2019/05/07 - 2019/05/07
42位(同エリア130件中)
愛吉さん
日光街道を歩く4回目、今回は越ケ谷から春日部迄の約16KMです。
春日部は昔粕壁と書かれ、日光街道4番目の宿場町で、早朝江戸を発った大方の旅人が最初の宿を求めたのがここ春日部でした。芭蕉と曽良も記録によると初日の宿泊地は春日部でした。
尚粕壁から春日部に変わったのは、昭和19年の町村合併からです。
私達は午前10時に前回の終点、東武鉄道北越谷駅に集合歩き始めます。
日光街道を歩き始めた私達令和の旅人は4日目ですが、昔の旅人は初日の最終宿場間となります、きっと黙々と歩いた事でしょう。
それではご一緒に歩きましょう。
表紙の写真は春日部を代表する商家、東屋田村本店の建物、関東の10大大地主の一人で、未だ子孫の方がが住んでいます。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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午前10時東武鉄道北越谷駅に集合、集まったのは男4名女2名の計6名。
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旧道を歩き始めると、直ぐにこんな風景が広がります。
林に囲まれた水壕で奥に大きく広がります。 -
土手には道標でしょうか、夏草に覆われた石塔が鎮座します。
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先に進むと街道脇に立派な門が。
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近寄ると、宮内庁の鴨場と記されています。
昔外国の賓客を迎えて鴨猟を行ったのは、ここだったのですね。
尚調べると宮内庁の鴨場は千葉の新浜にも存在します。 -
そこから少し歩くと大林寺があります。
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又街道筋には庚申塔や石仏等が点在します。
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香取神社が鎮座。
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続いて下間久里香取神宮が。
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傍には無形文化財「獅子舞」の案内板が建っています。
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街道は春日部市に入ります。
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最初は歓喜院。
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歓喜院本堂
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隣は大枝香取神宮。
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由緒記
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宇都宮迄77KMの道標、未だ先は長いです。
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建御雷神社に立寄ります。
タケミカズチ神社と発音します。
交通安全、病気平癒、国家鎮護を担当する武神だそうです。 -
本殿です
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今度は称名寺。
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境内に変わった石塔が祀られています。
どんないわれが在るのでしょう。 -
又街道脇には石仏が。
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一里塚跡ですが何もありません、石塔が建つのみです。
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街道と並行して流れる古利根川、春日部は水運に恵まれた宿場町として繁栄しました。
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八坂神社があります。
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扁額
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宿場の説明と神社の由緒書
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今度は東八幡神社が。
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拝殿
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境内に祀られる稲荷社。
鳥居の前に在るのは庚申塔。 -
東陽寺、街道筋に建ち、大きく目立つお寺です。
奥の細道で芭蕉が泊まったと云われますが確証は有りません。 -
本堂です。
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本堂横に芭蕉と曽良が春日部に泊まった記念碑。
”二十七日夜カスカベに泊まる、江戸より九里余り”
曽良の日記が彫られています。 -
脇本陣跡、目印があるだけです。
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本陣跡、同上です。
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春日部を代表する商家東屋田村本店、店の前には道標が立っています。
道標にはいわつき、江戸、日光の方向を示し、又天保5年の文字が見えます。 -
正面から見た店と蔵です。
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奥は住居部分になります。
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日下部郷土資料館の前にあるブロンズ像。
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郷土資料館に展示される宿場の模型。
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駅前通り、今日はここ迄。
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春日部駅、ここから東京に戻ります。
終
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