2019/05/11 - 2019/05/12
21位(同エリア34件中)
AandMさん
- AandMさんTOP
- 旅行記221冊
- クチコミ2441件
- Q&A回答87件
- 600,097アクセス
- フォロワー23人
エーゲ海クルーズの2日目と3日目、聖ヨハネが神の啓示を受けて黙示録を書いたと伝えられる洞窟のあるパトモス島とクレタ島イラクリオンにあるクノッソス宮殿を訪問しました。クルーズ会社の現地ツアー参加による訪問です。ツアーに参加すると、クルーズ船からの下船が最優先され、港には観光バスが待機していますので、大変スムーズで効率的に観光をすることができます。ツアー参加でなく自由行動の場合、下船が0.5-1時間程待たされ、上陸後のバスやタクシー手配や見学場所の入場券購入などを全て自分で行わなければなりません。ツアー参加は料金(50-80ユーロ/人)がかかりますが、扱いが優先されており、気分的にも気楽でした。
今回のツアーでは日本人参加者が多かったため、日本人専用のバスが準備されました。現地ガイド(ギリシャ人:英語説明)が付きましたが、説明などが丁寧ではありません。我々2人は個人旅行だったのでパトモス島では不十分な英語説明で我慢せざるを得ませんでした。
クレタ島では、添乗員さんの好意で日本人団体に混ぜて頂き、添乗員さんの日本語説明を聞くことができました。感謝です。それにしてもギリシャ人のガイド(英語)は、お客を連れ歩くだけで説明をサボっていました。プロのガイドとして失格です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 観光バス 船 徒歩
- 航空会社
- オーストリア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
5月11日
クルーズ船から小型ボートに乗り移って、パトモス島の港に着きました。夕方の5時過ぎです。パトモス島はトルコに近いエーゲ海に浮かぶ小さな島ですが、ここに聖ヨハネが黙示録を書いた洞窟があり、関連施設の修道院も含めて世界遺産に登録されています。キリスト教徒の聖地でもあるため、クルーズ船が寄港し、多くの人達がこの島を訪れます。 -
港で待っていた観光バスに乗って、狭い山道を3kmほど登ると「黙示録の洞窟」前に到着しました。ツアー客を乗せた複数の観光バスが到着したので、入り口には行列が出来ていました。日差しがありますが木陰に入ると涼しいので、少しくらいの待ち時間なら問題ありません。
-
赤シャツを着ているのが現地ガイド(英語説明)です。小さな声でショボショボ説明しますが、良く分かりません。
日本からの添乗員さん(紫色のシャツ)が、写真や図を用いて補足説明をしてくれました。分かり易く丁寧です。 -
「黙示録の洞窟」への入口です。20分程待って、やっと我々の順が巡ってきました。
-
入口横に「世界遺産の認定証」がありました。1999年の認証で、登録名は「神学者聖ヨハネ修道院と黙示録の洞窟を含むパトモス島の歴史地区」となっています。
ローマ帝国はパトモス島を流刑地として用いており、西暦95年に使徒ヨハネがドミティアヌス帝によってこの島に流刑されています。ヨハネはこの島の洞窟でイエス・キリストの啓示を受け、「ヨハネの黙示録」を書いたと、伝えられています。パトモス島の“神学者”聖ヨハネ修道院と黙示録の洞窟の歴史地区(コーラ) 史跡・遺跡
-
入口の上部にヨハネがキリストから啓示を受けている絵が描かれています。中に入ると狭い石の階段があり、下ると洞窟に到達します。小さな洞窟ですが、金銀のモザイクで飾られていました。厳かな感じの洞窟でした。
ただ次の見学者行列が続いていますので、立ち止まることなく進む必要がありました。聖なる洞窟はチラと見学した感じです。内部の写真撮影は、厳しく禁じられていました。 -
「黙示録の洞窟」見学を済ませて外に出ると、下方にパトモス島の港町スカラが見えました。島最大の町で、港を中心に家々が建っていることが分かります。良い景観です。
-
次の見学場所である神学者聖ヨハネ修道院に向かいます。道脇のお土産店には、聖ヨハネがキリストから啓示をうける様子を描いた絵や置物が売られていました。
-
「神学者聖ヨハネ修道院」は1138年に建造され、城壁に囲まれています。城壁に沿って狭い道を登り、修道院に入ります。
-
修道院に到着し、中庭に入りました。見上げると聖人像があります。聖ヨハネでしょうか。
-
中庭は広くはありません。
-
壁上に沢山のフレスコ画が描かれています。12世紀に建造された修道院ですが、多分、フレスコ画も修道院建造当時に描かれたものと思われます。
-
これは比較的新しいモザイクタイルで描かれた絵です。
-
修道院内に博物館があり、修道院で使われていた道具などが展示されていました。
-
修道院の二連式の鐘です。ギリシャの島の教会や修道院では、このような他連式の鐘が多いように思います。
-
天井や壁一面に聖人の絵が描かれていますが、下の方に描かれた絵は色が薄れて殆ど見えなくなっています。
パトモス島は、1537年にオスマン帝国の領土となり、トルコ支配が1912年まで続いています。イスラム教徒が支配していた間は修道院が放置され、壁画の劣化が進んだのではないかと思います。 -
「神学者聖ヨハネ修道院」の小さな礼拝堂です。年月経過を感じさせてくれる建物です。
-
修道院を出ると、道路沿いにお土産物店が沢山並んでいます。売られている商品は聖ヨハネやキリスト教に関連したものが多いようです。
-
絵皿や壁飾りなど宗教色の無いお土産品も、数は多くはありませんが、売られていました。
-
パトモス島の丘上に風車もありました。現在は使われていませんが、中世時代には風車で小麦を挽いて小麦粉などを作っていたものと思われます。
-
少し道路を下った場所から見上げた「神学者聖ヨハネ修道院」です。修道院というより、お城のように見えます。修道院は、外敵の侵入に備えて要塞化されていたそうです。
-
下方に目を転ずると、港町スカラが見えました。パトモス島は、とても美しい島だと思います。
-
観光バスに乗車して、クネクネした坂道を下って港の町、スカラに戻ってきました。クルーズ船に戻るボートに乗るまで少し時間がありましたので、町を歩いてみました。
教会に三連式の鐘を供えた鐘楼がありました。「神学者聖ヨハネ修道院」の鐘楼と同じ感じで、とても立派です。パトモス島の人々は鐘に思い入れがあるのでしょうか? -
港前の広場のレストランです。
-
町中の狭い道路両側にお洒落な感じのお店が一杯ありました。島の人口は2500人程度で多くはありません。観光客向けのお店だろうと思います。
-
町をグルリと散歩して、港に戻ってきました。小型ボートでクルーズ船に戻ります。夜の8時半過ぎです。
沖合に停泊しているクルーズ船に戻ってきました。ギリシャ式バーベキューの夕食、ギリシャ伝統ダンスのパーフォーマンスとイベントが続きます。その後一寝入りすると、翌日の午前7時にクレタ島のイラクリオンの港に入港予定です。 -
5月12日
クルーズ船がクレタ島のイラクリオン港に接岸しました。港湾設備がしっかりしているので、クルーズ船の接岸が可能で、港には3隻のクルーズ船が停泊していました。下船してクノッソス宮殿遺跡観光のツアーバスに乗ります。 -
朝9時前です。イラクリオン港からバスに分乗してクノッソス宮殿遺跡前のバス停に来ました。これから宮殿遺跡見学に出発です。
クノッソスは青銅器時代に属するミノア文明(BC2700-BC1450)が栄えていた中心地でミノス王の宮殿があった場所とされています。ミノス王はギリシャ神話に出てくるクレタの王で、王宮には脱出不可能な迷宮がありました。クノッソス宮殿は神話に出てくる宮殿と見做されていましたが、1878年にクレタ出身の商人でアマチュア考古学者であったカルカイリノス(Minos Kalokairinos)によって宮殿跡が発掘され、神話の世界だけでなく現実に存在したことが実証されました。興味深い話です。クノッソス宮殿跡 城・宮殿
-
クノッソス宮殿遺跡への入口です。クルーズ船のツアー客で大混雑です。なお遺跡内にトイレがありませんので、ここにあるトイレも大混雑でした。利用料0.5ユーロが必要です。
-
入口を入ると銅像がありました。クノッソス宮殿遺跡を発掘したカロカイリノス(Minos Kalokairinos, 1843-1907)です。
クノッソス宮殿跡 城・宮殿
-
こちらの像は英国の考古学者エヴァンズ(Arthur Evans, 1851-1941)でカロカイリノスと一緒にクノッソス宮殿遺跡発掘を進め、クレタ島で栄えたミノア文明の解明に貢献しています。
-
遺跡内の松の木に孔雀がいました。よく見ると、あちこちに孔雀がいました。孔雀は飛ぶのが得意ではない鳥と思っていましたが、この孔雀は飛び上がって松の枝に止まったようです。
クレタの孔雀は、日本などで見る孔雀と種類が違うのでしょうか?後で見学する遺跡の壁画「百合の王子」の被り物に孔雀の羽が使われています。ミノア文明(BC2700-BC1450)が栄えた時代も、このような孔雀がいたことが想像されました。 -
遺跡の中に木製の歩道が造られていおり、道順に従って見学をしました。ギリシャ人の女性ガイド(英語)が我々日本人のグループを案内してくれましたが、説明が殆どありません。引率するだけの役割のようです。代わりに日本人団体の添乗員さんが遺跡の要点を日本語で丁寧に説明してくれました。
-
宮殿への南側入口で、「捧げものを運ぶ人達のフレスコ画」が描かれていました。建物大部分は再現されたもので、フレスコ画もレプリカです。オリジナルのフレスコ画はイラクリオン考古学博物館にあります。
-
「百合の王子」の壁画です。宮殿への南側入り口の近くにありました。若者が百合と孔雀の宝石を被っていることから、この名前が付けられています。ただこの像もレプリカで、オリジナルはイラクリオン考古学博物館で保存展示されています。
-
「百合の王子」の説明パネルです。英国人考古学者エヴァンズが発掘に関わり、像の解釈を行ったことなどが書かれています。
-
「王妃の間」です。
-
4匹の大きなイルカと大小様々な魚が描かれています。ミノア文明が栄えたクレタ島は海に囲まれていますので、このような魚やイルカが身の回りに沢山いたことでしょう。
-
遺跡の倉庫のような所に沢山の壺がありました。ここで発掘されて壺で、宮殿内で使用した食物や飲み物の入れ物として使われていたようです。表面に絵などの飾りがない実用的な壺です。
-
北側の入り口部分に「牡牛のフレスコ画」が描かれた建造物がありました。牡牛は権力の象徴でクノッソス宮殿のシンボルにもなっています。赤茶に塗られた柱は、再現されてものでオリジナルではありません。
英国人考古学者のエヴァンズが再現でコンクリートなどの新材料を使ったため、クノッソス宮殿遺跡が世界遺産に登録認定されなかった、そうです。 -
クノッソス宮殿の「玉座の間」への入口です。遺跡で最も注目されている場所で、観光客の行列ができていました。陽射しが厳しいけど、まだ5月中旬で気温が高くありませんので、行列で待っていてもそれ程苦にはなりません。7-9月、夏の暑い時の見学は大変だろうと思います。
-
「玉座の間」の説明パネルには、エヴァンズが命名し、クノッソス王が儀式で使用使用していたと解釈していたこと、などが書かれています。
-
「玉座の間」には石製の椅子と石の水盤が置かれ、背後にフレスコ画が描かれています。ミノス王が玉座に座り、水盤を使った宗教儀式を行ったのでしょうか。
-
玉座の背後に描かれているのは、空想上の動物グリフィンが描かれています。グリフィンは頭が鷹、体はライオン、そして蛇の尻尾を持つギリシャ神話にも登場する動物です。
-
牡牛の絵がある建造物を過ぎて北の入口を出ると「劇場」がありました。古代ローマの劇場は円形の席で囲まれていますが、クノッソス宮殿遺跡の劇場の階段は一列状でした。
ここは演劇や儀式などが行われた場所ですが、観客数が多くないので階段状の席でも十分間に合ったのではないでしょうか。日本で縄文時代の後期に相当する今から3500年以上も前に、この場所で演劇が鑑賞されていたことは、驚きです。 -
クノッソス宮殿遺跡を見学し、遺跡入り口に戻ってきました。
-
暑い中を歩いてきましたので喉が乾きますが、入り口にカフェレストラン(The Little Garden)があります。冷たいフレッシュジュースやビールがサービスされていました。レストラン前に小さな花畑があり、ケシの花が咲いていました。
-
赤色の見事なケシの花です。
-
クノッソス宮殿遺跡の見学を終えて、ツアーバスはイラクリオンの町に戻ってきました。1時間程の自由時間がありましたので、イラクリオン古代博物館を見学することにしました。この博物館にはクノッソス宮殿遺跡を始め、クレタ島他の遺跡で発掘された物品が展示され、クノッソス宮殿のオリジナル壁画も保存展示されています。
内部は空調され、時代ごとに整然と展示されていました。素晴らしい博物館ですので、ぜひ訪問されることをお勧めします。考古学博物館 (イラクリオン) 博物館・美術館・ギャラリー
-
クルーズ船へ戻る時間になりました。午前11時過ぎです。これから船は次の寄港地のサントリーニ島に向かいます。サントリーニ島の到着時間は夕方4時半頃の予定です。
今回訪れたパトモス島には「聖ヨハネが神の啓示を受けて黙示録を書いた洞窟」がありました。パトモス島は離島で、中世時代の雰囲気がそのまま保存されているような場所だと思いました。クノッソス宮殿遺跡は、ヨーロッパ最古の文明とされるミノア文明(BC2700-BC1450)の遺跡で、ギリシャ神話に出てくるミノス王の玉座を見学しました。真偽に関して議論があるようですが、神話の世界を垣間見ることができたように思います。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
AandMさんの関連旅行記
この旅行で行ったスポット
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
50