2019/04/28 - 2019/04/29
5位(同エリア9件中)
scomitcheeseさん
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1週間ほどティンプーに住んでみた。
1度目のブータンは、10年前。かなりディープな旅行だった。
特に旅の最後にそれがやってきた。
だからこそ、旅の途中で考えたこと、出会った人との会話を詳細に思い出すことができる。
★2009年のブータン
https://4travel.jp/travelogue/10766405
思い立って2度目のブータン。
違った意味でのディープな旅となった。
3度目?ありうる。
こころをかの地に置いてきてしまったから、取り戻しに帰らなくちゃ。
ハへ小旅行に行きます。
★ちょい住み2度目のブータンNo.1 パロ到着まで(2019.4.26~27)
https://4travel.jp/travelogue/11491933
★ちょい住み2度目のブータン No.3 ティンプー
https://4travel.jp/travelogue/11495344
★ちょい住み2度目のブータン No.4 パロでトレッキング
https://4travel.jp/travelogue/11495568
★ちょい住み2度目のブータン NO.5 ブータンを食べる
https://4travel.jp/travelogue/11497718?preview=true
★ちょい住み2度目のブータン NO.6 お土産編
http://4travel.jp/travelogue/11499338
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 2.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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チュゾムから南に進路を取り、幅の狭い道へと入っていく。カッと照り付ける太陽に、高地とはいえ緯度が沖縄あたりだったと気づく。そして友人が車を止めたのはシーバクトーンの果樹園だった。バラ科の花のように見える。
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緑色の実が見えますか?これが熟すと甘い果実になり、絞ったのがジュースとして売られている。免疫力アップと静かに注目されているらしいので、お試しに買ってみよう。いわゆる一村一品運動の賜物。ブータンの人が口をそろえていうのは、「100%MADE IN BHUTAN」、「オーガニック」。自国の製品に誇りを持っているのがうかがえる。嬉々として説明してくれた。
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左手には谷。谷の向こうを走るのは、インド国境のプンツォリン(ブータン第2の都市)へ続く道。最近バイパスができて所要時間が1時間短縮されたそう。それでも6時間くらい。バイパスを作ったのはきっとインドの支援だろうな。輸入製品の量第1位は断トツでインド製品。物資の大動脈なのだ。TATAのトラックが行きかうんだろうか。
こちらはプンツオリン道路を見ながら高度を保って進んでいく。車が少なくストレスがない。果樹園を縫うような道と時折現れる農家を見ながら、快適に進む。 -
車道から見下ろせるがけっぷちのお寺は、1500年代に建てられたというドブジゾン。友人によると、お寺は約30年前くらいまで刑務所として使われていたとのこと。最後の囚人がいなくなってから再びお寺として利用。ずっと以前のことらしいが、囚人が脱走を図ったことがわかると、崖から突き落としたのだそう。え?殺生禁止じゃなかったの?この国。ハエも蚊も殺さないのに、笑える話。
ドブジ ゾン 寺院・教会
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尾根を越えても、がけっぷちを回り込んでもまた次の果樹園と集落が見えてくる。
リンゴ畑の白い花を見ながら、ハへの道を行く。
こんなのどかな風景にも、大国インドとブータン現政権とのコラボレーションが見えてくる。新たな道路拡張工事が進んでいた。前首相か現首相はハ出身。ハの開発に力を入れている。外国人旅行客にハを開放したのはここ10年余り。 -
インドと中国という大国に挟まれたブータンは、植民地にこそなっていないが、インフラその他を他国の援助に頼って成長してきた。インドやブータンとチベットの国境といわれるマクマホンラインも近い。インド軍はブータンと中国との国境に駐屯し、中国の浸入、マクマホン地帯を防衛している。同時に、インフラ支援することで、経済的にも軍事的にもこの国を掌握しているように見える。その表れがこの工事。
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インドは労働力として自国民を連れてくる。林の中にはバラックが建っている。労働者は家族を連れてきている人もいて、現場にはサリーを着た女性も作業に携わり、また道端にはインドの人かなと思しき子どもが立っている。ブータンの人で道路工事をしている人は見かけなかった。多民族国家なので、顔の様子で判断してはいけないと思うが。
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このゲートが見えてくると、ハの町に(村に)入りますよという意味。ゲートはランドマーク。
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うつらうつらしかけたころ、友人に起こされて目を覚ますと、村に入る橋が見えた。正面の山は、ミリプンスムという3つの三角山の一つ。この時はまだ知らなかったが、今夜滞在する農家が左端に写っていた。
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ハのメインストリートは1本。日曜日と何かの催しが重なり、町には車があふれていた。友人の知り合いとたまたま通りで出会い、手ごろなレストランを紹介してもらう。催しのため、数少ないホテルのレストランが対応できないとのことだったため。
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テントがたくさん張られ、女性たちが輪になって踊っていた。テントに鎮座するのは、招待客。
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レストランからの眺め。普通なお店がこの伝統的な建物。
残念ながら料理は撮り忘れ。
焼きそばと餃子(モモ)を頼んでシェアしたと思う。友人はチキン、チャーハンだったか?炭水化物のオンパレードですね。 -
テントの外では、大鍋3つで赤米が炊かれていた。お客にふるまわれる。コックさんが一人は大変だろうな。
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食後は、中国、インドとの国境近く、ネパールへと続くヒマラヤの一端を見に行くことになった。ありがたいことに、山を見ることがscomitcheeseの最優先であることを、友人は心得てくれている。
ブータン、チベットとの国境は、1950年代末に中国がチベットを征服したため閉じられたまま。そう、あのダライラマがラサからインドのダラムサラへ亡命したころのこと。
このあたりこそ国境の最前線で、インド軍が駐屯しており、行き止まりの軍専用地で折り返す。ハのゾンはインド軍が施設として利用されている。
「オキナワみたいでしょ。」と友人が言う。「返してもらいたい」。
夫の方は黙っていた。確かに複雑だ。
ハの町には中国製品があふれているという。どうして?夜間に山を越えて中国の人か?中国に行って帰ってきた人か、商品を持ってくる。軍は現行犯でなければ逮捕しないという話にあきれてしまった。もちろん輸出入禁止のものが運ばれれば摘発する。物流を優先するのね。 -
高山植物が道端に見えてきた。アネモネの一種。
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車を止めては、撮影タイム!
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放牧ののどかな風景にも出会う。
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最前線まで村の道を行くうちに、雪を頂くヒマラヤの一端とヤクの放牧が見えたときはうれしかった。2009年の旅では、ヒマラヤは飛行機の中から一瞬拝んだだけで、道端に1頭のヤクがいただけだったから。
ヤク使いのおじいさんが山から降りてきて、「子どもを連れた母ヤクに近づかなければ、大丈夫だよ」と教えてくれる。 -
寒々とした風景だけれど、寒くないのです。
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とても近いですね、国境の山々。
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白いダルシンはよく見かけたが、カラーのものは珍しかったな。
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パロとハの違いは、田畑か放牧地かってこと。延々とこの景色が続く。
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ヤクを背景に雪のヒマラヤといういい写真が撮れたと思う。
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駐車した車のわきで、さささっと正装のハーフキラに着替えた友人は、お寺の前の店にささげ物のお菓子を買いに行った。小坊主さんには、キャンディーを渡すのを忘れない。
不信心ながら、外国人のscomitcheeseもついていく。外国人にドレスコードはない。8日間で12の大小のお寺に行った。10年前のscomitcheeseは、一応仏教徒を演じていたが、今回はBe myself。その時の気持ちに正直に行動した。
友人の敬虔さには敬服するが、人間が作ったものよりも自然が作ったものの方が好きなので、仕方がない。
こちらはハの町のはずれの黒いお寺、ラカンナクポ -
軍の町らしく、軍神を祀っているとのこと。
お堂に入ると、ブータンの人たちはまず、ラマがいても留守でも座主に向かって五体投地で参る、それからご本尊に向かって同じく五体投地。捧げものをしてお布施を置くと、お坊さんがいれば松の香の入った聖水をかけてくれるので、頭、口などを清める。作法はここまでだが、そのあとに友人はお坊さんとしばらく歓談。
このお寺には、ラマも留守を守るお坊さんもいなかった。男性が一人代わりに守っていた。先に外に出たscomitcheeseにはわからなかったが、 この男性は聴覚障がいがあり、一生懸命説明するもよくわからなかったという。「社会参加しているのはよかったわね」
宿に戻ってscomitcheeseが地球の歩き方の説明を訳すると、「だから、床を一生懸命指さしていたんだ」【床下に池がある】と納得していた。友人はラカンナクポの参拝は初めてで喜んでいた。 -
白いお寺ラカンカルボは、インドが軍用しているハゾンの代わりの役目があり、最近きれいに改修されたばかり。(政治力の賜物?)広い前庭を持つ。
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ヘリコプターも降りられるほどの広さ。
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ウゲンホームステイ(農家滞在)に到着。家主夫婦は出かけており、しばし門の外で待つ。彼らも催しに呼ばれていたのかな?
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長い冬に備えとドツォ(お風呂)のため、薪の山の上に2階玄関がある。薪の確保だけでも重労働だろうと思われる。屋根裏を含めると4階建ての大きさ。
200年以上も前に建てられた大きな家を今は3分割して使っている。その左端がウゲンとビダのホームステイ。ウゲンさんは5人きょうだいの長男。 -
3階にキッチンと客室。scomitcheeseの部屋は角部屋で、ハ川を見下ろせるナイスロケーション。専用の洋式水洗トイレもついている。オイルヒーター完備。
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部屋からの眺め。ハの谷を見下ろす。
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いつも気になる4階。見に行っていい?とビダに聞いてから、人の足の幅くらいの小さな急な階段を上がった。ほら、壁も窓もなく空いている。昔は米や干し肉などの食料の保存に使われたという。実際ヤクの皮をなめしたものがぶら下がっているお宅もあった。こちらの4階は納戸のようだった。
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キッチンはビダのテリトリー。鍋、お玉、皿、野菜など全てがきちんと整理されており、古いが心地いい。バターを作る木製の筒もある。本物だ!
何よりビダの所作が素敵。1つの鍋、皿、お玉を使うたびにすぐに洗い、収納する。ルーティンに見える。客である私たちに背中を見せているものの、その動きの上品さに目を奪われた。
食材はビダがビニールハウスで育てたオーガニックの野菜とベジ料理が並んだ。写真は、食べ物編でご案内します。ちなみに、家の周りに勝手に歩いている牛のうち5頭がここんちの牛。ミルクもバターも自家製なので、チャイがめちゃくちゃおいしかったのは言うまでもない。チャイにホットミルクを足して飲む贅沢さを味わった。 -
友人はドツォを予約してくれていた。川にある石の中でもミネラルが豊富なものを選び運んで焼く。小屋には2つの木製のバスタブがあり、間にカーテンが引いてあるので、2人同時に入れるのだが、友人と2人で利用したから大丈夫だったが、あのとってつけたようなカーテンなら、知らない人とシェアするのは難しかっただろう。実際ドツォを2度は断った。日本を出て以来バスタブには浸かっていなかったが、その素朴さ(ごめんなさい!、その粗末さかも)、その労働の大変さにしり込みしていた。お客は私たち3人だったし、2人は何度も「きれいだから」と勧めるので、入ることにした。
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入浴のころにウゲンさんは帰宅してきて、準備してくれていた。
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これは翌日撮ったものだが、バスタブはこんな感じ。山水に焼けた石が入れてあり、湯の表面は緑のハーブで覆われていた。
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湯が冷めたら、ウゲンさんが外にある石入口から石を入れてくれるというわけ。1人入った後は水を入れ替えるという。「19人が宿泊した時は午前1時まで石を焼き続けたんだ」と大変だった話をしてくれた。scomitcheeseは1度で上がったが、友人はゆっくり楽しんだとのこと。
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翌朝散歩を楽しむ。小川から見上げると、ずっと上にラカンナクポが見えた。
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ビダの娘テンジン(高校生)は、ビダとの会話を訳してくれるのだが、めちゃくちゃ愛想が悪い。登校中の村の高校生?挨拶をするんだけど、愛想がない。2人はきょうだいか?
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この家は2階建てだが、やはり天井下は空いている。ここのママはにっこりと笑って挨拶を返してくれたが、歯には噛みタバコのドルマのピンクがくっきりとくっついていた。
友人によると、地方には家族のだれもが農業や牧畜を継がず、首都ティンプーに出てだれも住んでいない家もあり、時々家族が家の風通しに帰ってくるだけという。村を歩くと、明らかに人の住む気配のない家も確認できた。人が住んでいないと、何だか色がくすむ。わかるもんです。過疎も進んでいる。 -
村の道を歩く。
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メイン道路からウゲンさんちへ入る標識がシンプル。
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スクールバスを待つ2人は、離れて待っていました。
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道沿いのリンゴの花。
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誰かのうちの垣根越しにパチリ。
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この花はかぐわしい香りを放っていました。名前知らず
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村への入り口の橋まできました。
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橋から川を眺めたら、流れのたまるところにはゴミがクルクル回っていました。この国の環境問題に取り組んだ人の報告を聴いたことがある。少しでも解決しないと、国民総幸福とはいいがたいかもねと思う。問題を問題として考えればね。
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河原から見たウゲンさんち。周囲に比べると一番大きかった。
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河原にはヘリポート。インド軍でしょうか。ジョギングしているグループも見かけた。
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遠くにラカンカルボも見えた。
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ブータンの昔のトイレは、外につき出していると聞いたことがあるが、実際にはあったことがないこんな感じなのだろうか。あの突き出た部屋はいったい?
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つづら折れの道を高度を上げてチェレラ(峠)へ向かう。ウゲンさんの家はヘアピンカーブから何度も眺めることができた。なんとガイド本の写真にもお宅が写っていた。
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ビダさんのビニールハウスも見える。
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チェレラの楽しみは花。10年前に来たときは強風で数分で退散したチェレラ。霧に包まれていたが、風もなく穏やか。前回より低くなった様子で、3880mになっていた笑。曇天ではダルシンを撮っても映えないし、ブータンで一番高いチョモラリ山は姿を見せなかった。
野鳥の写真撮影ツアーのインドのおじさんたちが大きなカメラをセットしていた。その収穫物の鳥の写真を見せてもらう。
ここはツーリストポイントとしてにぎわっていた。ゴミも多く汚い。チェレ ラ峠 散歩・街歩き
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もうブルーポピーはなかなか見られないのだという。見たかったな。
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まだ、ハの町が見えます。
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5㎜くらいのリンドウを見つけて撮影。
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霧の向こうに少しだけ見えたキラゴンパ。(尼僧院)
前回トレッキングしたところ。 -
峠からの帰り道は、フラワーロード。
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アネモネのお花畑。何度も車を止めてもらいます。
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今が盛りの真紅のシャクナゲ。
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キラゴンパへの登山口から見たキラゴンパ。
道路ができていて、今はこの小さな道を歩く必要はなくなりました。いいトレッキングロードだっただけになんだか寂しい。
友人が初めてこのゴンパを訪れたのは、scomitcheeseと行った10年前。尼僧の少女がたくさん住んでおり、冬はとてつもなく寒い。友人は仲間を募って毛布や靴下、衣類などを集め、冬にもう一度登り、寄付したという。
徳を積む。彼らの社会活動には、頭が下がる。
「美しい声で歌う少女がいたよね」と思い出話をすると、「そうだったっけ?」首を傾げた。
★2009年キラゴンパへのトレッキング(ケララカンと表示しています)
https://4travel.jp/travelogue/10767630 -
朝食後に、山のヤク放牧から戻ったウゲンさん。9歳からヤク放牧の仕事をしてきた。彼とビダの朝食は赤米に唐辛子のチーズ煮込みを少しつけたシンプルなもの。これが普通の人の朝ご飯だと観察していた。残りのご飯にホットミルクをかけて、これがお茶漬けというものか?
彼は英語を話さないので、単語に英語が入らない。ゾンカ語100%。英単語が入ると何となく話の方向がわかるのだが、皆目見当がつかない。だけど、scomitcheeseは話を聴く。言語以外の表情を読み取ろうとする。ウゲンさんの目はキラキラしている。scomithceeseはこの時の話を聴きたかった。ティンプー戻る途中に、友人に尋ねた。内容は以下の通り。当たってたよ。
ハが外国人に開かれ、観光産業を整備し始めたのは10年くらい前。ホームステイを始めたのは2012年だが、ハにホテルがほとんどないため、国の観光局は宿泊所として一定の基準を満たした民家に「ホームステイ」の認証を与えることになった。
ウゲンさんがこのことを知ったのは、応募が締め切られ14のホームステイ先が認定された後だった。何度も観光局に足を運び、求められる基準を即行クリアし、15番目のホームステイとなった。そしてそのお祝いの日、14のホームステイには各国の招待客が宿泊した。ウゲンさんのホームステイにはブータンの人たち、行政職や旅行会社の人たちのみだったという。少々がっかりしたそうだ。
しかし、ウゲンさんのHSの客は増えていった。「観光局によるアポなしの現地立ち入り検査もあるが、とにかく基準通りに設備を整えるということを毎日淡々と行っていただけ」と語る。実は旅行会社が次の観光客を呼ぶようになったのだそう。
ある日、海外からステッカーが送られてきた。TRIPADVISORのステッカー。2人は何の事だかわからずにキッチンに張っている。友人やscomitcheeseがこの意味を教える羽目になる。「あなたのHSのよさが宿泊客に評価されたのよ。」
では、友人はどうやってこのHSを予約できたか?2人はFACEBOOKも知らない。でもFACEBOOKに(たぶんゾンカ語の)アカウントを持っている。それで友人が連絡取ったところ、すごい速さでレスが来たという。どーゆーこと?
2人にはもう一人子どもがいる。18~19歳くらいの男の子。この子はとにかく料理であれ掃除であれ母親を手伝ういい息子だそうだ。ただ、あまりに手伝いばかりして勉強をしないので、勉強するようにティンプーの寄宿学校に入れてしまった。FACEBOOKはこの子の後押しのようだ。
ティンプーで政府系のビジネス投資の仕事をしている友人はここでコンサル。その内容はすぐにわかった。「こういうことでしょ?」
勉強が好きでもなく地方から出てきた人に、相当のつてがなければティンプーでいい仕事につくことは難しい。(つてがあれば大丈夫の社会でもある)息子がしたいことをさせたらどうか?すでに力になってくれているのだから。彼ならこの仕事を一緒にやってくれるのではないか?これがscomitcheeseと友人の助言だった。なんという素敵な話だろう。
ウゲンさん、ビダさん、そしてウゲンさんのお父さんとも握手したが、3人とも今までに握ったことがないほど固い大きな手をしていた。労働する人のゴツゴツ、ざらざらの力強い手の感触は、きっと忘れないだろう。
ティンプーに戻ります。
https://4travel.jp/travelogue/11495344
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