2019/06/14 - 2019/06/16
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nichiさん
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今井浜東急ホテルをチエックアウト後、伊豆半島を南下。
小雨が降り続く中、下田を訪れ、久々に宝福寺から下田開国博物館を訪れました。
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雨降る中、車は下田市に到着。
まずは宝福寺へ。 -
このお寺には歴史的に2つの意義があります。
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ひとつは1854年、日米和親交渉の際、日本側の本陣となり、下田奉行所が置かれた場所です。有名なお吉のお墓があります。
もう一つは、1,863年1月16日、勝海舟が、宝福寺に滞在中の山内容堂を訪ね、坂本龍馬の土佐藩の脱藩の罪の許しを乞います。結果許されるのですが、龍馬は下田の旅館でその朗報を聞いたようです。 -
本堂と龍馬像。
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本堂にお参りします。
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幕末 下田奉行所 の文字。
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入場料は400円×2枚。
チケットにはお吉と龍馬。 -
こちらがお吉のお墓。
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身寄りのなかったお吉を、当時の宝福寺の第15代竹岡大乗住職が弔ったことから宝福寺にお吉のお墓があります。
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水谷八重子などの芸能人により新しく墓石も寄進され現在に至っています。
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「唐人お吉」
佐久間良子さん、太地喜和子さん、坂東玉三郎さん
舞台で演じていたんですね。
古いポスターや資料が掲げられていました。 -
19歳当時のお吉の写真です。
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斉藤吉の父親は船大工、お吉が小さい頃に一家揃って下田に移り住んでいます。
村山家という家の養女となり、三味線などを習った後、芸者として生計を立てるようになりました。
芸達者だったきちは、瞬く間に下田一番の人気を誇るようになります。
お吉はまだ14歳です。
又、下田の大津波で家財道具一切を失ったお吉は村山家から実家の斎藤家の戸籍に戻ります。
お吉は声が良く、特に十八番の新内節「明烏」を唄わせれば下田で右に出るものはなく、新内明烏のお吉と謳われるほどの評判と美貌でしたが、それが奉公所の目に
留まることとなり、17歳の時、法外な年俸と引き替えに心ならずもアメリカ総領事タウンゼントハリスのもとへ待妾として奉公にあがることとなります。
下田の役人たちに「国難を救うと思って、身を捧げてくれ」と頼み込まれ、きちは泣く泣く「参ります・・・」と了承しました。
幼馴染で婚約者である鶴松と別れての奉公でした。 -
奉公を終えたお吉に世の風は冷たく、「唐人お吉」の肩書に。
二十歳でやけ酒をあおるようになります。
そして京都祇園の芸妓となります。
松浦武四郎の配下となり、お吉が開国論を説いたのはこのころです。 -
横浜で幼なじみの船大工・鶴松と再会し、下田の大工町に転居して所帯を構えますが、お吉の酒癖の悪さが原因で離別し三島の金本楼の芸妓になります。
その後、下田で髪結いになったり、安直楼と言う料亭を開業しますが、酒癖の悪さからうまくいかず、最後は豪雨の中で入水自殺をしてしまいます。
この後、語り部さんによるお吉の物語を約20分お聞きしました。
貴重な体験をすることができました。 -
鶴松が使った品々が残されていました。
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この絵は下田ではなく、長崎ですね。
出島が見えます。 -
お吉が晩年に来ていた着物。
よく残っていましたね。 -
お吉が使っていた鏡や櫛などの道具です。
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宝福寺のもう一つの存在意義はここにあります。
勝海舟と山内容堂の会見の場です。
1,863年1月16日、勝海舟が、宝福寺に滞在中の山内容堂を訪ね、坂本龍馬の土佐藩の脱藩の罪の許しを乞いますが、当時のまま部屋が残されています。 -
山内容堂が坂本龍馬を許した証に勝海舟に贈られた扇です。
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宝福寺をあとにしました。
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次に下田開国資料館にやって来ました。
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ここも久々に訪れます。
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入場料は一人1200円→1100円
JAF会員権提示で100円割引になりました。 -
海上交通の統制を目的に船の関所が設けられ、下田奉行所が設置されました。
箱根の関所と同じで、「入り鉄砲、出女」です。
これの海版です。
下田沖を通る船に乗り込み、取り締まりを行っていました。 -
18世紀中頃、大阪から下田に移住して、廻船問屋として財を成した綿屋吉兵衛と言う商人集団が現れるなど、下田は好景気に沸きます!
江戸から明治、大正まで廻船問屋として財を成した綿屋。
下田の発展は先刻の海運における江戸の中継地としての立場に支えられていました。 -
綿屋の廻船の模型です。
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下田太鼓祭りです。
400年の歴史を持つ、伝統ある夏祭りです。 -
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下田太鼓祭りの名物である太鼓橋です。
お道具箱を11台並べ、両端を数十人の若者が力いっぱい押し合うと、このような形に組み上がります。
組み上がる過程も見せ場で、一見の価値があるようです。 -
太鼓橋の一番高い部分です。
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左右から押し合っています。
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幕末開港当時の下田の街の様子が模型で再現されていました。
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幕末開港当時の下田の街の模型。
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このあと、2階に上がったのですが、写真NG。
メインは吉田松陰についてでした。
黒船に乗り込んで密航し、海外へ渡ろうとして捕まった吉田松陰。
その牢獄も再現されていました。
ちなみにその牢獄があった場所がこの下田開国博物館がある場所だそうです。 -
隣の建物へ。
ここも撮影禁止。
黒船に関する資料が数い多く展示されていました。
下田の街とのかかわりが面白かったです。 -
雨の中を歩いてペリーロードへ。
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ここがペリーロードです。
日本に対して鎖国をやめて開国を要求してきたペリーが約300人程の部下を引き連れ了仙寺まで行進したとされる小径がこの「ペリーロード」です。 -
すごい雨が降っています。
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ペリーロードは平滑川沿いに700メートルほど続いています。
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レトロな雰囲気を醸し出しています。
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ここもいい感じ。
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どこかでお昼にしようかな~~
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川沿いの紫陽花がきれいに咲いています。
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ここも。
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家内は、「おなかすいた~~」
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昔の大砲がありました。
1829年製 30ポンド カロネード砲 -
風情があるペリーロードは大雨のせいか、土曜日の昼時なのに人はまばら。
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人、いません。
写真ではわかりづらいですが、大雨が降っています。 -
昔このあたりに「Imagine」という喫茶店(夜はBAR)があったと思うのですが、、、、
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「Imagine」は見当たりません。
BeatlesやJohn Lennon
のレコードをかけているお店でした。
何度か訪れたことがあります。
つぶれちゃったのかな?? -
紫陽花が満開。
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このあと、建物もいい感じ。
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ここでお昼のにする?
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ペリーロードにある志満田に入ってみます。
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入り口で靴を脱ぎます。
料亭風です。
シーンとしています。
私「ごめんください。」
おばさんの声「奥へどうぞ」
ちょっと不安になります。 -
奥に進みます。
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カウンターのみのお店です。
高級店??? -
私たちは海苔の温かいうどん×2名分をオーダー
味は、、、、、、、、、、、、
1,000円かぁ。。。。。。。。。 -
建物内は風情があるんだけどな~~~
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この旅行記へのコメント (2)
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- picotabiさん 2019/07/21 18:30:24
- 唐人お吉
- とっても美しいですね。
そして人生が。。これまた舞台になりそうなかわいそうな女性。
お吉の話は以前会社に勤めていた静岡出身の子から聞かされました。
太地喜和子の話とともに。唐人お吉の千秋楽の前日、海に車ごと転落して亡くなった事故。奇しくもお吉が亡くなった年齢と同じと聞くと不謹慎ですが偶然とも思えず衝撃的な話でした。
- nichiさん からの返信 2019/07/21 23:17:30
- Re: 唐人お吉
- えーーーっ!
全く知りませんでした。
太地喜和子が伊東の事故で亡くなったのは知っていたのですが、伊東市で公演中だった唐人お吉の千秋楽の前日。
それも同じ年齢、、、
ビックリでございます。
教えて頂きありがとうございます!
そもそも唐人お吉は、後から着色された物語のウケ狙いであるとの指摘もあるようです。
しかし、日本人にとって興味深い話になっていることは事実ですよね。
黒パン俘虜記、読み終わりました。
この本を教えていただいたことに再び感謝です!
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