2019/05/19 - 2019/05/22
169位(同エリア495件中)
ひよどりさん
バスタ新宿から、高速バスに乗って房総に向かいました。
海水浴場で有名な岩井に3泊4日、一日豪雨で缶詰になりましたが、鋸山に、館山と、東京湾を内房側から眺めてきました。
今回の旅行記は、前回「保田駅~鋸山」の続きです。江戸時代に盛行した羅漢霊場の残影を探し出したいと思います。
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鋸山といえば、「地獄覗き」。
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石切場跡の百尺観音。
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そして、31.05mの高さをもつ日本一の大仏。
鋸山を訪れる大多数の方が、ロープウェイで山頂、あるいは、車で中腹の駐車場に止めて山頂を目指すというルートを取られるでしょう。
私たちも、保田駅→遊歩道→山門に気づかず、行き当たりばったりに自動車道→中腹から入山→大仏と言うルートでした。 -
大仏から山頂目指し・・・
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ひたすら上り・・・
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歓声を上げ・・・
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石切場は、ひんやりとした別世界。
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そして、下り・・・
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石仏群を眺め・・・
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乾坤稲荷では、こんなかわいい狐さんを見つけました。右下に一匹隠れています。
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仁王門を潜り、保田駅へと帰路につきました。
帰宅後、撮った写真を巻き戻すように、仁王門から石仏群までスクロールしていると、羅漢霊場日本寺の姿が見えてきたように思えました。
写真を時系列とは逆に並べ替え、もう一度寺内を巡ってみます。 -
仁王像
前写真の仁王門に安置されている仁王像です。
左右どちらの像もこの目をしています。 -
観音堂
仁王門右手のお堂です。
日本寺は、昭和14年の登山者の失火で、国宝仏像や堂宇を失ってしまいました。
公式HPによると、観音堂は、元禄7年、仁王門は、同13年の建立。この辺りまでは火の手は回らなかったようですね。 -
「羅漢道」の石碑
山頂の眺望、百尺観音、日本一の大仏、壮大な景観が、今日の日本寺の主役です。
江戸時代は、小さな羅漢像が、主役でした。
千五百羅漢像は、10年の歳月をかけ、三百万人数講の力をもって、作り上げられました。
仁王門からの道は、羅漢ワールドに導いてくれます。 -
心字池
「羅漢道」、なだらかな坂、険しさのない穏やか空間です。 -
「羅漢道」
仁王門から中腹までのエリアは、山頂の喧騒とは反転するかのような静寂な空気が漂ってます。 -
「呑海楼」
日祭日には、茶屋として公開されている江戸時代の建物です。東京湾を一望出来る庭園が楽しめるようです。 -
頼朝蘇鉄と達磨石
「呑海楼」から少し歩き、開けた場所に出ます。かつて本堂があり、寺の中枢とも言える場所でした。大きな蘇鉄が植えられています。
この蘇鉄は、源頼朝がお手植えしたという言い伝えがあります。
平家追討の宣旨を受け、挙兵したものの、初戦、石橋山で平家に敗れ、当寺に近い勝山に上陸、再起を祈願し、この蘇鉄を自ら植えたそうです。
写真、左下の岩が「達磨石」です。 -
梵鐘
蘇鉄の傍にひっそりと、忘れ去られたように、建っていますが、立て札を読んでびっくり、鎌倉時代に鋳造、国の重要文化財に指定されています。
かつて、下野佐野の天寶禅寺に置かれ、その後鎌倉五山の一つである浄妙寺の寺鐘になったものです。
当寺に移された時期や謂われは、不明だそうです。
残念なことに、鐘楼は、天井板も外れ落ち、かなり傷んでいます。 -
立派な伽藍もいいけれど、こういうとりあえず感?に満ちた境内風景に心惹かれます。
奉献された方の心情を思えば、破損はしていても、寺内に留め置きたいものですね。
いずれ、復興整備が進めば、鐘楼は建て替えられ、無造作に置かれた石灯籠のパーツや獣足の台座はこの位置から移動してしまうでしょうね。
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復興伽藍
蘇鉄の西の高台は、伽藍の再建が進んでいるようです。
日本寺は、七堂十二院百坊からなる大寺でした。
奈良時代、聖武天皇の勅詔、行基菩薩によって開山した長い歴史をもつ名刹です。
源頼朝直筆の扁額をもつお堂もあったようです。 -
前の写真の左手には、鬱蒼とした藪の中に石段があります。
大仏とは反対方向のため、あまり人の行き来はないようです。
「羅漢道」の続きでしょうか。 -
百躰不動 1
石段の脇に不動明王像が並びます。
風化も進み、剣も羂索も判らなくなってしまった像もあります。 -
百躰不動 2
江戸時代、日本寺には、多くの人々が仏縁を結びに参詣しました。
その数千五百ともいわれる羅漢像の中には、亡き人に似た像があると言われていました。故人の面影を探し出し、再会を果たす霊場でもありました。
この先は、不動明王のご加護をもって、亡き人を求め、他界に一歩踏み出すことになるのでしょうか。
「活人は全く死人の中に在り」 -
通天窟 1
石段をもう少し上りました。
石造りの建物が見えてきました。 -
通天窟 2
石窟の手前に、屋根が葺かれ、細工を凝らした入口が設けられています。 -
通天窟 3
中には、3体の石像が・・・
日本寺曹洞九世高雅愚伝禅師と開祖道元禅師
が祀られているようです。
この愚伝禅師の尽力によって、千五百羅漢・旧大仏が築かれ、日本寺中興の祖でもあります。 -
通天窟 4
3体の像の前に置かれた頭部。
説明がないので、どなたの像の一部か不明です。薄暗い窟内で、異様な雰囲気を生み出しています。 -
通天窟 5
壁一面に文字が彫られています。 -
通天窟 6
寄進者の氏名と金額が刻まれています。
「神田 芝」「横山町」等、江戸の地名が並びます。個人では、金2朱、金1分の寄進をしています。正確ではありませんが、現在貨幣に換算すると、1~2万円程度ではないかと思います。
日本寺を支えていた、江戸時代の信仰の実態が伝わってきます。
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通天窟 7
細工も丁寧、繊細です。 -
通天窟 8
「波に兎」、現代人には、柔らかい印象を感じさせる意匠ですが、当時の人の思いは、どの様なものだったのでしょう? -
鋸山の標高も、通天窟を越すと、険しい岩肌を見せてきます。
山頂までの間、太古からの風蝕によって生じた幾つもの洞や崖面に、石像が安置されています。
麓とは違う霊場という異空間が広がります。 -
護摩窟
弘法大師が祀られています。 -
維摩窟 1
廃仏毀釈で頭部を失った痛々しい像が目立ちます。 -
維摩窟 2
多数の羅漢像。
羅漢は、最高位の修行僧です。
最高位と言うことですが、人間臭さ、人間の多様性が伝わってきます。 -
奥の院無漏窟
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崖面の聖徳太子像
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崖面の羅漢像 1
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崖面の羅漢像 2
廃仏毀釈の爪跡。 -
至る所に羅漢像
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山内に、石段、歩道の整備されていない一角があります。
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立派な、古い大きな宝筐印塔があります。
江戸時代の賑わいを物語っているのでしょうが、荒廃の象徴にも見えます。
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木々に囲まれ、薄暗い中、石窟が並びます。
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立て札を見ると、「日牌堂」とあります。「○○窟」ではありません。
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石窟の上方には、三角形の屋根の痕跡。足元にも、平らな石が並び、礎石の様な大きな石も点在してます。
羅漢霊場の中核となっていた場所だったのでしょう。 -
多くの羅漢像が納められています。
首には、繋げた痕が残っています。 -
かつては、亡き人の姿を探しに来たのでしょうか。
前方に積み上げられた直方体の石が気になります。 -
全ての首が落とされています。
廃仏毀釈で羅漢霊場は破壊され、重ねての失火・・・この場所は、今なお、時が止まっているかのようです。 -
どんな顔をしていたのでしよう?
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日牌堂から山頂に向かって石段は続きます。
百体観音、西国観音への参詣道です。 -
百体観音
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西国観音
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古代、聖武天皇の勅願によって建立、弘法大師を始め、高僧の修行場。
中世、源頼朝の蘇鉄の言い伝え。
江戸、千五百もの羅漢像が置かれ、世界一の羅漢霊場として、隆盛。
明治維新、廃仏毀釈。
昭和、登山者の失火により、全山ほぼ消失。
「諸行は無常にして 一切空なり」 -
そして、令和元年5月平日雨、山頂を楽しむ観光客で盛況です。
時代の流れは、結縁から絶景観光に変化してしまったようですが、人を引きつける霊山の力は不変のようです。 -
正直に言って、山頂の絶景に比べると、首の無い羅漢像は、不気味で近寄りがたいものでした。
そして、急傾斜の石段は、体力との戦いでした。
個性豊かな羅漢仏を見たくて訪れたにもかかわらず、「○○窟」から次の「○○窟」まで、「はあはあ」言って、「○○窟」で息を整える事を繰り返し、参詣とはほど遠い「エクササイズ」でした。
江戸時代、羅漢詣でに来た人にとっても、きつい山道であったことでしょう。
現在との大きな違いは、山頂を目指す登山ではなく、霊的空間たる山中を、鎮魂や祈願等様々な思いを、修行中の羅漢に託したのでしょう。
写真は、日牌堂の傍で撮ったものです。
勝手な想像ですが、石仏を奉納できる余裕の無い者が、積み重ね、手を合わせた供養塔のように思えます。
今回の旅行記は、帰宅後、写真を整理しながら感じた事をまとめたものです。
旅行記を書くという作業が無ければ、体を酷使した充実感で終わってしまった一日だったかもしれません。
旅行記アップのお蔭で、当日見えていなかったものも見えてくるものですね。
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旅行記グループ
2019年5月 内房
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