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東北旅2018~義経終焉を追う~<br /><br />3泊4日の東北旅。<br />今回のテーマは源義経。<br />悲劇のヒーローとして名高い義経の終焉。そして最後まで彼に仕えた郎党達。義経主従関連の史跡を中心に巡ります。<br /><br /><br />◆2018年10月24日(水)◆<br />福島→飯坂温泉→愛宕神社→鯖湖湯→旧堀切邸→常泉寺→八幡神社→舘ノ山公園(大鳥城跡)→医王寺<br /><br />

東北旅2018~義経終焉を追う~ *1日目(福島・飯坂)

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2018/10/24 - 2018/10/24

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せんな

せんなさん

東北旅2018~義経終焉を追う~

3泊4日の東北旅。
今回のテーマは源義経。
悲劇のヒーローとして名高い義経の終焉。そして最後まで彼に仕えた郎党達。義経主従関連の史跡を中心に巡ります。


◆2018年10月24日(水)◆
福島→飯坂温泉→愛宕神社→鯖湖湯→旧堀切邸→常泉寺→八幡神社→舘ノ山公園(大鳥城跡)→医王寺

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  • 4日間の東北旅行に行ってきました!<br />人生4度目、約1年ぶりの東北です。<br />とは言っても仕事だったり別の目的だったりで、旅らしい旅は今回が初めて。<br />「義経終焉を追う」なんて大層なテーマを冠しておりますが、途中若干横道にそれてます(笑)<br />とはいえ、歴史は繋がっているので全く関係ないとも言えないというところが歴史の奥深さ。<br />…とかなんとか言ってますが、結局は歴史オタクの野次馬旅です!笑<br /><br /><br />初日はJR福島駅からスタート。<br />前泊していたので朝はゆっくりです(笑)<br />初日は義経主従の佐藤継信・忠信兄弟の故郷である信夫地方を中心に回ります。<br /><br />早速、福島電鉄飯坂線に乗って飯坂温泉へ。

    4日間の東北旅行に行ってきました!
    人生4度目、約1年ぶりの東北です。
    とは言っても仕事だったり別の目的だったりで、旅らしい旅は今回が初めて。
    「義経終焉を追う」なんて大層なテーマを冠しておりますが、途中若干横道にそれてます(笑)
    とはいえ、歴史は繋がっているので全く関係ないとも言えないというところが歴史の奥深さ。
    …とかなんとか言ってますが、結局は歴史オタクの野次馬旅です!笑


    初日はJR福島駅からスタート。
    前泊していたので朝はゆっくりです(笑)
    初日は義経主従の佐藤継信・忠信兄弟の故郷である信夫地方を中心に回ります。

    早速、福島電鉄飯坂線に乗って飯坂温泉へ。

  • 川沿いに旅館が立ち並ぶ、これぞ温泉街といったところ。<br />趣がありますね。

    川沿いに旅館が立ち並ぶ、これぞ温泉街といったところ。
    趣がありますね。

    飯坂温泉駅

  • 先ずは街を見渡せる愛宕神社へお参り。<br />……しようと階段を登るが、普段の運動不足が祟って息切れ・足が上がらない…(涙)<br />階段自体がなんだか傾いていて気を抜くと落ちそうだし…。<br />やはり10代の頃のようにひょいひょいっとはいけないというのを痛感したアラサー突入の秋。

    先ずは街を見渡せる愛宕神社へお参り。
    ……しようと階段を登るが、普段の運動不足が祟って息切れ・足が上がらない…(涙)
    階段自体がなんだか傾いていて気を抜くと落ちそうだし…。
    やはり10代の頃のようにひょいひょいっとはいけないというのを痛感したアラサー突入の秋。

    愛宕山公園 公園・植物園

  • 息切れしながらなんとか登り切ると、街中から山々まで見渡せます。

    息切れしながらなんとか登り切ると、街中から山々まで見渡せます。

    愛宕神社 寺・神社・教会

  • 小さな社が神聖な雰囲気を醸し出しており良い雰囲気です。<br />愛宕神社なので火の神様ではありますが、この旅1箇所目の仏閣ということで、ここからの旅の安全と無事をお祈り致しました。<br /><br /><br /><br />次は旧堀切邸へ。<br />江戸時代の豪農・豪商の邸宅で、十間蔵は県内最古の蔵とのこと。<br /><br />庭や足湯等、綺麗に整備されており、どちらかというと地域交流の拠点という感じですかね。<br />地域のイベントなのか、市のようなものをやっていて、地元の方が多くいらしてましたので、余所者としてはなんだか落ち着かない気分でした(^^;)<br />写真は撮っておりません。

    小さな社が神聖な雰囲気を醸し出しており良い雰囲気です。
    愛宕神社なので火の神様ではありますが、この旅1箇所目の仏閣ということで、ここからの旅の安全と無事をお祈り致しました。



    次は旧堀切邸へ。
    江戸時代の豪農・豪商の邸宅で、十間蔵は県内最古の蔵とのこと。

    庭や足湯等、綺麗に整備されており、どちらかというと地域交流の拠点という感じですかね。
    地域のイベントなのか、市のようなものをやっていて、地元の方が多くいらしてましたので、余所者としてはなんだか落ち着かない気分でした(^^;)
    写真は撮っておりません。

    愛宕神社 寺・神社・教会

  • 旧堀切邸のすぐそばにある鯖湖湯へ。<br />飯坂温泉の中でも最古の公衆浴場であり、日本最古の木造建築共同浴場とのこと。<br />あの松尾芭蕉も入ったとか。<br /><br />時代を感じる佇まい。<br />外側だけ見るととても簡素な作りなので、中がどうなっているのか気になるところではありますが、温泉に浸かっていく時間もないし、一人で入っていく勇気はありませんでした(笑)<br />そのうち機会があれば…!

    旧堀切邸のすぐそばにある鯖湖湯へ。
    飯坂温泉の中でも最古の公衆浴場であり、日本最古の木造建築共同浴場とのこと。
    あの松尾芭蕉も入ったとか。

    時代を感じる佇まい。
    外側だけ見るととても簡素な作りなので、中がどうなっているのか気になるところではありますが、温泉に浸かっていく時間もないし、一人で入っていく勇気はありませんでした(笑)
    そのうち機会があれば…!

    鯖湖湯 温泉

  • こちらも旧堀切邸を出てすぐそばにある常泉寺。<br />境内に温泉が湧いていたことからこの名前になったそうです。<br />江戸時代の有名な棋士、本因坊秀伯ゆかりのお寺とのことで、墓碑と顕彰碑がありました。<br />秀伯はこの辺りの生まれで、実家の菩提寺がここ常泉寺のようです。<br /><br />秀伯に関しては名前こそ知っているものの、囲碁にはとんと疎いのでよくわからず…。<br />まだまだ不勉強、ということで、これを機に調べてみようかと思います。

    こちらも旧堀切邸を出てすぐそばにある常泉寺。
    境内に温泉が湧いていたことからこの名前になったそうです。
    江戸時代の有名な棋士、本因坊秀伯ゆかりのお寺とのことで、墓碑と顕彰碑がありました。
    秀伯はこの辺りの生まれで、実家の菩提寺がここ常泉寺のようです。

    秀伯に関しては名前こそ知っているものの、囲碁にはとんと疎いのでよくわからず…。
    まだまだ不勉強、ということで、これを機に調べてみようかと思います。

  • 次は八幡神社へ。<br />後三年の役の際に源義家が必勝祈願のために勧請したと伝わります。<br />その後、佐藤基治(継信・忠信兄弟の父)が社殿を建立し、武運の神様として、<br />現在では三大けんか祭りのひとつ「いいざかけんか祭り」の舞台となっています。<br />佐藤兄弟も幼い頃この境内で遊んだかもしれませんね。

    次は八幡神社へ。
    後三年の役の際に源義家が必勝祈願のために勧請したと伝わります。
    その後、佐藤基治(継信・忠信兄弟の父)が社殿を建立し、武運の神様として、
    現在では三大けんか祭りのひとつ「いいざかけんか祭り」の舞台となっています。
    佐藤兄弟も幼い頃この境内で遊んだかもしれませんね。

    八幡神社 寺・神社・教会

  • 境内にあったでっかいわらじ。<br /><br />ようやく佐藤兄弟の名前が出てきたところで…<br />次は少し歩いて、信夫庄司であった佐藤氏の居城、大鳥城跡へ向かいます。

    境内にあったでっかいわらじ。

    ようやく佐藤兄弟の名前が出てきたところで…
    次は少し歩いて、信夫庄司であった佐藤氏の居城、大鳥城跡へ向かいます。

    八幡神社 寺・神社・教会

  • 義経の死後、頼朝の奥州征伐によって陥落しましたが、その際にここで戦ったのが佐藤兄弟の父、佐藤基治。ここで戦死したとも、後に許されて所領に戻ったとも言われています。<br />奥州にいた時分には、もちろん義経も立ち寄ったことでしょう。<br /><br /><br />今は運動場や学校になっているあたりも当時は砦だったようで、広大な城だったということが伺えます。

    義経の死後、頼朝の奥州征伐によって陥落しましたが、その際にここで戦ったのが佐藤兄弟の父、佐藤基治。ここで戦死したとも、後に許されて所領に戻ったとも言われています。
    奥州にいた時分には、もちろん義経も立ち寄ったことでしょう。


    今は運動場や学校になっているあたりも当時は砦だったようで、広大な城だったということが伺えます。

  • と、ここで、何も考えずに旧道を登ったわたくし。<br />途中二の砦、三の砦のあたりで本丸に登る道が通行止めになっておりました。

    と、ここで、何も考えずに旧道を登ったわたくし。
    途中二の砦、三の砦のあたりで本丸に登る道が通行止めになっておりました。

    大鳥城址 名所・史跡

  • 確かに上り口に「通り抜けできません」って看板があったし、道崩れちゃったのかな、残念…とかのん気に考えて、次の目的地に向かったわたくし。<br />後々調べて知ることになるのですが、遠回りの新道を通れば本丸まで登れたそうです…。<br />そりゃそうだ。旧道があるなら新道あるよね。どうして気づかなかった私。<br />さすがにもう戻れないので大鳥城跡は次の機会に本丸まで登ることに致します。

    確かに上り口に「通り抜けできません」って看板があったし、道崩れちゃったのかな、残念…とかのん気に考えて、次の目的地に向かったわたくし。
    後々調べて知ることになるのですが、遠回りの新道を通れば本丸まで登れたそうです…。
    そりゃそうだ。旧道があるなら新道あるよね。どうして気づかなかった私。
    さすがにもう戻れないので大鳥城跡は次の機会に本丸まで登ることに致します。

    大鳥城址 名所・史跡

  • 本丸までは登れませんでしたが、<br />ここからでも十分街が見下ろせます。<br /><br /><br />さて、次が本日最後にしてメイン。<br />医王寺へ向かいます。<br /><br />信夫佐藤氏の菩提寺です。江戸時代の俳人、松尾芭蕉もおくの細道でこの地を訪れ、句を残しています。<br />中学生の頃に佐藤兄弟に興味を持ってからずーっと行きたかった医王寺。<br />もう胸がいっぱいです。

    本丸までは登れませんでしたが、
    ここからでも十分街が見下ろせます。


    さて、次が本日最後にしてメイン。
    医王寺へ向かいます。

    信夫佐藤氏の菩提寺です。江戸時代の俳人、松尾芭蕉もおくの細道でこの地を訪れ、句を残しています。
    中学生の頃に佐藤兄弟に興味を持ってからずーっと行きたかった医王寺。
    もう胸がいっぱいです。

    大鳥城址 名所・史跡

  • 先ずは本堂にお参り。<br />中も拝観できるとのことで、あがらせていただきました。<br />佐藤氏の位牌、若桜・楓の人形がおかれておりました。<br />佐藤継信・忠信兄弟の妻であった&quot;若桜&quot;・&quot;楓&quot;が、兄弟の死を嘆き悲しむ母&quot;乙和&quot;を慰めようと夫の鎧を着て武者姿に扮したという勇ましくも悲しいお話。<br />自分たちも悲しみをこらえているというのにね…。<br />このお話には松尾芭蕉も涙を流し、「笈も太刀もさつきにかざれ紙のぼり」と句を残しています。<br />写真はその歌碑。<br /><br /><br />宝物館である瑠璃光殿も拝観させていただきました。<br />佐藤兄弟所用の鐙や、義経所用の直垂の断片等、貴重なものが多く展示されています。<br />とくに、屋島の合戦で継信を射たとされる能登守教経の鏃(矢の先)。<br />直接継信の命を奪った恨めしいもの、これを義経がどのような気持ちで屋島からここまで持ち帰ってきたのだろうと考えると胸が痛いです。<br /><br />他にも、弁慶が書いたという経文も展示されていました。剛胆な人物として知られる弁慶ですが、こんな繊細な小さな文字を書くのだと…なんだか以外なギャップです。まぁ、そういえば法師さんですものね。<br /><br /><br />宝物館内にタッキーがやった大河のポスターがいくつかありましたが、下にN○Kさんが「受信料を払いましょう」と書いてあって少し笑ったのは内緒の話(笑)

    先ずは本堂にお参り。
    中も拝観できるとのことで、あがらせていただきました。
    佐藤氏の位牌、若桜・楓の人形がおかれておりました。
    佐藤継信・忠信兄弟の妻であった"若桜"・"楓"が、兄弟の死を嘆き悲しむ母"乙和"を慰めようと夫の鎧を着て武者姿に扮したという勇ましくも悲しいお話。
    自分たちも悲しみをこらえているというのにね…。
    このお話には松尾芭蕉も涙を流し、「笈も太刀もさつきにかざれ紙のぼり」と句を残しています。
    写真はその歌碑。


    宝物館である瑠璃光殿も拝観させていただきました。
    佐藤兄弟所用の鐙や、義経所用の直垂の断片等、貴重なものが多く展示されています。
    とくに、屋島の合戦で継信を射たとされる能登守教経の鏃(矢の先)。
    直接継信の命を奪った恨めしいもの、これを義経がどのような気持ちで屋島からここまで持ち帰ってきたのだろうと考えると胸が痛いです。

    他にも、弁慶が書いたという経文も展示されていました。剛胆な人物として知られる弁慶ですが、こんな繊細な小さな文字を書くのだと…なんだか以外なギャップです。まぁ、そういえば法師さんですものね。


    宝物館内にタッキーがやった大河のポスターがいくつかありましたが、下にN○Kさんが「受信料を払いましょう」と書いてあって少し笑ったのは内緒の話(笑)

    医王寺 寺・神社・教会

  • 境内には義経を両脇から守るかのように佐藤兄弟の像がありました。

    境内には義経を両脇から守るかのように佐藤兄弟の像がありました。

    医王寺 寺・神社・教会

  • 中心にどんと構える義経。

    中心にどんと構える義経。

  • 佐藤継信。

    佐藤継信。

  • 佐藤只信。

    佐藤只信。

  • 顔はめパネルまで…。笑<br />さすがにはめませんでしたが。

    顔はめパネルまで…。笑
    さすがにはめませんでしたが。

  • 「あヽ義経~佐藤一族」の歌碑。<br />こんな歌があるのね。知りませんでした。

    「あヽ義経~佐藤一族」の歌碑。
    こんな歌があるのね。知りませんでした。

  • そして佐藤元治・乙和、佐藤継信・忠信兄弟の墓へ墓参。<br />小さな広場?のようになっており、この奥にあります。<br />広場内にも供養塔が沢山あり、ここに眠る一人一人に物語があったのだと思うと、正に諸行無常を感じます。

    そして佐藤元治・乙和、佐藤継信・忠信兄弟の墓へ墓参。
    小さな広場?のようになっており、この奥にあります。
    広場内にも供養塔が沢山あり、ここに眠る一人一人に物語があったのだと思うと、正に諸行無常を感じます。

  • 乙和の椿。<br />佐藤元治・乙和夫妻の墓のすぐ横にあります。<br />二人の息子を失った母の悲しみが宿り、つぼみのまま開かずに落ちてしまうそう。<br /><br /><br />佐藤兄弟の墓は、墓石を削って飲むと熱病に効くと信じられていたようで、削られたあとが見えます。<br />二人の勇猛な武士にあやかりたいという後世の人々の思い。今にも崩れそうな墓石を、地元の人々が代々守ってきたのでしょう。<br /><br /><br />ここで本日は終了です。<br />翌日からは岩手に移りますので、一旦福島駅に戻り、新幹線で一ノ関へ。<br />福島駅のお土産屋さんで、飯坂温泉のラジウム卵を購入。<br />ここからの旅中のご飯のお供にしていました(笑)

    乙和の椿。
    佐藤元治・乙和夫妻の墓のすぐ横にあります。
    二人の息子を失った母の悲しみが宿り、つぼみのまま開かずに落ちてしまうそう。


    佐藤兄弟の墓は、墓石を削って飲むと熱病に効くと信じられていたようで、削られたあとが見えます。
    二人の勇猛な武士にあやかりたいという後世の人々の思い。今にも崩れそうな墓石を、地元の人々が代々守ってきたのでしょう。


    ここで本日は終了です。
    翌日からは岩手に移りますので、一旦福島駅に戻り、新幹線で一ノ関へ。
    福島駅のお土産屋さんで、飯坂温泉のラジウム卵を購入。
    ここからの旅中のご飯のお供にしていました(笑)

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