼いでいるようです。
どちらに船籍があるのでしょう?
よく働く船です。 -
さて、出港。
知床岬まで往復3時間のクルージングの始まりです。 -
キャビン内の中を覗いてみると、こんな感じです。
もちろん、誰もいません。
みんな外です。
ここに座る人はいません。 -
私たちの席は1F最後部の左側
つまり、後方180度見えますが、それ以外の展望は効きません。
そして、エンジンの臭気も嗅ぐ場所です。
そのため、これからの写真も後ろ向きの写真ばかりになります。
悪しからず・・・
教訓3「残席4の席は、後しか見えない」 -
まずはプユニ岬の展望台の下を過ぎていきます。
この橋から北が世界遺産の指定エリアになってるそうです。 -
まず向かうのはプユニ岬です
-
絶壁は海鳥たちの営巣地になっているようです。
海鳥の糞で、岩が白くなっています。
この岩を回り込むと・・・ -
午前中に散策したウトロ燈台の下のフレペの滝(乙女の涙)の断崖直下にやってきました。この後、船はこの湾に入って滝を真下からながめるのですが・・・
残念ながら1F後部からは前方の滝は見えません。
教訓4「残席4」ではフレペの滝は見えないこともある」 -
小型船は身を翻して、湾の外に出ました。
滝直下の写真をとることは出来ませんでした。 -
続いて、湯ノ花の滝が見えてきます。
-
この滝は乙女の涙の滝に対して別名「男の涙」と名付けられているようです。
岩間からしみ出て、硫黄分が着色して白くなっています。
男の涙は渋いのです。
それで湯ノ花の滝と呼ばれるようです。 -
フレペの滝から五湖までは切り立った断崖が続きます。
火山活動で堆積した花崗岩を海が浸食し続け、切り立った断崖になっているのがよく分かります。
その断崖をかすめるように遊覧船は進んで行きます。
海面から驚いたケイマリフなどが飛び立つ姿も見えました。 -
絶壁の向こうに知床連山が見えてきました。
一番右側の羅臼岳から
三ツ峰、
サシルイ岳
オチカバケ岳
南岳と続く山々が美しい。 -
羅臼を海から見るのは初めてです。
羅臼の姿が凜々しい。 -
山脈を北に目を移すと硫黄岳が最後に控えます。
硫黄岳からは山脈はゆるやかに高度を下げます。 -
断崖の高さが低くなってきました。
すると見えてきたのが・・・ -
カムイワッカの滝です。
後には硫黄岳を控えています。
滝に近づいて行きます。 -
イオウなどの成分を含んだカムイワッカ川の水が断崖絶壁を下って滝となり、直接、オホーツク海に落下しています。
この近くでは、戦前に硫黄を採掘したなごりとして石垣が今でも残っているそうです。採掘した硫黄は、斜里や網走に船で運んでいたようです。
知床は「無垢の自然」ではなく、人の痕跡が至る所に残っているようです。 -
背後の硫黄岳もいいです。
ちなみに、よく知られているのはカムイワッカ川の滝と滝壺が温泉になっている「カムイワッカ湯の滝」で、この上流になります。
ここまでが30分。岬までの1/3です。 -
北に進むにつれて、噴火によって山頂部を吹き飛ばされた硫黄岳の全容が見えてきました。
そして海岸線が平坦になります。
ここがルシャ川の河口です。 -
このルシャ川を遡る鮭を狙って、多くのヒグマが集まってきます。
「ヒグマの密集度世界一」とも言われるようです。
ここまでは、許可書がある車は入れるので、ヒグマ撮影が行われているのはほとんどがここだと「船頭さん」は言います。
帰路にここで、大きなヒグマが川を見つめるて丘の上に佇むのを見つけました。
彼らは人間の様子をよく観察しています。 -
そして、見えてきたのが・・・番屋です。
今回のクルーズで私が一番見たかったのは、番屋群なのです。
この番屋は、19号番屋と呼ばれています。
この番屋は1964 年(昭和 39 年)4 月に、建設され操業を始めました。
当時は十条製紙の事務所がテッパンベツ川の海岸部にあり、三河川奥での伐木をワイヤーで海岸部に引っ張り出して、自動車で搬出ていたようです。
その頃は危険と判断した羆は、猟師を呼び銃殺させていました。
しかし、ここで熊を最後に銃殺したのは、1989 年 8 月 26 日が最後だそうです。 -
以来、19 号番屋の社長「大瀬初三郎さん、1936 年生」は、番屋開始以前のこの地所での山林見回りの経験から「羆は智恵者で、人の言葉を理解出来る」との考えを持つようになります。その信念で、熊の銃殺を止めます。
最初は、熊は人を恐れ人を見ると逃げます。
銃殺を止めて 6 年後から (1995 年頃から)人や車を羆があまり気にせず、番屋付近にまで、日中も羆が人を気にせず出て来るようになり、現在に至っているといいます。
沖には定置網が並びます。 -
最近もNHK「ヒグマを叱る男」というドキュメントで紹介されていました。
定置網にかかった鮭の「分け前」を求めてクマがやってきます。
目前に迫るヒグマを叱りつけ、退ける83歳の老人がいるのです。
この番組を見ていると、人は自然とどう向き合えばよいのか考えさされます。 -
そんな番屋を遠目からでもいいから自分の目で見たいと思っていました。
今回、そのチャンスがやってきたのです。
遠ざかる19号番屋をじっと眺めていました。
教訓5「残席4」の席は、迫力ある白い航跡は間近に見える」 -
ルシャから先は断崖絶壁が続く険しい地形で陸路はなく、ウトロからは船で1時間。手こぎ船しかなかった時代には、片道6時間以上かかったといいます。
そのため、町から通うことが難しく、漁師たちは夏の間のおよそ2か月間、「番屋」と呼ばれる小屋で寝泊まりし、漁を行ってきました。
番屋は、定置網の近くや、昆布のたくさん生え、水が得られて、船が着けられる海岸に設けられたようです。 -
その番屋のひとつが見えてきました。
目の前の海には定置網のブイが浮いています。
この網を避けながら舟は進みます。 -
後に大きな滝が見えます。
そこで名付けられたのが「滝の下の番屋」だそうです。
番屋は明治20年代に建ち始めたといいます。
北陸や東北の漁師たちが、知床の豊かな漁場に集まってきました。
陸からたどり付けない不便な場所ですが、目の前には豊かな漁場が広がります。
春から秋まで番屋に寝泊まりして漁に出たのです。 -
しかし、よくみると屋根が崩れ落ちているようです。
今は、船の性能が良くなって使われなくなった番屋も増えてきたようです。
しかし、撤去し更地にする費用がありません。 -
次に現れた番屋は・・・
羅臼には映画「地の涯に生きるもの」の主役であるオホーツク老人の像が建ていました。この映画は、番屋で冬を一人で過ごす老人の物語です。老人を演じたのが森繁久弥です。
どうして、漁もない冬を番屋で過ごさなければならなかったのか。
それは、昔の網は植物性で、ネズミに食べられてしまうからだったそうです。
そのため番屋では猫を飼って、その猫にエサをやるために身寄りのない老人が一人で、冬の間を番屋で生活していたというのです。 -
海の中に立つ観音様のような岩
その向こうに何軒かの番屋が見えてきました
その向こうにも番屋が見えます。 -
いくつかの番屋を横目に、船は知床岬の先端を目指します。
-
船の周りにはイルカも現れ楽しませてくれます。
心配された霧も晴れて快晴の青い空の下、浪もないオホーツクの海を船は知床岬を目指して進みます。
教訓6「残席4」の席も捨てた物ではない」 -
そして現れたのがカシュニの滝。
青い空と緑の大地、そこから白い糸を引くように群青の海に落ちていきます。
この滝は美しい。
しばらく見とれていました。 -
-
そして、慌ててシャッターを切りました。
私の中では日本名瀑ベスト10の中に入ります。 -
知床岬が近づいてきたようです。
断崖がなくなってきました。 -
ここまで1時間20分ほど。
少し眠くなってウトウト。
ちょうど私のお昼寝タイムです。 -
すると港が見えてきました。
知床岬の先端のオホーツク側にある無人の港です。
今は海が急に荒れたときなどに逃げ込む避難港としての役割を果たしているようです。防波堤には子育てを終えた無数の鴎類が飛び交うのが見えます。 -
「船頭さん」が
「この港の上は36ホールの知床ゴルフクラブの敷地です。専用客船でやってきた富豪のみがプレーが許されます。なお、クマが現れるのでよく中断するそうです」と紹介。一瞬ぽかんと聞いていました。 -
確かにフラットな地面に青い芝生のような草原が続いています。
遮るものがないために樹木が育たないようです。
そして、岬の先は、強い風が休みなく吹き波も荒いようです。
教訓7 知床岬の先端にはゴルフ場はない。過酷な環境がゴルフ場のような草原を一時的にもたらしている。 -
岬の先端が見えてきました。
-
尾根の向こうには知床岬燈台も姿をみせました。
-
心配された霧は杞憂に終わったようです。
-
遊覧船が岬の先を越えて行きます。
-
岬の先を望遠で写すと・・・
その向こうには国後島の山脈が写っていました。 -
往路でクマが見えなかったので、帰路もクマを探しながら陸の近くを通って帰ります。
どこかで「知床旅情」が流されるかなと少し期待していたのですがそれもありませんでした。昭和は遙かになりにけり・・・
国後も遙かなり・・
そんなことを考えながらウトロの港に帰って行きました。
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